トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
「セイウンスカイが自分の荷物を持ってくれる」という提案に、海人は少しのあいだあっけに取られていた。ありがたい事限りないのは事実だが、彼女に迷惑をかけるというのは本意ではない。
セイウンスカイはもう帰る準備を終え、今日使ったジャージを袋に詰め込んで待っている。この部屋の主である海人はじっくりと考えていたが、ゆっくりと彼女に尋ねた。
「良いのか?」
「もちろん。ほらほら。困った時はお互い様、でしょ?」
「そうなんだけど……分かった。お言葉に甘えることにするかな」
また力なく笑った医者が立ち上がると、既にハーネスに付け替えたセリカが近寄っていく。近くでお座りして大人しく待っていたが、その顔は海人を見つめ続けている。
忘れ物はないかな、と確認する彼のカバンは机の横に置かれていたので、セイウンスカイはさっさと手に持ってしまう事にした。自分のものより重いカバンが彼の責任の量と思うのは考えすぎだろうか。
「ありがとう。じゃあ、帰ろうか」
「そうしましょ。私は気疲れしちゃったので」
白衣を脱いだ医者が「情けないなぁ」と歩き出す。セイウンスカイはその右斜め前に出るように位置取り、歩調を合わせて進むことにした。
医務室から正門に出るには廊下を通って正面玄関へ歩き、そこから学園中央通りを行くのが1番楽だし早い。しかし、そこは多くの職員とウマ娘が行き交う訳で……海人の隣を歩くセイウンスカイには、色々と面白くない話が聞こえてきていた。
だから目の悪い医者は……とか、ウマ娘の邪魔するなんてトレーナー失格だ、とか。
今すぐに聞こえているということを知らせてやりたかったが……海人はそれを望まないだろう。「外野の声は、かまわなければ永遠に外野だよ」というのが持論らしい。声の方向に向きそうになる耳を努めて前に向け、歩き続けた。
「本当に。君がいてくれて助かったよ。ありがとう」
「流石に、苦しむトレーナーさんを放っては置けませんって」
「どんなきっかけかは分からないけど、嬉しく思うよ」
お世辞では無いし、打算でも計算でもない。少なくともこの1ヶ月と少しの間に楽しく過ごせているのは事実だし、願わくばこのトレーナーとクラシックを走り抜けたいと思っているのも本心だ。
「ま、トレーナーさんに早く治って欲しいのは事実なので」
いいことを言った。得意そうになる顔を見せないように。5月の夕暮れの空を歩く。トレーニング後の体には風が心地よかった。
「早く治さないとね……」
そんな空気を震わせるしんみりした声。このまま1人にしたら自死を選びかねないような雰囲気で、何度目か分からないくらいの不安を感じる。
「世を儚んだりしないでよ?」
「世を儚むのも人生を恨むのもとっくにやり切った。もう残ってないよ」
構えの外からぶん殴られるような答えが返ってきて、セイウンスカイは思わずむせた。息を整えてから、彼に振り向いて顔をマジマジと見つめる。
「……何があったのか聞いた方がいいです?」
「もう昔の話だよ。面白い話でもない」
淡々と遠回しに「話すことは無い」と言われて、少しへこむ。そんなツンケンした言い方をしなくても良いでは無いか、と抗議するか悩んだが、誰にでも話したくないことはある。聞き出すのはやめておこう。
「ま、トレーナーさんが話したくないなら無理に聞かないよ。でも、ちゃんと話してよね?」
まあ、いつかねと言ってくれたのでよしとする。とはいえ、話題は続かない。イマイチ……なんと声をかけたものか。気まずさを覚えながら正門を出て、今度は海人の後ろに回った。
「遠回りさせてごめんね」
「もー。気にしないでよ。結局、私がいいって思ったからやってるんですし」
じゃあ、行こうか。とセリカを促して海人は歩きはじめる。トレセン学園には職員寮があると言うが、彼女は場所をよく知らなかった。前はセリカが見ているだろうから、自分は後ろを警戒することに決め、後ろを着いていく。
「そう言えば、スペシャルウィークさんはどんな娘なんだ?」
「お、トレーナーさんもスペちゃんが気になります?」
「まあね。君の同期なら話す機会も多いかなって」
「スペちゃんはねー。私と違ってすっごくいい娘だよ?」
まさか、トレーナーさんがスペちゃんに興味を示すとはねー。珍しい事態もあったもんだと足元の小石を蹴ると、不意に投げかけられる。
「別に。君もいい子だと思うけどね」
「……なんと?」
「ん? そんなに謙遜しなくてもいいって事さ」
「そうですかねー? 私、自慢じゃないけどけっこう呼び出しもらってるよ?」
