「…なあ、お前。大丈夫か?」
絶望と諦観に覆われつつある精神を背負い込んだまま、
しばしの眠りに就こうとした俺の耳に届いたのは、
全く聞いたこともない『知らない男』の声だった。
「…?」
突然聞こえてきたそれに驚き、一気に眠気を覚ました俺は、
腹這いの状態に戻り、声の主を探すために頭を上げてみると、
『そいつ』は案外近く――それも俺の目の前に立っていた。
まず最初に見えたのは、太い木の枝の天辺で燃え盛る炎。
その次に見えたのは、炎に照らされている青年の端正な顔と、
後ろの方にある、大きく立派な翼と巨大な棘の生えた太くて長い尻尾。
俺より年上に見える、蒼く澄んだ眼をしたそいつは、
拘束された状態の俺の姿を見て、ひどく気遣わしげな表情を浮かべていた。
「これは…、酷いな…。」
そんな言葉数の少なくなった、燃え上がるような赤い髪とを持つ見知らぬ男に対して、
俺は強い戒心を抱きながら、トーンを少々低くした声で尋ねる。
「…誰だ、お前?」
すると、一瞬我を忘れていたのか、そいつは「はっ」と数秒ほど驚いた後、
それからすぐにまた真面目な顔に戻って、俺の眼を凝視しつつ口を開きだす。
「…すまん、自己紹介が先だったな。
俺の名は『レウス』。森丘という場所に居を構え、
今は気紛れにこの地に来ている、しがない『火竜』さ。お前は?」
「……ゼクス。見りゃ分かると思うが一応電竜だ。」
「そうか、お前はゼクスというのか…」
名前を聞いて何故か微笑みを浮かべる目の前の青年をよそに、
こいつが丁寧に明かした素性に対し、俺は心の中だけで深く溜息を吐く。
というのも、こいつの属する種族と俺達電竜は、
『全体的に見て』種族間で非常に仲が険悪だからだ。
『火竜』は、その名の通り自らの体内で作り出した火炎を武器とし、
背中に生えた翼を利用して、空を自由に飛ぶことが出来る種族であり、
その飛行能力が他種よりも優れていることから、
他のモンスター達からは『空の王者』もしくは『大空の王』などと呼ばれている。
しかし、『王』という大層立派な名で呼ばれているために、
そんな彼らのことを気に入らない、もしくは嫌悪している輩も多く、
勝負を挑んだり、奇襲をかけたりする奴も決して珍しくはない。
そして、俺の属している『電竜』という種族も、
俺のご先祖様が生まれるよりも遥か昔から
その多くが火竜への強い敵愾心を抱いていたりする。
凶暴で残忍な性格を持つ者が大半を占めるこの種は、
元より他種はもちろんのこと、同種に対してさえ、
一切の情けや容赦もなく攻撃を加えているが、
理由は分からないものの火竜達に対しては殊の外害意が沸くようで、
ひとたび彼らと遭遇すると、躊躇なく襲い掛かり、執拗に殴り続け、
場合によっては命を奪ってしまうこともあるほどらしい。
そういったことが理由で、火竜達の方も俺達電竜のことをかなり敵視しており、
『どうせやられるなら』と先手を打って電竜に襲い掛かる奴や
仲間や友人、家族などがやられたりして、
その復讐のために電竜達を沢山討ち果たしたりする奴も少なくはないそうで、
そういう話を小さい頃から何度も聞いてきた俺は、
それ故に、自ら火竜と名乗った目の前の青年のことも極度に警戒していた。
「…で、火竜が俺に何の用なんだ?」
何をされるか予測のつかない状況であったが故に、内心かなりの恐怖を覚えていたが、
「俺の身体を痛めつけたいのか?それとも、俺の命が欲しいのか?」
しかし、敵対種族に対して極力情けない姿を見せたくなかった俺は、
至って冷静な風を装いながら尋ね、この男の出方を伺うことにした。
心臓は既にバクバクと激しい音を出していたが、
それを誤魔化すように、音の主である『感情』を見せないように、
俺はどうにかして平常心を保とうとする。
しかし、左手に持っている松明で俺の顔を照らしていた
火竜から帰ってきた返事は、俺の想像の斜め上を行くものだった。
「別にお前を傷つけるつもりはないさ。
ただ、俺はお前に頼みたいことがあって来ただけだ。」
「…何だよ?」
次に出てくる言葉に身構えていた俺に対して、そいつは明確にこんな答えを発してくる。
「単刀直入に言おう。俺の恋人になってくれないか?」
………………………………………………………………………………………………は?
