ポケットモンスター・パールストーリー   作:ましゅ

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第118話  メモリーズ

 

 

 プラチナのポケモン達が、怒りのあまり理性を失っているのは見るも明らかだった。

 ケーシィがマニューラに向けてサイケ光線を撃っている姿にこそ、最も如実にそれが表れている。

 躱しもせずにそれを受け切ったマニューラは、一切の痛みも無い面構えでピッピへと襲いかかるのみだ。

 

「――――z!」

 

「ほう、私のニューラか。

 思わぬ所で再会するものだな」

 

 そんなマニューラとピッピの間に割り込んだララが、マニューラの振り下ろした爪を、交差させた自らの爪で受け切る。

 私のニューラ。アカギの言葉が意味するところは、パールにもすぐ理解できた。

 むしろ、合点がいったと言ってもいい。

 耳の欠けたララ、どこかで見たものだと思ったら、やはりテンガン山でアカギが稽古をつけてくれた時のニューラだったのだ。

 

「アカギさん……!?

 どうして……」

 

「そいつは私の思想についていけず、自らの意志で私の手の元を離れた愚か者だ。

 あまつさえ、カンナギタウンで私に襲いかかるほどにな」

 

「ピッピ……!

 みんなに、"リフレクター"を……!」

「っ、ッ……――――!」

 

 エンペルトも、ギャラドス目がけて自分の最高威力の技、ハイドロポンプを発射するほど、その行動は理性的でない。

 ギャラドスに対して有効な攻撃ではないはずだ。

 だが、それでも並々ならぬ怒りに任せた水砲はギャラドスの顔面に直撃し、怯ませるほどの威力は発揮している。

 パールに寄り添われ、血の溢れ出る自らの傷口をぐっと手で押さえながら、プラチナは自分の声を一番聞いてくれるはずと信頼する友達へ最初の指示を出す。

 

 幼い頃からずっと一緒のピッピなのだ。自身最強のエースたるエンペルトに対する強い信頼とは、また異なる信頼を寄せる相手。

 かろうじてプラチナの声を耳に入れたピッピのリフレクターは、きっと間に合っていたのだろう。

 ハイドロポンプを受けて怒ったギャラドスが勢いよく突っ込んできて、尻尾を振り抜く全力の一撃がエンペルトを殴り飛ばす。

 その"ギガインパクト"を受けた一撃の重み、壁面に叩きつけられる衝撃、それを耐えきり両の足で立つエンペルトには確かにリフレクターの恩恵がある。

 ぶち切れてまばたき一つしない眼差しのまま、再びギャラドスに向けてハイドロポンプを発射する。即座にだ。

 

「マニューラ、お前の見せ場だぞ」

「――――♪」

 

 アカギとそのポケモン達に焦りの表情は無かった。

 マニューラは力任せにララを斬りつける爪の一振りで、相手のガードを誘発する。

 力では勝っている。後ずさるララを尻目に、ピッピに改めて一直線だ。

 振り下ろす爪は"つじぎり"の一撃。怒りが勝っていて相手に向かいかかろうとするピッピのノーガードの肌に、それは血が噴く深い傷を刻む。

 

「ケーシィ、っ……!

 ドレイン、パンチ……!?」

「え!?」

 

 パールが驚くに値するプラチナの指示に導かれ、かろうじてその指示に従ったケーシィがマニューラの背後に自らをテレポートさせる。

 瞬時に気配を察したか、振り返りざまにマニューラは爪を一振りだ。

 立ち上がった姿のケーシィが突き出した拳が、鉈のように鋭いマニューラの爪とぶつかり合うが、ケーシィの念を込めた拳は切り裂かれない。

 むしろ、悪しき者を打ち破ろうとするケーシィの信念が悪の刃に勝るかの如く、爪先をはじかれたマニューラが交代するほどだ。

 

「エンペルト、っ……!

