トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
金属と金属が打ち合う音が、テントの下で響いていた。金属の片方は、装蹄師が振るう金槌で、もう片方は練習用シューズに取り付けられた蹄鉄である。
シューズの持ち主のセイウンスカイはその作業の様子をしゃがみこんで前のめりで眺めており、そのキラキラとした目は装蹄師の男からやる気を引き出すのに十分なものだった。
汗を流しながら、金槌を振るう職人というものはかっこいいし、そして何より渋みがある。胸に「左鎚影貴」という刺繍が施されたツナギを着た、その腕ひとつで生計を立てる男の一挙手一投足に、余すところなく尊敬の眼差しが向けられていた。
その作業の様子を、離れたところで聞いていたのはセイウンスカイのトレーナー、右堂海人だった。
彼は作業する友人に一瞥もくれず、椅子に体を預けて休んでいる。年季の入った折りたたみ式の椅子は、影貴が愛用していたものだが今は海人が占領していて。ギシ、ギシと足を鳴らし、彼はゆったりと揺れていた。そもそも、何故こんなことになったのかと言えば、それは海人が原因。現在の影貴の仕事は、シューズの点検と補修であるが、肝心のウマ娘は1人を除いてみんな練習中。〈スピカ〉や〈リギル〉、〈コルネフォロス〉などなど名だたるチームがある中で、彼女だけが残っていた。
その是非についてはここで書くべきことではないので省く。だが、「ちょうどいい。後で忙しくなるだろうけど今は暇だろ?ひとつ頼まれてくれよ」という海人の言葉が、作業の引き金となったのは事実。
セイウンスカイとしてはいきなり頼むのはどうかと思ったのだが、影貴は文句一つ言うどころか快く引き受けてくれた。彼女は恐縮しきりだ。
そんなわけで始まった友人の作業を、彼は聞いていた。工房で作業している時よりリズムが良いし、音が軽い。感想はさっさと口に出すに限る。
「今日は調子よさそうだね」
「まあな。そりゃ久々に人前で作業するってんで。気合いも入るさ」
「篭ってばっかだからレアキャラ扱いされるんじゃない?」
「分かってるけどな。学園で鉄を打つなら工房しかない」
影貴は友人が入れてきた茶々については軽く流し、最後の仕上げにかかる。精度を求めて、蹄鉄を打つ。正しい力を込めて、金槌を振るう。たかが練習用じゃないかと言われることもあったが、影貴に言わせてみれば「練習用が真剣に打てなくてどうして競技用が打てようか」である。
「よし、片方は完成だな」
「いつ聞いても先輩の打音は揃ってて綺麗だ。音のズレがないのはすごいことだよ」
「お褒めに預かり光栄だ」
コトリ、と置かれた右足用シューズを手に取って、セイウンスカイは眺める。きっちり隙間なく打ち付けられた蹄鉄は、とても美しいと思った。もっと眺めていたかったが影貴は左足分の作業に入ろうとしていて、彼女は慌てて右足用シューズを置き、作業をまた見学し始めた。
まず影貴が手に取ったのは取り付けて欲しいと持ってきた蹄鉄だ。正面から見て、次いで横から見て、裏から見て、指でなぞる。形が崩れていないか、歪みがないか、釘の穴が潰れてないか、シューズを痛ませる鉄粉や
「歪みもなし。いい仕事だよな」
ビレジストンの仕事に感謝しつつ続いて、洗浄。新品の蹄鉄には輸送時の錆止めや保護のためにグリースが塗られている。それを落とすのが目的である。競技用なら溶剤につけてから超音波洗浄機で脱脂するのだが、練習用ということでスプレーのみだ。
洗浄スプレーを吹きかけ、ウエスで丁寧に拭きあげる。スプレーの溶剤とともにグリースが取れ、白いウエスがクリーム色に汚れる。一通り拭い終わったところでウエスを捨て、新品で仕上げ磨き。
作業台に置かれた蹄鉄はグリースが完全に取り除かれ、アルミニウム合金のツヤが消された、ざらりとした銀色がよく輝いている。
「おお〜、すごい……」
ウマ娘は、競技者として自分の命を預ける蹄鉄を自ら取り付ける技能が必須であるのでセイウンスカイも当然方法は知っている。なので脱脂しかしていない状態であるが、既に自分でやった時とは光り方が違うのはよく分かった。
「磨きにもちょっとしたコツがあるんだよ」
「なるほどなるほど。全然違うんですよねぇ、私がやった時と」
「プロだからな」
自分の腕を2回叩いてから、作業台のシューズをひっくり返し、装着面を清掃する影貴。もし蹄鉄に歪みなどがあった場合、この前に修正を加える作業があるが、今回は必要なさそうであった。
こちらにはまた別の洗浄スプレーを使い、装着面を手早く清掃。付いていたゴミや砂を全て拭い、組み付けの作業に入る。
