「く……!」
「スカ、タンクっ……!」
ピョコとユキノオーが同時に起こした大地震は、立っていられずプラチナが尻餅をつき、ジュピターが腰砕けに座り込むほど凄まじい。
スズナでさえ、開いた脚で腰を沈め、地に手を着けて踏ん張っているほどだ。
内股気味ながらもパールがしっかり耐え踏ん張っている姿は驚愕に値する。最愛の相棒の大技に身を寄せる中、慣れを習得したのだろうか。
対して、サターンもだ。背中を丸めて大股開きで踏ん張り耐える姿は、初めて人間的な姿勢を見せたものではあるも、これほどの揺れを耐えている。
「「――――――――z!!」」
自分達が起こした揺れに、まったく動じないのはピョコとユキノオーだけだ。
ドクロッグやスカタンクも、倒れず踏ん張るので精一杯の中、そこへ突き進む両者の勢いは平地を駆ける速度と変わらない。
ピョコはドクロッグへ、ユキノオーはスカタンクへ。
ニルルの仇を。スズナに火を放った憎き敵への鉄槌を。示し合わせもせずして怨敵を狙い撃つピョコとユキノオーは、その一撃で敵を葬る勢いだ。
「ッ、ッ――――!」
「うそ!?」
げに恐ろしきは、これほどの揺れの中で足を取られていながらも、ピョコの巨体の体当たりを跳躍したドクロッグの姿にある。
敵が真正面から迫っている光景を前にしながら、脚を取られて躱しも出来ず、ユキノオーの剛腕で殴り飛ばされたスカタンクと比較すれば如実であろう。
それが普通なのだ。"じしん"は地に足着けた敵を、立っているので精一杯の状態にし、回避も防御も儘ならぬ様へクリティカルヒットをぶちかます技。
細い脚のドクロッグなど、最もそれを不可避とする個体なのに。なのにだ。
「ジュピター! 出し惜しむな!
凌ぎきるしかないぞ!」
「ぐ、っ……!
ゴルバット、頼むわよ……!」
疲弊した中、ユキノオーの剛腕を無防備で受けたスカタンクに、もはや継戦能力が無いのは明らかだ。
頑張り過ぎていたほどである。ダイヤのポケモンを一人で全て打ち倒し、蓄積したダメージと疲れがある中でここまで戦い抜いてきたのだ。
右手のボールでスカタンクを戻し、左手のボールのスイッチを押しながらそれで自らの肩甲骨辺りを叩くジュピター。
ボールから飛び出してきたゴルバットが、ジュピターの両肩をはじめから掴んだような形で姿を現し、翼を動かし彼女を宙へと持ち上げ浮かす。
「ひぐ……っ!」
「頑張りなさい! 苦手なのも聞いてるわ!
だけど、ここだけは踏ん張らなきゃいけない場面よ!」
「は……っ、はいっ……!」
幼き頃のトラウマから、恐怖対象でさえあるゴルバットの登場に息を詰まらせるパールだが、すかさず喝を入れてくれるスズナに助けられてなんとか持ち直す。
体が勝手に逃げ出しそうだ。だけど、踏ん張れるぐらいにはパールも、克服に至らずとも恐怖を押さえつけられるほどには心を鍛えてきた。
鋼鉄島をはじめ、コウモリ嫌いを克服しようと頑張ってきた甲斐は、この場で少なからず芽吹いている。
「ガーメイル! 逃がすな!
撃てえっ!」
「ちょっとぉ!? 殺す気!?」
空に身を逃したジュピターとゴルバットだが、プラチナの指示は全く容赦が無い。
ゴルバット目がけてサイケ光線を撃つガーメイルは、まるでそのゴルバットが掴んでいるジュピターへの誤射も厭わぬかのようでさえある。
流石にジュピターも戦慄ものだ。ゴルバットが旋回飛行して躱してくれるが、当たったらどうするんだと正直思わざるを得ない。
「っ、可愛い顔してえげつない子よね……!」
「黙れ! 邪魔するなら容赦しないってだけだ!
