トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない   作:Skyjack02

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間が開きまして大変申し訳ございません。


Lap.33 音速の貴婦人の始まり 2スティント

 サイレンススズカ、と名乗った萱草色のウマ娘がかなり控えめな性格をしているというのは、スタート位置に向かっている間に、海人に寄ってきたエアグルーヴの談であった。

 

「何となくわかるよ。自己主張が薄いタイプかな?」

 

「まあ、いつもはそうなんだが。こと走りとなると人が変わる」

 

「そうは思えないけども」

 

「……見ればわかるさ」

 

「なるほどね。君が言うならそうなんだろうな」

 

 サングラスの不明瞭な視線と、薄くアイシャドウの引かれた鋭利な視線の先では、ハナとサイレンススズカが何事か話している。話す内容は2人にも聞こえず、海人はエアグルーヴに尋ねた。

 

「様子はどう? 見える?」

 

「ああ。スズカは戸惑っているようだ。仕方ないことではあるが」

 

 海人は顎に手を当て、頭の中の情報を引っ張りだそうとしているようだった。

 

「ずっと、走れていないんだったか」

 

「ああ。思うように走れないのは……それは辛い」

 

 気持ちはわかる、と応じた海人は、どこか遠くにサングラスを向ける。それを横目に、エアグルーヴはこの男の過去について思案していた。

 常に穏やかに笑い、仕事に文句一つなく向き合い、常に医務室に控えている。これを仕事に真剣だと捉えるか、狂気の人間だと捉えるか。エアグルーヴは基本前者だったが、時おり後者の考えが顔を出す。

 私生活がよく見えないのもあるが、医務室にいる時の海人は常に表情が変わらない。笑顔。男が言うことには、医務室はただでさえ緊張を与える。自分の格好も威圧感があるので、せめて表情だけは柔らかくという気遣い。しかしこの生徒会副会長は。

 

「何を言ってる。先生がおかしい訳がないだろう」

 

 失礼だと分かっていながらも、エアグルーヴは疑いの目を向けてしまう。右堂海人という人間が笑顔ばかりで構成された人間ではないのはよく分かる。そして、真っ当な人間であるというのも。

 だが、学園で静かな廊下を向こうから歩いてくる瞬間や、外を一人で歩いている姿、黙々と施術をしている間などに、ふと虚ろさが表出する。なんとはなしに、怖かった。なんとなく、近寄りがたかった。そういう噂を聞く度に、エアグルーヴはこの男が何かに飲み潰されないか心配になるのだ。 

 

「……どうした? やっぱり友人として心配?」

 

 黙り込んでいるエアグルーヴをそう解釈したのか、海人はなんとも呑気に聞いてきた。考えがうっかり漏れていないかと口に拳を当てて目を走らせるが、目の前の男の表情は変わっていなかった。半ば嘘をついているような気分になりつつ、

 

「まあ、そんなところだ」

 

 曖昧に濁すことしか出来ない。それで海人は満足したようで、コースの端っこにたちながらサイレンススズカが走り出すのを待っている。その思考は、セイウンスカイがトレイルランを行っている最中に見た資料へと固定されていた。

 それによれば去年、クラシック級の成績に特筆すべきところはなかった。勝ったり負けたりを繰り返しイマイチパッとしない……むしろ、シーズン後半は掲示板を外す方が多く、あまり注目されているウマ娘ではなかった。

 

 だが、ハナはそんなサイレンススズカに『恐ろしい』という感情を抱いたと言う。戦績だけを見てしまえばとてもそんなことは思えない。そして、少し話しただけとはいえ、そのほとんど自己主張のない性格も、『恐ろしい』という強い感情の対極にいる気がしてならない。

 

「……『恐ろしい』か」

 

