『マーズ、首尾はどうだ?』
「ええ、順調よ。
手厚いサポートのおかげで、対象との接触は叶いそうだわ」
『何よりだ。
そのまま頼むぞ、ボスからの勅令だからな』
「……ええ、わかってる」
カンナギタウンから東や南の街へと続く210番道路。
整えられた道をはずれれば、やや険しい山岳地帯たるその北部に、俗世から身を隠す指名手配犯が潜んでいた。
赤毛のマーズは悪のギンガ団幹部として今や相当に名高くなっており、人里に降りることなどもはや叶わない身分だ。
ギンガ団としてのミッションに関わらぬ隠遁生活の今、ギンガ団幹部としての正装は片付けており、レザージャケットを羽織るカジュアルな着こなしだ。
髪型もツインテールに纏めており、赤毛と顔にさえ目を瞑れば、ギンガ団員だとは到底見えぬ私服姿である。
エイチ湖での騒動から二日経った。
キッサキシティの北の山々を抜け、追っ手を撒く回り道を経てテンガン山を越えた、サターンを筆頭とするギンガ団幹部の三人。
サターンとジュピターは、長らく正義の目から隠し通してきた、悪のギンガ団の総本山たるアジトへともう移っている。
マーズだけが単独行動だ。彼女にしか出来ない任務が一つある。
そのためにマーズは仲間達とは別行動で、この第210番道路に身を隠しているのだ。
『乗り気でないのはわかる。
何だかんだで、お前は非道に徹しきれない奴だからな』
「……だって、今回の仕事はあんまりよ。
あんな可愛い子達を嵌めようっていうんでしょう?
それも、あの子達の正義感に付け込んでさ」
『可愛い、か。情が移ったか?』
「どう、かしらね……やっぱ邪魔してくる奴らだし、いざ敵対したら鬱陶しいし。
でも、正しいことをしようとしてるのはあの子達よ。
良くない手段で叶えたいことを叶えようとしてるのは、やっぱりあたし達だから、さ」
トランシーバーを介してサターンと通話するマーズの表情は暗い。
万が一この会話を、そばにいる誰かに気付けずマーズが傍受されることになってはまずいので、サターンの声は合成音声によるものだ。
その淡々とした無感情な声が、今のマーズにとっては嫌だった。
元より血も涙も無いようなミッションを自分に任せてきたサターンの、人としての感情を読み取れない声は、いっそう冷血に聞こえるからだ。
「……本当に、これって必要なことなの?
関わらせなくたって、いいじゃない」
『ボスの意向だ。
正直なところ、私にもボスの考えているところはよくわからない。
だが、わざわざ私を介してこのような勅令を下すということは、意味があり、必要なことだということだろうな』
「あんたが考案した作戦を、ボスの名を借りてやってるわけじゃないのよね?」
『いくら私でもそんな小賢しいことはしないよ。
確かにお前が嫌がりそうなこのミッション、あくまで対等な僕からの指令であれば、お前にも拒否権めいたものが生まれてしまうがな。
だからと言ってボスの名を勝手に使うような、一線を越えることは流石に私もね』
「…………信用するけどさ」
それだけ、マーズは嫌なのだ。
最高幹部とされるサターンだが、あくまでたった三人のギンガ団幹部として、マーズと立場は対等である。
サターンからの指示であれば、マーズは断っていただろう。あたしは嫌、あなたが自分でやってよ、と絶対に返していた。
ボスからの指令だから、完全なる上役からの指示だから、マーズは己を殺してでもその指示に従っているだけだ。
