「ハハハ。その必死に球を磨いている姿、君たちにはよく似合っているよ。」
ゴシ、ゴシ...と、ひたすら球を磨き続ける。
「はぁ、終わったっ!」
ふう、とひと息をつく。
「よし。それを磨き終わったら...」
「さすがに...練習ぐらいはするわよね?」
私は淡い期待を込めて聞いた。
すると猪狩守は、
「部室の掃除だ。色々散らかってるからな、しっかり綺麗にしてくれよ。」
...そう言って、向こうの方へと行ってしまった。
「もーっ!いつまでこんなことやらされるのよ!」
私たちは部活に入ってから、ずっと雑用しかしていなかった。
...今の所、まともに練習と言えるのはたぶん走り込みぐらいしかない。
「パワプロ会長はしばらく忙しいらしいからな...」
「大体なんなの?顧問の人に言っても、俺は権限に従うしかないからとか、なんとか言っちゃって。」
「思いっきり丸投げだったな...私も驚いた。」
学校の制度として...というのはまあ分かるけど、そもそも
ろくに部活に来てないのよね。あれじゃ監督の意味が全くないし。
自由に練習できるのはメリットだけど、こんな状況じゃなぁ...
「冗談じゃない。さっさとあの猪狩ってヤツに、私たちの事を認めさせてやらないと。」
「何か策があるのか?」
「えっと、そうね...」
私は少し考えてみる。
「聖。この部室にあいつの弱みになる物なんてない?」
「ふむ。弱み...か。」
聖がパチッと目を閉じる。そして...
「...!」
カッ、と目を見開いた。その目つきはなんだか
さっきと雰囲気が変わったようで、別人にも思えた。
「聖...どうしたの?」
...なんだか、ちょっと怖く感じる。
聖は私の様子に気づくと、
「ああ。いや、なんでもない。集中して神経を研ぎ澄ませただけだ」
そう軽く言った。
いや、それだけじゃ全然納得できないし。
さらっと言ってるけど、なんなのそれ...?
更に追求したい所だけど、今はそれどころじゃないしな。
状況をようやく思い出して、話を戻す事にする。
「...で、どう。何か分かった?」
聖は部室に置かれているバッグを指差す。
「あのバッグ...猪狩守の物だ」
「...分かるの?」
「私の記憶に刻まれているぞ。確かにそのバッグを持っていた」
聞きたい事は色々あるけど...まあいっか。
「へー。よく分かんないけど、やるじゃん聖。...じゃあ、このバッグを漁れば何か見つかるってわけ?」
「その間は外を見張っておこう」
「よし。じゃあさっそく....」
...でも、勝手にバッグの中を見ちゃっていいのかな。
私は急に後ろめたい気分になってきた。
「いや...あいつに勝つためなんだから、ちょっとぐらい。」
そう納得して、バッグを漁る。
「...ん?これって、写真?」
誰か隣に写ってる...弟かな。
「...みずき。そろそろ誰か来そうだぞ」
ガチャ、と扉が開く。
「....真面目に掃除しているか?」
「もちろん。ちゃーんと、隅々までしっかりとね」
「確かに、綺麗になってるみたいだな。....何も触ってないか?」
う...もしかして、バレちゃってる?
