癖馬息子畜生ダービー =遥かなるうまぴょいを目指して= 作:ウマヌマ
飢えていた。
勝利しても満たされない渇き。
何処まで走れば満たされたのか、誰と走れば満たされるのか、自分でもわからない。
ウマ娘として持って生まれた根源的な欠陥。
それが変化したのはあの時だ。
姉貴に誘われてトレセン学園の試験を受けた時。
何の変哲もない模擬レース。
そこにあのバカはいた。
跳ねまくった茶色い髪を左右に結び垂らしているが、付いてるところが均等ではない。とりあえず、邪魔なのでまとめてきたと言ったやる気のない風貌。
何処か近年活躍したウマ娘、トウカイテイオーに似ている顔立ち。
その額から白いメッシュを垂らし眠そうな目で欠伸をしながら、更衣室に置いてこいと言われた携帯を弄っている。
はっきり言って態度は最悪だった。
けれど、そいつの周りだけまるで人がいないように遠巻きに見られていた。
まるで腫れ物に触れないように。
普段ならあまり気にならなかっただろう、それが一緒に走りたくないという忌避感のような類のものでなければ。
しばらくするとレース場の周りに集められ呼ばれた順番に走るように指示された。
ゲートもない、ただ、本当に走るだけのテスト。
言い方は悪いが、取り立てて見るべき所のないレースが続く。
それでも、勝った負けたで一喜一憂している姿を見ると、何処か羨ましくすら思えてしまう。
何度かレースが繰り返され、私の番になる。
なんの感慨もなくターフに立つ。
次に呼ばれ、隣に立っていたのは例のウマ娘だった。
近くで見るとよくわかる。
他のヤツとは鍛え方が違う。今の体格に合うように完成されていると言ってもいい。
そんな風に軽く観察していると視線に気づいたのか、訝しげな顔をしていた。
「なんだー、てめー、やんのか?」
その第一声がこれだ。
田舎のヤンキーだろうか。
柄が良くないがトレセン学園とはこう言う雰囲気の場所なのだろうか。
喧嘩を売ったつもりはないが、目線が少しきつかったかもしれないと内心で反省する。
「……別に」
そう答えると、舌打ちをして前を向くそのウマ娘。
確か呼ばれた名前は、そう、ブラックロータス。
黒い蓮。
全体的に黒くもなければ、花のような繊細さも感じなかった。
名は体を表すとは言うが、例外もあるようだ。
集められた七人で走る。
距離は1200m、デビュー前、それもトレセンに入る前にしては少し長い距離だ。
一斉にスタートする。
いつも通り中段に入るつもりで前を取ろうとした。
けれど、その隣を稲妻が駆け抜けていく。
一人、出遅れた筈のアイツ。
ブラックロータス。
大逃げと言うにはあまりにも巫山戯た走り。
咄嗟にレースの事など頭から抜けて追いかけていた。
確信があった、奴はあの速度で走り抜くと。
想像通り、いや、想像以上の速度でソイツは軽々と私より先にゴールを駆け抜けた。
追いつけなかった。
必死に縋り付く事すら許されなかった。
何度やろうと絶対に勝てない。そんな、これ以上ない敗北だった。だと言うのに。
どうしてか、走り切った後、私は笑っていた。
勝っても勝っても満たされなかった何かが少し満たされたような感覚。
それが無性に嬉しかった。
レースの後に更衣室から出た時。
私の前にブラックロータスが立っていた。
「……お前……名前は?」
おそらくコイツにとって自分以外のウマ娘など眼中に無かったのだ。
それだけ絶対的な実力を持っていた。
「フンッ…………ナリタブライアンだ……覚えておけ」
「なりた? ぶらいあん……なりた? なんとか? ナントカブランアンか!」
「ナ リ タ ブ ラ イ ア ンだ。……なんだその、ナントカって」
バカにされたのかと思ったが、なるほどなーと何かを納得したように一人で頷くブラックロータスを見ていると、そうでもないらしい。
ただ、なんとなくウマ娘の機微に鈍い私でもここら辺で察した。
こいつバカなのではないかと。
実際、トレセン学園に入った後、ブラックロータスの奇行は加速した。
才能の差に押しつぶされて一月で辞めたルームメイトのベッドを改造してゲーミングPCを持ち込んだり。
寮の共有冷蔵庫に勝手に自分専用のスペースを作ったり。
次期生徒会長と目されるシンボリルドルフに喧嘩を売ったり。
とにかく、ブラックロータスは好き放題していた。
その上、碌に練習に参加しない。授業中はだいたい寝ているか、携帯を弄っている。
平和なトレセン学園に突然現れた不良生徒である。
トレーナーに関してもそうだ。
アイツは自分に干渉しない事を条件に契約した。ヒト畜生などと呼んでいるし。
破天荒と言えば聞こえはいいが、やってる事は無法以外のなにものでもない。
けれど、その全てをブラックロータスは実力で塗り潰した。
トレーナーを選ぶ模擬レース。
五バ身差で圧勝。
出遅れた上に、飯を食べ過ぎてゴールした後に吐いていたが。
デビュー戦。
三バ身差で圧勝。
出遅れは勿論、大外とすら言えない逸走レベルの大回りで流しての勝利。
ウイニングライブは下手くそだった。
一勝クラス。
出遅れ、いつもの圧勝コースだったが、レース中にトイレに行きたくて斜行した上で中断。
まあ、仕方ないのか?
