「大丈夫? おさまった?」
「ぐうぅ~、なんとか……
まだちょっと頭ずきずきしますけど……」
サターン達が去ってからしばらくして、ようやくパールも顔を上げた。
頭痛はおさまったようだ。ぐしぐし目を拭うパールの目は真っ赤っ赤。
あの苦しみようからしても、凄まじい激痛であったことはわかるのだが、泣くほど耐え難いものだと知ればスズナもプラチナもいっそう気の毒に思う。
「ねえ、パール。
さっき言ってた、あの子達が苦しんでる、って……?」
話せるようになったパールに、プラチナは先程のパールの言葉の真意を問うてみる。
誰かが苦しんでいる声が聞こえる、そう主張するかのようなパールの言葉だったが、傍目からは今ひとつ要領を得ない。
頭痛と無関係でなさそうなことは、プラチナも直感的に想像できているようだが。
「……ここエイチ湖と、シンジ湖と、リッシ湖にはそれぞれ、シンオウ神話に深く関わる三匹のポケモン達が眠っているとされているわ。
ギンガ団達が三つの湖を襲撃したのは、それらを狙ってのことだったんじゃないかって言われてる」
パールが言葉を考えている間に、スズナが先に言葉を挟んできた。
ギンガ団の目的については、一連の事件が続いたことで、テレビなどでもよく考察されてきたものだ。
スズナが挙げたのは、現在最も有力視されている説である。
「あいつらの狙いが、このエイチ湖に眠っていたユクシーだったとしたら……
パールが聞いた助けを求める声っていうのは、もしかして?」
「………………そうだけど、そうじゃない気がします。
私の頭の中に響いてきた声は、もっと身近で……知らないはずなのに、どこか……」
「パールは、フタバタウン出身だったかしら?
近くにシンジ湖のある」
「え? あ、はい……」
「エムリット、っていう名前を聞いたことはある?」
頭の中に見知らぬはずの誰かの声が聞こえるという超常現象の後なので、パールも考えや結論が纏まりきっていない。
ある限りの知識で以って、パールをリードしてくれるスズナだ。
ナタネら友人を介して知る、パールの出身地などから想定される別の単語を口にした時、パールははっとしたようにスズナの方を向く。
「その名前、知ってる気がします……!
一度も聞いたことはないけど、なんでか知ってる気がする……!」
「シンジ湖に眠るとされるポケモンの名前は、エムリットだと言われてるわ。
そんなシンジ湖と関わりが深いあなたなら、もしかすると何か縁があったのかもしれないわね」
地元の湖に眠る、幻のポケモンの名というものは、わざわざフタバタウンでもおおっぴらに語られはしないものである。
少し調べれば誰にでも知れることであるが、勉強好きでもなくまだまだ子供のパールには、初めて聞く名であるのも無理はない。
それでも、初めて聞いた名じゃない気がすると言うパールには、スズナも関係性を想像せずにはいられないというものだ。
「エムリットは、感情を司る神とも言われてる。
あなたにとってシンジ湖は特別な思い出のある地で、何度もその情念を胸に足を運んだ場所なのよね。
きっとそれが感情を司るエムリットと、何らかの繋がりを持たせてくれていたのかもしれないわ」
「もしかして、ナタネさんから聞いてます?」
「ええ、命の恩人さんを探したくて旅を始めたのよね」
最近は、大好きなポケモン達と一緒にジムを攻略していくこと自体に、楽しさや喜びを得られるようになったパールだが、元はそれも一つの手段に過ぎない。
元々パールがチャンピオンになりたいと願ったのは、有名人になってテレビ等で、幼い頃に自分の命を助けてくれた人に呼びかけたかったからだ。
ズバットに襲われて湖に落ちてしまい、溺れて死んでしまうところだった自分を助けてくれた、顔も思い出せない命の恩人。
ズバット恐怖症も、旅立つきっかけも、パールにとってはすべてあのシンジ湖に詰まっている。
いや、むしろあの日から、ポケモントレーナーとして旅立てる日をずっと待ち望んでいたパールであるという事実を鑑みればその程度ではない。
彼女のこれまでの人生の半分以上を形作った要因に、あのシンジ湖が関わっているとさえ言って過言ではないだろう。
美しいシンジ湖を前に感動する観光客や、地元の絶景をこよなく愛す人々の思い入れと、パールがシンジ湖に抱く情念の程は比較にならないはずだ。
