トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない   作:Skyjack02

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Lap.29 過去の燃えカス、今の行き先

「う、うお……がああ……っと」

 

 この世の終わりのようなうめき声と、腰やら肩やらからする「バキバキ」という音。自分の体はとっくに限界だったりするのだろうか、と暗澹たる気持ちになりながら、右堂海人は伸びをしてから外に視線を向けた。

 

「4時間ぶっ通しでやってたな……若くないってのに」

 

 暗くなって水銀灯が仕事を始めたのとは正反対に、彼は疲労困憊でぐったりしている。

 〈リギル〉のウマ娘を始め、ここの宿泊所で寝起きしているウマ娘が一斉にここをめざしてきて、彼は先程までてんてこ舞いで施術を行っていた。

 

「お疲れさまー。トレーナーさん」

 

「別に皆さん待ってなくて良かったんですよ」

 

「そういう訳にも行きません。特に、トレーナーさんを今日の懇親会に連れてくるように! ってトレーナーさん……西崎トレーナーから言われてるんですから!」

 

 臨時医務室にはセイウンスカイとスペシャルウィーク。それにトウカイテイオーとシンボリルドルフが残って、ソファにそれぞれ腰かけて話していた。

 

「そうだぞ。今年は懇親会に参加してもらう。そのつもりで私もここにいるんだ」

 

「いやいや。面白くはないって。私がいってもね」

 

 スペシャルウィークが言った懇親会というのは、宿泊所事に行われるチーム同士の交流会の事だった。チームごとに費用を出し、ウマ娘同士が仲を深める。トレーナーは、チームごとに監督者として参加する……というイベントだ。

 去年までは、「私はトレーナーでは無いので参加しない」という言い訳が使えたのだが、今年はチーム〈アルゴル〉としての参加となるので、監督者として参加することになる。

 スペシャルウィークの任務は、仕事が終わった瞬間に彼を捕まえて連行することだ。

 

「でも私、風呂にも入りたいんですよ?」

 

「大丈夫です! 右堂先生が来るまで始めないって言ってましたから!」

 

「それのどこが大丈夫なんですか……」

 

 〈スピカ〉の西崎リョウというトレーナーはこんなアコギなやり口をする先輩だっただろうかと考えて。ああ、割と頑固なところのある人だったな、との結論に至る。

 だが、最後の抵抗を試みる。

 

「そういや、影せ……影貴先輩は?」

 

「兄……左鎚先生も出ると言っていた。伝言があってね『トレーナーとして最初の大仕事だな』だそうだ」

 

 そして、退路が絶たれる。彼が参加しないのなら話し相手が、とかこれからの業務の相談がある、とか逃げ道はいくらでもあった。

 

「……分かりました。『入浴後行く』と先輩に伝えておいてください」

 

 根回しが早いというか巧妙というか。誰の発案なのかは知らないが、的確な包囲網が形成されていたことに彼は心の中で顔を覆ってからようやく観念した。

 

「逃げないでよ〜」

 

「ここまでされて逃げるのは大馬鹿野郎か大物のどちらかだけど、私はどっちでもないからね。セイウンスカイ」

 

 そこまでの度胸はないし、別に彼女たちを嫌っている訳では無い。楽しい場所に水を差す可能性があるのが嫌なのだと説明だけしておく。

 すっかり寝てしまったセリカを起こさないように歩き、パーテーションで仕切られた一角に入った。

 手探りでスーツケースを探し当てると、中から着替えをとってシャワー室へ向かう。ウマ娘4人も後に続くようにいなくなり、それぞれ「待ってるからね!」とか「先、行ってますよ〜」とか。好きなことを口走っては去っていった。

 彼はシャワーを浴びる準備をしながら独りごちる。

 

「……賑やかなのはいいんだけど」

 

 チームを持ってから、周りが一気に華やかになった。それはいい。人間は1人では生きていけないからだ。だが、それに慣れてしまった時。いきなり奪われるようなことがあったとして。

 

「私は、それに耐えられるのかな?」

 

 1度ならず2度も人生が奪われるとは考えたくないが、心地よいからこそ、明るいからこそ無くなった時の暗さは深くなる。もう二度と、あんな地獄はゴメンだ。幸いだったのは、曲がりくねった道の先に落ちたのは、自分だけだったことだろうか。相棒はいまも、あの道の先で活躍していると聞いた。今も、誰かを導いている……。

 

 記憶の残滓に触れるだけでも灼け着く胸を誤魔化すように、彼は夏場にしては熱いシャワーを浴び続けた。

 

「ああ、嫌だ嫌だ。」

 