「あたし、あんまりこんなこと考えたことなかったけどさ」
『うん?』
「きっと、地獄に落ちるわよ。
あたしも、あんたも、ボスだってそうよ。
それだけのこと、しようとしてるわ」
『元々我々は、悪の組織だろう。
褒められたものではないことを積み重ねてきた身分だ。
今さらとしか言いようがない』
「今までやってきたことと、今回のことが一緒だと思うの?」
サターンは、沈黙を作った。
いくつもの悪行を重ねてきたギンガ団。今さらだと言うのは簡単だ。
それでも、そう簡単に言ってのけられるものではないでしょうと訴えるマーズに、サターンも相応の思考時間を短くも設けて。
『同じだ。
これ以上、余計なことを考えるな。己の心を自衛しろ』
「……………………わかった」
言葉とは裏腹に、同じではないと言うも同然のサターンの返答だった。
それでも、同じことだと思えと。そうして、苦しむ自分の心に蓋をしろと。
心中察して慮る言葉を向けられては、マーズもこれ以上の追及が出来ず、トランシーバーの通信を切る。
話の途中だったかもしれない。だが、今はこれ以上、誰とも話したくなかった。
自分自身が自分自身を苦しめる。ずっと努めて目を背けてきた良心の呵責。
度の過ぎた悪意を形にする任務を目前とし、マーズは自分の胸をぎゅうと握りしめ、痛む胸の内側に耐えるばかりだった。
これから自分が担ぐ片棒は、それほど罪深いものなのだ。
「初めて来た時より、なんだかだいぶ歩きやすい気がするね~」
「一度歩いた所には違いないしね。
でも、あんまり調子に乗ってると足を滑らせるよ」
「わかってるわかってる~♪
よっ、ほっ、とりゃっ」
昼過ぎの210番道路には、山を下るパールとプラチナの姿もあった。
初めて通る時はその険しさもあって、少々歩くのにも苦労した山道だが、一度往復した経験があると、以前よりもだいぶ歩きやすい。
それにそれ以降も、パール達はテンガン山やキッサキシティ近辺の雪道、あるいは鋼鉄島と、それなりの荒い道を歩く経験も積んできた。
今朝カンナギタウンを出発し、山を下ってトバリシティ方面へ向かうパールとプラチナの足取りは軽い。
「あぁもう、これ絶対失敗するやつだ。
パールが調子に乗るとろくなことがないからなぁ」
「うるさいぞプラッチぃ!
確かに私そういうとこあるけど、だからって毎回そんな、っ、あわわわっ!?」
「凄いね。
そんなすぐ回収できるんだ」
斜面と凹凸が共存して広がる山道は、一歩ごとに足を捻らないよう気を付けるぐらいで丁度いい。
今はもうこれぐらいの道も平気平気、と、ぴょんぴょん跳ぶようにして進んでいくパールは、身軽でバランス感覚が良い。運動神経は良い方なのだ。
が、調子に乗っていたらプラッチ君の仰ったとおり、窪みに靴の裏を取られて転びそうになっている。
前のめりに転びそうになって、そのまま両手を前について倒れてもいいが、それはそれで後ろのプラチナにスカートの中身を晒しそうで。
左手でさっとスカートを押さえて、わたわた前のめりに急ぎ足を進めてバランスを取り、どうにか平坦な場所に足を着けたらぐるっと体を回して立つ。
やはり運動神経は良い。ただ転ばないだけでなく、身体の使い方が上手い。
「見たな?」
「ちゃんとスカート押さえてたじゃん、見えるわけないじゃん」
「そこちゃんと見てたってことは、さてはめくれるの期待してじろじろ見てたってことだな?