早速シューズと蹄鉄を合わせて、釘で結合する……という作業が始まるかと思えば、そうではない。影貴が出したのは銀色の塗料皿とみっつのチューブ。書かれている品名は「U-shoes adhesive」つまり、蹄鉄用接着剤である。
「いいメーカーの教えてあげようか?」
「あ、つけられる気がしないので遠慮しまーす……」
「そう。まあ、慣れるまでは大変だからね」
現代において、蹄鉄を固定するのは釘だけの役目では無い。併せて使われる様々な資材のうち、影貴が好んでいるのがこの蹄鉄用接着剤だ。
彼が期待する効果は主にふたつ。釘の本数を削減することによる軽量化と、接着剤自体が緩衝材になること。
前者については賛否両論あるものの、彼の経験上3本の釘で支えていたところを接着剤と2本の釘で代替できることは確認していた。練習用ならば、レース本番ほど高い負荷がシューズにかからない。むしろ、軽量化によるウマ娘本人への負担軽減に繋がる。
もちろん無闇矢鱈と釘を削減するわけでなく、シューズの用途は何かを聞き取ってから削減するかしないか決める。今回はトレーナーである海人が「長距離用でスピードは出さない」と明言したため釘の削減を選んでいた。
「俺はね、ウレタン系の2液混合剤をよく使うんだ。ウレタン系は耐久性もいいし外力にも強い」
ただ、とつけ加えて、影貴はみっつのチューブのうちひとつを手に取って、塗料皿に出す。
「金属への食いつきは悪いから別途
また、高温多湿だと気泡が発生しやすく、そこも熟練が必要なのだと言う。わかりやすい解説をつけながらも、彼は作業を止めない。続いては、残り二つのチューブ。それは接着剤が入ったものであり、それぞれ
小さなハケで丁寧に、ムラのないように蹄鉄の接着面に薄く塗る。傾けて光の加減で出来を確認し、かすかに直してから今度はヘラを手に取る。接着剤をすくうとそのまま蹄鉄の端に乗せて広げ1発で、見事なまでに均等に引き伸ばして見せた。
「おお……!」
例えて言うなら、クレープの生地をベテランの店員が綺麗に伸ばすような。そんな光景だ。接着剤が塗られた蹄鉄も綺麗なクリーム色になっていて、セイウンスカイの脳内に浮かんだ喩えだったはずなのに、お腹がすいてきた。
「よし、これでいい」
1周見た影貴はシューズを作業台に固定し、慎重に蹄鉄を取り付け部にあてがう。上下左右方面のズレ、回転方向のズレを修正し、金槌で軽く叩いて密着させた。
「あとは、ここから時間との勝負だな」
そう言って首をまわし、ジャラリ、と取りだしたのは短い釘がたくさん入った小さな引き出し。何本か取り出し並べて歪みとサビを改めて点検したあと、1本を蹄鉄の穴に合わせて、打ち込む。
最初の1回は強く打ち、その後は繊細に金槌をコントロールしつつ、細かく動かす。釘の頭を僅かに2ミリ残し、次の釘へ。2分としないうちに澱みなく打ち付けられ、ぴったりと頭が揃えられた釘が並んだ。
「次は釘の本打ちかな?」
「しかし、音しか聞いてないのによくわかるな」
「ま、何回か聞いてるしね」
海人の言葉通り、次の作業は釘の本打ち。2ミリ残してある頭を完全に打ち込み、シューズと蹄鉄を完全に固定するのだ。先程よりストロークを大きく、金槌の重さを生かしつつ、腕の力で衝撃をコントロール。1回ごとに、釘がシューズに押し込まれていく。
全ての釘の頭が埋まる。そこから、金槌で微調整。接着剤が均等になるように、かつ釘には一切の緩みがないように。蹄鉄が締められていくと共に、金属音が高くなる。
脳みそに直接届く打音。不思議と不愉快には感じなかった。目の前の職人が命を賭して……というのは言い過ぎであるが、真剣に全てをかたむけて作業をしている。
「カッコイイだろう?」
「なんでトレーナーさんが得意げなの?」
「悪いか?」
「悪くは無いけどね〜。虎の威を借る狐?」
「なんだと?」
そんな会話を気にすることも無く、影貴は金槌を扱い続ける。打っては眺め、眺めては打つを繰り返す。
五分ほど調整を続けてようやく納得いったのか「よし」、と小さく頷き。彼は視線を外して腰をすこしのばすと、金槌を置く。
「終わったか」
「まあな。あとはまた熱してやればいい」
そう言って持ってきたのは充電式ヒートガン。今日使った接着剤を硬化させ、完成させるために。余熱は済ませていたようで、トリガーを握って動作確認をすると直ぐにシューズへ向けた。当てる時間、距離、温度も長年の経験からの答えだ。長すぎても短すぎてもいけない。
しばらくしてヒートガンの送風が止まると、影貴は立ち上がる。
「よし。完成だ。意外と時間かかっちまったな」
