時刻は十六時頃、夕食にはまだ遠いこの時間帯でも食堂には多くのウマ娘が集う。授業終わりの憩いの場、トレーニングに入る前の栄養補給……。理由もそれこそ人それぞれだが、中にはおやつと称して、明らかに主食としか思えない料理をパクついている者もいる。
賑やかな喧騒の合間を縫って、私達四人は空いているテーブルに着いた。
「よぉし! にんじんぷりん買ってこよーっ」
するとさっそく、席に座りもせずにハルウララはカウンターの方へ行ってしまう。「あ、ちょっと待ってください」と後を追うフクキタル。おそらく『にんじんぷりん』とは、食堂へ連れてくるための出まかせだったのだろう。うまく誤魔化し切れれば良いが……。
かくいう私はそこまでお腹も空いていないし、ドリンクでも頼もうかと迷っていたところ、向かいに座ったタイキシャトルが心配げに覗き込んでくる。
「マヤノ~? 本当に良かったのデスか? ライスを呼ばないで」
「えっ? タイキシャトルさんも調子合せてくれたじゃん」
「あれはその場のテンションっていうやつデス。ライスも、トレーナーと二人きりになりたい! というオーラを醸し出していましたし。デスが……」
彼女らしくもない歯切れの悪さだ。とはいえ、言いたいことは何となく分からなくも無かったので、「事件のことについて?」と私の方から口にする。
「せっかくチーム五人で集まったんだから、その事をちゃんと話し合うべきだった……と?」
「そういうことデース……。マヤノは色々と推理を巡らせているようデスが、やっぱりワタシはまず、ライスときちんと話すべきだと思いマス。あれこれと調べるのはそれからでも遅く――」
「それじゃダメだったの」
驚いたように顔を上げるタイキシャトル。
「あの事件の後、ライスちゃんには何度も話を訊きに行ったよ。たくさん質問だってした。水筒を零したのは本当に偶然の事故だったのか、水筒は日向にあったのか、現場で他に人はいなかったか……。通り一遍のことは確認した。で、その結果分かったのは――」
ごくりと唾を呑み込むタイキシャトルを前に、私はお手上げのポーズをしてみせた。
「何も分からないってこと。ライスちゃんは何をどう尋ねても、言葉を翻さなかった。……悪いのは全部自分。零したのは私、いたのも私だけ、他に不審な点は一つも無い。それで最後には決まって、ごめんなさいの連呼。……聞いてるマヤの方が辛くなっちゃって。たぶん、タイキさんも同じだったんじゃない?」
暗い顔でうなずく彼女。
「なぜライスはああも頑ななのデショウ? どうして本当の事を打ち明けてくれないのか……」
「そこなのですが」
と、そこで唐突に会話に割り込んでくるフクキタルの声。隣には満面の笑みを浮かべたハルウララの姿も。……二人とも、カラメルの代わりに紅色のソースがかかったプリンを大事そうに両手で捧げ持っている。
「ライスさんの事件を調べる…というか推理するにあたって、私はスタンスが重要だと思うのです」
「ちょ、ちょっとウララちゃんの前で事件のことは――」
「あー大丈夫です。ほらこの通り」
そう言うなり、フクキタルはひょいとスプーンで例のプリンをすくってハルウララの口へ割と強引に突っ込んだ。途端に「にゃふゃあ」と形容不能な蕩けた声を発してほわほわと頬を緩めるハルウララ。……その瞳は完全に明後日の方を向いている。
「気づきそうになったらこのようにして、甘味で意識を飛ばせば良いのです。んまぁ、いつまでもウララさんを仲間外れにしてこそこそ話す……というのも感じが良くありませんし。この方法でぱぱっと済ませてしまいましょう」
「大丈夫なのそれ……。というか甘いの? その色で……?」
「ええ、まさしく常識外の糖度ですね、これは。新作の激甘にんじんはちみつソースという触れ込みでして、プリンと組み合わせればもう百人力ですよ」
「は、はぁ……用法使用量には注意してね?」
何はともあれ四人全員が席へ座り、途切れていた先ほどの会話が仕切り直される。
「それでフクキタルさん、スタンスって何のこと?」
「ライスシャワーさんを犯人だとするか、しないか。どちらのヤマで調査をしていくか――という話です。例えばさっきタイキシャトルさんは『なぜライスシャワーは真実を打ち明けないのか』と仰りましたが、犯人がライスシャワーさんだと断定するなら、答えは一つです。つまり、そもそも事実しか話していない。……いわば自供ですね」