すけべー! プラッチがすけべー!」
「ダメだこれ、なぐろう。
最近パールのことは殴ってもいい気がしてきた」
「寄るな触るな近付くな~! けだものめっ!」
歩み寄るプラチナから逃げ回るパール、追うプラチナ、遊びながらの下山道。
言葉遣いは喧嘩のそれでも、笑顔がこぼれる二人の表情は、お互い楽しんでいることを疑い合う余地もなかった。
慎重に進むことを好むプラチナとて、軽快な足運びですいすい逃げていくパールを追う足取りは、彼らしくなく素軽かった。
「あ、パールそっちは駄目だよ。
道が逸れるしガケ方面だし」
「ありゃ、ごめん。
軌道修正、軌道修正、っと、とと、あわっ?」
だからお馬鹿なやりとりをしながらも、プラチナが真面目なトーンで注意すれば、素直に従うパールである。
進む方向を改めるに際し、ちょっとの悪路に足を取られ、身体が傾きそうになるパール。
充分自分の足で踏ん張って転ばずにいられていたが、近くにいたプラチナは危ないと思って、思わずパールの手を握って引き留める。
「ほら、危ない危ない。
自信あるのはわかるけど、怪我すると後が大変だよ?」
「えへへ、ごめんごめん……」
今のは助けて貰えていなくたって転ばなかったけど、心から心配して咄嗟に手を伸ばしてくれたこと自体がパールには嬉しかった。
手を離したプラチナに照れ臭く笑うその表情が、プラチナにとってはちょっと誇らしい。
ついつい口うるさくなってしまいがちな自覚はあるし、だけどそれを本音では嫌がらずに聞いてくれる、そんなパールとの親しい間柄は自慢さえしたい。
好きな女の子と悪くない関係なのだ。嬉しいに決まっている。
「もうそろそろ分かれ道だよ。
行き先はトバリ方面でいいんだよね?」
「うん、そっちの方がナギサシティに近いしさ。
最後のジム戦、今から想像するだけで気合入ってくる!」
「うん、その調子だよ。
大丈夫だよパールなら。今までも、そんな感じで乗り切ってきたんだからさ」
間もなく山道も終わりを迎え、トバリシティへ向かう215番道路への分かれ道が近付いてきたところで、二人はルートを確かめ合う。
パールが目指しているのはナギサシティだ。8つ目のジムがある、バッジ集めの旅の最終目的地。
トバリシティへ向かい、そこから南下し、やがてはナギサシティへ到達するその道は、二人の旅の終わりが近付いていることをも物語る旅路だ。
最後のバッジを手にすれば、あとはポケモンリーグに挑むだけ。
シンオウ地方を巡り歩いてきた長い旅も、いよいよ大詰めというところである。
「楽しかったよね、これまでの旅、ずっと。
プラッチに色んなこと教えて貰いながら、二人でさ」
「まだ終わったわけじゃないんだから、今から纏めみたいなこと言わなくても。
……まあ、終わりが近付いてるのは僕もわかってるし、それを想像しちゃうと寂しいけどさ」
「あはは、私も実はそれちょっとあったりする。
ほんとに、楽しかったからさ」
並んで歩く二人も、それを意識し始めているのだ。
ナギサジムでのバトルを、そうそうあっさり通過できるとは思っていないけれど。
やっぱり、挑戦一発目でクリアするぐらいの、気持ちのいい勝ち方が望ましいとは感じるし。
だけどそうなれば、旅の終わりはいっそう近付き、二人でこうして旅する日々の幕切れもそれだけ早まる。
これまでの日々が楽しければ楽しかったほどに、今まで遮二無二目指してきたはずの"前進"に、少しの躊躇いさえ覚えるだけのものがある。
「プラッチ、ありがとう」
「今?」
「早いかもしれないけどね。
まだまだお礼を言いたくなることって、これからもあるかもだけど。
でも、一回ちゃんと言っておきたいな。本当に、今までだけでも、たくさん、たくさん、お世話になってきたよ」
「いいよ、別に。
友達でしょ、パールが困ってたら何だってするよ。
今までもそうだったし、これからもずっとそうだよ」
「えへへへ……!」
口にしてから、少し格好つけ過ぎたかなとプラチナは考えもしたけれど。
すぐに、どうでもよくなった。パールの嬉しそうな顔を見たら。
それに、今一度自問自答してみたとしたって、自分の口にしたことは本心だ。
照れ臭く感じる必要は無い。堂々とした笑顔をパールに向けるプラチナの表情が、いっそうパールには頼もしく、嬉しかった。
「旅が終わっても、僕達はずっと友達でしょ。
機会があったら、また色んなとこに二人で行ってみよう。
バッジを全部集めたら、各地のジムリーダーさん達と"本気"のバトルも出来るしさ」
「あははっ、それいいかも。
そしたら真っ先にハクタイシティに行きたい!」
「だろうね、言われなくてもわかってた」
「プラッチ、応援してね?
ナギサジムでも、絶対に勝ってみせるから。
それからも、ずっ、と……」
改まって口にしようとしたところで、パールは思わず口ごもった。
パールだって女の子だ。今、自分、けっこう思い切ったことを言おうとしてることに気が付いてしまって。
でも、言いかけたことはやはり誤魔化せない。
それに、プラチナがそうであったように、心からそう思って口をついたことを恥じるべきではないという信条は、奇しくもパールも持ち合わせている。
プラチナは、ずっと、という少し特別な言葉にどきっとしたが、赤ら顔で足を止めたパールを前に、その言葉の続きが待ち遠しくなる。
「えっと……その、ね?
