トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない   作:Skyjack02

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Lap.31 音速の貴婦人の始まり 1スティント

 海人が聴力のよさを発揮した懇親会はつつがなく進み、21時を回ったところでお開きとなった。後片付けも手分けしたおかげかさっさと終わってしまい、彼は1人、臨時医務室に引き上げていた。そもそも、目がこんな有様では後片付けに参加すらできなかったが。

 

「長かったような、短かったような」

 

 そういえば明日は早起きをしなくてはならない。セイウンスカイのための仕込みが何個かあるから……とパーテーションで区切った中にある、ベッドにシーツを被せる。

 手先の感覚を頼りにヨレとシワがないようにシーツを伸ばし、薄い掛け布団を用意する。枕が変わると眠れないので家で使ってる物を置いて。枕元の水筒の中身が入っていることを確かめれば、寝る準備は完成だ。

 

 学園の職員寮より2倍程度広い臨時医務室には、外の気温よりも数度低いのでは無いかと言うくらいに冷たい空気が漂っている。1人では温めきれない部屋にいるという事実は、どこか寂しさを彼に覚えさせた。歯を磨いて少しばかり残ってる仕事を片付けて。寝るのは22時半くらいになるかな、と脳内で計算し始めたところだったが、いきなり部屋の空気が動いた。

 年季の入った引き戸がガタガタ音を立てながら開かれる。

 

「どうしました? 急患ですか?」

 

 足音が上手く聞こえず、誰かは分からない。

 

「急患じゃないわ。少し相談があったのよ」

 

「……東条先輩」

 

 聞こえてきた声でようやく、誰かわかる。部屋に来たのは、チーム〈リギル〉のプライマリトレーナー、東条ハナだった。海人からすれば、トレーナーとしての実務のイロハを叩き込んでくれた大恩人である。

 

「どうされました? こんな夜に」

 

 それから海人は椅子を勧めたものの彼女はそれをやんわりと断り、早速で悪いけど、と前置きをしてから話し出す。

 

「あなたは、逃げウマ娘についてどう思うかしら」

 

 探りだろうかと一瞬考えて、この先輩がそんなまどろっこしい事はしないだろうと考え直す。

 

 「逃げウマ娘ですか。それは、逃げという戦法に関してでしょうか? それとも、逃げウマ娘の性質についてでしょうか」

 

「言葉が悪かったわね。逃げがウマ娘に及ぼす影響ついて、よ」

 

 なるほど、と考え込む。〈リギル〉に、今現役で走っており、問題になるような逃げウマ娘はいただろうか。マルゼンスキーは逃げウマ娘と言って良いが、彼女について話すのは多分に今更だ。

 

「〈リギル〉の逃げウマ娘ですか。マルゼンスキー以外にいましたっけ?」

 

「いえ。あなたは知らない子よ」

 

 それを聞いて半分胸を撫で下ろす。1度医務室に来た子は忘れないようにしているからだ。〈リギル〉のメンバーはかなり多い。その中には自分の腕に不安を抱いている子もいるだろうから、知らない子がいても仕方ない。

 

「して、名前は?」

 

「……サイレンススズカ」

 

「ほう。やっぱり知らない名前です」

 

「でしょうね」

 

 聞けば、今年のシリーズは休んでいるのだと言う。去年クラシック級を走ったものの、あまり良い成績は残せず。ハナの方針と本人の方針で食い違いが置き、1年間休養という判断となったとか。

 

「そんなに凄いのですか?」

 

「私はすごいを通り越して。恐ろしいと思ってしまったのよ」

 

「余程ですね」

 

 ベテラントレーナーの東条ハナですら、そういう走り。そこまで言うとはどんな走りなのだろうかと気になるし、とても聞いてみたい。だがサイレンススズカについて話すハナの声はなにかに耐えるように震えていて、それが海人としては気になった。

 

「なら明日、〈リギル〉の練習に付き合って貰えないかしら」

 

「わかりました。何とかします」

 

「……別に、〈アルゴル〉を優先していいのよ?」

 

 そのあっけらかんとした物言いに、ハナは微かに不安になる。この後輩は、チームを犠牲にしてまで来るつもりではなかろうか、と。

 

