トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
夏合宿も佳境を迎え、あと何日かを残すだけとなった時、セイウンスカイはトレーナーから渡されたメニュー表とにらめっこしていた。日毎の予定が1時間ごとの大まかな区切りで示されたそれには空白が目立つ。
もう暫く、朝方にトレイルラン、昼に筋力トレーニング、夕方にペース走とメニューは固定されていて、少しばかり物足りなさを感じているのも事実なのだ。
スペシャルウィークは西崎トレーナーのもと確実に進化しているし、〈リギル〉のふたりはギリギリまで切磋琢磨している。こことは違う合宿所のキングヘイローも、中々ハードなトレーニングをしているらしい。
「それに比べて」
〈アルゴル〉は物足りないと思われているのではないか。熱血とか根性が好きな訳では無いが、こうも差があると少しは不安になるものだ。なぜなら、みなが照りつける太陽の下でトレーニングを積んでいる間、セイウンスカイがやっていることはトレーナーと話したり、セリカと戯れたり。幸せなことには違いないのだが、なんかこう、モヤモヤしてしまう。
「さすがのセイちゃんも、いいのかなーと思うわけで」
今日も朝トレイルランを行った後に「昼ごはんの後に筋トレやろうね。それまでは自由」と言われてここに至る訳である。
窓の外からはウマ娘の掛け声やらそれぞれのチームに指示をとばすトレーナーの声やらが遠慮なく入ってくる。それも、少しばかり焦燥を抱く原因だった。
複数のソファが並べられた休憩スペースには日差しは入ってこない。涼やかな日陰を独占できると感じるか、熱気から取り残されていると感じるか。
今の彼女にはよく分からなかった。
唸りながら、メニューの空白を睨みつける。
そして秒針が半分くらい回ったところで、セイウンスカイは力を抜いて天を仰いだ。
「別に信じてないわけじゃないけどさ」
トレーナーは信頼に値する。そう思うのは事実。何とかしてこのモヤモヤを晴らせないかな、などと考えていると、足音が上がってきた。こんな時間に珍しいな、と思っていると……そこに現れたのは栃栗毛のウマ娘だった。
「あ……」
「あ……」
固まる時間。気まずい瞬間。どうしたものか、分からない空間。目の前にいるのは、チーム〈コルネフォロス〉のアストロメイク。いつだか、海人と接触事故を起こしてしまったウマ娘である。
謝罪に来たものの、ちょっと気がたっていたセイウンスカイは散々先輩である彼女を威嚇。仕方ないとはいえお互いに遺恨がのこっているのは確かだった。
「あの。アストロメイク先輩。良かったら、ちょっと……」
動きを固めた栃栗毛の長い髪が、開け放たれた窓から吹き込む風に揺れる。その瞳はあちらにこちらに、右に左に揺れていて、予想外と驚愕に震える心をよく表していた。カタカタと窓が音を立て、二人の間をすり抜けていく。
「あ、はい。なんでしょう?」
セイウンスカイの心の中にいる小さな自分が、やっぱりやめとけ! と叫んでいる。こうやって勇気を出しても上手くいかないよ! と。ただ一方で信頼するトレーナーに怪我を負わせたいう事実があれど、本人が何も言わないのに周りが言い続けるのはおかしいと叫ぶ自分もいる。
鴨頭草の視線の先にいる、オドオドと落ち着かない先輩に向け心の中で詫びつつも、角が立たない言葉を選んで選んで、口を開く。
「その、この前なんですけど」
アストロメイクの顔色がどんどんと青くなっていく。その様子を見て、ようやく話を進めるのに反対していた彼女の脳内ポイズンベリーが沈静化する。
何ヶ月か前の私をぶん殴ってやりたいと思いながら、栃栗毛の先輩から少し視線を落とす。
「すいませんでした!」
