ポケットモンスター・パールストーリー   作:ましゅ

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第120話  絶望の闇

 

 

「君の役目は終わった。

 充分、ギンガ団の役に立ってくれたよ。

 もう、安心して眠ってくれて構わない」

 

「ギンガだ……ど……どういう、意味……?」

 

 パールは今、絶望的な状況下にあって尚、どうにかこの窮地を切り抜けられないか、ぎりぎりの気力を保つので精一杯だった。

 そんな中で、サターンが発する理解不能な言葉は、痛烈なノイズとしてパールの意識に割り込んでくる。

 ギンガ団の野望を阻むためだけに、何度も何度も危険を承知で挑んできたパール。

 自分がギンガ団の役に立っていた瞬間が、一度でもあったと言われれば心外も甚だしい。

 

「君のような正義感だけで行動する、思慮の浅い子供のことだ。

 何らかの形で、ここに我々が潜伏していることを知りさえすれば、乗り込んでくることは明白だった。

 それが敵方からもたらされた情報であったとしても、じっとしていることが出来なかったのだろう?」

 

 すぐにパールは、マーズのことを思い出した。

 そもそもパール達に、トバリシティ地下にギンガ団のアジトがあるという情報をもたらしたのは、本来敵方であるはずのマーズである。

 罠かもしれない、と警戒こそしつつも、その情報に踊らされることを敢えて選んだパールの背筋を、言い知れぬ悪寒が襲っている。

 

「君が協力者として、知人のスモモやシロナに助力を求めることなど、我々からすれば容易に想像がつく。

 そうして君が連れてきてくれたスモモは、アカギ様の手により再起不能となり、君の友人も傷つけられて病院送りだ。

 既に大願を叶えるため、アジトを離れたアカギ様を追う刺客として、その二人は無力化できたというわけだ」

 

 パールは思わず、恐怖とは違う感情でよろりと後ずさっていた。

 すべて、ギンガ団の掌の上で。

 パールと、その協力者を、纏めてギンガ団の本拠地におびき寄せることで、今よりも重要な明日において邪魔者とならぬよう排斥し。

 ギンガ団は自らを妨げる障害を少なくした上で、アカギの本願を叶えんとすることが出来る下地が出来ている。

 

 それがマーズにパールへ情報を与えさせることによって敷いた"罠"の本質だとするならば。

 そんな思惑に釣られて行動を起こした自分をきっかけに、スモモも、プラチナも深い傷を負ったのではないか。

 おびただしいほどの血を流し、血色の悪くなった二人の顔を思い出すと同時、それが自分のせいだと感じさせられるパールの顔からも血の気が引く。

 脂汗を流し始め、息をすることすら難しいかの如く、はっはっと細切れの呼吸を繰り返すパールの心が、闇の底へと吸い込まれつつある。

 

「シロナもここへ来たよ。君達とは別行動でね。

 流石にチャンピオンだ、アカギ様と私の二人がかりで迎え撃っても、やはり気の抜けない相手だった」

 

「…………!?

 し……っ、シロナさん、は……」

 

「ドクロッグの刃で貫かせて貰ったよ。

 今頃、その毒で死んでいるかもな。

 お節介なあいつが、明日以降もはや我々の障害となり得ないことを思えば、今回の戦果は我々にとっても計り知れないものだ」

 

 自分が自分じゃなくなりそうだ。

 シロナに協力を求めたのは自分だ。実際に電話してくれたのはプラチナでも、それを望んでいた自分の意を汲んでくれただけだ。

 そんなシロナが、サターンのドクロッグの凶刃に貫かれ、人の身には致死たる毒を流し込まれたという話を聞けば、彼女は何を思うだろう。

 ギンガ団の野望を食い止めたいという、自分の正義に振り回されたあの人は、もはや今は物言わぬ亡骸となっているかもしれないという仮説。

 

 そんな、まさか、そんなことって。

 ふらつくように二歩後ずさったパールは、躓くもののない平坦な床で、脚に力を失った上での動きにより、足をもつれさせてしまう。

 尻餅をつくように座り込んだ彼女は、もう足腰に力も入らない。

 ここへ乗り込むことを選んだ自らの決断により、敬愛する人達が三人も死に瀕しているこの現実は、幼い少女にはあまりにも重過ぎる。

 

「君は、本当に役に立ってくれた。

 我々の撒いた餌にまんまと食い付き、目障りな正義感を振りかざす者達を引き連れて、彼ら彼女らを自ら敗北者の立場へと辱めてくれた。

 おかげで我々は、もはや戦う力を失った連中への懸念をゼロにしたまま、本願に向けてあとは突き進めるのみだ。

 すべて、敵の言葉に愚かにも踊らされ、正義の失策の端を発してくれた、君のおかげだよ」

 

「ぁっ、ぁ……ぅぁ……」

 

「何度も、何度も、我々の邪魔をしようと立ちはだかってきた無礼も、今となっては帳消しにしていいほどだ。

 現に君は、発電所でも、ハクタイビルでも、湖でも、私達に挑みこそすれ我々の目的を完全に妨げることは一度も果たせていない。

 君を放置したアカギ様の本心は長らく計りかねていたが、泳がせてきたことで最後にこの利を生み出してくれたなら、流石はボスの慧眼だと感服するばかりだ」

 