 何度噛み砕いても、何度反芻しても、噛み合わない。だが百聞は一見にしかず。一目見れば……と言いたいところだったが、そう言えば何も景色が見えないな、と自嘲の笑顔。

「はじまるようだぞ」というエアグルーヴの凛冽な言葉が鼓膜に届き、海人は耳に神経を集中させた。夏の湿気が強い風が葉を擦れさせる音、トラックの反対側でウマ娘が走る音、トレーナーが指示を出すために張り上げる声。その全てが煌めきを増して全身を駆け巡る。だが「始めるわよ」と張り上げられたハナの声に、片手を上げてから海人はほぼ全ての音を遮断した。

 

 かれこれ15年前後こんな生活をしていると、聞きたくない音は無視できるようになるものだった。身についてしまった特技に悲しみを覚えつつできる限りノイズとなる情報を遮断するように思考し、映像を脳内で作り上げる。

 ザクザクという音は足元を確かめる音。

 パキパキという音は、背伸びをして関節が鳴る音。

 すぅ、すぅと規則正しい呼吸は、サイレンススズカが緊張していることの表れ。

 

「準備はいいわね」

 

 サイレンススズカに向けられた言葉が、風に乗って海人にも届く。さあ、いよいよ始まる。走る距離は1800メートル。どんなスピードで走っても良いし、どんなリズムで走っても良い。

 エアグルーヴが落ち着かなさそうに足を踏み変える。

 

「はじめ!」

 

 同時に、ハナの声がトラックに響いた。

 ガッ! とつま先が強く地面を蹴り込む。

 比較的に小柄な体操服が一挙に加速する。

 

 萱草色の艶やかな髪の毛が風になびき、その目ははるかな先を見据えていた。

 一見すると普通にウマ娘が走っているように見える。だが、海人はサングラスの下で瞼を震わせていた。

 この距離でも、はっきりと足音が聞こえる程に強い踏み込み。1800mという決して長くない距離の序盤だと言うのに、このスピード。

 

「まさか……逃げ?」

 

 昨日の話と、サイレンススズカというウマ娘がどう繋がるのか、海人はイマイチ理解していなかった。だが、この走りを聞いて。全てを理解したのだ。体の全てが、走りに特価しているのではないかと思えてくる。脚、筋肉、骨格、姿勢、体の使い方。

『轟音』と表現しても良い衝撃はオーバルトラックの向こうへ離れていった。しかし、残響はいつまでも脳裏にこびり付く。

 

「……分かったか。先生」

 

 口を半分ほど開いたままにし、首だけ動かして音を拾おうとする海人の姿を見て、エアグルーヴは絞り出した。こくこくと言葉もなく頷くしかない医者の男と、走る友人を流麗な眉を寄せて見つめるウマ娘。組み合わせとしてはなかなか見ないものだったが胸中は同じく、言葉が吐き出せないでいた。

 

「ああ、なんてこった」

 

 どちらの口の隙間を縫って出てきたものか分からない呻きが天に昇る。地を這うのは蹴られた地面ががなり立てる跫音で、海人は1秒たりとも、1音たりとも聞き逃してなるものかと意識を向ける。隣に歩いてきた新たな気配には僅かなりとも意識を向けず、ただ走るサイレンススズカを捉えていた。

 

 遠く円周の向こうを突き進む音の塊が刻々と近づいてくる。オーバルトラックのコーナーに差し掛かったからであり、走った距離は1200メートルをいよいよ超え、あと十何秒もすれば終盤に突入するところだ。だが、その走りは、圧倒的な走りは変わらない。むしろごうごうと真正面から吹き付ける風を断ち割らんとするように、その迫力は増していくばかりだった。

 

「全くスピードが落ちてないですね。サイレンススズカ先輩」

 

 いつもの熱気とやる気を眠気で撹拌して薄めたような瞳とは打って変わって、温度を宿したセイウンスカイが海人の横に立つ。同じく逃げウマ娘として何かを掴めるかと思ったのか耳はツンと張り詰め、目には何かを得てやろうという決意のゆらめきが見て取れた。

 そして当のサイレンススズカは、外野からの視線を全く意に介せず走り続けている。風を切り裂き、景色をまとめて置き去りにし、何も気にしていない。まもなく、スパートである。