 マニューラに、"はがねのつばさ"……!」

「ッ――――――――z!!」

 

 どれだけ怒りに心を支配されていようが、その声だけはやはり届くのだ。

 ハイドロポンプを受けて首を振っているギャラドスに飛びかかろうとしていたところを切り替え、マニューラの方へと突き進むエンペルト。

 相手に一番よく効く攻撃を指示してくれるプラチナの言葉を信じ、雄叫びにも近い声をあげて襲いかかる。

 

「やはり所詮、感情は力を奪う枷にしか過ぎぬということだな」

 

 どれだけトレーナーの指示が優秀でも。

 それに従うポケモンがそれだけの理性をぎりぎり保っていても。

 思考力を失ったポケモンが、トレーナーの指示に従うだけの傀儡となっているようでは。

 そんな白けた声を発するアカギの態度が示したかのように、ドレインパンチを受けて後ずさっていたはずのマニューラは、簡単にその一撃を躱してしまう。

 

 ほら、ろくに次が続かない。

 大きく距離を取る躱し方をしたマニューラに、エンペルトは離れた相手への飛び道具としてハイドロポンプを撃つ。

 ただでさえ命中率の悪いそれを感情任せの一撃に乗せては、図体の大きいギャラドス相手ならともかく、マニューラには容易に躱せる攻撃だ。

 

「っ、ララ! こごえるかぜ!」

 

「遅い」

 

 ならばせめて敵の動きを制限しようというパールの指示は正しかった。

 だが、ララがマニューラとギャラドスに向けて凍える風を放つ中でも、マニューラは素早く地を蹴ってケーシィに迫っている。

 そして放つ"つじぎり"の一撃は、元より物理的な攻撃に弱いケーシィに対してあまりにも痛烈だ。

 立ち姿であったケーシィが、深く斬りつけられて背中から倒れる姿には、プラチナもすぐにケーシィのボールを握っている。

 

「っ、く……ケーシィ、戻っ……」

「――――ッ!」

 

 プラチナがケーシィをボールに戻そうとした、まさにその瞬間のこと。

 天井に向けて手を伸ばしたケーシィが、最後に仲間達に何かを残そうと力を振り絞った。

 スイッチを押したプラチナのボールにケーシィが戻っていくが、確かにその力はこの場に残されたのだ。

 あれだけ頭にきていたにも関わらず、最後の最後に理性を取り戻し、仲間達の力となれるよう力を尽くすのは、流石プラチナに育てられただけはある。

 

「何の問題にもならんな」

 

 言及する程度には、ケーシィの最後の意地に、アカギも一定の評価を下したと言ってもよい。意義のある行動ではあったと。

 しかし、その上で問題にならぬと形容する言い方もまた本意。

 指示など貰わなくともピッピに急接近したマニューラは、爪の刃で斬りつける動きではなく手の甲を返し、打撃を繰り出す一撃を振り抜く。

 

 例えるなら、刀で斬りつけるのではなく、刃の無いミネで打つ一撃の如く。

 それはアカギのマニューラが得意とする、リフレクターや今しがたケーシィが張った"ひかりのかべ"を粉砕した上で敵を討つ、"かわらわり"の一撃だ。

 なんら"みねうち"でも何でもない、木刀による全力の振り抜きめいた一撃に殴り飛ばされたピッピが、壁まで殴り飛ばされるほど痛烈な攻撃である。

 

「っ、ぐう……! エンペルト、っ……!」

「ギュアアアアアアアアァァッ!」

 

 プラチナがピッピをボールに戻し、搾り出すような声でエンペルトに呼びかける。

 アカギは何の指示もしなかった。

 "はがねのつばさ"を振るって迫るエンペルトが、マニューラに対して襲いかかっても。

 どうせもう躱せる間ではない。交差させた爪でその一撃を受けるしかないマニューラに、指示することは何一つ無い。

 ならば自身の声に耳を傾ける一瞬を作るより、本能的に、あるいはそうした自己判断が出来るよう育てたマニューラの、防御する判断に一任する方が最適解。

 敢えて指示を出さぬ選択が出来るアカギの態度は、ただ彼の傀儡でのみあらぬポケモン達という事実に裏打ちされるものだ。

 

「ララあっ! いっけえっ!」

「――――z!!」

 

「む……」

 

 アカギはやはり指示を出さなかった。少しまずそうだとは思いながらも。

 マニューラの自己防衛にすべてを一任する判断だが、パールの力強い声とララの決死の声は、マニューラに大きなダメージを与えるだろうとは思った。

 すなわちそれは、ニューラによる"かわらわり"の一撃。

 指示されるまでもなく、今さら躱せもしないし防御するしかないと爪を交差させて構えるマニューラに、ララの小手返しの一撃が振り下ろされれる。

 

