トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
ありません!
5月の第4日曜日。府中の東京レース場の観客席は人に次ぐ人で埋まっていて、高いところから見下ろすのは結構気持ち悪いものだな……とセイウンスカイは背筋に汗が伝うのを感じていた。集合体への恐怖とでも言うのだろうか。
セイウンスカイとスペシャルウィーク。そして、同期の3人。彼女たちがこれから走る事になるスーパートゥインクルズの人気をまざまざと見せつけられ、一瞬閉口したものだ。
「いやいや。テイオー先輩すごい人気だねー」
「そうだね。今まで無敗だから、仕方ないよ」
ここはレース場に設けられたURA関係者向けの席が並べられたうちの一室。観客席の上階にあり、非常に見晴らしがよい。その中に、チーム〈スピカ〉と〈アルゴル〉のトレーナーとウマ娘が勢揃いしていた。もちろん、セリカも一緒だ。
「パドックまでは時間あるからな。まあ、ゆっくりしてくれ」
「ではそうさせてもらいます」
海人は先程来たばかりだが、真っ先に窓際のセイウンスカイの所に来ていた。リョウはそんな彼の姿を認め、話しかけに来てくれたのだ。
ありがたいが、海人としてはなんとなーくアウェイ感がぬぐえなくて、〈スピカ〉のウマ娘の輪からは離れたところにいる。もちろん、セリカも一緒だ。
セイウンスカイに対しては「スペシャルウィークさんのところに行ったらどう?」と提案したのだが、彼女はそれを「セリカちゃんと一緒にいるんだーい」と拒否していた。
「関係者席なんて初めて……では無いな。〈リギル〉時代にも入ったことはあるけどさ」
あまりいい思い出がなくてねぇ。というのが、口角が下がった彼から放たれた言葉だ。後頭部を掻き、首を振りながら。
「一体何があったんです?」
「……いやぁ。あんまり言いたくないなぁ」
セリカを撫でようと手を伸ばしたが、ハーネスが着けられているということは仕事中。今日は我慢だね……と手を握り込む。代わりに、発散するものは近くにあった。
「隠されると知りたくなってくるんですが」
「面白いもんじゃないからさ。知ってもね」
すっかりセイウンスカイから視線を外した彼女のトレーナーは、サングラス奥の視線をガラスの外へ向ける。その姿にムッとした彼女は、心の中で密かにルドルフに事情を聞くことを決意した。
1回〈リギル〉所属のグラスワンダーとエルコンドルパサーに聞いたことがあるのだが、2人とも知らないという。その時はガッカリしたが考えてみれば、彼女たちには直接関わりはない。
「じゃあいいでーす。一緒に調べに行こうねー。セリカちゃん」
「良いけど、本当にどうでもいい話だからね。期待はしないで欲しいなぁ」
乾いた笑い声。本当に思い出したくない過去らしい。とはいえ、逸る心はもう抑えられない。どんなものが釣れるのか楽しみにしながら、ターフを眺めていた。
〈スピカ〉の面々はテイオーについて話しているようで、彼女の耳には「テイオーの事だしな。絶対勝つだろ」とか「負けてもらう訳にはいきませんわ」とか声が聞こえている。
「来年は君も、ここにいるのかな」
「ちょっとー。不吉なこと言わないでくださいな。いる! って言い切ってよ」
「ごめんごめん。君はここにいるさ」
来年はセイウンスカイもクラシック級として走ることになる。どんな戦いができるのか今から楽しみだが、問題はそもそも三大クラシック競走に出場できるかどうかだ。とはいえ、海人は楽観的だ。
「私がトレーニングしてるんだ。出てもらわなきゃ困る。でないと、見返せないからね」
1ヶ月ほど前に聞いた彼の動機を思い出す。「視覚障害だから、と言った人たちを見返す」という響きに、彼女は大いにときめいた。
「ま、大船に乗った気持ちで任せてくださいよ」
「筏じゃないといいね」
「筏は筏で趣があっていいでしょー」
「そうだけどさ。ものの例えだよ」
何故か筏にこだわりを見せる彼女を何とか宥める。別にそこまで怒ることは無いだろう? と思ったが、釣り人には自分に分からない何かがあるのだろうと考えを振り払うかのごとくしきりに頷くことにした。
「まあでもさー。やっぱりすごい人気だよねテイオー先輩」
「そりゃそうだね。戦績もあるけど、ウマ娘柄もあると思うよ」
