エアグルーヴに「炉心融解」歌わせたったwww 作:かぶひこ
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早春の抜けるような青空の下で、模擬レースが行われる。それは各々の夢を抱えたウマ娘たちが初めて自分を主張する場だ。量も質もそれほどではないかもしれないが、これまで培ってきたものを発揮して自分がここにいると叫ぶ舞台だ。どのウマ娘もここから始まる。なぜなら彼女たちは走ることで初めて自己表現を達成するからだ。そのことに対して言いたいことがある人もいるかもしれないが、トレセン学園とはそういうところなのだ。
今年デビューすることを決めた彼女たちの数は毎年のように多く、今年は芝ダートそれぞれ二日の計四日に渡って朝から実施される運びとなった。事前に書類を提出して、そのあとで出走順が通達される。その順番にも悲喜こもごもがあるのかもしれないが、それは各自の物語で語られるべき物事だった。
模擬レースが実施されるトレセン学園には実際に観客を集めるレース場とは違って、コースがあるだけだ。掲示板もなければ写真判定を行うための機器もない。実況もなければ歓声もない。いるのはレースを控えたウマ娘たちと、言葉は悪いが品定めをするトレーナーたち。そんな環境下でありながら、言ってしまえば彼女たちにとっては最初の勝負の場だ。実戦でこそないものの、空気はかなり張りつめている。そんな模擬レースを、生真面目な彼女がひとつたりとも見逃すわけがなかった。
デビュー前のウマ娘の走りなど似たり寄ったりなものがほとんどだ。フォームは整っておらず、戦略的にも甘く、力の入れ所はズレている。もしかしたら光るかもしれないな、と思う要素がたまに見受けられるだけで、初めからこれはすごいぞと思わせるウマ娘は本当に少ない。それでもコースを訪れているトレーナーは誰もがレースから目を切らない。双眼鏡で細かい部分を確認しながら手元のストップウォッチで時計を測っている。
芝の一日目、昼下がりにどよめきが起こる。二着に二秒以上の差をつけてゴールしたウマ娘が現れたのだ。芝の模擬レースは短距離、マイル、中距離とそれぞれ定められているが、その中で最も長い中距離であっても二着と二秒差は異常と言っていい。多くのトレーナーがそのスピードに魅了されただろう。もちろんそれも評価できるが、しかしエアグルーヴはその知性に感心していた。
圧倒的な力を見せつけ、一日目の話題をかっさらっていったウマ娘の名はテイエムオペラオーというらしい。彼女のもとにはすでに多くのトレーナーが駆けつけ、アプローチをかけているに違いない。そうなればむしろ彼女は選ぶ側だ。テイエムオペラオーの眼鏡に適う人物がその座を射止める。そこまで考えてエアグルーヴは苦笑した。簡単な道ではないだろう。
翌朝もエアグルーヴはコース脇の芝生に陣取っていた。目的は昨日と変わらない。模擬レースを見るためだ。たしかにテイエムオペラオーのその能力は素晴らしく、圧倒的な未来を予感させた。しかし彼女は模擬レースを見に来ている。もし声をかけるにしても、話をするのは今日が終わってからでも遅くないと考えていた。
レースが続く。ゲートの音ががしゃんと鳴り、上手とは言えないスタートが切られる。足がもつれる様子ですらそこまで珍しいものではない。生涯で初めてのレースということもあって緊張もあるのかもしれない。レースは続く。最後の直線まで脚を残せていない。顎が上がってしまっている。エアグルーヴはただそれを見ている。
やがて最後のレースの時間になった。日はもう傾いている。見に来ていたトレーナーの一部は帰ってしまっていた。オレンジ色に染まる芝が日中とはまるで違った鮮やかさで輝いている。ウマ娘たちはそれぞれゲートの中で気を落ち着かせようとしたりストレッチをしたり、レースへ向けて最後のほんのわずかなコンディション調整を行っている。空気が静まった。
ゲートが開いて、どてっと間抜けな音がした。
他のウマ娘は自分のことに集中しているのかスタートで転んだウマ娘に気付かずに懸命に走っている。転んだほうは急いで立とうと必死にもがいている。やっとしっかり手をついたころにはレースにならないほどの無茶苦茶な差がついていた。もう誰も彼女に関心を向けてはいない。エアグルーヴでさえ無意識的にストップウォッチでタイムラグを調整した程度だった。
最後の模擬レースの一着がゴールして、二着三着と続いてゴール板を駆け抜けていく。いま見たレースの感想を頭の中でまとめ始めたその瞬間に、なにか違和感のあるものがエアグルーヴの視界をかすめた。初めはそれが何なのか彼女自身にさえつかめなかった。丹念についさっきまでの記憶を浚ってやっと思い当たった。あの転んだウマ娘だ。起き上がったときにはレースとして成立していないほどの差が開いていた彼女が後ろから三番目にゴールしているのだ。エアグルーヴは自分の目が信じられなかった。たとえ絶望的でも諦めずに懸命に走るというのはいい。そういった根性や諦めの悪さは確実に競争生活でプラスに働くだろう。しかし、物理的にあり得るのだろうか。前を走るウマ娘も拙いとはいえコースを全力で走っていたのだ。追いつけるわけがない。けれどたったいま、目の前に集団に追いついた姿があった。そのウマ娘の名前も確認せずにエアグルーヴは駆け出していた。
