トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
第三十三回京都大賞典は、多くの人間の予想を裏切る結果となった。中距離にカテゴライズされる中で、最長となる二千四百メートルの戦いは、誰もが走りきれるものでは無い。
スピードもスタミナも要求される中、一番人気を獲得したのはメジロブライトだった。当然と言えば当然である。京都大賞典より遥かに長い三千二百という距離を誇る天皇賞・春を勝利しているのだから、実力は今改めて語るまでもない。
一方、セイウンスカイはと言うと四番人気に留まっていた。クラシック級ということもあり踏んできた場数が少ないことを不安視されたものあるが、評価を大きく下げる要因となったのは日本ダービーでの敗北である。
今回と同じく二千四百メートルという距離での負け。二千までは良かった。しかしその先は無いのでは? そう思われたわけだ。
しかしセイウンスカイは、見事な逃げで勝利を手にした。一気に逃げ、息を入れ、突き放す。「老練な」という言葉が似合うほどの逃げ。
実況アナウンサーも手放しで褒めることしか出来ないその走りに、場内だけでなく、全国のテレビの前の視線も釘付けになっていた。
彼女が一着で入線したのを確認した海人は、控室でごそごそと準備を始めた。床に寝ていたセリカにハーネスを着け、彼女の分のチームジャケットを用意する。
この後、走行後検査が終われば表彰式に記者会見、インタビューの撮影などそれなりに忙しくなる。年寄りにはそれなりどころではなく辛い残り半日の始まりだ。
「しかし。喜ぶべきだな」
勝てる。そんなウマ娘はひと握り。セイウンスカイという、素晴らしいウマ娘と出逢えたことに感謝こそすれ、文句などない。先程の嘆きは海人の年齢に対する文句だ。
スーツ、そしてサングラスといういつもと全く変わらない格好で、外に出る。レース結果が確定した後、係員から「表彰式の準備をお願いします」と声をかけられるが、彼の案内に回す余力はない。コースの手前までは一人だ。
セリカのハーネスを握りながら歩く。コース、そしてウィナーズサークルまでは距離があり、ほとんど未知の場所をひとりで歩くのは荷が重い。URAもバリアフリーが浸透してきているが、完璧とは言い難いのだ。
「えーと、こっちだったな」
事前に頭に叩き込んだ道を思い出し、案内に目を凝らし歩き続ける。通路の先に段々と光が強くなってきたところで、聞き覚えのありすぎる足音が後ろから追いついてきた。
「あ、トレーナーさん!」
「ああ、いたいた。おめでとう、セイウンスカイ」
検査を終え、結果が確定したので彼女もウィナーズサークルに向かう途中だ。走り終わったばかりで、前髪が額にぺたりと張り付いている。
海人はチームジャケットと共にタオルを渡す。頭をわしわしと全部拭いてから、彼女は青色ベースのジャケットに袖を通した。
「いや〜勝てちゃうとは。トレーナーさんのおかげだね」
できる限り平静を装うとしているようだが、言葉の節々に安堵と歓喜が漏れ出ている。勝ちは嬉しいものだがシニア級の相手、つまりは一般的に格上と言われる相手ならば、喜びもひとしお。
海人も穏やかに微笑んでいるが、大きく喜びを表している訳では無い。しかしいつもより口元の角度が急だ。
「そんなことはない。君の実力だ」
「でも、その実力はトレーナーさんとつけたものだよ?」
「そういう意見もあるな」
「そういう意見しかありませんー」
ぷいっとそっぽを向いてしまった彼女だが、耳は海人の方へ向けられている。ちゃんと着いてきているか気にしながら、彼ら二人は青空広がるレース場へと出ていった。
出迎えたのは、大きな歓声。京都レース場のスタンドに詰めかけた多くの人間が、セイウンスカイの名前を叫んでいた。ともすれば鼓膜を吹き飛ばされそうなほどの音量であり、耳が鋭い海人は随分辛そうだった。