 流石にマニューラも受けて腰が沈みかけた。爪にひびでも入ったかと思うほど、腕まで痛い痛烈な一撃には違いなかった。

 踏ん張って、受け切って、それを振り払うマニューラの地力の高さは誰しも認めるところだが、小さくないダメージを与えたことは確かである。

 

「ギャラドス」

「――――z!!」

 

 名を呼ばれただけでこの場における最適解を導き出すギャラドスもまた、アカギに育てられた優秀な個体であろう。

 ただの"たいあたり"に見えて、敵へ頭から直進した挙句に長い全身を伸ばし、その全体重を乗せるよう計った"ギガインパクト"。

 それをエンペルトにぶつけるのだ。確かにとどめの一撃にはならないだろう。

 しかし相手を吹っ飛ばし、隙のあったマニューラを横殴りさせることを阻み、突き飛ばして壁面に叩きつけることで動きを封じる。

 そしてその一幕を見たマニューラは、自分に大きなダメージを与えたララに報復することより、踏ん張って立つエンペルトに突き進む。

 

「それでいい」

「エンペルト……!」

 

 マニューラの振り下ろした爪がエンペルトの脳天を叩き伏せ、その"かわらわり"の一撃はリフレクターをも粉砕した上で頭蓋まで響く。

 目の前に星が飛んだエンペルトの動きが止まる中、さらにマニューラはくるりと身を回し、爪の一刺しをエンペルトの胸元に突き刺す。

 技としてではなく実質的な"追い討ち"だ。

 頭を割られようが、プラチナを傷つけたこのマニューラだけは刺し違えてでも、というエンペルトに対する、悪賢いマニューラの駆け引きがここにある。

 

「っ、ぐ……」

 

 駄目だ、これ以上エンペルトを戦わせては。

 心臓に近い位置の胸をあれほど深く突き刺され、なおも戦い続けようとするエンペルトの目を見て、プラチナはそう判断せざるを得ない。

 とうに戦闘不能級の傷を負っているのに、あれ以上怒りに任せて限界を超えさせては、本当にエンペルトが死んでしまう。

 勝ちたい意志より大切な友達の命を。涙目になりかけながら、最後のポケモンをボールに戻すプラチナは、これで戦えるポケモンをすべて失った。

 その判断を最速で促したのもまた、あの悪辣なマニューラだ。エンペルトの命を人質に取るかのような判断を、指示されずとも取れるということである。

 

「ララ……!」

 

「弱い」

 

 寄り添うプラッチ、エンペルトの深手、パールにとって無視できない光景が幾度も続く中、ララは指示の無い中でしっかり動いていた。

 せめてこのマニューラを。だが、"かわらわり"を放つララの一撃をかろうじて躱したマニューラ、そして迫るギャラドス。

 長い尻尾を振り抜いて、少しは遠い相手にも届く"アクアテール"の一撃で確実な命中を叶え、フィジカルに秀でないララを殴り飛ばす。

 床に転がってすぐに立つララではあったが、立ち上がりざまにマニューラの"かわらわり"で叩き伏せられる。

 

 咄嗟に構えた交差の爪も、自分の爪で額を打つほど押し込まれて。

 腕の力を奪われた直後、身を回したマニューラの振り抜いた小手返しの爪により、胴を横殴りにされてしまう。

 横薙ぎの"かわらわり"をまともに受けたララは、無力に殴り飛ばされて床に転がり、もう立ち上がる力もない姿で横たわる。

 

「戻って……!」

 

「勝負あったな」

 

 パールがララをボールに戻す中、それとほぼ同時にアカギはマニューラをボールに戻した。

 プラチナとパール、二人のポケモンが一匹も戦場に出ていない状況下、今この場に残ったのはギャラドスのみ。

 そしてアカギは、プラチナの駒が尽きたことを確信しているのだ。

 トレーナーが傷つけられたプラチナのポケモン達が、それに伴い全員たまらず出てきたことは見て取れている。それでこその先程までの多勢だ。

 アカギがマニューラを引っ込めたのは、戦いが続くのであれば自分とパールの一騎打ちに他ならぬと、表明していることを兼ねている。

 

 ギャラドスと対峙する中で、パールは既に雷のシールが貼られているボールを握りしめている。パッチのボールだ。

 だが、すぐにそのスイッチを押せないのは逆風の展開を目の当たりにしているからだ。

 果たして、プラチナのポケモンがゼロになった今、自分一人の手持ちでこの人物に立ち向かい、打ち破ることは出来るのだろうか。

 勝負あった、と一言で確信的な戦況を宣言したアカギの態度もパールの心を揺らしたが、戦い続けるべきか否かをパールも考えざるを得ない。

 

「まだやるつもりなのか?」

「う、ぅ……」

 

「パール……! 頑張って……!

