トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
まあ、そういうことです
チーム〈アルゴル〉所属のセイウンスカイとセリカのトレーニングは、まだまだ終わっていなかった。
先程まで話していたリョウとトウカイテイオーは「ダービーのトレーニングがあるんだ。呼び止めて悪かったな」という言葉とともに去り、テイオーは現在一番外側のFトラックを走っている。
セイウンスカイから見ても、なんとも惚れ惚れするスピードだ。
「さーて。休憩おしまい。やるよ? セリカちゃん」
クイクイとリードを引っ張ると意図をしっかり理解してくれたようで、凛々しい顔をして走り出すのを今か今かと待っていた。じゃ、行くよ、と声をかけてから走り出す。
確か、前回はこのくらいの歩幅と回転だったはず……。景色と風圧、コース取りを勘案して、彼女はスピードを決定した。あとは、これを維持して走る。
とはいえ、やはり簡単ではない。コース内で走る位置が変われば、見える景色のスピードも違うならだ。例えば、内ラチ近くを走るのと離れて走るのとでは、内ラチの見え方の違いから、スピード感は全然違う。
そして前にも言ったが、景色を見ながらスピードを考えて走るのには体力を使う。エネルギーが持っていかれる。もっと効率よく走らなければ、体も脳も疲れておしまいだ。
「定時定着……定時定着……」
200メートル14秒、秒間約14.3m、1キロ70秒。今はそれをメインに考え、片手間にコース取りを考える。スピードを覚える。リズムを覚える。
のほほんとのんびり走ってるように見える? 残念。私は色々考えながら走ってるんだな、これが……と犬を連れている特異さからか視線を向けてくる有象無象へ語りかけながら、セイウンスカイはトレーニングを続けていた。
トレセン学園の学校医である右堂海人は、その白衣を靡かせながら歩いていた。その手には白杖が握られており、一歩先程度の地面をそれで叩きなながら学園内を闊歩する姿は、すっかりウマ娘達にも慣れたものだった。
「右堂先生手伝いましょうか?」
「いや。今はいりませんよ。ありがとうございます」
「気をつけてねー」
赴任してきた当初は遠慮なく後ろから肩を叩かれるとかされて驚いたが、今ではそんなこともなくなっていた。セリカのこと共々、生徒会が周知してくれたおかげだ。
よく誤解されるのだが、視覚に障害があると言っても彼は全盲というわけではない。全盲だったら、彼はここにはいなかっただろう。彼の症状であるが左目は弱視、右目は視野の欠損で、右目の4割ほどの視界は残っていた。
とはいえ左目が弱視である以上ものがほとんど見えないのは事実であり……白杖は手放せなかった。
そういえば1回、学園内で白杖をついていたらいちゃもんを付けられたことを思い出す。足が引っかかってウマ娘が怪我をしたらどうするんだ……なんてことを言われたが、むしろ突いていない方がお互いに怪我をする可能性が高まると思う。
その職員はどこが気に障ったのか分からないまま辞めていったが、誰も幸せにならない戦いだったなぁ、としみじみ思う。
そんなろくでもない過去を思い出しながら歩いていると、ようやっと練習用トラックへ到着した。この学園、人間には広すぎるよな……とウマ娘のスピードと体力に文句をつけながら、セイウンスカイを探す。
「セリカー!」
セイウンスカイの名前を呼んだ方が良かったかな?と思いながらしばらく待つが、返事はない。トラックはたくさんのウマ娘でごった返しており、声が届くのか不安になってきた。右目の視界でも景色を見てみるが……少なくとも見える範囲のラチ間のスペースにはいない。
「まだ走ってるのかな」
それなら待つしかないが……トラックの外側であるとはいえどこからどう見ても邪魔だ。はてさてどうしたものか。トレーニングウォッチに連絡してもいいが……走っている最中だったら? あと3分待つかな、と考えて、白衣のポケットに手を突っ込む。
と、「何をしている?」と後ろから声がかけられた。この、確かな意思がありながら随分とさっぱりした声は……と振り向こうとすると、右目の視界に現れたのはエアグルーヴだった。
「ああ、エアグルーヴか。ちょっと人探しなんだ」
「ううむ……セリカを探せばいいのか?」
「助かるよ。担当がついたから、その娘を探しててね」
