いつものように部室に向かう前。
私は数ヶ月ぶりに...またあの会議室に立っていた。
もちろん今日は入部しに来たわけじゃなくて、別の用事のためだった。
「ん、誰だろ?」
ドアをガチャ、と開けた。
前と同じようにパワプロくんの声が聞こえる。
それに答えるように私は挨拶を返す。
「やっほー。」
「橘か。なんでここに」
きょとんとした顔で、私の方を見ていた。
「なんでも何もさ。パワプロくん、忙しくてあんまり部活に来てないじゃん。」
「あぁ...オレももっと練習したいとは思ってるんだけどさ、なかなか行けなくて」
少し元気のない顔をして、パワプロくんがそうぼやく。
「...そんなに大変な仕事なの、それ?」
「うん。色んな人の要望を聞いたりとかしなきゃいけないしね」
「ふーん。...私はそこまで、真面目にやることじゃないと思うんだけどなぁ。」
するとパワプロくんは、いやいや...と言葉を返す。
「何言ってんだよ。オレは生徒会長なんだし、こういう事もしっかりやらないと」
「...で、前にどうなってたわけ?」
「う...」
私の発言が図星だったのか、押し黙って一言も発さなくなる。
パワプロくんはあの日から、しばらく休んでいた。
生徒会長の仕事がそれだけ負担になっている事は私も知っている。
やっぱりその時の事を考えると、安心して見ている事はなんとなくできなかった。
「...別にいいんだけどさ。もっと簡単にやる方法もあるんじゃない?」
「簡単にって、どんな風に?」
どんな風にって...あまりパッと思いつく感じじゃないけど。
私はそう思いつつ、頭の中で思考を巡らせた。
「うーん、例えば...紙に意見とか要望を書いてもらって箱に入れてもらうとか。どう?」
しばらく沈黙が訪れる。やっぱりダメそうかな。
まあ。それはそうよね...こんな何も考えてない意見なんか、さすがに。
そう考えていると、パワプロくんは一転してキラキラとした表情を私に見せて言った。
「...なるほど、それ良いかもな。かなり名案かもしれないよ!」
「あ、そう?そんなに良かった?...まあ、私って結構頭良いからねっ。」
えっ?結構テキトーに考えた案だったんだけどなぁ...
思ったより簡単に意見が通った事に、私は内心驚きを隠せなかった。
「へぇ、見かけによらず意外だな。ありがとう、これでオレも野球に遠慮なく集中できるよ!」
「んっ。...見かけによらずってどういうこと?」
「あ、ゴメン!つい口が...じゃなくて、そんな事は全然思ってないんだよ!」
思ってないって...嘘をつくのが下手だなぁ。
心の声が漏れちゃってるじゃん。
「...全くもー。いいよ、別に。プリン1つで許してあげるからさ。」
「えっ、奢らなきゃいけないの?」
「当たり前でしょ?さっきの言葉でどれだけ傷ついたと思ってんの。」
「いや、あんまりそうには見えないけど...」
「...!」
「...ひどいよ、パワプロくん。私のことそんな風に思ってたなんて...うっ....」
「わっ、ゴメン...ちゃんとプリン買うよ!だからここで泣くな、橘!」
....案外、ちょろいな。
「ホント?あ、じゃあついでにさ。もう1つ奢ってくれない?」
「あれ、立ち直りが早いな。...もしかして、ウソ泣きだったのか?」
「そんなのどっちでもいいじゃん。どうせお金あるんだから、ケチケチしないっ」
「全く...しょうがないな。まあ、色々と橘には世話になってるし。ちょっとぐらいはいいよ」
ダメかと思ったけど、意外にもパワプロくんは
あっさりと私の要求を受け入れてきた。
「じゃ、部活終わった帰りに校門でねー」
....最初の頃がまるでウソみたい。
ようやく私の魅力が理解されてきたって事かしら?
弾む気持ちを抑えながら会議室を後にする。
「...そろそろ高校に入ってから初の大会ね。聖、どう?」
練習を終えた私は、聖と今後についての話し合いをしていた。
「うーむ、そうだな...パワプロ会長も戻ってきたが、少し戦力不足に感じるからな。」
「もう...聖は心配しすぎだって。まあ、なんとかなるでしょ。」
「フン。相変わらず甘えた事を言ってるようだな、橘みずき。」
どこかで聞いたことのある声が聞こえる。まさか....
