トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
ウマ娘が、黒酢の餡がかかった豚肉と人参を一緒に箸で持ち上げる。じんわりと広がる甘酸っぱさと野菜の歯ごたえ。肉のほぐれる感触。
「おお、やっぱり酢豚で正解正解っと」
白米によく合う味付けのそれを順調に口に運んでいると、急に甘みが襲ってきた。避けきれなかったパイナップルがあったようで、脳天に微妙な甘みの衝撃。
ちゃんと取っとくんだった……と思いながら、他にないか探す。みっともないことをしてるのは違いないが、苦手なものは苦手だ。
ごく1部のアクシデントはあったが、セイウンスカイは昼食を穏当にゴールへ向かって食べ進めている。しかし、向かいの医者はどうだろうか。
暗澹たる結果。回鍋肉をスプーンで食べるのは無理があったようで、随分と苦戦を強いられている。野菜を少ししか取れない。肉も微妙に大きく、スプーンから転げ落ちる。白米は最初から比べても3分の1も減っていない。
「……大変そうだね」
それに加えて、手首の痛みとも戦っているようで時折顔がしかめられる。
「大変だよ。食べにくくてね」
口元は力なく歪んでいる。いつも時間がかかるのに今日は尚更だ、と。随分と情けないね。そう漏らしてから、またこぼれそうになる肉を何とか口へ運んでいた。
「待っててよ。何か貰ってくるからさ」
「でも、君に迷惑をかけるわけには」
「トレーナーさんが食べるの遅いと私が安心してお昼寝出来ないので。待っててくださーい」
「それはどういう……」と口を開いた海人を無視し、食堂のおばちゃんに先割れスプーンがないか聞く。少し探させてしまったが、使い捨ての先割れスプーンが出てきた。手間をかけたお礼を大きな声で投げつつ、自分の席の元へ。
「はい。これ」
「気を使わせてごめんね」
「大変な人を見て見ぬふりは家訓に反するのでー」
本気なのかおふざけなのかは分からない。だが、彼にとってはありがたかった。プラスチック製の先割れスプーンは少なくとも、ただのスプーンよりは食べやすそうだった。特に、肉と野菜を一緒に刺せるのが大きい。
これによって幾分かのスピードアップをしたものの、食べ終わるのはセイウンスカイの方が早い。
「ごちそうさまでした」
箸を置いて水を飲み干す。目の前の海人のお盆にはまだ半分以上の昼食が残っている。悪戦苦闘から、苦戦程度になったと言えばいいだろうか。
「いやぁ。箸のありがたみだよね」
「1番凹むところがそこなんだ」
「仕事は能率4割減、食事は能率8割減」
構えの外側から殴られて精神的にダメージを負った海人を眺めるのはあまり面白くない。自分のアクションの結果、やり込められてこうなったなら幾らでも歓迎。程度はあるかもしれないが。
しかし、こちらは食べ終わってしまった。しばらく暇を持て余して周りを見渡していると、隣の椅子が引かれる音がする。
「あれ? 誰かと思えば。キングじゃないですか。わざわざ隣に来ちゃってさー」
「私だけじゃないわ。みんないるわよ」
首を反対側に回してみると、セイウンスカイの同期が勢ぞろいしていた。
「こんな大所帯なのも珍しくない?」
「そうでも無いわ。私としてはスカイさんがこの時間にここにいる方が驚きよ」
「にゃはは。今日のメインは私じゃないからね〜」
手で指す先には海人がいて、回鍋肉と戦っていると思ったら、スペシャルウィークと話していた。
「右堂先生。昨日から大丈夫ですか? うちのトレーナーさんもなま……じゃなくて、すっごく心配してました」
「ありがとうございます。右手が使い物にならないだけで大丈夫ですよ」
「それは大丈夫って言わないんじゃないかな〜」
現に大丈夫じゃないじゃん。と付け足す。大丈夫じゃないからこそ先割れスプーンというものに頼っているのだと。
「私に出来ることがあったら言ってください! トレーナーさんからも、『あいつは苦労してるから助けてやってくれ』って言われてますので!」
「それはありがたい。必要になったら頼みますよ」
「はい! お待ちしてます!」
はつらつとしたスペシャルウィークの言葉は、海人を自然に笑顔にさせる。おーおー。人たらしというかなんというか。話している様子を見ながら、セイウンスカイは面白がる。
「ところでスカイさん? 私としては、なんで右堂先生とあなたが一緒にいたのか、という方が気になるわね……あの時、仲違いでもしたのかと思ったのだけれど。脅迫でもしたの?」
「ちょっとちょっと! 酷い言いがかりだよキング! さすがのセイちゃんもそんなことはしないかなぁ」
