トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
夜の食堂に、ウマ娘と少しの人間の感嘆の息が充満する。部屋を照らすのは味気ない蛍光灯の光だけのはずであるが、今、その中は輝いていた。
並べられたテーブルの奥に立ってマジックを披露しているのは、艷めく青鹿毛と、細長い流星をもつウマ娘。フジキセキだった。そして、彼女こそが輝きの大本である。
どこかから出したシルクハットからハト……さすがに本物ではなかったが、ハトが出て。続いてハンカチが出てきたと思ったら、ハンカチの中からステッキが出てくる。矢継ぎ早に繰り出される魔法の数々に、食堂中の目はすっかり釘付けになっていた。
「おおー!」
だが、それを見ることが出来ない右堂海人は、隣に座るセイウンスカイの歓声を聴きながら、唐揚げやサラダをつまんでいた。
フジキセキのマジックが素晴らしいのはよく理解している。テーブルマジックで何回か驚いた記憶があるからだ。しかしサロンマジックやステージマジックとなってしまうと、距離が離れるので何をやっているか掴めなくなる。
「フジも最初はテーブルマジックオンリーだった気がするけど」
いちばん最初に披露してくれたのは、手の中でスポンジボールが増えるマジックだったか。指先の触覚には自信があったが、何度やってもついぞタネが分からなかった。本当に魔法を使っているのでは? と思ったくらいである。
混ざれないことに少しばかり断絶を覚えたが、ここの主役は海人たちトレーナーではなかった。あくまでウマ娘である。
「……どしたの。トレーナーさん」
だから、と思考を続けようとした所で、話しかけられた。声の主はセイウンスカイ。危うく唐揚げを取り落としかけて、また拾い上げた。
「何が?」
「ちょっと元気なさそうでしたし」
彼女は本当に周りをよく見ている。ステージにだけ視線を向けていれば良いのに、と思うし、気づいたとしても。仮に気づいても、全く無視しても良かっただろうに。海人はありがたいとも思うが、それがいつか彼女の負担にならないか心配だった。
「良く見えてないだけさって、フジには言うなよ」
「……なるほど」
セイウンスカイは複雑そうに顔を顰め、奥歯を噛んだ。それなり以上に付き合いのある海人のことを、フジキセキも忘れている訳では無いだろう。ただ、優先順位をつけているだけ。もしここでセイウンスカイが口を出せばフジキセキは確実に気にする。そうすれば、ほかのウマ娘に迷惑がかかる。言葉に込められたのは、そういう意味だろう。
「大丈夫。フジにはテーブルマジックでだいぶ楽しませてもらったし」
どこが大丈夫なのか、と荒らげたくなる声を抑えて聞き返す。
「テーブルマジック?」
「知らない? テーブルを挟むくらいの距離感でやるマジックだよ」
「そんな分け方があるんですね」
「凄いよ。フジのテーブルマジックは」
トレーナーが嘘をついているとも思えないので、きっとそうなのだろうと半ば現実逃避気味に想像を膨らませる。カードマジックとかをやるのだろうか? 何をやっても絵になるフジキセキの事だから、サラリとこなしてしまうのだろう。
想像の中のはずだが、随分と解像度の高いフジキセキが現れた。
「……1回、見てみたいですね」
「頼めばやってくれると思うよ」
今度暇な時を探って頼もうと心に決めると、フジキセキは最後のマジックをやり終えたところだった。ヒラヒラと紙吹雪が舞う真ん中でやりきったという顔をしている栗東寮長へ、惜しみない拍手が送られていた。
「ありがとうございました! 皆、どうだったかな?」
彼女がウインクしてから深深と優艶な動作で腰を折る。続いて上がる、悲鳴のような歓声。海人は耳を抑えながら、フジキセキの凄さを改めて感じていた。
「次は何が始まるのかな」
「それは決まってなくて、立候補らしいですよ?」
「この後にやるのはハードルが高くない?」
「確かに」
未だ興奮冷めやらぬ食堂だが、次は誰がかくし芸を披露するのだろうか。とはいえ、あんまり関係ないよね、と海人はまた、目の前の料理に向き合っていた。見えないなら、という諦めのようなもの。過去何度も抱いてきた感傷だ。
もう。どうにもならない感傷を水で流し込むと胃を灼く不快感が襲ってきて、彼はその行為を後悔した。内臓ごとぐずぐずに溶かされるような、体の中身をゴッソリとえぐり取られるような。コップを持ちながらも動きが止まり、唇を噛む。
「トレーナーさん?」
「ん? どうした?」
「眉間に皺が寄ってたよ。どしたの?」
「……なんでもないよ。心配しなくていい」
セイウンスカイは海人の顔を覗き込む。サングラスに阻まれて表情の隅から隅までは分からない。だが、口の端、眉の下端、眉間に深い皺。苦しそうなことはわかった。