ガーメイル、もう一撃!」
勿論プラチナはガーメイルに、あわよくばジュピターを撃ってしまっても構わないとは微塵も思っていない。
ジュピターは極悪人だ。でも、だからってポケモンの技を人に当てるなんて、そんな極悪非道を肯くプラチナであるはずがない。
ガーメイルが撃つ二発目のサイケ光線もゴルバットに躱されるが、ぎりぎり避けやすい程度に狙いを甘くした牽制に過ぎないのだ。
ガーメイルはその意図を汲んでくれるとプラチナは信じている。そして彼のガーメイルには、それに応えられる力量がある。
あのゴルバットを放置すれば、ジュピターを抱えたままでも"エアカッター"の支援射撃ぐらいはしてくるだろう。
回避に徹させ、ドクロッグと戦うピョコやユキノオーへの邪魔など絶対に叶えさせない。
「やれるな? ドクロッグ」
「――――!」
「ユキノオー! 構えて!」
プラチナに翻弄されている以上、もはやジュピターとゴルバットは戦いに参加できる状態ではない。
ドクロッグは一人で戦い抜こうというのだろうか。ジムリーダーの切り札ユキノオーだけでなく、毒に強い地面タイプのドダイトスさえも同時に相手取って?
正気の沙汰でない死地に自ら飛び込まんとするかのように、毒突きの手を引いてユキノオーへと突撃するドクロッグの表情に恐れは無い。
強敵相手に1対2。物怖じしないほどの自信があのドクロッグにはある。
「ピョコ! もう一回!」
「――――z!」
「ナイス! ユキノオー、渾身で!」
両腕を構えて毒突きを防いだユキノオー。打って離れるドクロッグ。
ユキノオーがその痛烈な毒突きを受けた瞬間、強く地面を両前脚で叩いていたピョコが、着地の瞬間のドクロッグの足を取る地震を起こしている。
さしものドクロッグも腰が少し低くなるほどだ。これ以上ないほど、最高のタイミングで敵の足元を崩す揺れ。
構えて、という言葉から受けた指示に加え、渾身という強い言葉に応えるべくユキノオーが放つのは、傷ついた身体の痛みを攻撃性に変える大技。
すなわち雪なだれ。攻撃を受けて砕ける氷結の体毛、それに宿る我が身の氷の力の片鱗を加えて放つそれは、カウンターの時にこそいっそうの威力を発揮する。
「甘いぞ」
「ちょ……!?」
「ほんと、一筋縄じゃいかないわね……!」
確実に、ピョコの地震で足を取られていたのだ。
ろくに立つことも難しい状態で、身構えも不充分で躱せず雪なだれを受けていたら、一撃必殺級の甚大なダメージを与えられていたはずだ。
ドクロッグに対する"じしん"と"ゆきなだれ"の連続直撃など、間違いなくそうであったはずだと断言できるだろう。
その思惑は、空を逃げ回るジュピターのゴルバットよりも高い場所まで跳躍したドクロッグにより、高波めいた雪なだれさえ回避する行動に打ち崩される。
「ユキノオーだぞ」
「――――♪」
「っ、ピョコ捕まえて! 今がチャンス! のはず!」
「――――z!」
高く跳んでしまえば落ちるまでは無防備だ。狙撃を凌ぎようがない。
ユキノオーの冷凍ビーム辺りに狙撃されることへの対策として、そこへ"ヘドロばくだん"を生成して投げ付けるドクロッグは、狙撃手一人を一時無力化する。
ちらっとガーメイルの方を見てほくそ笑んでいる辺りも抜け目ないものだ。
プラチナもガーメイルも、ゴルバットにかかりきりだった中で、今さらこの好機とてサイケ光線をドクロッグに調子良くは撃てない。知っている顔だ。
だが、あと一匹いる。ドクロッグの着地予想点に向かって突き進んだピョコは、相手の足が地に着く前に敵を捕える構えだ。
