トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
金曜日。一週間終わりの日であるが、トレセン学園はにわかに活気づく。「中央」で行われるレースは土日祝に集中しており、各地のレース場で行われる競争に向け彼女たちは三々五々出発していくからだ。そしてレースに向けては、誰しも万全に仕上げたいもの。
「さてさて、次は、と」
金曜日は午前中で授業が終わり、午後は移動やトレーニングに使うための時間となる。13時からこのかた、海人はずっと土日の間にレースへ挑むウマ娘たちに整体を施していた。
「いやぁ、すごい盛況でしたねー。右堂センセ」
「ありがたい限りですよ。本当に」
15時を回り一息つく海人のもとへ、昨日に引き続きセイウンスカイが現れる。さすがにベッドは使えないと思ったのか、ソファに荷物を置くとその横に腰を下ろして足をぶらぶらさせ始める。
「もしかして、毎週こんな感じで?」
「そうですね。大抵は混んでますよ」
うへぇ……とセイウンスカイは椅子にもたれかかる海人を見て思った。その様子は明らかに疲れている。一体、午後になってから何人を相手にしたのだろうか。
「って、まだ合同トレーニングは終わってないのでは?」
「えー、それ聞いちゃいます?」
確かに、チーム未所属者向けの基礎トレーニングは終わってない。終わるのは16時半頃になる。
「そりゃあ私はどちらかといえば指導するガワですからね」
「え〜」
明らかにがっかりした声が聞こえて、海人は苦笑せざるをえない。別に、何をどうするとも言ってないし、チクるつもりも言いふらすつもりもない。
「別に何も言いませんよ。トレーニング以外にも大切なことはありますからね」
「わーい。なら、センセーも一緒にサボりません?」
「私はまだ仕事が残ってますので。気持ちだけ」
「たまにはゆるく行かないとー。疲れてばっかじゃ潰れちゃいますよ?」
「大丈夫ですよ。意外と休みの融通はきくので」
「いーなー。私も好きなときに休めたらなー」
心から羨ましそうな声。これは先生からのウケが悪いのも頷ける。まあ、自分は彼女の担任でもないし、ここは誰にも縛られなくていい医務室だ。トレセン学園の中ではあるが……彼の心象としては治外法権ありな土地。
「あ、そうだ。ジュース飲みます?」
「いただきまーす」
即答したセイウンスカイがペタリペタリと歩いてくる。冷えた野菜ジュースを渡すと早速開け、患者用の椅子に座って飲み始めた。そうやって過ごすセイウンスカイを見て、海人は思う。彼女が来てから、明らかに空気が緩んだ。
その証拠に、彼も眠くなってくる。あくびが伝染るのは聞いたことがあるが、眠気も伝染するのだろうか。
「しまったな……眠くなってきた」
「お? センセーもセイちゃんと一緒にお昼寝ですか?」
「いやいや……まだ寝るわけには」
いつ生徒が来るかわからない以上、備えたいですしね……と伸びをしながら言ってみる。しかしセイウンスカイは、更に彼を追い詰める。
「眠いまんまやっても、うまくいくわけがない! というわけでー、休みましょうよ」
一理どころか千里くらいあるが、まだ勤務時間中。今寝るのは良識ある社会人としては遠慮したいところだが、暖かな日差しとのんびりとした雰囲気。数時間ぶっ通しで肉体作業に従事した影響か、彼の意識は確実に眠気に包囲されていた。孤立無援の籠城戦を強いられている。
「眠いならねちゃいましょー?」
冷蔵庫に入っている缶コーヒーは眠気覚ましに向かないし、ガムもない。セイウンスカイは診療用の机に頭を起き、すでに寝る体勢だ。ふぁさ、ふぁさと一定のリズムで尻尾の毛が擦れる音を聞いていると、より一層眠気が強くなってくる。
「いや……寝るわけには……」
敗色濃厚というより、最早戦線崩壊。なんとなくだが、セイウンスカイはニヤニヤしやがらこちらを見ているのではないだろうか。
背もたれに本格的に体重を預けて深く息を吐くと、暖かさが本格的に全身を包んでくる。もう、駄目だな……と思いながら海人は意識を手放す。サボりは蜜の味。眠気に体を埋めながら、海人はそう思うしかなかった。
机で一眠りして伸びをしたセイウンスカイは、自分が今どこにいるかを把握するのに少し手間取った。机に突っ伏していたからか、首が痛い。くるくると首を回し、もう一つ伸びをする。
「あ〜、たしか右堂センセーが……」