「…なっ…?お前、いきなり何言ってんだ…?」
「いや、だから…、お前に俺の恋人になってもらいたいと…」
いやいやいやいやいやいやいやいや!!待てよ!ちょっと待てってっ!!
「お、お前、その台詞ちゃんと分かって言ってんのか!?
俺は火竜が嫌っている電竜の一人で、それもれっきとした男なんだぞっ!?」
初対面の奴に、それも電竜の敵視しているはずの種族の男に、
予想だにもしていなかった愛の告白を受けてしまったことで、
俺の頭の中はあっという間に散らかった部屋のような乱雑さで埋め尽くされてしまっていた。
いや、もう、ホントどういう状況なんだよ、これ!?
急展開すぎて正直ついていけねえんだけどっ!?
しかし、そんな俺とは対照的に火竜の青年は、
「ああ、分かっているさ。」
至って真面目な表情を浮かべたまま、真剣に言葉を投げかけてくる。
「だが、それでも俺はお前に惚れてしまった。」
火竜は、周囲を照らしている松明をぬかるんだ地面にぶっ刺した後、
衣服が汚れることも構わずに俺の目の前で座り込むと、俺の眼をじっと見つめながら話を始めた。
「…昨日の昼間にな、此処の奴らから話を聞いたんだ。
『青電主と呼ばれる同種に苛められている電竜がいる』、と。
何故だかは分からなかったがそのことが少し気になった俺は、
そいつのことをより詳しく聞いてみることにした」
夜闇の中で踊るように揺らめく炎は、語り続ける青年の整ったな顔を淡く照らしている。
「彼らから聞いた話を頼りに、そいつの居る場所まで辿り着き、
そこにあるテントの傍まで近づいた俺が見たのが、」
「…俺ってことか?」
「ああ。そして、眠っていたお前の姿を一目見たその瞬間に、
俺は突然、自分の身体が稲妻に打たれたような感覚に襲われたんだ」
昨日の昼頃というと、青電主が沼地の小型モンスターを狩りに行って、
俺は自分の気力を癒すためにつかの間の休眠に入っていた、あの時のことだろうか?
「気がつけば、俺の眼はずっとお前だけを映しだしていた。
青電主とやらが戻ってくる気配を感じてその場から立ち去った後も、
お前のことがどうしても忘れられなかった」
「……。」
…一体何なんだ、この火竜?
傷と痣だらけで横たわってる男を一目見ただけで、
勝手に恋心抱くとか、こいつの頭絶対どうかしてんだろ…。
「…それで、また俺のところへわざわざ告白しに来たってか?」
「ああ。だから、もし良かったら…、俺の恋人になってくれないか?」
「……」
…ひょっとしてこいつ、救いようのないほどの変人なんじゃねえのか?
火竜が電竜に恋をするなんて馬鹿げた話、一度たりとも聞いたことねえぞ?
てか、こいつほど顔の整った奴なら
火竜の女の一人や二人ぐらい容易く捕まえられそうな気がするのに、
なんでわざわざ俺なんかに惚れちまったんだか…
そんなことを思いつつも、俺の頭の中にはある『良い考え』が浮かんできていた。
「…あんた、本気で俺のことモノにしたいって思ってるか?」
「あ、ああ…」
目の前にいる青年の馬鹿みたいな恋心を利用した作戦。
もし仮にこれを成功させることが出来れば…
「だったら…、今すぐ俺を此処から連れ出してみろ。」
晴れた空のような蒼い色をした両眼を凝視しながら、俺は火竜に命令する。
俺の考えついた作戦とは、人の好さそうな性格をしたこいつをうまく騙して、
あの青電主の手が及ばない程遠い場所へ連れて行ってもらうことだった。
聞いた話じゃ、空の王者はその気になれば、
三日間も飛び続けることが出来るらしいし、逃亡に利用するのにはもってこいだと思う。
それに、目の前の青年のようなアホなお人好しであれば、丸め込むことだってそう難しくはないだろう。
「そうしたら、恋人になってくれるのか?」
こいつが来たことを千載一遇のチャンスだと感じていた俺は、
絶対に逃すまいと火竜の期待するような応えを投げかける。
「…ああ、考えとく。」
無論、嘘である。
こういう状態じゃなければ、すぐに「NO」と突き返していたつもりだ。
だが、この時の俺はあの青電主から一刻も早く逃れてしまいたかったし、
そのためなら、利用できそうなものは何であろうと利用してやろうと、そう考えていた。
「分かった。それじゃ、まずは縄と首輪を解いておかないとな。
今からちょっとだけ痛くなるかもしれないが、我慢はできるか?」
「んなの別に平気だっつーの。解けるんならさっさと解けよ。」
「ああ、分かった。すぐに終わらせる。」
俺の提示した偽りの条件をあっさりと承諾した火竜は
声色一つ変えないまま発したその一言を合図にして、
最初に手首の縄を両手で掴み、同時に足首の縄に歯を立てると、
ブ、チィィィィッ!!
