ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
「……認めよう。君たちは僕のデータを、システムを、完全に超越している」
レオンは静かに、だが異様なほど冷徹な声で呟いた。彼の金髪は汗で額に張り付き、その瞳からは先ほどまでの焦燥が消え失せ、代わりに底冷えするような執念が宿っている。
「だけどね、カグヤ選手。どれほど君たちの絆が本物だろうと、このマホロバの頂点に君臨する『絶対的な絶望』だけは、絶対に突破させない。――目覚めなさい、キュレム!」
レオンが放った5体目。その瞬間、スタジアム全体の気温が急激に低下した。
現れたのは、凍てつく歪な氷の身体を持つ伝説の巨竜――キュレムだった。その咆哮一つでフィールドの泥水が一瞬にして凍りつき、観客席の誰もが思わず身震いするほどの極寒の波動が吹き荒れる。マホロバの総力を挙げて確保され、最高峰の戦闘兵器として調律された、規格外の「暴力」そのものだった。
「ルカリオ、戻れ。よく繋いでくれた」
カグヤはインファイトの連撃で限界を迎えていたルカリオをボールへ戻した。相手は伝説の氷竜。スペックの格差はこれまでの比ではない。
「さあ、カメックスを出すかい? それとも……」
レオンが氷の霧の向こうからカグヤを睨みつける。「どく」状態のカメックスでは、この極寒のフィールドを維持するキュレムの耐久を削り切る前に倒れる。レオンは完全にカグヤの手札を詰んだと確信していた。
カグヤは腰のベルトから、5つ目のボールを抜き取った。
「お前の番だ。――頼むぞ、ハッサム」
キィィィン! と鋭い金属音を響かせ、深紅の鉄甲を纏ったハッサムがフィールドに降り立つ。
カロスでの苦い記憶を共有し、カグヤの実家の庭でストライクだった頃から、鎌の背を使ってチャンバラに付き合ってくれた、カグヤのもう一体の「本物の相棒」。
「ハッサムか! 鋼タイプで弱点を突く算段だろうけれど、そんな教科書通りの戦術が、このキュレムに通じると思うかい!? 『ふぶき』でフィールドごと凍りつきなさい!」
キュレムの巨大な顎から、スタジアム全体を完全に圧殺するほどの猛烈な吹雪が放たれた。視界は真っ白に染まり、強力な冷気がハッサムの鋼の肉体を凍てつかせんと迫る。
「ハッサム、お前の『本気』を見せてやれ。――キーストーン、開放!」
カグヤが懐から取り出したのは、虹色に輝く石――キーストーンだった。
それに呼応するように、ハッサムの身体が目映い光に包まれる。カロスの戦いを経て、さらに深まったカグヤとハッサムの絆が、今、限界を超えた力を引き出した。
「な……!? メガ進化だと……!?」
光が晴れた跡には、より重厚で、鋭利に研ぎ澄まされた鉄甲を纏ったメガハッサムが立っていた。ハサミはさらに巨大化し、全身から圧倒的な闘志が放たれている。メガハッサムは目をつむり、カグヤの波導と同調した。吹き荒れる極寒の嵐の中、自身の攻撃力を爆発的に引き上げる。鋼の装甲が冷気で軋むが、その闘志は1ミリも凍りついていなかった。
「無駄な足掻きを! そのまま『だくりゅう』で押し流せ!」
レオンの冷酷な追撃。キュレムが巻き起こした泥混じりの激流が、メガハッサムの足元を襲う。先ほどのカメックスの技を利用したレオンの仕返し。メガハッサムの身軽な動きを奪い、凍結させるための完璧なハメ技の構築だった。
だが、カグヤはフッと口角を上げた。
「ハッサム、あの頃のチャンバラを思い出せ。……『見切り』だ」
メガハッサムの目がカッと見開かれた。
迫り来る濁流、そして背後から迫る吹雪の刃。そのすべての「軌道」を、メガハッサムは完璧に見切っていた。幼い頃、庭の隅でカグヤが振るう木の棒を、傷つけないように最小限の動きで躱し続けたあの時間。マホロバのシミュレーターでは絶対に再現できない、数千、数万回におよぶ「本物の経験値」が、メガハッサムの身体を限界を超えて加速させる。
シュン! と、濁流のわずかな隙間をメガハッサムの深紅の身体がすり抜けた。
「なっ……当たっていない……!? データの命中計算が狂っている……!」
レオンが初めて、その完璧な頭脳を恐怖で震わせた。
「お前たちの計算式には、俺たちが泥だらけになって過ごした『時間』が入ってねえんだよ」
カグヤの瞳から、強烈な波導の光が放たれる。
「終わりだ、ハッサム。――『バレットパンチ』」
研ぎ澄まされた剣の舞の威力を乗せた、至近距離からの神速の鉄拳。
メガハッサムの放った巨大なハサミが、キュレムの強固な氷の胸甲へと完璧に突き刺さった。
ズガァァァァァン!!!
スタジアムが真っ二つに割れるかのような衝撃音が響き渡る。
メガハッサムの圧倒的な格闘センスと、カグヤの波導が限界まで高めた一撃は、伝説の氷竜の身体を内側から爆砕するかのように、その巨体を大きく吹き飛ばした。
ドサァァァン……!
スタジアムを支配していた極寒の霧が霧散していく。そこには、信じられないといった様子で、力なく横たわるキュレムの姿があった。
「きゅ、キュレム戦闘不能! メガハッサムの勝ち!!」
審判の声が、静まり返ったスタジアムに響く。次の瞬間、地鳴りのような大歓声が沸き起こった。
「信じられない! 伝説のキュレムを、ハッサム選手が、メガ進化と紙一重の見切りからのバレットパンチ一撃で完全粉砕!! カグヤ選手、ついにレオン選手を残り1体まで追い詰めました!!」
「兄貴ィィィ!! マジで神だ!!」
_ナオが客席の柵を乗り越えんばかりに絶叫する。シオンもまた、手元の端末を見つめたまま、「見切りからのバレットパンチ……あの人の『庭』には、一体どれだけの怪物が眠っているの……」と、畏怖すら混ざった笑みを浮かべていた。
「うぱー」
_カグヤの頭の上で、ウパーが我が世の春を謳歌するように元気に鳴いた。
「……アハハ……ハハハ……!」
_レオンは壊れたように笑いながら、キュレムをボールへと戻した。彼の完璧な方程式は、完全に塵へと帰した。だが、その金髪の奥にある瞳は、まだ死んでいない。
「最高だよ、カグヤ選手。君たちの『庭の理』、僕のすべてを賭けて、正面から叩き潰してあげる」
レオンの手が、最後の、そして彼自身の本当の相棒のボールへと伸びる。
マホロバのジュニアユースを統べる金獅子の、本当の最終決戦が始まろうとしていた。