「いやいや〜どもども〜」
彼の視界に背中を映せる距離を保って歩きながら、スタンドへ詰めかける観客に向かって手を振る。セイウンスカイも、チーム《アルゴル》のグッズを持った人が地球上でこんなにいるのかと驚くくらいの人の量。
地面が揺れているのではと錯覚するほどに、人の波も揺れていた。
「トレーナーさん。着いたよ」
「ああ。ありがとう」
ウィナーズサークルでは、既に表彰式の準備が整っていた。職員が厳かに二人を待っていた。
《さあそれでは、準備が整いましたので第三十三回京都大賞典の表彰式を執り行いたいと思います》
優勝レイやトロフィーの授与、優勝の副賞の授与。表彰式も四回目となると慣れが出てきて、特に前回の皐月賞はかなりの長さ。それと比べると、幾分かあっさり終わったように感じられる。
授与が終わればフォトセッション。レイを肩に掛けたセイウンスカイと一緒に海人はトロフィーを持ち、人差し指を立てる。古今東西、あらゆるスピードを求める競技で勝者にのみ許されたポーズだ。
いくらかフラッシュが焚かれ、そして収まる。写真を撮り終えるのも、流石に皐月賞と比べると早い。 とはいえ、重賞であることは確かだ。
「トレーナーさん。終わったよ」
「ああ、分かった」
セイウンスカイに声をかけられ、海人が手を下ろす。カメラマンがはけると、またひとつの足跡が近づいてきた。
《放送席放送席、京都大賞典を見事な逃げで勝利しました、セイウンスカイ選手にお越しいただきました……まずは勝利、おめでとうございます》
放送に乗せるインタビュー。パドックでレポートをしていたレポーターが、マイクを携えてやってきた。グイッと向けられたマイクを見つめて何を言うか考えてから、口を開く。上手く言葉がまとまる気はしてないが、とにかく答えなければ。
「いや〜ありがとうございます」
《強いレース内容でした。場数が上の相手と戦うことに不安はありませんでしたか?》
「不安はありましたけど、やっぱり走ってみないと分からないな、と思いまして。それに、『勝てる、期待してる』と言われたのでちょっとは答えようかな、と」
《最後はあわや、という場面でしたが》
「ちょっとペース配分間違えましたかね。菊花賞では完璧に走れるように、また色々トレーニングしたいと思います」
《最後にですね、五分前に行われました毎日王冠ではサイレンススズカ選手が勝利しました。東西のレースで、逃げが勝利するという歴史的な日になりましたが、いかがでしょう》
「スズカ先輩勝ったんですか。なるほど〜……そうですね、毎日王冠見てた人も、釘付けにできるようなレースができてたら、いいなと思います」
ニヤッと笑って東京レース場で行われた毎日王冠に思いを馳せる。どんなレースになったのかは直接見てないので分からないものの、きっと逃げて差す走りをしたのだろうと、彼女は想像した。
セイウンスカイが見ても美しいと思える走りで、東京の二千メートルを支配していたはずだ。同じレースを走ったグラスワンダーやエルコンドルパサーからはどう見えていたのか。
《ありがとうございました。では続いて右堂トレーナーに話を伺いたいと思います……チーム結成以来、四勝目ですか?》
「はい。そうですね。四勝目ですね」
《そんな結成間もないチームに四勝目をもたらしたセイウンスカイ選手についてはどう思いますか?》
「うーむ。本当に、良い縁だったと思います。彼女のことを知ったのはほんの偶然だったのですが、よくチームに適応してくれましたし、うちのセリカとも仲良くやってくれてますから」
カメラが、足元で座るセリカを抜く。海人がインタビューを受けているあいだ、ウィナーズサークルの周りにはファンがおしよせている。その少なくないカメラが、セリカに向けられていること彼女は気づいた。
《距離についての不安はどうですか?》
「不安は囁かれてましたけど、それに合わせたトレーニングをしてましたので、あとは信じるだけだなと」
