トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
今日、最後の授業が終わった。セイウンスカイはチャイムが鳴ると、教科書とノートをまとめてさっさとロッカーに放り込んで足早に教室を後にした。
「あ! セイちゃん! ちょっと……」
「ごめーんスペちゃん! 急いでるからまたねー」
「行っちゃった」
スペシャルウィークは、友人の今までにない行動に唖然としていたが、セイウンスカイには見えていなかった。急ぎ足で階段を下り、医務室へ。セリカが待っていると思うと、授業中からいてもたっても居られなかったのだ。過去最高のレコードタイムで、彼女は医務室に飛び込む。
「セリカちゃーん!」
扉を開ける音が存外に大きくなってしまったのは反省点だ。中に足を踏み入れると、心底驚いたらしく胸に手を当てて深呼吸をしている彼女のトレーナー。右堂海人の姿があった。
「……やめてくれ」
「その、ごめんなさい」
今度は静かに扉を閉めて、部屋の中程へ。海人は約束を守ってくれたらしく、白衣を脱いでスーツだけになっていた。……白衣を脱いでもスーツに大きめのサングラスでは、最後まで怪しさたっぷりなのはご愛嬌だろうか。
「まあ、気を取り直してだな。荷物置いてくる?それとも着替えてくる?」
「うーん。どうしましょうかねぇ」
直ぐに行きたい気もするが、身軽になって行きたい気もする。悩む時間がもったいないのは重々承知だが、どちらが良いだろうか。
「トレーナーさんとしては?」
「私は……早く行って早く帰るのがいいと思うよ」
「じゃ、それで行きましょー。先走って荷物置いてくるんで。トレーナーさんは歩いてきてください」
それじゃ、と言うが早いか、彼女はさっさと居なくなった。
「セリカと出かけるのがそんなに楽しみだったのか……?」
愛されてるな。その事実になにやら頬が緩むし、体を温かいものが駆け巡っている。
「行くぞ! セリカ!」
呼ぶといつものように横に並んできて、ハーネスを自分からくぐる。胸のベルトを止めてやってから、共に歩き出す。セリカも楽しみにしているのかなんとなく、足音も軽く聞こえるのだった。
30分程後、2人と1匹は京八線府中駅前の、京八電鉄が営業している百貨店にやって来ていた。
トレセン学園が近いということもあり、なんと中には1フロアの半分ほどを占めるスポーツ用品の専門店街がある。
「おおー。初めてちゃんと来ましたけど、広いですねぇ」
「需要がとんでもなくあるからね」
確かにウマ娘や学園関係者と言った風体の人間で専門店街は盛況であり、セリカと共に歩くのは苦労しそうだった。
「じゃあまずは何を見る?」
「うーん……シューズ見に行ってもいいです?」
「ああ。行こうか」
何件かシューズ専門店はあるが、彼によるとそのうちの一つがおすすめだと言う。フロアの中ほどに、「シューポートマルヨシ」との看板を掲げた小さめの店があった。
客の数人のウマ娘と、店員が2人。総じて繁盛しているようには見えない店だ。だが、店員の札を提げたひとりは、海人の姿を見るとものすごい勢いで近寄ってきた。
「オイオイオイオイ。久しぶりだね右堂先生」
「お久しぶりです。丸義さん」
白髪混じりの壮年の男とにこやかに挨拶を交わすトレーナーを見て、一体全体この人の交友関係はどうなっているんだろうと首を傾げる。
「オヤオヤオヤオヤ、今日は可愛らしいウマ娘ちゃんなんか連れちゃってさ……ナンパ?」
「違いますよ。念願叶ってチームもちなんです」
「おお、おめでとうおめでとう……君、名前は?」
1歩近寄って聞いてくる。圧が強い。半歩下がってどうしようか考えていると、丸義さんと呼ばれた男の後ろに若い女性の姿があった。いや、よく見るとウマ娘らしい。
「お父さん。鼻の下伸ばさない。お母さんにいいつけるからね」
「イヤイヤイヤイヤ、伸ばしてないって! ちょっと話を……」
男はバックヤードへ退場させられ、引きずっていったウマ娘が1人で帰ってきた。ちなみにバックヤードからは、奥さんのものと思われる声が聞こえてくる。またあんたは〜とか、懲りない奴だねー!とか。仲が良いのか悪いのか不明だが、客は気にしていないようだ。
「お父さんがごめんなさいね。私はミズホライズ。好きなように呼んでね?」
「あー、ありがとうございます。ミズホライズさん……セイウンスカイといいます」
彼女は目の前で繰り広げられた光景に唖然としていたが、苦笑いしながら自己紹介をした。セイウンスカイはまだ呆然としていて、ちょっと強烈なキャラクターの登場に胸焼けがする思いだった。
「右堂先生なら私が案内しなくても大丈夫そうだし、何かあったら呼んでくれたら、嬉しいな」
そう言って、店の反対側で呼ぶ声の所へ言ってしまった。
「……何なんです?」
「丸義さんあんな人だったかなぁ……でも、靴に関してはプロフェッショナルだから」
一瞬の出来事だが、印象が「変なオヤジ」に固定されてしまった。対応しきれないので1人で来ない方が良さそうだと心に刻む。
