トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
晴れ渡る4月の空の中、1番に飛び出してまずリードしたのはセイウンスカイだった。弥生賞に引き続き惚れ惚れするほどのスタートを決め、ホームストレートの坂を駆け昇る。
《セイウンスカイがこれまた良いスタート! その他は内側に入ろうと争いが起きています》
《やっぱり、グリーンベルトの中と外は大違いなんでしょうね》
外側から力強い足音が内側に寄せてきて、セイウンスカイの斜め後ろ程度に陣取る。息遣い、足音。キングヘイローだ。
────えーと、使用蹄鉄はジアンナだっけ。正式に契約を結んでたはずだよね。今回は……弥生賞よりも前に着け、私を逃がさないつもりかな?
流石のセイウンスカイと言えど、思考が完全に読める訳では無い。だが、ある程度の推測を立てることは出来る。……前回は追いつけたが、今回は
良い思考だと思うが、それはどうだろうか。
後ろに逃げウマ娘、2番のテクモテンカフブがぴったりと着いてきている。弥生賞の様にハナを譲ると思っているのかもしれない。確かに、譲る気はあった。しかしそれは今ではない。まだ、緩める訳には行かない。
脳内の秒針が12回鳴るより前、あっという間に最初の200メートルが過ぎ、ようやく坂を登り終える。さすがに先頭で坂を駆け上がるのは体力を消耗したが、問題のない範囲と言えるくらいだ。とはいえ、まだ登り。ホームストレートが終わるいっぱいまで、セイウンスカイは全力を維持した。
────そういやスペちゃんはどこ? 聞こえないなら後ろか……確か、使用蹄鉄はウェッジズだっけ。
ライバルについて考えながらも、あくまで冷静に。
《1コーナーでセイウンスカイがペースを弛めた……最初飛ばしすぎたのでしょうか》
《いや、作戦かもしれませんよ》
最初の急坂を登り、そこから更にコースでいちばん高い1コーナーエンドへ向けての曲がり。セイウンスカイは内側をキープしながら速度を落とした。タイミングが遅いが前戦と同じ動き。もちろん、内側を開ける愚は犯さない。
コースを保ち、全開よりも落とし目でコーナーを抜ける。もちろん、逃げと先行の僅かな速度差を利用する形だ。序盤中盤終盤において、ウマ娘たちには脚質によりスピードの違いが生じる。
その差を利用し、逃げだけを前に行かせる速度を、彼女は調節していた。脳内に響く秒針が彼女の時間を支配している。ほんの少しずつ、差が縮まる速度というものを、セイウンスカイは弾き出していた。
テクモテンカフブとしては、セイウンスカイをパスしたい。しかし、その速度差は僅か。彼女の足にはいささかの余裕があった。スリップストリームを使っているというのもあるし、クリーンな路面を走れているということもある。
このまま走っても良いかとテクモテンカフブは考える。しかし、後ろからは先行が近づいている。今蓋をしているセイウンスカイを抜かし、マージンを築かなければと自らの脚質をかんがみて決定。
バックストレートでオーバーテイクすれば良いと一旦は考えたが、テクモテンカフブの背筋は段々寒くなっていった。
《おっと、セイウンスカイペース上がらない? 上がりません……これはどうした事だ?》
《後ろに迫られてますね。これはどういう動きなんでしょう?》
もうダメだ。ここで抜かされければ、マージンを生み出せない。彼女は外側に出し、スピードをあげる。セイウンスカイは全く気にしていないのか一瞥すらせず、テクモテンカフブの視界から後ろに消えた。
《テクモテンカフブがオーバーテイク。あっさり抜かれましたね》
《前走を考えると定番とも言えますがはたして》
2番手に落ちたセイウンスカイの眼前で、テクモテンカフブはスピードを上げて差を開きつつあった。1コーナーは終わり、2コーナーの中ほどと言ったところ。
隊列は比較的長くなっている。キングヘイローは3番手争い辺りにいて、その抜きん出た足音はセイウンスカイにもよく聞こえていた。スペシャルウィークはかなり離れたところにいるらしく、彼女からは伺えない。
今セイウンスカイのペースとしては平均すれば1ハロンあたり12秒を切る程度で、レースはとても順調に流れている。心地よい陽気に鼻歌交じりに走りたくなるセイウンスカイの背後に、3番手争いが接近していた。キングヘイロー含めた4人ほどのウマ娘がまとまり、彼女を追い上げている。
逆に、セイウンスカイの前には2m程のギャップが出来ていた。テクモテンカフブがペースを上げ、セイウンスカイが後ろから見ればペースが良くないように見えること。