四肢の自由を奪っていた強固な縄をいとも簡単に引き千切ってしまう。
それを構成していた細い紐の一部が細く散らばり、解放された俺の手と脚の上に落ちてくる。
「え…?」
そのあまりにも強引な解き方に思わず絶句してしまった俺を尻目に、
テントの柱に繋がっていた首輪もまた、火竜の手によって真っ二つに引き裂かれてしまった。
俺が半年もの間壊すことのできなかった拘束具を
瞬時に、しかもこんなにもあっさりと破壊してしまうなんて、こいつ結構力強い方なんじゃ…
なんてことを思いながら、ただただ唖然としていると、
平然とした表情を浮かべていた火竜に手を差し出される。
そうだよな、早く行かねえと。
そう思って立ち上がろうとする俺だったが、
半年間使っていなかった両足には全くと言っていいほど力が入らなかった。
「くそ…っ!」
せっかく拘束から解放されたというのに、歩き出すことはおろか、
身体を立たせることすらできない自分の足に、俺は苛立ちを覚える。
自らの両翼で飛ぶことも考えたが、
奴の暴力に体力を大きく削られたこの身体では、それすら叶わない。
それでも急いで逃げるために、立ち上がるために必死に力を入れようとして、
不意に、自分の身体が宙に浮いたような感覚に見舞われた。
「うわあっ!?」
突然のことに驚き、素っ頓狂な声を上げた後に、
先程の感覚の正体が俺を見下ろしている赤い髪の青年によるものだと気づく。
火竜は、俺の身体を易々と持ち上げた後、そのまま両の腕で抱き込んでいた。
「これでいいか?」
「お…、おう……」
至極平気そうな声で短く問いかけてくるこいつに、俺はまだ少しだけ戸惑いながらも応える。
…つーかこいつ、間近で見て改めて思うが、ほんとイケメンだな。
別に惚れたわけじゃねーけど。
それはともかくとして、俺が移動できないという問題は解消された。
あとは、奴が戻ってくる前に此処から飛び立てばいいだけだ。
「…てめえ、俺のことうっかり落としたりすんなよ?」
「ああ、約束する。」
俺が地上へと落下しないように、釘を刺された火竜は俺の身体を少し強めに抱きしめ、
俺もまた体力が少ないながらもそいつの身体にしっかりとしがみつく。
それから、俺がしっかりと掴まっていることを確認したように頷きの声を小さく発した青年は、
地面に突き刺したままの松明の炎を足で倒し、踏み消してしまうと、
「じゃあ、行くぞ」
その言葉を合図に、水辺にある大きな蓮の葉に向けて助走を始めた。
不安定な足場故に首を少々ばかり揺らされている状態で、
飛翔するために駆ける火竜の顔を覗き込みながら、
俺は久方ぶりに当たる風の感触にほんの少しだけ喜びの感情を覚える。
小さい頃、俺は秘境や背丈の高い草むらの中で走り回ることが何よりも好きで、
頬に当たる風や、草や水の匂いを感じられていたあの頃はとても幸せだった。
だが、電竜を嫌う者達にお気に入りの場所を荒らされ、奪われてしまうとともに、
その幸せも跡形もなく消えて無くなってしまった。
青電主に囚われてからは、俺自身も幸福の存在を忘れかけていた。
しかし、だからこそ、此処から逃げようとしているこの瞬間が少しだけでも喜ばしく感じられたのだろう。
俺の心の中では小さな興奮が真ん中に立って飛び跳ねているように思えた。
赤色の青年は広げた自分の両翼を羽ばたかせながら駆け続け、
人一人が載れるくらいの大きな蓮の葉のある場所まで辿り着くとともに、大きく飛び上がった瞬間、
二人の身体は地上から遠く離れた場所に向かって、一気に上昇していった。