トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
「おめでとう!」
そうやってかけられた声は向かいにいる、先代の皐月賞ウマ娘のものだった。弾む声と雰囲気は、薬臭い医務室にはとても似つかわしくないように思える。
「ありがとうございます。でも、スペちゃんの方にいた方がいいんじゃないですかね?」
チーム〈スピカ〉のトウカイテイオーが、医務室にいた。いるだけで周りの空気を陽性に転換するこのウマ娘は応接用ソファに腰かけ、机の上のお菓子をつまみながら答えた。
「昨日〈スピカ〉でお疲れ様会やったからいいのー。それよりもセンセー? スカイちゃんにおめでとうとか言ってあげた?」
「もちろん言いましたよ」
「ホントに?」
「ああ、でも。ちょっと足りないかもー?」
トウカイテイオーの言葉に乗っかり、椅子に深く腰かける海人へチラチラと視線を向ける。お腹の上で手を組み、足を前に投げ出している。昨日の今日でリラックスしているように見える精神は少し見習いたいところだ。
「何が望みだ?」
警戒されるような口調に、彼女はそんなに信用がないのかと悲しくなったりする。
「……お寿司……って気分でもないので。ううむ」
「無体なお願いはなしだぞ」
別に、彼が何もしなかったわけではない。走った直後にはなったが、祝勝会としてヒレンブランドでささやかなパーティが開かれていた。
「マスターも喜んでましたし。なんか恥ずかしかったです」
「ファン第3号を自称してたな。うん」
いつも寡黙で落ち着いたマスターからは考えられないくらいの饒舌ぶりを思い出してセイウンスカイは気恥ずかしくなる。自分の走りは、そんなに人を熱くするようなものだろうかと聞かれればあまり自信が無いからだ。
「でもねでもねー。これからすーっごく忙しくなるよ? スカイちゃんさ」
「さすが経験者は言葉の重みが大違いですね」
トウカイテイオーは真剣に身を乗り出し、机に手を着いてセイウンスカイを正面から見つめてきた。容姿端麗揃いのウマ娘の中でも一際人を惹きつける先輩の顔が間近にあって、彼女は僅かにお尻をずらす。長いまつ毛とぱっちり開いた目、息に合わせて左右に揺れる白い流星。
こんな私が一瞬たりとも独り占めして良いような景色じゃないよね? 膝の上の指先を弄びながら、セイウンスカイは続く言葉を探した。
「具体的には何がありました?」
「インタビューとか、写真撮影とか……あ、トークショーもあったよ。懐かしいなぁ」
1年ほど前を遠いもののことのように言うトウカイテイオー。セイウンスカイは何も言えず、手を握った。
「あ、トークショーはゴールデンウィークにもう入ってるぞ」
「え! そうなんですか!?」
聞いてないよ! という悲鳴が聞こえそうな勢いでセイウンスカイが立ち上がる。落ち着けと言われて一旦座ったが、彼女は全く落ち着いていられなかった。
「ど、どこでやるんです?」
「東京レース場で開かれる|ゴールデンウィークレーシングフェスティバル《GWRF》だな」
「あと2週間くらいじゃないですか!」
勝った以上仕方ないとはいえ、そんな急に入るもの!?という驚愕が、座る音からもよく聞き取れる。
「いや、ファン感謝祭の事だぞ」
「え?そうなんですか?」
「そう。東京レース場でやるのがGWRF、学園でやるのがファン感謝祭」
名前が違ったということは今の今まで知らなかった。衝撃の事実にパクパクと口を開け閉めすることしか出来ない。
「話す内容はねー。事前に紙が来るからだいじょーぶ! 良かったら、ボクが手伝おうか?」
とてもありがたい申し出だが、チームが違うのに大っぴらに頼るわけにもいかないと躊躇する。セイウンスカイとしてはそもそも〈スピカ〉にいるスペシャルウィークを優先するべきだと思うのだ。
「やっぱり〈スピカ〉にいた方がいいですって」
「えー? ゴルシもいるしマックイーンもいるしだいじょーぶだって」
「それに、トレーナーから伝言があるんだ」
「聞きましょう」
「〈スピカ〉にメンバー増えたから、相談したいって」
新メンバーと聞いて、彼は顎に手を当てて中空にサングラスをさ迷わせた。そして何かを思いついたようで、ポツリと呟いた。
「あー、もしかしてサイレンススズカさん?」
「そーそー」
「〈リギル〉から移籍したのですか」
去年の夏に相談を受けたことを思い出す。トウカイテイオーから詳しく話を聞いてみると、今年の1月から移籍の話が進んでいたらしい。その後、2月に行われたバレンタインステークスに『逃げ』で挑んだ彼女は見事に勝利。その結果を以て、〈リギル〉はサイレンススズカを移籍させたらしかった。