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ただ事でない様子のエアグルーヴが資料室に飛び込んでくると、室内の空気が一気に固まった。誰か問題児が逃げ出したときのあの雰囲気を身にまとっている。学園の規律を取り締まるエアグルーヴは怒らせると本当に怖い。かのゴールドシップが真剣に逃げることを考えると表現すればその具合がわかるだろう。とにかく見る限りそれに近い様子の彼女が来たのだから、元からいた生徒たちは背筋を伸ばすどころの騒ぎではない。
しかし彼女は誰に向かうでも誰を探すでもなく、空いていたパソコンを起動した。細く長い指がこつこつと机を叩く。しかし急かされてもパソコンが早く立ち上がるわけもなく、通常通りの手順をたどっていつもと変わらない時間をかけて起動した。
エアグルーヴがすぐさま開いたファイルはつい先ほど行われた最後の模擬レースの動画だった。トレセン学園では模擬レースの様子をすべて撮影して自動で動画化するようになっており、これは当日に予定が合わなかったトレーナーや自分のレースの反省をする生徒が閲覧できるようにという配慮によるものである。とはいえ当日の直後に飛び込んでくるなど珍しい。事実、テイエムオペラオーのレース以外の閲覧回数はあって一桁、ゼロなんてものも珍しくないくらいだった。
二分と少しのそのレースは、というかひとりのウマ娘は異常極まりないものだった。転んで、立ち上がって、遠目のカメラ越しでもわかるくらいに動揺した様子で走っている。何一つとして整っているものはない。しかし目を疑いたくなるほど、彼女の部分だけ映像をいじっているのかと思いたくなるほど、持続的に加速している。スピードが落ちない。ぐいぐいと彼女の一つ前を走るウマ娘までの距離が縮まっていく。速度が増していく。転んだ彼女が最後の直線に入ったころにはもう一着はゴール寸前だ。しかし加速は続く。最後尾を吞み込んだ。続々とウマ娘たちがゴールしていく。そして彼女もレースの一員としてゴール板を駆け抜けた。
息をのむ。まだ誰も気付いていない。彼女は、原石だ。ひとつも磨かれていない、それどころか岩に埋もれたままだ。全容が見えない。これが何にもならずに消えていくのかと思うとぞっとした。まだ何を始めたわけでもないエアグルーヴにトレーナーとしての精神が根付いていたわけではない。ただ、見たいと感じていた。別にエアグルーヴ自身の手で育成しなくてもいい。あの少女が完成するのを、完成したのならばどうなるのかが見たかった。しかしこのままだとおそらく、いや、より高い確率で彼女はチャンスさえもらえずに沈んでいくだろう。そう考えた瞬間、エアグルーヴはもうすべてを決断していた。
最後のレースのときには眩しいオレンジ色だった空が、もう濃い藍色に染まってきていた。トレセン学園の生徒は自由時間を思い思いに過ごしている。自主トレーニングに励むものもあれば、早い時間に食事に向かうものもいた。自室や他の施設でくつろぐ生徒も多い。そんな中をエアグルーヴはある一人の生徒を探しながら歩いていた。
学内というより構内と言ってしまったほうがいいほど広い学園内でたった一人を見つけるのは大変な作業だ。たびたびその辺にいた生徒に聞いてはみるが、ほとんどは知り合いでさえなかった。たまに知り合いにあたっても居場所は知らなかった。仕方のない話にせよ、それと疲労には関係がない。エアグルーヴはため息をついた。
食堂はピークに入り始めていた。席がまだ埋まりきっていないのは、まだ生徒がカウンターに並んでいるというだけの話だ。エアグルーヴはとりあえず飲み物を買って、それからまた探しに行こうと考えていた。ここにいれば幸運だ、程度にしか考えていない。自販機の隣の壁に背中を預けて食堂内をざっと見渡す。甘いことはまったく強調されていないはずの紅茶が甘く感じる。明日に回したほうがいいかもしれないな、と思い始めた辺りで特徴的な髪色が目についた。あの明るい、オレンジとも言える髪は昨日も見ていた。テイエムオペラオーだ。そして彼女と向かい合って食事をしているのは。
「あ」
エアグルーヴはつい声を漏らした。
数秒のあいだ開きっぱなしだった口を閉じるが早いかエアグルーヴは歩き出す。視線を送る先を完全に固定して歩いているのは異様で、たまたま周囲にいた生徒たちは恐怖して後ずさった。意識が完全に一点に向かっているのに歩く姿に乱れが見られないのは奇妙な現象と言ってよかった。資料室に走って向かったのと何が違うのかは誰にもわからない。しかしそんなことはどうでもよかった。大事なのは探していたウマ娘がそこにいるということだ。
目的のテーブルの脇に立ってエアグルーヴは声をかけた。
「メイショウドトウだな? お前に話があって来た」
「えっ、エ、エエエッ、エァ、エアグルーヴさんんん!!??」
メイショウドトウは気絶した。