辺りを見渡すと、校門の前に...見覚えのある男が立っていた。
「あんたは...友沢?」
「ちゃんと覚えてたのか。あんたの事だから、てっきり忘れてるかと思ったが」
友沢はニヤリ、と薄く笑みを浮かべた。
顔は笑っているけど、その目には強烈な敵意を感じる。
「...誰なのだ、この男は?」
聖が私に話しかけてきたけど、既に答える余裕もなかった。
「...忘れたくても、忘れらんないわよ。いちいち突っかかってきて、ほんとムカつくヤツ」
「...フン。いつも突っかかってくるのはそっちの間違いだろう?」
友沢は飄々とした顔で、独り言のようにボソッと言う。
...私は正直言ってこの男に怒りを覚えるというよりも、半分冷めたような気分でいた。
あんな事をやっておいて、まだ私の前に平気で顔を出せるなんて...
「...で。こんな所まで、あんた一体何しに来たの?」
「いや、ちょっと敵高校の偵察にな。...だがな、俺は少しガッカリだよ。」
友沢は肩を竦める。
「橘みずき。あんたの実力はそこそこ認めていたが...まさか、こんな弱小校に入学するとはな」
「...なんですって?」
我慢できなくなったのか、聖が口を挟んだ。
「その発言は...心外だな。確かに少し戦力は不安だが、私は十分優勝を目指せるチームだと思っているぞ」
「フン、そんな事あるワケないだろ...ここは甲子園優勝どころか、出場すらも長年ろくに出来てない学校らしいしな。」
「なんだって、その話...本当なのか?」
聖は信じられないと言葉を返す。
友沢はそんな事も知らないのか、と素っ気なく言う。
「ちゃんと調べたことだよ。」
そしてまた私の方を見ると、じっくりと睨みつけて言った。
「...橘、俺はあんたの投手としての才能だけは認めてる。」
「だがな。こんな金持ちが自分の利益のために作った学校じゃ、そりゃ出場すら無理なのは決まってる話だ。」
「このままこんな所で腐ってくよりは、今からでもオレのいる帝王実業高校に転校するのをオススメしておくよ」
....酷い偏見だった。金持ちの作った学校だからって、それの何が問題?
私には、友沢の考えは全く理解できないものに見えた。
「誰があんたの学校なんかに...」
こんな歪んだ考えの奴と一緒になるなら....
退学した方がまだマシだと思った。
友沢はしばらく沈黙すると....またニヤリと笑う。
「ああ...でもムリか。どうせお前みたいな根性なしは、すぐ退部に追い込まれるのがオチだろうしな」
「余計な一言だったな、橘みずき。あんたにはやはりこういう弱小校の方がお似合いだろうよ。」
「....」
「...いや。みずきは根性なしなんかじゃない。」
「なに?」
「彼女は親を亡くしている。それでも、必死で頑張っているのだ。だから...」
「だから、弱くなんかないって言いたいのか?」
友沢は吐き捨てるように言った。
「....下らないな。親が死んだからどうした?この女はそれを言い訳にして自分に甘えてるだけだろ。」
「....違う。何も分かっていない!」
聖は、いつもと違って珍しく取り乱していた。
それだけ私のことを考えてくれていたのだろうか。
「何も分かっちゃいないのはあんたらの方さ。」
「...なぜそんな事を言える。失礼だとは思わないのか。親を亡くしたみずきの気持ちが、お前には少しも分からないのか!」
「....分からないのか、だと?」
それを聞くと、今まで飄々とした態度を取っていた友沢は
急に態度を変えて私たちを睨みつけてきた。
「分かるわけがない。なぜなら俺は....そんな甘えた事ばかり考えていられるほど、弱い人間じゃないからだ!」
「....いいよ聖。こんな奴の言う事なんか、無視しましょ」
「だが、みずき....良いのか?私は黙っていられないぞ。」
もちろん、黙っていられないのは私も同じだった。
けど....挑発に乗った所で、ろくな結果にならないのは目に見えている。
怒りの感情を必死で抑えながら、私は言葉を返す。
「...さっさと帰ってくれない?」
友沢はしばらく私たちを睨みつけてると、小さく息を吐く。
そして、またさっきまでの見下したような態度に戻った。
「....言われなくともそうするさ。じゃあまたな、橘。まぁ、もう会う事なんてないだろうが」
友沢はそう言って、笑いながら学校を出ていく。
しばらく私たちはその場に立ち尽くした。