「〈スピカ〉の方がセンセーとやりとりしやすいだろう、って……言ってたような?」
「東条先輩らしい判断ですよ」
海人の脳裏には何が浮かんでいるのか。セイウンスカイにもトウカイテイオーにも予想はできなかったが、彼がうなずけるものではあったらしかった。
「先輩には『いつでもどうぞ』とお伝えください」
「はーい」
返事を聞き届けた海人はパソコンに向かって何かを書き付け始めた。カタカタとリズミカルなキーボードの音をバックに、セイウンスカイは先輩へと尋ねる。
「去年って結構忙しかったですか?」
「んー、ボクはそうでもなかったかなぁ?」
「本当です?」
と言いながらも、去年を思い出す。4月の時点では〈スピカ〉と大きな繋がりがあるわけではなかったが、『トウカイテイオー』の文字はダービーまでの間ほぼ毎日テレビやら雑誌やら新聞やらに踊っていた記憶がある。
「でもスカイちゃんなら大丈夫!」
「うーん。テイオー先輩にそう言われるとなんとかなる気がしてきました」
笑い合う2人。とはいえ少しは不安があって、セイウンスカイは去年のことをテイオーに聞いておく。デビューからそこそこ注目されていたとはいえ、皐月賞後に一気に増えた取材やスポンサーの申し出。チーム〈スピカ〉のチームジャケットは誰も彼もスポンサーロゴで埋め尽くされているが、トウカイテイオーは一際数が多い。
蹄鉄メーカー、シューズメーカーや化粧品メーカーなど。皐月賞、ダービーを取ったという実力と功績は大きいのだ。
「スカイちゃんはどんな所から来るかな?」
「私、ですか。うーん……釣具メーカーとかから来たらいいんですけど」
中空に視線を漂わせながら願望を口にするセイウンスカイ。釣り好きというのは、取材などで何回か口にしている。そして、皐月賞ウマ娘の影響力は絶大。メーカーから、スポンサードの申し出が来てもおかしくない……そういう公算らしかった。
「スカイちゃんらしくていいと思う。ボクは」
大きく頷くトウカイテイオー。彼女も、お気に入りのスニーカーブランドとスポンサー契約を結んでいたりする。
「特別モデルとかも、作ってもらえるかもよ?」
「……想像するといい響きの言葉ですね」
口元のニヤニヤが期待をよく示している。後輩の活躍を喜ぶ先輩としてはもっと話していたかったが、彼女にもトレーニングの時間が迫っていた。
「あ、そろそろ行かなきゃ……じゃあ伝えたからねセンセー!」
「ええ。承りました」
サングラスの男が頷くのを確かに認め、目の前の芦毛の後輩を激励する。
「じゃ、ダービーも……って言いたいけど、スペちゃん燃えてるからねー」
「負けるつもりはありませんよ」
「うん。その調子だよ……じゃ、またねー!」
カバンを掴み、飲みかけていた缶ジュースを煽ってからトウカイテイオーは軽やかに駆けていく。怪我の残滓を感じさせない足音に、海人は僅かに足を組み変えた。
「再発も今のところ無さそうだし。うん」
「テイオー先輩、来週天皇賞ですね」
「そうだね。マックイーンさんとの対決がどうなるか」
皐月賞勝者への盛り上がりもあるが、来週に行われる天皇賞への盛り上がりもスーパートゥインクルズを満たしているものだった。長距離を得意とするメジロマックイーンと、ブランクこそあるものの大阪杯を勝ってみせたトウカイテイオー。
「先輩は大変だろうね」
「同チームが最大のライバルってどうなるんです?」
「うーん。コメントとか? どっちも推すってことになるんじゃないかな」
そんな事になったこともないしなる予定もないけどね。そう嘯く海人の姿にどこかもの悲しさを感じるセイウンスカイ。とはいえ、〈アルゴル〉に人が増えるのは良い事とは一概にも言えない。医業でただでさえ忙しいのにもうひとり増えるとなると、負担が大きくなりすぎるかもしれないからだ。
「私も、2人を応援することになりそうです」の後、しばらくの沈黙。
テレビはお昼をすぎ、夕方の主婦に向けての情報番組を流している。いつもなら見ないが、今日は特別。
《さあ、ここからの時間は、昨日行われましたスーパートゥインクルズ・皐月賞中山2000mレースの勝者である、セイウンスカイ選手の特集になります》
「お、始まったか」
「取材、増えるんだろうなぁ」
「増えるさ」
《見事なレースメイクをして見せた彼女ですが、その素顔はどんなウマ娘なのでしょうか?》
「詳しい取材を受けた覚えがないんですけど」
「多分、後で来るというかもう来てると思うよ」
