トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない   作:Skyjack02

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今は溜めです


Lap.15 短期間障害走

 接触事故の翌日も、海人はいつも通りにとは言えないが、仕事をこなしていた。医務室の扉には「鍼灸、整体はしばらく休業」という紙が張り出されており、同じ内容は学内ネットにも流されていた。

 

「ああ、疲れた」

 

 先程まで、彼はアストロメイクの学年主任と話していた。海人としては「全て自分の責任」で良かったのだが、本人はそれを望んでいないと水掛け論。結局、再発防止策として海人が学園内で鈴を携行すること、走行中のウマ娘に声をかけるエリアを制限することを決めるだけで解散となった。あとは本人同士で話してどうするか決めてくれということに。

 責任責任と言われるかもしれないと思って先手を打ったわけだが、思った展開にならず海人は肩透かしを食らっていた。去年はもっとねちっこく「彼女の未来を奪ったら」とか「大人としての自覚を」と言われていたのだが。

 

「うむ。よく分からないな」

 

 そういえば、彼女はいつ来るのだろうか。特に準備するものは無いが、心の準備はしておきたい。どういう顔をして、会えばいいのか。結局、彼女が『命に別状ない』以外の情報がない。

 

「今日はゆっくり仕事するかな……」

 

 左手は問題ないが、右腕はまだ悲鳴を上げている。幸いにも指一本ならキーボードを打てるし、書類系の仕事はなんとか進むだろう。だが、怪我した子が来たら養護教室に行かせるしかない。

 

「また、申し訳ないなぁ……って顔してますよ。トレーナーさん」

 

「……セイウンスカイ? サボりかな」

 

「もう。トレーナーさんが思い詰めてないか見に来たのに。帰っちゃおうかなー」

 

 扉がいきなり開いて、1人のウマ娘が医務に入ってきた。時刻はまだ11時前。時間割からすれば、まだ4時限目の真っ最中だ。とはいえ、海人が彼女の所業を追求することは無かった。

 セイウンスカイはカバンを放り出すと、診療机の前の椅子に座っている海人へ視線を投げる。

 

「別に。なんか今回は穏便に済みそうなんだ」

 

「そんなに珍しいこと?」

 

「去年同じようなことがあったんだけど、その時は随分詰められたんだよね」

 

 そう言いながら、隣の冷蔵庫を開ける。彼が示したのは、いつもの人参ジュースだ。受け取りに行ったところで、右手首のテーピングの白が目に痛い。

 

「お、ありがと……トレーナーさんも大変だねぇ」

 

「そうでもない。よくあることだよ」

 

「……事故が?」

 

「それはよくあったら困るなぁ」

 

 怒られ慣れている、とか理不尽な目に会うのは慣れている、と言われるのはなんとなく悲しい。私だって散々怒られているが、何回やっても何回やっても慣れないし嫌な気持ちになる。椅子に深めに腰かけ、パソコンに向かい合う彼はいつもと同じように思えるが、果たして胸中はどうか。想像しかできないのがもどかしい所だ。

 

「まあ、トレーナーさんが元気そうで安心だよ」

 

「仕事が出来ないのは辛いけど」

 

「トレーナーさんは休めって言う事だよ。いつも忙しそーじゃないですか」

 

 この1ヶ月、彼女が医務室に来ると海人はいつも仕事をしている。大抵はパソコンに向かい、イヤホンをはめて読み上げ機能を最大限使いながら文字を打ち、書類を作っている。たまにパソコンの前に居ないなーと思うと整体鍼灸、怪我の手当。

 

「そうかな? 特段量が多いとは思わないけど」

 

「それならいいけどさー。紺屋の白袴はやめてよ?トレーナーさんが倒れたら1番迷惑するのは私なんだし」

 

 学園、とか他の生徒、とか養護教諭、とかではなく、『私』と強調する。いまいち漫然とした言い方よりは効果的なはずだ。一部の強豪チームならともかくとして、チーム〈アルゴル〉にトレーナーは1人しか居ない。彼が潰れたら誰がトレーニングを見るのだ。言い渡されているメニューは1人でもできるが、1人で『できる』のと『やる』の間には天と地ほどの差がある。

 

「まあ、気をつけるよ。私が足を引っ張ったなんて言われたくないから」

 

 やることを全てやって負けたのならまだ納得出来る。だが、自分が彼女の足を引っ張るのは我慢ならない。普段の仕事で無理をしているつもりは無いが、教え子に心配されるというのはできる限り避けるべきだろう。何しろ、彼女の生活の全てがレースに直結する。

 トレーニングはもちろんとして普段の暮らし、食生活、精神状態。おなじトレーニングでも、精神的、肉体的に不調があれば効果は変わる。

 

「今のところは問題ない。効率がガタ落ちしてるくらいかな。トレーニング後のマッサージも出来ないしさ……トレーニング減らす?」

 