皆まで言わずともわかってくれる生徒会副会長に多大な感謝を。こういう能力があるから、ルドルフも重用するのだろうな、と思考を飛ばしながら、自分もセリカを探す。
2分ほど、並んで探して無言の時間が続いたところで、エアグルーヴがセリカを見つけた。
「いたぞ。FとEのラチ間を歩いてきている」
「おお、ありがとう」
「それにしても、右堂先生も遂にチーム持ちとはな」
「君たちにしたみたいに、きっと迷惑かけてばっかだけどね」
〈リギル〉での新人研修を思い出す。相当に怒られたし、相当に彼女たちに迷惑をかけた記憶しかない。そして、ルドルフに至ってはもうあまり思い出したくないレベルだ。
「気休めかもしれないが、右堂先生がウマ娘の為に努力する人間だというのは誰もが知っている。きっと良いトレーナーになるさ」
「ありがとう。少しは自信を持たないとね……」
「自分を信じないトレーナーをウマ娘が信じれるわけがないからな……では、私は自主トレをしてくる」
「ありがとう。助かったよ……怪我ないようにね」
エアグルーヴは言い残すと、アップの為に軽いジョギングを始めた。彼女の姿を見送ると、海人は「セリカ!」とまた声を張り上げる。答えたのはセイウンスカイだ。
「お、トレーナーさんやっと来たね? 遅いよ〜」
「ごめんね。今からそっち行くよ」
それを聞いたセイウンスカイの顔が険しくなるが、海人には見えていないだろう。こうやってウマ娘でごった返すトラックを横断するのは、いくら白杖をついているとはいえ危険すぎる。
ここで、なんと言えば引き返してくれるか。とっさに言葉が出てこないセイウンスカイの目の前のトラックの時間を、少しだけ戻してみたいと思う。
ここに、練習を行うとあるチームがあった。チーム〈コルネフォロス〉。最期はともかくとしても、ギリシャ神話の英雄ヘルクレスのように強いウマ娘が育ってほしいとの思いからつけれたチームだ。
ひとりのウマ娘がFトラックを走っていて、そこにトレーナーとチームに所属する3人のウマ娘が声援を送っている。
「あと1キロだよ!」
「ペースを落とさないで行ってください!」
「行け行けメイちゃーん!」
「ご褒美握り締めて待ってるからな!」
走っているウマ娘の名前は、アストロメイクという。やや白みかかった栃栗毛の髪を肩にかかるくらいまで伸ばした彼女は、シニア級挑戦に向けて日夜トレーニングに勤しんでいた。
GIでは勝ちきれないが、GII、GIIIの
「がんばるー!」
彼女はホームストレート上、外ラチのさらに外側にいるチームメイトとトレーナーに向かって叫んだが、走る時によそ見をしてしまう結果になった。
そして運悪く、走行ルート上には結果として安全運転義務違反してしまった右堂海人がいた。それに気づいたチームメイトが「危ない! 前!」と悲鳴を上げたが……走るウマ娘が急に曲がれる訳も止まれる訳もなく。前を向き直したアストロメイクの目の前に広がっていたのは、驚愕する医者と、なびく白衣だけだった。
セイウンスカイが警告を発しようとした時には、全てはもう遅かった。騒がしいトラックで足音に気づくのが遅れたとか、狭い視界で見落としがあったとか、走っていた栃栗毛のウマ娘がよそ見をしていたとか。原因をあげればそれこそキリがないが、結果はひとつだった。
走るウマ娘にまともにぶつかられた彼は、まるで蹴っ飛ばされたゴムボールのように宙を舞った。受け身のひとつすら取れず、ターフに叩きつけられる。ぶつかったウマ娘も同じだが、セイウンスカイの視界には入っていなかった。
「あぁ……!」
声にならない声が自分の喉から漏れたことにビックリしたが、すぐに我に返ってトレーナーに駆け寄る。セリカも駆け出した。
「トレーナーさん! 大丈夫!?」
サングラスは吹き飛び、白衣は芝と土にまみれている。頬をたたいて声をかけたが、すぐに返事は無い。周囲にはザワザワと野次馬が集まっているが、彼女には全く目に入っていなかった。まさか……最悪の結果が? ふとよぎる良くない想像を振り払う。
その人垣を割って、誰かが近づいてくる。
「こっちだよトレーナー! 右堂センセーがさ!」
「……事故ったのか? おい海人! 聞こえるか!」
「テイオー先輩! 西崎トレーナー!」
リョウとテイオーが一緒に呼びかけてくれたお陰で、彼は比較的早くに目を覚ましてくれた。
「う……あ、痛いな……」