感情を司る神とされるエムリットが、パールという一人の女の子の想いに何らかの縁を結んだのだとすれば、根拠らしきものは確かにある。
「パールが聞いた助けを呼ぶ声っていうのは、やっぱりエムリットのそれだったのかしら?」
「そんな気が、します……
きっと、あの場にもいたんだと思います。
つらそうな声で泣いてて、ほんとに苦しそうでした……」
ユクシーを捕獲するためにエイチ湖を襲撃したギンガ団だが、既に捕獲済と思われるエムリットを連れてきていたのだろうか、とはスズナも思う。
だが、湖の水を干上がらせるほどのことをしなければ、そもそもリッシ湖のアグノムを目覚めさせること自体が困難だったであろうことは推察されている。
いくら組織立ったギンガ団でも、あんなことを何度も出来るものではなさそうだ。
となれば、エムリットやユクシーを目覚めさせる鍵として、既に捕獲した彼らの同胞を利用した、という説は考え得る。
わかっていないことの方が多い守り神達なので、推測で補う形でしか真相を求められないが、かえって仮説はいくらでも立つのだ。
「……その助けを求めるためにパールに呼びかけていた思念の結果が、パールの頭痛だったってことなの?
なんか複雑だよ、僕。パールは大丈夫なの?」
パールはきっぱり首を振った。あれはもう二度と経験したくないほどつらい。
プラチナも、エムリットの境遇は可哀想だと思うけれど、だからと言って一番大切なパールが苦しむ姿を何度も見せられてきては、やはり想いも複雑だ。
「でも、わかる気がするんだ。
あの子はきっと、私なんかよりもずっと、長く、今でも苦しんでる。
ギンガボールっていうものに囚われているんだったら、きっと今もだよ」
「……そうか。そうなんだよね……」
しかし、ギンガボールの性質を改めて思い返すと、囚われたポケモン達の想像するだけで胸が痛くなる。
捕獲されたものに安らぎではなく苦痛を与え、抵抗する力を削ぎ落とす、拷問危惧と捕獲装置を兼ねたようなものだ。
複雑な想いこそ晴れはしないが、やはりギンガ団は憎むべき悪だという認識をプラチナも強める。
「絶対助けてあげなきゃいけない気分だよ!
悪いけどプラッチ、私まだまだ頑張るからね!」
「くそっ、まだまだこれが続くのか。
もう、別に今さらいいけどさ」
どうやらパール、今後もギンガ団と関わる機会があれば、またいくらでも飛び込んでいきそうである。
プラチナも正直げんなり。でも、今回のパールの冗談めかした声には、批難に偏った反論はしたくなかった。
ばつの悪さ含みなのか、軽い言葉を使ってはぐらかしているが、エムリットの苦しみに強く共感し、どうしても助けたいという気持ちの強さは本物だ。
無謀な正義感から蛮勇を振るうばかりだった、今までのパールと比べれば、今のパールはプラチナもいくらか共感できるのだ。
そもそも、今さら止めても今さらだし、という哀しい慣れもあるのだが。
「まあいいや。
とりあえずパール、ちょっとおいで」
「え、なに? なんかよくない予感するんですけど」
「パール、ここに来るまでの中で一回僕のこと追い抜いたよね?
約束してたよね、僕より前に出たら殴るって」
「……その話はなかったことになった」
「なってないよ。はいお腹こっちに向けて。なぐるから」
「やだー! スズナさん助けて!」
「どんな約束してるのよ、あなた達。
暴力は良くないぞ、特に女の子に手を上げるなんて」
「いいえスズナさん、申し訳ないけど外野には黙っておいて頂きたい。
僕はアレなんです、パールにはいっつも苦労させられているのです。
たまには仕返ししてもいいと思うんです。ナタネさんからエピソード聞いてません?」
「それはなんとなく予想がつく。いっぱい聞いてるし」
「やだー! スズナさん私を守ってー!」
ずかずか歩み寄ってくるプラチナに、パールはスズナの陰に隠れるようにして逃げる。
プラチナが追うとスズナの回りを二人でぐるぐる。一本の柱を挟んでの追いかけっこである。
まあまあ、とプラチナをなだめるスズナも楽しそうであり、同時にすこしほっとする。
あれだけの戦いの後なのだ。怪我もなく、こうして子供らしい姿を見せられる形で戦いを終えられただけでも御の字なのは確か。
ギンガ団を逃がしたのは無念だが、もっと最悪な結果は避けられたのだ。大人のスズナにとって、胸を撫で下ろせる結末には違いなかった。
「プラッチしつこいぞー!
