十月後半ともなると日が落ちるのも早い。時刻は十七時を回った頃だったが、校舎内の廊下は既に真っ赤な西日に包まれようとしている。教室で帰り支度に勤しむ子達をしり目に、私は彼女の姿を求めて先を急いだ。
この時間ならまだ寮には戻っていないはず……。かといって他のウマ娘と一緒にトレーニングに真面目に励んでいる……ということもまた無いだろう。『彼女』はそんなに殊勝な性格をしていない。まだまだ遊び足りないと学園中をほっつき歩いた挙句、しまいには先生や、フジキセキを始めとした先輩ウマ娘に叱られる――というのが常の女の子である。
だからこそ、いざ見つけようとなると実に苦労する羽目になる。ここにもいない、あそこにもいないとそこら中を右往左往していたところ、偶然ユキノビジンが通りかかった。
「ユキっぺ! ちょうどいいとこに。スイープちゃんがどこにいるか、知らない?」
「スイープ……てったら、スイープトウショウちゃんのだっぺ? んーあの子なら確か、図書室に行かなきゃって言ってたような」
「図書室? なんでまたそんな所に」
「箒も持ってたから、ああいやコスプレ用のじゃなくて、ちゃんとした方の……。だから掃除にでも行くんでねぇか? ……たぶん、何かやらかしたお仕置きだと思うべさ。サボりたい帰りたいって空気がダダ洩れだったし、会いたいなら早く行った方が良いっぺ」
「ありがと!」
実のところ、トレセン学園では図書室の名で俗称される施設が三か所以上あるため、その単語だけで場所を特定するのは厳密には難しい。蔵書が一番多くトレーナーも良く利用する大図書館の他に、一般文芸の書籍を主に取り揃えてある第一図書室などなど……。それぞれの施設の立地はウマ娘基準でもけっこう離れているほうで、全部回るとなると一苦労だ。だが、ここはお仕置きというワードですぐに合点がいった。
学園の公務のほぼ全てを掌握しているといって差し支えない生徒会は、鉄の掟とも称される厳格なルールを全生徒に課している。それらの詳細は割愛するが、これに従わなかった生徒にはしばしば『お仕置き』なるものが実行されることがある。……こう表現すると何やら恐ろし気だが、その実態は単に生徒会の雑事を手伝わされる――といったものが大半。資料の詰められた段ボールを運んだり、空き教室の掃除をしたり……。そして利用者のごく少ない第二図書室の整理整頓も、良く用いられる懲罰の一つであった。
帰路に急ぐ生徒の流れに逆らって、階段を駆け上ること三階分。埃の目立つ校舎の片隅に、第二図書室――正式名称、『第二資料保管室』は存在している。その堅苦しい名前からも分かる通り、学園の行事の歴史をつづった古臭い資料などが、誰に読まれるでもなく延々と眠りについている場所である。
木製の扉に手を掛けてみると、案の定鍵は外されていた。ゆっくりと横へスライドさせて、まずは中の様子をうかがってみる。……二人の少女が作業に取り組んでいるようだ。一人は目当てのスイープトウショウ、もう一人は栗原寮の寮長でもあるフジキセキ。もはや学園名物コンビといって良いくらい、高い頻度で見かける組み合わせだ。今回はおおかた何か悪事を働いたスイープトウショウが食らったお仕置きを、フジキセキが監督している――といったところだろうか?