サターンは何の声も発さない。その不気味さを一番感じているのは、熟達ゆえその姿も視野に入っているスズナだ。
間違いなくドクロッグはピョコの攻撃を受けることになる図式だ。恐らく、それを想定外の展開だと含めていない。
「いっけえっ!」
パールの声に応えて口を開いたピョコが、着地寸前のドクロッグにその大口で噛みついた。
草タイプの技ではドクロッグに大きなダメージを与えられないピョコだが、この"かみくだく"攻撃なら話は違う。
ボディをがっつりとその口に捉えられ、顎の下の毒袋や背中に牙を突き立てられるダメージには、さしものドクロッグも苦悶の表情を一瞬浮かべていた。
「いいよピョコ! 投げ付けちゃえ!!」
それでもドクロッグが、両手の毒針を突き返し、ピョコの顔面に毒針二本の"どくづき"を撃つ反撃は痛烈極まりない。
元より草ポケモンのピョコに、毒技の特効性は子供でも知っていること。
だからパールも、無理に頑張って絶対放すななんてことは言わない。やれることはいくらでもある。
ドクロッグを咥えたまま首を振るい、口を放してそれを投げ捨てるようにしたピョコは、ドクロッグを頼れる相棒の方へと放り投げている。
すなわち、ヘドロ爆弾を受けた顔を既に拭い、素早く技を撃てる構えに入っているユキノオーだ。
「決めるわよ! ユキノオー!」
「ドクロッグ! 風を切れ!」
さしものサターンも強い声だ。それだけ、他に手が無かったとも言える。
だが、自らの方へと投げ付けられたドクロッグに向け、逃げ場無き真っ向からの"れいとうビーム"を撃つユキノオー。
それを、宙で身を回したドクロッグが両手の毒針を小太刀のように交差させる振り抜きで、まさに風を切り裂くかのように冷凍ビームをバツの字に割り裂いた。
ドクロッグに着弾するはずだった冷凍ビームはそれによって割られたが、継続して放たれるそれの後続砲撃は、やはりドクロッグに直撃する。
それでもいいのだ。浴びせられる時間が一秒減っただけでも、この局面においては例えようもなく大きい。
全身を氷が包み始めるほどの極寒の感覚を得ながらも、飛来するままユキノオーに迫る形だったドクロッグは、全身凍結の最悪を呈していない。
そのまま敵に触れる距離まで辿り着いた時に、腕か脚が動くならそれで充分なのだ。
体温を奪われる苦しみに少々程度に表情を歪めるやせ我慢ぶりこそ晒しつつ、ぎらりと眼を光らせたドクロッグはユキノオーにその拳を突き刺した。
「っ……!
ユキノオー! ぶっ飛ばせえっ!」
「潜り込め! それしかない!」
"どくづき"にも見えたその一撃、本質は"リベンジ"だ。敵に受けたダメージ、その痛みを活にしていっそうのダメージを与える反撃技。
まして氷タイプのユキノオーには痛烈なその一撃を、最高の形で突き刺したドクロッグであるが、なおもユキノオーは倒れない。
その不屈さも、そして今の一撃で相手が倒れていない想定で指示したサターンも、上り詰めた者同士の戦いを為すポケモンとトレーナーの様相そのものだ。
受ければ反撃、"リベンジ"と同様に相手から浴びせられた痛みを威力に変える大技、"ゆきなだれ"を放つユキノオーの腕の動きは可能な限りの最速だった。
だが、痛烈すぎる一撃を受けた後の、一瞬の動きの遅れは、これほどの相手には致命的。
迷わずドクロッグはヘッドスライディングするかのようにユキノオーの股下へ潜り込み、敵の後方へと身を逃す。
