トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない   作:Skyjack02

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Lap.49 皐月の空に光芒を見た I

 中山レース場のグランドスタンドは、世紀の対決を見ようとする観客でごった返している。

 コースを挟んだメインビジョンには、パドックでの様子が大きく映し出されていて、応援するウマ娘の様子を一目見ようとする視線が注がれていた。

 

 2番のゼッケンをつけた鹿毛のウマ娘がランウェイからバックエリアに戻ると、アナウンサーは次のウマ娘を読み上げる。会場の空気が張りつめ、次の名前を待つ。

 

《ゼッケン3番! team VILLAGESTONE <ALGOL>、セイウンスカイ!》

 

 ビジョンの中のウマ娘は、黄色と青2色のジャケットを羽織っていた。上半身はチームジャケットに覆われて見えないが、鷗緑(おうりょく)のショートパンツからスラリと伸びる脚はハリがあり、とても仕上がりがよく見える。

 俯き気味にランウェイの先まで歩くと、ジャケットを勢いよく脱いでその姿を晒した。ショートパンツと同じく、鷗緑の襟のセーラー服。裾と袖に大きめのフリルがあしらわれた勝負服だ。

 

《チーム間の不仲が噂されていましたが弥生賞から続けて参戦です。どんな走りを見せるのでしょう》

 

 アナウンサーの読み上げた内容に内心ほくそ笑むセイウンスカイだが、ランウェイの先でバッチリとポーズを決めていた。

 直接見ている観客からも、ビジョン越しに見ている観客からも、感嘆の息が盛れた。

 

「トレーナーとの不仲を見事に乗り越えたように見えるが、はてさてどこまで仕上げていけているのか。特に蹄鉄のセッティングにはトレーナー、ウマ娘、装蹄師との綿密なコミュニケーションが要求される」

 

「どうした急に……っていつもの事か」

 

 そんな中、スタンドの最前列にいた男性2人組みが話始める。どちらも観戦馴れした様子でビジョンを見ていたが、唐突にメガネをかけた男が解説を始めたのである。パーカーの男はいつもの事かとやれやれ顔で受け流すが、相方は真剣に語り続けていた。

 

「蹄鉄のセッティングは非常に重要だ。削る角度、重心を置く位置、接合方法……そのどれもが合ってなければ彼女たちは十全に走れない」

 

「確かにな……よく話せないと上手くいかなそうだ」

 

「ああ、だから彼女の人気は実力からすると相当下になっている……だが、それを乗り越えてくれば」

 

 その会話に割り込む黒髪の幼声。しかし2人……皆見と益生は気を悪くした素振りも見せず、その黒髪のウマ娘に笑いかけていた。

 

「セイウンスカイさんは負けないもん!」

 

「ああ、そうだな!」

 

「でも私は、スペシャルウィークさんの方が……」

 

「ダイヤちゃんはスペシャルウィークさんを応援してたもんね……私も負けないで応援するよ!」

 

「うん! お互いに応援頑張ろうね!」

 

 2人のウマ娘の名前はキタサンブラックとサトノダイヤモンドと言った。ちょっとしたきっかけから2人組と知り合い、レース場で顔を合わせれば近くでレースを見るくらいの仲である。

 

「忘れちゃいけないのはキングヘイローだ。弥生賞では惜敗を喫したが、今回はどうなるか」

 

「素質は素晴らしいものがありそうだしな……楽しみだな」

 

「俺もそう思う」

 

 保護者代わりに2人の面倒を見ている皆見と益生が頷き合う。ランナーズアピアランスは終わりを迎え、入場を待つだけ。

 

「最速か……」

 

 皐月賞で争われる『最速』の称号。この4人だけでなく、沸き立つ観客のココロはフツフツと、スタートへ向けて温度が高めていた。

 

 

 そんな沸き立つ観客席の足元。レースコースへ向かう地下道に、セイウンスカイたちの姿があった。

 

「私が来れるのはここまでかな」

 

「ん? もうそんな所? はやいなぁ」

 