「あら。本当? でも、何もなしに一緒にいるとは思えないわ」
キングヘイローを恨めしげに見る。彼女の中で、自分の評価はどうなっているのか問い詰めたかったか、食堂で大きい声を出すのは良くない。出かかった言葉を飲み下し、海人を指した。
「この人、私のトレーナーさんなんです」
「……本当?」
「なんで疑われなきゃいけないかなー」
「本当ですよ。チーム〈アルゴル〉の右堂です。ウマ娘は彼女しかいませんけどね」
「本当だったのね」
キングヘイローは納得したようだ。セイウンスカイとしては、すんなり受け入れてくれないのは少し悲しい。
「いつぞやはありがとうございます。キングヘイローさん。迷惑かけてませんか?」
「いつもかけられてるけど、もう慣れたわ」
「いやぁ、キングってば打てば響くからさー。つい」
「それどういう意味よ!」とキングヘイローが食ってかかる。親愛の証だよ?とか、だって面白いんだもん。とかわそうとするセイウンスカイを、彼女は身を乗り出して追求する。
やいのやいのと繰り広げられるそんな光景を、彼は「賑やかなのはいいことだね」と聞きながら回鍋肉の残りをつついていた。今までの彼の食事風景には無かった色で、それを楽しいと感じている。
新しい声が、彼の耳朶を打つ。
「そういえば、右堂先生は〈リギル〉にいたことがあるんですよね?」
「……えーと……君はグラスワンダーさんですかね。ええ。そうですよ。私は昔、〈リギル〉にいたことがあります」
「ええ。東条トレーナーから聞きました」
「そうですか。お恥ずかしい話で」
「見た目は怪しいけど大いに頼ってよいと聞いたので……セイちゃんのトレーナーさんということなら、安心して頼れます」
「あまり期待しないでください。ただの医者ですよ」
キングヘイローからの追求をかわしながらも、セイウンスカイはグラスワンダーと海人の会話に聞き耳を立てていた。場末の医者と言っていたが、謙遜が過ぎるというもの。ちゃんと彼を見てくれている人はいるらしい。「私は立派じゃないけどさー。トレーナーさんは立派な人ですから」と彼女も鼻が高い。「ちょっと! 聞いてるの!?」とキングヘイローに詰め寄られるのは見えなかったことにする。
不満そうなキングヘイローに昼食と向き合うように勧め、なんとか話題をそらすことに成功。そのタイミングで、「ごちそうさまでした」という声が向かいからした。
「お、食べ終わった?」
「待たせたね。すまない」
「いやいや。いいって事ですよ。仕方ないじゃないですか」
立ち上がると共に、海人の分のお盆も回収する。何か言いたげに口を開いたが、ただ「ありがとう」と言うと折りたたんだ白杖を白衣から出した。入口へ向かったのを見送ってから、彼女は同期に声をかける。
「じゃ、お先に〜」
三者三葉の返答を聴きながら、セイウンスカイは歩く。ひとつ欠伸をしてから、返却口へ並んだ。
食後に眠くなるのは仕方ないことなんですよ。と言う海人の声を免罪符に、医務室のソファにウマ娘が寝転がっていた。整えられた白群かかった芦毛の尻尾がだらんと床に垂れていて、その目は気持ちよさげに閉じられている。同じ色の耳も脱力しきっており、その口元は小さく寝息を立てていた。
もう午後の授業が始まっているが、セイウンスカイは完全に夢の中。この部屋の主は机に向かい、彼女を起こそうと行動することは無かった。1ヶ月過ごしてわかったことだが、体内時計が正確なのか授業に出る気があるなら勝手に起きる。この時間でも起きないということは、ここで過ごすということ。
「ベッドで寝た方がいいと思うんだけどね」
ベッドに寝てくれれば、『体調が悪いので休んでいる。強引に開けて確認するのか』と強気に出られるのだが、ソファで寝ていては言い訳が立たない。
変なことを心配している自覚はあるし、つくづく不良医者だな、と思う。が、彼女が幸せならそれで良い。自分がトレーナーとして出来ることは他と比べてあまりにも少ない。なら、こういう所で挽回するしかないのだ。甘いというそしり位は、甘んじて受けよう。
仕事が進んでおらず頭を使えていないからか、不思議と眠くない。トレーニングに影響が出なくなるくらいまでは進めておかなければと決めてパソコンを立ち上げたところで、医務室の扉が勢いよく開けられた。
いきなりそんな音が降って来て、彼は心臓が止まる勢いだった。扉の方を見る前に、ソファを気にかける。気持ちよく寝ていたであろうセイウンスカイがむくりと体を起こし、扉の方を鋭く見る。そして一言、「あ」とだけ言った。
誰が来たのだろうか。足元のセリカを撫でて落ち着かせていると、1人のウマ娘が入ってきた。
