「湊人」
あれから部屋の灯りもつけずに蹲っていた
「……母さんか」
「ただいま。ごめんね遅くなっちゃって」
「良いよ、別に」
湊人が『母さん』と呼ぶその女性。名を
「その様子じゃ、ご飯まだ食べてないんでしょ?」
「要らない。悪いけど今そういう気分じゃないんだ。ほっといてよ」
「もう。父さんと同じこと言っちゃって。あの人、カンカンに怒ってたわよ? 終いには、『湊人に学校を辞めさせろ』なんて言うんだから、帰ってきて早々びっくりしちゃった」
「……前までそんなこと言わなかったのに」
父親が言った言葉に心を痛めながら、湊人は小さくそう呟いた。詠も
「父さんはね、私や湊人が思う以上に苦しい思いをしてる。大好きなものを病気のせいで取り上げられたんだから。ああなっちゃうのも無理はないのかもねぇ……」
「だからって、僕に当たられても困る。頑張るのは無意味だとか学校辞めろとか、言ってること無茶苦茶だよ!」
「父さんがそんなこと……」
詠は溜息を吐きながら夫が息子に対して放った言葉に辟易する。自分では予想もつかなかった、夢見る無垢な子供に自信を失くさせるような発言をしていたのを知り、些か呆れた様子で腰に手を当てた。
「昔から口下手なのは知ってたけど、まさかここまでとはね……」
「どうせ父さんは僕に見向きもしないし、期待もしてないんだよ」
詠は含みのある口ぶりでそう呟くと、湊人は怪訝そうな顔で父親の愚痴を吐き出した。昔の楽人なら、勧んで音楽を学ぼうとする自分にどんな言葉を掛けたのだろう。『頑張れ』と言うのか、『お前ならできる』と言うのか。だがそれらの言葉を今の彼の口から聞いたことは1度だって無い。期待されていないと自覚しながら物事を行うのは、自己肯定感が下がり続ける一方である。
「どうかしらね。案外、心の奥底では湊人を応援したいって思ってるかもよ?」
「どうしてさ? 何でそう言えるの?」
「言ったでしょ? 口下手だって。きっと、応援したいって気持ちと、『自分のような道を行かせたくない』って気持ちが喧嘩してるんじゃないかしら。長いこと一緒に居るんだから、私は分かっちゃうのよねぇ。あの人が考えてること」
詠は楽人の人間性や性格に惹かれたからこそ結婚し、東家という家庭を築いた。元々楽人は他人、ましてや自分の息子にそういったことを言える人ではないのを彼女は知っている。きっと裏に隠れた意図があってのことだと詠は理解できるが、湊人はそんなもの知る筈がない。言葉の裏を読むなど、まだ15の少年には到底出来る筈もないし、それも分かった上で、詠は湊人の頭をそっと撫でる。
「……僕、音楽が好きなんだ。大好きなんだ。この気持ちだけは、絶対譲れない。だから頑張りたい。神宮でもっと勉強して、すごい音楽家になりたいんだ。たとえ父さんがなんて言っても」
「分かってる。湊人は頑張り屋さんだもの。そう言うって思ってた。誰がなんて言っても、湊人は私や父さんとは違う。
「うん。……うん」
詠の激励の言葉を聞いた湊人は静かに涙を流し、詠は湊人を優しく抱きしめる。どう足掻こうと、いくら真似事をしても。湊人は
数日後。湊人は放課となったにも関わらず、自分1人教室に残り続け、頭を悩ませながら机上に置いてある紙と睨み合いをしていた。
「……あっ。これ良いな」
脳内で組み合わせた単語に良さを感じ、すかさず湊人は紙上でペンを走らせる。ここ数日、彼はずっとこの調子だ。父と顔を合わせると気まずくなるのが目に見えている為、作詞をしていても誰も何も言ってこない、静かな教室で居残って作業をしていた。
「うん、良いの出来そうな気がする」
軽く伸びをしながら湊人はそう呟いた。自分以外誰も居ないのだから、どれだけ独り言を言っても問題ない。そう思いながら再び紙と睨めっこをしようとペンを握ったその時、近くに人影がいるのを感じ取る。作詞に夢中になっていたからか、今までそれにまったく気付いていないようであった。
「何書いてるの?」
長い黒髪を後ろで結び、興味津々な様子で湊人にそう聞いた。湊人は驚きながら横を向きながら声の主を確認すると、予想もつかない人物がそこに居た。
「えっ、は……
湊人の問いかけに彼女はクスッと笑みを溢した。その声の主の名は
開かれていた窓から、柔らかな風が入ってきた。