ポケットモンスター・パールストーリー   作:ましゅ

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第116話  悪と人情

 

 

 ポケットモンスター達に対してこれほどの恐怖を覚えたことは、未だかつてパールもプラチナも無かった。

 コウモリを最も恐れるパールをして、ゴルバット以上に攻撃的な眼で、スモモを斬りつける残虐性まで示したクロバットは、確かに恐怖対象である。

 それ以上に、今はスモモのポケモン達の方がずっと怖い。恐ろしい。

 身を縮めてかたかたと脚や全身を震わせるパールの横では、プラチナもまた喉奥が凍るかのような恐怖で身動きが取れずにいた。

 

 制御の効かないポケットモンスターとはここまで凄まじいものか。

 スモモを傷つけられた只ならぬ怒り、その激情のまま暴れるカイリキーとルカリオに蹂躙される、相手のポケモン達こそ悲惨でならない。

 カイリキーはヤミカラスに翼で打たれても、怯むどころか振り抜いた腕で殴り飛ばし、壁面に叩きつけられたヤミカラスが一撃で失神する。

 ルカリオはグレッグルによる瓦割りを受けても、波導によって生み出した棍状武器を振るうボーンラッシュで、顔の形が変わりそうなほど敵を叩きのめす。

 ギンガ団員らの差し向けてくるポケモン達など、一つの技であっさりと戦闘不能にし、さらなる敵へと突き進んでまた倒す。

 叩きのめした敵の割れた額から噴き出す血飛沫、それで顔や全身を濡らしながら吠えるカイリキーとルカリオは、まさしく狂戦士の如き様相だ。

 何よりも、敵を一匹打ち倒すたび、こんなもので気が済むかと大気が震えんばかりの咆哮を発する二匹には、パール達でさえ戦慄せずにいられぬほど恐ろしい。

 

 二匹が突き進んでいく後ろには、死屍累々とも言うべきほどの惨状が広がっていた。

 ルカリオのボーンラッシュで顎を殴られて口の中を深く切ったのか、横たわる口からおびただしい量の血を流すスカンプー。

 カイリキーの剛腕で殴り飛ばされたニャルマーが、どこかの骨を折ったのか呻いて喘ぐ姿。

 ルカリオの発勁で殴り飛ばされて壁に叩きつけられたのち、壁に挟まれてもう一度それを受けたドーミラーは、全身ひびでいっぱいになってもう動かない。

 そして、カイリキーの両腕で翼を握り潰されたゴルバットが、涙を流して床を這いずっている。

 

 ルカリオとカイリキーの凶暴さを前にしたギンガ団員達は、とうに命の危険さえ感じて尻尾を巻いて逃げ出していた。借り物のポケモン達など見捨ててだ。

 心も体も折れて戦えなくなり、誰にも助けて貰えず泣くポケモン達の姿は、あまりにも哀れで目を背けたくなる。

 あんなに苦手で、嫌いなゴルバットでさえ、痛い痛い誰か助けてと泣くその姿を前にしては、パールでさえもが胸を引き裂かれそうな想いに駆られるものだ。

 パールとプラチナを守るため、二人の前に立ちはだかって壁となっているピョコとエンペルトは、この光景を二人に見せたくない想いとて抱いている。

 

「――――z!」

 

 敵勢に残るのは、親分格と見えしクロバットとドンカラスのみだ。

 そのドンカラスがカイリキーに直進し、その四本腕の右の上側、肩口にくちばしを突き刺すと同時に首をひねる。

 太いくちばしを根元まで突き刺し、さらに首ごとくちばしを回転させてドリルのように抉る一撃は、カイリキーの太い腕の根元半分をえぐり取る。

 身体の一部を大きくえぐり取られれば噴き出す血も膨大で、ドンカラスの顔と白い胸元の体毛が返り血で真っ赤に染まる姿は、その残忍さを強調するかのよう。

 

「ッ……ガアアアアアアアアアッ!!」

「――――っ……!」

 