 完全に心が折れ、腰を抜かしたパールを離れて見下しながら、なおもサターンは彼女の心をずたずたにする言葉を紡ぎ続ける。

 悪しきギンガ団の野望を打ち砕こうと、何度も何度もギンガ団に挑んできたパール。

 現実はどうか。

 リッシ湖ではアグノムを救えず、シンジ湖ではエムリットを守れず、エイチ湖ではユクシーを助け出せず。

 ギンガ団幹部に渋い顔をさせた実績こそ積み重ねつつ、悪の組織の最終目標を阻むことは一度も出来ていない。

 

 だから泳がされていたのだという指摘に、パールの無防備な心は説得力を擦り込まれ、最初から最後まで脅威でも何でもなかったと信じさせられる。

 その果てに、何らギンガ団の悪意を阻む力の無い無力な自分は、シロナを、スモモを、プラチナを始末するためのきっかけに利用されたのだ。

 あれだけ必死に、あれだけ何とか出来ないかと頑張ってきたのに。

 それが無駄な努力であったどころか、何もしない方が余程よかったのだと突きつけられた時、心を蝕む悔恨の想いは底知れない。

 

「重ね重ね、ご苦労だった。

 君のおかげで、我々は目的を達成できそうだよ」

 

 慇懃無礼な一礼を見せるサターンは、もはや充分だと確信した表情だ。

 サターンでなくたって、今のパールの姿を見れば誰にでもわかる。

 その表情からは恐怖の感情すら消え、色を失った顔でその目は虚ろで光を失っている。

 離れた位置のサターンの方を見ているようでいて、その焦点は相手に合わず、今にもぐるりと裏返って意識を手放してもおかしくない。

 絶望のあまり感情そのものさえ失った放心状態、そう形容するに誰の目にも明らかなパールの姿がある。

 

 絶望に底などない。

 心が、壊れた。ただ折れたのではなく、粉々に。

 腰が抜けているのではない。もう、立ち上がるための力を呼び起こす意識も無い。

 彼女の心を八つ裂きにするための言葉を連ねていたサターンが、締めの一言を発したのは、もはやこれ以上は彼女の耳にも届くまいと確信したからだ。

 恩人の正体、利用されていた事実、そんな自分のせいで血を流した親しい人達の数々。

 一人の少女が受け止めるには一つでも重過ぎるものが、これだけ一気に降りかかって正気でいられるはずもない。

 

「もう…………やだ…………」

 

 サターンは、ふっと笑わずにいられなかった。

 はくはくと動いたパールの口から溢れた、小さな、掠れた、今にも消え入りそうなか細い声。

 その一言で、彼女が何を思っているかなど、サターンには手に取るようにわかる。

 彼女は今までの人生で、死にたいだなんて思ったことは一度も無いだろう。普通の、普通の女の子だ。

 それが、己の愚かしさ、罪深さに心を圧し潰され、自分のせいで傷付いた人へ、せめてもの罪滅ぼしにここでの死さえ受け入れんとするほど壊れている。

 未来を閉ざされ、過去に悔恨しか無い。人が自殺さえ考える時というのはこんな時だ。

 

 純粋で、正義を信じ、貫いてきた者であればあるほどに、それが覆された時の自責は絶大。

 きっと今のパールは、喉元にナイフを突きつけられたとしても、抵抗はおろか死への恐怖心さえ抱くまい。

 自らに引導を渡されることを半ば望む少女という、葬るには赤子以上に容易い少女を前に、サターンは相棒の入ったボールを握る。

 

「せっかくここまで来てくれたんだ。

 我々も、ギンガ団なりのもてなしをしよう。

 ようやく己の愚かしさを理解し、苦しむ君を楽にしてあげることこそが、我々に出来る最大の手向けとなるだろうからな」

 

 サターンがボールのスイッチを押し、ドクロッグが姿を現した。

 戦うべき敵。その存在こそパールの目は認識しつつ、闘志はおろか思考一つはたらかない。

 いや、むしろ彼女の視線はドクロッグの毒針に注がれ、それが自らの命を奪う凶刃たり得ることだけ認識している。

 

 忌避すべきそれを、恐れるどころか差し向けられることさえ受け入れて。

 ほんの少し、かすかに残っていた、血が流れるほど痛いのは怖いという、幼い女の子として当然の恐怖心だけが彼女の口元を動かして。

 ぎゅうっと唇を搾るように、葬られることより痛みへの怖さを耐えるようにして、目を閉じ顔を伏せたパールは、自らその人生を閉じようとさえしていたのだ。

 

 

 

『――パール!!』

 

 

 

「ぅ゙…………!?」

 

 忘我の中にあったパールが、思わず目を覚ますほどの痛みが、彼女の頭の奥底まで響く。

 その時、同時に聞こえた気がした、確かに自らの名を呼ぶ声。

 それが誰の声なのかもわからぬ、初めて耳にした誰かの声だ。

 鋭くもあり鈍くもある痛みに、目の前の光景を刮目できる程度には意識を取り戻したパールの前に、自分の意志でボールから飛び出してきたミーナの姿がある。

 