「うわぁぁん、煙いし汚いしもうやだよぅ。帰りたいよ~」
「泣き言を口にしない。今日の分はあとちょっとで終わるんだから、もうひと踏ん張りだよ」
そう慰めるフジキセキも、頭には三角巾を被って手にはモップを握っている。見張り役を仰せつかったは良いが、見るに見かねて手伝ってしまっているらしい。何とも人の出来た先輩だ。
「おや? そこで覗き見ているのはどこのポニーちゃんだい? 埃塗れのこんな醜態はあまり人目に晒したくないんだが」
「ああすみません。そんなつもりは無くって。スイープちゃんに訊きたいことがあったんですが」
「この子に? ふむ……。そろそろ換気も必要だろうし、ここらでいったん休憩しようか」
「え、いいの? やった! マヤノちゃんありがとう!」
「えへへ、どういたしまして」
さすがに片付け途中の資料室の中で会話するわけにもいかないということで、三人揃って廊下へ出る。私の顔を一瞥したフジキセキは、瞬時に何かを察したようで、
「じゃあ私は席を外そうか」とさっそうと階段を降りて行ってしまった。……鋭いところのある先輩だとは知っていたが、ここまで来ると脱帽である。
しかしそれをスイープトウショウは単なる幸運だと捉えたらしい。私の制服の袖をぎゅっと掴んできたかと思うと、とんでもない事を言いだした。
「ね、ね。マヤノちゃんこのまま逃げようよ~。このままだと私、一生図書室から出られなくなっちゃう」
「それは言い過ぎじゃ――」
「そんなことない! 皆酷いんだよ! 私、なーんにも悪いことしてないのに、あること無い事並べ立てて、こんな狭いとこに閉じ込めて~! フジさんのこと、ちょっと良い人だって思ってたのに……全然信じてくれないんだもん! 裏切り者~!」
「え、ええ? スイープちゃん、どういうこと?」
何やら思った以上に事情が込み入っているようだ。メイショウドトウの話から、食堂にてスイープで何かいたずらをしたのでは? と私は疑っていたのだが……これは悪い意味で正解だったか。
あっちこっちへ支離滅裂な彼女の話を、根気強く聞いて脳内で纏めたところ、つまり以下のような話であるらしい。
スイープトウショウは四日前(ライスシャワーの事件があった前日)、食堂に置かれている調味料、『にんじんデスソース』と『にんじんはちみつソース』のラベルを入れ替える……という大胆不敵ないたずらを行った。ソースの色も、瓶の形状も全く同じ、となればラベルがそっくり変わってしまっても気付かれないだろうと踏んだのである。そして両者の使用用途は全く逆、うっかりホットケーキなどにそれを垂らしてしまったが最後、そのウマ娘は悶絶、七転八倒しかるのち保健室送り――という企みである。
しかし、ラベルを入れ替えるという単純な作業であれども、学園の食堂は常に満員御礼。トリックを仕込む隙は中々見つからない。そのため、必勝を期した彼女はわざわざ深夜に寮を抜け出してまで、これを完遂。かくして明朝には誰かしらの悲鳴が聞けるだろうとほくそ笑んでいたのだが。
「それがね、私が食堂に行ったら皆がすっごく怒ってたの! 食べ物を粗末にするなーって、それはもうカンカンで。私、ただラベルを張り替えただけのに……。誰も信じてくれないの」
「それってもしかして……『にんじんデスソース』が空になっていたからじゃない?」
「そうなの! でも私そんなことやってない。ラベルだって、誰かが引っかかったら元に戻すつもりだった。それなのに、フジさんも会長も怒るばっかりで話を聞いてくれないの……」
話しているうちに色々と込み上げてきたようで、スイープトウショウはとうとう泣き出してしまった。見るに見かねて持っていたハンカチを差し出すと、それを引っ掴んでずびーっとハナを噛む。……もう少し遠慮というものを覚えて欲しい。
「つまるところ、スイープちゃんは身に覚えのない罪でお仕置きされてるってこと?」
「そうそう! 冤罪よ冤罪! だから私が、こーんなくそつまんない掃除する義務なんてないの! ふざけんな~!」
先ほどまでの涙はどこへやら、今度は顔を真っ赤にして箒をぶんぶんと振る回し始める。彼女には申し訳ないが、確かにこの様では信じる気にこれっぽっちもならないだろう。それどころかむしろ、だいぶ罪を減軽してもらった方なのではないだろうか……? フジキセキの苦労がしのばれる。
だが私は――。
「分かった、スイープちゃん」
「え?」
「私、信じてあげるよ」
「ほんと!? マヤノちゃん、味方になってくれる!?」
箒をぽいと投げ捨てて、スイープは感極まった様子で私の両手をぎゅっと握り締めてくる。やる事と言えばいたずらばかりで、友達も多い方とは言えない子だ。まともに話を聞いてくれる人もおらず、よっぽど心細かったのだろう。……まぁ私にしても、ライスシャワーの件が無ければスルーしていたに違いない。
「うん。ただ、一つお願いがあるんだけど……」
「なになに? 私、今とっても気分が良いから、マヤノちゃんの言う事なら何でも聞いてあげるよ~。どんな魔法を教えて欲しいの?」
「いや魔法じゃなくって……。そんな奇跡みたいなことじゃなくって良いの。私が頼みたいのは本当に簡単なこと」