《では最後、ファンの方に一言ずつお願いします》
「菊花賞もがんばりますので、応援よろしくお願いしま〜す」
「ダービーは落としましたが、菊花賞は必ずチーム《アルゴル》が取りますので、期待していてください」
《はい。チーム《アルゴル》のおふたりでした。ありがとうございました!》
レポーターは次の予定が詰まっているのか、一礼するとウィナーズサークルを後にした。そして、ここで表彰式はおしまいとなる。URA職員や記者も段々とはけ、残されたのは海人とセイウンスカイだけ。
しばらくは写真を撮るファンに答えて残っていたそんなふたりも、お辞儀をして地下バ道へと戻って行った。
次のレースがまもなく始まるということで地下に人は少ない。移動はもう既に終わっていて、歩いている影はたったのふたつだ。
「作戦がバッチリハマったな」
「そうだね。上手くいってくれて嬉しいかな」
「菊花賞はどうだ?」
「色々考えることはあるけどさ。いい調子で望めると思う」
今回京都大賞典を走った理由の多くが、実戦で京都レース場を体験しておくことにある。淀の坂と呼ばれる高い坂に、降りきった先の逆バンク。連続する一、二コーナーと走らなければ分からないことも多い。
「はい。着いたよ」
「着替える?」
「前にさ。ちょっと入ってよ」
流石に九月に入り、汗をかいた身では寒かろうと思ったのだが、セイウンスカイにはまた別の考えがあった。若干居心地悪そうにドアの近くで立ち尽くす海人なの背中に向けられる「何をするんだ?」と困惑に満ちた視線を背中に感じながら、彼女はロッカーを漁っていた。
それも、鼻歌を歌いながらだ。土で汚れた尻尾を気にする様子もなく、整える様子も無い。ふぁさと長い尻尾の毛が揺れる音がする。
「あったあった」
そう言い、くるりと軽快なターンを決めたセイウンスカイ。その手には、年頃にしては素っ気ないスマートフォンが握られている。白い外装に、透明なケースを被せただけ。
「ん? 何がだ?」
しかし海人には何を持っているのかは分からない。
「ちょっといいこと思いついちゃってさ」
「……なんだい。勿体ぶらずに言ったらどうだ」
じりじり、海人は後退していた。何か嫌な予感がした男の、とても素直な防衛行動だ。
「写真、撮ってよ」
「……は?」
心の底から何を言っているのか分からないという返事。口は間抜けに開かれ、手は驚きのあまり中途半端に開かれて止まっている。彼女は何度か目の前で手を振り、そして何度も呼びかけた。
「おーい」
「なんでいきなり私なんだ」
「えー、いいでしょ」
「答えになってないだろうが」
しかし、セイウンスカイは諦めない。大きく歳の割に手入れされた掌を無理やり開いて、自分のスマホを握らせる。画面のロックはとうに解除してあって、カメラも開かれている。
「だいたいな。私が写真を撮るなんてナンセンスにも程があるだろうに」
「いいの。早くしてよー」
答えになっていないのに、彼女ははやくはやくと急かしてくる。海人はピクリピクリと眉や頬を痙攣させながら、渋々スマホを構えた。不格好極まりないが、カメラはセイウンスカイに向いていた。
「お、やっと?」
「まあ……待て」
押し切られてカメラを向けたは良いが、彼には大きな問題があった。画面がよく見えない。シャッターのボタンの位置は分かるが、セイウンスカイがどんな構図で映っているのか全く分からない。
優勝レイを首からかけ、チームジャケットに袖を通している。満面の笑みで一本立てた人差し指を勢いよく前に突き出し、セイウンスカイはシャッターが切られるのを待っていた。
何とか目が慣れ、画面に彼女が写っているのはぼんやり分かる。しかし、それだけ。ピントがあっているのかも、全身が入っているのかも分からない。
「むむ……」