スポンサードの申し出や取材はURAの広報部門や渉外部門を通すこと、と定められている。URAが行うのは窓口業務だけでどれを受けるか、どの会社と交渉するかはチームに委ねられているので、反社会的な勢力を弾く意味合いが強い。
「取材はほとんど断る予定。GWRFの時とか、タイミングあったら受けるけど……密着系は本当にやりたくないね」
「それがトレーナーさんの方針ですか?」
「ああ、トレーニングの時間が減ると一日あたりメニューが増えるからな。それは好ましくない」
皐月賞勝者だということをほんの少し前に強調したにもかかわらずの言葉にセイウンスカイは黙る。考えてくれることはありがたかったが、スーパートゥインクルズは大きな人気を誇るスポーツ興行。そんなことをすればURAが黙っていないのではないかと思ったからだ。
「あの、それはありがたいんですよね。でも大丈夫です?」
「URAから文句言われたりってこと?」
「しないんですか?」
「知らないかもしれないけど、医者って結構自由がきくんだよね」
至って平坦な声色。しかし、顔はどこまでも笑顔で、そのギャップに後ずさりしたくなる雰囲気がある。半分イリーガルなのでは無いだろうかと疑問を持ちたくなるが、サングラスを傾けて微笑む姿には何も言えなかった。
「取材ってさ。私にも負担なんだ正直」
知らない人と付き合わなきゃいけない大変さというのはセイウンスカイにもよく分かった。それが海人なら尚更と言うのもよく理解できる。職権乱用とは思いつつも、「まあ楽ができるのなら……」そう思って揺れる彼女もいた。
「ここで外野に邪魔されてダービー逃したとあってはね」
そう言いながらヒラヒラと紙束を振る海人。近づいて受け取ってみると、皐月賞を終えての振り返りだった。
「私の所感を何となくまとめてみたものだ」
「振り返り、ですか」
「うん。ビレヂストンから貰ったデータも付けてある。見てご覧」
彼女が使った蹄鉄はビレヂストンに引き上げられ、磨耗や歪み、疲労度を測定してから戻される。取られたデータは製造に生かされ、次のレースで使う蹄鉄に反映される。
またほかにも、海人がまとめた各ウマ娘のラップタイム、コース取り、走りや足音から予測される4月頭からの変化の具合。ビレヂストンのエンジニアが予測した各ウマ娘の蹄鉄戦略などなど。ライバルに対しての最新情報が綴られている。
「さて、天候からだけど……走りづらくなかった?」
「いえいえ。全くの順調で」
「なら良かった。賭けにならないかと心配してたんだけど、上手く内側を走れたな」
「スタートも内側でしたし。今回は幸い、でした」
色々と要因はあるだろう、と海人は指折り数える。天気の予測が当たったこと、内側でスタート出来たこと、蹄鉄が路面とコースに合っていたこと、組み付けた影貴の腕が良かったこと。
全て、出走するウマ娘なら当たり前に合わせ込んでくることだ。しかし、多少のブレがあって少しずつパフォーマンスが削られる中で、今回はその全てが的中した。
「足元はこれくらいかな。気になった所は?」
「ううむ。特に無いですかねー」
「出来たら直ぐに言うこと」
気の抜けた返事をしてから、紙をめくる指先を目で追う。
「さて。区間ごとの走りを振り返ろう」
「そうしましょ」
パソコンを今度は操作する海人。場所を探す唸り声と所在なさげな指が机を叩く音が重なる。レース映像を探しているが上手く見つからないようだ。
「あ、上から3番目……ちょっと行き過ぎました」
「ありがとう」
ダブルクリック音。リズミカルな2連撃の後、サムネイルが表示される。なんの味気もない、ゲートに収まったウマ娘達を移した中継映像。ホームストレート中程のカメラが、18人を捉えていた。
「スタート。で、君は真っ先に前に出た……内側と先頭を抑えにかかった」
「はい。その通りですよー」
「そして600mほど引っ張って、蓋をした。外から抜かせる為に」
映像を切り、どうして? と問いかけてくる海人。改めて思考を言語化させ、振り返らせることによって少しでも彼女の作戦の善し悪しを評価しようとしていた。
「少なくとも逃げを選択する以上、蹄鉄はクリーンな路面向けのものを選ぶはずだったので。だから外を走らせれば、合わない蹄鉄を使うことにもなりますし、体力も消耗させられる」
「いい考えだと思うよ」
そこから、大きくレースが動いた場所ごとに映像を止め、彼女が考えていたことを掘り起こす作業が続いた。どうしてもあやふやな所は歩調を揃え、海人も頭を捻って考える。弥生賞までも振り返りはしていたが、今日程の密度ではやっていなかった。