 これで、昔のこともさっぱり流れたら良いのに……と思いながら、目をこすってみる。視界はあいも変わらずぼやけたままで、海人はわかっていた落胆と変わらない喉が締め付けられる感覚に拳を作って壁に打ち付けた。

 ジンジンとした痛みを抱えながらシャワーから上がって。スーツからジャージに、革靴からサンダルへ変身して、廊下を歩く。視線を隠すサングラスはどうしようかと思ったが、余計な嫌悪感を与えないようにつけたままにしておく。

 

 静まり返った廊下に、かかとが引きずられたスリッパの音だけがある。電気こそついているものの、人の気配のない宿泊所は暗闇と同じようなものだった。どのくらい長いか分からない廊下を手探りで歩く。会場が食堂というのは聞いていたが、こんなにも遠かっただろうか。白杖を持ってくるんだったと後悔しながら壁を伝う。

 永遠にたどり着かないのではないか? と思い始めたところで、いきなり声が降ってくる。少しばかり身を硬直させたがそれが誰か分かるとすぐに腕を体の前で抱えて、困ったような笑顔をうかべる。

 

「もー。遅いよトレーナーさーん」

 

「ごめんね。白杖忘れちゃって」

 

「呼んでくれたら行きましたよ?」

 

「邪魔しちゃ悪いかな、と思ったんだ」

 

 そこに居たのはセイウンスカイで、仕方ないなぁ、とばかりに彼に歩み寄ると手を引いた。いきなりのことに驚くものの、少なくとも。人のいない暗闇の中では光明であり。

 

「ああ、ありがとう」

 

 振り払うことも無く、彼はお礼を言って頭を下げた。その背中が少し震えているように見えて、セイウンスカイは半分慌てる。

 

「さ、さぁ。行きましょ早く」

 

「……そうだね」

 

 体の力を抜いて笑う海人。その手を引いて、食堂まで歩く。歳の割によく手入れされた手は非常にすべすべしていて、女子として羨ましくなってくる。壁を伝っていた彼は今にも消えてしまいそうな足取りをしていたが、セイウンスカイのあとを歩く今の足元はしっかりしていて、彼女は人知れず唇を細めて息を吐いた。

 海人は教え子たるウマ娘に手を引かれながら、彼は温かさを感じる。今更になって、自分が1人でないことが手のひらから伝わる。人は一人では走れない。隣に、誰かが必要だ。道を教えてくれる誰かが。

 

 そんなふたりは少しばかり歩き、食堂の前に着く。セイウンスカイが立ち止まると、手が離れて彼女は扉を開けた。ザワザワとした空気が漏れだして、薄まる。海人は一瞬怯んだが、セイウンスカイに背中を押され、中に足を踏み入れた。

 

「ほらほら。このために来たんでしょ?」

 

 ウマ娘の力で押されるままに席に座る。右隣はセイウンスカイが座ったが、反対側は誰だろうか。

 

「ようこそ! 右堂先生!」

 

 スペシャルウィークだった。ということは、この辺りは〈スピカ〉の面々がいるということだろう。確かに耳を澄ませてみるとウオッカとダイワスカーレットが西崎トレーナーを挟んで言い合っていたり、マックイーンがゴールドシップをあしらいながらトウカイテイオーと話していたり。

 スペシャルウィークは色んな相手と話しつつ、セイウンスカイを待っていたようだ。

 

「ああ、どうも。しかし、私がいて良いのでしょうかね」

 

 とりあえずスペシャルウィークに笑いかけながら、手持ち無沙汰に辺りを見回す。賑やかな話し声と食べ物の良い匂いでパーティと分かるが、皿もないしコップも無いしどうしたものか。

 

「……私はどうしたらいいかな?」

 

「もー。ちゃんと用意してありますって。お皿とコップです。何か食べたいものあったら言ってください?」

 

「ありがとう。でも、何があるのかな?」

 

 何となく揚げ物だったり、ソースだったり、カレーだったりの良い匂いがするが、どこにあるのかはわからない。たった40センチの距離が、ぼやけた視界によって永遠になっていた。

 

「色々ありますよー。カレーににんじんバーニャカウダ、サラダにガーリックトースト」

 

「おすすめは?」

 

「迷っちゃうけど……アジフライ、ですかね」

 

「ほう」

 

 意外なチョイスに海人は顎に手を当ててまじまじと視線を送る。あとはー、と続きを言おうとした彼女も、さすがに視線に気づいて言葉を切った。

 

「そのサングラスはなんです?」

 

「アジフライ、好きなのかなと思ってね」

 

「海鮮系は全部、ですかねぇ。釣りとかも行きますし」

 

「そうなんだ。知らなかったよ……君のおすすめを貰おうかな」

 