「だけど、それじゃ納得のいかない所が多いよ。もう何回も挙げたけど、水筒の中身が一気に零れる訳が無いとか、その他にもたくさん」
「それはそれとして、です。これはあくまで事件をどう追及していくか、という姿勢の話ですから」
「なら、逆に言ったらライスちゃんは犯人では有り得ないと?」
そういうことになりますね――とぶんぶん首を縦に振るフクキタル。
「そもそもの出発点として、ライスシャワーさんの単独犯では不審点が多すぎるから、このように事態は紛糾し、マヤノさんが奮闘されているのです。ゆえに、私達<ブルームス>が今後取り組んでいくべき調査と推理は――」
「真犯人の確保! ということデスね!!」
ぴょいんとテーブルから1mほどの高さにまで跳ねながら叫ぶタイキシャトル。話が分からないなりに、盛り上がりを察したらしいハルウララがそれに合わせて、「いぇい!」と拳を突きあげた。……周りのテーブルから冷ややかな視線が一斉に注がれるのが分かる。
「そうと決まれば張り切って聞き込み続行デース!」
「ちょ、ちょっと待って。それだとライスちゃんは私達に嘘をついてるってことになるけど……」
勢いだけで話が終わりそうな気配を察し、慌てて私が付け足すと、皆の両耳が一斉にへたっと横へ折れた。
「ぐむむ、問題はそこなのです。あれが自供でないとすれば、すなわち完全な嘘。現場にライスシャワーさんがいた――というのはリトルココンさんの目撃もあって確かですから――」
「真実を知った上で、あえて私達に誤った情報を伝えている……? でもなんで?」
うーん……と四人揃って腕を組んで唸り声をあげる。近くのテーブルの子達は怪訝を通り越して恐怖を感じだしたらしく、潮が引くように周囲から人が消えていく。だがそんなことはまるで気にせず、タイキシャトルがハッと何かに気付いたように顔を上げた。
「そうデス。きっと誰かを庇っているんデス!! そうに違いありまセン!」
「庇ってる? ……確かに、ライスちゃんはそんな風に見えなくも無かったけど……」
『ごめんなさい』、謝罪の言葉しかロクに言わず、後日に何があったと詰問しても私が悪いの一点張り。言われてみれば、これは謝るというよりむしろ、何か不都合を隠蔽しようとしている――。そんな印象を受ける態度だ。その何かが、自身ではなく他者のものであるという可能性も、ライスシャワーなら十分に考えられる。
「なるほどー。それならばチームメイトである私達に嘘を吐く理由にもなり得ますね。その庇っている人が誰なのかによりますが……。これは良い線言ってるんじゃないでしょうか!? さすがですタイキシャトルさんっ!」
「オウ、イッツァベリーイージークエスチョン! ライスの性格を良く考えれば、当たり前のことデース。なぜもっと早く気付かなかったか、不甲斐無いくらいデス」
「となると、理由はさておき水筒を零したのはライスちゃんでなく別の誰か。グラウンドの使用状況を踏まえると、それは<ファースト>のメンバーに限られるよね」
「ふんむむむ……しかしマヤノさん。あの時ベンチに近寄れる人が<ファースト>に存在しなかったことは、ついさっき皆で確かめました。この謎はいったいどういう事でしょう?」
フクキタルからの鋭い突っ込みに、私は答えあぐねてしまう。せっかく良い流れだと思ったのにここで終わりかと諦めかけたところ、プリンに集中していたはずのハルウララが急に手を挙げた。
「はいはーい。なんだか良く分からないけど、悩んだ時は甘いものが一番だよ~。マヤちゃんも一緒ににんじんぷりん食べよ?」
と言うが早いが、私へひょいとスプーンに乗った紅色のそれを突き出してくる。一口くらい良いかと食べてみると、フクキタルの言葉通り信じられないほど甘かった。というより、もはや通り越して痺れすら覚えるくらい。これを一皿丸ごと平らげたら、しばらくは甘味を感じられなくなるんじゃないだろうか……そう予感させるほどの破壊力だ。
「なっ……なにこれ? にんじんとかはちみつの甘さじゃないでしょ!? フクキタルさん、どっからそのソース持ってきたの~!?」
「え? 普通に調味料としてカウンターに置いてありましたが」
「これで調味料……? 自己主張強過ぎない?」
「ありゃ? 不評でしたか~。マックイーンさんは嬉々として並々と注がれていたんですが」