私は少し不安に襲われる。
「ああ。触っていない。」
そんな私と違って、聖は至って冷静だった。
「...まあいい。じゃあ次は、球ひろいをしてくれ」
「よく慌てなかったね、聖。私、結構ドキドキしたんだけど」
「実際...何も触っていないからな。私は。」
「なるほどねぇ。」
「とりあえず分かったのは、あいつには弟がいる...って事ぐらい?」
「そうだな。しかし、この情報を知ってどうやって勝つつもりだ?」
「凄く効果があるとは思わないけど...これでちょっと揺さぶるぐらいならできるんじゃない?」
ダメ元だけど、ないよりマシには感じた。
「玉拾いも終わったな。よし、次は...」
相変わらず猪狩守は偉そうな態度を取っていた。
私は思い切って提案をする。
「待って。お願いがあるんだけどさ。」
「なんだ?」
「私と...1打席で勝負しない?」
「アウトを取るか、ヒットを打つかで。」
「もし勝ったら、ちゃんとした練習をさせて欲しいの。」
猪狩守は話を聞いた途端、ハハハ...と笑った。
「フン、何かと思えば。そういうムダな事はしたくないね...」
「どうせキミの負けは決まっているだろうし」
「...ふーん、そうなんだ。勝てないから逃げるってわけ?」
「なんだと?...挑発のつもりなら、やめておくんだな。痛い目を見るのはキミの方だ」
もちろんただの挑発だった。
けど...思ったより効いてるみたいだ。
私は勢いに乗って、更に大口を叩いてみる。
「さて、どうだろうね。やってみないと分からないんじゃない?」
「...そこまで言うなら、良いだろう。1度だけだ。2度目はない」
「キミらが負けたら...そうだな。この野球部から出て行くのはどうだい?」
野球部から出ていくって...退部?
....まあでも、たぶん大丈夫よね。
私はこいつの秘密を握ってるんだし。
負けても、いざとなったらパワプロくんに頼れば...
「...決まりね。じゃあピッチャーは私、バッターはあんたって事で良い?」
「これでも動じないか...」
「まあいい。自分の得意分野で勝負すれば良いさ。」
「...キャッチャーは私がやろう。」
聖が名乗りをあげる。
「じゃあ...審判は、そこのお前がやってくれ」
「あ、はい」
彼が声をかけると、すぐにメンバーが揃う。
こうして私は軽く試合をする事になった。
「...みずき、大変な約束をしたみたいだね。今からでもやめといた方が...」
「この勝負...分が悪いでやんすよ。」
あおいさんと矢部くんが、私を心配して話しかけてきた。
「大丈夫ですって。さっき、勝てる方法を見つけましたから。」
「勝てる方法...?」
「...ま。2人とも安心して、私のプレーを見といて下さい。」
「ホントに大丈夫なんでやんすかね...」
...そして、対戦が始まった。
「よし、いつでも来い。」
まずは、様子見でいこう。
私はストライクゾーンを外すように...投げる!
球が外側に向かっていく。上手くいったみたいね。
さすがに振らないだろうけど、ひとまずは...
...その瞬間。
「そう来たか。しかし...」
「甘いねっ!」
カキーン...!鋭い音が聞こえた。
「なっ!?」
ウソ...だって、さっきのは...
「ファ、ファールッ!」
「残念...ファールか。命拾いしたな。」
...よ、良かったぁ。でもまさか、1球目から...
しかもあんな、ゾーンから外れた位置で打ってくるなんて。
「どうした?怖気付いたか?次の球はまだ投げてこないのかい?」
「...そんなわけないでしょ。あんな見え見えのボール球を振るのを見て、つい呆れちゃっただけ」
大口を叩いてみても、足はガタガタと震えている。
既にこうやって虚勢を張るのが精一杯になっていた。
「...フン。」
◆
「やっぱり...不利でやんすよ。」
矢部くんが言う。
猪狩くんは、投手だけじゃなく野手としても優れてる。
ボクはその事を充分に分かっていた。
みずきたちが勝てるとは思えないのに...
なんであんなに自信があるんだろう?
実力差がなくても、絶対に勝てる方法といえば。
やっぱり『あれ』しかないと思うんだけど...
ボクは一瞬嫌な想像をして、それをすぐに頭から振り払った。
◆
ホントに危なかった。今のでもファールなら、
ちょっとでもゾーンに入ってれば...
...やっぱり。例の奥の手、早々に使うしかないみたいね。
まだ後ろめたさもあるけど...やるしかない。
私は覚悟を決めた。
猪狩守は間を置いて、さっきの私の言葉に答える。
「...なら次は、どんなボール球を投げようがホームランにしてあげるよ」
「へぇ...出来るもんならやってみなさいよ。」
聖に作戦のサインを送った。
「なんだその仕草は?挑発のつもりかい?まったく、下手だな」
....とりあえず、気づかれてはないみたいね。
聖は本当にやるのか、という顔をしている。
私は遠慮なくうなづいた。
大丈夫...別に、そこまで悪い事じゃないはずだし。
聖は分かったという顔で、猪狩守にささやいた。
....いよいよね。後は反応がどうか。
「...なんだって?貴様、その話をどこで!」
予想以上に彼は動揺してるみたいだった。
これなら...!
