トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
セイウンスカイは、河川敷で大いに悩んでいた。
結局、自分で蒔いた餌。釣り上げるのは自分しかいないし、自分にしかできない。ただ、人には踏み込んでは行けない領域というものがある。そして、彼の領域に自分は自分で踏み込んだ。
「行きにくいなぁ……」
あなたは悪くない。海人はたしかにそう言った。しかし、気にするなと言われてはいそうですかと割り切れるほど図太い神経は、生憎彼女は持ち合わせていなかった。
昨日から、ずっと考えていた。こちらを外した視線。サングラスと、ハーネスのついた犬。まあ、そういうことだろう。もっと早く気づくべきだったのだ。許せないのはこの点だ。
そして、あの日。屋上で見下ろした人影は、きっと彼だった。この点についても、もっと早く気づくべきだったのだ。
「策士セイちゃんの名折れですよ。まったく」
これまでもずっと、観察し、偵察し、考察し、レースをしてきた。セイウンスカイは、これはすべての物事に当てはまると考えている。釣りだって、人間関係だって、レースだって駆け引きだ。それを読み違えるとボウズになり、喧嘩になり、敗北する。
この勝負はすでにセイウンスカイの負け。どうせ負けなら、傷が浅いほうがいい。打算的な考えであるのは自覚しているが……ならば、とカバンを掴むと、彼女は走り出した。
ウマ娘の脚力なら、本気を出さずともすぐ到着する……という読みどおりに、彼女は医務室の前に立っていた。
とはいえ、入りづらい。扉に耳を当てて確認すると、人の気配はバッチリしている。かすかにキーボードを打つ音も聞こえるので、仕事中だろう。
「右堂センセーは、とうぜんいるよね」
どうやって話を持っていこうか。まず真っ先に謝ったほうがいいだろう。下手に出ると言うのとは違うが、先手を打っておけば話しやすくなるだろう。
扉の前で、彼女はぐるぐる歩きながら考える。たまに通る生徒が怪訝な目で見てきたが、気づかない。そんな様子だから、目の前の扉が開いたことにも気付かなかった。
「あのー、どうしました。セイウンスカイさん」
「うえっ!?」
いきなりかけられた声に、尻尾が跳ね上がる。飛び退いて声の主を見ると、困ったような笑顔の海人がそこにいた。
「あ、そのー……お話に来ました」
目をそらしつつ言うが、彼は気にせずに迎え入れてくれた。
「まあ、入ってください」
頭をかきつつ医務室へ足を踏み入れる。明るい部屋には昨日と同じように海人がいて、ハーネスをつけた犬がいる。やっぱり、本人を前にすると気まずい。なんというか言葉を探していると、海人に先を越されてしまった。
「来てくださってありがとうございます」
「あの……ごめんなさい!」
言うならここしかない。被せるように謝ると、海人は驚いた顔となった。
「サングラスが大事なものだって知らないとはいえ! 私は、すっごい酷いことをセンセイにしたのです」
たから、ごめんなさいと頭を下げる。無言の時間がしばらく流れたあと、海人がやっと口をひらいた。
「まず、頭を上げてください。セイウンスカイさん。あなたは悪くない。自分について言わなかった私が悪いのですから」
「でも……」
そのままソファに誘導され、飲み物も置かれた。こんなもてなしを受けて良いのだろうかと不安になって見上げると、海人の手には黄色い缶コーヒーが握られている。
「まあ、ゆっくり話しましょう」
そう微笑まれても、ざらざらしたむしろに座らされている気分だ。怒っていないというのは分かる。なぜなら、友人に笑顔で物凄い怒気を放出するウマ娘がいるからだ。
静かな時間。ど、どうしましょ? と目を泳がせる。こういう時、なんと言えばよいだろうか。言葉を何度頭の中で反駁しても、良いものが見つからない。
「流石に難しいですかね……では、私から」
海人はセイウンスカイの目の前に座ると、サングラスを丁寧な手付きで外し、机にコトリと置いた。サングラスの下の素顔が明らかになる。
とはいえ、そんな驚愕するようは顔ではない。傷があるわけでもなく、目はこちらをまっすぐ見ていた。
「私の目はどうです?」
「え? どうと言われましても……別段、変わらない?」
そう答えると、彼は微笑む。別に、これも違和感はない。
「ええ、見た目はそうなんですよ。まあ、もう知っているかもしれませんが、私は視覚障害がありまして」
な、なるほど……としか答えようがない。大仰に驚くのも不謹慎だし、沈黙するのも望んでなさそうだ。
