トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
学校医の一日というのは、意外と忙しい。出張から帰ってきた翌日は特にそうである。持ち帰った知見を学校の職員に展開するために噛み砕いて資料を編集し、その合間に担ぎ込まれた怪我人と病人をみる。
午後には新入生たちに応急処置の授業を行い、それを日誌にまとめる。ついでに資料のたたき台をトレーナーや先生方に渡し、疑問点を吸い上げる……決して楽な仕事ではないが、海人は淡々とこなしていた。
医務室で片耳にイヤホンを嵌め、資料の中身を確認しながら訂正を続ける。打つ手は止めないで、時間の確認。そういえば今日はルドルフとの約束があった。とはいえ、毎年やってることで想像はつく。多少遅くなっても問題なかろうと切りの良いところまで作成を続けることにした。
すると突然、肩が叩かれた。パソコンから視線を外して見回すと、視界の左端に人影があった。
「よう。やってるな海人」
「あー……西崎先輩じゃないですか。お久しぶりです」
いつもの服装じゃないので誰かわかるのに手間取る。これ、やるよ、とペットボトルが置かれた。西崎先輩と呼ばれた男は海人の隣に座り、パソコンを覗き込む。
「おお、大変そうだな」
「普段やってることですし、仕事ですから」
「いつも感謝してるんだぜ?これでも」
「頼られて嬉しくない人はいませんよ」
彼は、西崎リョウという。海人にウマ娘との接し方を教えた恩師の一人だ。やや軽薄そうな印象を与えるが、根は非常に熱血漢だ。チーム〈スピカ〉のトレーナーをやっており、また彼も一流のトレーナーと言ってよいだろう。
「チーム〈アルゴル〉はどうだ?」
「今年も望み薄ですかね。こんなんですし」
「そればっかりはなぁ……」
海人は自分の目を指して言った。これにはリョウも苦笑いするしかない。これは誰がわるい訳でもない。偏見は確かに罪かもしれないが、これも当初よりは良くなった。
来たばっかりの頃はあんな奴が医者なんて信用できるのか、とかリハビリなんて任せられないとか言われたものだ。
「良いんですよ。満足してます」
嘘だな、とその場にいる誰もが……といっても二人しかいないので実質一人だ……思った。少なくとも、職員の間では彼のトレーナーにかける思いは有名だ。それに対して心無い言葉をかける者もいるにいるが、大体のトレーナーは応援しているはずである。
「あまり根を詰めすぎないほうがいいぞ……あと明後日の18時半なんだが、整体予約できるか?」
「今週は予約入ってないのでいつでもいいですよ」
いつも助かるよ……悪いけどこれで、と言い残すと、リョウは立ち去った。医務室を出る間際に「遅刻したらまた怒られちまうな」とのつぶやきが聞こえる。一流チームのトレーナーは、それはそれで大変そうだ。
今日中に手を付けると決めていた10ページ分が終了し、次の10ページ分への当たりをつける。ざっと一時間はかかるだろう。先にルドルフとの約束を済ませた方が良さそうだ。放課後ならいつでも良いと言われているが……先方も仕事はある。
「ちょっと行くか……セリカ!」
呼ぶと、相棒はすぐに立ち上がって応えた。そのハーネスを右手で持ち、廊下へ出る。
「ゴー」
放課後、寮に戻ったりトレーニングに行ったり、そのまま出かけたりするウマ娘たちでごった返す廊下を、1人と1匹は歩いていく。犬のセンセーさようなら! という挨拶が何個も投げられたが、セリカは動じずに廊下を進む。階段もクリアし、4階に設けられた生徒会室の前へやってきた。
止まったセリカをナイスと褒めてやり、扉を何回か叩く。右堂です。と名乗ると、「開いている」との声だけが帰ってきた。
扉をスライドさせ、中を見回す。問題のホストの席は、残念ながら空白だった。変わりに、部屋中央のソファに寝そべる人影があった。
「君だけか。ブライアン」
「……アンタか」
立派なポニーテールとそれを結ぶ注連縄の髪飾りが特徴的なウマ娘が、何かしらの枝を咥えながら3人がけのソファを占拠している。サボっているようだが、最低限書類に目を通しているようだ。
「ルドルフは不在? 早かったかな……」
「ああ、女帝サマと一緒に折衝だと……留守は私だけだ」
書紀や会計のウマ娘もいるはずだが、ともかく今いるのはナリタブライアンひとりだけのようだった。
「なら待たせてもらおうかな。下まで降りるの面倒だから」
「好きにしろ……しばらくかかるぞ」
ブライアンの向かいのソファに、海人が座って足元にセリカが控える。そしてブライアンの忠告どおり、しばらくかかるというのなら……とハーネスを外す。その金属音を聞いて、ブライアンは半身を起こした。