いたいた。椅子に深くもたれかり、安らかな寝息を立てている。試しに肩を突いてみたが、全く反応はなかった。ありゃ、熟睡中ですねー。よっぽど疲れていたのでしょう。うんうん。セイちゃんに感謝してくれないかなー。と立ち上がると、足元にセリカがまとわりついてきた。
「おや? どうしました?残念だけど、おやつはないよー」
ハーネスをつけてないので撫でても構わないだろうとしゃがみ込む。犬種はジャーマン・シェパード。コワモテな犬ではあるがちゃんと愛嬌もあるし、なによりカッコいい。
「あれ? シェパードって警戒心が強いとかだったような気がするんですけどね?」
会って何日と経っていないのにもう撫でさせてくれるのか。ま、かわいいからいっか。わしわしと首周りを派手にかき回してやると、とても気持ちよさそうにしている。そういえば、実家にもシェパードがいたな、と思う。文字通りの牧羊犬だ。元気にしているだろうか。
「それにしても……いい毛並みなことで。よっぽど気をつけないとこうはならないよねぇ」
そう。セリカの毛並みは非常に気持ちいいのだ。シェパードにしてはやや長い毛はツヤとコシがちゃんとあるが柔らかく、指先からするりと抜けていく。いつまでも触っていられる魅力があった。
いくら気をつけて手入れしていても、自分の尻尾でもこうは行かない。最近の悩みは湿度が出てきてまとまりが悪くなってきたことだろうか。
「またオイル買いに行かないとなー」
個人的にはあまり気にしないのだが、バサバサだとキングヘイローがうるさいのだ。そんな独り言をつぶやきながら、セリカの毛並みをこねくり回す。
寝る医者と、その盲導犬を撫で回す、別に契約してるわけでもないウマ娘。これどういう状況? と思ったところで、セリカが急に振り向いた。
「おっと、おはようございます」
「ああ……おはようございます。セイウンスカイさん」
セリカは、主人の目覚めに反応したようだ。当の海人は大きく伸びをしてからサングラスを外し、目を擦っていた。
「一体どのくらい……」
「んー……2時間ってところ?」
寝てたのか、と聞く前に、彼女が答える。ということは、今は17時ほどか。予約された時間までは余裕がある。寝過ごさなくて良かったと思うべきだろう。
「座ったまま寝るんじゃなかった……」
腰が痛みを主張している。最近体の不調が増えてきた。寄る年波には勝てないな……とつぶやきながら立ち上がる。
「寄る年波って……右堂センセーっていくつなんです?」
「知りたいですか?」
「んー……そう改めて聞かれるとそうでもなく」
あっさり興味を失ったセイウンスカイにズッコケかけるが、もう彼女の性格はだんだんと分かって来ていた。ひょうひょうとやってくれるのは、こちらとしてもありがたい。
「そういえば、選抜レースまであと少しじゃないです?」
「そういうセイウンスカイさんは何故他人事なんです?」
「いやいや。凡庸なウマ娘のセイちゃんには関係ないイベントなのですよ」
「むしろ凡庸なら燃えて挑むべきでは?」
「もう〜センセーったら古いんだからぁ」
凡庸なウマ娘は埋もれて終わりだから、何回も走るのが面倒くさいという。選抜レースなしにチームに所属することもあるが、それにはよっぽどそのウマ娘に目を付けていたトレーナーか、そのトレーナーを狙っていたウマ娘のどちらかが必要になる。とはいえ海人はそんなことしないし、セイウンスカイもしないだろう。
「それより! 担当狙ってる右堂センセーこそアツくならないと。猛アタックに弱い娘はゼッタイいるからさー」
「くでんとしてるレースに挑む側に言われたくはないです」
「だってー。1日4回も走らされるんだよ!?」
「早くスカウトされれば走らなくてすみますよ」
「やだやだー。走りたくなーい」
足をバタつかせながらごねるセイウンスカイ。しかし、ここまで言うとなると彼女に目標はないのだろうか。誰もが激しい闘争心を持っているわけではないが、欠片ほども見えないというのは逆に清々しい。声色からも嘘をついているとか、無理をしているようには聞こえなかった。
「セイウンスカイさんの目標は何なんです?」
「私の目標? 毎日のんびり過ごすこと、かなー」
それならもう達成されてるのでは?と出かけた声をなんとか飲み込み、次の言葉を探す。大体のウマ娘が目指すクラシック三冠やティアラ三冠。宝塚や有馬など、具体的な名称くらいは聞けると思ったのだ。
「じゃあ、逆に右堂センセーはどうなんです? 何回もフラれてるのにスカウトを諦めないのは」
お返しとばかりに、セイウンスカイが聞いてくる。