跳んでも退がっても逃れられない大技を凌ぐにはこれしかない。刹那の窮地、敵の方へと飛び込んでいくこの判断は、指示あったとて相当できるものではない。
最適な行動を示せるサターンも、それを迷わず選べるドクロッグも、やはり高いレベルにある指揮官と強兵であることを証明する器にあるのだ。
「いっけえっ!」
「"シザークロス"だ……!」
何もなければユキノオーを背後から、刺すも殴るも斬りつけるも自由だったドクロッグを阻むのがドダイトスだ。
突き進んできたピョコの巨体にすぐさま立ち上がって向き合ったドクロッグは、流石にその突撃を躱すには至れない。
だが、弧を描く毒針を刀のように交差させて斬りつける一撃で、ピョコの両目の上をざっくりと切り裂く。
それは先刻、冷凍ビームという大気を切り裂いたほどの鋭い斬撃。
ましてピョコが自己判断で顎を引いていなければ、両目を傷つけられて永遠に光を失っていたであろう一撃に相違ない。
なまじこれほどの戦いの中であろうと、目を逸らさずに戦える胆力が身についていたパールにとって、今の一幕はぞっとするほどの光景だったはずだ。
だが、ピョコの重い体当たりはしっかりとドクロッグを捉え、大きくそれを突き飛ばすことに成功している。
それでも宙にて身を回し、しっかりと地を踏みしめる形で着地するドクロッグのしぶとさは並々ならぬものだ。
器用にひらひらとこちらの攻撃を凌ぎ続けていた怖さにさらに上乗せされる、あれだけのアタックを受けても膝すらつかず強気な顔を崩さぬ頑強さ。
パールだけじゃない、ピョコさえ本能的に怯んでいたものだ。冷凍ビームの直撃に続いて、全力全開の体当たりを当ててもあれだ。
どうすればこいつを力尽かせられる? 当てるも困難、これだけ当てても尚あの頑強さ。過去に戦ってきたどの相手より強い。
強さは数値化できない。比較が難しい。それでも間違いなくあのドクロッグは、過去最強の敵だと確信せしめるに充分すぎるものだ。
「ニャムちー! かえんほうしゃ!」
「む……!」
それでも、押し切る想いを捨ててはいなかったパールとピョコ。スズナもそうだろう。
そんな想いを打ち砕いたのが、この場に参じた新たな強い勢力だ。
エイチ湖真ん中の洞穴から姿を見せたマーズ、そして彼女が指示したブニャットが、ユキノオー目がけて全力の火炎放射を発したのだ。
「ユキノオー、っ……!」
「ッ、ッ……、――――――――z!!」
「倒れない、か……っ!」
草タイプであり氷タイプであるユキノオーにとって、不意打ち気味に浴びせられた炎は防ぐすべもなく、それをまともに受けた姿にはスズナも青ざめる。
それでもユキノオーは一度振り上げた両腕を、全力で振り下ろす形で"ふぶき"を撃ち出し、敵勢すべてを襲う氷結の嵐を浴びせる。
自らの全身を焼く炎を、その荒れ狂う風で以って吹き払うことも兼ねてだ。
吹雪がドクロッグを、参じて炎を吐いたブニャットを、そして空のゴルバットやそれが掴んでいるジュピターまでもを襲っている。
トレーナーアタックになってしまっているが、こればかりは仕方ない。
怒りが冷めやらぬユキノオーだが、決してジュピターがスズナに火炎放射を撃つことを指示した、あの時の仕返しというわけではないだろう。
現に攻撃範囲が広すぎて絞りようもない吹雪は、スズナもパールもプラチナも巻き込んでその身を凍えさせている。
ぎりぎりピョコやガーメイルという戦う仲間にだけ、辛うじて襲い掛かる吹雪が少なくなるよう細心の操作をするので精一杯なのだ。
「えげつない、っ……!