 足元に引かれた白線で、海人が立ち止まる。これより先は競技者とオフィシャルしか立ち入れないという印のホワイトライン。セイウンスカイはくるりと振り返り、目の前に経つスーツ姿を見上げた。

 外から差し込んでくる光をサングラスが反射しているのでいつものように表情は窺えない。意思の疎通がしにくいのは大きなウィークポイントとして宣伝できないか、と悪巧みをし始めようとした頭を振り、その考えを追い出す彼女。

 

「さて。レース前最後となるわけですが」

 

「そうだね」

 

「なにかあります?」

 

「何か、ねえ……道を知れ、かな」

 

「トレーナーさんの資料のおかげでよく知れましたし。あとはどこまで実践できるか、ですね」

 

 口を酸っぱくする程は言われていないが、彼がまとめた資料には主なレース場の特徴がまとめられていた。ホームストレート、バックストレートの長さ、各コーナーのR、起伏、路面の特徴。良くまとめたな、と感心してしまうほどの情報が詰め込まれている。

 

「私が横で教えられればいんだけどね。道を」

 

「走ってくれるんですか?」

 

「私に走らせたらどうなるか分からない?」

 

「まあ良くない結果になることはわかります」

 

「だろう? ……あとは、君に任せる。楽しみにしてるよ」

 

 背筋を伸ばし、1段低くなった声。セイウンスカイも釣られて背をのばし、微笑む海人を見据える。

 

「分った。任されたましたよ〜」

 

 やる気と熱気を眠気で撹拌したような瞳はもうなく、競技者として入ったスイッチが彼女の心を燃やしていた。ただ自分のために。1着を目指す。

 ホワイトラインを超え、レースコースへ足を踏み入れる。未だ芝の感触はない。ゴムが張られた地下道が一直線にスタンドの下をパスして伸び、その開けた口からは歓声の1部が入り込んでいた。

 

 その空気の振動に逆らい、歩く背中が1つ。白とのカラーリング。何事か呟きながら、光へ向かってゆっくり歩くウマ娘。スペシャルウィークだ。

 キングヘイローの姿が見えないが、前にいるのか後ろにいるのか。少なくとも、彼女の目の届く範囲にはいなかった。

 

「いやぁ、始まっちゃったねぇ」

 

「ファンの人も多いし、これまでのレースと全然違う……」

 

 声はややこわばり気味だが、その頬は興奮に上気している。しかし、その表情自体はキラキラと輝き、これから行われる1戦に対しての期待が大きく閉めていた。

 

「でも三冠最初のレースだもん! 絶対に勝たないと!」

 

 手を握りしめながら語る姿は、セイウンスカイにとって非常に眩しかった。体の隅々まで気合が入っていて、とてもとても眩しい。

 

「おお、すごい気合い。これは負けちゃうかもなぁ〜」

 

「もう。そんなこと言って……セイちゃんすごい調子よさそうだもん」

 

「そう見える? ……そういえば、『日本一のウマ娘』って、お母さんから託された夢、なんだっけ?」

 

「うん! 2人のお母ちゃんからの夢なんだ!」

 

 やはり輝く同級生を眩しく思って目を細めながら、頭の後ろで手を組む。横にいても光で目が潰れてしまいそうで、直視できないほどの眩しさだからだ。

 

「ま、同じようなのは私もあるからね〜。託された夢、がさ」

 

「セイちゃんにも?」

 

「うん。じいちゃんがさぁ……クラシックシリーズで勝つところ楽しみにしてるんだよねぇ」

 

 後ろで組んでいた手を解き、顔の高さでやれやれと広げる。とはいえ、その様子は嫌がっていると言うより気恥しさを誤魔化しているように見えた。見る人が見れば、の話だが。

 

「そうなんだ! じゃあ私と一緒で、セイちゃんはおじいさんの為に頑張るんだね!」

 

 純粋な瞳。それを否定するのは悪いと思いながらも、セイウンスカイは胸の内をはき出す。少なくとも、スペシャルウィークとの間に認識の齟齬があることは分かった。どうやってそれを埋めようか考えつつ、つま先で地面を蹴った。