先頭のテクモテンカフブと同じように、ここで引っかかっては逃げ切られると3番手争いの集団は焦り始めていた。こうしているうちにもレースは進み、2コーナー終わりに差し掛かかる。
セイウンスカイという蓋越しに先頭を見ている3番手争いからすれば、テクモテンカフブは遥か先に行っているように見えている。するとどうなるか。
前に出たいと思い始める。追いつかなきゃと。逃げを奔放にさせてはいけないと。
後ろの足音がブレる。
───きっと、後ろは考えている。どうやって、私を抜かそうか。
もちろん、内側を開けてやることなどしなかった。その間にも先頭はジリジリと逃げ始め、『先行』勢は早く追いつきたいと速度を上げた。
グリーンベルトはセイウンスカイが占拠しているので、オーバーテイクするなら外に出すしかない。荒れた路面を走らざるを得ない。キングヘイローは急激に進路変更した前に驚かされながらも、セイウンスカイの背中を捉え続けた。
《焦れた3番手争いが仕掛けました! バックストレートに入って──オーバーテイク!》
《キングヘイローは控えていますね。外を嫌ったのでしょうかね》
《そしてキングヘイローの後ろ、9番手争いとは少し開いています》
セイウンスカイの横にウマ娘が並んで、そのまま前に出て内側へ。道を閉められる形となった彼女だが、背中について体力を温存することにした。中山のバックストレートは下り坂。下手に体力を使う訳にはいかない。
そういう意識は一応全員が共有しているものだった。足や体への負担を考えれば、下り坂でスピードに乗るのは得策ではない。
前から後ろまでやや長めの隊列となったウマ娘たちは、バックストレートにおいては大きな動きを見せていない。ように見える。
先頭から2mほど離れ、2番手争い。その背後に着いたセイウンスカイ。後ろの5番手争いに加わっているのはキングヘイロー。彼女はセイウンスカイの背中を見ながらレースを進めることを選択していた。前の弥生賞は最終コーナーからホームストレートにかけてスリーワイドとなり、スリップを上手く使ってスペシャルウィークが僅かな差で勝利を手にした。
ホームストレートで抜きんでるためにはペースを握らせてはいけない。そう考え、キングヘイローはセイウンスカイのことを見れる位置にいた。
なので、上がっていった2番手争いにはついて行かず、ライバルの出方を伺っている。堂々たる足音と存在はセイウンスカイも気づいていたが、取り立てて意識することは無いと判断していた。
逆に前走と大きく戦法を変えてきたのはスペシャルウィーク。最後尾の集団に着け、静かに出方を伺っている。後ろにいる方が前のゴチャゴチャに巻き込まれなくて済むという理由……だけではないが、少なくとも大きな理由はそれだった。
前。特に先頭はバックストレートに入ったばかりの段階でじわりじわりと2番手とのギャップを築いていたが、後方にいるウマ娘たちは焦っていなかった。それぞれに思っていることはあれど、勝つために各々が編み出した走り方がある。
前がどうなろうと、私が勝つ。しかしスペシャルウィークは少しばかり悩んでいることもあった。セイウンスカイと自分の違い。地下でかけられた言葉。それが僅かにレースの邪魔をする。
とはいえ、そればかりに気を取られてもいられないと頭を振ってレースへの意識を増やす。大丈夫。弥生賞も勝ったし、勝てる。そう強く念じて、スペシャルウィークはじわりじわりと前に出ながら、先頭を追い続けていた。
ウマ娘たちのいくつかに別れた集団のうち、先頭の3つに視点を戻すと、バックストレートの中程で変化が現れ始めていた。
《1000mの通過タイムは……59と言ったところです》
《結構……早いですね》
《そうですね。これは後方は苦労することになりそうです》
先頭と2番手争いとの差がだんだんと無くなっていた。じわりじわりとセイウンスカイの前が団子になりつつある。2mほどあったギャップが埋まり、テクモテンカフブはズルズルスピードを落としていた。
《おっと、詰まっているとは思いましたが急速にペースが上がらない! 前半飛ばしたのは良くなかった! これではノーチャンス!》
《今みるとですね、最初の600mのセクタータイムは12秒を割り込むハイペースなんですよね》
セイウンスカイは最初、速めながらも後続、特に逃げを選択するがついてこれるかこれないか、それくらいのタイムを維持して走っていた。着いてこれるなら良し、着いて来れなくてもまた良し。どちらに転んでも良いように準備はしていたのだ。