 それほどの深手を負っていながら、左の腕でドンカラスを殴り上げるカイリキーは、もはや痛みで怯むという概念を喪失している。

 天井に叩きつけられたドンカラス、その鼻っ柱めがけて波導の棍を投げ付けるルカリオ。相手の顔面の骨が粉々になっても構わないのだ。

 素早くそこに割り込むように飛来したクロバットが、翼で打つ要領で棍をはじき飛ばし、さらにはカイリキーへと迫ってすれ違い様に翼で腹部を斬りつける。

 高い攻撃力を持つドンカラスに対し、機敏で小回りも効き味方を守る能力にも秀でるクロバット。よく噛み合った二匹だ。

 体勢を立て直したドンカラスはルカリオに悪の波動を放ち、自身は攻めに徹する役割を貫いている。

 

 クロバットがカイリキーの背後からエアカッターを飛ばし、その全身に傷をつけ、さらにはルカリオの方へと突っ込んでいく。

 切っ先の尖った翼で打つ攻撃と、ルカリオの生み出した波導の棍が激しく火花を散らし、ぶつかり合った両者が離れるや否や、迫るルカリオのボーンラッシュ。

 高度を上げて逃れるクロバットだが、羽の一枚を殴られて体勢が崩れかけ、そこに跳躍したルカリオの発勁の一撃が飛んでくる。

 口を閉じて歯を食いしばったクロバットはそれを受け、しかし二枚の羽で上から殴りつけるようにしてルカリオを床に叩きつける。

 ルカリオは両手両足を使って上手く着地すると、棍を投げ付けてクロバットを打ち据える。ダメージは小さい。冷静さを欠いたルカリオを引き付けている。

 そして、腕の一本が駄目になっているカイリキーへ、高所から急降下したドンカラスが、その延髄を翼で打ち据える痛打を叶えている。

 

 意識が飛びそうなその一撃にも失神せず、カイリキーの振るった拳はドンカラスを逃がさなかった。

 手刀の形で振るわれた手は"からてチョップ"の体を為し、ドンカラスに決して小さくないダメージを与えている。

 胴の横を殴りつけられ息を吐くドンカラスだが、すぐに体勢を整えて悪の波動をカイリキーに放つ。

 よろめくカイリキーに、ぜはぁと息を吐いたドンカラスが再び飛来し、その胸元に首をひねりながら突き刺す"ドリルくちばし"の一撃だ。

 筋肉の鎧に包まれたカイリキーの胸だが、それさえ深く抉ってカイリキーを後ろ倒しに突き飛ばすドンカラスの攻撃力はやはり高い。

 背中から倒れたカイリキーを前に、ドンカラスも苦しげに翼をはためかせて身を浮かせており、苦闘の中にあることを隠せない。

 

「ッ――――z!!」

 

「はぇ……!?」

「嘘でしょ!? あのカイリキー……」

「っ……か、カイリキー、っ……!」

 

 倒れたカイリキーは、確かに二秒そのまま倒れ、もう戦闘不能だと思えるほどの姿だった。

 千切れかけた腕一本、胸を抉られてどくどくと血を流した姿。あるいは死んでしまったんじゃないかとさえ思ったパールの印象は、決してずれたものではない。

 そんなカイリキーがまるで突然、がばりと腹に入れた力だけで状態を一気に起こし、ずん、ずんと両足で床を踏みしめて立ち上がるのだ。

 この程度でくたばるか、スモモを傷つけたお前達を殺すまでは寝てもいられぬと、血走った目で睨みつけてくる眼差しにはドンカラスも吠えて威嚇を返す。

 そうして意地を返さねば、精神的に呑まれてしまうとドンカラスさえもが感じている証拠だ。

 

「戻って、下さい、っ……!」

「――――z!?」

 

 それでもスモモは、カイリキーをボールに戻した。

 このまま戦い続けたら、本当に死んでしまうほどの負傷なのだ。それだけの深手である。

 息切れし始めているドンカラスを前に、あと少し頑張って貰うなんてことをスモモには選べない。仮に勝っても、カイリキーの命が危ない。

 

「――――――――z!」

「ッ――――z!」

 

 クロバットが甲高い鳴き声を上げるや否や、ドンカラスもそれに応じるかのように鳴き、二匹はスモモやルカリオらに背を向けて翼を広げた。

 撤退を促したクロバットに従い、ドンカラスも共にルカリオから逃げていくかのように。

 逃がしてたまるか、と真っ赤な眼で踏み出そうとしたルカリオだが、そんな彼に背後から抱きついたのは、他ならぬスモモである。

 

「ルカリオ、いけません……!