 そういえば好物については話したことがなかったよね、と考えながら、膝立ちになって料理をとる。おすすめということならもう腹は決まっていて、自信に満ちた動きで皿へさらに料理を盛る。

 

「どーぞ。セイウンスカイスペシャルでーす」

 

 大袈裟な名前だが、なんてことは無い。アジフライカレー、サラダとプレーンオムレツ。あとはフルーツヨーグルト。面白みは無いかもしれないが、あまり油物を進めるのは気が引けるし、量がありすぎても食べられないだろう。

 

「トレーナーさん夜食べてないでしょ?」

 

「ちょうど空腹でね」

 

 一緒にスプーンも置いてくれた事に感謝しつつ、彼は背筋を伸ばす。

 一方のセイウンスカイは出したものが正解かどうか手に汗をかきながら見守っていた。おすすめと言われたが、好みに合っているかは分からない。何故か試験とか模擬レースより緊張している自分を落ち着けようとしつつ、粘度の高くなった唾液を喉に送り込む。

 最初のひとくちが口に放り込まれるまで、横顔を穴が空くほど見続ける。ようやく、1口。

 

「おお、これはアマゾンのカレーかな」

 

 海人の顔が綻び、うんうんと満足そうにうなずいてから2口目をまた運ぶ。喜んでくれたのは幸いだったものの、「アマゾンの」と言い当てたことに少し胸がモヤモヤする。付き合いが長いから仕方ないとは思うのだが、面白くない、と思ってしまった。

 

「やっぱりアマゾンはすごいねぇ」

 

「む。ちなみに、このアジフライは私が作ったんですよ?」

 

 謎の対抗心が強く湧き出てきて、セイウンスカイはカレーの上に乗っているアジフライを指さした。というか、おすすめは?と聞かれて自分で作ったアジフライを出したあたり、既に対抗心はあった。

 

「……いつの間に?」

 

 影貴のテントから帰ってきて、〈リギル〉はじめウマ娘が大挙してきて。そこからずっと彼は施術をしていた。途中でスペシャルウィークが海人を捕獲に現れたり、シンボリルドルフが釘を刺しに来たりしたが、セイウンスカイはずっとその間臨時医務室にいたのでは無いか。

 首を傾げる海人に「勝った」と誇る笑顔を向けながら、セイウンスカイは身振り大きく解説する。

 

「仕込みは前々から……と言いたいんですが、フライ用で開かれて内蔵取られてるやつが売ってまして。なんで、時間はあーんまり」

 

 セイちゃん的には張り合いがあまりなかったので残念です、ともつけ加えて、セイウンスカイはドヤ顔で言葉を締めた。

 彼はその言葉を聞いてからスプーンでアジフライを1口大に切って、それだけで食べた。じっくりと口の中で咀嚼し、舌触りと味を確かめてから喉が鳴る。

 

「……すごいなぁ。小骨が全くないぞ」

 

 小骨を噛み砕く感触が一切ないまま、アジを胃に送り込めてしまった事に驚愕する。だいたい、アジというものは身の中に骨が埋まっていて、よく噛まないと喉に刺さったりするのだ。

 

「血合い骨は抜くの面倒なんですけど道具もありましたし、人もいたので」

 

「へぇ。すごいなぁ」

 

 そこからも、彼はひと口ごとに「すごいなぁ」だとか「抜群だね」とか。彼女の料理をしきりに褒めていた。それに乗ってきたのは、唐揚げを口いっぱいに頬張ったスペシャルウィークだった。

 

「へふよね! へひちゃふの……」

 

「みっともないよスペちゃん」

 

 セイウンスカイの呆れ顔を受け、スペシャルウィークは急いで唐揚げを飲み込んでから話し出す。その顔は非常にキラキラとかがやいており、この会を全力で楽しんでいることが窺えた。

 

「セイちゃんって料理上手いんですよ?」

 

「それは知らなかった」

 

「みんなでピクニック! とかなるといっつもお弁当作ってきてくれるんです!」

 

 知らない一面に、海人は感心してから逆サイドへ首を回す。サングラスの奥にうっすら見える目は細められていて、口元からは「ほぉ〜」と声が漏れていた。セイウンスカイは自らに向けられる視線には敏感だった。今回もすぐに気づいて、半身引いて構える。

 

「……なんです?」

 

「いや。ものぐさな君のことだし料理するところの想像が出来なくてね」

 

「スペちゃ〜ん。何を言ったのー?」

 

「あわわわわ、べ、別に悪い事は言ってないよ!」

 

 ゆっくりと立ち上がったセイウンスカイに、スペシャルウィークは慌てて後ずさる。彼は手を広げて静止しながら、にこりと微笑んだ。

 