悪かったわね二人とも、こんな相手に粘らせて……!」
「構わん! まずはジュピターだ!」
翼を凍らされたゴルバットが、ジュピターを空に留めさせられず落ちてくる。
それでも凍った翼を必死で動かし、自由落下で自分やジュピターが地面に激突することが無いよう、踏ん張るゴルバットの根性も中々のものだ。
サターンはそんなジュピターの方に、ユンゲラーが入っているボールを強く投げ、彼女のすぐそば空中にユンゲラーの姿を出す。
ジュピター自身もクロバットももう限界だ。凍えた全身で、覚えてなさいよとスズナを睨みつけるのが精一杯のジュピターは、ユンゲラーとともに消えていく。
テレポートによる緊急脱出だ。決して遠くではないが、この危険な戦場からまずはジュピターを救出する。
「あなた達は逃がさないわよ……!
ユキノオー! もうひと踏ん張り!」
「――――――z!!」
「ニャムちー! ブルー!
頼むわよ! ここ一番!」
マーズが出てきて撤退の流れに移り始めたギンガ団幹部の動きに、スズナも遮二無二な最速の、そして最高威力の攻撃で逃がすまいとする。
マーズも必死の抗戦だ。禁じ手承知、ヘルガーをもボールから出して、二匹ぶんの火炎放射でこちらへ迫る吹雪を阻み、ドクロッグやサターンも守り抜く。
もうバトルじゃない。生還を懸けた逃亡戦だ。サターンも氷結の纏わり付く身体で、俊敏に駆けてマーズのそばへ位置を移す。
ユンゲラーが帰ってきた時、すぐに二人同時に撤退できるようにだ。
「ピョコ! じしん……っ゙!?!?」
逃がしたくない、逃げられたくない。必死にパールが指示した声に応え、地面を揺らすピョコがサターン達の足を取る。
転ばされかけたマーズの手を取り、ここで脚を痛めるなとばかりに支えたサターンは、自らも逆の手を地面について腰を沈めた。
辛抱の時間だ。ユンゲラーが帰ってきて、緊急脱出した後も、警察の手から逃れるために走る時間が長く続く。ここで走れなくなるのは致命的だ。
「ガーメイル……!」
だが、そんな逼迫した状況の中にあるサターンやマーズ以上に、この期で只ならぬ苦しみに襲われた少女がいる。
吹雪と火炎放射が絡み合い、溶けた雪とあられが大量の水蒸気となり風に拡散する、濃霧じみたその中を駆けてユキノオーに迫っていたドクロッグ。
それに向けてサイケ光線を撃つことを指示しながらも、プラチナはパールに駆け寄らずにいられなかった。
両手で頭を抱え込んで、その場で膝から崩れ落ち、うずくまっているパールの様相は尋常ではない。
「い゙っ、痛い痛い痛いい゙ぃぃっ……!
だめっ、これっ……耐えられないぃ……っ!」
「ぱ、パールっ……!
しっかり……ギンガ団がっ……!」
状況が状況だ。パールだって多少の頭痛なら、いや、ある程度はそれがひどくたって、これほど相手を無視した苦しみようは見せないだろう。
それでも耐えられないのだ。頭蓋を叩き割られた挙句、それを力任せにヒビからこじ開けられるかのような、抗いようのない壮絶な痛み。
額を雪の満ちた地面に押し付け、ぎゅうっと目を閉じた瞼から涙を溢れさせるパールの苦しみは、傍目から見ても只事ではないのが明らかだ。
「……そうか、なるほどな。
ボスがあの少女を妙に目をかけるわけだ」
「ちょっとサターン、冷静に分析してないでよお!
