トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない   作:Skyjack02

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Lap.44 フィジカルストラテジー

「今回も。見事な勝利だね」

 

「ギリギリまで下げましたけど。何とかなって良かったです」

 

 セイウンスカイは2戦目を終えて見事勝利を持ち帰ってから、暖房のよく効いた医務室で温まりながら新聞を読んでいる。視線の先には小さいながらも囲まれた記事があり、『セイウンスカイ2勝目』の文字がよく踊っていた。

 

「君のコメントも良かったね。『無茶ぶりでしたが。何とかなって良かったです』」

 

「いやー。もっと酷いこと言おうとしたんですが」

 

「それで構わなかったのに」

 

「私にも良心ってもんはあるんです」

 

 ふうん。という返事で最大限の気遣いを意にも介されなかったセイウンスカイはずるりとソファからずり落ちかける。とはいえここで感謝されるのもなんか違うので、彼女はとりあえず黙った。

 トレーナーは1人で顔をかたむけてパソコンをずっと眺めている。何を見ているのか彼女が座る場所からは全く分からないが、少なくとも真剣そのものだ。

 

「はてさて。何か掴めた?」

 

「うーん。まあ、何かと言われると」

 

 走った2回を思い出す。スタートからすぐ坂に差し掛かるホームストレート、そしてコースでいちばん高いところにある1コーナーと下り坂の2コーナー。ほぼ平坦なバックストレート。そして3.4コーナーを抜けての再度のホームストレート。特に、その手前。

 足裏の感触と走っている最中の体にかかるGを思い出し、勝負に使えそうなポイントを何個か思い出す。

 

「ポイントは、掴めましたかね」

 

「そうか。なら良かった」

 

 詳しい追求をせず、海人は椅子に身を預けた。

 

「聞かないんですか?」

 

「いや。それは君だけが知っていれば良い事だ」

 

「ならしまっておきますね」

 

 頷く姿。突き放しているように見えるが、レース場で実際に戦うのは君だから、という姿勢なのはセイウンスカイにも理解出来た。

 

「話して誰かに聞かれるリスクを背負う必要は無い」

 

「気にしすぎなような気もしますけど」

 

「用心は大事だよ。隠しておけるなら隠しておきたい」

 

「ならそうさせてもらいます」

 

 返事を聞いて、満足するように頷く海人。そして再び、パソコンを眺めに戻る。何かを見てはキーボードを叩き、顎に手を当てて何かを考え、そしてまたキーボードを叩く。

 

「トレーニングはどうだ」

 

「13秒ですか? ようやく慣れてきました」

 

「いい事だ。君は確実に早くなっているし、スタミナもついている」

 

「まあ、セイちゃん将来有望な成長株なので」

 

 いい事だ。などとカラッとした返事をよこしながらも、白衣の男はずっとパソコンと向き合っている。セイウンスカイは新聞を眺めながら、次のレースのことを考えていた。

 予告されたのは弥生賞。これまでと同じく中山2000で争われる。しかし、これまでと違うのは重賞であるという点。皐月賞へ向けてのふるい落としが始まるのだ。実力がなければ勝てない。それは今までも学園生活においてもそうであったが、特にそれがいっそう強くなる。

 

 〈アルゴル〉がどこまでその魔境に食い込めるのか彼女はとても楽しみにしていた。先立つ実績のない全く無名なトレーナーと、それに振り回されて苦労している、実力に疑問符のつくウマ娘。うまい演出で評価を下げ、マークを外し、そして勝つ。

 もし、重賞を勝ったとして。皐月賞を勝ったとして。その先に勝ちを得たとして。右堂海人という人間は、どういう反応をしてくれるのだろう。大喜びという姿は想像がつかないし、小さなガッツポーズくらいだろうか。

 

「確かめるためにも勝たないとね」

 

 またひとつ勝つ理由が増えた。胸中にある好奇心を指先でつつき、うなるトレーナーをしばらく見る。その姿の中で、サングラスのレンズに隠れていない眉毛の角度が時間が経つにつれて急になっていくことを、セイウンスカイは見逃さなかった。

 

「何見てるんです?」

 

「これか? 少なくとも君の役に立つことだ。しばらく時間はいるけど」

 

「それもいいですけど、あまり無理するのは良くないですよ」

 

「大丈夫。休憩はしてる」

 

「……程々に、ですよ」

 

 頷きながらも、画面から目を離さない。見るという行為はとんでもない負担のはずだが、微動だにせずサングラスを向けている。とはいえやや眉間にシワが寄っていて、辛くなってきている様子が見て取れた。

 

「じゃあ、私トレーニング行ってきますね」

 

「分かった。気をつけて」

 

 いつものようにヒラヒラと手を振る男を部屋に残し、彼女は着替えてグラウンドに出た。まだ2月にもならない日差しは当然のように強くなく、ハーフパンツだけで出てきたことを少し後悔する心があった。