「そんなにヘンテコなソースなのデスか? ではワタシも一口……」
恐れ知らずのタイキシャトルが、フクキタルの持っていた紅色プリンを口へ運ぶ。数秒経って、彼女は目に見えて顔色を悪くさせた。
「オウ、ジャパニーズスピリチュアル……」
別段、甘いものが苦手というタイプではなかったはずだが、これは別格だったらしい。テーブルに置いてあるコップの水をぐびぐびと呑んで必死に中和しようとしている。
「マックイーンさんが甘いもの好きってのは聞いたことあるけど、これをたっぷりかけるってのはちょっとね……。ていうか、何に掛けるの? プリンでも相当ヤバいんだけど」
「さぁ? 普通ならホットケーキだとか、食パンにつけるのではないでしょうか? 聞いた話によれば、元はにんじんだから肉料理につけても合うそうですよ?」
「いやいやいや! マヤ想像したくなーい!」
「えぇー? この美味しさが分からないなんて、もったいないなぁ。わたし、これがあったらきっと苦手なピーマンだって、何個でもいけちゃうよ~」
「ウララ……それはもうピーマンと呼んで良いものではありまセーン……」
ワイワイとはしゃいでいる内に、気付けば話題は事件の推理からはすっかりと離れていて。ここ最近はずっとそれに掛かりきりだった反動なのか、私達は完全におやつタイムを楽しむ方向へと、食堂へ来た目的をシフトさせていた。
「――それでね~。やっぱり私、アイスはバニラが鉄板だと思うんだ。チョコや抹茶も良いんだけど、口どけの安心感が違うっていうか。適度な甘さって言えば分かるかな?」
「ワタシも同感デース。こう見えてワタシ、アイスの味にはうるさい方なのデスが、ここの食堂は際物が多くてへきえきしてマス。中でもあのナポリタン味は最悪デシタ……。二度とあの鮮やかな赤色は見たくありまセン」
「いっけん、オレンジ味を装っているのが厄介ですよね~あの絶望的アイスクリーム。私も口にしたときは、いよいよこの世が末法の時を迎えたかと覚悟を決めかけました」
「わたしはアイスなら何でも好きだけどな~。コンポタージュ味とか、シチュー味だって面白かったし!」
「ウララちゃんは何でも食べられて偉いね~。マヤは真似したくないや……」
「面白い味と言えば、醤油ソフトクリームなるものがあるそうデスね。意外にも奇天烈ものではなくて、一般にも販売されているとのことデスが……」
「おお、それを知っていようとは! タイキシャトルさんは日本の文化に博識ですね。その通り、甘いものと辛いものは時として絶妙なハーモニーを生み出すのですっ! スイカに塩を振るのもその代表例です」
「へぇ~。甘いアイスに辛いソースを加えると美味しいんだ。あれ? じゃあナポリタン味はなんであんなにげろまずだったんだろ?」
「マヤノ、その話はもうよしまショウ……」
「あっわたし良いこと思いついたよ~。プリンには、にんじんソースばっかり使ってたけど、あっちの辛いヤツだったらもっと美味しくなるかな?」
そう言ってハルウララが、調味料の置かれているカウンターの一角を指さす。ケチャップやマヨネーズなど、基本的な物が陳列されているその中で、ひときわ目立つ一団が。綺麗な赤系統の発色で彩られたその瓶にはデカデカと『にんじんデスソース』と書かれていた。
「ん? それもにんじんソースなの?」
ハルウララが抱えて持ってきたそれをしげしげと眺めてみるが、先ほどプリンにかかっていたものと色合いに違いはほとんど無い。また、どうやらその二種は同じメーカーが製造しているもののようで、ラベルや瓶の形状も完全に同一と言ってよい出来だった。
ハルウララはえっへんと自慢げに胸を張って説明を始める。
「これはね~。さっきの甘いヤツと違って、ものすっっっごく辛いんだって! わたしはまだ試したことないけど、にんじんを元に改造してるらしいから、きっと唐辛子なんかより数十倍凄いんだろうな~」
「ウララちゃん、にんじんを万能野菜か何かと勘違いしてない?」
皆が口々に止めるのも聞かず、ウララはそのソースを残っていたプリンへ少量垂らした。ドロリとした粘性のしずくが、黄色い土台へ不気味に張り付く。……死のソースなんて大層な名前をつけてあるものが、まっとうな調味料とは到底思えない。ましてや、あの味蕾を壊滅するほどの激甘ソースを作っていたメーカーだ。瓶の形状がそっくり同じであることからも、開発コンセプトの類似性がうかがえる。となるとその味はまず間違いなく――。