一勝クラス二度目。
私も出ており、一バ身差で負けた。
勿論、出遅れた上でだ。
壁の高さに思わず拳を強く握っていた。
レースの後にあの下手くそな歌のサイドで踊らされる屈辱はなかなかだった。
本気でそこは練習しろ。
とにかく、ことレースにおいてブラックロータスと言うウマ娘は強かった。
実力主義的な感覚を持つトレセンにおいて。勝つたびに批判は裏で言われるようになり、表立って批判するものは少なくなっていく。
実際、根がバカで自己中心的で幼稚で我儘なだけで、そこまで悪い奴ではなかった事も幸いしたのかもしれない。
次第にブラックロータスは極度の変人くらいの感覚で受け入れられた。
そして、その強さはクラシックに入っても変わらなかった。
皐月賞。
私は初めてブラックロータスに土をつけた。
直前までゲームしてたり舐めた真似をしていたが、一たび走ればそんな弱さなど微塵も感じさせないレースをするのがブラックロータスと言うウマ娘だ。
ただ、この勝利は運が味方したように思う。百分の一をその時、たまたま拾ったようなものだ。
競り合いの中、咄嗟にやった走り方、それが功を奏した。
意表を突いた加速、自分でも思った以上に出た速度でギリギリ勝利した。
ダービー。
完敗だった。
完膚なきまでに実力で捩じ伏せられた。けれど、トレセン学園に入る前の絶対に勝てないと感じる程ではなかった。
後、一歩、もう少しで間違いなく私は届いていた。
神戸新聞杯。
改めてロータスがバカだと言う事を思い知った。
太りすぎだ。
何をしたらそうなる。
そうなった理由を聞いても、どうしてそうしたのか、よく分からなかった。
菊花賞。
秋天で姉貴が怪我をした。
それまで、自分の事ばかりで今日も姉貴は勝つだろう、そんな勝手な思い込みでレースすら見ていなかったのだ。
心の何処かで蔑ろにしていた事を思い知り、何故か、怖くて病室まで行けなかった。
これまで以上の練習をしたが、そんなものは関係ない。そんな状態で万全のロータスに勝てないのは当然だった。
結果は言うまでない。
菊花賞で負けた事で私の中の何かが吹っ切れたのかもしれない。
姉貴の病室に行き、私と姉貴、一緒に作戦を考えた。
久しぶりに話した気がするが、姉貴は姉貴だった。
最後の有マ記念。
レースは熾烈を極めた。
中盤まで作戦通りに上手く行ったが、それでもブラックロータスはそう簡単に勝てる相手ではなかった。
全力を出し尽くして尚、それを乗り越えてくる。
いや、もしかしたら、ようやく本当の意味で本気で走ったのかもしれない。
だから、だからこそ、最後は全てをかけた。
これまでの過去も、これからの未来も。
そして私は私以上の走りを完成させ。
勝利した。
ゴールを走り抜けた後は立っている事すらできなかった。
けれど、己の持てる全てで勝ち取った勝利は何者にも変えがたく。
トレセン学園に入る前の渇きも、もはや感じなかった。
私は満たされたのだ。
だから。
後悔などありはしない。