「なんだ……セリカもいたのか。ならもっと早く言え」
そのまま起き上がって靴を引っ掛けると、廊下に出ていった。2、3分もしないで戻ってきたその手には、セリカ用の水の皿があった。
「疲れただろう。ゆっくり飲め」
起き上がり水を飲み始めたセリカを、ブライアンは眺めていた。こんなに積極的に世話を焼くとは思わなかった。いつも来たときはエアグルーヴあたりが水を用意していたからだ。
「ありがとう。セリカも喜ぶよ」
「別に。好きでやってることだ」
今セリカを愛でてるのだから話しかけるなとでもいいたげだ。すっかり仕事を中断し、ブライアンはセリカを撫で始めた。ぶっきらぼうで愛想の少ない彼女だが、犬と触れ合う姿は年相応と言ってもいいかもしれなかった。
「悪いが、おやつは無いんだ」
じゃれつかれながら、少し困ったようにいう。
「あげても構わないぞ」
「残念だが買い置きが無くてな」
撫でるのを中断せず、彼女は答える。買い置きがあったのか……と発覚した新たな事実に軽い驚きを覚えつつ、海人は生徒会室を見回した。
「静かだな」
返事はない。ブライアンはセリカに何事か話しかけながらじゃれつかれているのをいなしている。その様子は単純に、サングラス越しの狭い視界であっても「うまいなぁ」と海人に思わせるもの。ウマ娘の力強さもあるのだろうが……これ、私より懐かれてんじゃないかなぁ……という危機感も同時に感じられるのだった。
そんな1人と1匹を眺めながら長期戦になるかな、と覚悟し始めた位で、生徒会室の扉が開かれた。二人分の足音。片方は堂々たるもの、もう片方は主張は控えめながらも芯の強さを感じさせるもの。
「ああ、分かったよエアグルーヴ。流石にその競技は危険すぎるからな……と、お客さんか。待たせてすまなかった」
「いやいや。対して待っていない。セリカの相手もしてもらったしね」
セリカは未だブライアンとじゃれており、それを見たエアグルーヴは何かを飲み込んだ。大方、ブライアンへの苦情だろう。
当のエアグルーヴは率先してセリカの相手をしてくれる。彼女もかなり慕われているはずだが、セリカは二人の姿を認めると、ルドルフの足元で腹を見せた。
「誰がここのボスだか、知ってるみたいだ」
その腹を『ボス』と認められたルドルフが撫でる。エアグルーヴも足を触ったり首元を触ったり。生徒会役員共のツートップが揃ってセリカにかまけていた。
「悪いな……うちの『ボス』がこんな感じで」
セリカを取られたブライアンは、少しむくれているような言い方だった。まあいいさ、と彼女をなだめる。セリカに対しての理解を深める講習などを積極的に開いてくれたのは生徒会だ。その他、色々な感謝がある。
その2人は、十分ほどセリカの毛並みを堪能していただろうか。急に我に返ると、ソファに座った。
「すまない……久しぶりだったものでな」
「あの毛並みは……魔薬でしかない……!」
バツの悪そうな笑顔を浮かべるルドルフと、ワナワナ震えながら手を睨むエアグルーヴ。面白い反応を示す副会長の横で、もうひとりの副会長は水を新しいものにしてくれたようだった。
「仕方ないよ。定期的にトリミングとジャンプーはしてるから……で、話っていうのは?」
ちなみに、セリカはルドルフの足元にいる。主ではなくそっちに行ったかー……と海人はガックリ来たが、顔には出さなかった。
「昨日も話したと思うが、体育祭での救護班長をお願いしたいんだ。毎年の事ではあるが、改めて依頼する」
それは了承済みだ。わざわざ呼び出すということは詳しい話をしたいはず。計画の紙とかないの? と聞くと、エアグルーヴが立ち上がった。
「暫定の計画ではあるが……これだ」
それによると救護班の人数は学校医1名、養護教諭2名、生徒が3名程度、場所はホームストレートに設けられた本部の端。
「いつもどおりって事だね」
「言ってしまえばその通りになる。今更打ち合わせも無かったかな?」
「いやいや。実地に話を聞くのは大事だ。そうだな、物資があるかも確認しておこう」
包帯、消毒液、ガーゼ、三角巾と止血帯、痛み止めや塩タブレット、スポーツドリンク。救護班として用意するべきものは多岐にわたる……基本は備蓄があるはずだが、足りなかったら予算から買わなければならない。
「去年の拠出物資も纏めておいた。参考にしてくれ」
「助かるよ」
「それと、今年は痛み止めを多く用意してくれるとありがたいな」
「ああ、そうだね。特に君たちはそうか……しかし、特別に予算を組むとなるといつものメーカーのを手に入れられない可能性もある。配布方法も問題だ……」
