癖馬息子畜生ダービー =遥かなるうまぴょいを目指して=   作:ウマヌマ

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黒い舎弟

 紙袋を手に宿舎の扉を開ける。

 

「なんですそれ?」

 

「ファンレターだ」

 

 どさっと言う音と共に紙袋の中から大量の手紙が机の上に散乱した。

 

「菊花賞前にですか?」

 

「新聞杯終わった時のが一部どっかで詰まってたらしい」

 

「……読みます?」

 

「……まぁな」

 

 読まないわけにはいかない。

 だが、ダービーの後に届いたファンレターには、中々、過激なものが多かったため少し身構えてしまう。

 

「まともに走った、新聞杯、真面目にやれば、強かった。……何か詠んでますよ」

 

「勝ったことより、まともに競馬してた事に感動した。……わかるわ」

 

「やってくれると信じてました、でも10万円を返してください。……何を信じてたんですかね」

 

 例によって応援半分、批判半分、大喜利半分という感じだ。

 以前よりも応援が増えている分、ほっとする。

 

「しっかし、こういうの増えましたよね」

 

 昔はおっさんしかいなくて、馬に手紙なんてって感じだった。

 今は割と来る。

 応援のファンレターを送ってくれる人の中には比較的女性が多い。

 

「オグリくらいからか、客層が増えたよ」

 

「良い傾向じゃないですか」

 

「ロータスはアイドルホースって風格じゃないけどな」

 

 どこまで行っても強いネタ馬という感じは否めない。

 それでも、オグリキャップとは別の個性が人を惹きつけるのか、こうしてファンレターが送られてくるのだ。

 とはいえ、そんなファンの声援が欠片でも力になるタイプでもないが。

 

「……良い調子だな、ロータス」

 

「絞れましたし、菊花賞、十分以上に戦えますよ」

 

「ああ、勝てる……勝てると思うんだが、順調に勝てると思った時ほど勝てないイメージがあるんだよな」

 

「ダービーに引っ張られすきてるんでは?」

 

「うっ……頭が……」

 

 止めてくれ、その話は俺に効く。

 

「トラウマになってるじゃないんですか……」

 

「アレはトラウマにもなるわ」

 

 ため息をついて天井を見上げる。

 そして、ふと思い出した。

 

「……あ、そうだ。そう言えばぜんぜん話は変わるんだけど、来年、海外で走らないかって話があるんだわ」

 

「は? 海外って? マジですか?」

 

「マジもマジ、大マジよ。正式な発表はまだされてないんだが、来年から上の人らが海外遠征に本腰を入れるみたいでな……」

 

 主要な海外のG1で勝てば報奨金を出したり、内々にではあるが偉い人が遠征のバックアップをしてくれたりする。

 そういうノウハウもあまり培われていないため、早いうちであれば手厚く用意して貰えるらしい。

 

「はー……それでアレですか、ナリタブライアンの2番手的な立ち位置にいるロータスにちょっと様子を見てこいって感じの話ですか?」

 

「言ってしまえばそうだな。むしろ、前に勝った事で評価されての話だ」

 

 ロータスもナリタブライアンも時代さえ違えば、その年の代表馬としてG1を制覇していける実力があると評価された。

 それが古馬になって以降も二頭で数少ないG1を取り合うのも勿体ない。

 

 下手をするとどちらが先に潰れるかのチキンレースになる。

 それなら、片方を外国に出して、実績を作り、その上で宝塚や有馬といった大舞台で戦ってほしいというような話だった。

 

「でも、これまで日本馬の海外遠征って碌な成績を残してませんよね」

 

「そうだな。上が本腰を入れた以上、これから海外に出る馬は増えると踏んでるし、海外での実績を持つ馬が種牡馬として重視される時代が来る」

 

「……オーナーはなんて言ってるんですか?」

 

「挑戦できるレベルだと思うなら、して欲しいとさ」

 

「相変わらず豪胆ですね。自分なんかは世界と言われると、尻込みしてしまいますよ」

 

 正直、日本の競馬全体が海外のレベルに到達したとは思わない。

 けれど、ロータスとナリタブライアンは違う。

 この二頭は世界のレベルに匹敵する馬だ。

 