 ここだけは、絶対負けちゃ……」

「……………………ピョコ!!」

 

 だけど、目前の勝敗よりも大切なことが、血を流すプラチナを支えるパールにはあった。

 ギャラドスを前にして、パールが繰り出したのはドダイトスのピョコだ。

 決して、有利に戦える最高の選択ではない。ルクシオのパッチを出すという、もう一つの選択肢に比べれば確実に劣る。

 

「ピョコ……!

 プラッチを乗せて安全な場所まで運んで……!」

「――――!?

 ――――――、――――z!!」

「お願い、一生のお願いだから……!

 私、プラッチに死んで欲しくないの……!」

 

「ぱ、パールっ……!

 僕のことは、いいから……」

「うるさぁいっ!! 怪我人黙ってろっ!!」

 

 支えていたプラチナを突き飛ばしたパール。

 よろめいて膝をつくプラチナだが、それだけ彼も血を失って、足元が覚束ない状況なのだ。

 極めて乱暴なやり方に、ピョコも思わず驚いてパールの方を見たが、目で訴えるパールの眼差しは真剣そのものだ。

 プラッチが本当に危ない状態なんだ、と訴える目は大きく見開いたもので、ピョコの反論など受け付けない、受け付けないものに相違ない。

 

「ピョコ……っ!」

 

「ッ……、――――z!!」

「ぇぁ……!?

 ちょ、ピョコ、待……」

 

 きっとピョコも、パールの指示に従うことには強い抵抗があったのだろう。

 アカギという脅威的な敵を前にして、戦力の一角として自認する自らが、彼女の言うとおりプラチナを助けるためにこの場を去ることへの抵抗が。

 ピョコはプラチナとも友達だ。パールと同じぐらい大好き。

 それでも、パールを守るために戦える、彼女のそばを離れることが、ピョコにとってどれだけ応えがたい要求だったか。

 決して比較ではないが、究極の選択でパールとプラチナのどちらを取れと言われれば、きっとピョコはパールを選ぶはずだ。

 

 そんなピョコは、パールの望みに応え、プラチナの身体を鼻先で突きあげて、自分の甲羅の上へと強引に放り乗せた。

 戸惑うプラチナの態度をパールは顧みない。背に乗せたプラチナを顧みもせず、パールを振り返るピョコと目を合わせるのみ。

 恭しい目でうなずくパールと、借り一つ寄越す勢いの眼差しを向けるピョコ。

 言葉無く意志を交わした両者は理解り合っているが、そこにあった確かなやり取りの真髄など決して他者に読み取れるほど浅くはない。

 それを最後に、ピョコはパールに背を向けて、プラチナを背に向けてこのアジトの出口へ、彼を安全圏へと向けて運ぶ足をどかどかと駆けさせていくのだった。

 

「やはり、愚かだな」

 

 去るピョコの背を見送りながら、アカギとギャラドスからも目を切っていなかったパール。

 彼女の行動を見届けていたアカギの一声に、パールは体ごとそちらに向き直り、パッチの入った雷シールの貼られたボールを握りしめる。

 心臓が高鳴っている。恐怖でだ。

 ピョコという最も頼もしい仲間を失った今、悪の組織のボスかつ過去最強の敵を前にして、自分はこの苦境を切り抜けられるのか。

 脚さえがくがくと震えそうなところ、力を入れて踏ん張って、なけなしの気力を振り絞ってアカギを睨みつける目は、彼女が望んだほど強くはない。

 手元に残るはパッチとミーナ。アカギのギャラドス、そしてマニューラやクロバットを撃破するためのビジョンを描こうとして、それが出来ない。

 

「取るに足らない少女だと、再認識させられるばかりだ」

 

「ぇ……」

 

 パールがパッチを出すためにボールのスイッチに指の力を入れるより早く、アカギがギャラドスをボールに戻した。

 死線さえ意識したパールは、戦いそのものが終わったかと思えるような僥倖的展開に、望外の細い声を溢れさせるのみだ。

 身構えた姿勢のまま硬直し、表情だけを予想外の展開に唖然とするパールを前に、アカギは溜め息じみた息を吐くのみである。

 

「君は、私の野望を打ち砕きたいと切望していたのだろう?