しつこい男は嫌われるぞー!」
「なに逆ギレしてんの、約束どおりのことやってるだけじゃん。
はい捕まえた、さあおいでおいで」
「いーやー! たすけ……って、うわっ!?」
とうとうプラチナに手首を掴まれ、ずりずりスズナという盾から引きずり離されるパール。
スズナも苦笑い気味で歩み寄り、なんとか許してあげましょとプラチナをなだめる心積もり。
プラチナも適当に許す予定である。本当に殴っちゃうのは流石にちょっと。
でも本当に殴られると思っているパールは必死であった。
そんな折に、パールの手首のポケッチが着信音を鳴らす。
慌ててパールは、プラッチと遊んでる場合じゃないとばかりに、掴まれていた手を振り払った。
なにやら焦っている。相当びびった顔してる。
「さてはお母さん?」
「た、多分そう……今からごっつい怒られる予感がする……」
「はい、行っといで。
殴られるより怖い想いしてきなさい」
「はーい……」
エイチ湖での戦いも、上空カメラから全国放送されていたので、戦いの終わりはパールのお母さんもテレビで見届けていたはずだ。
終わりを見届ければ電話してくるのは予想できたことであろう。着信相手を見なくてもわかりきっている。
『お母さん』という着信表示を見るのも怖いのか、ポケッチに目も向けずして確信した風のパールは、しょぼしょぼした足取りでプラチナから離れる。
幸いプラチナに殴られる流れは有耶無耶になりそうだが、これからめちゃくそに叱られる予感しかしないので、へこみが別のものに変わっただけだ。
友達の前でぎゃんぎゃん怒られるのは恥ずかしいので、ちょっと離れた場所で通話するつもりらしい。スズナもプラチナも微笑ましく見送った。
二人からちょっと離れた場所で、はぁ~と溜め息を吐いてポケッチに目を向けるパール。
覚悟は決めた。お母さん、と表示されたポケッチに触れ、通話状態にする一瞬前。
そこに表示された名前が、お母さんではなかったことに、パールはポケッチを操作しようとした手が一秒ばかり止まった。
「――もしもし!?」
だって、あまりにも予想だにしなかった名前だったから。
そしてそれは、パールがずっと、心の奥底で、もう一度話がしたくてしたくてたまらなかった、待ち望んでいた相手からの着信だったのだ。
『もしもし、おはよー♪
テレビで見てたよ、相変わらず無茶してるんだから』
「お、おはようござ……ナタネさんっ、もう大丈夫なんですか!?」
「んあっ!?」
パールの声を聞いて、スズナは迷わず彼女の方へと突っ走っていった。
数日前、凶刃に倒れて意識不明の親友が心配でならなかったのは、パールだけでなくスズナもそうなのだ。
どれだけ表向きには、あの子のことだから必ず目覚めると豪語していたって、心配でたまらなかったことなど当然である。
『あはは、ご心配おかけしました~……
ほんとあたし、けっこう長い間目を覚まさなかったらしいわね。
入院中だけど、ようやく目が覚めました~』
「あっ、ああっ……あぁ~~~……」
「こぉらあ~! ナタネぇ!
目が覚めて一番最初に電話する相手があたしじゃなくてこの子!?
真っ先に電話かける相手はあたしでしょー! 親友でしょうがっ!」
『ごめんねスズナ~、見てたわよテレビ。
強かったじゃない、流石あたしの親友ね! またバトルしましょ!』
「ばーーーか!!
まずは謝れっ! 本当に心配したあたしに謝れっ!」
本当にナタネさんが二度と目覚めなかったらどうしよう、という不安を毎日抱えていたパールは、安堵のあまりえぐえぐ泣きだした。
スズナも声を荒げて照れ隠ししているが、目元を拭うぐらいには、張り詰めていたものが切れたほどほっとしたのは同じ想い。
死の淵から生還してくれた親友の、元気そうでマイペースな態度も、失われていた日常がやっと帰ってきたことの象徴としていっそう温かい。
『パールっ、あたし、目が覚めて一番最初に電話した相手、あなたよ?