「心配くらいするよ」
「こういうことで私に心配するのは、やめておきなさい」
「それって……」
彼女が追求しようとした所で、彼の表情は雲に隠れて見えなくなった。いくら手を伸ばしても、何も掴めない。
「私は。もう慣れてるから」
「え?」
彼の中にあるものを見透かして、彼の根元を見ようとする。だが、何も見えない。どうして、と聞こうとしたところで、残念ながらその空気は霧散してしまった。
新たに現れたのは、〈スピカ〉の西崎だった。
「……俺はな。お前のことをもっと知ってもらう必要があると思うんだ」
「必要ですかね?」
「当たり前だ。知ってもらわなきゃ、医務室には来てくれないぞ」
そう言って、西崎は半ば無理やり彼を立たせて連れていった。本気で抵抗していないのか、海人はあっという間に連れ去られてしまった。
その背中を見つめながら、「これでよかったのか」と自問自答する。しかしやはり結論は出ないまま。
セイウンスカイは腹立ち紛れに、お皿を弾くことしか出来なかった。
前に座らされた海人は居心地の悪さをひしひしと感じていた。数十の視線が、四十間近のおっさんに注がれている。悪意がないかこそ好奇心や物珍しさという視線になり、拒否できないからこそ、居心地が悪い。
「あー、そのですね。大したことは出来ないんですけども……」
ここに彼を連れてきた西崎は横に立って静かにしている。いやいや、引っ張ってきたんなら少しくらい手伝ってくれてもいいじゃないかと思う自分がいるのも事実だが、一人でいたらチャンスは永遠に来なかっただろうから、そこは感謝している。
「皆さんにわかりやすいと思うので、自信のある耳をつかったものをお見せしたいです」
こんな場所でやれることと言ったらこれくらいだ。ウケるかどうかは知らないが、やるしかない。
まず、何人か手伝いを募集する。
答えてくれたのは、セイウンスカイ、シンボリルドルフ、エアグルーヴ、フジキセキ、そしてアストロメイクだった。
「……何も言わないでよ?」
海人にそう耳打ちされたセイウンスカイだが、心外だなぁ、という風にかぶりを振る。
「トレーナーさんは気にしてないんでしょ。だったら、私がどうこうは言えないもん」
なら良かった、と心底安堵する表情のトレーナーは、お人好し過ぎると思うのはセイウンスカイだけか。そんな思いをきっと知らない彼は淡々と、これからやろうとすることを説明し始めていた。
「やってもらうことは簡単です。私の後ろで、足踏みしてください。足音だけで、誰か当ててみせますから」
「できるのか?」
リョウが茶々を入れてきたが、海人は意味ありげに笑っただけだった。椅子に座った彼の後ろに、立候補したウマ娘が1列に並ぶ。誰も相談することなく、何となくで並んだ形だ。ちなみに、セイウンスカイ以外のウマ娘と彼は言葉を交わしていない。誰が並んでいるかは、彼にもわからなかった。
「じゃあ。始めようか……私の右側から足踏みをしてもらえますか?」
海人の向かって右。つまりは食堂の左側から足踏みが始まる。サンダルが頼り投げな音を立てている。サングラスを掛けた医者は顎に手を当てながら、それが誰のものか推理していた。
まず1人目を聞いて抱いた印象は、優雅だがどこか神経質だな、というものだ。サンダルということで無意識のうちに足音を立てないように足に力を入れているのだろう。多分。彼女だろうと当たりをつけて、次を聞く。
2人目は、泰然自若としている。サンダルでも堂々たる立ち振る舞いがもう見えている。ターフで纏う神威が、少しばかり漏れていると言ったら良いだろうか。もうわかった。こんなウマ娘は一人しかいない。
そして3人目。これは、ほぼ初めて聞く足音の感覚だった。自信なさげに、なにかに遠慮するような足音。音のバランスからすると、足音の持ち主の左側に遠慮しているような。ならきっと、このウマ娘だと答えを導き、4人目を促した。
4人目も、また不思議だった。どこか芝居かかっているような、本当の自分を見せていないような。そんな足音だ。人のことは言えないがやっぱり、彼女も無理をしているのだろうか。4人目はこのウマ娘で確定、としておいて、最後の足音へ。
5人目は一瞬で誰か分かった。さんざ聞いていたのもあるが、明らかにやる気がない。1人だけ眠いのかな?とか体調悪いのかな?と疑うレベルだ。ペタリペタリとなんとも気の抜けるサンダル履きの足音。こんなのは1人しかない。というよりも、4月から散々聞いているから間違えようが無い。
自分で出した答えを、海人が発表しようとする。しかし、6人目の足音が現れた。連続したタップの音がしている。
カタタ、タタ、タタン。
カタタ、タタ、タタン。
カタタ、タタ、タタン。
タ、タン! と強く踏み鳴らして、その音は終わった。