その隙にと、外角に球を投げ込む。
バンッ!乾いた音が響いた。
「ス、ストライクッ!」
「くっ...!審判、ちょっと待ってくれ。タイムだ!」
猪狩守は試合を一旦止めると、私に近づいてきた。
「キミか...?こんな作戦を考えたのは」
「偶然...ウワサで聞いちゃってね。」
「...ここまで最悪なヤツだとは知らなかったよ。」
「しかも、勝負にまで持ち込むとはね」
当然ながら...少し怒っていたようだった。
けど、ここで中途半端に終わらせちゃダメだ。
私は更に挑発をした。
「...でも、事実よねー?」
「キミは...その発言の意味を!本気で分かって言ってるのか!?」
彼は今にも噛みつきそうな、物凄い剣幕で詰め寄ってきた。
そのあまりの迫力に...私は思わずたじろぐ。
あれ...何かおかしい。
私は少しずつ、妙な違和感を感じ始めていた。
いくらなんでも『あの発言』だけで、ここまで怒るなんて...?
「...な。なんか、ずいぶんと大げさじゃん。そ...そんなに怒る事?」
「ただ...弟さんに負けないよう...せいぜい頑張ってねって言っただけじゃない」
「...多分、キミらはよく知らないんだろうね。あの事をもし知ってるなら、そんな事言えるわけがない」
聖が伝えた言葉は、間違いじゃないようだった。
でも。なに、あの事って...?
次の瞬間に放たれた言葉は、私の予想だにしないものだった。
「ボクの弟は半年前...交通事故に遭ってるんだ。」
...そ、そんな...?
「頭を強く打ったらしくてね...いまだに病院で治療中さ。」
「だ、だって...私はただ、あんたが雑用ばっかさせてくるから...」
「だから軽く、仕返しにと思っただけでっ」
「...ああ。キミにこんな話をしても仕方がなかったな。さて、勝負の続きをやろうか。」
「つ、続きって...」
「キミが言い出した勝負だろ?...それとも、このまま投げ出す気かい。」
...確かに今は、退部がかかってる勝負の最中だった。
そんな中途半端に投げ出す事なんてできない。
私はすぐに思い直した。
「...分かった。ただ、私が勝っても文句は言わないでよね?」
「それはこっちのセリフだ。」
すぐに勝負は再開した。
アウトまで、あとストライク1つ取れば...!
私の中に緊張感が走る。
「...早く投げて来いっ!」
ゾーンを外れそうな、低めの位置に球を投げる。
またもやカキン、という音が響いた。
「ファール!」
「さぁ...早くっ!」
長々とやってる暇なんてない。
これが...最後の1球!
私は精一杯の力を込めて、球を投げた。
「...えいっ!」
「...フン、単純なストレート、しかもど真ん中か!これなら」
ククッ!球が大きく弧を描いて曲がる。
「何!?ここでスクリューだと?...いや....!」
彼が球の変化に気づいた時にはもう遅く...
バットは大きく空を切った。
バンッ!
「ストライク...バッターアウト!」
「ゲームセット!」
「...なかなかやるな。負けたよ。」
「...」
「どうした?勝ったんだ、喜べばいいじゃないか。」
「約束通り、明日からは練習に参加してもらうよ」
彼はそう言ってグラウンドを後にしていく。
もちろんその言葉が本心からじゃないのは...