 これ以上の深追いは、っ……!」

「ッ……、――――――z!?」

「あたしは、大丈夫ですから……

 どうか……どうか、落ち着いて、下さい……」

 

 深い傷を負った脇腹からどくどくと血を流すスモモを、ルカリオは振り払うことなど出来ない。

 あのクロバットとドンカラスを、スモモにこんな傷を負わせた奴らを、地獄の果てまで追いかけて殺してやりたい衝動が確かにあってもだ。

 身を呈し、行くなと訴えるスモモが自分の顔を見上げる表情を、ルカリオは荒い鼻息で納得いかず見下ろして、わなわなと全身を震わすのみ。

 握りしめた拳は、今にもスモモを振り払ってでも、あいつらを追いかけたいという衝動を封じ込める、ぎりぎりの理性の象徴だ。

 

「駄目なんです……憎しみに、支配されては……

 あたしが、皆さんに顔向けできなくなります、からっ……」

 

 血がとめどなく流れ落ちる傷を押さえることもせず、スモモはルカリオをぎゅっと抱きしめていた。

 お願い、行かないで。行っちゃ駄目なんだって。

 その先には、一線を越えてしまう未来しかないのだ。きっと誰も幸せにならず、そこには取り返しのつかない後悔しか待っていない。

 

 そんなスモモの想いに反してか、それともあるいは応えてなのか。

 戦闘不能級の傷を負い、ボールに戻されたはずのカイリキーとチャーレムが、自らの意志でボールから飛び出してくる。

 傷ついたスモモを振り返り、顔色の悪くなり始めた彼女の姿を見て、カイリキーはクロバット達が逃げていった彼方をぎらりと睨みつける。

 追いかけて、たとえ自分が殺されようと、あの翼を引きちぎってスモモを傷つけた愚行を後悔させてやりたい衝動があるのだ。

 そんなカイリキーの前に立ちはだかり、手を広げ、行っちゃ駄目だと強い眼で訴えるチャーレムは、スモモの意志を汲んでくれている側だ。

 

「ッ……ッ……!

 グゥガアアアアアアアアアッ!!」

 

 わかってる、カイリキーだってわかっている。

 スモモに育てられてここまで強くなってきた彼だ。今なぜ奴らを追ってはいけないのか、理屈ではわかっているのだ。

 一度ボールに引っ込められて、ほんの少しだけ頭を冷やせたから、必死でなけなしの理性を振り絞り、敵を八つ裂きにしたい衝動を抑えられる。

 きっとチャーレムもそうなのだと、相対するカイリキーが一番よくわかっているはずだ。

 唇を噛み締め、真っ赤になった眼でまばたき一つせず身を震わせるチャーレムだって、殺意に近いものを必死で抑え込んでいるのだ。

 

「……ありがとう、ございます、二人とも。

 いいんです、それでいいんですよ……」

「ッ――――z!」

 

「スモモさん!?」

「血が……!」

 

 ルカリオに抱きついていた、言い換えればしがみつくようにルカリオに支えて貰っていたスモモの肩が、今にも全身崩れんばかりにずるりと落ちかけた。

 ルカリオが慌てて支えたことで倒れる結果にはならず、なんとか両手をルカリオに沿え、自分の足で改めて立つスモモ。

 これは良くない。絶対に危ない。

 一秒でも早く、きちんとした治療を受けられる場所に行き、止血し、失った血を補わねば命にさえ関わりかねない。

 彼女に駆け寄るパールとプラチナも、言葉にせずともそう訴えんばかりであることを、その表情が雄弁に物語っている。

 

「はぁ、はぁ……パールさん、プラッチさん……

 悪の組織に使役される、ポケモン達を憎んだりしないであげて下さいね……

 真の悪の何たるかを問うた時、決してその解答はこの子達ではありませんから……」

「スモモさん、それよりも……」

「聞いて下さい、大事なことなんです……!

 あなた達の正義の心、あたしが敬うその志の矛先を、誤ったものへ向けてほしくないんです……!」

 

 青ざめ始めているのではないかという顔色になりながら、スモモがパールとプラチナを見据える眼差しは本当に強かった。

 一刻も早く病院に駆け込むよりも大切なことがあるのだ。

 ルカリオに支えられ、自分一人では立つこともつらい中、これを伝えずして二人を見送ろうものなら、きっと間違いなく過ちを犯してしまう。

 スモモは二人に、そんな道を絶対に歩んで欲しくない。

 

「ポケモン達は、本当は、みんな優しいんです……

 シンオウ地方に生まれ育ったあなた達なら、知っているでしょう?