その勢いのまま頭を下げる。視界に広がる味気ない床のタイルの枚数を数えることもせず、彼女は頭を下げ続ける。アストロメイクの姿彼女からは見えないが、喉から漏れている声といい、タイルを擦る靴の音と言い、大いに動揺していた。
「あ、とりあえず。あの。頭を上げて貰えませんか?」
おずおずとした申し出に、セイウンスカイもおずおずと頭をあげる。アストロメイクは、もう泣きそうな顔でセイウンスカイの目の前に立っていた。やりすぎたのかな? と思わないでもなかったが、結局いつかは決着をつけなければいけないこと。
「でも、わたしが右堂先生にぶつかったのは事実で」
「それはそうなんですが、私が責めすぎました……ごめんなさい」
そう言ってまた腰を折ったセイウンスカイに、アストロメイクは惑う。だが何十秒かおいてから、意を決したのか大きく声をはりあげた。
「分かりました。なら、ここで終わりにしましょう。セイウンスカイさん」
ビリビリと窓を震わすほどのいきなり降ってきた声量に目を白黒させながら、白群の頭が上げられる。目の前にいるアストロメイクの顔は妙に晴れやかで、セイウンスカイは圧倒されていた。
「セイウンスカイさんは許してくれました。なので私も、あなたを怖がるのはやめます」
だから、と言葉を繋げる。シューズが床のタイルを踏む音がやけに大きく休憩スペースに反響して、アストロメイクはセイウンスカイの隣に座った。
「お話しましょう。わたしたちは不幸な出会いだったかと思いますが、その。分かり合うことは出来ると思うので」
なるほど、と呟いて自分よりはるかな大人に見えるアストロメイクの姿を眩しく思う。根に持って許さない、という結論に至ってもおかしくないと自分でも思うのに、彼女はそれをしなかった……というだけで、かなわないと思ってしまう。
「ありがとう、ございます」
「いいえ。わたしがよそ見をしなければ良かったですからあそこは」
また堂々巡りになりそうな空気を、アストロメイクが咳払いで断ち切る。がしかし良い話題のアイデアがあるというわけではなかったらしく、2人揃って沈黙に背中を預けていた。
「いやー。ああ言ったけど何を話せばいいんでしょうね?」
「……お互いのチームとか?」
セイウンスカイも、確固たる自信を持って話題を振った訳では無い。ただなんとなく、チームに所属しているという点は同じだから、話ができるのではないかと思っただけ。
「チーム、ですか……」
「どうですかね?」
「いいですね!」
背筋を伸ばしたアストロメイクは、少しばかり言うことをまとめるためか黙る。セイウンスカイも、〈アルゴル〉ってどんなチームだったかな、と言いたいことをまとめることにした。
「〈コルネフォロス〉はですね……とても居心地が良いんです。ウマ娘は3人しかいないですけどね」
それぞれ活躍するフィールドは違うものの、お互いに切磋琢磨しながらやっている。
「わたしは、長距離が得意なんです。もっともっと走って、長距離を盛り上げたいんですよね」
「確かに、中距離全盛ですもんね。今は」
肉体への負担、レースの展開速度の丁度よさ、取れる策の多さ等、今は2000m前後のレースが一番盛んに行われている。時代の流れ、顧客のニーズと言ってしまえばそれまでだが、アストロメイクは大好きな長距離を諦めていなかった。
「まあ、盛り上げたいならGI勝てって話になるんですよね」
「勝ててないんですか?」
「その……同期が……」
「同期……あ〜……」
彼女の学年で言えば、メジロマックイーンという最強ステイヤーがいる。他にも現役となるとライスシャワーやミホノブルボンなど、強いステイヤーが多い世代だ。
「でも。いつかは追い越せるって思ってます」
「凄いですね。私だったら諦めてるかもなぁ……」
感嘆の息が漏れ、空いた窓から外に抜け出て消えていく。才能ばかりの同期。それに晒されて、私は無事でいられるのか……と言う考えが、セイウンスカイの頭の中をくるくると回っている。