「君の料理が上手いって話だ。悪い話じゃないだろ?」

 

「あ、なーんだ。そういう。トレーナーさんの視線が悪いよ」

 

「私の?」

 

 心外だなぁ、というように振られる首。そんなに悪い反応だったかな、と思いながら、またカレーを口に放る。ヒシアマゾンが作ったであろうカレーは辛さ控えめで誰でも食べられるようになってはいるが、スパイスや風味が犠牲になっているということはなく。豊かな楽園が口の中に広がる感覚だ。

 

 一方、彼女が乗せてきたアジフライも丁寧な下処理が施された上にきっちりと下味が付けられていて、とても食べやすいがそれだけでなく。私はここにいる、とばかりにきちんと主張をしていた。

 

「そう捉えたのなら申し訳ないけどね。でも抜群だよ。これは」

 

「そ、それはどーも」

 

 褒められてもちろん悪い気はしない。魚に関しては他のウマ娘より詳しいという自負があるし、実際に場数も踏んでいる。やったことがないのは免許が必要なふぐ位のもので、メジャーどころの魚は捌いたことがある。だから、魚の調理の腕を褒められるのは本当に嬉しかったのである。

 思わずゆったりと揺れてしまう尻尾。それに気づかないまま彼女は食事を進めていたが、後ろからかけられた声に咄嗟にお尻を抑えることになった。

 

「お、スカイ。いい事でもあったのかい?」

 

「うわぁぁぁお!」

 

 そんなにびっくりしなくても良いじゃないか。とヒシアマゾンは料理を持ったまま顰め面を作っていて、セイウンスカイは少しばかり申し訳ない気持ちになりながら首だけ動かした。

 

「いやぁ。その通りなんですが、いきなりでびっくりしまして」

 

 ヒシアマゾンは何かを言いかけたが、「アマゾン。どうかしたの?」とのんびりとした海人の声に遮られる。ヒシアマゾンは無視することも出来ず、持っていた鍋を机に置いてから海人の傍らにしゃがみこんだ。

 

「ああ、ただ声をかけただけなのにスカイが大仰に驚くもんだからね」

 

「まあまあ。そんなに拗ねない。で、このカレーなんだけどさ」

 

 そして彼は上手くなだめてから、カレーの話題に移行する。丸め込まれたヒシアマゾンは少しだけ不服そうにしていたが、彼が褒めちぎると満更でもなさそうであった。

 

「ほかも君が作ったの?」

 

「いや。カレー以外は監督だけさ。志願者でキッチン部隊を作ったんだよ」

 

「なるほどね」

 

「ちなみに、そこの芦毛のウマ娘も手伝ってくれたんだよ?」

 

「それは本人から聞いた」

 

 ヒシアマゾンから「ありがとう」と投げられた言葉に、彼女は後頭部を掻きながら視線を逸らしている。ヒシアマゾンは素直じゃないねぇ。と溜息をつきながら立ち上がった。

 

「ああ、そういえばそろそろかくし芸大会が始まるね。右堂先生は見るの初めてだろう?」

 

「そうだね」

 

「楽しみにしてなよ。フジのイリュージョンは凄いからねぇ」

 

「それは知ってるけど、ここだともっと凄いのか。楽しみだね」

 

 穏やかに口角を上げる海人に気負ったところはなく、この場を楽しんでいるようだった。セイウンスカイは無理やり連れ出したことに対して、顔をしきりにさわって落ち着かない様子だったが、その様子を見て安堵する。ああ、良かった。という声が聞こえたが、医者は聞かなかったことにした。

 

 何を考えていたのかは分からないし、どんな思惑があったのかも分からない。ただ、彼女が自分の事を心配してくれているのはよく分かる。それに対して、「ありがとう」と声に出す。

 

「どうしました?」

 

「ただの感謝だよ」

 

「そうですか」

 

 彼女には伝わっただろうか。聞こえてくる音からは窺い知ることができないが、わかってくれたら良いのだが。喧騒の渦中にこそ居ないが、彼は今の状況を楽しんでいる。今まで敬遠してきたものだが、悪くは無い。

 静かにカレーを味わいながら、彼は周りの話に耳を傾け続けていた。




今週終われば書く時間が増えるので、少しは戻せると思います。待っていただけると嬉しいです。
そして、総評が777を突破しました。評価、お気に入りをして下さった皆様ありがとうございます。励みに頑張ります。

果てさて。感想評価お気に入りをして頂けると、作者としても励みになりますのでどうぞよしなに。
では次回、火曜日になると思いますが、お会いしましょう。
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