 "あく"ポケモンは、生まれつきの悪意の持ち主だと思いますか……?」

「それ、は……」

「いいえ、そうではないはずです……

 悪意に満ちた行動に、非道と認められる行為に手を染めるポケモン達には、必ず悪意に従うよう育てた、トレーナーの存在があるんです……

 ポケモン達が、わがままで、身勝手で、優しさを持たぬ存在であったなら、人とポケモンが共存できるこのシンオウ地方なんて存在し得ないんですよ……」

 

 たった一匹の野生のゴーストが、殺意と悪意を以って奔放に人里の夜に溶け込めば、二度と目覚めぬ人間など何人だって生み出せる。

 野生のルクシオやムクバードが、自らの縄張りに踏み込んできた人間を、追い返すだけでなく本気で命を奪おうとすれば、難しいことでも何でもない。

 ポケットモンスターとは人間よりもずっと数が多い上で、個々が人間一人の能力などゆうに上回る存在ばかりなのだ。

 どうしてその上で、人間達はポケモン達と共存できるのか。

 いたずら好きなポケモンは多いだろう。はずみで人間に大きな怪我をさせるポケモンがいることも事実である。

 それでも、むやみやたらに人間を襲ったりも捕食したりもしないポケモン達でいてくれるからこそ、人は手を繋いで共に生きていくことが出来ている。

 謙虚に論じるなら、生かされていると言っても過言ではない。仮に、本気で科学の力を結集させて闘っても、最後に負けるのは確実に人間の側だ。

 人類の力ではどうにも出来ない力を持つ存在なんて、幻のポケモンや伝説のポケモンに限らずともごまんといる。

 

「わかるでしょう……?

 身勝手な人間に振り回されて、傷つき、耐え難い不幸の中にあるこの子達を見れば……

 こんなことになるぐらいなら、あんな人達の言うことを聞くんじゃなかったっていう声が、聞こえてきませんか……?」

 

 パール達に、そしてルカリオとカイリキーにも向けたスモモの言葉は、ようやくカイリキーに握りしめた拳の力を解かせた。

 立ち上がれないほど打ちのめされた、何本もの骨を折って泣くポケモン達もいれば、未だ目を覚まさず死んでしまったのかとさえ思えるポケモンもいる。

 強い自分達が、憤怒と憎悪の衝動に身を任せて暴れ回った末に導いた結末だ。誇張無く、同胞の命を奪っていたかもしれないのだ。

 

 ルカリオとカイリキーの眼に再び宿る怒りの感情は、もはやスモモを傷つけた仇ではなく、自らを律せず他者をここまでの不幸に陥れた自らに向いている。

 スモモという大好きな人が、弱かった頃の自分達をここまで育ててくれた尊敬する師が、こんなことのために力を振るうことを望んでいたはずがないのに。

 傷ついた身体であったからこの蛮行に荷担しなかったに過ぎぬチャーレムですら、同じ想いだった自分を恥じるばかりにうつむく限りである。

 

「あなた達の正義の心が憎むべきは、きっとこの後も立ちはだかる、悪の組織に従うポケモン達ではありません……!

 それを、自らの都合のために、悪行に手を染めることも厭わぬよう育て上げ、良心の呵責さえ奪い去った人間達なんです……!

 絶対に……ぜったい、それを、忘れないで下さいね……」

 

 スモモはぽんぽんとルカリオの胸を叩いて、手を離すように促すと、自分の足と身体だけで立つ。

 流れ落ち続けている血は、平たい床に広い血溜まりを作り始めている。

 それでもスモモは、愚行に及んだ自分のポケモン達を、そして単に愚行であったとは感情的に責めたくない身内に、微笑みを以って向き合うのみ。

 

「帰ったら、また修行ですね……!