「まぁ……あとな……本当にここだけの話、別に相手が強いなら、俺は負けてもいいと思ってる」

 

「……なんでです?」

 

「今、ロータスはナリタブライアンがいるから、まともに走れてるように見えてるだけだ。……手を抜いてる余裕がないと言ってもいい」

 

 岡辺騎手とある程度、合わせているのも、言う事を聞いていると言うよりは、聞かないと邪魔されると思っているからかもしれない。

 ダービーに向けて集中できてた時にレースというものを憶えさせた事で、基本的な勝ち負けや前に出るタイミング、ゴールなども理解している節がある。

 

 だが、ロータスの我儘な性格は変わっていない。

 それは、今はまだ問題ない。

 

「……問題は完全に勝ってしまった時ですか?」

 

 ロータスはレースへのモチベーションをナリタブライアンに依存している。

 ナリタブライアンに勝つためにレースを走っている。

 

「ああ、もし、ナリタブライアンに勝ちきったり、そもそも、勝負できない状況になれば……」

 

「新馬戦の頃に逆戻りもありえますね……。だから、あえて厳しい勝負を挑みにいくと」

 

 荒療治と言うか、そもそも、あの性格はもう本当にどうしようもないし、それがロータスという馬の強さの一つでもある。

 なら、環境を整えるしかない。

 

「世界で勝って胡座をかけるなら、そりゃ、誰も文句なんて言えなくなる。ロータスの好きにすりゃいい。負けたら負けたでそれがモチベーションに繋がる」

 

「でも、あまりに大きく負けすぎると、それはそれで、やる気を失いません?」

 

 そもそも、海外遠征そのものがリスクの塊である事には違いない。

 

 行き帰りの飛行機。

 免疫を持たないかもしれない病気。

 食事、水。

 芝、ターフ、何を走るにせよ日本とは違う。

 海外で調子を落として、そのまま日本でも走らなくなる可能性だって考えられる。

 

 

「けど、それで折れるような馬ならこんなに苦労はしてないだろ。あの無駄なタフさと自尊心の高さは俺らが一番理解してる筈だ」

 

「……少し期待しすぎな気もしますが、負けてそのまま終われる馬ではないのは確かですね」

 

 納得こそしてないが、諦めたように笑う。

 腹をくくらざるを得ないと思ったのだろう。

 

「でだ、まぁ、ここからが本題なんだが。本当に行くか、とか、行くとしてどう予定を立てるかとかは、また別として、クリアしなきゃならん問題は俺たちの方にもある。……という事でこれだ」

 

 別の紙袋を取り出して、ファンレターを避けて机に広げる。

 嫌な予感はしていたようで、その中の一つを手に取り、口に出した。

 

「…………これからはじめる英会話の教科書……ですか」

 

「もちろん俺も行く事になるが、ロータスの担当をメインでしてるのは、お前だから。俺より現地に張り付く可能性は高い。簡単な英語くらいは喋れるようにしとけ」

 

「いやいや、自慢じゃないですけど自分、英語のテストなんて30点以上、取った事ないですよ?」

 

「だからやるんだろ」

 

「はー……マジですか。こんな勉強なんていつ使うんだよって逃げた中坊の頃のつけなんですかね」

 

「まぁ、実際に行けば五割はフィーリングでなんとかなるもんだ。あと、菊花賞が終わった後にでもパスポートを取りにいっとけ、ギリギリだとこっちの余裕もなくなる」

 

「……今もあんまり余裕なんてないですが」

 

「だいたい、いつもそんなもんだろ」

 

 忙しくなる時はいつだって、その前から忙しい。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 その馬と出会ったのは夏の終わりだ。

 焦げ茶の馬に勝ったレースの前。

 

 

 正面から歩いてくる黒い馬。

 小柄な体躯。

 

 正直に言うならスタミナはあるが、速く走る才能はあまりないように見えた。

 レースなんてした事ないのではないかと思う穏やかな目。

 それでも、その立ち振る舞いからは歴戦の風格がある。

 

『助かるよ。並の相手だと併せ馬でも、まともに走らなくてね……』

 

 隣り合わせに軽く歩く。

 成る程。

 間違いない、古強者だ。

 