目を限界まで細め、そして顔をしかめる。なんとか見える右目で画面を見て、定まらない像を何とか結ぼうとした。普段よりも数倍目に力を込め、画面の中のセイウンスカイを探す。
「焦らないでいいよ?」
「と言われてもだな」
ダラダラと背中に嫌な汗が垂れてくる。目が疲れてきている上に早くしなければという焦りもあり、海人はうっかりとシャッターを押してしまった。
カシャッ。
軽やかな電子音が響く。セイウンスカイはそれを聞くと軽やかに一歩踏み出し、海人の手からスマホを取り上げた。
「ちょっと、おい」
「ありがと。でも、おしまいでーす」
にゅっと伸びてきた海人の手をかわし、セイウンスカイはスマホに残された写真を確かめる。後ろからの抗議の声はまるっきり無視し、彼女は中身の少ない画像フォルダから目的のものを見つけた。
「おぉ〜」
その写真の出来は、確かに酷かった。セイウンスカイの姿は、確かに写っていた。しかしそもそも被写体が傾いており、その上ピントがあっていないのでボケている。露出もイマイチで写真全体がやや白くなってしまっていて、流石のセイウンスカイも呆れたくなるほどの出来だ。
恐らく海人にはその出来というものは見えていないが、何となく顛末については予想出来ていたのだろう。
「だからさ、もう一回」
「はーい。着替えるから出てってくださーい。ほらはやく!」
つべこべ言う海人を無理やり部屋の外に追い出した。背中をぐいぐい推しているあいだは多種多様の言い訳を並べ立てていた彼だが、完全に扉の外に追いやられてからは諦めたのか声が聞こえなくなった。
「さ〜て……ふふっ。ひどすぎ」
もう一回写真をよく眺める。何度見ても、いくら見ても酷いという言葉じゃ足りないくらいの出来だ。しかし、セイウンスカイは心の底から湧き上がる笑顔を抑えきれなかった。
「ほんとに酷いなぁ」
しかし、この写真は海人にしか撮れないものなのは確固たる事実だった。普通の人間なら、もっと綺麗に撮れる。どんな下手な人間でも、もっとよく撮れる。
世界で唯一の写真。世界で一枚だけ、セイウンスカイのスマホだけにある写真。
「んふふ。なんというか……イイ。うん。トレーナーさんならではだよね」
「おめでとう」や「よくやった」と言ったいつもの言葉ももちろん嬉しいし励みになる。だがそれ以上に、この海人が撮った世界で一枚の写真に対する、言葉に出来ぬ喜びが彼女の体を満たしていた。
「嬉しい……ってのはそうだけど。もっとこう、あったかくなるというか」
頬杖を着いて陽気な鼻歌を歌う画面の上を彼女の指が滑り、何回か画面をタップする。そして、画面に表示されたものを見てセイウンスカイはとてもに頷いた。
「うん。いいんじゃないかな?」
彼女のスマホのロック画面には、ピントがあっておらず、白くボケた自らの写真が、どこか誇らしげに映っていた。
外に追い出された海人は廊下で一人佇み、セイウンスカイが着替え終わるのを待っていた。タオルやスポーツドリンクなどはいつものカバンに入れて中に置いているので、手ぶらだ。
セリカもいない中、彼は廊下の壁によりかかっている。またレースが始まって、控え室があるあたりは再度の静けさに包まれていた。
「しかし、勝ってしまうとはな」
信じていなかった訳では無い。セイウンスカイの実力はよく知っている。とはいえ知っていても信じていても、相手が上なら負けてしまうものだ。
「だが、勝った」
誇らしい気持ちになりながら、今度は表彰式を思い返す。セイウンスカイの競技人生で四回目の表彰式。海人にとっても、スーパートゥインクルズの表彰式は四度目だ。
トロフィーを彼女と持つ瞬間、幾多のフラッシュが焚かれる瞬間、インタビューを受ける瞬間。そのどれもが、何度言葉にしても足りないくらいの喜びとして思い起こされる。どこまでも飛んでいけそうなほどの心地。
「いいものだな。こっちも」
レーシングコースの傍らで、走った後の熱気を肌に感じながら表彰式を執り行う。結局、体験していることは変わらないな。海人はそう思い至り、壁に寄りかかった。