 お母さんが、いっちょ最初から鍛え直してあげなきゃです……!」

 

 謙虚な彼女をして、身内にだけはよく見せる、間違いは間違いだとはっきりと告げる厳しい態度の片鱗だ。

 それでもその表情に、自分のためにあれだけ怒ってくれたルカリオやカイリキー、同じ感情だったチャーレムの想いには、その笑顔で以ってのみ明確に伝えて。

 鼻息を鳴らして頭を冷やしたカイリキーと、拳法家の一礼の如く頭を下げたチャーレムを、スモモはボールに戻していく。

 

「パールさん、プラチナさん、あたしはここまでです……

 街に戻ったら、大人の人達に事情を話して、この子達のことも迎えに来て貰えるよう伝えます……

 後のことはあたし達に任せて、二人は望む道を進んで下さいね……」

 

「……はい」

「わかりました、スモモさん。

 絶対に、死んじゃったりなんかしないで下さいよ……」

「へへへ、あたしは大丈夫ですよ。

 山で修行してた時、これよりずっと大きな怪我をしたこともありますから」

 

 スモモはパール達に今あらためて微笑むと、背負うために彼女の前で腰を下ろしたルカリオに身を預ける。

 自分の足で歩いて帰るには厳しい距離だ。意識だって混濁し始めている。

 自分達のことを見ているスモモの目の焦点が、自分達に合っていないのがパールにもわかるのだから、目は口ほどにものを言うというのも信憑性の増す一幕だ。

 

「――ファイトです!

 心も、身体も、負けちゃ駄目ですよ!」

 

 最後に大きな声を出したスモモは、ルカリオに背負われて、パール達が進むべき方向と逆の方へと去っていく。

 見送り、振り返ったパール達が見据えるのは、クロバット達が去っていった、悪しき存在が待つであろうアジトの奥。

 だが、その目先の最も近い場所には、傷ついたポケモン達が横たわる陰惨な光景もまた広がっている。

 呻き、苦しみ、喘ぐ声に満ち溢れたその空間は、改めてパール達には胸の奥が締め付けられるほどのものだ。

 

「…………」

「え……パール……?」

 

「――――z!?

 ――――――、――――z……!」

 

 そんな中でパールが歩み寄ったのは、傷ついたニャルマーでも、スカンプーでも、グレッグルでもない。

 カイリキーに握り潰されてた翼がひしゃげて、床に叩きつけられたせいで片脚も折れた、うすのろく這う程度でしか動けない一匹のゴルバットだ。

 苦手で、怖くて、遭遇しただけでパニックを起こしてしまうほど、パールにとってはトラウマの存在であったゴルバット。

 自らに歩み寄るパールに気付くや否や、来ないで、これ以上いじめないでと泣いて懇願するように鳴くこのゴルバットを、どうして恐れられようか。

 手足をもがれて逃げることも抗うことも出来ぬ子供が、そばにいないお母さんか神様に助けを求めるかのような、哀れで無力なゴルバットしかそこにはいない。

 

「大丈夫、いじめたりなんかしないよ。

 沁みるけど我慢してね……少しぐらいは、楽になるかもしれないから……」

 

 敵意が無いよう、微笑んで近付いてあげるべきなんだとは、パールも心の中ではわかっていた。

 だけど、表情はそうなれなかった。だって、あまりにも可哀想で。

 自分が両腕の骨を、このゴルバットのようにぐしゃぐしゃに砕かれたら、どんなにつらいかなんて想像もつかない。

 泣き叫んでしまうだろうほど痛くて、治るかどうかもわからない。二度と腕は使い物にならないかもしれないのだ。

 そう我が身に置き換えて想像してみれば、このゴルバットは最速で傷を癒して貰ったとしても、もう二度と飛べなくなるかもしれないのだ。

 痛みと恐怖で涙を流すゴルバットとは異なる感情で、パールこそその姿に目が潤み、笑顔を作る余裕一つ無くなってしまう。

 

 ゴルバットのそばで両膝をついたパールは、鞄の中から取り出した傷薬をゴルバットに噴きつける。

 やはり沁みるのか、ゴルバットは歯を食いしばり、ぎゅっと閉じた目から溢れるものも多くなる。

 苦しむ姿を目の前にして、自分の施した処置が正しいのかどうか、パールにだってわからない。

 わからないけどやらずにはいられないのだ。いつか迎えが来てくれるかもしれないからと言っても、何もせずにこの子達を見捨てて前に進めるものか。

 実際に手を差し伸べるかどうかは人にもよるだろう。だが、出来ることがあるなら何かしたくなるのも、わざわざ美談とするまでもなき普通の人情だ。

 傷つき、喘ぎ、苦しむ者達が目の前にいくつも横たわる姿を前にした時、ほんの少しも胸が痛まないようでは、きっとその心は人をやめている。

 