「....はぁ、最悪。」
「なんなのだ、あの男は....」
「中学の時からああやって因縁をつけてくる奴でね。何がしたいんだか私にもよく分かんない」
「何にせよ...要注意人物である事は間違いないな。」
「...あいつはピッチャーの才能は大した事ないけど、バッターとしては別格。悔しいけどそこは認めるしかないと思う」
「彼は酷い事ばかり言っていたが...1つだけ正しいかもしれない。」
「今以上に練習を厳しくしなければ...彼のチームには勝てないだろう。」
「そうかもしれないわね。...でもね、聖。私は、あいつの言うことが正しいなんて1つも思いたくないわ。」
「...みずき。何故、そこまで嫌っているのだ?態度は悪いが、私には少し心配している様子にも見えた。」
「だからこそ、あんな言い方をしているのが信じられなかったのだが。どこまでひねくれた男なのだ、奴は...」
何気ないその一言に、私は胸が締め付けられるような思いになる。
聖は寄り添ってるようでいて、実際は私を全く分かっていないことに気づいたからだった。
「心配してる...?冗談じゃないわ。あいつのせいで、私は一度投手を辞めかける事になったっていうのに...!」
そして気がつけば、聖に向かって大きく声を荒げていた。
聖は私のその様子に驚いたのか、酷く動揺しながら言葉を発する。
「み。みずきが。彼のせいで...投手を?」
その慌てた姿を見て、私は少しずつ落ち着きを取り戻した。
「...もう昔の話よ。あまり語りたくないから、その話はしないで。」
「わ...分かったぞ。しかし、あの男。この学校は甲子園出場を全くした事がないと言っていたが...あの話は本当なのだろうか?」
「さあねぇ...それがホントなら、どうしてなのか知りたいけど。」
「...あっ。そうだ、そういうのはパワプロくんに聞けばいいじゃん。」
「あまり話してくれるとも思わないが...」
「ああ、弱味握ってるからそこら辺は大丈夫。」
「弱味?みずき...また何か変な企みを考えてたりはしないだろうな?」
聖が心配そうな目を向けてくる。
「ま、問題はないよ。たぶん。」
まだ聖は何か聞きたそうな顔をしていたが、
しばらくすると諦めたのか何も言ってこなくなった。
「おーい、橘ー。プリン買いに行くんじゃなかったのか?」
向こうから声が聞こえる。
「あっ、パワプロくん。ごめーん、ちょっと聖と話してて。今行くから!」
「じゃあ聖、そういう事だから。悪いけど、今日は一人で帰ってもらっていい?」
「あ、ああ。別に構わないが...」
「うーん、おいしいっ!ここのプリンはやっぱり最高っ!」
「へぇ...橘、そんなにプリンが好きなんだな。」
パワプロくんは私を見て少し苦笑いをした。
「うん。まあ、甘くて食べやすいし」
「でもさ。プリンより甘い物なんて他にいくらでもあるんじゃないのか?」
「あ、確かに。言われたらそうなんだけど...なんだろ?ただ甘いだけじゃないからかな?」
「甘いだけじゃない?」
「あ、ほら。プリンにはカラメルがあるじゃない。これってさ、ただ甘いだけじゃなくて苦みもあるでしょ?」
「苦い?まあ、一応そうかな。」
「ただ甘ったるいだけ、苦いだけじゃつまんないし。少し苦みもあってバランスが良いからおいしい...」
「そこが好きな理由なのかな?まあ、あまり深くは考えてないんだけどね。」
「いや...そこまでプリンの味に対して考察してる時点で、充分深く考えてるとは思うよ。」
「しかし、甘みかぁ...オレの人生も苦みだけじゃなくもっと甘さがあればな。」
パワプロくんがため息をついてそうこぼす。
どういう意味だろう。ちょっと聞いてみようかな。
「...それって、うちの学校が甲子園に出場できてない...みたいな話と関係ある?」
「...聞いたのか。まあ、それも関係はあるよ。」
「なんで出場出来てないの?」
「うーん...やっぱり言った方がいいかな。うちの野球部って、女子も結構多いじゃないか」
「あ、まあそうだね。ちょっと珍しいとは思ったけど...」
「うちの野球部はさ。女の子でも、実力があれば積極的に入れる事にはしてるんだよ」
「まあ大会で道具を使ってれば、客寄せパンダ...って言い方はアレだけど、宣伝にもなるしね」
「へぇ...」
あれ?それってなんか、おかしいような...