ルドルフからの要望は、女子生徒としてもっともなものだ。しかし、医者としてはいつも飲み慣れているものから切り替えた場合の体への影響を気にしてしまう。また、養護教諭はともかくとして男である海人から薬を貰うのを躊躇うウマ娘もいるだろう。
「メーカーや配布方法か……確かに、それはうちで検討しても良いかもな」
「しかし会長。これ以上仕事を増やされますと」
「……思いつきだが寮長に頼むのはどうだ?」
黙って話を聞いていたブライアンからの提案は理にかなったものだ。各寮には常備薬が置いてあるし、それにプラスして置けばよい。というのがブライアンの意見だ。
「なるほどね……でも、今すぐ決めなくて良いならこっちで色々考えてみるよ」
「では話はこちらで……」と続けようとしたルドルフを手で制する。薬の配分や統制については衛生の仕事だし、彼女たちに意見を聞くことも必要だ。
「できることだし、こっちでやる。問題ない」
「そうか……聞きたいことがあったら何でも言ってくれ」
仕事が奪われて少し残念そうなルドルフだが、彼女はどれだけの仕事を抱えているのか。生徒会長としての机には山のように紙が積まれている。そして、それをなまじこなせてしまうからたちが悪い。抱え込み無理しがちな性格も良くない。
まあ、一生懸命だと思うことにしよう。それに比べて私はどうだろうか……。
「……ナー?海人トレーナー?」
「ああ、すまない。考え事だ」
「お疲れのようだな……聞こえていたか?」
怪訝そうなエアグルーヴの声で現実に引き戻される。話はほとんど佳境を迎え、再三質問はないだろうか?と聞かれていたようだ。
「質問か……でてきたらまたする」
資料をまとめ、セリカを促す。渋る様子があったが結局ちゃんとハーネスをつけ、横に並んでくれた。
「じゃあ、私は帰るよ」
軽く笑ってからセリカと共に、海人は生徒会室を出ていった。足取りには疲れがなさそうで、ルドルフは安心する。しかし、最後の笑顔は元気がなかった。医者の不養生はシャレにならないぞ……と考えながら彼女は次の仕事へ立ち上がる。
体育祭も終わったら、おハナさんを交えてまたゆっくり話す機会もあるだろうから。
医務室の前で時間を確認すると、18時はとうに過ぎていた。帰るのは20時をすぎるだろうが仕方ない。その引き戸に手をかけたとき、左側からパタパタと誰かが早歩きで近づいてくる音が聞こえた。
怪我人か病人か。こんな時間に医務室へ向かってくるのだろうから、何かあったのか。歩みを止めてそちらへ向くと、息を切らしたウマ娘が何とか言葉を絞り出そうとしていた。
「落ち着いてからでいいですよ。医務室に用事ですか?」
何回か彼女は深呼吸をしてから話し出す。
「スカイさんをみてないかしら!?」
「落ち着いて……スカイさんですか。どんな方です?」
彼女が曰く、同級生を探している。フルネームはセイウンスカイ。緑がかった淡い銀髪は短く切ってあり、あきらかにのんびりしているのでわかるはずだという。
「ふむ……なるほど?」
まあ、それっぽいウマ娘を見つけたら探していたと伝えておきますよと答えると、彼女はまた探しに行ってしまった。「もう! このキングと帰ろうって言ったじゃない!」と言いながら廊下の向こうへ消えていく。少なくとも、見覚えのないウマ娘だった。医務室の世話になったことはないはず。
引き戸を開けて、我が城、医務室へ入る。いつもの椅子に体を預けてパソコンに向き合おうとしたが、セリカが少しそわそわしていた。机の横に伏せたがうずくまるでもなく、顔をキョロキョロと見回している。
「どうしたセリカ? ……ん?」
確かに、僅かな違和感がある。普段しない音がしている。場所はソファではない。反対側の、吊りカーテンで仕切られたベッドから聞こえる。体調不良者と考えるのが自然だろう。
海人が部屋にいなくても、医務室の電気はついているし鍵は空いている。医務室が無人の場合でも、来たウマ娘や職員が最低限ベッドで休めるようにとの配慮からだ。
なら、確かめなければ。話は聞けずとも顔色くらいは見ておきたい。謎の人物がいるのは、3つのベッドのうち1番手前。
静かに近づき、音をたてないようにカーテンをめくると確かに、そこにはウマ娘がいた。その瞬間、薄い緑がかった青が彼の目の前に広がり、そして消えていった。
「……何をやってるんだろう?」
見知らぬウマ娘。少なくとも、これまで医務室に来たことはない……そういえば先程『セイウンスカイ』を探しているといったウマ娘にも見えた。
こちらに背中を向けている上に布団を深く被っているので、人相は見えない。しかし髪の毛は緑がかった淡い銀といって良い色だし、そんなに長いようには見えない。
「……え?」
いやいやまさかな?と唖然とする海人の意外と大きくなってしまった声が、夜の帳が折り始めた医務室にこだました。