「分からないですよ?」
「そうですかね?」
「はい。私も、菊花賞辺りだと腐ってましたけど、すごい走りを見るとやっぱり負けてられないなって」
キラキラと、笑顔が眩しく見えた。腐ってからよく持ち直したものだと感心する彼女の心を知らず、アストロメイクは話し続ける。
「それをトレーナーは応援してくれてますから。〈コルネフォロス〉はいいチームですよ。ありがたいです」
「楽しそうですね」
「そういうセイウンスカイさんは楽しくないんです?」
少しばかり神妙な面持ちを向けるアストロメイク。それに気づいたセイウンスカイは慌てて手を振りながら、何とか言葉を探す。
「え? いやいや。楽しくない訳じゃないんですが。うちのトレーナーさん、大きく構えすぎてるような気がするというか」
「なるほどー。でも焦ってるよりはいいと思いますよ?」
それはそうだと思うが、あまりにどっしり構えすぎているような気もする。新人だから相応の態度を〜などと言うつもりはないが、外に態度が出なさすぎるとなんか困るのだ。
「善し悪しですかねぇ。そこのところは」
「でも〈アルゴル〉の右堂先生って、どんな人なんですか?」
「どんな人……どんな人……」
とりあえず、変わっている大人であることには間違いない。ただそれを差し引いても確実にウマ娘に向き合って、親身になってくれる人間であること。鍼灸の腕が良いこと、少なくとも、悪い人間ではないこと……を話した。
「やっぱり外見が……」
「あー、ですよね」
サングラスにスーツと白衣、そしてそこそこある上背のおかげで不審者扱いされがちなトレーナーの姿を思い浮かべる。この夏の空に爽やかさと対極にある姿だ。
「怖いのは確かです。それに医務室で1:1ってのは尚更ですよね」
「そ〜うなんですよ。うちのトレーナーさん、そういうとっつきやすさって気にしなさそうな」
そのくせちょっと敬遠されてるとわかると落ち込むのはちょっとどうかと思うんですけどね、と付け加えると、セイウンスカイの目の前で栃栗毛がパタパタ揺れる。空気を震わす笑い声が重なって、場が華やいだ。
「セイウンスカイさんも大変そうですね」
「まあ全体的には楽しくやれてますよー」
「なら良かったです」
ふと、ウマ娘が何人かいるチームってのはどんなんだろうと考える。〈スピカ〉や〈リギル〉初め、学園のチームはウマ娘1人という方が珍しい。むしろ2人以上所属推奨という考えをしている人間の方が優勢とすら言えた。
ライバルとまでは行かなくても、張り合う相手がいるだけで物事は有意義なものになる。というのがそういう手合いの主張。
セイウンスカイとしては1人の方が気楽だから良いのだが、この目の前のウマ娘はどのように考えているのか。
「うちはトレーナーさんが随分特殊ですからねぇ。仕方ないところではあるんですけど」
「あー。なるほど……なら、〈アルゴル〉でよかった所はありますか?」
「良かったところ、ですかー。うーん」
そんなもの、際限なく数えられる。そう言ってセイウンスカイは指折り挙げていく。
トレーニングが辛すぎないところ。
トレーニング後のリカバリがしっかりしているところ。
なんのためのトレーニングが聞けばすぐに答えてくれる。
程よく寝れるところ。
ふかふかのベッド。
医務室は空調のおかげで過ごしやすい。
そしてセリカちゃんがとてもかわいい。
他にもあったがこれ以上挙げると止まらなくなりそうだったので切り上げておく。
「せりかちゃん?」
「あれ? 知らないんです?」
彼が連れているシェパードが盲導犬であり、唯一無二の相棒であるセリカだと教えると、ようやく理解したように手を打ち合わせる。パチン、と言う音が空気をしびれさせ、窓に反射する。
「そうなんですか……でもシェパードってちょっと怖いというか」