まさか真っ先にそこに反応してくるとは。このセイちゃんの目をもってしても読めなかった。
「うん。知ってるよ……まさに今日そうだったじゃないか」
確かに、色々ありすぎて忘れていたが今日のスタートからして担任の説教から始まっている。しかし、それを見て尚いい子と言ってくるとは。
「トレーナーさんも変わってるよね」
「今更過ぎないかな」
「そうでした」
こうやって緩いチームだから、自分は選んだのだが……とそれはともかくとして、話題はスペちゃんだ。
「模擬レースだとね、ど根性! って感じでさ。苦しくても最後の伸びが凄いんだよねー」
「褒めるね」
「そりゃ、『ど根性!』とか私にないものですし?」
「君は道中から考えをめぐらすタイプかな」
「お、よく分かりましたねー」
授業で何回かやった模擬レースを海人は生で見てないはずだが、記録映像でも確認したのだろうか。
「模擬レースも重要な情報だからね」
ライバルの動向が気になるのは、セイウンスカイだけじゃなくてトレーナーも同じらしい。
「って、私の話はいいよ。スペちゃんの話でしょ?」
「そうだったね。じゃあ、他にはある?」
他には……北海道から転校してきたこと、よく食べること、いつも明るくて素直。放っておけない魅力があること……その他にも色々あるが、そんなことを話した。
「そうか。そうなのか……話してみたいな」
「おや? トレーナーさんったら、スペちゃんに浮気でもするの?」
「違うよ。私も北海道生まれなんだ」
「へぇー。意外な出身地」
とはいえ、住んだ期間としては北海道とこちらで半々くらいだと言う。確かに、スペちゃんはまだ訛りが抜けていないが、彼はバッチリとした標準語だ。
「あんまり家族も訛ってなかったよ」
「個人差、ってヤツですね」
しかしトレーナーさんの家族か、想像がつかないな、と頭をひねる。揃いも揃って浮世離れしたふわふわした感じだったらどうしようかと。まあ、白い雲のように生きたいな〜と常日頃思ってる私が言えたことじゃないけどね。などともごもご呟いてみる。聞こえていないようだ。
「良い友達ができたんだな」
「まあ、そうだねー。キングもスペちゃんも、エルもグラスちゃんもさ……私にはもったいないくらいの友達だよ」
「いつも放課後すぐに医務室に来るだろう? 学校に馴染めてないのかと思ってね」
しかし、なぜそんなことを聞くのか。理由を聞いて、セイウンスカイは憤慨することになった。
「酷すぎない? トレーナーさんは私のことをなんだと思ってるんですかね?」
「ごめんごめん。でも、心配したのは本当だよ。話が盛り上がって時間を忘れるとか、年頃なら珍しくないとも思ってたから」
なるほど。色々と聞きたいことはあるが、少なくとも自分のことを心配していたのは確からしい。嬉しいような気はずかしいような。やっと、トレーナーと担当としての一般的なかたちに収まってきたというか。
良いことであるのは確かだ。
「所で、エルとグラスちゃんって、誰かな」
「ああ、トレーナーさんは会ったことありませんでしたっけ?」
「うん。噂しか聞いたことがないね」
「実際の紹介は今度にするとしてエルはですね……」
いつもハイテンションで、プロレス好き。いつも世界最強はワタシデース! と公言してはばからないかといってビッグマウスという訳ではなく、模擬レースではなかなかの成績だという。
「面白そうな娘だ」
「きっと話してみたら面白いよー」
続いて、グラスワンダーについてだ。彼女は選抜レース前に〈リギル〉にスカウトされた実力を持ち、デビュー前ながら〈怪物〉と呼ばれるほど。かといって本人はそれを鼻にかけるとかでもなく、いつも1歩引いてみんなを抑える大和撫子。
「東条先輩が目をかけた子か。怒らせたら怖そうだね」
「そうそう。声を荒らげることは無いんだけどさ……怒らせちゃいけないよ」
何か1回恐ろしい目にあったらしい。どんな様子が気になるが、好奇心は猫をも殺すもの。
「でも1回、どんな娘か話してみたいね。君の友人なんだろ」
「みんな大事な友達です」
「いい事だ。ライバルは君を強くしてくれる」
「セイちゃんとしてはライバルが強力すぎて戦いたくないんですよねー」
「だからこその逃げだと?」
「ま、それもあるかなー。あと、押さえつけられるの嫌いなんだよね」
彼女らしい理由じゃないかと、海人は大きく頷いた。時間を刻むトレーニングを課しておいて言えた義理はないかもしれないが、気持ちよく走るのは重要だ。
「押さえつけるようなトレーニングでごめんね」
「まあ、言われた時は驚いたけどさ。でも、スタミナはだいぶ着いてきたよ? センセーに褒められちゃったくらい」
「それは良かった。だんだん早くしていくつもりだから」