「大丈夫です。昼間は空いてます」

 

「じゃあ、あなたの空いている時間でいいわ。来てちょうだい」

 

「ええ。そうします」

 

「なら明日。待ってるわ」

 

 それだけ言って、東条ハナは臨時医務室から立ち去った。ガラガラ、と引き戸が締められると、いよいよ静けさと冷涼さが部屋を支配する。それは体の芯で冷やしてしまいそうで、海人は布団に潜り込むと早急に意識を手放すことにした。

 


 

 翌朝、随分と早起きをした右堂海人は何事か外で作業すると、左鎚影貴と共に食堂に現れた。それを目ざとく見つけたセイウンスカイ。ライトブルーのラインが入ったジャージを身にまといながら、納豆をぐにぐにと混ぜている。

 

「あれ? トレーナーさん珍しいですね」

 

「おはよう……珍しいは余計だな」

 

 彼はかすかに漂って来る納豆の香りに食欲を刺激されつつ、セイウンスカイに抗議した。半袖のワイシャツにスーツのスラックスという多少はラフな格好であった。

 

「そうです ?昨日も一昨日もいなかったような?」

 

「起きるのは早いんだぞ。で、1番くらいに来て食べてるからな……今日はやることがあっただけだ」

 

 何か言われる前にセイウンスカイに対して先制する。彼女はそうなんですか、とだけ答えると、混ぜ合わせていた納豆を白米の上にかけ、その上にネギを散らしている。

 

「何をやってたか興味なしか?」

 

「どうせ後でわかるでしょ? それにここの味噌汁は熱々のうちに食べ切りたいので」

 

「まあ、後でわかるのは否定しないけどね」

 

 言い残して、影貴の後について行こうとする。だが彼はこれを押しとどめ、海人をセイウンスカイの向かいに座らせた。

 

「取ってくるから。座ってろ」

 

「いいのか?」

 

「こぼしたら危ないだろ?」

 

「すまんね」

 

 そう言って、装蹄師をやっている友人は去っていく。ちなみにメニューは固定で、本日は白米、味噌汁、焼き鮭、漬け物。好みで納豆というなんとも和なものである。

 

「で、今日は何するんです?」

 

「それはお楽しみだよ」

 

「えー……」

 

 今教えてくれてもいいじゃないかと不満を表すセイウンスカイだが、海人は全く取り合わない。そんなに辛いものじゃないから大丈夫、と笑いかけられたが、彼女としては「辛いか判断するのは自分だ」と大きな声を出したかった。食堂なのでやらないが。

 

「本当にさ。何してきたの? 耳のところ、葉っぱついてるよ」

 

 「まさかな」と思いつつ触ってみると、確かに小さな葉っぱがついていた。食べ終わってから捨てようとポケットから出したハンカチに包んで、また戻す。

 

「秘密だよ」

 

「……トレーナーさん意外と頑固だよね」

 

「今更?」

 

「そうでした」

 

 ズズ、と味噌汁をすする音。やはり、朝早くから外を動いたおかげで空腹が強い。早く来ないだろうかと空きっ腹をさすった所で。

 

「待たせたな」

 

「遅かったじゃないか」

 

 友人がお盆ふたつを持ってやってきた。彼の前に置かれたのは湯気をあげる朝食で、手探りで箸をとると「いただきます」と声が揃った。

 

「そういや納豆は?」

 

「いやいや。いらないよ」

 

「そうか。よかった」

 

 そんなやり取りをしながら朝食に手をつける男ふたりを、セイウンスカイは口の周りを拭きながら眺める。微かに食器が触れ合う音が耳に心地よい。朝の食堂は人はまばらで昨日の賑やかさとはえらい違い。

 

「……食べ終わったらすぐにやれます?」

 

「昨日の今日でやる気になったか」

 

「失礼ですねー。乙女心と秋の風は気まぐれなんですよ」

 

「君はいつも気まぐれな気がするけど」

 

 茶碗を持ちながら傾げられた首に、彼女は何も言えなくなる。今回は揶揄するとか怒るとかそういう意図はなしに、純粋に「そうだよね?」と聞いて来ているのがわかってしまったからだ。

 

「トレーナーさん酷すぎません?」

 

「そう? ごめんね」

 

