ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
準決勝を翌日に控えた夜。
セントラル・マホロバの選手宿舎の一室は、静まり返っていた。
明日の対戦形式は、この大会で初となる6vs6のフルバトル。マホロバ地方の「最終進化・能力至上主義」を体現する、優勝候補筆頭のエリートとの決戦だ。
カグヤはベッドの端に腰掛け、ハッサムとルカリオのモンスターボールを静かに磨いていた。頭の上では、いつも通りウパーが「ぱちゃり」と呑気に尾を振っている。足元ではゾロアが丸くなり、窓辺ではヒノヤコマが静かに羽を休めていた。
不意に、デスクの上に置いた通信端末が、軽快な電子音を鳴らして青い光を放った。
画面に表示された発信元を見て、カグヤはわずかに目を見開く。
「……母さんか」
画面をタップすると、ホログラムの映像が空間に結ばれた。
画面の向こうに現れたのは、カロスの優しい風をそのまま纏ったような、美しい大人の女性。カグヤの母親であり、かつてカロスクィーンとして一世を風靡したセレナだった。
『もしもし、カグヤ? 元気に生活してる?』
セレナは画面の向こうで、昔と変わらない温かい笑顔を浮かべていた。
『こっちでもマホロバの大会、テレビの国際中継で観てたわよ。ウパーを頭に乗せてフィールドに出てきたときは、もう、あなたらしくて笑っちゃったわ』
「……観てたのか」
カグヤは少し気恥ずかしそうに頭を掻いた。頭の上のウパーが、画面のセレナに向かって「うぱー」と暢気に鳴いてみせる。
『ええ、もちろん。お父さんもね、口では「あいつのバトルなんて興味ない」なーんて言いながら、テレビの前から一歩も動かずに観てたんだから。ハッサムのバレットパンチが決まった瞬間なんて、自分のことみたいに拳を握りしめてたわよ』
その言葉に、カグヤの胸の奥が少しだけ熱くなる。
カロスの伝説的トレーナーであるサトシ。その偉大すぎる父の背中は、いつだって遠く、高かった。かつてカロスリーグでベスト8に終わり、自分の「理」を見失いそうになったときも、父の存在は常に巨大な影としてカグヤの前に立ち塞がっていた。
「父さんが、ね……」
『ふふ、あのアランさんだって、あなたの試合を観て「カグヤのハッサムは、あの頃よりずっと鋭い。正面から付き合えば、今の俺のメガリザードンでも危ういな」って、嬉しそうにお父さんに話してくれたのよ?』
セレナの言葉に、カグヤの腰のベルトで、ハッサムとルカリオのボールが小刻みに震えた。あの焦熱の記憶を共有するエースたちが、画面の向こうからの言葉に反応している。
すると、画面の奥から、聞き覚えのある力強い咆哮と羽音が重なって聞こえてきた。
『ほら、あなたの応援団は他にもいるわよ。みんな、あなたの試合をずっと観てたんだから』
セレナがカメラを切り替えると、実家の裏庭の景色が映し出された。
そこにいたのは、かつてカロスリーグを共に戦い、今は実家で羽を休めているカグヤの「かつての手持ちたち」だった。
カメラに向かって巨体を揺らし、嬉しそうに手を振るカイリュー。
木の枝をくわえたまま、鋭い眼光でカグヤに静かな激励を送るジュカイン。
その傍らで、一瞬で戦闘に移行できるほどに研ぎ澄まされた双針を静かに休めるスピアー。
月の光を浴びながら、漆黒の毛並みに宿る輪郭を妖しく明滅させて静かに佇むブラッキー。
そして――。
木々の影から、音もなく滑るように現れた、濃紺の忍びの影。
かつてカロスリーグの舞台で、最後の瞬間までカグヤと共に戦い抜いた絶対的エース、ゲッコウガだった。腕を組み、冷徹なまでの静謐さを纏ったその瞳が、画面越しにカグヤを真っ直ぐに見つめる。
かつてカロスを沸かせた実力者たちの姿に、カグヤの部屋の空気が一変した。
「みんな……ゲッコウガも、か……」
カグヤの呟きに呼応するように、ハッサムとルカリオ、そしてカメックスが自らボールから飛び出してきた。
画面越しに視線を交わす、かつての戦友たち。アラン戦での悔しさを知るゲッコウガ、ハッサム、ルカリオの間に、言葉のない、しかし熱い闘志の波導が駆け巡る。ゲッコウガは静かに頷き、「お前の今の戦いを見せてみろ」と言わんばかりに双眸を光らせた。
そして、その「かつてのエースたち」が放つ凄絶な威圧感の前に、カグヤの頭の上からウパーが涙目ながらも「うぱー!」と元気に声を張り上げた。足元のゾロアはおずおずと、それでも負けじと小さな牙を覗かせ、ヒノヤコマは紅い翼を広げてみせる。
マホロバで出会った未進化の3体が、カロスの伝説的な先輩たちの前で怯みながらも、自らの覚悟を突きつけたのだ。その姿を見たゲッコウガが、フッと満足げに口元を緩める。ジュカインも鼻を鳴らし、カイリューが優しく目を細めた。
『カグヤ。あなたはカロスで負けたとき、「自分の戦術の傲慢さのせいで、みんなの可能性を殺した」って、ずっと自分を責めていたでしょう?』
セレナの瞳が、画面越しに母親としての深い慈愛の色を帯びる。
『でもね、テレビに映るあなたのパーティを観て、お父さんも私も、それにゲッコウガたちも安心したの。今のあなたの戦場には、ハッサムたちの鋭い矛を優しく包み込む、とっても素敵な「凪」がある。あのウパーちゃんやゾロアちゃん、ヒノヤコマちゃんたちが、あなたの傷を埋めてくれているのが、画面越しでも本当によく分かったわ』
「……あぁ。今の俺には、あいつらがいる。それに、カロスに残したあいつらの想いも、全部ここにある」
カグヤは頭の上のウパーをそっと手のひらで包み、それから頼もしいエースたちを見回した。
「俺は、マホロバの『最終進化が最強』っていう常識を、この不揃いな6体で正面からブチ抜く。あいつらの覚悟と、俺たちの新しい理が、どこまで通用するか……試してくるよ」
『ええ。あなたたちのステージ、カロスからみんなで応援してるわ。明日は思いっきり、あなたたちの「理」を世界に見せてあげなさい』
セレナは優しく微笑み、最後にもう一度、カグヤの目を見つめた。
『頑張ってね、カグヤ。あなたたちの絆なら、どんな檻も越えていけるわ』
通信が切れた後も、部屋には温かい余韻が残っていた。
カグヤは立ち上がり、静かに拳を握りしめる。カロスの偉大な影は、もう彼を縛る鎖ではない。遠い故郷から届いた戦友たちのエールが、今のカグヤの波導を、最も深く、最も静かな「オン」の状態へと引き上げていく。
「――よし、行くぞ、みんな」
カグヤの言葉に、新しく加わった3体と、傷を乗り越えたシニア組が、一斉に力強い気配を返した。
いよいよ明日は準決勝。すべてを解禁した6vs6のフルバトルが、今、幕を開けようとしていた。