「え。じゃあ、すぐに私を入れても良かったんじゃないの?」
私がその事を突っ込むと、彼は痛い所を突かれたような顔をする。
そしてしどろもどろに話し始めた。
「いや...まあ、気合いっていうのは断るための話で。」
「オレから見ると、あんまり真面目そうには見えなかったからっていうのが本音っていうか...」
「...なにそれ。なんとなくの印象で決めてたわけ?」
「ご、ゴメンゴメン。今はそうじゃないって分かってるよ」
パワプロくんはわざとらしく咳をして話を戻す。
「それで、女の子の比率がそれなりに高いんだけど。甲子園に女子は出場できない...みたいなんだよ」
「...まさか、それで?」
「うん。まあそもそも、甲子園に行けるほどの強豪校じゃないのも理由なんだけど」
「あれ。先生からは強いって聞いてたんだけど」
「...まぁ設備はしっかりしてるけどなぁ。そこまで強いかっていうと...悪くないとは思うけど」
聞かされていた話と全然違うことに気づき、私はため息をついた。
「大会には出れるけど、甲子園には行けない...かぁ。なんかショックね。」
「....そういうのを何とかするために、猪狩を入学させたり。あと、親に相談とかしてるんだけどさ。」
「そんな話より、まずうちの商品を目立たせるように努力しろってね」
うなだれた様子をするパワプロくんに、私は少し哀れみを感じた。
「....橘。ちょっと聞くけど、この学校についてどう思う?」
「この学校?...変な所だなぁとはちょっと思うけど。野球部が宣伝のために利用されてるなんて....」
まず監督が全然練習に来ないのも変だし。野球部が雑に扱われてるっていうか。
私がそんな疑問を少し口にすると、パワプロくんは学校の体質についての不満を熱く語り始めた。
「その通りだよ。オレ、ここに入学して気づいたんだ。この学校はおかしいって」
「....父さんからはこう聞かされたよ。うちの売上は充分だから、野球部には期待してない。お前は適当にやればいい....って。これって変だと思わないか?」
「オレたちはちゃんとした人間だよ。役目が終わったら、ただ使い捨てられるような道具なんかじゃない....そうだろ?」
「そ....そうね。人を都合の良いように利用するなんて、サイテーよね!まったく、信じられないっていうか!」
...もちろん、他人を利用してる私が言えたことなんかじゃないけど。
そんなパワプロくんの話を聞くと、ちょっと耳が痛かった。
「はぁ、はぁ。とりあえず分かってくれて嬉しいよ。....ふぅ。」
「なんていうか、パワプロくんも色々大変なんだね。...じゃあ、プリン1口食べる?」
「あ...いいのか?そういえば、さっきの話を聞いたらちょっと食べたくなってきたな。」
「いいよ。あ...目つぶって。」
「え、なんで?」
「...あーんしてあげるから。」
「えっ!わ、分かった。目をつぶるんだよな。よ、よし...」
「...はい。あーんっ」
私はパワプロくんの口にプリンを運んだ。
「んっ、もぐもぐ...あれ、これなんだ?あんまり甘くないぞ?」
「カラメルの部分だよ。どう?」
「苦い...大したことない苦味のはずなのに、なんだか苦く思えてくるよ...」
「...あらら。パワプロくんには少し苦みが大き過ぎたかもね。」
「でも、ちょっとだけ甘いな。...あのさ、ところで...みずきちゃん。聞いてほしいんだけど」
「なに、急に改まって。どうしたの?」
「こんなオレだけどさ...なんていうか、これから3年間よろしく頼むよ。」
「ああ...うん。よろしくねっ。」
ほんの少し浮かれた気分で店を出る。
だからか....その時の私は、全く気づいてもいなかった。
...すぐ近くで、誰かが私たちを観察していた事にも。