 

 圧倒的なまでに膨れ上がる轟音。サイレンススズカの姿勢が僅かに変化したからだ。遠巻きに見ている3人には見て取れるほどの変化ではないが、聞き取れる変化はあまりにも大きかった。ひとり走るウマ娘が、ハイペースで走っていたウマ娘が、コーナーの立ち上がりでさらに加速したのだから。

 

 非現実的なまでの空気の振動の重さと、音を置き去りにする脚。目の前を通過していく空気の流れに海人の全身は総毛立ち、心臓は急き立てられるように激しく動悸する。耳を凝らし、肌を研ぎ澄まし、サイレンススズカの走りを最後まで『見よう』と衝動に突き動かされていた。

 

 そして、萱草色になびく姿がゴールラインをまたいでゆるゆると減速しながら、大きく深呼吸をして空を見上げた。息を整え、風に煽らせた髪を撫で付けると、先程の獰猛な足音の気配を微塵もさせないサイレンススズカがそこにいた。

 

「……わかったか。先生」

 

「あ、ああ」

 

 内心の動揺を悟られないように務めて語尾を引き伸ばした返答をする海人であったが、心の中は全員同じだった。エアグルーヴは、友人の驚異的な脚に苦虫を噛み潰し、セイウンスカイは同じ逃げウマ娘として段違いのレベルに只々見開いた目を閉じれないでいた。

 ハナはサイレンススズカにクールダウンを指示し、同じように立ち尽くしている3人の顔を見比べ、微かに頭を振ってから口を開く。

 

「分かってくれたかしら」

 

「ええ。大いに」

 

 軽いジョギングを始めたサイレンススズカに視線を向けつつ、ハナは手元の紙をなぞっていた。そこには正確では無いものの、1ハロン毎の通過タイムが刻まれている。読み上げた数字を聞いて、海人の口元はみるみるうちに歪んでいった。

 

「早い、そして落ちてない……」

 

「でしょう。ある意味、ウマ娘として理想の走りよ」

 

「それは、そうかもですが」

 

 序盤からペースを保ったまま走り、そして最後に爆発的に脚を伸ばす。高い能力がないとできない芸当であり、それを目指してウマ娘はトレーニングをするというのは言い過ぎである。がしかし、戦術も戦略も駆け引きも無に帰す走りというのは、たしかにひとつの理想形であった。

 とはいえ、まだ荒削り。揉まれ、磨かれ、研ぎ上げる余地がある。そしてそれを終えた暁には確実に途方もないウマ娘になる。

 

「……クールダウンが終わったら足を見せてくださいませんか?」

 

「ええ。本人が良いと言ったらね」

 

 気にかかるのは、足への負担。骨、筋肉、軟骨。ウマ娘だけと言わず、人間の足は横アーチ、内外の縦アーチでまず衝撃を吸収する。その後は膝や股関節、筋肉などで衝撃を吸収する訳であるが、どこかが上手く働かなければそこに負担がかかり、怪我をする。

 筋肉のしなやかさ、関節の柔らかさ、そして足全体の使いかた等、全てを兼ね備えなければ怪我をする。ある程度テーピングやソールを工夫すれば補うことは出来るが、完全に防ぐことは出来ない。

 

 だから、彼女の足がどのように使われているのか知る必要があった。エンジンばかりが大きく、走りきれない車にならないように。

 チーム〈リギル〉の整理体操を終えたサイレンススズカが再び戻ってきた。すっかりと走る前の空気をまとい、ハナに向ける視線はどうしたら良いのか戸惑っている。

 

「右堂先生が足を診たいと言ってるけど……どうする?」

 

「私は、構いません」

 

 向けられる視線を感じた海人は、走り終えたばかりのサイレンススズカの負担も考えてテントを指し示した。

 

「ああ、なら、あそこの椅子に座ってください」

 

「はい。わかりました」

 