私もしっかり理解していた。
「猪狩くん...みずき...」
「...知らなかったんです。そんなことがあったなんて...」
....別に、こんな勝ち方をしたいわけじゃなかったのに。
後悔と罪悪感が少しずつ襲ってくる。
あおいさんの顔色が変わり始めた。
「...どこで聞いたの?あの話」
その問いには、聖が答えた。
「...部室にあったバッグからです。」
「あのバッグは猪狩守の物だと私が言ったら、みずきが中を漁って」
「どうしても勝ちたくて...何か方法を見つけなきゃって、それで」
私は...洗いざらいを話した。
その瞬間。バシッ!音とともに、
顔の部分に痛みが走る。
「っ...!」
あおいさんが私の頬を殴っていた。
「人にはさ...知られたくない事だって、色々あるんだよ!」
「勝ちたいからって...勝手にバッグを探るなんて...!」
「で、でもっ...それは、あいつが雑用ばっかりさせてきたから...」
「じゃあ、そんな事をしていいの!?そもそも、困ってるならさ...ボクたちに相談するとか、他にもやり方があったじゃない!」」
...何も言い訳なんてできなかった。私はどうかしていた。
「それに、聖も...なんでそんな助言なんかしたの!」
聖も、頬を殴られる。
「っ...申し訳ありません。」
「あ、あおいちゃん...やめるでやんす」
矢部くんが止めに入った。
「...とにかく、もう二度とこんなことはしないでよ。分かった?」
「はい...」
「うん。ならもういいよ...猪狩くんには、後でちゃんと謝っておいて。」
「みんな...どうしたんだ?」
パワプロくんが来た。
「...パワプロ会長?どうしてここに?」
「ちょっと様子を見に、ね。」
パワプロくんはあおいさんから大体の話を聞いた。
「....そんな事があったのか。2人のやった事は悪いけど...あいつもひねくれてるからな。」
「今回は....みずきじゃなくて私が原因のようなものでもある。」
「バッグがあそこにあるなんて言ってしまったから....」
「私も、あの男の態度にイライラしている部分があった。どうしてまともな練習をさせてくれないのかとずっと思っていたのだ。だから」
かなり後悔している様子だった。
聖も聖なりに、色々思うことがあったんだ。
「いや....無理に謝らなくてもいいよ。全部私のせいだしさ」
「...すまない。」
「パワプロくん...ごめん。迷惑かけちゃって」
「と、とにかく。どっちも悪かったみたいだし、あんまり気にするなよ。」
「...」
「...そうだよ。失敗しても、次から何とかすればいいんだよ。あと、今度からはちゃんとボクたちにも相談してくれれば」
あおいさんもフォローしてくれる。
でも、もしまた失敗してしまったら....?
私は段々、怖くなってきていた。
「....やっぱり。私なんてこの部活にいない方が....」
「な、何言ってんだよ。あれだけやりたいって言ってただろ」
「失敗なんて皆するもんだよ。そこから反省して、学んでいけばいいじゃないか」
「....でも」
「そ、そうでやんす。オイラなんか失敗ばっかりでやんすから、それに比べれば」
「....いや。矢部くんは失敗し過ぎだよ」
「そ。それを言わないで欲しいでやんす...」
「矢部くんなんかは、何から何まで失敗してるからなぁ。あ、そうだ。中学の頃も可愛い子に告白して」
「ちょ、ちょっと!それは言わない約束でやんす!」
「....ふふっ。そうだね。矢部くんに比べたら、大した事じゃないよ」
「ほら。あおいちゃんに言われたぞ」
「なんかバカにされてる感じがするでやんす」
「...いや、バカにされてるんだよ。」
「....ふふ、あはははっ。」
それを見ていると、自然と笑みがこぼれる。
「...ふっ!」
聖も続けて笑った。
「あーあ。2人にも笑われてるじゃないか」
「なんで笑うでやんすか!せっかくフォローしてあげたのに」
「....いやでも矢部くん、助かったよ。おかげで2人が元気を取り戻してくれたし」
「それはまあ....良かったでやんす?」
...なんだか、少し元気が出てきた。
不思議だな。この2人がいると雰囲気が変わる気がする。
「さて。元気になった事だし...明日から、気を取り直して練習するよ。今日は疲れたし帰ろっか」
「矢部くん、ありがとう。明日も面白い事やってくれよっ!」
「....いや。やっぱり、おかしいでやんすっ!」