「……うん」

 

 きっと今は、ギンガ団の目的を阻むためなら、急ぐべき場面だとプラチナもわかっている。

 それは大人の発想だ。目的達成のためなら無駄な行動は一切を切り捨てるべし。

 その果てに、情に振り回されて足踏みするようなことはあってはならぬという、やがては悪の組織の思想にさえ通ずる利己的な発想もある。

 今この局面で、パールの行動は正しいものなのかどうかは、プラチナだって結論付けられないだろう。

 それでも、僕はこうでありたいと感じた己の想いに従って、プラチナもまた傷付いたポケモン達に駆け寄って、一匹一匹に傷薬を与えに回る。

 

 敵対者は、自らの道を阻む者は、自らに敗れた果ての末路がどうなろうとも構わないと思うべきなのだろうか。

 きっと、その方が都合がいい。そう思えるようになった方が必ず楽になる。成功することも増えるかもしれない。

 しかして世の中は世知辛いことに、楽な方へ楽な方へ流れれば、いつか必ず手痛いしっぺ返しを受けるようになっている。

 失ってはならない何かを、子供達は失いたがらない。だから若者は尊く、無限の未来を担う希望だと唱えられる。

 それを捨ててきた大人達に、鼻につくと否定されて心折れた子供達がそのまま成長し、心荒んだ大人ばかりの社会が形成されようものならまさしく暗黒時代。

 その捨ててはならぬものを、理屈ではなく本能的にさえ己に訴えかけてくれる感情に従うことは、誰にも腐されるべきでも穢されるべきでもないものだ。

 

「……プラッチ」

「うん、行こう。

 絶対、勝とうね」

 

 何分もかけ、その場で力尽きていたポケモン達すべてに傷薬を与えたパール達は、再び進むべき道へと足を向けた。

 駆けだす前に振り返ったパールは、立ち上がれないポケモン達を一度振り返る。

 つらいコンディションで息を荒くする声は、未だにその場に広がっている。

 だが、耐え難き苦痛に喘いでいた呻き声は無くなって、苦痛と悔恨に満ちた地獄絵図よりは幾許もましにはなった。

 傷薬は一定の効果をもたらしてくれたのだろう。その痛みを、一時的にでもやわらげてくれる程度には。

 

 それでもパールは、惨劇の記憶が残るその場から目を逸らすように、悪の組織の最奥に向けて駆けだしていた。

 最速の前進のためと言うよりも、見るにも耐え難き光景から逃げるかのように。

 そして、こんな光景が二度と目の前に訪れぬためには何が大切なのか、パールはスモモに言われたことを頭の中で噛み締める。

 憎むべきは何か。戦うべきは、悪の組織が率いるポケモン達だ。

 

 "あくタイプ"と人間に名付けられれば、そのポケモンは悪党なのだろうか。

 悪意に満ちた人間に育てられれば、可愛くて愛くるしい姿のポケモンでさえ人に癒しを与えてくれるばかりの天使なのだろうか。

 すべて、人間の都合で定められた勝手な理屈である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり、感情というものは捨てて正解だ」

 

 壇上の存在が何十人もの部下を広く集め、演説を行うことも出来る大きな空間。

 ギンガ団のボスが団員の前に顔を出すことは無かったため、ここで部下を導く言葉を説いていたのは幹部達の役目だった。

 仮面と人工音声で正体を晒さず語るサターンがその役目を担うことすら稀で、専らその役目を担っていたのはマーズとジュピターである。

 それすらも、年に一度か二度程度のものであり、この地下アジトが秘匿されてきた長い期間を思えば、この大きな一室が活かされた機会は相当に少ない。

 

 ギンガ団のボスがこの部屋を訪れたのは、完成したアジトの全容を見て回ったかつての一度と今回、たったの二度だけだ。

 このアジトに足を運ぶこと自体少なかった彼は、使い慣れていないはずのこの部屋のコンピューターを容易に操作し、大きなモニターを眺めている。

 アジトの各所に設置された隠しカメラを介し、侵入者の様子を把握するためのモニターだ。

 万が一、正義を謳う者にこのアジトの所在が発覚した時、乗り込んできた敵に対応するための設備である。

 ギンガ団にとっては幸いなことに、そうした目的でこの部屋のモニターが活用されることは一度も無かったようだ。

 