「他人事だなー。ま、セリカちゃんと走らせてくれて、アフターケアちゃんとやってくれるなら文句は言いませんとも」
堤防近くの道に出て、そこからまた暫く歩く。ランニングしている人や、カップルらしき高校生。買い物帰りの主婦など……眺める分には退屈しないポイントだ。寝るにはちょっと厳しいかもしれないが。
「堤防に出たね。それならもう少しだ」
ベッドタウンらしく一軒家が並ぶ通りに、4階建てのマンションが見えてくる。3棟同じ建物が並んでいて、海人はその真ん中に入っていった。
「おおー」
築年数はそんなに経っていなさそうだ。10年……ないくらいか。正面玄関から入り、3階へ上がる。302号室と書かれたところで、海人は鍵を探し始めた。
「ちょっと待ってね……えーと……」
まさか鍵を落としてきたのでは? と不安になるセイウンスカイと家主だが、「おお、あったあった」という弾んだ声が出てきて、2人共々胸をなで下ろした。
ハーネスを離して扉を開けると、セリカは玄関へ自ら入った。海人は開けたところで、「ちょっとお礼がしたいんだ」と告げ、彼女を中へ招き入れる。
「もしかしてセイちゃん、あんなことやこんなことされちゃいます? いやん」
「バカ言わないの。セリカ、ステイ」
そう言って、革靴を脱いで部屋の中へ。セリカと玄関に取り残されたセイウンスカイは、1人と1匹で顔を見合わせると、セリカの頭を撫でてやった。もちろん、彼のカバンは玄関先に置いて。
「足拭くから待っててってさ」
実家で同じシェパードを飼っているから、海人がなんのために中に消えたのかはよく分かった。撫でるついでに、ハーネスもとることに。
「トレーナーさん? ハーネスってどうとるの?」
「お腹のベルトを外して、持ち手を持ち上げると自分で下がってくれるよ」
言われた通りにお腹のベルトを外し、金属でできた持ち手を持ち上げる。すると、セリカは自らバックしてハーネスをすり抜けた。
「おお、セリカちゃん賢い」
首周りを撫でて褒めてやる。残念ながらハーネスをしまう場所は分からないので、カバンの横辺りに置いておく。またセリカがお座りの体勢になった所で、海人が帰ってきた。
「待たせたねセリカ。足拭くぞ」
使える左手に雑巾を広げると、セリカは右脚を自分から乗せた。拭かれて解放する度に自分から拭いていない脚を差し出す様は、セイウンスカイに感動すら覚えさせた。
「ねえセリカちゃん。私の実家のお仲間にも言っといてよ。家に入る時はちゃんと足拭かなきゃってさ」
「実家にシェパードがいるんだっけ。苦労したのかな」
「たまーに言うこと聞いてくれなくて。家の中にそのまま入ってきちゃうんですよね。で、直ぐにおやすみーって」
「なるほどね。それを聞くと、セリカがいい子に思えてくるな」
「え? いい子じゃないですか」
「私がこんなんだから仕方ないけど運動不足の日は中々寝なくて大変なんだ。最近は、君のおかげで減ったんだよ。でも、土日とかはどうしようもない」
きっと、盲導犬としてのスイッチとペットとしてのスイッチがあるのだ。現に、ハーネスを外して足を拭いた途端に海人にじゃれついている。トレーニングで一緒の時より数段激しい。
「で、お礼ってなんです?」
「ああ、そうだね。これをあげるよ」
そう言って海人が取りだしたのは、いつも医務室で彼女が飲んでいる人参ジュースの6本パックだった。
「おおー! トレーナーさんありがとう!」
「喜んで貰えてよかったよ……袋いる?」
きっと、持ちづらいと考えてくれたのだろうが、小脇に抱えても充分帰れる重さだし寮はそんなに離れていない。
「いらないかな。このまま持って帰れますし」
「分かった」
「じゃ、セイちゃんは帰りまーす」
「うん。気をつけてね。また医務室で」
踵を返し、扉を開ける。セリカに手を振ってから、彼女は扉を離して歩き出した。思いも書けないご褒美を貰ってしまったことに、気を良くしながら。
なんと、皆様のおかげで日間ランキング最大45位に入ることが出来ました!
評価をくださった
唯野読手氏、デイジー@物書き見習い氏、yoren氏、はすき氏、ノラカノテ氏、猫改暎美氏、rokomon氏、邪竜氏、ごみいちゃん氏
また、お気に入りをしていただいた皆様、誠にありがとうございました!
はてさて。ウマ娘アプリですが、次のチャンミもやる気が出なくて困ってます。とりあえずイベント走りながら処遇を考えることにしておきます
読み終わられましたら、評価や感想を投げて貰えると非常に励みになります。この小説は皆様の応援で出来ていると今日、誠に感じました。ありがとうございます。では、次回お会いしましょう。