私は何を? と起き上がろうとする海人をセイウンスカイは「痛いなら無理しないでよトレーナーさん!」と押し留める。
「そういえばぶつかって……ぶつかった方は?」
「無理すんな海人!」
リョウもそう言ったが、全く聞き耳を持たない。
「良いんです。私の事はいいんです。それよりも、ぶつかったウマ娘の元へ連れてって下さい」
「……分かった」
海人はリョウを真っ直ぐに見据え、そう言いきった。仕方ない、とばかりに肩を貸したが、白衣を着た男はうめき声を上げながらしか立ち上がれない。
「トレーナーさん!」
反対側に、セイウンスカイも入る。身長が絶妙に足りてないのを、今回ばかりは恨んだ。足を引きずるトレーナーに合わせたスピードだったが、痛みにあえぐ姿は見ているにも、聞いているにもしのびなかった。
「ついたよトレーナーさん」
「ありがとう……まだ頭が……」
ぐらぐらする視界の中横たわるウマ娘を見ようとするが、そもそもひとりで立っていることが出来なかった。へたりこんだ所に駆け寄ってきたセイウンスカイを制し、近くまでウマ娘を見るように言う。
「呼吸は?」
「あるよ。ちゃんとしてる」
「良かった……腕を持ってきてくれ」
なんか戦争映画みたいなセリフだよね。現実逃避の一環でそう思いながら、横たわるウマ娘の手首を海人に渡す。
「脈は……問題なさそうだ。頭部への外傷は?」
「出血してる所はなさそう」
「手足が変な方向に曲がってるとか、腫れてるとかは?」
嫌な言葉の響きだ。だが、体操服から伸びた手足に擦り傷こそあれど、海人が言ったような折れてるとか腫れてるとかそういう傷は見当たらなかった。
「ああ、良かった……回復体位を取らせよう。私の言う通りにして欲しい」
体を横に向け、片膝をおって体を安定させる。腕は頭の下に置き、首に無理な力がかからないように。
「リョウ先輩。救急車って……携帯がなくて」
「もう呼んでる。あの娘の分だけだが。お前も救急車呼んだ方がいいんじゃないか?」
「そうだよー。右堂センセーも病院行きなって!」
リョウとテイオーの心配してくれる気持ちはありがたいが、彼には今は不要だった。
「全部終わったら行きますよ……とりあえず、彼女が優先です」
見ればスーツの教員も何人かおり、話し込んでいる。聞こえていないと思っているのだろうか? セイウンスカイにはバッチリ聞こえていたが、あまり愉快な中身ではなかった。
「トレーナーさん。とりあえず医務室帰ろう?」
「君のトレーニングを邪魔してごめんね」
「そんなことより!」
耳元で怒鳴られてしまった。彼女は強引に肩を持ち上げると、歩き出そうとする。
「あだだっ……手首が」
「ああ、ごめんトレーナーさん」
とりあえずセリカのリードを右手で持ち、左肩は海人の下に回す。足首も痛めているのか、ひょこひょこと歪な歩き方だ。
「なあ海人。うちの部屋使ってかないか? 医務室より近いぞ」
「しかし、〈スピカ〉の邪魔をする訳には」
「そんなこと言ってられないよ右堂センセー!」
「ねえトレーナーさん。〈スピカ〉の部屋行った方がいいと思うよ? セイちゃんも苦しむトレーナーさんは見たくないので〜」
ちょっとおどけてみせるつもりだったが、上手くいかなかった。気づかれていないだろうか。
「じゃあリョウ先輩。お言葉に甘えても?」
「おう。こういう時はお互い様だよ……悪いテイオー。先に帰ってメディカルキット用意しといてくれ」
「うん。分かった!」
そう言って、テイオーは走り去っていった。いつもの軽快さは無く、真剣そのもの。
「あ、あの!」
肩を貸されて歩き出した海人の背中にかけられる声があった。
「私のチームのウマ娘……アストロメイクが……すいませんでした!」
声の主は、〈コルネフォロス〉のトレーナーだった。振り返ると、頭を地面につきそうなほど下げていた。後ろにはチームメイトであろうウマ娘もいて、一緒に頭を下げている。
「いいえ。気にしないでください。私が悪いのです……救急隊には、このように伝えてください。意識なし、呼吸あり、目立った外傷はなし、と」
「は……はい!」
〈コルネフォロス〉の女トレーナーはまた頭を下げると、アストロメイクの元へ戻る。セイウンスカイは何か言いたげに振り向こうとしたが、海人が強く止める。
足を引きずった医者と、それを抱えたトレーナーとウマ娘。3人はゆっくりと、練習トラックを後にした。