 なんとも軽い感じで謝られてしまった。とは言っても、彼女も深く追求しようとは思わない。自分が気まぐれに振舞っているのは事実なのだから。

 

「で、トレーニングなんですが」

 

「始めるのはいつでも出来るから、好きなタイミングで来るといいよ」

 

「はーい」

 

 なら早めに行こうか、と思案する。わざわざ早起きして、トレーナーは慣れない土地で何かをしていた。その苦労には報いたいし、そろそろゴロゴロしているのも飽きて来る頃。返却口にお盆を返してから、トレーナーに声をかけて着替えに行く。

 

 スーツケースを広げ、上下えんじ色のジャージとハーフパンツに変身。そのまま出ていこうとして、開け放たれた窓の外から吹き込んでくるぬるい風と、テンションの上がり始めたセミの鳴き声にセイウンスカイは部屋に戻った。

 

「……日焼け止め使えばいいか」

 

 トレーナーに持たせておけば塗り直せるし良い。万が一焼けて赤くなっても的確な処置をしてくれるという謎の安心が彼女にはあった。白い体操服の裾をひらめかせながら、医務室へむかう。何人かウマ娘とすれ違ったが、朝の7時と半ばという時間もあってか、エンジンがかかりきっていなさそうだった

 

 珍しい光景に少しの違和感と多くの優越感を得ながら、彼女は「臨時医務室」と張り紙がなされた古い引き戸を開けた。

 

「どーも。セイちゃんが来ちゃいましたよ〜」

 

「よく来ちゃったね」

 

「トレーナーさんがそれを言いますか」

 

「言葉遊びだよ」

 

 そう言いながら、トレーナーはヒラヒラと何かを揺らす。近づくと真っ直ぐに差し出してきたが、そこには目を疑うような文言が書かれていた。

 

「えーと、『謎解きトレイルラン』……はい?」

 

「文字通りだよ。簡単な謎を解くと、次の場所へのヒントが貰える。それを繰り返すと、何か良いものが手に入るって寸法さ」

 

 ワード打ちの味気ない文章と、彼の言っていることに相違はない。今日の早朝から、トレーナーがやっていたことはこれだろうと納得する。

 

「しかし、1人で仕込んだんですか?」

 

「いやいや。手伝ってもらったよ」

 

「誰にです?」

 

「影貴先輩にね」

 

「よく引き受けてくれましたね」

 

「結構高くついたけどね」

 

 言外に「ちゃんとやってね」と言われている気がするが、もとよりそのつもりだった。わざわざ手伝ってくれた彼の友人に報いるためにも、少しは真面目にやろう。

 

「なになに……」

 

 セイウンスカイは首をひねりつつ、答えを出そうと頭を回転させる。なんとも楽しそうな雰囲気に、彼女の心は踊り始めていた。

 


 

 2時間森と砂浜を走り回り。汗だくになったセイウンスカイは海人からスポーツドリンクを受け取り、一気に飲み干していた。

 

「お疲れ様。意外と早かったね」

 

「以外と、は余計ですよー……はぁ」

 

 ぺったりと肌に張り付く体操服を仰いで体に冷気を送り込もうとするが、モワモワとした空気がまとわりついて離れない。グランドに建てられたテントの下は陽射しがないだけ楽だったが、熱気は変わらなかった。

 

「しかしトレーナーさんもよくすぐ用意出来ましたね。こんなの」

 

「ネタだけは温めていたおかげだ。使わないに超したことはなかったんだけど」

 

「……悪うございました」

 

 何も言ってないだろう? と苦笑しながら、タオルを差し出してくる。クリーニングからかえってきてフワフワ、フカフカの白いタオルで思いっきり髪の毛をふき、顔の汗も全て拭う。

 

「……生き返る」

 

「使い終わったら自分でカゴに入れてね」

 

「えー。してくれないんですか?」

 

「……私は構わないけど、いいのか? そういうの気にすると思ったんだけど」

 

海人の言わんとしてることを理解したのか、セイウンスカイはうーんと考え込んでいた。

 

「べつに。私は気にしないですかね」

 

「ああそう? ならいいか」

 

