トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない 作:Skyjack02
トレーニングの終了が告げられてから、シャワーを浴びて汗を流し、制服に着替えて。体操服を袋に詰め込んで医務室に戻ると、そこは来客の真っ最中だった。
「戻りましたよーってありゃ。お客さんでしたか」
遠慮なしにガラリと扉を開けたことを微かに後悔するが、咎められなかったので良しとする。
「おう。すまんな……じゃまだったかな?」
「いやいやー。お気になさらず」
中にはトレーナーとウマ娘……ウマ娘の方はよく見ればトウカイテイオーだった。つまり、トレーナーの方は〈スピカ〉の関係者だろう。
「海人のおかげで勝てたってお礼に来たんだ」
「そうそう。センセーのマッサージってすごいんだよ?」
海人は二人の言葉に被せ気味に「二人の実力ですよ。私の力じゃないです」と言ったが、2対1なので随分と不利そうだ。純粋な感謝だからこそ、受け取りを拒否しづらい。
「まあ、やれることはしたので。不安材料を取り除くくらいになったら嬉しいです」
「いつも無理聞いてもらってるからな。今度なにか奢ろうか?」
「いやいや。リョウ先輩いつも素寒貧じゃないですか」
「後輩に懐事情を心配されるなんてな……」
リョウと呼ばれたトレーナーは顔を覆い嘆いていた。大所帯のチームのトレーナーはそれだけで大変そうで、海人に慰められている。
「そこまで言うなら、ダンスとか見てくれません?」
「ダンスか……どうだ? テイオー」
「ダンス? ボクの教えに付いてこれるなら大歓迎だよ! センセーとよんでいいからね!」
ソファに座って話を聞き流していたセイウンスカイだが、にわかに雲行きが怪しくなって来たのには敏感だった。
「トレーナーさん? ダンスレッスンって言葉が聞こえたんですが」
「私に見れないのでどうしようかと考えていたところなんですよ」
「えー。疲れるのが目に見えてるしやりたくないー」
「でもいつかはやらないといけないですからねぇ」
「でもでもー」
座面に乗り上げて抗議するセイウンスカイ。レースの後のライブも大事な役目だ。とはいえ、レース走ったあとにそのままライブというのは辛い。
レッスンはしなければいけないが……。
「まあ、必要になったら依頼します」
「そうか。俺としては大歓迎なんだが」
「ボクもダンスは好きだからいつでも来ていーよ!」
「あー……とりあえず今はお気持ちだけ……」
あまり深く突っ込まれないうちに、セイウンスカイは退散することにした。テーブルに積まれているお菓子に手を伸ばし、とっとと口に放り込む。余計なとまでは行かないが、このままでは過酷なダンスレッスンが待っているに違いない。
だがしかし、最低限の回数で終わらせるためにはやっぱり真面目にやるしかないよねーという結論に達する。こういうのはセイちゃんのキャラじゃないんですがねぇ。
トレーニング後の体に染み渡る糖分を大いに味わいながら、良い案が思いつかない自分に歯噛み。できる限り体力は使いたくないが、やらなければいけないのはわかってる。結局、策士を自称するセイウンスカイにはあまり心ときめかない「真面目にやる」というのが出てくるのだ。
「じゃ、そろそろ帰るわ。あいつらも待ってるしな……また遊びに来いよ」
「自分のチーム持ちになりましたからね。遂に。でも、暇を見つけて行きますよ」
「センセーじゃあねー」
考えにふけっていると、話を終えた客人は医務室から立ち去ることを選択したようだ。
「あら? もう終わり?」
「なんです? ダンスレッスンしたかったですか?」
「あーあー聞こえなーい」
耳を両手で塞いで丸くなる。きっと海人は呆れているだろうと少し隙間を作って周りを伺うが、特になにか言われたわけではなかった。
「まあ、トレーニングを考えるのは私の仕事なので……と。帰りましょうか」
見れば海人は白衣を脱ぎ去り、ジャケットを羽織ってカバンを用意していた。相変わらずサングラスはそのままだが、短めに整えた髪型と相まって「怪しい医者」から「某番組のハンター」にランクアップ……ランクアップと言っていいのかわからないが、変身していた。
「おおー。トレーナーさん白衣無い方が怪しくないよ?」
「怪しいっていわれるのは慣れたのでどうでも」
慣れていいものなではなさそうだが、本人が良しとするなら良し。しかし、こんなにも早く帰って良いのだろうか。時間としては17時を少し回ったくらいでトレーニングはまだ行えるし、医者としての仕事が出張でどん詰まりしているらしい海人に早すぎる気もする。
「」
「寮長に用事がありまして」
「なるほど……ナンパでもしちゃう?」
言いながら扉を開けると、海人はまた苦笑しながら呆れたように否定する。
「しませんよ。アラフォーがやってもイタイだけでしょう」