ユンゲラーいつ戻ってくるの!? ニャムちーもブルーも余裕ないのよ!」
「なるようにしかならん」
マーズも流石に余裕がない。やばいやばいやばい、その一心。
そんな中で、サターンは懐に入っている二つのギンガボールと、マーズが既に懐に入れたギンガボールを意識する。
このエイチ湖に眠っていた"ユクシー"。
シンジ湖やリッシ湖で捕獲した"エムリット"と"アグノム"を、サターンがここへ連れてきたのは、仲間が捕えられたことをユクシーに知らしめるため。
それに感応したユクシーが姿を見せたところを、マーズに捕獲させるミッションは完遂することが出来た。
そしてこの状況が生み出したもう一つの事象とは、己の懐で苦しむエムリットが、パールに対して何かを訴え、彼女が頭痛を覚えているというもの。
エムリットの入ったボールに触れているサターンには、僅かながらその思念が感じられるのだ。
「そうだ、ドクロッグ。戻ってこい」
ドクロッグに、ガーメイルのサイケ光線は当たらなかった。
濃霧の中を突っ切るドクロッグに迫るそれは、霧の向こうから飛んでくる、自らに迫って初めて気付くほどの、ほぼ至近距離からの狙撃に近かったのに。
それでも免れ、弱っていない脚でサターンのそばへと駆け戻る姿は、未だあの脅威の回避力を見せつけるものだ。
「よし、ここまでだ」
「助かった……!
ニャムちー、ブルー、ほんとにお疲れ様!」
ジュピターを一度安全な所まで運んだユンゲラーが、再びサターンのそばへとテレポートで帰ってきた。
サターンはドクロッグをボールに戻し、マーズも同様だ。
ユンゲラーがその両手でサターンとマーズの肩に手を置き、あとは離れた場所へ一緒にテレポートするだけだ。
この形が完成した時点で、もう追っ手に出来ることは残っていない。
「待ちなさ……」
「流石はジムリーダーだ。私も肝が冷えた。
薄氷の勝利を得た実感を、暖かい場所でゆっくり満喫することにするよ」
スズナの叫びもむなしく、ユンゲラーが先導する形でギンガ団の二人はその場から姿を消してしまった。
決して遠くまで行ったわけではないはず。テレポートの移動距離には限度がある。
それでも、今からスズナ達が追うには消耗が激し過ぎた。
逃げた先でサターン達を警察が捕えてくれることを祈るしかなく、そんなことを易々と叶えさせる逃げ方を、あれがしてくれるはずもない現実も重い。
追い詰めることは出来た。だが、やはり敗北だ。
胸がぎりぎりと痛むほどの悔しさを耐え、強く鼻から息を吐くスズナは、悔し涙さえ出そうな想いをいったん封じ込める。
もうこれ以上あいつらを追えないなら、気がかりなものがまだここにはある。
「――パール! 大丈夫!?」
「い、いた……いたい、っ……
泣いてる、あの子っ……たすけて、って……」
「パール、しっかり……!
えぇと、どうすれば……なんとかしてあげたいけど……」
「わたしじゃ、ない、っ……」
うずくまって頭を抱えているパールが発する、助けての声にプラチナも反応し、どうにかパールを助けたい想いを口にした。
だが、パールが訴えかけているのはそうじゃない。確かに今、頭が割れるような痛みに苦しんでいるのは事実だ。
そんな彼女が強く発する声と、痛みによって溢れる涙に混ざったもう一つの想いは、己を襲う苦しみだけによるものではない。
頭の中に、がんがんと響く叫び声は、これほどの頭痛以上にパールの胸をも締め付けるほど悲痛だった。
鞭で何度も打ちのめされる子供が、助けて、助けてと泣き叫ぶような、聞いただけでもつらくなるような声だ。
しかも、パールはその声の主が誰なのかもわからないのに、ずっとそばにいた親しい誰かのような声にさえ聞こえるのだ。
共に歩み続けてきたポケモン達のように。家族のように。ピョコ達の声を聞く普段のように、その声は身近で、他人事には思えなくて。
一人っ子のパールが今まで経験しようのなかった、まるで妹か弟が目の前で苦しめられ、泣き叫ぶ声を耳にしているかのような苦しみがパールの胸にある。
何も出来ないことの苦しみがそこに乗り、まして頭痛までもがパールを苦悶させる。立ち上がれようはずもない。
「パール……!」
「助けて、あげなきゃ……!