 使い終わったら教えてくれとだけ言って、彼はまたカバンの中身を探り始める。叩くと冷えるアイスパックやら、経口補水液やら包帯やらで重そうなバッグをいつも持っているトレーナーは凄いよねぇ。暑さからの現実逃避を始めた思考を自覚するが、止められない。

 

「……ねえトレーナーさん。戻らないんです?」

 

 テントの中に置かれた椅子に腰を落として少しばかり不満げに聞く。手には商品の図書カードが握られていて、手持ち無沙汰全開な様子だ。

 

「〈リギル〉と約束がね。そろそろ来るって言ってたような……先帰る?」

 

「んー? どうしましょう……」

 

 涼しい臨時医務室でセリカと戯れるのもいいが、自分のトレーナーの珍しい仕事風景を目に焼き付けたいという思いもある。揺らめくグランドの向こうを見ながら、同じように左右を言ったり来たりする思考をゴールへ向かわせようとした。だがその前に、複数人の足音が聞こえてきて、彼女の耳はそちらに注目していた。

 

「あら。あなたが先にいるなんてね」

 

「うちのチームは早朝練習なので」

 

 現れたのはルドルフやエアグルーヴ、グラスワンダーなどチーム〈リギル〉の面々と、東条ハナ。そうそうたる面々にセイウンスカイはやっぱりたじろいでしまう。

 

「で、〈アルゴル〉はもういいのかしら?」

 

「今日のメニューは終わりましたから」

 

 白群かかった芦毛も同意を表してゆらゆら揺れた。

 

「ならいいわ」

 

 ハナは少し安心したように息を着くと、チームのウマ娘を振り返る。その顔は世間のイメージ通りの「厳しいトレーナー」のもので、その表情に良く似合う切れ味鋭い声で言った。

 

「暑くなる前に終わらせるわよ。全員、渡した通りのメニューをしてちょうだい」

 

 はい! という返事が重なり、それぞれに準備体操をし始めた。セイウンスカイはその様子を、ある種の感動を抱きながら眺める。ハナの号令ひとつで全てがカッチリハマったように動く。大きな信頼がなければできない芸当だ。

 

「凄いなぁ〈リギル〉」

 

「そうだね。でも、〈アルゴル〉だって負けてないさ」

 

「盗み聞きは趣味良くないよ。トレーナーさん」

 

「すまないね」

 

 盗み聞きは置いておいても、〈アルゴル〉が負けて居ないのは本当だと彼女は考える。右堂海人には右堂海人にしかない武器があるのは本当だからだ。それは彼の触覚しかり、聴覚しかり。

 

「で、昨日の話だけれど」

 

「はい。なんでしょう」

 

「早速お願い出来るかしら」

 

 意外と早く本題が来たな、と片眉を釣りあげてみるが、声や態度にはそれ以上出さないようにする。

 

「分かりました。来ているのですか?」

 

「ええ。この子よ」

 

 その言葉の後に、萱草色かんぞういろがかかった栗毛のシルエットがハナの後ろから現れる。その足音を聞いて海人は「静かなウマ娘だな」という感想を抱いた。

 

「は、はじめまして……サイレンススズカと言います……」

 

 その声も静謐を湛えていて、そんな目の前にいるウマ娘が自分の師匠であるハナに「恐ろしい」という感想を抱かせるものだろうか? と心の中で彼は首を捻る。

 

「はじめまして。学校医の右堂海人です……いつでもいいですよ」

 

 内心の疑問を外に出さないのは得意だ。穏やかに笑いかけることに努め、同時に少しでも情報を集めようと彼は耳を澄ます。

離れていく足音を聴きながら、サングラスの奥の目が細められた。




まず、毎週火曜日更新を守れずに申し訳ありませんでした。
言い訳なら出来ますが、次回は間に合わせますので……。

ちなみに新衣装セイウンスカイは引きました。バッチリです。ストーリーは良すぎて頭を抱えております。

気を取り直して、Kararemo氏、<regulus>氏、サイリウム氏、jain氏、osamu1974氏、ツェナーダイオード氏、評価を頂きましてありがとうございます。お気に入りも大変嬉しいです。

そして感想なども頂けると、作者としても励みになりますのでどうぞよしなに。

では次回こそ。火曜日にお会いしましょう。
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