そう前置きして告げた私の『お願い』を聞いて、スイープはとても不思議そうに首を傾げた。
スイープと小さな取引をした後、一つ下の階へと降りてみると、待っていましたと言わんばかりにフジキセキが「やぁ」と声をかけてきた。
「マヤノちゃん、話は終わったようだね。首尾はいかが?」
その質問がどういった趣旨のものか、瞬時に判断できなかったので「まぁまぁかな?」と適当に返す。すると彼女は少しいたずらっぽく頬を緩めて微笑んだ。
「それは何よりだ。スイープも君みたいな子がいてくれて、さぞ心強いことだろう。我がことのように嬉しいよ」
その口ぶりに、先ほどからずっと疑問に思っていたことが確信に変わった。
「フジキセキさん、もしかしてスイープちゃんの本当のいたずらに気付いてるんじゃない? それなのに知らない振りしてるでしょ」
「おやおやこれは……困った子だな」
参ったような言葉とは裏腹に、より一層笑みを深めるフジキセキ。しかしこの予想が当たっているのだとしたら、彼女はスイープに酷い仕打ちを働いていることになる。あの泣き顔を直前に見せられた身としては、それはちょっとばかり許せない。
真正面からじとーっと睨み続けていると、ついに彼女も観念したらしく、両手を降参のポーズに上げた。
「分かった分かった。……正直に言うよ。実のところ、スイープトウショウがいたずらを働いたという事実は、何者かの垂れこみによって判明したことなんだ」
「ええ?」
「三日前……つまりスイープが食堂に忍び込んだ次の日の昼に、生徒会の投書箱に匿名の投函があった。曰く『食堂のデスソースをスイープトウショウが全て捨てた』と。真偽を確かめるべく、会長一行が赴けば案の定その瓶は空っぽ。複数の生徒からの証言で、前日まではしっかり中身があったことも確認されたので、投函の信憑性は一気に高まった。そして当の本人も――」
「食堂への深夜の侵入を否定しなかった……と。こうなればもう決まりだね」
「ああ。投書箱にはときおり、直接は打ち明けにくい事柄が、悩み相談のように投げ込まれることもある。今回のそれも、スイープのいたずらを目撃した友人によるもの――と会長は判断した。後は知っての通りさ」
「……でも、スイープちゃんは実際にはそんなことしていない。フジキセキさんはそれが分かってるんでしょ?」
そう尋ねると彼女は悩まし気に深くため息を吐いた。
「難しいところなんだよ。スイープが深夜に寮を抜け出したのは事実だ。あれだけ窓から飛び降りるのは止めてくれと言ったのに……。まぁ今となっては後の祭りかな。それ以降の彼女の足取りは、それこそ監視カメラの開示でもしなければ明らかにならない。寮長として、責任を追及されるべき立場にある私は、あれ以上彼女を庇うことはできなかった」
「一応フォローはしたんだ」
「まぁね。けど怒れる女帝の前じゃ焼け石に水だったな。せめてスイープの主張通り、二つのソースが入れ替わっていれば、また違ったかもしれないが」
「どういうこと? まさか会長達が確認した時、ラベルは元通りに――正しい状態になっていたの?」
「うん。いったいどういう訳なのか、両方ともにいたずらの形跡は何も無かった――もちろん、デスソースが空になっていることを除いて。事ここに至って、生徒会はスイープの発言を苦し紛れの嘘と決めつけてしまった。……私からすれば、まだ疑いの余地は十分にあると思うんだけど、あの子は知っての通り生徒会と折り合いが悪くてね……」
肩を落とす彼女の様子から、奮戦の記憶がうかがえる。しかしスイープが過去しでかした悪行の数々を考えると、その努力も糠に釘だったことだろう。
落書きや騒音などの迷惑行為は数え切れず、担当トレーナーとのいざこざでも悪名が轟き、極めつけはレース出走時のゲート入り拒否。一生徒としてだけでなく、レースを走るウマ娘としても、これでは信頼を得るべくもない。度重なる衝突もあって、品行方正を絵に描いたような生徒会の一部メンバーからは特に心証が悪く、まともに話を聞いてもらえないのはもはや当然の帰結とさえ言える。
そこでふと素朴な疑問が頭に浮かんだ。いつもの直感に従って、何となくフジキセキが『そう』だと見抜いたけれど……。
「じゃあ、なんでフジキセキさんはスイープちゃんを信じられたの?」
すると彼女は口を大きく開けて笑った。今までのような余裕を見せつけるようなわざとらしいものでなく、心底愉快そうに。
「いっ今更そんな簡単なことかい。いやなに、シンプルな答えさ。マヤノちゃんには説明するまでもない……ははっ。いや、だからこそ逆に分からないかな?」
「もー意地悪しないで教えてよ~」
「それはね、瓶を空っぽにしたって、なーんにも面白くないからだよ。そんなことしても誰も笑わない。笑顔にならない。そんなつまらないことより、ラベルを入れ替えた方がずうっと楽しいに決まってるだろ? 想像してごらんよ、めちゃくちゃ甘いコーヒーを飲めると思ったテイオーが、壮絶な辛さに顔を真っ赤にするところを。これが本当のいたずらってやつだ。違うかい?」
楽しそうな彼女の声が夕暮れの廊下に響き渡る。