トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない   作:Skyjack02

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Lap.38 さよならなんて言えない

 トウカイテイオーとスペシャルウィークから、自らの後輩に関する話を聞いたリョウは翌日の放課後になって、医務室の前に立っていた。輪をかけて静かな廊下に立っているのは1人。

 考え込みながらつま先で床を叩くと、リノリウムからの鈍い音が反響して消える。ラチがあかないのはよく分かっているがどう切り出すべきか、彼は髪の毛に指を突っ込んで掻き回した。

 

「いやいや。険悪になる予兆なんてあったか?」

 

 それなりにウマ娘を担当し、中堅くらいになったと自負しているリョウから見ても、〈アルゴル〉のふたりの関係は良好だった。新人トレーナーとなれば、高い理想に燃えてしまうとか、厳しいトレーニングを課させてしまうとか、あれこれ口を出しすぎてしまうとか。規模の大小はあるが、そんなトラブルは付き物だ。

 しかし、右堂海人という人間は担当のセイウンスカイとよく折り合い、話をつけてやっているように見えていた。彼の歳が上の方であることを鑑みても、浮かれることなく着実に信頼を得ているように見えた。

 

「どうしちまったんだ?」

 

 元々医者ということもあり、理論だてて、順序だてて何かを説明することが多い男の豹変に、リョウは目を白黒とさせている。夏合宿からも、〈アルゴル〉は変わらずのんびりとやっているように思えた。セイウンスカイも右堂海人も焦ることなくのんびりと構え、かといって油断しすぎている訳では無い。とにかく、良いコンビであったと言う記憶だけがある。

 

 ボタンのかけ違えというものは多少存在していたのだろうが、それも上手く擦り合わせてやっていけるコンビだと。

 ここで考えるだけでは仕方ないのはわかっているが、イマイチ足が前に出ない。手塩にかけたと言ってしまうのは傲慢でしかないが、親しい後輩。まさか彼が……という思いが胸の中に渦巻いていた。

 

 まあ、いくしかねぇか。とホワイトボードが在室になっていることを確認し、古びた扉に手をかける。意外と重い手応えに気が滅入りながらも、1人分の隙間を作って中に体を滑り込ませた。

 

 空調のおかげか廊下より少しばかり暖かい部屋の中を見回すと、案の定真ん中に目的の人影がある。白衣こそ着ていなかったが、上から下までスーツに包まれたサングラスの男というパッケージは、もう一人しかいない。

 

「よう」

 

 読み上げ機能を使っていた海人の肩を叩くと、手を止めてくるりと振り返った。相手を認識した後輩はふっと体の力を抜き、小さく微笑んでいた。

 

「ああ、先輩ですか……テイオーさんの事ですかね?」

 

 真っ当な疑問が振ってきて、リョウは面食らった。確かに、チームの話に先輩が首を突っ込んでくるとはあまり思わないだろう。基本的にチーム同士は不干渉が推奨される。よほどトレーナーがウマ娘に負担を強いているとかでなければ、他チームに口を出すのは嫌がられてしまう。

 

「いや違う。お前のチームの話だよ」

 

「〈アルゴル〉の?」

 

 サングラスの奥の眉が吊り上げられ、動きが止まる。不信とか不満とかそういう素振りは見えなかったが、彼は顎に手を当てて考え込んでいた。眉間に現れた感情は薄く、無感動にすら見えた。

 

「……ふむ。あのことでしょうかね」

 

 いやに冷静な海人の姿になんとなく落ち着かない。大喧嘩をしたのなら、物別れに終わったのならもう少し取り乱しても良いように思える。トレーナー業に対して並々ならぬ思いを持っていた海人ならば、もっと精神的に不安定になったり、不調が現れたりしても良さそうなものだ。

 だがこの落ち着き様はなんだろうか。多少経験を積んだリョウであっても、例えばメジロマックイーンと喧嘩別れしたのならば反省するし、どこがいけなかったか考える。一方ここにいる後輩は、何も気にしていないような素振り。

 

「あのことって……結構噂になってるんだぞ?」

 

「私も人気者なんですかね」

 