 そんな中、どうして貴重な戦力をあんな形で手放す?」

 

 離れた位置からアカギが問いかけるその言葉に、パールは返答するまで三秒もの時間がかかった。

 即答できるはずの問いだ。彼女の性格ならそうだ。

 それでも答えが遅れたのは、思わぬ展開に思考が追い付かず、ようやく実状に則って返答が出来るまでに時間がかかったに過ぎない。

 

「だ、だって……プラッチが……っ!」

「感情に左右され、いま最も手放してはならぬ戦力をこの場から手放す。

 やはり君は感情によって愚に徹する少女に過ぎず、私の障害にはならぬと断言できる」

 

 気圧されているパールが言葉半ばに詰まる中、アカギは心底からの主張を口にしながら、こつこつと静かな足音を立てながらパールへと歩み寄る。

 パールが小さく後ずさる中、アカギは何ら普段と変わらぬ歩調で三歩近付いて。

 恐怖心に押されて後退していた彼女の眼前、アカギが辿り着いて足を止める中、腰の引けたパールがアカギを見上げる図式が成り立つに至る。

 足が動かなくなったパールの目の前に、背の高いアカギがそびえ立つその姿は、顎を上げたパールがいよいよ全身を震えさせるほどの圧倒感がある。

 

「君はギンガ団との戦いの中で、何も学んでこなかったのか?

 我々は、遮る者達を葬るに際して何ら躊躇はしない」

「いた、っ……!?」

 

「君を傷つける可能性があるのは、私達ギンガ団のポケモン達だけだと思っているのか?

 君以上の力を持つ大人に、君を傷つける力が無いと思っているのか?」

「や……ゃ、っ……!

 

 アカギがパールの手首を掴み、ぐいと自分の目線の高さより上まで引っ張り上げる。

 か細い女の子の腕を力強く掴み、望まぬ高さまで力ずくで引く動き。

 握力で締め上げられる手首の痛みのみならず、乱暴な力で引き上げられて二の腕が攣る痛みは、パールに悲鳴を上げさせる。

 それだけの痛み、それを与えられる恐怖に怯えながらも、無表情で、冷たい眼差しで自らを見下すアカギを前に、パールは後退することも出来ずにいる。

 

「ッ――――!」

「――――z!!」

 

 パールの窮地だ。それも、只ならぬ危機。

 喚ばれずとも、パッチとミーナがボールの中から飛び出してくる。

 それも、アカギを両横から挟むような形で降り立つようにだ。

 それと同時に、アカギを守るべくボールから飛び出してくるクロバットが、アカギの背後でぎらりと眼を光らせる。

 

「なるほど、君を守るために自らボールから出てきたというわけか。

 それもまた、君が彼ら彼女らを可愛がってきた、その優しさによる賜物ということだろうな」

「ぅ、ぅぅ……」

「だが、この二匹は未だ私に手を出すことも叶わない。

 感情的に出てきたはいいが、なにも為すすべなくこの一幕を睨みつけるほか無いというわけだ」

 

 アカギは自身の左右に獰猛な眼で降り立ったパッチとミーナを一瞥しつつも、まるで意に介さぬようにパールを見下す目に戻した。

 パールの手首をぐっと握ったその手は、彼女の命脈を握るもの。

 すなわちアカギは今、パールを人質に取っているも同然なのだ。

 

 たとえパッチやミーナがアカギに速攻の一撃を下し、彼の肉体を破壊したとしても、アカギがたった一瞬でその手に力を入れればどうなるか。

 きっとパールは、二度とボールを握れぬよう、手首の骨を折られるだろう。パッチもミーナもそれがわかっているから動けない。

 現実、11歳の女の子の細腕と骨など、容赦ない大人がその気になって力を入れてしまえば、折るも容易き脆いものなのだ。

 まして、涙目で動けずにいるパールの姿を前にしたパッチとミーナは、アカギに先んじて彼に攻撃することなど出来ない。

 クロバットに攻撃される懸念ではなく、自分達の前のめりな行動がパールの命さえ危ぶめてしまうかもしれないという恐怖は、行動を縛るには充分だ。

 