「しかし、3コーナーは賭けに出たね」
「そうですね。キングを振り切るには引っ掛けるしかないと考えたので。このまま上げても、外を通ったら私も潰れるな、と」
3コーナーへの進入で動画は止まっており、感心したように海人は盛んに頷いていた。
外側を走らされ、横方向のグリップを失った蹄鉄のおかげで空いた隙間。そこに一挙に体をねじ込んで魅せたオーバーテイクショー。「URA歴史に残るオーバーテイクシーン100選」などの企画があれば確実にノミネートされるであろう見事な追い抜きに感心している。
「ただ、上手くいったとはいえ、接触すればモラルハザードか最悪ペナルティ貰うかもしれなかったのに」
考えなかったの? という口調。当然、考えたと答える。
「考えましたよ。でも、体も軽かったし、蹄鉄もグリップ凄くしてたので」
セイウンスカイは目を閉じ、その日……といっても昨日のことを隅から隅まで思い出す。3コーナーでの攻防は予定通りだったが、思ったより上手くいった、という類のもの。もちろん事前に考えていたことだが、これほど上手くいくとは思わなかった。ということらしい。
「やっぱり蹄鉄の調子がとても良かったから動けた、って感じかな」
「キングヘイローさんを振り切るにはそれしか無かったってことね」
「うん……そうだね」
話題はもう1人、セイウンスカイの走りについて行ったウマ娘へ流れる。スベシャルウィーク。弥生賞勝者で、1番人気をかっさらったウマ娘だ。
「スベシャルウィークさんは、多分体が重かったんじゃいかな」
「確かに、スペちゃんの足音、やたらと大きかったような」
いやいや。本当に彼女は重かったんだよ。そう示したのは健康診断の結果だった。半年前と比べると随分増えている。体脂肪率むしろ減っているくらいなので、筋肉が大幅に増えたことが素人の彼女にも分かった。
「多分、熱入りすぎたのかな?」
「〈スピカ〉ってそんなことないと思ってました」
「それか、筋肉がつきやすい体質だったのかも」
想定よりも筋肉がついてしまい苦戦したというのが海人の見解だ。それが正解かどうかは推測するしかないものの、彼が言うことなら正解ではないか? という信頼のようなものはあった。
「ってことは」
「ダービーには合わせ込んでくると思う。特に足回りが大きく増えてそうだ」
「坂で離せた感覚はあるから、と思ったんだけどね」
ダービーが行われる東京レース場の国際レーシングコースには、ホームストレートにまた坂がある。高低差自体は中山には及ばないが、急激に登るため体力の消耗は中山以上だ。このまま体を完成させてくれば、勝ち目は薄くなる。
「君も鍛えないとダメだぞ」
「はー。やっぱりそうなりますよね」
勝ちにいつまでも浸っている訳にいかない事くらいわかる。とはいえ気が早いような感覚があるのも事実で、彼女は椅子に根を張って座っていたかった。
「手始めにペースランの秒数を上げてもいいかもね」
「えー、上げるんですか?」
「やっぱりスタミナもスピードも重要だから……今日からはコンマ5早くしてほしい」
「コンマ5を正確に削るのがどんだけ難しいか。まあ、やりますよ。ええ、やりますとも」
何回も頷くが、納得していないような雰囲気もある。嫌だ? と海人は尋ねてみるが、釈然としない言葉がダラダラと返ってくるだけだった。皐月賞で掴んだことをどうにかして身体に染み付けて欲しい。
そうして説得をつづけて、良い手応えが得られたところで最後のひと押し。
「せめてリズムつかめる位はやって欲しいな」
良い落とし所になりそうな場所を提案しておくと、彼女は渋々立ち上がる。そもそもトレーニングをやらないという気ではなかった事には胸をなで下ろしたが、やる気はあまり無さそうだ。
「メニューはまとめてあるから。それだけやって帰ってきて」
「はーい」
いつも通り気の抜けた返事とともに彼女はカバンへ着替えを取りに行き、ガサガサと中を漁っている。彼はそんな音を聞きながらセリカを呼んで、リードをつけてから頭を撫でる。
「お前がちゃんと引っ張ってやるんだぞ」
ワン! ひとつ元気な返事をした相棒のリードを着替え終わった彼女に渡してから、海人はURAから送られてきた取材、スポンサードの交渉リストを眺めることにした。負担ばかり増える取材リストは早々に放り出し、これからの活動を左右する交渉リストの1番上の企業名に目を留める。
"TODA GLADS Racing"
彼は唇を噛んでから湧き上がってくる感情を胸の中に押し込み、その名前に大きく丸をつけた。