 準備体操が終わっても尚乾いた冷たい空気に襟を立て、何個かある芝のオーバルコースのうち、他のチームが専有していないコースを選んで中に入る。

 

 電光掲示板(デジフラッグ)に踊る『FREE』の文字。多くのウマ娘が行き交う中、走るコースを探してセイウンスカイはフラフラ歩く。今となってはどんなコースであろうともペースを保って走れる自信があるが、あまりに本番と離れたトレーニングをしても意味が無い。

 できることなら同期を探して混ぜてもらいたいところだが、流石のこの人の多さではかなり難しいと言わざるを得なかった。

 しかし、幸運は向こうからやってくる。

 

「あら。こんなところに立ち尽くしてどうしたの?」

 

「お、キング〜」

 

「何よそのにんまり顔は」

 

 僥倖。まさにその言葉がピッタリと会う状況に、芦毛のウマ娘の口角がご機嫌に上がる。

 

「いやいや。ちょうど併走したいなーって思っててさ」

 

「ならそう言えばいいじゃないの。そんな本数は出来ないけど、私も構わないわよ」

 

 キングヘイローの周りにはチームメイトらしき姿は無く、1人でトラックに来ているようだった。

 

「1人なの?」

 

「それはこちらのセリフよ」

 

「え? ああ、〈アルゴル〉? 今は大丈夫だよ。ありがとう」

 

 よく覚えているものだと感心しながら、とりあえずの現状を伝える。それを聞いて明らかに安堵した友人に対し、セイウンスカイはありがたいと思いながらも心配せずにはいられない。

 

「あまり気にかけるものが多いと大変じゃない?」

 

「違うわ。色々なことに気を配れてこその一流なのよ」

 

「なるほどねぇ」

 

 とはいえ、このキングヘイローというウマ娘はそこの所上手くやりそうだという安心感があるのも事実だった。

 

「じゃ、早速お願いしてもいい?」

 

「ええ。いいわよ」

 

 協議の結果、距離は2000とすることに決まった。今の段階でイメージするところと言えば弥生賞ひいては皐月賞であるからして妥当な距離。そこそこに荒れた路面を踏みしめて感覚を確かめてから、スタンディングスタートの姿勢をとった。

 

 2人して地面を蹴り上げ、走り出す。色のくすんだ冬の芝が時速60kmに近い速度で後ろに流れていく。この練習用トラックのオーバルは、本番の中山2000より幾分か小さいものだ。200m毎のハロン表示が3つ過ぎてまもなく、コースはかなり急なコーナーへと変貌を遂げる。いつも走りにくいとセイウンスカイは思っていたが、今日は違った。

 

 足裏に感じる僅かな傾き。神経を集中しても分かるかどうかというかすかなバンクが、今日の彼女には良く感じ取れていた。精神的な余裕、きついコーナーを上手く走れているという感慨のまま、内側をピッタリ横に並んで走る友人の足音に耳を傾ける。

 

 アウトサイドから被せるように並べているということは、ペースはこちらが良い。もしくは、きついコーナーでキングヘイローがペースダウンしているのか。力強い堂々とした足音は気楽さすら感じさせる余韻に満ちているが、はてさて表情はどうなのか。

 見ることも出来たが、本番で悠長に確かめている時間はないと考え直しセイウンスカイはコーナーの先、バックストレートへ目を向けていた。横にかかるGが収まり、視界に走る道が真っ直ぐと現れる。少し体を倒す。

 

 コーナーの終わりで、キングヘイローが前に出た。濃い色の髪の毛が揺れ、セイウンスカイの視界の中程で揺れる。しかし、どんどんと離れるかと思われた差は一転縮まっていき、次のコーナーでは横にほとんど並んでいた。位置関係は変わらず、コーナーへ侵入。

 またもキングヘイローと並び、サイドバイサイドでコーナーを駆け抜ける。セイウンスカイの方がペースが良いのか、はたまたキングヘイローが抑えているのか、ペースが良くないのか。

 

 はてさて、どれでしょうね。きっと注がれている視線に向かって挑戦的に笑ってみせてから、コーナーの終わり、ストレートへの立ち上がりに備えた。

 

 バンクで相殺されていた横Gがまだ残るなか直線にはいるため、体がぶれやすい何メートルを瞬く間に通り抜け、彼女は横に並ぶ友人よりも前に出た。

 

「ハッ!」と強く息を吐き、最後のスパートへ。今回のゴールはホームストレートの終わり際。長めのスパート距離だが、本番はこれの比では無いスパートが必要になる場合もある。1拍遅れて、キングヘイローもスパート体勢に入った。

 

 気迫が膨れ上がり、空いた空間がみるみるうちに小さくなって見えなくなる。後ろから迫ってくる息遣いと風切り音に焦る心はあったが、本番でもないのに無理をしてはいけない。

 自分のスピードを保つことに集中し、近づいてくるゴールラインに視線を注ぐ。キングヘイローとのサイドバイサイド。距離を詰めるのに体力を使ったか、最後の伸びは良くない。しかし、スピードは全く落ちないままセイウンスカイと並んでゴールのハロン表示を駆け抜けた。

