トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない   作:Skyjack02

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レース場の描写などは現実の競馬から大きくかけ離れた独自のものですのでご容赦を…。


Lap.43 オールレッド・ライトアウト

 年明けすぐの中山レース場。セイウンスカイは出走位置になるゲートへ向けて歩みを進めながら、今日のレースについて再度思い出していた。

 心臓に手を当て、冷静であることを確認する。昂っているのは事実だが、焦っているとか緊張で硬くなっているということはなく。平常心に近いところで、彼女は歩いていた。

 

 今日のレースの情報を1から10までの振り返り。

 

 舞台は中山2000。当初は1600でデビューするという予定だったのだが、話し合いの結果2000に変更。彼はスタミナ面というよりレース本番という環境に飲み込まれないかという方をよく心配していた。

 

「大丈夫ですって〜」と安請け合いして出てきたが、周りを見回してみると確かに表情が硬い娘の方が多い。これは皆が緊張しすぎなのか。それとも自分がちゃらんぽらんだから特に何も感じていないのか……セイウンスカイには判別しかねたが、少なくとも気負わないのは良い事だとわかる。

 

「天気は……まあいいとは言えないかなー」

 

曇り。雲の切れ間から青い空は見えているが、視界のおおよそは白く覆われている。これが青い雲なら、諸手を挙げて歓迎するのだがこの空模様ではそうはいかない。幸いだったのは雨が降らなかったことくらいで、全体的に気分はあまり良くなかった。

 いよいよ、ゲートが大きくなってくる。くすんだ銀色の鉄骨で組まれた檻。セイウンスカイにはそう見えて、足色が鈍る。昔なら止まっていただろうとぼんやり思ってから、観客席へ視線を向ける。人人人。スタンドを埋めつくさんばかりの人がそこにいた。

 

 中山2000のスタート位置は、ホームストレートの立ち上がり。スタンドのすぐ近くである。本当に間近で、体を直接殴打されるようなレベルの歓声。あまり得意ではないが……少なくとも悪意ではなさそうなので良しとする。

 多分、この人波の中に海人はいない。きっと関係者席でタイミングモニターとにらめっこしているのではないだろうか。見やすい角度を求めて四苦八苦。手伝ってあげたいのはやまやま……と思いながら、靴の感覚を確かめる。

 

 結局、彼女が選んだのは日本の路面によくあったビレヂストン製。4社の中では最も多くのウマ娘が用いており、高品質、高耐久。そして、多くのウマ娘が使用していることによるデータ蓄積による性能の高さが売りである。

 そしてそれを装蹄師である影貴が靴に組み付け、今セイウンスカイはレースに挑んでいる。

 

「……やっぱりプロって凄いや」

 

 ガタツキひとつない蹄鉄。プロの手による1から10まで隙ない仕事に、セイウンスカイは関心の息を吐くばかりだった。

 そしていよいよ、1人分の鉄の檻が大きくなる。ゼッケンが、鉄格子をすり抜けた風に煽られて膨らむ。それは、これからの競技生活に期待する彼女の胸の内のよう。コースの外側のひとつに収まって、焦れる背中をなだめ透かしながらスタートを待った。口の中で繰り返し「スタートは外さない」そう呟いて目を閉じる。

 

 色んな策がハマったか、五番人気。ま、いい所じゃないだろうか。

 

 ファンファーレ。そして、静寂。

 ゲート内側のシグナルが赤く灯る。

 

 全てが光ってから、消えた。

 

 ガシャン。

 

 金属音とともにゲートが開かれる。セイウンスカイはそこからするりと抜け出すと、烈風の如く駆け出す。

 風は事前に決めていた「ちょうど良いところ」を見初めるとそこに収まって、凪いだレースのひとつとなった。

 

 

 

「見事な先行だったね」

 

「作戦通り。新聞にも『お手本のような先行策!鮮やかな勝利!』って書かれてますよ」

 

 スクラップしちゃおうかな、とガサガサ新聞を漁る音を聞きながら、海人はパソコンを改めて立ち上げた。上機嫌なセイウンスカイの鼻歌を聴き、そして切り出す。

 

「次のレースだけど。再来週ね。ジュニアカップ」

 

「はーい。次のレースは再来週……はい? なんて言いました?」

 

 全ての動きが止まる音。つまり無音。呼吸の音すら、骨が鳴る音すら立たず、医務室が静止する日だ。

 

「だから次のレースって」

 

「……えー」

 

 セイウンスカイは本当に信じられないものを見る目をして右堂海人という男が座る姿を見ている。昨日デビューして、ほぼ間髪入れずに次のレースに挑めという酷いことを言ってくる彼の思考回路を図ろうとしてみたが、よく分からない。レース間には概ね1ヶ月程度の期間を開けるのが推奨されている。

 

「あの、なんか考えがあるんですよね?」

 

「言ったらつまらないだろ?」

 

「もったいぶる人は嫌いです」

 

 セイウンスカイには薄々意図がわかっていた。つまり「レースのローテーションすら満足に組めない理念先行型」にでも見せようとしているのか。上手くいくかは分からないが、やってみなくちゃ分からないということなのだろう。