 のんきな答えに膝の力が抜けそうになる。豪胆になったと褒めるべきか、のんびり構えすぎと怒るべきか。自らの感情に折り合いをつけられないまま、リョウは話を進める。

 

「しかし。なんで急に喧嘩なんて」

 

「なんで、ですか……私は、サイレンススズカさんの走りを見て『逃げはやめよう』と言っただけです。別に間違ったことは言っておりません」

 

「お前な……」

 

 セイウンスカイの事には詳しくないリョウでさえも、彼女が逃げのウマ娘でありそれにこだわりを持っていることは何となく察していた。右堂海人は、セイウンスカイの事をもっと近くで見ていてそれに気づかぬ男では無いはずだ。

 それなのに、彼は医学的見地がどうだのこうだのと理屈を捏ねている。科学的なデータに基づいた正しい言葉であることは認めざるを得ない。がしかし、ウマ娘は感情を持つ生き物だ。こうだから諦めてねとだけ言われて、すぐに納得出来る娘が何人いるのだろうか。

 

「だってそうでしょう? 何故、負担の大きい走りをしなければならないのです? 何故、その上脳みそに負荷をかけなければいけないのです? 脳が食うエネルギーはバカになりませんからね」

 

 確かにウマ娘は負けず嫌いな性格の娘が多く、特に逃げを選択する娘は特にその傾向が強い。前へ前へと言う強迫にも似た感情のままに突き進み、選手生命を短くしてしまうという事も少なくない。それは事実だ。

 だが、物事には言い方というものがある。

 

「お前。まさかそんな言い方したのか?」

 

「ええ。諭してもわかってくれなかったので」

 

 全く申し訳なさというものを見せない海人の態度に、リョウは激しいめまいに襲われていた。これは本当に右堂海人なのか? 自分の知らないナニカと相対している気分になって、地平線が大きく歪む。

 

「本当に……」

 

「ええ。事実を言ったまでです」

 

 何が彼を豹変させたのかは知らなかったが、もう事態はリョウの手中を超えているように思えた。お手上げと言うように天を仰ぐが、視界にあるのはいくつかのシミが出来た天井の石膏ボードが有るだけ。解決策は見えず、もう手詰まりだ。

 

「正気なんだよな」

 

「これが私の本性ですよ。残念ですけども」

 

 仮面を被っていたようには見えないが、見込み違いだったらしい。どこから来たのか分からない落胆に肩を落としてから、無理くりにでも背筋を伸ばす。

 

「お前。このままじゃ契約解除されちまうぞ」

 

「見解の相違でそうなったのなら仕方ないでしょう」

 

 ああ、もう右堂海人は純粋ではなくなってしまったのかもしれない。沈黙した空気の中、西崎リョウはこめかみを揉んでから部屋を出ていった。

 

 

 トレセン学園の練習用トラック。多くの生徒でごった返すその中に、渦中のウマ娘の姿がある。ピコピコと揺れる耳と、パサパサと揺れる尻尾。もう既に走った後なのか額にはうっすら汗が浮かんでいる。

 

「やっほースペちゃん」

 

 いつものように熱気とやる気を眠気で撹拌したような何とも薄いやる気の視線が、スペシャルウィークを捉えていた。ザワザワと周囲が少しばかりざわめくものの、本人に全く意に介した様子はない。

 

「セイちゃん……」

 

 なんと声をかけるべきか視線をさまよわせる北海道生まれの彼女を見て、白群の有人は目を細めてニヤリ、と笑った。

 

「あー、もしかして……っていうか、スペちゃんは知ってるよね」

 

「うえっ!?」

 

 隠し通せればと思っていたスペシャルウィークだが、コンマゼロでボロが出てしまう。あー、と次の言葉を探す彼女にセイウンスカイは畳み掛ける。

 

「だって今日ずっとせわしないんだもん。わかり易すぎ」

 

「だ、だって……」

 

「もう。なかないでよ〜。悪いのはあのトレーナーさんだからさ」

 

