※この物語はフィクションです。作中に登場する団体名や曲名は架空のものであり、実在しているものとは一切関係ありませんので、ご了承ください。
『音楽とは、音を楽しむものである』
誰が最初に言い出したのかは定かではないが、この言葉は音楽活動をする者に多大な影響を与えているのは想像に難くない。
その言葉に倣い、『音楽は楽しむもの』というのを信条に音楽にのめり込む者が1人。東京都に位置する音楽を学ぶことを中心とした高等学校、『神宮音楽学校』の教室にて。教室内から生徒がどんどん出て行く中、彼は唯一席に残りせっせと紙上でペンを動かしている。その様子を目にした1人の男子生徒が危機感を感じ、教室の入り口から大きめの声で話しかけた。
「おーい
「あっ……そうだった! ごめん、今行く!」
東と呼ばれた少年は作業を中断して紙を机の中にしまい、横に掛けられているジャージの袋を持って大急ぎで教室を出て、声を掛けた生徒と合流する。彼の名は
「ありがとうね。声掛けてもらえなかったら、僕ずっとああしてたかも」
「おいおい。ってか何をそんなに夢中に書いてたんだ?」
「頭の中にあるフレーズを歌詞として文字起こししてたんだ。せっかく思い付いたのを忘れないようにね」
「へぇ、それも
「うん! 音楽は、音楽だけは疎かにしたくないから」
茶化すような男子生徒の発言を気にも留めず、湊人は自信満々に頷く。彼の発言に男子生徒は鼻で笑う。
「まぁ頑張るのは良いことだけどよ、ちょっとは他の教科にも目を向けたらどうだ? お前音楽以外の成績あんま良くないし」
「あはは……面目ない……」
「それにさ、音楽家になりたいんだったら国語とか英語とか、他に勉強すべきことたくさんあるだろ? 馬鹿正直に音楽ばっかやってても何もならないぜ?」
「やっぱりそうかぁ。国語は作詞の役に立つだろうし、頑張ってみようかな!」
「ハッ。根っからの音楽バカだな」
音楽のことしか頭に無い様子の湊人をからかいながら男子生徒は笑う。彼の言う通り、湊人は音楽の成績は少なくとも人並み以上はあるものの、音楽で何か突出した物は持っておらず、且つ音楽の勉強に集中し過ぎているせいか、他の教科での点数や成績は並かそれ以下という状態であった。にも関わらず、湊人は入学式で『有名な音楽家になる』ことを教室内で夢として堂々と語った。故に湊人が他者から抱かれている印象は『口先だけで何もかもが平均的な人』といったものであり、決して尊敬されている訳ではない。だが湊人は他者から何を言われても、どんな印象を持たれようともへこたれず、自分のスタンスを貫き続けている。自身が抱いている夢を叶える、ただそれだけの為に。
体育の授業が終わり、男子更衣室で生徒達はジャージから制服に着替えている。せっせと着替えをする湊人に複数の生徒が話しかける。
「いやぁー、さっきの東の転び方ケッサクだったなぁ。どうやったらあんなんなるんだよ」
「まさか自分でも転ぶなんて思ってなくってさ。転んだからゴールした時間も遅かったし。まぁ良いんだけどさっ!」
その日の体育の授業は短距離走で、スタートからゴールまでのタイムを測定するものだった。そのスタートの瞬間に湊人が転び、それが彼等から笑い話のネタにされていた。
「ほんと、お前音楽以外はまるでダメだよなぁ」
「そんなんでお前、音楽家になれんのか?」
男子生徒達はいつものように彼をからかう。湊人は彼等の言い分を聞きながら軽く笑いながら制服のボタンを留める。
「なるよ! いつか絶対、僕の音楽で日本……いや、世界中の人が注目するくらいの音楽家に、僕はなるんだ!」
「はははっ! 大言壮語も良いとこだな!」
「なー。付き合ってらんね。行こうぜ」
彼等はぞろぞろと更衣室から出る。その後ろ姿を見ながら湊人は今のやり取りで感じた『音』を頭の中で整理する。
「……バカにしてる、心から嘲笑ってる音だった」
小声でそう呟き、強く拳を握り締める。湊人は音楽で尖った才能は無いが、1つだけ特技と言えるものとして、他者から聴こえる微弱な『音』でその人の感情を読み取れるという稀な能力がある。だがそれは音楽の技術に直接関わってくる訳ではない。仮に得意だと自慢したところで到底周りからの湊人の印象は変わらない。クラスメイトの生徒達の大半は湊人を笑い、彼が語る夢を到底叶いはしないものだと一蹴する。入学して以来幾度となく聞いた嘲笑の音。それに湊人は何も思わない訳ではない。時に悲しみ、時に苛立つ。けれど、他者からのそういった言葉に相手をする余裕も、暇も湊人にはないのだ。自分を馬鹿にする彼等の相手をするくらいなら、音楽のことを考えていた方が数倍マシであるからだ。
「でも僕には、音楽があるから」
口角を上げて湊人は言い聞かせるように一言、そう言った。他人からどう思われようと、不得意な点を馬鹿にされたりからかわれようと、自分には自信を持って『好き』だと言える物がある。誰がなんと言おうと、自身が音楽が好きであることに変わりはない。この場所に入学して数ヶ月。音楽という物が身近に存在し、それを学ぶ事ができる神宮音楽学校を湊人は誇りに思い、音楽の勉強に励む毎日が彼にとって喜びであり癒しでもある。楽しく音楽が出来ることに何よりも喜びを感じている。だからこそポジティブに物事を捉え、他者からの悪意にも鈍感でいられる。
気持ちを瞬時に切り替え、体育の授業中に得た構想を思い出しながら、湊人も更衣室を出たのだった。
音楽は、楽しければそれで良い。