「おおっと待ったウララさん! ここはまず私が毒見をして差し上げましょう。安心してください、今日の私の豆占いは『まめまめしい行動が吉』ですので! ではさっそく一口」
よせばいいのにフクキタルがプリンを頬張る。――と同時に硬直。氷漬けにされたかのように、スプーンを咥えた状態でたっぷり十秒ほど固まった後、「まゃっ」と不可思議な擬音を発して、へなへなと床へ崩れ落ちた。がくりと項垂れた顔に生気は宿っておらず、口からはだらりと舌が垂れている。……そして両目は完全に白目をむいていた。
「ふ、フクキタルさん!? フクキタルさんがやられたっ!?」
「わ~そんなに美味しかったんだ! じゃあわたしもやってみよーっ!」
「ストーップ! ウララは危ないですから離れてくだサイ! もう十メートルくらいは距離を取って! いったい誰ですか、このような危険物を食堂へ配置したのはっ! ワタシが成敗してさしあげマスから、神妙にお縄に付きなサ―イ!」
「あ、あの~盛り上がっているところ申し訳無いのですが~」
哀れな姿となったフクキタルを囲み、大騒ぎをしている私達へ、非常に控えめな小声で話しかけてくるウマ娘が一人。特徴的な猫背と、それと対照的な実にもちもちとした身体つき――メイショウドトウが、上目遣いで私を見ていた。
「その調味料は非常に希少で、高価な特注品でして……。トレセンの食堂にもなかなか配備されないんです……。ですからその……その、あんまり独り占めにされると困るといいますか……いえいえいえ! 決して皆さんのお邪魔をしたいわけでは無いのですが、他にも使いたい子がいるようですし……その」
「あっごめんなさい! 食べ物で遊ぶようなことしちゃって」
何事かと思えば、メイショウドトウの言っていることは全くの正論だった。トレーニング終わりということもあって、少しはしゃぎすぎてしまったようだ。深々と頭を下げて、『にんじんデスソース』を元あった場所へ戻す。
「あああ、ありがとうございます。私なんかのお話を聞いてくださって。すみません、迷惑でしたよね、ご歓談に水を差すような真似をしてしまって」
「そんなことないよ。ここは皆が使う食堂だもんね、悪かったのはマヤ達だもん。ほら、フクキタルさんも起きて」
「えっええ……ハラホラヒレ……ふぎゅ。ずびばぜん」
「まことにソーリー……。ワタシもちょっと度が過ぎてマシタ……」
「わたしも……ごめんなさーい……」
他の<ブルームス>の面々もそれぞれ謝罪を口にする。しかし、ドトウはそれでもなお低姿勢を崩さず「すみませんすみません」と言い続ける。お互いがどこまでも一歩を譲り続けるばかりで、何だかキリが無い気がしてきたので、仕方なく私は話題を切り替えることにした。
「それじゃあその、さっき高級品って言ってたけど、ドトウさんはあのデスソースが好きだったりするの?」
「え? ええ……少々。チキンとか、ピザとか洋風のものを食べる時によく使います」
「本当ですか!? あのげに恐ろしき液体Xを……? そんなウマ娘が実在するなんて」
「他にも、け……結構いると思いますよ、あのソースが好きな人。エルコンドルパサーさんなんかが使っているのをよく見ます。前までは自前で食堂に持ち込んでいたそうですが、これが導入されてからというもの、毎食欠かさずかけてるんだとか。グラスワンダーさんが愚痴ってました」
「へぇ~。マヤ知らなかった~。いつの間に激辛激甘ブームがトレセンに到来していたんだ」
「いやたぶんこれすっごい狭い世界の話だと思いますよ……。普通は見向きもしませんから」
「ワタシも知らなかったデス。宣伝もほとんどしてまセンよね?」
「はい、そのはずです。何でもあんまり皆に広まったら、面白半分で使う人が出てきちゃうからって会長が仰っていました。……あまり良い話ではないのですが、実際にいたずらをする子もいるみたいですし、仕方が無いんじゃないでしょうか……」
「いたずら? 何かあったの?」
メイショウドトウの言葉に引っ掛かりを覚えた私は、その事について深堀を試みた。だが、いざ訊いてみると彼女は「その~……」とどうも口が堅くなってしまう。しかし、それがむしろ『何か大きな事があったのではないか』という予感を強くさせた。