「まあ、気を取り直して……授業でもやる?」
「えー……」
まさかの言葉に、セイウンスカイの顔が曇る。露骨に嫌がられるといっそ清々しい。要点をかいつまんで説明することを心がけ、レクチャーを始めた。
「トレーニング用なら、何を目指してトレーニングするかでそもそも選ぶシューズは変わってくる」
軽いものなら疲労が少ないので長い距離走れるし、重いものなら酸素摂取量や筋力の増加が図れる。手近にあったシューズを持ち上げ、彼はそう説明した。
「ただ、勝負服をまとった時に履くシューズを考えると、重めの方はひとつあっていいかなと思うよ」
レギュレーションによってシューズの重さの上限下限は決まっているが、勝負服ごとのデザインによって実際の重さは変化する。どんな勝負服のデザインになるか分からない以上、重いものに慣れておけば後で楽になるという理論だ。
「なるほどなるほど」
「あと、靴を選ぶ時には長さだけじゃなくて横幅も考えた方がいい」
足の長さがピッタリでも、横幅が大きすぎると靴がぶれて着地した時に怪我をするケースもある。ウマ娘の場合は特に注意しなければならず、気になったら履いてみて確認すること、と彼は試着用の椅子を示した。見えないのによく指せるな、と感心するが、常連ということならまあ納得だ。
「機能とかは? ほら、高反発とか厚底とかあるじゃないですか」
「あまり高反発の物に頼ると、普段から必要以上の反発力に晒されて疲労骨折する可能性も高くなる。それに、競技で履けるシューズの材質は厳しく決まってるからね」
「そうでした。本番見据えないと行けないんですよねー」
URAもかつては高反発素材、厚底、シューズの軽量化を推し進め、高速化を志向していた時期もあった。だが、加工技術、製造技術が発展途上だったため怪我が続出。反省と自戒を込めて「URAのグループB時代」と呼ばれている。その経験から、競技で使われるシューズには使える材質の上限が指定されていた。
それに、練習で高反発素材を多様してしまうと、本来の走りを邪魔することにもなりかねない。本番のシューズと同じような材質でなければ練習の意味が無いのだ。
「悪いと言ってる訳じゃないけど、頼りすぎるのも良くないな」
「じゃあ、履いてみて考えようかなー。色々聞いていいです?」
「そうした方がいいし、なんでも聞いてくれ。歩きやすさ走りやすさは大事だ。見た目も大事なんだけどね」
私は、この辺にいるから。何かあったら聞いてよ。と残した海人は、椅子に座って近くのシューズを検分し始めた。中に手を突っ込んだり、アウターソールを指でなぞったり。蹄鉄の組み付け部を指の腹を押し当てて形を確かめて、爪で弾いて材質を確かめている。
研究、と言ったところだろうか。その行動の意味は後で確かめることにして、彼女は自分のシューズを選び始める。
まずは今話題の厚底から。椅子に座って、箱を開ける。中身を取り出すと、蹄鉄の取り付けられていないシューズが現れた。
試着用は……と見回すと、椅子の横に何個かサイズが揃えておいてあった。自分にピッタリな大きさのものを選んで仮で括りつけ、ローファーを脱いで履いてみた。
かかとがいつも履いてるシューズより高い。つま先が下がっている感じがして何となく……立ちにくい。
「……グラグラする」
軽く歩いてみる。多少不安定にすることで動きやすさを得ようとしているのだろうが、落ち着かなすぎる。幅が大きいのか着地の時に左右にブレるし、ブレるということは捻挫する可能性も高まる。
「これは違うかな。いいシューズなんだろうけどさ」
型崩れ防止の紙を詰め込み、丁寧に包装し直して箱に戻す。何回か繰り返すと、とりあえず気に入ったのが2つほど残った。しかし、今回の予算は1足分。ソールも買うので、それ以上は出せない。
悩む。どちらも履き心地が良く、歩いてもかなり具合が良い。うーんうーんと悩んでいると、その声を聞き付けたのかやってきたのは海人だった。
「悩んでる?」
「ああ、そうなんですよ。どっちも具合が良くてですね……決め手、ないですかねー?」
「どれどれ……」
彼はしゃがみこんでシューズを取ろうとして、目測を誤って2回もミスした。見ていられなくて、彼女は1足ずつ手渡す。
「もう。どーぞ」
「ありがとう」
矯めつ眇めつ、さっきしていたようにシューズを確かめる。
「ちょっと硬めだけどかかと周りのホールド性能は高い。あと、蹄鉄の組み付け部が広くまで取られてるから衝撃は逃せるね。欠点をあげるならやっぱりミッドソールが硬いかな。インナーソール入れ替えればいくらかはリカバリできるけど」
大事そうなところをスマホのメモに止めておき、もうひとつを渡した。
「これは……いいクッションだね。このメーカーは組み付け部の基部にシリコーンを入れて緩衝材にしてるみたいだ。これはフラットな接地感が得られるはずだよ……欠点? つま先が少し薄いから体勢によっては合わないかも」