「あの、ごめんなさい……失礼します……」
恐縮しきりな彼女のシルエットは彼にも何となく見覚えがあった。肩より少しだけ長く伸ばされたやや白めの栃栗毛の髪。昨日と違うのは、しょんぼりと項垂れた耳と当てられたガーゼや絆創膏。左腕に巻かれた包帯だろうか。もちろん、彼にはそこまで見えていないが。
昨日、海人と衝突したアストロメイクがそこにいた。セイウンスカイがどのような顔をしているのかはよく見えないが、アストロメイクはすっかり怯えていた。
「あの、お話がありまして……」
「まあまあ、お座り下さい」
彼女は針のむしろだろうから、極めて穏やかに。とはいえ、体が強ばるのは避けられない。努めてゆっくりとした声で診察机の前の椅子を勧めると、少しだけ逡巡してから座ってくれた。
「あのあのあの。昨日は本当に……」
「だから、落ち着いてください。大きな怪我はありませんでしたか?」
「な、なんとか……です」
それは良かった、と彼は顔をかたむけてアストロメイクを観察し直した。左腕に巻かれた包帯が目立つが、ぶつかった時か地面に倒れた時に痛めたのだろう。足には特に怪我はなく、頬に大きめの絆創膏が貼っててあるがそれだけだ。
口を開こうとしたところで、セイウンスカイがソファから立って歩いて来るのが聞こえる。椅子を出してきて、背筋を伸ばしている海人の隣に座る。寝ているところを起こされて不機嫌そうだ。
「起きちゃったか。他のところ行ったらどうだい?」
「ごめんなさい……」
まさかアストロメイクに掴みかかったりしないよね? 横目で伺うが、彼女はとりあえず座って大人しくしていた。耳を立て、また大きく振られている白群かかった尻尾が憤りを表明しているのはわかったが、改めて切り出す。
「怪我の様子はどうですか?」
「万が一を考えて入院してました。でも、走るのに影響ある怪我はないそうで、本当に良かったです」
「怪我はない」そう答えを受け取った海人が少し息を飲んでから、吐き出す。体の緊張が一気にほぐれ、彼は長く長く息を吐いた。
「それは良かった。怪我で夢が絶たれるのは――辛いですからね」
しみじみと絞り出される。アストロメイクに向けられていたサングラスが僅かに伏せられ、唇は引き結ばれていた。
「で、何をしに来たんですか?」
「セイウンスカイ。責めちゃダメだ」
でも! という言葉はゆっくりと振られた首に押し込められる。君の言いたいことは分かるが、ダメだ。そんな感情が見える。
「アストロメイクさんと言いましたか。私に対しては気にしないでください。私がよく見てなかった。それだけです」
「でもでも! わたしがよそ見してなければ」
「それはそうかもしれませんが、練習トラックにおいてはウマ娘優先です」
セイウンスカイとしては今すぐにもやもやを吐き出したかった。トレーナーさんはなんで自分のせいにばっかりしているのか? とか、よそ見して走るなんてどうなんだ? とか。だが、当事者に「責めちゃダメだ」と言われてしまえば、口を開くことは出来ない。
「いいですか。私はあなたに対して怒りません。あなたも悔いているでしょうし、私も無謀な横断を反省しています。なのでこの話は終わりです」
海人は頷く。ぴしゃりとお終いを叩きつけられてしまい、アストロメイクは用意してきたセリフの出番が無くなったことに大いに動揺していた。しかし、目の前の医者はこう言っている。
「わ、わかりました……これから、気をつけます……」
そう言うしかない。彼の担当してるであろう芦毛のウマ娘は、唇を突き出して不満そうだ。攻撃的な言葉こそ
「あと、セイウンスカイさんも……起こしてしまってごめんなさい」
「――――別にいいですから」
もしこれ以上剣呑になるようなら口を挟んだ方がいい。耳に神経を集中させて彼女の声を逃さないようにしめいたが、この場では杞憂だった。小さく息を吐き、ぼんやりしたシルエットのアストロメイクを見据える。
「アストロメイクさん。あなたのトレーナーに伝えてください。2人とも命に別状がなかったので終わりにしましょう。これから注意すれば良いことです、と」
午前中、彼女が来た時のことを思い出す。昨日の夜アストロメイクに付きっきりで看病していたからかその足音には覇気がなく、声もガサガサで勢いはなかった。無理な体勢で寝て体を痛めたか、足を引きずるような音までさせながら、仕事をしていた彼の前までやってきて深々と頭を下げてくる。
色々と話したいことはあったが、医者としてはそんな人間を長々と活動させたくない。意固地になって居座ろうとする〈コルネフォロス〉のトレーナーを一喝し返させたのだ。