結果、テクモテンカフブは見事についてきた。なのでしばらく引っ張ってから蓋をした。落とす速度は最小限に。快調に良いペースで走っていると思っているウマ娘は、それを抜きにかかる。
するとどうなるか。オーバーペースが引き起こされ、体力が削られる。自分にピッタリのペースで走っているというのは幻想で、セイウンスカイと海人のリサーチの結果だった。
《あー、もう追いつかれましたね……しかし尋常でない落ち幅です》
2番手争いをしていたウマ娘は、これで安堵したかもしれなかった。先頭においつき、そしていよいよ抜かせる。このあとはギャップを広げていくだけ……。だが、そのスピードはなかなか上がらなかった。
スタートから1200を過ぎ、バックストレートエンドに差し掛かった先頭。歯を食いしばって腕を振り、なんとか蓋となりかけた先頭を追い抜こうとしている。
────着いてきたのが、まあおしまいだよね。
セイウンスカイは予めこのように走ると決め、見事にその通りに遂行して見せた。いうなれば、レースのイニシアチブをある程度握った状態。早めのペースを保ち、先頭を潰す。
予定通りに走れているということは、使うエネルギーも精神的な動揺も少ない。
だが、一方で。駆け引きをみながら、それに対処する側。つまり、イニシアチブを握れなかった側はどうか。常に考えながら走ることを強いられる。前の動きを見て、後ろの動きを見て改めて自分の動きを考える必要がある。
2番手争いをしていたウマ娘たちはそれに陥っていた。テクモテンカフブが1人で逃げ始めたのを見てセイウンスカイをパスした。だが彼女は先頭を譲ってからペースを緩めてなどいなく、またもオーバーペースを誘発することに成功していた。
勝ちたい、勝たせない。いや、私こそが勝つ! というのはウマ娘が誰しも持っている性質。先頭。1番。栄光。種族的に負けず嫌いな彼女たちを、セイウンスカイは1人違った視点で俯瞰していると言えた。
────というかさ。それを抑え込めって無茶言うよね!
新年度となってから渡されたあの秘密兵器に書かれていたことを思い出す。正直に言えば、セイウンスカイも前に行きたかった。先頭を気持ちよく走って勝てるならそれに越したことはない。だが、それは出来ないと、やっても勝てないとよく知っているのも、セイウンスカイというウマ娘だった。
3コーナーに先頭が差し掛かり、間髪入れずに彼女もコーナーに突入する。前の3人はもう全くペースが上がっておらず、コーナリングもぶれ始めている。
そろそろ潮時か、とセイウンスカイは脳内に響く秒針に導かれるように、速度を上げた。コーナー進入で空いた僅かな隙間に体をねじ込み、そのままオーバーテイクする。
《おっと! セイウンスカイが仕掛けました! 残りは700と言ったところ……これは抑えてましたね?》
《このペースなら間違いなく抑えていたと言えるでしょう》
キングヘイローはその身のこなしに着いて来れない。それは彼女の身軽さもあったが、足元もとても良かったからだ。シューズの調子も非常に良い。ビレヂストンの蹄鉄は、しっかりと縦にも横にもグリップを発揮していた。
蹄鉄は、GIに出られるクラスのウマ娘になると一人一人にエンジニアがつき、専用品を供給してもらえる。今回の蹄鉄もビレヂストンからセイウンスカイ専用に仕立てられたものであり、とてもよく路面にあっていたし、尚且つ彼女の走り方にフィットしていた。
どういう加工をしたとか工夫をしたとか。そういうことはよく覚えていないが事実として、良い蹄鉄がある。
中山の特徴ともいえる、500mほど続く長めのコーナーを駆け抜ける。体を内側にかたむけ、それでも強く重さがかかる左足に意識を集中させる。
良く蹄鉄が地面にグリップしていると言えど、それは無限ではない。限界を迎えればスリップしとても危険だ。バランスを崩すだけなら良いが、最悪クラッシュということにもなりかねない。
この綺麗な路面、そしてビレヂストンの組み合わせ。これほどなくマッチしているのは自分だけのはず、という心でもって、彼女は前に踏み込む。
《セイウンスカイ抜け出しました! うしろはどうか? 間に合うのか?》
見ててねじいちゃん。
聞いててねトレーナーさん。
誰もいない景色の中、セイウンスカイは更にスピードを上げてコーナーを回った。残すはおおよそ500m。秒針に支配された彼女にも聞こえてくるレベルの歓声の中、彼女は走る。
後ろから追い上げられているが、何処吹く風。焦った様子もない。その胸中を知っているのは、走っているウマ娘の中で本人だけだった。