「あまり驚いてないみたいですね……」
「なんとなーく、予想は付きましたし?」
「おや。サプライズにはなりませんでしたか。とにかく、昔色々と言われたトラウマで、いきなり外されると驚いてしまうのです」
缶コーヒーを煽った海人に気を付けます、と言おうとしたが、「それはもういいですよ。やめましょう?」と手で制された。最初の謝罪だけで十分です。とも言っている。
「というわけで、お終いにしましょう。あなたは謝ってくれた。私はそれを受け入れた。それで十分でしょう?」
サングラスをかけてそうのたまう海人に、セイウンスカイは「えっ?」と大きな声を出してしまった。慌てて口を抑えたが時すでに遅し。怪訝そうに眉を下げる彼にむけ、なんとか言葉を絞り出した。
「いやいや、そういうのってもっと深刻な話になりません? あまり人に踏み込んでほしくないものでは!?」
「いや、別に。何を言っても事実は変わりませんし?」
「そういうもんなんですかねー……?」
投げやりというか。意外とあっさり自分のハンディキャップについて話し、あっさり終わった話にセイウンスカイは混乱していた。そして、終わったと言われると同時にどっと疲れが出てくる。もう気を抜いたかセイウンスカイ! とかいう心の声が聞こえるが、もう限界だった。
「あのー……右堂センセー。ちょっといいですかね?」
「何です?」
「その、お恥ずかしい話ですが、色々考えてたら眠く……なってしまいまして」
「考え込むと疲れますよね。いいですよ」
なんとあっさり許可が出てしまった。ちょっとセイウンスカイも引いている。少しくらいひきずっても良さそうだが、海人には全くそんな様子が見受けられなかった。
「なら、お言葉に甘えまして」
ちらりと海人を伺ってからベッドへ向かう。彼は蛇口で空き缶を洗っていた。本当に、全く気にしたようすはなく、仕切りのカーテンを開けた音が大きくなっても、振り返ることはなかった。
布団に潜り込んでも、それは変わらず。彼はこちらに背中を向け、仕事に戻っていた。
「いいんですかねぇ……」
とはいえ、人間もウマ娘も、眠気には勝てない。急襲した眠気に抵抗することなく、彼女は意識を手放した。
目を覚ましたセイウンスカイがスマホを見ると、時刻は19時を回っていた。都合、2時間ほど寝ていた計算になるか。みると、仕切りのカーテンは隙間なく閉じられていた。
「意外と、そういうのは気にしてくれるんですねぇ」
伸びをしつつ靴を履き、カーテンを開ける。その音に海人はきっちりと反応した。
「起きましたか、よく眠れました?」
「いやぁ、ぐっすりと寝てしまいました」
「それは良かった。あとジュースですが、飲んでませんよね? 冷蔵庫に入ってるので、お好きに持っていってください」
「じゃ、こちらもお言葉に甘えまして、っと」
なんでしょーね? この空気は、とセイウンスカイは思う。脳内会議は「これでいいのか!」と机を繰り返し叩いていたが……本人が気にしていないのに部外者が気を揉むなんてそれこそ体力の無駄だ。と無理矢理に納得する。
「私は……20時くらいに帰ります。門限に遅れないように、セイウンスカイさんも帰ってくださいね」
「セイちゃん、意外と時間にはしっかりしてるのです。気が向いたら、帰りますよ〜だ」
ソファに座り、野菜ジュースの缶を開ける。人参がデカデカとパッケージに書かれている、何故か目で追ってしまう魅力があるものだ。
「いただきまーす」
寝起きの体に、野菜ジュースが染み渡る。ぷはぁー! と口を拭うと、何やらお菓子が差し出されていた。
「何でしょう?これ」
「私からの差し入れです。おなかすいてるでしょうし?」
「ほほーう。セイちゃんの好感度あげる作戦ですか? ぶぶー! 残念ですが、そんなに簡単にあがりませんよーだ……それはそうと、いただきます」
「ええ、どうぞ」
エクシアパイと書かれた袋を破ると、チョコレートの良い香りがする。まさか、お菓子まで貰ってしまうとは。ありがたやありがたやと思いながら一口かじった。
チョコと生クリームの味わいを堪能していると、海人が箱ごと机の上に置いた。全部食べていいと言うことだろうか。流石のセイウンスカイも、これには抗えない。
「おやおや? 右堂センセーもウマ娘の心を転がすのがうまいですねー? さっき言ったこと、撤回しよっかなー」
「そんなことは。うまかったらチームに何人がいてくれるでしょうしね」