常に明るく元気なトウカイテイオーに元気を貰うという人は多い。海人としても、落ち込んだ時に彼女と話すと少し元気を分けてもらえる気がしていた。
すると、彼の耳には何人かの足音が聞こえてくる。片眉を上げながら少し顔を動かすと、セイウンスカイも同じ方向を見た。
「お久しぶりです。右堂先生」
「あーっ、あの時の先生じゃねぇか!」
「アタシが転んだ時の!」
1人のウマ娘の声は聞き覚えがあったが、素っ頓狂な声を上げた2人は初対面だろうか? と彼は耳を抑えながらぼやけた視界に、聞き覚えのあるウマ娘の姿を捕える。
「メジロマックイーンさんと、あとは初対面でしょうかね?」
メジロマックイーンは〈スピカ〉のウマ娘だ。非常に優秀なステイヤーで、メジロ家と言う名家の生まれ。海人とはそこそこ付き合いがあり、お互いに知らない仲ではなかった。
だが、彼女が連れているウマ娘はおそらく初対面……だよね?と彼はかすかに首を捻る。反応からすると、きっとどこかで会っている。それが思い出せないのだ。
「やっぱり覚えてないですよね。オレ……というかスカーレットが世話なりました」
「なんでアンタが先に言うのよ。本人のアタシが言わないと意味ないじゃない!」
「じゃあ先言えばよかっただろー!」
「アンタがせっかちなのよ!」
目の前で喧嘩を始めた2人に困惑する。耳を抑えて身をかがめる。目が良くないぶん彼の耳は相応に鋭敏になっているため、少し離れているとはいえ喧嘩の声は脳に響く。
「おやめなさい!」
マックイーンに一喝され、「は、はーい」という声がシンクロする。
「では、気を取り直して……おふたりは?」
「オレ、ウオッカって言います。カッケーウマ娘目指してます!」
「ダイワスカーレットです。よろしくお願いします!」
真ん中にいる璃寛茶めいたシルエットがウオッカと名乗り、マックイーンの反対側にいる赤朽葉色のシルエットがダイワスカーレットなのだと言う。
先程の反応をよく噛んで考えると、どうやらダイワスカーレットの方が怪我をしたようだ。1ヶ月まえに、はてさてそんなことがあったかな。と思うと……あった。
「もしかして、練習トラックで怪我をした?」
「それです! あの時は本当にありがとうございました」
ダイワスカーレットは先程まで喧嘩をしていたとは思えないほど落ち着いた声色で対応している。切り替えの速い子だな、と感心すると共に、海人はその後面倒を見られなかったことを詫びた。
「こちらこそ、ほんとうに申し訳ないことをしました。私がその後も面倒を見るべきでしたね。怪我は酷くなりませんでしたか?」
「こいつ。頑丈なのが取り柄なんで、すぐ治っちゃいましたよ」
「なんてこと言うのよ! もう!」
「まあまあ。怪我が長引かないのは良いことですよ。走れなくなるのは悲しいですからね」
何週間か前、アストロメイクに対しても見せた顔。眉を少し寄せ、口元は穏やかに弧を描く。
「おふたりは〈スピカ〉の新メンバーということですか」
「はい。チームはまだ早いかなーって思ったんですが、思い立ったが吉日だ! ってんで入らせてもらいました」
「アタシは……ウオッカに押し切られて仕方なくですけど」
「なんだよー。ノリノリだったじゃんか」
ちなみに、海人はもう理解してきた。言い方は悪いが、これが2人のいつもなのだと。少なくともお互いに憎みあってるとかそういう訳では無さそうだ。
「〈アルゴル〉の右堂海人です。怪我したら、医務室に来てくださいね。犬もいますし」
「トレーナーからも言われてます。『あいつは大いに頼っていい人間のひとりだ』って」
ダイワスカーレットの言葉に、海人は後ろ髪を落ち着かなそうに触っていた。どうやら彼も、褒め言葉には弱いらしい。正直弱点とすら言えないが、常に笑顔を浮かべている彼からしたら珍しい表情だ。
「トレーニングの後も来てもらって構いませんよ。マッサージや鍼灸。その他も施術できますので」
「カッケーよな。そういう資格ってさ……抜刀術もつかえたりしないのか?」
ウオッカは目をキラキラさせながら海人に尋ねる。これまたベタな質問だよなぁ。と思いながら、「残念ですが使えません。兇状持ちでもありません」と答えておく。映画が名作であることは認めるが……彼にはなんの関係もない。