「……ゴールドシップさん。飛び入り参加ですか?」
「わりーわりー。みんな足を踏み鳴らしてたからタップダンス大会でも始まったのかと思ってよー」
「それは改めて披露しては?」
「おう。なんか今やる雰囲気じゃねーしな。スーパードクターUのスゴ技披露を見届けてからにするぜ」
「どうも」
一番端にいた芦毛のウマ娘が、足を鳴らしながら席に座った。それを耳で確認してから、海人は改めて答えを発表する。
「並んでる順番は、1番右はエアグルーヴだね。どこか優雅なんだけど、音を立てないように気を使ってる感じがあった」
「正解だ。あと、それはサンダル履いてる時の癖でな」
「なるほどね」
エアグルーヴはだろうな、と驚いた顔はしていないが、海人と付き合いの薄い、観客側のウマ娘は中々どよめきが収まらない。1度も、彼は後ろに目を向けていない。彼が今回技を披露するというのは急遽決まった事なので、打ち合わせなどする時間はない。
恐ろしい能力と思うか頼もしい能力と思うかはそれぞれであるがしかし少なくとも、この空間は驚嘆とざわめきに満たされていた。
「2番目はルドルフかな。こんな時にも堂々たる足音ですぐにわかったよ」
「うむ。正解だ」
それだけ言って、ルドルフは何回も頷いていた。改めて海人の能力を目の当たりにし驚く自分と、〈リギル〉の時代から、変わっていないなと感じている自分。それは、様々な感情を混ぜ込んだ頷きだった。
「3番目は多分。アストロメイクさん。ずっとやりにくそうだったし、左側にいるウマ娘に気を使ってる感じもあった……どうです?」
「いやいや。正解です!」
「それは良かったです。あと、あの時のことはもう気にしておりませんので、そのつもりで」
「は……はい!」
海人の真後ろに立つ栃栗毛のウマ娘は、何か肩の荷を下ろしたような笑顔になって答える。それからフジキセキを挟んだ向こう側にいるウマ娘の顔色を伺ってから、改めて胸をなで下ろした。
「では次。4人目はフジキセキだね。なんかお芝居に出てくる王子様みたいな感じだった」
「そう言って貰えると光栄だよ。魅力的だったかな?」
「とってもね」
フジキセキは嬉しそうに小さくガッツポーズをすると、咳払いをしてから戻った。その仕草すら完成されていて、食堂のウマ娘からうっとりしたような溜め息が漏れていた。
「じゃあさいご。君だろ。セイウンスカイ」
「私だけ適当すぎません!?」
「明らかにやる気のない足音だったしね」
「それは否定しませんけど」
自分だけなにか解説はないのか? とセイウンスカイは思ったが、「やる気がない」というのはこれ以上ない解説ではないかと考え直す。いずれにせよ不名誉なことには変わりないのが残念なところだが。
「というわけで、ざっとこんな感じです。如何でした?」
自然と拍手が巻き起こる。海人は無理やり連れ出して『くれた』リョウへ感謝してはいたが、これで打ち解けられるだろうか? とも疑問を抱いていた。
「とりあえず、ありがとうございます……これで良かったのかな?」
解散を告げると、寄ってきたのはセイウンスカイで。彼女は海人の手を取って元の席へ案内してくれるようだった。
「まあ、トレーナーさんの凄さは伝わったんじゃないかな」
「医務室に来る人は増えるかなぁ」
「それは分からないけど。でも、怖い人じゃないっても伝わったと思いますし……っと、着きましたよ」
「ありがとう」
手探りで椅子を探り当て、そこに腰を下ろす。セイウンスカイも元いた場所に座ったようだ。
そして、さっきまで彼らがいたステージではゴールドシップのタップダンスが始まっていた。小気味よく刻まれるステップに耳を傾けていると、セイウンスカイの反対側から話しかけられる。
「右堂先生! さっきの、なま……じゃなくて、本当にすっごかったです!」
「ありがとうございます。はんかくさいと思われてないと良いのですが」
彼はあえて、「はんかくさい」と言ったが、スペシャルウィークはその意図によく気付いてくれたようだった。
「大丈夫……って、それ」
「実は、帯広出身なんです。私」
「そうなんですか!? いやぁ、方言ってみったくないかなぁ、って思ってたんです」
「そんな。格好悪いなんてことは無いですよ。大事にするべきです」
故郷との繋がりは、できる限り持っていた方が良いというのが彼の持論だった。そういう海人自身が、18で親元を離れてあちらこちらで生活を送っていた。なので、親が話していた方言等はもう彼の中に残っていない。
理解することはできるが、こうやって意識しないと口から出てこないのだ。
「はい!ありがとうございます!」
こんな暑い夜にはきっと、向こうは涼しくて過ごしやすいだろう。海人はしばらく帰っていない実家を、スペシャルウィークは4ヶ月前に別れを告げた生家を思い出しながら、言葉を交わしていた。