トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
『皐月賞、トウカイテイオー勝利』
『無敗三冠へまず一歩』
日曜日にもたらされた一番のニュースは、月曜日になってもトレセン学園を熱くふるわせていた。海人はパソコンでそんな記事を読みながら、医務室でひとりと1匹で食後のコーヒータイムと洒落込んでいる。
「いやぁ、すごい」
ただならぬ能力があるとは思っていたが、それが証明された形になるだろうか。とはいえ、油断はできない。なぜなら、皐月賞を勝ったウマ娘は例外なく「三冠か!?」と書かれるからである。そしてダービー後に「夢破れたり」とか書かれるのだ。
書かれる方はたまったものではないが、書く方に悪意があるわけじゃないから何も言えない。
「ほんとうに。テイオー先輩すごいよねぇ」
「おや、いらっしゃい」
「どもどもー」
先に、金曜日は午前中で授業が終わると書いたが、実を言えば月曜日と水曜日も授業は午前中で終わる。金曜は移動なども含めた理由だが、月水は純粋なトレーニング目的だ。
「まさか来ないかと心配していました」
「そんな信用ないとは」
「では、来た記念に。このあたりにサインをお願いできますか?」
海人が示してきたのはURAへの競走登録書、チーム登録証交付願、トレセン学園へのチーム結成届、競走記録保管承諾書、あとは競走中の怪我に対する保険の申込書……その他諸々。
中身を斜め読みしてからセイウンスカイはサインを書き連ね、終わった紙を海人に突き返す。
「ありがとうございます。少しかかりますが、間違いなく承認されるでしょう」
「あれま。今日が始動じゃないんだ……残念残念」
ベッドへ視線が泳いだセイウンスカイだが、海人の「今日からもうやりますよ」という攻撃が深々と突き刺さる。
「えーやるのー? 今日はお昼寝日和じゃありませんか」
「先んじればそれだけ有利になりますよ」
「でもでもー」
診察用の椅子でくるくる回りながら、セイウンスカイは抗議を続けている。はてさて。どうやって彼女の興味を引くか。
「……ではセイウンスカイさん。レースに勝利するにあたって、必要なことはなんだと思いますか?」
いきなり投げた質問だが、セイウンスカイはちゃんと考え込んでくれた。昼下り、静かな医務室に彼女の唸る声がこだまする。
「えーと、スタミナとか?」
「ええ。スタミナがなければ走り切ることができませんからね。とても大事です」
大事とは言われたが、結局求められた答えではなさそうだ。
「うーん……なんでしょう?」
「スピードやスタミナも大事だというのはそのとおりです。しかし、私はその他に3つの要素が必要だと思っています」
3つ。そう言われても、とんと出てこない。
「正確な時間感覚、正確なコース取り、正確な姿勢の3つです」
「なるほどー……そのこころは?」
海人は一つずつ指を立てて解説していく。
まず、正確な時間感覚についてだ。逃げウマ娘の有利なポイントはいくつかあるが、不利なポイントも当然ある。その一つが、『ペースを自ら決めなければいけない』というところだ。前に他のウマ娘がいる状態なら、『ここにつく』『このペースで走る』と言うレース中の選択がしやすくなる。しかし逃げは、前に誰もいない確率が高い。
するとどうなるか。前へ前へ。勝つためには前に行かなければいけないが……実力を超えてスピードをだすのは命取りだ。文字のとおりに。
だから、自分がどのくらいのスピードで走っているかを理解するのに、正確な時間感覚が必要なのだという。
「電車の運転士の中には、レールの音、景色の速さだけで正確な運転ができる人がいるとか。レーサーの中にも同じような人がいるようです」
そして正確なコース取り。逃げの良いところは、他のウマ娘に邪魔されることなく、自分の走りたいコースを走ることができるというのが一つある。だが万が一取り残された場合、レース中盤でバ群に飲まれた場合、先頭で荒れたバ場を避ける場合。いずれにせよ最短コースを見極めて走らなければ、1着など夢物語でしかないし体力消費が大きすぎる。そもそも逃げと言う事で消耗が大きいのだから、余計な体力は使わないに限る、ということだ。
さて、ここまではわかりましたか? と海人が解説を区切る。医者なだけあってか、説明するのは抜群にうまい。質問が殆どないくらいに噛み砕いて説明してくれたので、むしろ拍子抜けするくらいだった。
そして思わず呟いてしまう。
「トレーナーさん意外と説明うまいね……感心しちゃった」
「もしかして見直されてます? 私」
そんなに評価が低かったのだろうか。海人は一つ首をひねってから、気を取り直して最後の解説をすることにした。