 ザラザラと土を踏みしめる調子を追い掛け、海人は萱草色のシルエットを視界に収めながら進む。脳内は先程の走りについて支配されており、半ば上の空である。それでも止まったサイレンススズカにぶつからなかったのは、普段から視界に頼っていないおかげか。

 

「お待たせしました……いいですよ?」

 

「では、失礼して」

 

 椅子の傍にしゃがみこみ、投げ出された脚に指を触れる。汗で少しばかり湿りけを帯びた肌を透かして中の筋肉を確かめる為に、歳の割によく手入れされた5指に全てのエネルギーを向けた。そして、驚く。あのようなスピードを出せるとは思えないくらいに華奢で、先程の轟くような走りをしていたとは思えないほどの脚。筋肉がついていない訳では無いが、引き締まっているという印象を差し引いてもサイレンススズカの脚は細かった。

 

 戸惑う自分を押さえ込みながらも、医者の本分は忘れない。熱を持っていないか、変に痙攣していないか、逆に筋肉が柔らかすぎるところはないか。知識を総動員して脚を診ていく。

 

「痛いところはありませんか?」

 

「いえ……ありません」

 

「そうですか」

 

 今度は関節部を重点的に。足首と膝間接。股関節も多くのウマ娘が怪我に苦しむ場所ではあるが、さすがに今はやめておく。その辺については後でじっくり問診を行うことでカバーすることにしておき、触れた時の微かな反応を読み取ることに集中する。

 5分程かけて触診を終えたが今のところは、異常はなさそうだった。

 

「あとは、アドレナリンが引いたところで、痛みが出なければ問題ないでしょう」

 

「そう。ありがとう……助かったわ」

 

 ハナは安堵に背中を丸めてから、サイレンススズカにトレーニングに加わるように指示を出す。1呼吸ほどの間を置いてから「はい」と返事し、控えめな足音はエアグルーヴと共に段々と小さくなっていった。

 

「……彼女の間について、聞いた方がいいですか?」

 

「あなたも分かるでしょう。私は、彼女を押し込めているからよ」

 

 先程1800メートルを走り抜けたサイレンススズカの様子はとても楽しそうだった。全身に走る歓びが充ちていて、どこまでも駆け抜けたい。どこまでも続けたいという思いが全身にあった。

 

「勝ちきれない要因も?」

 

「ええ。分かってるわ。私のせいよ」

 

 ハナはあっさりと非を認めた。少しばかり意外に思いつつ、足音が小さくなっていた方に顔を向ける。

 

「しかし、あんな走りを見せられたら、ですか」

 

「……本当に、本人には悪いと思っているのよ。でも、でも……私はあの走りを許容することはできないのよ」

 

 あんな走りを続けていたら、いつか確実に足をダメにする。走れなくなる可能性は高い。そんなことになったとして、サイレンススズカは幸せになれるのか……ハナの胸中は、とても複雑に絡み合っていた。

 

「彼女の健康のため、って言いたいけど、結局私のワガママよ」

 

「そうでしょうか? 仕方ないとは思います」

 

 ただ、と付け加える。

 

「健康という言葉の定義は、『健康とは身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病のない状態や病弱でないことではない』ですから」

 

「……そうね。よく分かってるわ」

 

「彼女のことについて、相談がありましたらいつでも」

 

「ええ。頼らせてもらうことにするわ。大いにね」

 

 そう言って小さく笑い、ハナはトレーニングを行う〈リギル〉のウマ娘たちの元へと戻った。テントの下に残されたのは、神妙に眉を寄せる医者と、未だあの走りが頭から離れないウマ娘だけだった。




火曜日にお会いすることになったのはよいですが、2週間開きまして申し訳ありませんでした。

とはいえ、更新は引き続き行いますので、ぜひお楽しみに。
 
ちなみにですが、ドロワット短編星空の青に踊れば〜Blind Steppin' in the Starry Blueを投稿していました。お楽しみください

感想評価お気に入りをして頂けると、作者としても励みになりますのでどうぞよしなに。

ではでは、次回お会いしましよう。
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