と腰を伸ばした友人に、海人はおつかれおつかれ、と声をかけてから彼も立ち上がって伸びをした。腰を回して、肩を回して、足首をぶらぶらさせる。おっさん特有の呻きを上げながら、ふたりの男は体をほぐしていた。
「おっさんだ……」
セイウンスカイは目の前で繰り広げられる「よる年波には勝てない」の代表例に目を覆いたくなって、それから目をそらす意味でも影貴が打ったシューズを手に改めて眺めていく。
接着剤を使いながらも、1分の狂いもなく打ち付けられた蹄鉄。釘は全く同じ深さまで打ち込まれ、頭の潰れ方も寸分違わず一緒だ。
「おお……プロにやってもらうと違うなぁ」
外でこのレベルまで仕上げるのを頼んだら、いくらかかるのだろうか。この技術を、ここに至るまでの年数を無料で享受して良いのかという気分になってくる。
「恥じない練習しないとダメですねぇ……」
密かに決意したところで、駐車場の入口から砂利を踏む音が聞こえてきた。体のあちこちからパキパキ音を鳴らしている男2人を見ないように、そちらを振り返る。
大きめの砂利を踏んで歩いてきたのは、〈リギル〉のシンボリルドルフだった。
「やあ、セイウンスカイ」
「おっと。会長さんじゃないですか。練習は終わりなんですか?」
「気温が高いから、短期で効率よくやるように、というのが右堂先生の要請でね」
「なるほど」
医者らしい仕事のひとつ、と言ったところだろうか。ちらりと2人の方を見ると、また何やら話している。さっき聞いた話と、トレーナーが零した揶揄と。考えてみれば、どちらに用があるのかは、もう明白だろうと勝手に思って、ルドルフに告げる。
「左鎚センセーならうちのトレーナーさんと話してますよ」
「ありがとう」
手で示すと、ひとつ頷いてからルドルフはテントの中に足を踏み入れる。話をしていた2人もさすがに気づいたのか会話を止めたものの、先に誰かを言い当てたのは海人だった。
「おお、ルドルフか。何の用事……って聞くまでもないか」
「まあ、兄さんにも用事はあるんだが……右堂先生にもあってね」
「なんだ。お邪魔虫は退散しようと思ったんだけども」
「俺はお邪魔虫なんて思ったことは無いけどな?」
ルドルフが一瞬何かを言いたそうにしたもののその雰囲気ごと飲み下し、口を開いたのをセイウンスカイは見逃さなかった。
「実は、右堂先生に疲労抜きのマッサージをお願いしたくてね」
「ああ、もしかしてかきいれ時か……分かった」
医者はまた腰を伸ばすと、友人の装蹄師に別れを告げ、教え子のルドルフに臨時医務室で待ってると告げて、歩き出した。
セイウンスカイは影貴に「ありがとうございました」とお礼をしてから、トレーナーの跡を辿ってついていく。
後ろから何やら親しげに話す声が聞こえたが、内容まではわからなかった。
「そういや会長さん、『兄さん』って言ってましたね」
「ん? ああ、なんでも小学校低学年頃までだったかな。どういう形で知り合ったのかは知らないけど、暫く付き合いがあったとか」
親同士、とか言ってたっけね……と本当に昔聞いた話を、脳みその奥底から引っ張り出しながら答える。セイウンスカイは、それを聞いて先程見た光景に合点がいった。
「兄さんにも」と言ったところで、ルドルフの顔がフッと柔らかくなったのだ。柔らかくなっただけでなく、どこか時間が巻き戻ったような。
「なるほど。だとしたら左鎚センセーも、罪な人ですねぇ」
「……友人として庇ってやるべきなのかな。これは」
口角が下がって肩も下がる。先程の言葉に入れこまれた含みから考えると、乗ってくるかと考えたのだがそういう訳には行かなかったらしい。
「こっちが口を挟む事じゃないから。ただ、察しの悪さはどうにかならないかなぁ」
ニヤニヤ笑いながらも、友人として見守っていくのが彼のやり方のようで。ただ、本当に仲がいいんだなと彼女が感心していると、急に飛んできたのは「ただし」という補足の言葉だった。
「口を出したら、もうそれは内野だ。こちらの火事だからな。気をつけろよ」
「……セイちゃんもしかして信用ないとか?」
急に言ってくるということは、と考えて声を小さくする。
「面白そうと思ったら躊躇なく絡みに行きそうだしな」
「失礼なー。人と人との機微くらい読めますー」
本当かね? と首を傾げて懐疑の感情を表に出した海人を蹴る真似をする。立ち止まっていたらむこうずねをつま先でつつく位はしたかもしれないが、歩いている人間にそんなことはしない。
結局、そこからは無言のまま宿泊所に着く。また明日になるのかな。と言い残して中に入っていった背中を、セイウンスカイは見送った。その背中はどこか。今日の熱で煤けているように見えた。