今までみたいに、その……ずっと、そばにいてくれると嬉しいな、って……
め、迷惑? じゃないよね? じゃないって言って欲しいとこなんだけど……」
「……大丈夫だよ。
僕も、そうさせて貰えたら、嬉しいなって思うぐらい」
「あ、あはははは!
約束だよ! まだまだ一緒にいてね!」
耳まで真っ赤にして、誤魔化すように大きな声で笑うパールに、プラチナも色に染まった頬をかきながらパールを直視できなくなった。
胸が苦しい。でも、幸せな痛みだ。
きっとパールも同じ想いでいてくれることが、ただわかるのではなく、確信できる。
心と心が繋がって、しかも好意を、それも単なる友達以上の、異性として意識し合っていることを理解し合えているのだ。
初々しい笑顔を目を合わせられずに浮かべ合い、ちらちらと見逃したくない相手の今の顔色を伺う目の動きもまた、恋に未熟な子供同士の幼い挙動である。
きっと、大人になってもこの日この時のことを、二人は絶対に忘れないだろう。
旅の終わりが近付く中、今までと違う二人の関係が始まりつつあった日だと信じられる、特別な瞬間だ。
きっと、いや、間違いなく。
パールとプラチナは、二人で旅をするようになってから、今まででは一番幸せな瞬間を噛み締めていた。
傍目から見ても、そうだと明らかな二人の横顔だったのだ。
それを、これからぶち壊す大人は、今一度胸元をぎゅうと握りしめ、騒ぐ良心に静かにしてくれるよう乞うていた。
満たされた子供達を見て抱く感情は嫉妬であって然るべきだろうか。
満たされない大人たる自らの前で、あんな幸せな顔をする子供達なんて、不幸になってしまえと思うのも人情だろうか。
子供じゃないか。純真で、穢すことさえ無粋な、今この瞬間にしかない日々に一喜一憂する、自らにもそんな日々があった映し絵だ。
未熟だからこそ、幸せなこともあれば、噛み砕けぬ理不尽な現実の前に苦しむことだってこれから何度だってあろう。
今は大人である自分が、かつてそうだったように。つまらない現実を押し付けてきて、純真だった自分をそうでないようにする大人を憎んだ日もあった。
これから、自分が、あんな幸せそうな子供達を、不幸のどん底に落ちるきっかけを作る大人になるのだ。
胸元を握る手を離した大人は、意を決して、あるいは自らの心を殺し、遠巻きに二人を伺っていた山の陰からその姿を現すべく歩き出していた。
「楽しそうね、お二人さん。
あたしも混ぜてよ」
「え……」
「っ……!?」
夢心地だった気分も一瞬で目が覚める、怨敵とも言うべき人物が語りかけてきた声。
思わずプラチナは、敵と認識するその存在を目にするや否や、パールの前に立ちはだかるようにする。
そばに余人無き210番道路の僻地にて、ブニャットを引き連れて二人の前に姿を現したマーズは、悪の組織の大物として警戒せず接しようもない存在だ。
「大丈夫よ、今日は争うつもりで来てないから。
ちょっとだけ、あなた達に伝えたいことがあるだけ。
ギンガ団の一員として、あなた達に言伝を預かっているのが今のあたしの立場ってことよ」
「……あなたにそのつもりが無くたって、僕達は手加減できませんよ。
指名手配犯なのはわかってるんですから」
「話も聞いてくれないんだったら逃げるわ。
流石にあたしも、あなた達二人と1対2なんて厳しそうだしさ。
出方はそっちが決めてくれてもいいわよ?」
マーズは自分の横に身を置いているブニャット――前に出すでもなく後ろに控えるでもないその頭を撫でる。
明確に意図されたブニャットの立ち位置だ。相手に先手を取らせず、しかし戦意がないこともぎりぎり伝えられる位置取り。
マーズ自身も、パールやプラチナから数メートルの距離を取った場所で立ち止まり、戦意が無いことを伝えながら声を届けられる、絶妙な距離感を保っている。
「あなた達に、あたし達ギンガ団のアジトの在り処を教えてあげようと思ってね」
「な……!?」
「場所はトバリシティよ。
真っ当に街に貢献するギンガ団と、あたし達ギンガ団は同じ街にいる。
もっとも、あたし達のアジトはトバリのギンガ団とは全く違う地下空間に作られているのだけどね」
プラチナやパール、特にプラチナのような頭の回転が早い少年を前に、マーズは相手の出方を伺うよりまず核心を口にする。
それは、驚愕するプラチナの思考を止めさせるには充分なものだ。
悪のギンガ団、そのアジトの所在など機密事項に他なるまい。
それをマーズは、聞かれてもいないのにパール達の前に晒している。
仮に事実だとするならば、悪を一網打尽にすることも叶えられるほどの有力情報だ。
そんなうまい話があるはずはないと、プラチナだって当然考える。
それはこの唐突な出来事を前にして、頭がはたらききっていないパールですら、鵜呑みにしていい話じゃないとはすぐ感じるほど。
「疑わしいかしら? でも、本当よ。
あなた達がそれを確認したいなら、それを確かめる手段もあるわ」
「…………?」
「ねえ、パール。
あなた、シンジ湖のエムリットと何らかの形で通じ合っているでしょう?