お、おやーとセイウンスカイは固まる。場を和ませる冗談のはずが、場が湿ってしまった。これは軍師セイウンスカイの不覚。なんとか穏便に着地する道を探してみる。
「私の聞き間違いでなければ、先程チームと言いました?」
「ええ。言いましたよ。チーム〈アルゴル〉といいます」
「もしかして、メンバーいないんです?」
さっきまでの反応でわかりきったことだが、あえて聞いてみる。
「先代のトレーナーが辞めるときに全員卒業して。それからは鳴かず飛ばずですね…」
「意外と……苦労人?」
まあ、私の目がコレなんで仕方ないですね、とあっけらかんに言う海人にまた面食らう。とはいえ、全く堪えていないというわけではなさそうだ。
「今年こそって思いますけど、駄目だったらこれ返しますかね」
「ありゃ、折角貰ったのに勿体ない」
白衣の襟につけられたトレーナー章を、彼は指で弾いた。あまり輝いていないそれは、何年もとりあえずつけられている、という風格だ。
「でも、トレーナーとして実績はまるでないですし……大きすぎるハンディキャップもある。誰しも、人生は棒に振りたくありませんから」
レースの世界は勝ちか負けか。その2つしかない。その中で、より良い条件でレースに挑もうとするのは仕方のないことですよ。彼の声は心なしか沈んで聞こえる。
「まあまあ、そう落ち込まず。どっかに物好きもいるかもしれませんし?」
「今年こそ、居たら良いですね」
「でも、有力なコにはもうすでにどんどん話がですね? 例えば……キングとか」
「キング……ああ、キングヘイローさんですか」
「私としては、あのキングと右堂センセーがどう知り合ったのかひじょーにきになりますが……」
トレーナー業はほぼ廃業状態でも、医者としてトレセン学園にいる以上、少なからず噂は聞こえてくる。今年の新2年生で、最も注目されているウマ娘だ。なんでも母親がかなりの有名人で、勝負服の業界では名前を聞かない日がないほどのやり手なのだという。
「あまり、私のスカウトに乗ってくれるとは思いませんね」
「その心は?」
「私に実績がない以上、それは分の悪い賭けにならざるを得ません。少し話した印象ですが……そんなものは望まないかと」
常に一流と言っているキングの事だ。トレーニングメニューや目標レース。トレーナー業に対する心構えなどでお眼鏡にかなえば受け入れてくれそうだが、海人の場合はその前に高いハードルがある。
走りを見るのに最も大切な目が不自由とあっては、その他に求められる基準はなお高くならざるを得ないだろう。
「なるほどねー。じゃ、気になってるウマ娘は?」
「少し調べた限りだと、エルコンドルパサーさんとか、グラスワンダーさんとかが目に付きました……でも、受け入れてくれるかなぁ」
「おやー。またまた自信のない答え」
「グラスワンダーさんも、エルコンドルパサーさんも、どちらも素晴らしいウマ娘であることは分かります。しかし、グラスワンダーさんは日本国籍を持っていないと言うのがレース選びの足を引っ張りますし、エルコンドルパサーさんは世界最強を目指しているとか。
これは重症だ。ウマ娘をスカウトするより先に、海人に自信をつけさせたほうが良いとセイウンスカイは思ったが、何年間もスカウトを断り続けられたら誰でも自信を喪失するだろう。そんな中モチベーションを保てるのは、化け物か真正のアホくらいだ。
「他には他には? 例えばですね……目の前にいる凡庸なウマ娘とか」
「セイウンスカイさんは……ちらほらとしか聞こえないですかね。私の網が狭いのかもしれませんが」
ほほう、とセイウンスカイは心の中で顎に手を当てる。注目されてないのは良い事だ。注目されていないウマ娘と、熱気の蚊帳の外のトレーナー。そんな二人が組んで結果を残したら、どんな景色が見えるだろうか……。自分でも意外なほど耳がウズウズするのが分かる。
「まあでも、選抜レースまではありますし。あまり期待せずにやろうかと思ってます」
「やる気のあるところみせないとー。誰もついてこないかもね?」
「普段からやる気のないように見せてるセイウンスカイさんには言われたくなかったですね」
にゃはは、一本取られましたな、と額を叩く。貰ったパイをまた一口かじり、ソファに深く身を埋める。尻尾はゆらゆらとリラックスしたように揺れていて、一つあくびをする。
しかし、門限が危ないことに気づいたセイウンスカイの悲鳴が医務室にこだまするのは、また少しあとの話であった。
スコーピオ杯ですが、賢さ甘えた結果負けました
ごめんなウンス……
では次回も、お楽しみに