「減らす? ……減らす?」

 

「おーい。どうした」

 

 まさか、トレーニングを減らすと聞いてくるとは思っていなかったので少し理解に時間がかかる。ようやく脳みそに染みてきて、彼女は答えた。

 

「いや、いらないかな」

 

「怪我の可能性は摘んでおきたいんだよね」

 

「何かあったらちゃんと言うもーん」

 

 海人は釈然としていない様だったが、そこまで心配することは無いとちゃんと言っておく。不調があったら必ず言うし、無理しないのは平常運転ですよ、と。

 

「なら、大丈夫かな……」

 

「信用してくれないの?」

 

「人の痛みを感じることは出来ないからね」

 

 医者として何人もウマ娘を見てきたが、最初から正直に症状を話すのは少ないと言う。最初はなんでもない小さな傷のように話しているが、よくよく聞いてみると何日も前から痛いとか、かばって生活してきたとか。

 ウマ娘なら仕方ないことと言える。走ることが本能であり。勝利を目指す衝動が原動力。だから、医者を嫌う。医者にかかれば走れなくなる。勝てなくなる。そういう恐怖が刷り込まれていてもおかしくない。

 

「今回は君を信用しようと思う」

 

「もちろん答えますとも。セイちゃんは誠実を売りにしてるので」

 

「サボりは誠実か?」

 

「やだなぁ。サボりは不誠実じゃなくて、人生を豊かにするスパイス、ですよ」

 

「君が言うならそうなのかもね」

 

 いやぁ、トレーナーさんの話が早くて助かるよー。というセイウンスカイの声。ソファに体を投げ出して、早速ジュースを飲んでいるようだ。

 ぼんやりとした視界の真ん中で揺れる彼女を見てから、昼休みまでの仕事を終わらせることにした。

 

 

 受け取ったジュースを飲みながら、セイウンスカイは今日、職員室で聞いた先生2人の会話について思い出していた。

 

『あまり厳しく問い詰めると何をするか……』

 

『マッサージと見せかけて脚を……』

 

 嫌だ嫌だ。2時限目の終わり、担当の数学教師に呼び出されて行ってみると、コソコソと話している2人組が見えた。人間の聴力だったら聞こえないだろうが、ウマ娘である彼女の聰い聴力にはバッチリ聞こえていた。

 耳を疑う。大の大人がなんてことを話してるのだろうと耳がそっちに向いているのを見られたのか、最後まで聞くことが出来なかったのが残念だ。退室直前にそっちを見るも、誰が話していたのかはよく分からなかった。

 

 中身は絶対に『マッサージ』と着いた時点でうちのトレーナーのことだ、と分かる。そして、1人目の話していた内容。厳しく詰めると海人が逆上してウマ娘に当たると考えているらしい。

贔屓目なのは認めるが、彼の学校医としての向き合い方は真剣そのものだ。どんな相手にも真摯に向き合うし、ウマ娘の相談にはどんな些細なことでも乗る。

 

 怪しいと思うとか、怖いと思うとかは抜きにして世話になったのなら少なくとも……悪し様に言うウマ娘はいないはずだ。

 

「当人は知ってるのかな」

 

 1部の教師たちの評判。知ってはいなくても、想像がついている可能性は高いよね。仕事に戻ったトレーナーを横目で見る。恨み辛みは腹の中にしまってあるのか、それとも何も考えていないのか。

 

「浮世離れしてるのはいいんだけどね……」

 

 普段様子が変わらない分、ストレスが溜まっていたことに気づかずいきなり失踪ということにならないかと危惧する。セリカに会えなくなるのは困るので……言い訳し、ジュースに口をつけた。

 

「そういや、トレーナーさんの交友関係ってどうなってんだろ」

 

 ウマ娘は、何か悩みがあれば海人や養護教諭に相談できる。だが、その海人は? 誰か相談できる人がいるのだろうか。唯一親しそうなのは、〈スピカ〉のトレーナー……確か、西崎リョウと言っただろうか。

 それだけでなく、自分がトレーナーについて知っていることが少ないのも問題だと彼女は考える。はてさてそれが親しみを込めてのことか、ただ単に面白そうだから知りたいだけかは……いたずらっぽい弧の描き方をしている口元から推察するしかない。

 

「〈リギル〉時代の話もグラスちゃんから聞き出しておかなきゃね〜」

 

 2人の寮長からもたらされた過去の一端も掘り下げて調べたい。……今、悪い顔してるね私? と上がり気味の口角を抑え、表情を消すために頬を叩いた。

 

 そこからは、無言の空間。キーボードを叩く音、空調機の微かな振動、風が窓を叩く音。ソファと診察机の距離は5,6メートルだが、すぐ隣のようにも、何キロも隔絶されているように思える。今のところは、このくらいが良い距離感だ。