最後の正確な姿勢は、もちろん走っている最中の姿勢のことだ。足で地面を蹴って進む以上、蹴る力が正しく地面に伝わらなければ、いくら頑張っても前に進むことはない。極端な例を出せば、地面をただ上から垂直に蹴っても、ジャンプするだけなのと同じである。
蹴る力を十全に地面に伝えるには、ブレない軸と正しい角度で接地した足。そして地面の反発を物ともしない脚の強さが必要だ。
それには全身の筋肉を鍛える必要がある。最後のひと蹴りを生み出すふくらはぎ、足の運動のメインとなる太もも、人体で一番大きく、パワーを生み出せる大殿筋、体を支え、安定させる体幹。車も、シャシーとサスペンションがしっかりしていなければ接地性が悪くなり、挙動が不安定になる。
と言うようなことを言ってきた。
「まあ、筋肉とか肉体的なことは私が大いにお手伝いするので心配はいらないですが」
わかっていただけましたか?と海人は特別授業を締めくくった。分かりやすかったが、疑問が何個か湧いてくる。
「……厳しくない? セイちゃんがこなせるとは思えなくてですね」
「大丈夫ですよ。少しずつ強度を上げてく予定なので」
「いったい何が大丈夫なんです!?」
「最初はそんなに辛くないですよ……あとこれ、お近づきの印にどうぞ」
そう言って海人は机の中から箱を出し、セイウンスカイに渡した。どうも、と受け取ったそれには「Sports Training Watch」と飾り気もなく書かれている。
「トレーニングウォッチ……」
「トレーニングするときは必ず付けてください。私の代わりです」
「って! ガチガチにやるってことじゃないですか!?」
「私と組んだ以上、ガチガチにやらないと勝てませんよ?」
「それはそうかもですが」
説明書を見てわかったがこの時計、機能としては最新スマートウォッチにも引けを取らないほど詰め込まれている。説明書によればその上完全防水、完全防汚。標高10000メートルでも、水面下20mでも、氷点下40度でも動作可能。30mからの落下に耐え、大型トラックに轢かれても壊れないという。
「あのー……いったいおいくらで?」
「秘密です」
にこやかに「秘密」と言われてしまえば、それ以上に追求することはできなくなる。十万はくだらないだろうな……と剝がされた値札の跡を見ながら思う。
「まあでも、それだけ期待してくれてるってことでしょ?」
「もちろんです」
そうだ。ここは良い方向に考えなければ。先行投資として考えてくれてるのは事実。なら、少しでも期待に応えるのが教えられる側の義務というものだ。
「おお、似合ってますよ」
「いやぁ、それほどでも?……って、見えてるの?」
「右目の視野は4割くらいですが」
四角い本体は淡いブルーで縁取られ、ベルトはマットブラックで精悍さを強調している。動きも驚くほどサクサクで、タッチパネルはかなりしっかりしたガラス製だ。
「心拍数や酸素濃度なども測れます。それは私のスマホに共有され、危険だなと思ったらお知らせが行く仕組みになっていますので」
「へぇ……って、トレーナーさんって特殊な癖持ちだったりする?」
「別に心拍数で興奮する難儀な癖持ちではありませんからね?」
「よかったー。人としての道を踏み外してたらどうしようかと」
つけてみると、確かにベルトの長さもちょうどよい。そしてなにより、ふだん使いできそうなくらいにシンプルなデザインだ。今は制服だが……違和感はあまりない。
「で、早速何をやりましょーか?」
海人はその言葉を聞いて安心する。少しはやる気になってくれたようだ。ならば、遂に温めたトレーニングプランを開帳するときだ。
「ではまず、時間感覚からですかね。最初は1キロ70秒にしましょう」
「……はい?」
「1キロを70秒で走ってください。タイムはスマートウォッチ使えば測れますので……本当なら、1ハロンごとに手動で14秒を刻んで頂きたいですが。今は最終的な帳尻が合っていれば良いです」
とてもにこやかで、穏やかな「できますよね?」が降ってくる。
レース本番はともかく、今の能力からしても1キロ70秒はかなりゆっくりなペースだ。まあそれなら……できるかな、と思ったセイウンスカイの気持ちは、続いての発言で吹き飛んだ。
「最終的には、1キロ50秒を目指してもらいます」
「なるほど50秒……って50秒!?」
セイウンスカイは目を剥き、思わず立ち上がる。ピンと立てられた耳と、怒髪天を突くかのごとく跳ね上がった尻尾が彼女の心境を雄弁に語っていた。
「よっぽどのスプリンターより早いですよ!?」
「キツイトレーニングをしておけば、本番楽になりますよ」
「そういうことじゃなくてー!」