あなたの頭痛の原因がそれであることも、もう知ってるんじゃないの?」
「ぅ……」
たじろぐパールの声に、プラチナはぎっと目つきを鋭くしてマーズを睨みつける。
なぜこいつらがそんなことを知っているのか。それに対する緊迫感もある。
だが、それ以上にパールを姦言の矛先にし、惑わし、苦しめ得るその語り口にまず、プラチナは敵意を感じずにはいられない。
「あたし達は捕らえたエムリットを始めとする、三匹のポケモン達をアジトに抱えている。
パール、今のあなたがトバリシティへ足を踏み入れれば、助けを求めるエムリットの声を聞くことが出来るんじゃないの?
それを以って、あたしが今言ったことを証明することは出来るはずよ」
それは、確かな真実だった。
マーズの言葉が疑わしいと思うなら、それを確かめられるのはパールに他ならない。
逆に言えば、それによってマーズの言葉が真実だと確定させられるなら、マーズの明かした情報の価値もまた明らかになるということだ。
悪しきギンガ団のアジトの所在という有力情報、それを確かめられるキーパーソンが、今はパールという少女に他ならない。
特異点と化した彼女は今、プラチナの後ろで両手をぎゅっと握りしめ、マーズの言葉に信憑性を感じている気配を漂わせていた。
「あたしが伝えたいのはそれだけ。
エムリット達、三柱の神の力を借りてあたし達が叶えたいことは、明日にはもう果たせるところまで来てる。
これを聞いて、あなた達がどうしたいかは勝手に決めて頂戴」
思考を巡らせる暇も無いまま、パールとプラチナには一方的な言葉の数々が向けられている。
マーズは言うだけ言ってブニャットに跨ると、話は終わりだと去らんとする構えを見せる。
やり合うつもりはない、と言ったはじめの宣言に嘘は無いようだ。
「……お前達、本当に最低だな」
そんなマーズの撤退の足を止めたのは、プラチナの痛烈な一言だ。
大事なご主人を罵倒されたブニャットが、プラチナを睨みつけるように振り返る。
それに際してブニャットに跨るマーズもプラチナと向き合う形になるが、少年の眼差しに宿る憤りの深さには反論する想いも抱けなかった。
マーズ自身が一番よくわかっているのだ。
自分がプラチナやパールにこのことを告げることが、この後どんな顛末を招くのか。
それを予見した怒りを抱くプラチナに、あんた達は逃れようもなくあたし達の掌の上、とほくそ笑めるほど、マーズの心は下衆に染まりきっていない。
「今の話を聞いて、パールがどうしたがるかわかってるんだろ」
「……そんなの、あんた達の勝手でしょ」
「自分達のアジトにおびき寄せて何を企んでるんだよ。
今度こそ、パールを八つ裂きにしようとでもしてるのか」
どんなにマーズが詭弁を並べ立てたとて、それは言い逃れようのない事実だ。
ギンガ団に幾度となく立ち向かったパールとプラチナ、だがその二人のうち、率先して友達を巻き込んできたのは誰なのか。
明確な解答としてそれを知っているのは確かにプラチナだけだろう。
だが、観察力に秀でる大人の目を以ってすれば、当事者でなくたってそれは読み取れるはずだ。
まして二人を迎え撃ってきたギンガ団、マーズ達の目線からすれば、自分達と対峙する二人の子供のうち、どちらが率先者かなど見るも明白だったはずだ。
まして自分達の言葉が嘘か真か確かめたいなら、エムリットとの繋がりがあるパールに問えとさえ言うマーズだ。