「私の場合はもう意地ですかね。この学園に来てから『目が見えないくせに医者なのかよ』とか『視覚障害なのにトレーナーなんてな』ってよく言われてたので……見返してやりたくて」
別に完全に目が見えない訳じゃないですが、と付け足しておく。重要な部分だ。だが、質問したセイウンスカイはそれを聞き流して続けた。
「へー。右堂センセー、意外と根に持つタイプなんだね?」
言い方が酷すぎる気もするが、間違ってない。今の学園で、彼にそんなことを言う職員はもういないからだ。少なくとも、医者としては信頼を得ている。だが、折角トレーナーになれたのだ。
「ハンディキャップがあってもやれるってことを証明したいんですよ」
その言葉には、一層力がこもっていた。並々ならぬケツイが伺え、彼女は思わず海人の顔をまじまじと見てしまった。
「ほほう。ならばならば、そんなあなたにピッッッタリなウマ娘がいるのはご存知です?」
「そんなのいるんですか?」
「ええ。いますとも。ほら、ここに! ドドン!」
また余計な擬音がついているのが気になったが、それ以上に話が見えない。どういう風の吹き回しだ? 海人がポカンとしていると、セイウンスカイは話を続けた。
「いやいや。周りを見返したいセンセーと、あんまり注目されてないウマ娘。二人で何もかもひっくり返したら、痛快だと思いません?」
彼女の声に、いたずらっぽい雰囲気が混ざる。どんな表情をしているのかは見えない。しかし、彼女が本気なのは分かった。今まで見えていなかった「欲」が、彼女の気持ちが見えた瞬間。
「何もかもひっくり返す、か」
悪くない響きだ。海人も昔は、同じ気持ちでいたこと事を思い出す。初めて表彰台に登ったあの日のことを思えば、確かに痛快だった。アクロポリスで見た、彼の原点。
「良いですね。それ」
「おやおや? センセー、もしかして乗り気ですか?」
もしかしなくても乗り気だ。
「ホント? セイちゃんを驚かすドッキリだったりしません?」
なぜ疑われなければいけないのだろうか。本気も本気だが、一つ確認したいことがある、とだけ前置く。
「何でしょう?」
「私はトレーニングを十全に監督することができません。思った結果になるとは限りませんよ?」
走りのフォームすら見れませんから、と付け足したが、セイウンスカイは全く気にした様子はなかった。
「釣果より釣りそのものを愛せ! と言いますし? それにセンセーとなら、面白いことできそうだし! 問題なーし!」
今までの話のどこでそう思ったのかは謎だが、少なくとも自分の目は問題ではないようだ。
「なら、よろしくお願いします、でいいですかね?」
「うんうん。ってことで、これからよろしくね?『トレーナー』さん!」
"トレーナー"の部分を強調した言い方に、思わず頬が緩む。やっと、一歩踏み出せた気がした。
「申請関係は月曜までに用意しておきますよ」
「やたー! これで選抜レース走らなくて済む! いやぁ、ありがとねトレーナーさん」
「まさか、そっちが本命じゃ?」
「それもあるような〜? ないような〜?」
確実に少しは含まれている言い方だ。とはいえ、海人はそれに目くじらを立てる気は無かった。
「でも、面白くなりそう! って思ったのはホントですよ? それに、トレーナーさんにとっても、私との契約は悪い話じゃないはず!」
「それはまたどうして?」
「いえね。お医者さんとしても忙しいトレーナーさんのこと。どうしてもトレーニングに行けない! そんなこと、ありますよね?」
あるかないかと聞かれれば、あると答える他ない。
「でしょでしょう? でも『熱血指導!』とか『特別メニュー!』とか『居残り練習!』とかを求めないセイちゃんなら、トレーナーさんの負担も減る! そう思いません?」
「たしかに?」
うまい口車に乗せられているのは確実だが、医業に忙しくて指導が行えないというのをあまり咎められても困る。良いことなのだろう、と自分を納得させた。
「ならここから、ゆるっと頑張っていきましょー」
おー、という気の抜けた掛け声が重なる。傍から見たらやる気があるのか疑われる光景だが、海人はなぜか「これでいい」と思えた。
チーム〈アルゴル〉始動。そのことの方が、よっぽど彼にとっては嬉しかったのである。
感想を全員書き込めるように設定を変えました。感想等々お待ちしております
ラァスル・グールとはアルゴルの語源で、『屍食鬼の頭』という意味です
今はサジタリウス杯に向けて因子周回中です。なかなか来ないのでしばらく終われませんね…
では、次回もお楽しみに