「フム……あ、思い出しマシタ。そう言えば、三日ほど前のちょうどこの時間、ドトウは骨付きチキンを食べていマシタよね? あの時、アナタはデスソースを使って……いなかったような?」
「う」
これは図星だったらしく、ただでさえ低い姿勢をさらに床へと近づけるメイショウドトウ。個人的にはそんなことまで覚えていたタイキシャトルにびっくりだが、ここはもっと追求したいところだ。
「どういうことなの、ドトウさん。知っていることがあるなら、マヤにも話して欲しいな~。その様子じゃ、気分でたまたま使わなかったって感じでも無さそうだし」
「その、あのですね~。実はあの日、デスソースが品切れだったんです。中身が全く空っぽでして」
「へ? それだけ?」
単純にそれは使い切ったからでは……と思ったが、どうも違うらしい。
「その前日……四日前まではソースはたくさんあったのです。なにせ、これを料理に使う人は複数いるとはいえ大勢ってわけでもないですし。覚えている範囲では七割ほど残っていたはずです。それが――」
「一夜明けた途端、全部無くなっていたと。いかにも怪しいね」
「あんなに辛いソースを、一食で七割以上も使う人はまずいないでしょう。一滴でも極楽浄土が見えるほどなんですから」
「となると可能性としては、ドトウさんが言ったいたずら説が濃厚ってことになるね。誰かがこっそりデスソースを持って行っちゃった……と」
「はい……残念ながら。先ほども申し上げたよう、あれはとても高価な貴重品でして……。取り寄せるのも一苦労なんだそうです。今、食堂に置かれている新品の物も、オペラオーさんやオグリキャップさんの協力もあって、どうにか入手したもので……。ですから大切に扱って欲しいなぁと……」
「あううごめんなさーい!」
「あわわ謝らないでください、元はと言えばこんな物を人目に付く位置に置いていた事が……! すみませんすみません」
またも加害者意識のループに嵌まりそうになったが、すんでのところでハルウララが「あれ、じゃあはちみつソースの方も?」と助け船を出してくれる。言われてみれば、あっちの方も一般には見かけない珍しい調味料だ。
「ええ、高級品のはずです。ただあちらはそのようないたずらは無かったようですね。テイオーさんも、マックイーンさんもあれで毎朝のドリンクを楽しんでいるみたいですよ。コーヒーとかミルクに入れて」
「まさかのあれを飲むとおっしゃる!?」
「トレセンの闇は深いデース……」
話も一段落したところで、「じゃあそういうことで、今後はよろしくお願いします」――と締めて、ドトウは去っていった。
「うーん、妙な話デシタ。あんなデッドリーなソースを取って、いったい何に使うというのでデショウ? 奇特な人もいるものデース」
「単なるいたずらなんじゃないですか? もしくは、未知の邪神を呼び出す儀式の秘薬の材料として利用したとか!? あわわわ……速く対抗呪文を探し出さねば」
「うーん……。わたしはそんな悪いことをする子、この学園にいないと思うけどなぁ」
不思議そうに呟くハルウララ。私もその意見には賛成だった。
貴重なソースを盗む理由としては、転売が真っ先に考えられるが、そこまで悪どいことをやるような子に心当たりが全くない。学園にいるウマ娘は皆、基本的にレースで走ることを第一目標として掲げている子ばかりだ。そのためお金が欲しいだとか、誰かのことを傷つけたいだとか、そういったありがちな動機と全く結びつかない。
ただし、では善良な子しかいないのかと言えば、それはまた違う話で――。ちょっとした悪ふざけなら、実行するかもしれない子なら何人か候補が上がる。人が飲むジュースの中にこっそりコショウを混ぜたりだとか、あるいは塩と砂糖のラベルを入れ替えたりだとか。そのくらいの可愛らしいいたずらならば、例えば『あの子』は軽い気持ちでやりかねない……。
と、そこまで思考を巡らせたところで、ふと閃くものがあった。
「……そう言えばはちみつソースと、デスソースって瓶の形が同じだったよね?」
「ハイ、同じ会社の商品みたいデシタから」
「私、ちょっと気になることができちゃった。皆は先に行ってて」
「どちらに行かれるのです? まさかライスシャワーさんのところへ?」
「違うよぉ。とにかくマヤは大丈夫だから、皆、また明日ね!」
私は足早に食堂を出ると、学園の校舎へと向かった。