絶対あなた、あたしのことすっごく心配してくれてたって信じてるもん。
そこで戦ってるあなたのこと、テレビで観ててあたしも心配だったけどね?』
「ぁぅぁぅ……」
『ありがとう、パール。声を聞いたら、あたしも安心したわ。
あなたのこと大好きよ。あたしのことも好き?』
「ぁぃぁぃ……」
『あははっ、嬉しい。
これからも、素敵な友達でいてね。年の差なんて関係なくさ』
トレーナーとしては先輩後輩の関係だが、あれだけ毎晩電話する仲だ。
片方が敬語を使う関係であろうとも、とっくに親しいお友達。
人なつっこく、電話越しでもナタネさんナタネさんと慕いやまぬパールのことは、ナタネだって可愛くて仕方ないのだろう。
涙声で辛うじての返事をするパールの声に、ナタネもちょっと涙腺が緩みそうである。
『スズナもね。心配してくれてありがとう。
元気になったら、ジムをお休みにしてキッサキシティまで会いに行くわ。
おいしいご飯のお店、また紹介してね?』
「ええ、ばっちり調べとく!
あんたもちょっとはあったかい格好して来なさいよ!
こっちで会ったらあんたの格好、見てるだけで寒いんだから!」
『それはスズナに言われたくないなぁ』
「あたしは平気だもんね!
北国生まれを舐めるんじゃないわ!」
涙を拭ったスズナは、嬉しい気持ちをいっぱいに表すかのように声も大きい。
それが、スズナなりの感情表現だとナタネも知っている。
生還を喜んでくれる想いを、電話越しでもひしひしと感じさせてくれる親友には、ナタネも胸が温かいもので満たされるばかりだ。
『プラッチ君、そばにいる?』
「はい、います。
……よかったです、ナタネさんが無事で」
『あははは、もしかして泣いてくれてる?』
「えーと……それはぎりぎり我慢してます。
男の子ですから、あんまり人前で泣きたくないんで」
『うん、ありがとう』
滲む目をしぱしぱさせ、涙を流すことこそ耐えきっているプラチナは、それを隠さずちゃんと伝えた。
やはり嬉しいこの気持ちは、全部伝えたくなるというものだ。
案じてくれていた少年の想いは、鼻をすするナタネにしっかり伝わっていたはずだ。
『パール、ごめんね。
電話をかけたい相手が他にもいっぱいいるの。
あなたには、今晩もう一回かけるから、今はもう切るわね?』
「ぁぃ、っ……」
『スズナも、プラッチ君も、ありがとう。
目が覚めたばかりで身体もだるいけど、あなた達のおかげで元気出たよ。
心配してくれて、本当にありがとう』
「ゆっくり休みなさい。
あたしの方からも、明日ぐらいにまた電話するわ」
「本当によかったです。
またパールのこと、可愛がってあげて下さいね」
『みんな、大好き。
それじゃあ、またね』
少しの間をおいて、向こうからの通信が切れた。
積もる話も沢山ある中、短い通話だったとも言える会話だったが、それでも三人にとっては充分すぎた。
自分達の手では最善を掴み取れない、天運に任せて祈るしかない命運が、良き形に落ち着いてくれたことを知らせる天使の鐘。
親友の、敬愛する人の無事を知らせるその一報に勝る、幸福の調べなどそう多いものではあるまい。
「スズナさん゙~~~!」
「おーおーよしよし。
不安だったのね~、あたしも実は、たまに不安だったのよ~」
感極まる想いでスズナに抱きつき、胸に顔をうずめてぎゅーっとしてくるパールを、スズナも片手で抱きしめて頭なでなで。
なるほどな~、ナタネが可愛がるわけだな~、と思った。
聞いてた以上に、ナタネは懐かれているんだなぁとしみじみ感じるばかりである。
元から有耶無耶にする予定だった、パールにパンチするという話も、プラチナの頭からは完全に吹き飛んでいた。
嬉しさのあまりぐずるパールを見ていると、全部どうでもよくなるのだ。
訪れたハッピーエンドに、プラチナはただただパールの姿を通していっそうの実感を得、文字通りに胸を撫で下ろすばかりだった。