「人の身を傷つけることをも厭わぬ胆を持つお前のような敵もいると知りながら、情に流され、万が一の備えであったであろう傷薬も溝に捨てる。

 それで取り返しのつかぬことになれば、どれだけ後悔するかなど子供とて理解しているであろうはずなのにな」

 

 モニターを眺め、パール達が傷ついたポケモン達を癒していた姿を見ていたギンガ団のボスは、自らのそばで翼をはためかせて浮くクロバットと語らっている。

 ふん、と鼻を鳴らすクロバットの返答は、パートナーの言葉を肯定するものでも否定するものではない。

 俺は俺、あいつらはあいつら、とばかりに、それこそどうでもいいとでも言わんばかりの態度である。

 主人と心を通わせてこそ、ゴルバットからこの姿に進化するのがクロバット。

 その態度から言わんとすることは、パートナーにも概ね理解できるところである。

 

「間もなく、あの子供達がここに来る。

 お前の出番が回ってくるようなら、サターンには私が話をつけるとしよう」

 

 クロバットは、ギンガ団のボスにとって切り札とも呼べる存在だ。

 パールとプラチナの実力を、決して彼は高く評価していない。

 自らの目的を阻もうとする存在として、取るに足らぬものと現時点では断ずるのみ。

 

 だが、クロバットまで出番が回ってくるなら、認識を改めるべきだろうとも考えている。

 その時が訪れれば、彼はパールとプラチナをどうするのか。

 サターンに話をつける、という言葉の含みを理解して、クロバットは今一度鼻を鳴らす。

 お好きにどうぞ、とばかりの態度のクロバットをボールに戻し、ギンガ団ボスはこの場所へ向かう少年と少女を待つ構えとなる。

 

 そして、その時だ。

 広いこの場所に差し掛かったパールとプラチナの前に、ギンガ団のボスが姿を見せる形となる。

 

「っ……!」

「アカギさん!?」

 

 その姿を遠目とて見るや否や、パールとプラチナは足を止めずにはいられなかった。

 敵地の真っ只中だ。遭遇する相手は、まず敵かもしれないと警戒する。

 その一方で、顔見知りとの邂逅そのものには驚きが勝り、思わずアカギの名を呼んだパールの胸中はまず、その驚きの一色でしかない。

 

 プラチナは違う。

 緊張感のある敵地にて知り合いの大人を目にして、少し頬の緩んだパールの前に立ち、僕より前に出るなと右腕でパールの前に柵を作る。

 思わずアカギに歩み寄ろうとしていたパールだったから、この咄嗟の挙動は正解だったのだろう。

 え、と立ち止まるパールの前、プラチナは厳しい目つきでアカギを見据えている。

 

「久しぶりだな」

 

「ぷ、プラッチ……?」

「……アカギさん、一つお尋ねしていいですかね」

 

 自分達がギンガ団のアジトへ乗り込んできた意図と同じくして、アカギがここに来てくれていたのなら、これ以上ないほど頼もしい味方だ。

 シロナに協力を望んだパール達だから、シロナと知己たるアカギがそうした立場であってくれたことを、全く期待できないわけではない。

 だが、直感的にそうではないのだ。

 

「あなたは、ギンガ団の何なんですか?」

 

 真正面切ってこちらを待ち構えていたかのようなアカギとの遭遇には、それとは逆の想定をしてしまう。せずにはいられない。

 そうであっては欲しくないと、かつての彼の強さを見たプラチナには思えてならないのだけれども。それでも。

 望ましい言葉を向けられたとて、騙すために嘘をついていることさえ想定するほど、プラチナの危機意識は最悪の展開を想定してならなかった。

 

 きっと、パールもそうだったのだろう。

 一度、稽古をつけてくれた、その強さには憧れさえした大人である。

 それにこの状況で対峙したシチュエーションそのものに、不穏な気配を感じ取れぬほど彼女も楽観的ではない。

 

「ギンガ団の首領だ。

 君達が挑まんとし、打ち破ろうとする最終目標そのものと言っていいだろうな」

 

 この場で相対したが最後、覚悟すらしたその回答。

 そして、聞きたくなかった解答だ。

 素性を明かしてなお、表情や声色一つ揺るがさぬギンガ団ボス、アカギを前に、パールとプラチナは身構えつつも言葉を失うばかりだった。

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