「トレーナーは早退してますけど、伝えておきます」
「そうしてください……そしてあなたも、帰って休んだ方がいい」
「で、でも」
ここで本当に帰っていいのか。アストロメイクは目を泳がせた。負い目がある。引け目がある。だが、セイウンスカイの突き刺さる視線からは逃げたかった。汗ばんだ手のひらのぬめるような感触を味わいながらも、体はどうしたら良いか霧の中だ。
「どうしました?」
「い、いえ。その、帰ります」
カラカラに乾いた口の中の水分をかき集め、なんとか絞り出す。重い腰を引き剥がして、アストロメイクは医務室の扉へ手をかけた。
彼女の視界には……全身から真っ赤な怒気を吹き出しているウマ娘がいた事も、一つの理由だ。
「失礼します……ごめんなさい」
彼女が部屋からいなくなる。いくつか呼吸をしてから海人は大きく背もたれに寄りかかると、「よく我慢したね。あと、心配してくれてありがとう」と彼女からは見えていないだろうが……目を細め、強ばったまぶたをほぐす。
時計の秒針が半分程回ってから、「心配したんですからね」とセイウンスカイの手が白衣に伸ばされた。細い指は微かに震えており、言葉に嘘がないことを証明してくれていた。
優しいね。君は……海人は口元を弛緩させ、左手を彼女の頭に伸ばしかけた。よく我慢してくれた、とセリカがよく言うことを聞いてくれた時のような心持ち。
だが、「待て。私は彼女をセリカと同列に扱うのか?」というごくもっともな疑問に硬直し、左手が宙に浮く。流石の彼女も犬と同列は嫌がるだろう、と。
「やめちゃうんですか? 頑張ったのに?」
シルエットの彼女が見上げてくる気配。そして、面食らう。セリカと同列にみてるがいいのか?というのは、さすがにいえなかった。
海人は知る由もないが、セイウンスカイは既に耳をたたんでおり褒められる気しか無い。アストロメイクには色々と言いたいことがあった。それを全部飲み込んだのだから褒めて欲しい。唇を尖らせて、目を細めて身を乗り出す。海人のよく手入れされた手は僅か数センチのところにある。少し体を伸ばせば届くが、それではいけない。
彼には詳しい様子は見えないが、彼女が多大な不満を持っている……という事実は少し荒くなった息とコツコツ床を鳴らすつま先から理解した。
ならば、とほんの少し左手を落とすと、ふわりと手が沈み込む感触がある。彼女のサラサラとした芦の髪の毛がするりするりと指の間を抜けていき、思わず息が盛れた。
「どうです? 撫でがいがあると評判なんですよー」
上品な糸のような、艶やかな細い髪が手のひらに心地よい。できる限り耳とか、嫌がりそうな部位に触れないように優しく。感嘆した彼女はやっと体から力を抜き、くすりと笑った。
「確かに、いい手触りだ」
「ウマ娘の頭を撫でられるなんて滅多にありませんからねー?」
耳の付け根には神経と筋肉が集中していることもあり、敏感な部位だ。彼女にもその気遣いはちゃんと伝わっていて、優しさに頬が緩む。胸から一際暖かい血が流れて、手足の先まで熱くする感覚だ。
「本当に、嫌だったら言ってね? 良く見えてないし」
「だいじょーぶですよ。トレーナーさんなら」
何が『大丈夫』かはよく分からないが、彼女の緊張が軽くなっていくのはわかる。肺を絞るように吐き出されていた息はゆっくり深いものになり、心地良さからかセイウンスカイの体が左右に揺れ、張り詰めていた尻尾もリズム良くふぁさ、ふぁさ、と音を立てている。
犯罪とかにならないかな、これ。という後ろめたさは、とても嬉しそうな彼女の様子に消えた。セロトニンがどうとか、幸せホルモンがどうとか言い訳を並べ立てつつもやめ時を見失った医者は、フワフワのくせっ毛をいつまでも撫で続ける。今回くらいは、セイウンスカイの望むことをしても良い。
幸せそうだから、良いでは無いか、と。
ついでに、セリカと同列と言わなくてよかった、と胸をなでおろしてきたのは秘密である。
出会ってまだ1ヶ月なのに近くないかって?そりゃあお互いに
「自分の1番の問題である目を問題視せずに契約してくれたウマ娘」
「サボりを否定する所か肯定し、いつでも来ていいと言った。そその上彼女の実力や素質を全く否定しなかったトレーナー」
好感度高くなるのは仕方ないと思うのですが。どうでしょうね?
果てさて。お気に入りして下さった皆様、誠にありがとうございます。数字が増えてくだけで楽しい気分になれますし、夢を見れます。モチベも上がります。いい事ですね。
良かったら、評価、お気に入り、感想など投げて頂くと作者が五体投地します。
次回、ダービー観戦も、お楽しみに。