違いと言えば、表彰台の有無などになるだろうか。
世界で一番高いところから見る空はどこまでも青く抜けていて、自分が世界でいちばん速いということを実感させてくれたものだった。
「ああくそ、なんで思い出す」
海人の根底にある感傷は、彼自身を見逃してくれなかった。何年も前に置いて行かざるを得なかった景色と感情が脳内によみがえる。もう満足に見えなくなった世界で、今でもはっきりと見える景色があった。
緑深い山に消えていく日本のツイスティな道、どこまでも広がる灼熱のサバンナを走る感覚、林間を超高速で駆け抜けるフィンランドグランプリ、二百メートルと直線が続かないコルシカ島の断崖絶壁を走る興奮。
諦めたと言いながら、結局諦められていないのだ。
もう過去と言いながら、過去にできていないのだ。
栄光は何時までもある訳ではなく、昔はあくまで昔。
「やめてくれ」
耳にエンジン音が再来する。
「もう届かないんだ」
掌にステアリングの感覚が去来する。
「諦めたはずなのに」
そしてトドメに、ノートを読み上げる声まで聞こえてくる。記憶から手を伸ばすように。
「だから────」
「トレーナーさん?」
耳を覆いかけたその時、扉が開いて届いたのはセイウンスカイの声。どこか青色を感じさせるその言葉に気づき、海人は顔を上げるとぎこちなくそちらに視線を向けた。
「どしたの?」
彼女から出てきた言葉は、順当に彼を心配するもの。しどろもどろになりながら海人は、切れ味鋭いとは全く言えない言い訳を引っ張り出すことになった。
「あ、ああ。なんというか、ちょっと耳鳴りがな」
「……ふーん。どう? 良くなった?」
その言葉を、彼女は完全に信じていない。
「ああ、大丈夫だ」
「ならいいけど……ほら。荷物持ってきた」
「ありがとう」
今日使った体操服はランドリーバッグにつめこんでおけば契約会社のクリーニングがされてから、チームに戻ってくる。シューズは箱に詰めて発送。メーカーで蹄鉄が取り外されて戻ってくる。
あとは、セリカと海人がいつも持っているカバンを持ってしまえば荷物の全てだ。
「ほら。ホテル帰ろ……疲れちゃったんじゃない? たぶんさ」
「かもね。ありがとう」
控え室の鍵を閉めるセイウンスカイ。終われば、彼女は海人の横に並んでくる。
「ねえトレーナーさん」
「なんだ」
彼女は歩きながら口を開いたが、しばらくの間躊躇を見せた。これを言ってもいいのかと迷う視線。
「どうした。言ってみたらいい」
海人はてっきり、勝ったからどこかに連れていけとでも言われると思っていた。もちろん連れていくつもりだったが、改めてねだられるとばかり。しかし、彼女が発したのは、想像とは全く違う言葉の連なりだ。
「あのさ。夏合宿中に釣り行って賭けしたの覚えてる?」
「釣り……ああ、行ったな」
一ヶ月ほど前、海人がセイウンスカイに連れられて行った釣りで交わした言葉。夏のギラギラした日差しの下、ブッコミ釣りで釣れるだの釣れないだのと言ったことを思い出す。
「そういえば、君が勝って……なにか叶えたっけ」
「ううん。まだだよ」
「だよな」
「それさ、決めた。『菊花賞勝ったら、話聞かせて』って」
「……なんのだ」
「ごめんなさい。ズルい言い方だけどさ……きっと、分かってくれると思う。トレーナーさんなら」
今までにない直截な言い方に、彼は何も言えずにただ前を見つめるだけになる。セイウンスカイが求めている話の内容はこれだと言う確信が、海人にはあった。
確信どころか、ひとつしかない。
今日、にわかに甦ってきた過去。
「うん」とも「ああ」とも「分かった」とも「分からない」ともいえず、海人は沈黙を貫いた。セイウンスカイも何も言わないで、ただ彼の横を歩く。
「……すまない」
何に謝っているかも分からないまま、彼はうわ言とも独り言ともつかない様子で、ただ一言繰り出した。