 

 そのまま真っ直ぐ走っては外側に激突してしまうので、走行ラインを外しつつアウトに出て道を譲る。暴れる心臓の音を胸中に聴きながら、1月の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。肺にピリリと沁みる気温。

 

「いやー、おつかれキング」

 

「そうね。おつかれさま」

 

 額に張り付く白群の髪の毛を人差し指で剥がしながら、肩で息をする友人を出迎える。

 

「準備体操はしてたけどもうちょっと落として走ればよかった。トレーナーさんに怒られちゃう」

 

「あら、余裕そうね」

 

「そういうキングは辛そうだよ?」

 

「あなたに心配されることじゃないわ」

 

 キングヘイローも大きく何回か深呼吸をして、息を整えて背筋を伸ばす。あっという間にいつもの雰囲気を取り戻した友人に、尊敬の念が沸き上がる。やる気を眠気で撹拌しながらも人を常に冷徹に観察している瞳に宿る色を見た憲法染めの濃い茶色の髪が揺れた。

 

「あら、そんなに私のことを見てどうしたの?」

 

「ん? ああ、キングとのレースってどうなるかな、と思ってさ」

 

「何? 白旗をあげる覚悟でもできたのかしら?」

 

「白旗? あげるとしたら別の意味かなー」

 

 ちなみに、白旗自体に降伏の意味は無く、武力行使の意思なし、を表すだけ。そう付け加えると、キングヘイローはここ最近で一番の驚きを見せた。

 

「でも別の意味ってどういうこと?」

 

「ん? 知らない方が幸せなこともあると思うなー」

 

 さすがに、1人残らず蹂躙するというつもりは無く、彼女も勝ち続けられるとはあまり思っていなかった。しかし、そう簡単に本当の意味で白旗を掲げるわけも無い。〈アルゴル〉で最後まで足掻いて、足掻ききってダメだったらそれまでだが、希望があるなら二人三脚で走れる。

 

「まあでも、今度の弥生賞楽しみにしてるよ」

 

「まだ何を走るかってのは発表してないのだけれど」

 

「でも、皐月賞を目指すなら道はそんなに多くない。で、キングなら奇をてらったことはしないだろうな、って」

 

 じっと見つめる先の体躯は全くぶれず、視線も真っ直ぐにこちらを見返してくる。1分か2分か。それ以上の時間だったかもしれないが、緩やかに芝を揺らす冷えた流れが二人の間を駆け抜けた。

 それでも視線の交し合いは終わらず、先に折れたのはセイウンスカイだった。

 

「あくまで私の予想だし? 外れるかもしれないけど……キングは言っちゃえばわかりやすいもん」

 

 ただ分かっていても、それを正面から突破するウマ娘。それがキングヘイローだ。

 

「褒め言葉として受け取っておくわ。あとスカイさん。あまりペースを上下させるのは得策とは言えないと思うけれど」

 

「いやいや。セオリーはそうだけど、私も色々試したいんだよね」

 

「ふうん。なら、せいぜい頑張りなさい。安心したわ、適当な気持ちでレースに出られると思ってたから」

 

 そう言葉を残して、キングヘイローは歩いていく。

 

「ありがとキング」

 

 遠ざかる背中にお礼を投げてから、1人スマートウォッチに目を落とす。沈黙していた画面が息を吹き返し、先程のタイムの一覧を表示していた。

 

 13.11

 13.08

 12.99

 13.20

 

 よし、と小さく拳を作る。

 

「いやあトレーナーさん。また悪いこと考えるよね」

 

 聞いたことを思い出しながら1人頷く。はてさて。あとは1人でコツコツトレーニングでもしますかね。邪魔にならないような場所を改めて選び、セイウンスカイは走り出した。

 その脳内には、1秒ごとに進む秒針がハッキリと実態を伴って音を立てていた。

 

 

 セイウンスカイを見送ってからも、海人は1人パソコンを向き合っていた。モニターにはレース映像が流されていて、スペシャルウィークがハイライト表示されている。

 

「しかし、セリカを連れていかないなんて珍しいな」

 

 集中して走りたくなったのだろう。セリカはそこそこ人気者だ。連れていったら、囲まれて走れない可能性だってある。

 

「後で遊んでもらいなさい」

 

 拗ねているのかその返事はなく、首輪の鈴が小さく音を立てただけ。

 

「おやつでもあげるか……」

 

 彼女が帰ってきたらそうしようとキーボードを叩き、文字を入力していく。セイウンスカイが全力でトレーニングしているのだから彼女に対して、自分ができる精一杯をやろう。疲労を訴える目と腰と肩にむち打ち、彼は映像を観察していた。サングラス越しの冷徹な光が、レースを走るスペシャルウィークに対して突き刺さる。

 

「まあこれも医者の特権ってやつかな」

 

 さながら悪巧みをする悪役のように。医務室で男が1人笑みを漏らしていた。




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