あの子達、本当に……苦しんでる、っ……!」
見聞きもしない誰かを案じる、パールの不可解な主張に動揺するプラチナのそば、スズナはパールの背中に手を添え、ゆっくり撫でて彼女に寄り添っていた。
プラチナよりも冷静でいられる大人だ。きっと彼女の言葉には、彼女にしかわからない何かがある。
詳しい話は後で聞けばいい。今はただ、苦しむこの子のそばにいて、どうにか支えてあげなくては。
何も出来ないのはスズナも同じ。離れることを選ばないのは、せめても彼女達に出来ること。
一縷の望みを懸けてサターン達を追う、その選択をしなかったこと。
望みが薄いからなのは事実だ。だけどやはり、戦い抜いてくれた勇敢な少女が苦しむ中、放っていくことが出来ない感情の方がやはり強い。
勝つことは出来なかった。だけど、本当によく頑張ってくれた。
ただただパールのそばで狼狽えるプラチナ共々、スズナは二人に感謝と敬いを含む眼差しを向けるのみだった。労いの言葉はまた後で良い。
「走れるようで何よりだ」
「ったく……! 冗談じゃないわよあの雪女……!
死ぬとこだったわ……!」
「あたし達に文句言う資格ないでしょ、特にあんたは……」
エイチ湖から少し離れた場所にテレポートで逃げ込んだサターン達三人は、いっそうの北に向かって駆けていた。
キッサキシティの北は、雪が降り積もる山林地帯だ。遭難の恐れもある森であり、誰一人として近付かない未開の地だ。
悪党にしてみれば隠遁し、一夜を過ごして立て直すには絶好の場所である。
雪の積もるほどの寒さとて、三人には炎を扱えるポケモンもいるし、一晩ぐらいなら過ごし通すことも出来るだろう。
下山時が大変ではあるが、それもどうにか乗り切る算段はある。それが出来る三人だから、未だに隠れる場所を的確に選び、逃げ延び生き延びられたとも。
"ふぶき"で身体の芯まで冷やされたジュピターは、正直なところ走るのもつらい。
とはいえ、ここで走らずへこたれていれば警察に捕まるだけ。今日一日だけでも死力を尽くさねば。それだけの根性はある。
ご承知レベルの皮肉をマーズに垂れられても、言い返す気力は無いのだが。
流石にマーズもジュピターのコンディションを前に、普段のように強く絡む声ではないので、そこはジュピターにとっても救いである。
「……ねぇ、サターン。
あいつがボスに目をかけられてるってどういうこと?」
「なに、特に重要な話では……いや、この際だから話しておくか。
ただ、走りながらでは少々骨だ。もう少し進んで、ひと休みしながら話すことにしよう」
マーズはジュピターとの会話をやめ、引っかかっていたことをサターンに尋ねた。
ジュピターも初耳なのか、興味を持った目をサターンに向けている。
逃亡の脚を止めぬまま、冷淡な声を発するサターンは、ただ前のみを向いて二人に顔を向けもしない。
素顔を隠した仮面と合成音声もさることながら、相も変わらず心情の読めない同胞だとマーズもジュピターも常々感じる。
「ここまで、随分と無理に付き合ってきて貰ったからな。
たまには私も、腹を割って話そう。
こうして力を合わせて一つの夢に向かう道のりも、そろそろ終わりが近付いているのだからな」
それでもこの言葉を発するサターンの声には、感慨らしきものを感じ取れた。
合成音声に感情は宿らない。だが、息遣いはある。
そんな小さな機微に、感じ取れるものだってあるのだから、人の耳が持つ鋭さも馬鹿にできたものではない。
サターン、マーズ、そしてジュピター。
ギンガ団の名のもとに集い、己の掲げる夢を叶えるため、遠くも近くも力を合わせてきたギンガ団幹部の三人だ。
慣れ合う意識は誰にもない。それでもそこには、きっと数十年後になっても互いのことを忘れていないであろう、縁というものが確かに存在する。
仲間という概念は、悪の組織にも確かに存在するのだ。それを、彼ら彼女らがわざわざ認めようとしなくてもだ。