 

「きっと君の想像通りだ。私はローテーションを全く考えない愚か者。君はその被害者」

 

「いいんです? ただでさえ低いトレーナーさんの評価が墜落しますけど」

 

「さぁ。どうでもいい……君が成功すれば良いのさ」

 

 サングラスを怪しく光らせながらうそぶく姿はどこか現実味を欠いている。そこまで割り切れるものだろうかという疑問。多少なりとも功名心を持つことは普通だし、どんな人間でも自分を悪役としておくことには強い負担がかかるはずだ。

 

「なら、乗らせてもらいますけど」

「それで行こう」

 

「で、他には?」 

 

 それだけじゃないだろう。期待を込めて、耳を集中させる。

 

「いや。奇をてらうことはしない」

 

「なるほど。あとは真面目に?」

 

「まあ、『私もさすがに勉強して心を入れ替えた』からかな」

 

「ならそういうことにしておきましょう」

 

 改めてセイウンスカイは新聞に目を落とす。「チーム間の連携に不安は残るが素晴らしい走り」という一文が記事の中ほどに踊っていた。どこから情報を手に入れたのか、この乙名史という記者の能力にそら恐ろしさを覚える。

 

 だが、こうやって新聞に載るのは非常に良い事だと海人は言った。一次ソースとして新聞はじめメディアはよく利用される。インターネット全盛の時代とはいえ、未だに新聞やテレビの持つ影響は大きい。こういうメディアで取り上げられることは大きな意味を持つ。

 

「新聞に載ってるなら信じるチームもいる。と」

 

「事実はどうあれね」

 

 メディアにまでそういう話を取り上げられ、海人は非常に愉快そうに笑っていた。とても悪そうな笑顔が、覆い隠されていない口元に浮かんでいる。呆れたセイウンスカイだったが、こうやって記事を読んでいると同じ表情を浮かべている自分に気づく。頬をぺたぺた触りながら、口元をなぞりながら、やっぱり同じ角度だった。

 

「楽しいよね。こういうの」

 

 自分で蒔いた餌をつまみ食いした色んな人が、食べこぼしを新聞記者に漏らしている。それが集まって、こういう形になった。

 

「思った通りに周りが動いてくれるのは楽しいだろう?」

 

「やめられないですね」

 

 盤外戦術はセイウンスカイの専門外だが、こうやって思い通りに周囲が動くことの心地良さはレースと同じだった。ただ、積極的にやろうとは思わない。仕込みが大変すぎるし、確実に効果があるとは限らないのだ。

 

「そういう方面はトレーナーさんに任せます」

 

「いいだろう」

 

「で、ひとつ突っ込みたいことがあるんですけど」

 

「なんだ?」

 

「新聞にはもう『次はジュニアカップ挑戦』って書いてあるんですけど」 

 

 これは? という疑問。新聞をパサパサ叩く音もする。

「ああ、ごめんね」

 

 外堀を埋めて退路を絶とうとしてきた、とセイウンスカイが感じたトレーナーの動き。少しばかり彼女は問いつめてみたが、のらりくらりと海人はにこやかにかわすだけだった。

 

「まあ、出るって言っちゃいましたし。出ますけど」

 

「君なら勝てるさ」

 

「ならいいんですけどね」

 

 新聞を置いて、ジュニアカップを検索してみる。距離は中山2000。デビューと同じで、コースも同じ。

 

「皐月賞と同じですか。ふむ、別でも良かったのでは?」

 

 経験という面では色んなコースを走った方が良いというのもうなずける。もちろん、皐月賞のコースに慣れるのも大事だと言うのも、セイウンスカイには理解出来た。

 

「まあ、それも考えたけど……レースに勝つには何が必要だろう?」

 

「前も聞かれたような気がしますけど……多分ありきたりな答えじゃないですよね」

 

「察しがいいね」

 

 唸る声。セイウンスカイの脳裏には「スタミナ」だとか「スピード」だとかそういう考えこそあるが、トレーナーの求めるものは全くピンと来ていない。

 

「うーん。あとは、コース取りとか?」

 

「お、いいね。なら、それをやるためには何が必要?」

 

「何が、必要……」

 

 自分をレース場に置く。走っている。効率の良い走路を生み出すために必要なこと。濡れているか乾いているか、荒れているか整っているかという路面の情報がひとつ。疲れているかいないか、このコースを、路面を得意としているかいないかなどという相手の情報。天気や風速風向などもコース取りを決定する要素になる。

 

「あとひとつ。コース自体の情報」

 

「あ、忘れてました」

 

 おいで、と手招きされたセイウンスカイは患者用の椅子を引っ張り出して座る。パソコンの画面には中山レース場の特徴的な3つ重なったオーバルコースが表示されていた。

 興味を持たない人間からすれば同じようなものでしょ? となってしまうレース場。確かに、ホームストレートとバックストレートがあり、それを曲線で繋いだオーバルコースというのがおおよそのレース場に共通する特徴だが、その内訳は全く違う。平坦なコース、坂の長いコース、ストレートの長いコース短いコース。その特徴をとらえてそれに合わせた走りをすれば、勝利を少し近づけられる。