元よりギンガ団のような悪事をはたらく連中に、先頭切ってでも立ち向かうことを選ぶ眼差しを持った少女パール。
そんな彼女がエムリットとの繋がりがあると確信する中で、今の情報を授けられたパールがじっとしているとは誰にも思えない。
プラチナにもだ。マーズ達が確信しているのと同じほどにだ。
「ぷ、プラッチ……?」
「うるさい、黙ってて!」
今までに見たことのない、後ろ姿からでも親より怖い怒気を発するプラチナに、恐る恐るパールは語りかけながらも、荒い返答にびくっとする。
それだけ、プラチナは怒っているのだ。
幾度ものギンガ団の悪行の数々が、たまたまそこに足が届く場所にいたパールを呼び寄せ、彼女を危険に晒したことはこの際、百歩譲って良しとしたとしても。
マーズは今、明確に、パールの性格を加味した上で、彼女を危険な世界へと招き寄せようとしているのだ。
「お前の話を聞かされて、僕達が……いや、パールがどうするか知ってるんだろ」
「…………」
「それで、何をするつもりなんだ……!
悪党を集めたそこにパールをおびき寄せて、何を企んでるんだって聞いてるんだよ!
答えろよ!!」
問うたところで、自分の望む回答が得られることなどないとは、プラチナだって理性的な頭ではわかっているはずだ。
それでも、声を荒げて問わずにはいられない。いや、訴えずにはいられない。
お前達のような大人が、こんな無鉄砲な女の子に目をつけて、その性格に付け込んで。
悪の巣窟に誘い入れて八つ裂きにでもしようというのかという、強い嫌悪感を含む声でマーズを批難することしか出来ないのが今のプラチナなのだ。
大事な親友、今は誰よりも大好きな女の子を、そんな死地に招き入れんとするのが明らかな敵を睨みつけるプラチナの表情からは、マーズも目を逸らせない。
大人だからわかるのだ。ああ、この子は本当にパールを大切に思っているんだなって。その好意を向けられるパール以上に。
胸がずきずきす想いを封じ込め、マーズは努めて冷徹な表情を、悪の仮面をその面持ちに纏うことで精いっぱいだ。
「……そう思うんだったら、来なけりゃいいじゃないの」
「だったらこんな話、僕達の前に持ってくるなよ!
来いって言ってるんだろ! 僕達がそうすることもわかってて!
卑怯者の大人! 都合のいい言葉ばかり使って、責任逃れして!
だから大人は汚いって言われるんだよ! お前達のような大人のせいで!」
流石にマーズも表情が歪んだ。
全部わかってる。だから嫌だったのだ。こうして指摘されるまでもなく、その本質はわかっていたから。
血に染まる沼に少年少女を招き入れる策謀の、片棒を担ぐ自らの悪辣さ。
悲願のためなら悪行も厭わぬとかつて決意した身とて、こうして目の前で眩しいほどの純真な子供達を前にして。
そんな二人を、二度と日の光を拝めぬ末路へと誘い入れようとする自らに、幼少の頃から確かに実在する良心が痛まぬならば、そんな人間は手遅れだ。
未来を断たれず、今のまま正しい道を見誤らず大人になっていけば、きっと自分とは違う、立派な正しい大人になっていくだろうと思える二人の少年少女。
その犠牲の上にしか成り立たない自らの悲願に、苦悩にも近い疑問を抱かずにいられないマーズ。
そこまでわかっていて、引き返せないマーズは、尚更のこと、自分が手遅れなのだと感じずにはいられない。
「……うるさい」
「パールをいじめるなよ、これ以上!