 

「うんにゃ。じいちゃんの期待は背負ってるけど、それは違うかな〜。私が走るのはあくまで私のためだしね」

 

「え? そうなの?」

 

 仲間を見つけた、という表情から一転して立ち止まるスペシャルウィーク。目をぱちぱちとまばたかせ、青天の霹靂どころか隕石が落ちてきたような様子だ。そのまま固まってしまい、歩くことを忘れた友人に畳み掛ける。

 

「じいちゃんが止めてもさ、トレーナーさんが止めても。私は走るよ……その辺の違いがわかんないなら、勝つのはきっと私」

 

 立てた人差し指で自分を指さし、自信満々な不敵な笑みを浮かべてみせる。だいぶ似合わない表情なのは承知の上で、精一杯唇を釣り上げた。そろそろなれない表情筋が痙攣してきたところで、表情を戻してにゃははと笑う。

 

「なんてねぇ。じゃじゃ、お先に〜」

 

 息を吐いて、少し熱を持った指先を伸ばす。少し揺さぶりをかけすぎただろうか? 切りそろえられた爪をみながら、まだ聞こえない足音の主を気持ちだけは振り返る。

 

 とはいえ、勝利へ向けての駆け引きは始まっている。不仲を演出したのもひとつ、さっきのスペシャルウィークに対する言葉もひとつだ。お互いに向ける心理情報戦。これはズルでもなんでもない。

 

 とはいえ、海人からは後で『ちょっと意地悪じゃない?』とか言われそうなやり取り。

 足元のゴムの感触が無くなり、芝をかきわける柔らかな感覚が足元に広がる。視界はどこまでも緑。歓声が空気を震わせ、一帯の熱を高める。

 

《URAスーパートゥインクルズ 皐月賞中山2000mレース。コメンタリーですが、解説は勝負服デザイナーの由良川純也さん、レポートは片橋士郎さん、実況は私塩田でお送りします》

 

 セイウンスカイの調子は良い。気力とやる気が珍しく漲っている。晴れた空に姿を晒している太陽からの光線が暖かく、血流を促進してくれる。

 

「ううむ。さてさて、どうしましょうかねぇ」

 

 耳を塞ぎたくなるレベルの大歓声に実況が混ざり、混沌が加速する。とはいえ、無秩序な歓声とは違って統率の取れたアナウンサーの声は聞いてて心地よい。

 どうやって仕掛けるか。セイウンスカイの脳裏はそればかりではなく、芝の感覚、気温、日差し。走ることに関わる情報を集めながらも冷静。地下を出てから最後のウォームアップとなる返しも行わず、ゆっくり歩いてゲートに向かう。

 

《さあ由良川さん。いよいよ今年のクラシックシリーズが始まります。どうみますか?》

 

《既に三強と呼ばれるウマ娘がいますので、彼女たちを中心に世代は回っていくと思います。しかし、『主役は私だ』ということは全員が思うところですからね……激しい戦いになりそうです》

 

 勝負服を作る時に散々お世話になった声が聞こえてきて、彼女は思わず実況席を見上げた。気の良いおじさん、という印象しか無かったものの、どうやらすごい人だったらしい。

 銀色の籠であるゲートは既に引き出されていて、周りではオフィシャルが忙しく立ち働いている。

 

《なんかこう、例年よりも熱気が激しいと言いますか、観客の方含めて大きく高揚しているような。そんな空気がここ実況席まで伝わってきます。さて、そんな中ですが、レポーターの片橋士郎さん! 出走者はいかがでしたか?》

 

 コメンタリーは、パドックでの様子に移行していた。

 

《はい。こちらパドックの片橋です。私も毎年見てますけどね、パドックがこんなに盛り上がっているのは経験がない、ですね。塩田さんが言っていた、例年以上の熱気というものを、ここでもよく感じます》

 

 パドックで出走者の様子を見ていたであろうレポーターの声を聞きながら、ゲートの後ろへ回り込む。ウマ娘を閉じこめる銀色の檻が口を開け、とんでもない威圧感を放っている……ようにセイウンスカイには見えた。