「なるほどですね……どっちにしようかなー」
顎に手を当てううむと唸る彼女を見かね、海人が口を開く。飛び出た提案は、セイウンスカイが驚くに多いに値するものだった。
「出そうか?」
「そうですね出してくれる……え?」
「いやだから、シューズを買おうかって」
「えーと、それはありがたいんですが……何か対価をよこせとか?」
セイウンスカイは冗談半分の声色を心がけつつ、自分の上半身を抱いて1歩下がる。海人は苦笑いしつつ、地面に置かれたもう片方を手に取った。
「君もトレーニング頑張ってるし、私はずっと迷惑かけてるしで……お詫びとご褒美って所かな」
「いいんです?」
「もちろんいいよ。2足ともね」
「……アリガトーございます。ちょっと信じられないですケド」
挙動不審になった彼女のぎこちなさを笑ってから彼は財布を取り出した。革で作られた財布だが、かなり使い込まれて年季が入っている。その中から1枚カードを取り出すと、彼女に渡してレジに行くように促す。
「じゃ、支払ってきま……」
「どうした?」
「い、いやー。はらってきまーす」
彼女が渡されたカードはマットシルバーに塗られており、表面に「PLATINUM」と印字されていた。そんなカードを渡されたことに戦々恐々としつつ、彼女は支払いを終えて店の外に出る。
好感度上がっちゃいました〜ぴろりろりーん。などと茶化そうと思っていたのにそんな考えはもはや忘却のかなた。
カードを海人に返すと、やっと充足感と嬉しさが込み上げてきた。頭の片隅で、「トレーナーさんってけっこう高給取りだったんだ……」とぼんやり考えながら、並んで歩く。考えてみれば医師免許持ち。安月給な方が問題ではないだろうか。
「次はソールを見に行くか」
「さっきのとこで買っても良かったんじゃないですか?」
「置いてあるけど、やっぱり専門店がいいよ。いつも世話になってる所があるから」
「トレーナーさんの交友関係ってどうなってるんです?」
「意外と広いって?」
セイウンスカイは答えに窮する。ここで認めたら彼に「あなたの事を見くびっていました」と思われるかと思ったからだ。
「トレーナーさん医務室にいる姿しか見てないからさ」
「平日はそうだね。最近は君のトレーニングも見たいし」
平日は? 聞き捨てならない言葉に、彼女の耳がピクリと反応する。
「……あえて聞きますが、土日は?」
「土日は散歩のついでにこういう所回って最新の道具確認したり、本屋に医学書探しに行ったりかな」
「それ、土日も仕事してるってことになりません?」
「いやいや。土日は君のところで言う自習だよ」
人を避けながら、ふ〜んと返事。きっと、疑っているようなニュアンスが存分に含まれていて、彼は敏感にそれを感じとった。口を半分開き、「あー……」という声を漏らしながら、次の言葉を探している。
「大丈夫。休めてるから。パソコン見ないだけでも結構違うよ」
「なら、いいんですけど」
ホントだからね? というふうに片眉を釣り上げる海人。
疑うように半目のセイウンスカイ。
前を見て職務に忠実なセリカ。
三者三葉の集団は、デパートの中を歩いていった。
「なんか……ソールも買って貰っちゃってありがとうございます」
「いいや。気にしないでいいよ」
海人はセリカのハーネスといつものカバン。用事があると言っていたが、馴染みの店に挨拶をしただけで終わっていた。
一方のセイウンスカイの両手には靴が2足入った袋とソールが2セット入った袋が提げられていて、嬉しさとも戸惑いとも取れるような曖昧な笑顔をうかべていた。多少出してくれないかなーという淡い希望を抱いていたのは認めるがここまでとは。後でなにかしっぺ返しが来るのではないかと疑ってしまう。
「ホントになんにも下心とか無いんです?」
「下心、ね。あるといえばある」
身構える。無体なことは言わないと思っているが、念の為。
「君が勝てるように、さ。せっかく〈アルゴル〉に来てくれたんだから、後悔はさせたくない」
「ああ、そういう『下心』ですか。そういうのは大歓迎でーす」
2人は今2階のペットショップに向かっている。ついでの用事であるセリカのおもちゃを見に行こうとしているのだ。
「セリカちゃんってどんなおもちゃが好きなんですか?」
「セリカは噛む系が好きだな。ロープとかそういうの」
「へー。ボールとかじゃないんですね」
「ボールはねぇ。私が上手く遊べないのが大きいし」
「あー……なるほど」
公園でもどこでも誰に当たるか分からないボールは投げられない。転ぶかもしれないので自分が一緒に走り回ることも出来ない。
彼はサングラスの向こうでどんな目をしているのか、こめかみに手を押し当て、深く深く息を吐いた。情けないね、と彼はウマ娘の耳でやっと聞こえるくらいの大きさで吐き捨てた。
どうにも声がかけられないまま、2人はペットショップに到着する。セイウンスカイは不穏な空気に唾液を飲み下して、彼をみあげる。
だがそこには、いつもの笑顔の海人がいるだけだった。