そこまでして、あんた達は何がしたいんだよ!」
「黙れ……!」
「黙るもんか! くそったれの卑怯者!
お前達のような大人なんて絶対に許……」
「黙れええぇぇぇっ!!」
プラチナの言葉を遮るように発したマーズの声に応じるかの如く、ブニャットがプラチナやマーズに向けて"かえんほうしゃ"を放った。
殺しも厭わぬかのようなその行為に、パールは顔面蒼白になって身動き一つとれず、死を予感する前方光景に頭が真っ白になったけれど。
そんな彼女の前には、あまりの光景を前にして両手を広げ、パールを守り抜こうとするプラチナの後ろ姿だけがあった。
ブニャットが"ねこのて"を以って発した火炎放射は、結果的にプラチナの前方に着弾し、激しい火柱を上げるだけに留まった。
それは、仮にプラチナを焼き殺していれば、彼のポケモン達が一斉に飛び出してきて、殺傷も厭わぬ想いで襲い掛かってくるだろうという打算のものだろうか。
ブニャットとてわかっているのだ。プラチナの訴えが、マーズの胸を引き裂くものであるとて、正しい主張であることを。
だから、マーズを苦しめる言葉を発するプラチナの口を閉ざさせる攻撃を発しながら、敵対者を焼き殺せない良心を決して手放さない。
「っ、ぐぅ……!」
「プラッチ……!」
「っ……あんた達の好きにすればいいわ!
あたしは知らないから! 死にたかったら、かかってきなさい!」
火柱を前にして後ずさるプラチナと、そんな彼に寄り添うパールに、吐き捨てるように発したマーズの声が届いた。
踵を返して駆けだして、二人のそばから離れるブニャットと共に、マーズは二人から離れていく。
追うこともままならぬプラチナとパールは、火柱が消えたその時、対峙していた者がいなくなった野山を前にするのみである。
二人から離れたブニャットの背中に跨っていたマーズ。
そんな彼女が、パール達から大きく離れた場所で、駆け続けるブニャットの背上で、胸をその背に預けるように身を預ける。
まるで、最愛のパートナーをぎゅっと抱きしめるようにだ。
跨ることに慣れたパートナーの背上、お腹と胸をその背に預けて身を震わすその姿を、駆けながらにしてブニャットは感じ取っている。
「ねえ、ニャムちー……
あたし、どうしたらいいの……もう、わかんないよ……」
震える声で訴えるマーズの声に、ブニャットは声で応えずして走るのみだ。
叶えたい何かのために、悪行に手を染めることを貫くと決めたご主人のことは、ブニャットだってわかっている。
自分達に対しては温かく接してくれる、身内に優しい人なのは知っているのだ。
そんな彼女が、とうとうその古き決意を揺るがしていることに、彼女の安否のために走るブニャットの脚は応えられない。
声で何らかの返答をしようにも、ポケモンの鳴き声が人に真意のすべてを伝えきらぬことを、ブニャットだってわかっている。
誰よりも大切なご主人の吐露に、返す言葉も無く駆け続けることしか出来ぬブニャットの胸の苦しみなど、決して誰にも理解し得まい。
「…………――――――z!!」
野山を駆け、マーズを安全圏まで運ぼうとするブニャットが、マーズの声に数秒遅れて鳴き声を発した真意は、きっと誰にも伝わらない。
今や後には引けないマーズにぎゅうと抱きしめられたブニャット自身も感じる、不退転の運命。
大いなる流れによって決定づけられた、後に起こる事象の数々は、今や誰にも変えることの出来ないもの。
マーズも、そしてブニャットも。
それをわかっているから、やりきれない。
パール達を取り巻く運命は、もはや悲劇を擁する未来に向けて動き始め、留まることを今や知らない。
シンオウ地方すべてを巻き込む激動の命日が、今や目前に迫っている。
パールとプラチナはその渦中に、己も与り知らぬうちに身を置かされ、抗いようのない過酷な道を辿らせられる命運にあった。
理不尽にして残酷。世の中とはそんなものだろうか。
それを大人達が自分の都合に合わせて肯定するから、"そんなもの"のままなのではないだろうか。
そんな世界に必要以上に苦しめられるのは、いつだって、正しいことを唱えられるはずの純真な者達、特に子供達だ。