アラフォー。意外と行ってるんだなぁ、とセイウンスカイはトレーナーの顔をまじまじ見る。確かにほうれい線はやや固定されている感があるし、額にも線が入り始めている。とはいえ、周囲が自分より若い人間とウマ娘しかいないからか、若干……若く見えないこともない。きがする。
「意外と年上だったんだね。トレーナーさんって」
「そんなに若く見えないと思いますけどね?」
サングラスで目が一切隠されているので、年齢が出やすいと言われる目元がよく見えないことが原因だろうか。
「そういえば、セイウンスカイさんはどっちの寮ですか?」
「私は美浦だよ。ヒシアマ姐さん帰ってるかな?」
「会えなかったらまた何か考えますよ」
「……そういうの行き当たりばったりって言わない? トレーナーさんがいいならいいけどさー」
玄関から正門へ向かう一直線の道は、葉桜がそれは見事な景色を作り出していた。セイウンスカイは夕暮れの空を見上げて大きく息を吸うと、海人の少し後ろを歩き出す。
「そういえば、さっき手当した娘は来たの?」
「はい。セイウンスカイさんが着替えてる間に来ましたね。普通に歩けるくらいにはなってましたので、大きな怪我とかの可能性は少ないかと」
「おお〜良かった良かった」
見ず知らずのウマ娘だが、何事も無かったというのは喜ばしい。特に全力疾走で転んだりすれば命に影響することさえあるのだ。医者としても、膝の怪我だけで済みそうなのはホッとした、と語っている。
「やっぱり、怪我は悲しいですからねぇ」
「私も小学校の頃怪我してさー。1ヶ月くらい走れなかったけどストレスすごかったもんね。うん」
3年ほど前の思い出が蘇る。毎日ギプス取っていいかじいちゃんに聞いて怒られたものだった。
「ええ……怪我で夢を諦めるのは、もっと辛いですからね」
やけに実感のこもった呟き。何人、夢を諦めたウマ娘を見てきたのだろうか。何人、怪我で走れなくなったウマ娘を見てきたのだろうか。
「おお、トレーナーさんお医者さんみたいなこといってるー」
「残念ですが正真正銘医者です」
「あははー。そうでした」
正門を過ぎ、道路の向かいの寮へ。美浦寮はそこからまた離れているが、歩いて何分とかからない距離だ。
「というわけで、到着でーす」
「待たせてもらいますよ」
ちょっと呼んでくるねーと言って、セイウンスカイは建物の中へ消えていった。春の夕暮れの元、残される海人とセリカ。何人かの生徒が彼らの横を通り過ぎ、自らの部屋へ帰っていく。
挨拶を返しながら、はてさて。今日はどんな経路で帰ろうか考える。いつもの喫茶店で夕食を取るのは確定として……セリカにおやつを買ってやるべきか。
だが、1分もせずに帰ってきたセイウンスカイによって、思考はとりあえず中断された。
「いたよー」
「それは良かった」
彼女が開けてくれた扉をくぐると、向かって右の小窓から快活なさっぱりとした声が聞こえてきた。
「スカイが誰か連れてきたと思ったら、右堂先生じゃないか。どういう風の吹き回しなんだい?」
「これでも、チームのトレーナーになったんだよ。まあ、ひとりしかいないから専属だけど」
「おお。遂に〈アルゴル〉にもメンバーが来たのかい! めでたいねぇ」
ってことは、そのメンバーってのは……寮長のヒシアマゾンの視線がセイウンスカイに向かってくる。
「まあ、そういうことでして」
「これから楽しみだね。ま、話があるんだろう? スカイから聞いたよ。立ちん坊も何だし、入った入った!」
小窓から一旦姿を消すと、廊下に面した扉から出てくる。真っ先にセイウンスカイが「おじゃましまーす」と入ったが、海人はその場から動かなかった。
「いいのか?」
「問題ないよ……というか右堂先生。アンタは許可無しで入れるじゃないか」
礼儀ってやつだよ。と答えてから、スリッパに履き替える。セリカの足を持ってきた雑巾で拭き、1人と1匹は美浦寮へ足を踏み入れた。
ちなみにだが、男性職員が各寮へ足を踏み入れる際は学年主任以上の職員の許可と、前述の職員または寮長の立ち会いが必要だ。しかし、何個かは例外が存在する。その一つが養護教諭及び学校医だ。
急病人が出た際に職員の許可と寮長の立ち会いを待っていては手遅れになる危険がある……という訳で手続きは省略されている。しかし、無制限の立ち入りが許可されている訳ではなく、出入りはカメラによって記録されているので正当な理由がなければ懲戒の対象となるのは避けられない。もちろん警察の世話にもなる。
閑話休題。
寮長としての仕事場は、扉をくぐって1つ目の部屋になる。6畳ほどの大きさだが、壁際の書棚と応接セットが据え付けられてしまえば若干手狭だ。ちなみに、寮長の私室は奥の扉の向こうだ。
セイウンスカイはもうソファに座っていて、海人もその隣に腰を落ち着ける。ヒシアマゾンは扉を締めてから、普段役目で使っているであろう回転椅子を軋ませながら海人に向いた。