ちなみにウオッカは、ダイワスカーレットに「なんてこと聞いてるのよ」と脇腹をつつかれている。
そんなはしゃぐ後輩たちの様子を見ながらメジロマックイーンは曖昧に笑顔を浮かべていた。
「右堂先生。〈スピカ〉の新メンバーをよろしくお願いしますわ……少しのやんちゃは、大目に見てやってくださいませ」
「大丈夫ですよマックイーンさん」
そういえば、この先生が怒ったところを見た事がありませんわね。とマックイーンは目の前の医者に対して思う。
〈スピカ〉は担当トレーナーのリョウが彼と仲がいいこともあり、他の生徒と比べて触れ合う時間は多い。それでも、笑顔以外の表情を見た事がないのだ。これは少しセイウンスカイにも聞いてみよう、と小さく頷いたところで、海人の話はまだ続いていた。
「この前の天皇賞はお見事でした。素晴らしいレースだと言うのは、ラジオでも分かりました」
「いえいえ。先生はいつも『あなたの実力』と仰っていますが、それが発揮できたのも、先生が鍼灸師や整体師と連絡を密にして下さったおかげですわ」
「大したことはしておりません。少しばかり連絡をとっただけです」
にしては、トレーニング後のリカバリーが随分と的確だったことを思い出す。もちろんメジロ家お抱えの鍼灸師の腕が悪いという訳では無い。だが、トレセン学園で行われるトレーニング、〈スピカ〉で行われるトレーニングの内容を、鍼灸師1人、整体師1人では全て把握はしきれない。
そこを補ったのが海人だ。リョウと連携し、行ったトレーニングの内容を施術に必要な知識を補足して伝える。橋渡し役を行った。
小さな役割かもしれないが、大いに効率の改善に寄与していたのはまた事実。故に、彼女は大いに海人に感謝していた。
「またレースがありましたら、よろしくお願い致します」
「いつでも喜んで」
微笑む医者に「心強い限りです」と言ってから、今度はその隣のウマ娘に目を向ける。自らと同じ芦毛のウマ娘。違うところと言えば、白群かかった芦毛か、白菫かかった芦毛かと言うところだろう。
「初めまして。セイウンスカイさん。〈スピカ〉のメジロマックイーンと申します。右堂先生がウマ娘を担当する日が来るとは思いませんでしたわ……これから、よろしくお願いします」
「ああ、どうも……セイウンスカイです。うちのトレーナーさんの顔の広さに驚いているところですけど、よろしくお願いします」
「んー。どういう意味かな?」
「言葉通りの意味ですよーだ」
サングラス越しの視線をかわし、マックイーンの言葉に耳を傾ける。
「右堂先生はとても良いお医者様です。いつ行っても嫌な顔ひとつせずに相談に乗ってくれますし、私達のために尽力して下さりますから」
「あ、トレーナーさん。買い被りって言うの無しね。たまにはちゃんと受け取ったらどう?」
「いや私は。ただただ仕事をしているだけですよ。この学園では、それしか出来ないので」
また謙遜しようとした海人を牽制するセイウンスカイ。今回は「大したことは無い」こそ言わなかったが、結局似たようなものだ。正直に言えば、彼は自己肯定感を高めればもっと慕われると思うのだ。何年も体に染み付いた習慣を変えるのは難しいのは分かっているけれども、そう思ってしまう。
「たとえお仕事だとしても、感謝の念は変わりませんわ」
「そこまで言って貰えるとは。ありがたい限りです」
「メジロ家の鍼灸師も『解説が分かりやすかった』と。おかげで、主治医がへそを曲げておりました」
四面四角な声をしたメジロ家の主治医を思い出す。彼の仕事を奪ってしまったのなら申し訳ないと感じるが、マックイーンの言い方からするとほんの比喩表現だろう。
「また、彼の論文でも査読して埋め合わせにします」
「主治医も喜ぶと思いますわ。また、新しい論文を書いている最中のようですので」
話の傍でじっとお座りして待っているセリカと視線を合わせながら、セイウンスカイは片耳を立てて小首を傾げている。話の内容からして贔屓してると思われないだろうか? と。
「もしかして、私がマックイーンさんを贔屓してるとか思ってる?」
むせる。ここまで的確に疑問を言い当ててくるとは思わない。リョウと親しいのは知っていたが、ここまでするのはどうなのだろうか?