その外見から、今ではほとんどの盲導犬がレトリーバー系列になっているのであるが、海人はどういう訳か珍しいシェパードの盲導犬を使用している。その辺の歴史は省略しつつ、とりあえずアストロメイクの疑問にだけ答えた。
「まあ、気持ちはわかりますよ。私もちょっと怖いなーと思いましたし。でも、実際に触ってみると結構もふもふしてて可愛いですよ!」
「へー……触らせてくれるんですか?」
「仕事してなかったら……ハーネスつけてる時以外は結構大丈夫です」
「そうなんですか……」
生徒会が介助犬についてはお触れを出しているはずだが、アストロメイクが知らなかったという事は周知結果は芳しくなさそうだとため息をつく。
「今日は午後なら大丈夫だと思いますよー。だいたい18時くらいですかね?」
「じゃあ、今日行っちゃいましょうかね……」
「きっと喜ぶと思いますよ」
「だといいですね」
するりと視線を上げて天井を見るアストロメイク。少しばかりその口元がほころんでいるのを、セイウンスカイは見逃さなかった。セリカの可愛さを布教できるかと思うと少しばかり心が踊る。
「たまにセリカちゃんと走ったりもしますよ。結構ついてきてくれます」
「え、そうなんですか!?」
「楽しいですよ」
意外な食いつきに目を丸くしながらも、つらつらとやや誇張したセリカとの日々を話し続ける。口を開く彼女自身どうなんだろ? と思わないでもないが、ここに真偽がわかる人はいないし、これくらいなら許してくれるだろうと思う。
「いいなぁ。〈アルゴル〉に入ろうかな……」
「……トレーナーさんに随分苦労しますよ?」
「あ、そうかぁ……」
少し考え込むアストロメイク。視覚障害を持っている人といきなり付き合えと言われれば戸惑うのも無理はない、とセイウンスカイは頷く。彼女は色々聞いた上で「面白そうだ」という感想を抱いたから良かったものの、大抵の人間はそうでない。
「やめときますかね……」
「そうした方がいいです。割と頑固なんですよねトレーナーさん」
医務室に人が増えるのが嫌だなぁと思った胸のうちはグッと押さえ込み、それに付随してくる安堵の感情も押し留める。栃栗毛の先輩から視線を外して、内面を悟られないように。
「そういえば、アストロメイク先輩はなんでここに?」
「午前中終わったのでお昼まで休憩で」
「なるほど。じゃあ私と同じってわけですね」
さっきトレーニングが終わったらしい〈コルネフォロス〉ともう2時間前には切り上げた〈アルゴル〉を同等に考えるのは怒られてしまいそうであるが、意味するところは同じじゃないだろうか、と頷く。
「セイウンスカイさんも、朝走ってましたもんね」
「まあそうですねぇ……って見られてました?」
「8時くらいに、海岸に降りたんですけど。その道中で」
確かにそのくらいの時間はトレイルランであちこち走り回っていた。朝早いから誰にも見られていないと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
ルートを変えてもらう必要がある、と心の中に決めると、ハーフパンツのポケットが振動した。出してみると、海人から「話があるから来てくれ」というメッセージ。
「なんの話でしょ」
わかりましたーとだけ返事をしておいて、スマホを放り出す。何かあったのか? と聞いてくるアストロメイクに、トレーナーさんからの呼び出しですと答えて、セイウンスカイは立ち上がった。
「午後、楽しみにしてますね」
「私もセリカちゃんと遊べるのが楽しみです!」
それではーという言葉を残しながら、休憩スペースをあとにする。話しがある、と言われて胸がザワザワしている。
「……なんとなーく、だけどね」
1階へ降りた彼女は、その足で臨時医務室へ向かう。
生き物の気配ひとつない静まり返った廊下に、すっとんきょうな声が響き渡るのは、それから数分後の事だった。