「君に選択を問おう。

 私と刺し違えるか、それともこの二匹を引っ込めるか。

 君に覚悟があるなら、私もそれなりの覚悟をしよう」

 

 それをパールに求めるアカギの眼差しは、幼い少女にはあまりにも恐ろしいものだ。

 今ここでポケモン達の圧倒的な攻撃により、取り返しのつかない傷を負うことも何ら恐れていない無感情な目。

 確かな駆け引きが実在するはずの局面で、どのような結末も受け入れた上で、どう応えてくれても一切構わないという冷静な眼力。

 そして見上げれば魂まで鷲掴みにされるかのような、瞳の奥まで潜むかの如く深い闇。

 

 今までこんな、冷徹で、何も読み取れず、どんな言葉や態度でも揺るがぬであろう、凍り付いた瞳を目前にしたことのない少女にとって。

 捕まった今、逆らえば、殺されてしまうのではないかと感じさせるその冷たい眼には、パールの全身ががたがたと震えるのも無理の無いことだ。

 まばたき一つ出来ないまま、パールは握りしめていたパッチのボールのスイッチを押し、彼女をボールへ戻さずにいられない。

 そんな彼女に、残されたミーナはパールへ、屈しちゃ駄目だと訴える鳴き声を発したけれど。

 自身を見下すアカギから目を逸らすことさえ出来ず、すなわちミーナの声に向き直ることも出来ないパールは。

 ミーナのボールを取り出して、彼女をボールに戻すことで精いっぱいだった。

 

「やはり、そんなものだな」

「ぅぁ……」

 

 パッチとミーナが場から消えた中、アカギはパールの手を離す。

 決して突き放されたわけではない。だが、パールは二歩も三歩もアカギから離れ、怯えた瞳と震える体でアカギと対峙するので精一杯だ。

 目の前の相手が、ギンガ団のボスという討つべき相手だと認識し、立ち向かわんとしたその眼差しや姿勢とは、断じて程遠い少女の姿がある。

 

「義憤を胸にに乗り込んできて、いよいよとなれば恐怖で怯え竦む。

 所詮、感情に左右される者などその程度ということだ」

 

 言い返すべき局面で、恐怖のあまりまた一歩退がるパールは、何ら反論できぬ一幕だ。

 呑まれている。それも、恐れの感情に支配されて。

 呼吸すらもひきつりそうな恐怖に胸を締め付けられ、疲労とは違うはぁはぁという息を繰り返し、縮めた身体を震えさせるパールの姿はそれを体現している。

 

「やはり私は、感情を捨てて正解だったと思うばかりだ。

 そんなものに自らの行動を制限されていては、果たすべき大願からも遠ざかるばかりだったからな」

 

「か、感情……それは、っ……!」

 

「思い返せば、シンジ湖に沈みかけた君を助けたあの時からそうだ。

 良心の呵責に見舞われたあの日の私の行動が、私の悲願の実現を何年も遅らせたのだからな」

 

 感情を否定するかのようなアカギの宣言に、パールはなけなしの気力を振り絞って反論しようとした。

 感情を捨てて正解だったと宣言する理屈を甘受することは、悪の組織のボスの思想を肯定することのようにさえ感じられたから。

 だから、パールも全力の勇気を以って、言い返そうとしたのだけど。

 

「………………ぇ……?」

 

「つくづく私は君をあの日、見捨てるべきだったと悔いてならない。

 あれもまた、感情を捨てるべきだと強く私に感じさせた日だったよ」

 

 すべて、吹き飛んだ。

 パールの思考力を奪う、アカギが発したあまりにも予想外な真実。

 正義も、信念も、あるいは恐怖も怯えも、すべて、すべて、パールが一時失ってしまうほどの現実がここにあった。

 

 呆然となるパールの前、不動のアカギは無表情で立ちそびえるのみ。

 夢にまで見た理想の実現は、必ずしも望んだ形で叶えられるとは限らない。

 現実とは時に、劇的で、思いもよらず、そして、残酷だ。

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