「で、話ってなんなんだい?」
「そんなに難しい話じゃない。体育祭に向けて臨時で常備薬を増やそうと思っていてね。それで、負担にならないかって話だよ」
「常備薬を増やす?」
寮長室には、急に体調が悪くなったが病院へ行くほどではなさそう。と言うときのために、市販薬が複数常備薬としてストックされている。払い出しは寮長の権限でできるが、いつ、誰に、どの薬を何錠渡したのかというのを全て書き、月末に点検を行わなければならない。つまり、種類が増えればそれだけ管理の負担が増えるということだ。
「前にアンケートを取ったときにね。今置いてるのじゃ効き目が弱いっていう意見が何個かあったんだ。まずは、体育祭に向けて選べるようにしても良いと思ったんだよ」
「痛み止めとか増やすんだろう? 良いじゃないか。体調不良で参加できなくなるのは辛いからねぇ。アタシは賛成するよ」
まかせな! とも付け足したヒシアマゾンに、海人は大いに頼りがいを感じていた。話が早くて助かるよ。と微笑む。彼女は、少し声を落として言った。
「ま、先生にだから言うが、アタシも中々辛い方でね」
「もっと早く言ってくれても良かったのに……って。男には言いづらいよな」
ウマ娘ならではの諸々に対応するために医者がいるわけだが……異性に言いづらいことというのはごまんと存在する。そして、それが思春期の娘なら尚更だろう。
「そういえば、フジには言ったのかい?」
「いや。このあと行こうと思ってる」
「なら、アタシから電話しようか?」
ヒシアマゾンの好意は嬉しいが、医者としての仕事は自分でやらなければ。彼女が世話焼きなのは知っているし何回か助けられたこともあるが、流石に譲れない一線だった。
ありがとう、気持ちだけ受け取っておくよという答えは、彼女には予想通りであったがやはり不服のようだ。
「今度大いに頼らせてもらうよ」
「そうだね。いつでも大歓迎だよ! ……っと、あとちょっと待ちな」
彼女は突然奥に引っ込む。
やはり、頼られているときのヒシアマゾンはとても良い声色をしている。セリカをなだめながらそう思っていると、横からつつかれた。
「トレーナーさんトレーナーさん。ヒシアマ姐さんと随分打ち解けてるようでしたが?」
「そりゃあ寮長ですからね。そこそこ付き合いはありますよ」
「なるほどなるほど……ってそうじゃなくて!」
あまり大きな声を出さないでください。とセイウンスカイをなだめつつ、続きを聞いてやる。
「将来の愛バとなる私にはどうして敬語なんですかって話ですー」
「なにか不満でも?」
正直、突っかかられる話ではないと思っていた。セイウンスカイがチームに入って1日目。距離があるのは当然だし、今はくだけて話しているヒシアマゾンに対しても、しばらくは敬語だった。
「不満も不満ですとも! ウマ娘とトレーナーは運命共同体。互いに頼り、互いに庇い合い、互いに助け合わなきゃいけないわけでして」
その言い方だと嘘を言うなとか続きそうだ。今の所、チームには無能も怯懦も虚偽も杜撰もいないから大丈夫そうだけれども。
「そうですね」
「それなのにトレーナーさんったら、セイちゃんよりヒシアマ姐さんのほうがいいなんて。よよよ〜」
顔を覆って大げさに嘆いている。とはいえ、初対面からタメの医者は随分と威圧感があっていけないと思うのだ。
「そりゃあ患者さんにはそうだけどさ、教え子には相応の扱いってものがあると思うよー?」
これからふたりでやってくんだからさ、と付け足される。確かに、敬語で距離を感じるという主張には同意する。
しかし、〈アルゴル〉に他のウマ娘が加入しないという前提で話しているような気もするが。海人は聞き流すことにした。どうせ望みは薄い。
「分かったよ。セイウンスカイ……これでいいです?」
「ぶぶー。でろんでろんでろ〜ん……セイちゃん の 好感度 が 10さがった!」
「……まあ、少しずつ消していくようにするから」
「そうそう。チームとしての形から入らないとねー。釣りだって走りだって同じだよ? トレーナーさんには釈迦に説法かもだけどね」
小さいことだが有益なのは認めざるを得ない。セイウンスカイには敬語不要。しかし、過去最速で取れることになったのには慣れない。「待たせたね!」とセリカ用のおやつを持ってきたヒシアマゾンを迎えながら、人知れずため息をついていた。
新年明けましておめでとうございます。
今は1月1日の32時なのでまだ問題ありません
本年もちまちま更新していこうと思っております。
これからもお付き合いよろしくお願いします
次回は少し時間軸が飛ぶ予定です
カプリコーン杯は……見送ってもいいかな、と。セイウンスカイが活躍できないコースですしね
感想、評価等はいつでも大歓迎です。していただけると励みになります。では、次回お会いましょう