 

 もう何人かのウマ娘はゲートに収まり、スタートを待っている。狭いところがあまり好きでない彼女としてはもうこのままスタートさせて欲しかったが、そういう訳にも行かない。

 とりあえず、できる限り引き伸ばしてから入ろうと心に決めて、屈伸運動などストレッチをしてみる。足は軽かった。海人がしたマッサージがきいているようで、キラリと光るサングラスに感謝をしておく。

 

《士郎さんありがとうございました。激しいレースが見られそうで楽しみなところではありますが……ここでコースをご紹介しましょう。由良川さん。中山レース場はどんなコースでしょう?》

 

《ここはですね、非常にホームストレートもバックストレートも短いんですね。なのでコーナーに合わせたセッティングをしてくるウマ娘が非常に多いです。また、柵が移動してクリーンな路面が出来ていますから、そこの取り合いも勝負に直結するでしょう》

 

 その言葉通りに、柵の直後約3mとそれ以外では既に地面の色が違う。セイウンスカイが収まる3番ゲートはギリギリクリーンな路面の外側、と言ったところ。前を抑えられるのは避けたいが、それも展開次第だ。外側をどのように使わせるか。それが、勝負の鍵になりそうだ。

 

《そして中山最大のポイントはですね、ゴール前の坂ですね。2000だとスタート直後とゴール前に2回登る訳ですが、どう効率よく坂を駆け上がるか。それが、それぞれウマ娘の地力の違いがよく出るところになります》

 

 効率よく、という言葉を聞いて、弥生賞のスペシャルウィークの走りを思い出す。スリップストリームで加速し、そのまま駆け上がった。何度も見たが、あれは見事なものだった。とはいえ、彼女としては何個かの発見もある。

 そこで、後ろから足音が近づいてくる。彼女以外のウマ娘は皆ゲートに収まってしまっていて、さすがにこれ以上待てないと近づいてきたようだ。

 

 逃げるように檻の中に体を滑らせると、退路が無くなった。何回やっても慣れないし、慣れたいとも思わない。しかし、思索から現実に引き戻されてレースに臨めるというのは悪いものではなく、彼女の思考は冷やされて視界もよく広がっていた。

 

《はい。ありがとうございました。さあウマ娘がホームストレート上のゲートに収まりましたか? ……全員ゲートに収まりました》

 

 世界から音が引き絞られる。目を閉じて、最後の精神統一。

 

《クラシックシリーズを占う最初の1戦へ向けての緊張感が高まります。三強が強さを見せるか、いや私が主役だと名乗り出るか。波乱はあるのか。ドラマはあるのか》

 

 コースグリーンが知らされ、ファンファーレが鳴っているはず、と観客とオフィシャルの動きを見ながら思う。

 カチカチと秒針が時間を告げ、同時に赤いシグナルが灯る。

 

《さあ、これより始まるは120秒の真の最速決定戦! 限界を超え、その先にあるゴールを目指し、18人のウマ娘が走り抜けます!》

 

 赤色が増え、出走までのカウントダウンが始まる。弥生賞から約40日。残すはたった2000m。これまでトレーニングで走ってきた距離の数十分の1。それだけで、これからが決まると言っても過言ではない。

 

 赤いシグナルがいっぱいにつく。

 

 120秒先に真っ先に着くのは私。決意を握って坂を睨み。

 

《URAスーパートゥインクルズ、皐月賞中山2000mレース。ゲートが開いて今スタートしました!》

 

 そして道が開けた。邪魔するものは何も無い。

 セイウンスカイは弾かれたようにゲートを抜け、光芒降り注ぐ中を風になった。




茶狂い眼鏡氏、評価ありがとうございました!これからも頑張ります。

皐月賞は……2話くらい続きますかね?という感じです。

少しでも面白いと思われたら、この機会に是非、感想評価お気に入りをして頂けるととても嬉しいです。
では、次回おあいしましょう。

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