 目を細め、嫌悪感を隠さずにものを言う友人に、スペシャルウィークは戸惑いを隠せない。〈アルゴル〉のふたりは仲が良かったでは無いかと。互いに遠慮なしの関係性だった記憶がある。

 

「仲直りとか……」

 

「んー? するかもしれないけどまだまだしないよ。謝ってもらわないと」

 

 私のこだわりを頭から否定するなんてふざけてるよね。吐き捨ててから、ポケットからメモ帳と大きめのボールペンを取りだした。

 

「気にしないでっていうのは難しいけど、まあこっちの問題だしね」

 

 ボールペンのノッカーで額をポリポリ掻きつつ、メモ帳に何事か書き付けていく。

 

「何してるの?」

 

「んー? ちょっとスペちゃんに併走お願いしたくてさ。それをメモしてるの」

 

「併走? いいけど……見ていい?」

 

 断ってから覗き込んでみると、そこにはびっしりと併走相手と距離その他のメニューが書き込まれており、セイウンスカイはいよいよ以て一人でやっていく決意を固めたようだった。

 

「ああ、トレーナーさんがやってたようなことも自分でやろうと思ってさ」

 

 見様見真似だけどねーと付け足して、ペンを走らせる。何ページか前に戻って何かを確認したり、前髪をかきあげて何かを考え込んだり。口の中で言葉を転がし、考えを整理したらしい芦毛がゆれてスペシャルウィークに向き直る。

 

「そういやスペちゃんはここで何してたの?」

 

「チームの他の人を待ってたの。トレーナーさんとか、マックイーンさんとか」

 

「なるほどぉ。そっちは順調そうでいいねぇ」

 

「あ、あはは……」

 

 苦笑いするしかない状況に、皆早く来てー! と心の中で両手を合わせる。今すぐにこの気まずい空気をみんなで払って、クリアにして欲しかった。

 じり、と1歩下がった足音を聞き逃さず、セイウンスカイは顔を上げる。

 

「あー、巻き込んでごめんね」

 

「じゃ、じゃあさ。走ろ?」

 

 若干の後ろめたさとともに提案したところ、おっけーと返ってきて彼女は胸を撫で下ろす。ポケットにメモ帳とボールペンを入れた友人が横に並んで立ってきて、右足を引いて腰を落とした。

 その鴨頭草の瞳には先程よりも多くの熱が宿っているように見える。

 

「どの位にする?」

 

「うーん。2400、かな」

 

「まあスペちゃんならそう言うよねー。おっけー」

 

 好きな距離を聞かれて、思わず目標とするレースを思い浮かべてしまう。別に悪いことではないのに、やや気恥ずかしい。

 

「ゴールは……あそこだね」

 

 首をめぐらせて指さされる先、今立っている位置から半周ほど走ったところに、おあつらえ向きに色の褪せた柱が見える。塗装が傷んでいるのか一つだけ浮いていて、隣にいる友人のトレーナーを思い起こさせた。

 

「うん。分かった。走り方は?」

 

「お互いに好きに、ってことで」

 

 ならば、とレースをシミュレーションした走りをしようとスペシャルウィークは心を決めた。厳密にタイムを計る訳では無いが、とりあえずの展開を頭にうかべる。一方のセイウンスカイも何かを決めたようで、腕に巻いたスポーツウォッチを操作している。

 何秒かして設定が終わったのか改めて引いた右足を紙面に噛ませようとサクサク芝をかく音をさせ、ようやく体勢が決まった。

 

「……あのー、申し訳ないんだけどさ。スタートの合図、やってくれない?」

 

 セイウンスカイが手近にいた生徒に声をかけると、そのウマ娘は快く引き受けてくれた。「スタート!」と同時にサッと手が振られ、2人は走り出す。

 まず先に出たのは抜群のスタートを決めたセイウンスカイ。1歩2歩3歩と踏み込む度に背中は一回りずつ小さくなり、蹴りあげられた芝の欠片がひらひらと舞う。数歩で加速を完了させ、2400メートル先のゴールへトップスピードに乗った友人の姿に、スペシャルウィークも心が震える。

 

「やっぱりセイちゃん……はやい!」 

 