 

 鼻歌を歌いながら、テーブルの上のお菓子を剥く。今日は果物ゼリーらしい。口に入れると、ゼラチンが崩れる舌触りとと共にわざとらしいイチゴ味が広がっていく。ザラザラとした砂糖の粒を舌の上で転がしながら、また次を手に取った。

 ガサガサと包装のビニールをいじる音は意外と大きかったようで、いつものようにのんびりした調子で彼は注意した。

 

「お菓子食べると昼入らなくなるよ」

 

「食べ盛りをナメない方がいいよー?」

 

「そうなの? 君はそんなに食べる印象が」

 

「まあ、確かにスペちゃんに比べると無いですけどねー」

 

 「あの子はそんなに食べるの?」とか、「そりゃもう惚れ惚れする程にね」とか。ポツポツ会話が続く中、昼休みのチャイムが鳴った。

 

「さて、食事にするかな……カフェテリア行くんでしょ?」

 

「行くよ〜……もう行くの?」

 

「私がいると後ろが詰まるからね」

 

 なるほどね、と返事をしてから立ち上がる。しかし、トレーナーさんが言うようにゼリー食べたのは失敗だったかな? と口に残る粘り気のある甘味をジュースで薄めながら彼に追いついた。

 

「トレーナーさんいつも見ないから霞かなにか食べてるのかと思ったよ」

 

「早い時間に行ってさっさと食べないと。人が多いと動きづらくて」

 

 確かに、人混みの中ではセリカも白杖も、他人からすれば邪魔なばかり。何度舌打ちを食らったことか。

 この学園のカフェテリアは、医務室の反対側にある。正面玄関の前をとおりすぎ、体育館とは逆側の1番端へ。幸いにもまだ生徒も職員もチラホラとしかおらず、移動し放題、席も選び放題だ。

 

 セイウンスカイはカードリーダーに生徒証をかざし、中に入る。しかし海人が居ないことに気づいて、彼女は慌て気味に後ろを振り返った。見れば、セイウンスカイのトレーナーはセリカを外にまたせ、1人で入ってきていた。代わりに折りたたみ式の白杖を握り、打ち鳴らしている。

 

「あれ? セリカちゃんは?」

 

「ん? カフェテリアには入れないんだよね。昔随分文句を言われてさ」

 

「なにそれー。酷すぎません?」

 

 今どき、盲導犬が入れない飲食店の方が少ない時代だ。この学園は……とつきたくなるため息を飲み込み、彼の前をゆっくり歩き続ける。

 

「見えてる?」

 

「うん。大丈夫だ」

 

 配膳口が見えてきて、メニューをどうしようか悩む。今日のメインは中華らしく、酢豚と回鍋肉、油淋鶏から選べるようだ。

酢豚と酸辣湯、春雨サラダを選んで「これは完璧ですなぁ」と悦に入ってから海人を待つ。

 

「トレーナーさん?」

 

 しかし、彼は傍から見てもよく分かるほどにあたふたしていた。いつもは両手が使えるので白杖を着きながら片手でお盆を持つのだろうが、今は無理だ。

 

「……しょうがないなぁ。トレーナーさん。お盆ちょうだい」

 

「いいのか?」

 

「そこで悩んでたらお昼食べられないし邪魔じゃないかな? って」

 

「まあ、そうなんだよね」

 

 お手上げというように手のひらが上をむく。ウマ娘の力を以てすれば、この程度持つのは容易い。席決めてよ、と海人に言うと、彼はカフェテリアの端へ歩いていき、座った。日当たりはそこそこ良いところだが、配膳口の近くとか、ウォーターサーバーの近くとか。人気の場所からは程遠い。

 

「ここでいいの?」

 

「いつもここなんだよ」

 

「ならいいけどさー」

 

 右手のお盆を彼の前に差し出し、静かに置く。そういえば、箸はどうするのだろうかと思ってみると、なるほどなるほど。スプーンを取っていたらしい。回鍋肉をそれで食べるのか? とごくまともな疑問を口に出そうとして思い留まる。どうせ選択肢は無いのだ。

 

 「いただきます」というふたりの声が重なる。そういえば、同級生以外と食事をするのは初めてだ。早速箸をつける彼女の目の前で、顔を左に傾けて皿の場所を確かめる医者。

 何とも奇妙な昼食が、始まったのである。




筆が乗りすぎました。今は反省しています。

一介の読書好き氏、評価ありがとうございます。大変力になります。
そしてお気に入りをしていただいた皆様もありがとうございます。

アプリウマ娘は、イベントを回っている最中ですね。ジュエルは貯金です。貯めます。

読み終わった皆様に置かれましても、評価や感想、お気に入りなど投げて頂くと大変力になります。是非とも、よろしくどうぞ。

次回も、お楽しみに
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