 これまで走ってきた馬とは踏んできた場数が違う。

 わざわざ、私の練習のために用意してきたのか、ヒト畜生も大変だな。

 

『長期の休養明けでやるには申し分ない相手ですよ。なにせ、今年の有馬は苦労しそうですからね』

 

『……そこに向けての調整なら、確かに打って付けなのかな』

 

『クラシックからはナリタブライアンにそこのブラックロータス、牝馬からヒシアマゾン、古馬からビワハヤヒデ、そしてナイスネイチャも決して侮れない。……いや、強いですね』

 

『そうだな……』

 

『けど、勝ちますよ。勝って終わらせる。その為に俺たちは走るんです』

 

 黒い馬の上に乗ってたヒト畜生が何やら話してたが、そんなの関係ねぇ。

 

 走った。

 

 並んで、追われて、追ってみて。

 

 確かに強い。強いが、焦げ茶の馬のようなプレッシャーは感じなかった。

 黒い馬の全盛期はすでに超えている。

 

 力が、速さが、強さが足りない。

 何度やっても私が先に立つだろう。

 

 もはや真面目にやる必要もないか。

 

 そう思った最後の一度。

 負けた。

 

 油断はあった、それでも負ける要素などなかったはずだ。

 身体能力において、どこを取っても私の方が勝っている確信があった。

 

 それでも。

 最後に見せた一瞬。

 その猛獣のような覇気が宿った瞳、私はそれに負けたのだ。

 

 鋭く研ぎ澄まされ、一瞬に持てる全ての力を爆発させる。

 極限の精神力。

 

 体の全てを壊してでも勝つためだけに走る。

 純粋なる狂気。

 

 黒い馬からは出会った時の穏やかな印象はそこにはない。

 負けて食われるか、勝って食うか。

 

 サバンナに生きる血に飢えた一頭の獣であった。

 そんな相手に油断していれば咬み殺されるのは当たり前と言うもの。

 

『いい練習になりましたよ。また、お願いします』

 

 黒い馬がヒト畜生に引かれて歩いていく。

 

 焦げ茶の馬を除けば、他のどの馬より脅威に感じた。

 

 だが、果たして、あの馬はうまぁぴょい! に至れたのだろうか。

 感覚的にその資格はあったように思える。

 けれど、何かが少し足りなかった。

 

 それは生まれ持っての素質か、それとも、成した事か。

 それは分からない。

 

 けれど、黒い馬に私は強い何かを感じたのは確かだ。

 

 

 それからだ。

 定期的に黒い馬と走る事になったのは──。

 

 

 時々、負ける事はあるが、基本は私が勝つ。

 

 今日もまた私が勝ち越した。

 まぁ、それにしても、なかなかやる。

 

 舎弟くらいにはしてやってもいいだろう。

 今日からお前は黒い舎弟である。

 

『ロータス。なんかあの馬に対しては丁寧と言うか懐いてるな』

 

『……年上の友達感覚なのかもしれませんね』

 

『うーん……いつもぼっちだからな。ある程度、走れないと同族とすら認めてないとか?』

 

『あー、あるかもしれないですね、それ、ナリタブライアンに絡んでいくのも、案外、そう言う理由じゃないですか?』

 

『……そう考えると不器用なやつなのかもな』

 

『これで精神的に少しは成長してくれればいいんですけどね』

 

 ふむ。

 丸かった時の私はなんというか、脂肪に脳を乗っ取られていた気がする。

 やはり馬は飢えてなくてはいけない。

 ハングリー精神がないとハングリーではないのである。

 

 そこんところ、どう思う? 黒い舎弟?

 

「ヒィン」

 

 黒い舎弟は草を食いながら、こちらをちらりと見て答えた。

 

 成る程、私もそう思います。みたいな意味だろう。

 

 間違いない。

 私にはわかる。

 

 なにせ私は名馬だからな。頭もよいのである。

 

 な、黒い舎弟。

 

 

 

『楽しそうですね、ロータス』

 

『あんまり相手にされてないけどな』

 

『そういう関係でも本人が満足してるならいいじゃないですか。無視しないのはきっとライスシャワーの先輩としての優しさですよ』

 

 

 

 


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