何を言ってるんだこの医者はー!! という心の絶叫が海人にも聞こえるよう。参考までに、1200mのスプリンターズステークスのレコードは1,06,7である。ずっと同じペースで走ったとすれば、1ハロンあたり約11秒だ。
「とは言いましても、ゆっくり走ってるだけでは早く走るための筋肉とスタミナはつきませんから」
「それは納得だけど……怪我したら元も子もないというか」
「そこは私に任せて下さい。なまじのトレーナーよりは得意です」
医者と掲げてトレセン学園にいるのだから、そこは信用しても良さそうだ。腕の時計と、海人の顔。セイウンスカイは交互に見てから、仕方ないなぁ。と立ち上がった。
「もしさ、トレーナーさんのメニューこなしきれたらさ、私……勝てる?」
真剣な声。海人は姿勢を正してから、はっきりと言い切った。
「ええ。勝てますよ。世界最強の逃げウマ娘にして差し上げましょう」
「……世界最強……かぁ」
いい響きだ。最終的にどこを目指すのかは置いておくとしても耳心地の良い言葉。じゃあやりますかね! とソファに放り出した荷物の中から体操服とジャージを取り出す。
「トレーナーさん? 着替えるけど覗いちゃダメだからねー?」
「覗く暇があったら仕事してますからご安心を」
歯牙にもかけない言い方をされると逆にムカつくというのをセイウンスカイは学んだ。それはそうとして、ベッドの横でカーテンを閉めて手早く着替える。
「おまたせ~。待った?」
「放課後から30分くらいは」
「もう。そこは『今来たとこ』って返してよ」
シューズもローファーからトレーニング専用品に変えて準備は万端。
「じゃ、行きますか? トレーナーさん」
「ああ、その前に」
いよいよ以って初のトレーニングだ! というところだったが、海人からの待ったが入る。渡されたのは、犬用のリードだった。
「なんです? これ」
「セリカの運動も一緒にしてあげてください。私はまだ少し仕事残ってますので」
つまりは併走相手ということだ。そしてまだ仕事が終わってないということは、海人は来ないということ。
「えートレーナーさん来ないの?」
「終わったら行きますよ。それまではセリカをお願いします」
「担当の初トレーニングに来ないなんて……これは高いよ?」
「問題ないですよ」
「やったー! なら、何を頼もっかなー」
今日セイウンスカイと言葉を交わしている中で、一番ウキウキしているのがわかる。セリカに運動が必要なのは事実だし、セイウンスカイのやる気を出せて一石二鳥。
グラウンドへ向かう彼女を見送ってから、海人は再びイヤホンをつけ、パソコンに目を落とした。
セリカと走るのはどうなのだろうか?と思ったセイウンスカイだったが、懸念はすぐに無くなった。最初こそ先へ先へと行こうとしたものの、すぐにぴったり横について併走してくれるようになったのだ。
スマートウォッチをみると、1ハロン、約200mごとにタイムが記録されていた。GPSを使って自動で記録してくれるらしい。
「はぁ、はぁ……え~とタイムは……」
画面を見て、ありゃりゃ、と落胆の声を漏らす。
14.54,13.66,14.05という数字が並んでいた。遅かったかな? いややっぱり早かったな? を繰り返した結果である。なんとも情けない限りだ。先程海人が言った電車の運転士や凄腕レーサーには程遠い。初日とはいえへこむ。
「まだまだですねぇ……」
3キロを二本やってすっかり息の上がったセイウンスカイだが、セリカはそこまで辛そうでは無かった。お前はすごいねぇ。と頭を撫でてやる。
確か、シェパードは必要な運動量がすごく多いのでは無かったか。運動には困らない学園に来れたのは、幸運だったと言えるだろう。
「じゃあ3本目……行きますか」
海人は帳尻が合ってれば良いと言ったが、そこで納得する彼女ではない。完璧を求めなければ気がすまない。かなりの数の多くの生徒がいるトラックだが、今新2年生でチーム所属のウマ娘はそれほど多くない。
先んじれるのは良いことだよね。
少しだけ笑ってから、「定時定着、定時定着」とストップウォッチを起動させて走り出す。セリカとの併走は、今まで走った中で一番やりやすく、心地よいものだった。
電車の運転士は25mごとにある継ぎ目の音が何回聞こえてくるかで速度を測るようですが、彼女たちは何で速度を測りましょうかね……内ラチの本数でも数えれば良いのでしょうか
考えておけと
サジタリウス杯ですが、エースのセイウンスカイ、ラビット役逃げマック、間に合わせゴルシで参戦しております。
ラビットマックが前に行き過ぎて何回負けたことか。セイウンスカイを仕上げられなかった私が悪いですが
決勝は行けたのでゴールド目指します。Skyjack02ってのを見かけたらお手柔らかに
感想、評価等はいつでも大歓迎です。していただけると励みになります。では、次回お会いましょう