 

「ふむふむ。それはそうですね」

 

「コースで見るべきポイントは他にもある……例えば、バンプ」

 

「バンドか何かですか?」

 

「違うよ。地面のコブ上に膨らんだ場所のことさ」

 

 レース場の地面は完全に平坦ではない。もちろん、平坦になるように整地されるのだが、どうしてもうねりや膨らみができるところがある。

 そういう所は走りづらいし、対策もなしに突っ込めば大きなロスを産むことになる。

 

「だから、それを避け、相手に押し付ける」

 

「自分は有利なところを走ると」

 

「そうなるね……そして、バンクも理解しておいた方がいい」

 

「バンク?」

 

 もちろん銀行の事ではなく、コーナー部に付けられた傾斜のことだ。大抵のコースのコーナーは外側が高く、内側が低くなっている。その傾斜がバンクであり、それがあることによってその体にかかる遠心力を相殺し、ウマ娘はより高速でコーナーを駆け抜けることが出来るのだ。つけられる角度はほんのわずかだが、ありなしでは速度に大きな違いが出る。

 

「特に、ホームストレートやバックストレートへの立ち上がりは、バンクを上手く使って速度を乗せないと厳しいことになる」

 

 2人のウマ娘が並んで走っていたとして、ストレートでの初速が僅かに違えば、その差を取り戻すことは脚力に余程の差が無ければ難しい。だからこそ、バンクの使い方が重要になるのだ。

 

「しかし、トレーナーさんよく知ってますね」

 

 学園で行われた授業ではバンクのことについてはそこまで詳しくやっていないし、詳しく語れる人間かどれほどいるのか、という話になるのではないか? セイウンスカイはそんな疑問をぶつけてみた。

 

「いやいや。トレーナーなら普通だと思うよ。ウマ娘の側が理解して、本番にいかせるかどうかは別としてね」

 

「なるほど」

 

 走っている最中のウマ娘というのは、極度の興奮状態に陥りやすい。勝ちたい。勝たせない。いや、我こそが勝つ!という考えでいっぱいになりやすいのだ。それを捩じ伏せ、ペースを保ち、冷静に走るためにトレーニングをする。

 しかし、個人には差がある。

 

「トレーナーの仕事は教えることだけど、君たちが発揮出来なきゃ意味が無いからね」

 

 時には教えることを切り捨てることも重要だ。中途半端に覚えていて余計なリソースを使うことは悪夢でしかなく、そもそも教えないという選択肢をとることもある。

 

「つまり教えてくれるってことは?」

 

「君は冷静にレースを運ばなきゃいけないウマ娘だろう? なら情報は多い方がいい」

 

「期待されてるってことですなあ。いやはや」

 

「いやはや?」

 

「気合いが入るってもんですよ」

 

 海人は喉の奥から笑い声を漏らし、いい事だと愉快そうに体を揺らす。

 

「なら教えた甲斐があるってものだ……昔取った杵柄でしかないけどもね。ただ、一般論は変わらないさ」

 

「そう言えばやり残したことで色々言ってましたね。車ですか?」

 

「まあね。好きだった」

 

 思い切って聞いてみたところで過去形の言い方に胸が締め付けられる。セイウンスカイは記憶を引っ張り出してみたが、やはり車に関する記憶は見つけられなかった。両手にサングラス越しの視線を落とし、その手は開いて閉じてを繰り返している。

 

「もう、関係の無い話だよ」

 

 蛍光灯が一瞬明滅し、全ての動きを止めた彼の表情に影を落とす。もう戻らない過去にどんな感情を抱いているのか。見ているセイウンスカイにはよく分からなかった。

 何があったのか聞くべきかとも迷ったが、今の彼は全てを拒絶するオーラを纏っていた。黒く落ちたサングラスの向こうには、ついさっきの愉快な色は欠片も見えない。

 

「まあなんだ。少し無茶を言ったけど。私みたいにならせる気はさらさらないから」

 

「そう、ですか。ありがとうございます」

 

 取り繕おうとしたのかそうでは無いのか判別できないが、素直に喜べない。余人にはとても立ち入れない井戸の奥底を覗き込んだ気分になって、彼女は身震いする。

 

「何はともあれ。あと3ヶ月。やれるだけやらないと」

 

 自分の頬を叩いて伸びをする。パソコンと向き合いだした彼の空気は一瞬で入れ替わり、影は埋もれて見えなくなった。

 

「なら、私もやってきます」

 

「うん。行ってらっしゃい」

 

 口の端には柔らかな笑顔が浮かんでいる。180度違う表情。右堂海人という人間の、未だに掴めない底知れない感覚。セイウンスカイには手をヒラヒラと振る彼の姿はどこか、地面からも浮いて見えていた。

 

 右堂海人は確かに、今この瞬間を生きていれているのだろうか? こびりつく疑問が、セイウンスカイの脳裏からどうやっても離れてくれず、彼女は1人ため息をつくのだった。




試しに投稿時間を変更してみました。


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