そんなセイウンスカイの首のひねりをどう感じとったのか彼は口をかすかに開き、スラスラと何かをそらんじてみせた。
「I WILL NOT PERMIT considerations of age, disease or disability, creed, ethnic origin, gender, nationality, political affiliation, race, sexual orientation, social standing or any other factor to intervene between my duty and my patient」
いきなり英単語を並べ立てられても、彼女には1割も理解できなかった。ポカンとした白群かかったウマ娘を、セリカが不思議そうに見上げていた。
「年齢、疾患または障碍、信条、民族、ジェンダー、国籍、政治的志向、人種、性的志向、社会的地位あるいはその他いかなる要因も、己の責務と患者との間に介入させない……ジュネーブ宣言ですわね」
「よくご存知で」
ポカン、としたセイウンスカイの間抜けに開いた口を閉めるようにジェスチャーしてから、彼は解説を始めた。
ジュネーブ宣言というのは古代ギリシアで制定されたとされているヒポクラテスの誓いを現代倫理に合うように改訂したものである。彼がそらんじたのはその一節だ。
「つまり、どんな人であっても、医務室に来たのなら平等に力を尽くすってことだよ」
「それで怒られたりしません?」
差別だーとか言われない? と彼女は心配する。それに答えたのは海人ではなくマックイーンだった。
「医務室の門戸が開かれているというのは広く周知されている事ですわ。ですので、これは差別ではなく区別にあたります」
「まあ、確かに……?」
医務室に入り浸るようになって1ヶ月と少し。〈スピカ〉と〈リギル〉のウマ娘ばかり見ている気がしたが、別に特別贔屓している訳では無いようだった。
「人が寄らないのはどうにも」
「あら。もっと宣伝すれば良いのでは?」
「いやいや。してるんですよ? その結果がこれです」
「ではまず、身近な人に宣伝することに致しますわ」
「首が回る程度にしてください」
マックイーンの言葉に、彼の口もとはボヤけた弧を描いている。
「去年は『もっとやって下さい』と仰ってた気がしますが、先生もチーム持ちですものね」
「そういう事です」
今度はピントがあった笑顔になる。そして、〈アルゴル〉を蔑ろにするわけにはいかないので、とつけ足した。
その補足に、彼女は耳をピコピコ動かして反応する。本格的に相棒感が出てきたような、そんな気がするのは喜ばしい。セリカにも随分懐かれた。
「では、程々にしておきましょう。先生に負担をかけるのは本意ではありませんから」
だがこの目の前の医者とマックイーンに流れる空気もなかなかに熟成されているようで、何となく。彼女としては面白くない。
「そうそう。〈アルゴル〉優先でよろしくねートレーナーさん」
断じて張り合った訳では無いが、一応言っておく。大きく頷かれたことに彼女は満足していた。
ちょっと大事な話なので連投しようかと思ってます。
そして意外な繋がりが出てきましたね。これは最初から考えておりました。
ジュネーブ宣言についてはこちらからお読みください。
しかしアニメで出てきた主治医は凄腕ですよ。何せメジロ家に雇われてるんですからねぇ。いつも注射器持ってる狂人にしか見えませんが。
はてさて、感想や評価、お気に入りでもして頂けますと、作者がバンジージャンプします。
では次回もお楽しみに