 しばらく併走はしていなかったが、外からただ見るよりも格段に速く思えた。やや前傾になった姿勢、歩幅より回転を意識して足運び。いつか来る本番での激突に向けて、スペシャルウィークの視線は前を走る芦毛に注がれていた。

 

 彼女もやや遅れて最高速へ。空気が塊となって抵抗を生み出す中、目を見開いて走るコースをトレースする。少しばかり足を早め、セイウンスカイの真後ろへ。これ以上上げるとゴールまでもたないという体力と、スリップに入って空気抵抗を減らしたいという頭の折り合いをつけ、適切な距離を保つ。

 

 しかし、ピッタリと後ろに着かれたことに気づいたセイウンスカイの耳が後ろへ向けられる。風きり音に載せて、微かな「ふ〜ん」という声が流れてきて、見られている感覚が襲ってくる。お互い様とはいえ、突き刺さる払われた注意は、スリップから外れるのに十分だった。

 底が見えない事に対する猜疑心のようなものがセイウンスカイに対する意識としてある。

 

 ストレートを超え、長く続くコーナーへ差しかかる。遠心力に振られる体を御して、足の片側にかかる重さと負荷を感じながら、体をぶらさないように。ライバルは未だに前を走っているが、焦ってはいけないと言い聞かせる。

 

 1200ほど走ってバックストレートに入っても、距離は変わらない。飛び出してくる娘はいないだろうがぶつからないように注意を払いながら、セイウンスカイの足音と走る姿を目に焼きつける。

 

「コーナー……うまい」

 

 セイウンスカイの走り方は、あまり体に力が入っていないように見受けられた。脱力し、必要な所だけにエネルギーを使う。それはコーナリングでも一緒で、無理に曲がろうとせず体を上手く傾けて弧を描いていた。きっとあのトレーナーのお陰なのだろうと見当をつけて、少しでも参考にならないかとしてみる。

 結局、今すぐに模倣するのは無理だとわかって、スペシャルウィークは改めて足に力を込めた。

 

 そしてホームストレートに戻ってきた時、視界の端になにか白いものを捉える。それは前を走るセイウンスカイも同じで、彼女は視線をあからさまに向けてそちらを見ていた。だがその間にも、2400mの走りは終盤に近づいている。

 じゃあ、もらうよ。そんな言葉が聞こえた気がして、セイウンスカイがぐんぐん伸びていく。あっという間に小さくなる背中に、スペシャルウィークも半ば慌てて進出を開始。だが、致命的な加速遅れはその分の距離となって返ってくる。

 

「……先に行かれたら、勝てないかも」

 

 どうしたらいいのかは分からないが、漫然とした不安。がむしゃらに足を動かしているうちに、少しずつ前との距離が縮まってきた。セイウンスカイが落としたのか自分が早いのか、よく分からないままに2人は錆びた柱を通過した。

 先に減速し、振り返った白群かかった芦毛が揺れる。

 

「いやー。スペちゃんすごいねぇ。追いつかれるかと思ったよ」

 

「……はぁ、そういうセイちゃんだって、追いつけなかった……」

 

「レース中によそ見しちゃダメだよ〜?」

 

 そういうセイちゃんだって、と言いかけて足が止まる。先程あった白い色彩の正体を見たからだ。

 

「ラチの向こう……」

 

「え? ああ。いるなー、とは思ってたけどさ」

 

 まさかずっと見てくるとはね。目を細め、足を止め、耳が後ろに倒される。近づこうとしない友人に対し、ラチの外で立っている右堂海人を指さして聞いた。

 

「いいの?」

 

「ああ、いいよ。どうせ謝ってくれるわけじゃなさそうだしね」

 

 諦観とか達観を含んだ声色に苦しくなる胸を開いて、空気を入れる。ここから連れ出さなければという思いのままに、スペシャルウィークはセイウンスカイを練習用トラックから引き剥がした。




ゴレム氏、評価を頂きましてありがとうございます。これからも頑張ります。

はてさて、感想評価お気に入りをして頂けると、作者としても励みになりますのでどうぞよしなに。
ではでは次回、お会いしましょう。
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