「――――、――――――z!!」

 

「ミー、ナ…………」

 

「ッ――――!」

 

 パールを振り返り、とびきり大きな声でわめき、彼女に何らかの言葉を伝えんとするミーナがそこにいた。

 目覚めて初めてパールが目の焦点を合わせたミーナの表情は、少し悲しそうでもあるかのように目尻が下がっている。

 その上で、叫びめいた鳴き声を発し終えると同時、ぎっと鋭い目を作り上げ、ドクロッグを睨み合う背中をパールに見せつける。

 

 パールの知る限り、誰一人として撃破叶わなかったドクロッグだ。

 マキシでも、スズナでも、それらと一緒に戦った自分やプラチナでも。

 勝つことさえも前人未踏にさえ思える最強の敵を前に、パールのポケモン達の中では、打たれ弱くて泣き虫ですらあるミーナが対峙する。

 この現実を前にして、思考力が目覚めたパールは、この後に予想される惨劇を想像し、光を失っていた目に新たな恐怖の感情を宿す。

 

「だ……だめだめやめてえっ!

 ミーナ戻って、殺されちゃ……」

 

『うるさい!! だまれ!!』

 

「い゙……っ!?」

 

 また、頭を割るような頭痛とともにパールの頭の中に響く声。

 今度は思わず右手で頭の横を押さえるパールの行動が、サターンの目を引いた。

 殺されるかもしれない、戦わないでと訴えかけたパールに対し、再び振り返ったミーナが怒鳴るように声を荒げたことは、サターンだって目にしていた。

 それが、どうしてパールが頭を押さえる挙動に繋がる?

 怯んでもいい、びくついてもいいとも。なぜ頭痛に襲われたかのような行動が表れたのか、その不自然さを見逃すサターンではない。

 

「――――?」

「……良い展開とは断言できないな」

 

 ドクロッグとて、サターンと同じ光景を前にして、その不可解な現象に怪訝さを覚えている。こちらもサターンのベストパートナーだけあって聡いものだ。

 サターンが口にするのは、独り言のようでいて、ドクロッグに油断を許さぬ心構えを促すためのもの。

 少なくとも、状況が良化しているとは絶対に言えないのだ。

 言葉で徹底的に追い詰めてやったパールは、戦うことはおろか抵抗することさえ出来ない、魂の抜け殻になっていたはずなのだ。

 それが、ミミロルに逃げることを促す思考力を取り戻している。それが事実。

 

 それが、彼女に戦うほどの気力を取り戻させたのだとは、断じてサターンも想定しないのだけど。

 ゼロから須臾にでも、失ったものを取り返した彼女となったことを、サターンは軽視していない。

 きっとそれは、ミミロルが勝手に飛び出してきたという、その一事のみで生じたものではないとサターンには思えてならないからだ。

 確かに目視した、パールの異質な挙動を、敢えて見過ごしさえしなければ。

 脳内に謎の声が響いたパールと同じ経験をしていないサターンにも、今の己には想像も及ばぬながら、何か特殊な事象があったのだと目を背けられない。

 これを甘く見ぬからこそ、サターンはギンガ団のボスに次ぐナンバー2として、その確固たる地位を築いてきた器の持ち主だとさえ言い切れる。

 

「ドクロッグ」

「――――?」

「葬れ。無様な戦いぶりを見せるんじゃないぞ」

「~~~~♪」

 

「ま、待って待って、やめてえっ!!

 ミーナっ、お願いだから戻っ……」

「ッ、――――――――z!!」

 

 サターンにミーナを傷つけぬよう、ミーナに戦うことをやめるよう訴えるパールの叫び声を、息を吸ったミーナが全力の大声でかき消した。

 退けるものか。ここで私が戦わなければパールはどうなる。

 何が何でもお前になんて負けるものかと眼をぎらつかせるミーナに、対峙するドクロッグはにやりと笑った。

 

 なるほど、サターンの言うとおりだと。

 相手を見くびるかに見えるドクロッグのようなほくそ笑んだ表情とは裏腹、その内心から油断や慢心は完全に失せている。

 殺戮ショーさえ厭わない。目の前の小兎を見据えるドクロッグの抱く想いは、まさしく獅子搏兎に他ならない。

 

「やめ……」

 

「行け! ドクロッグ!」

「――――z!!」

 

 もはやパールの悲鳴めいた声など、闘志溢れる者達の世界では部外者のそれでさえあった。

 サターンの号令と共に駆けだすドクロッグと、それ以上の走力で以って正面衝突さえ厭わぬ勢いで突っ込んでいくミーナ。

 自慢の毒針を突き出す"どくづき"を突き出すドクロッグと、敵を射程圏内に捉えた瞬間に拳を突き出すミーナが、交錯するようにすれ違う。

 

「――――♪」

「~~~~ッ……!」

 

 ドクロッグの毒突きはミーナの横っ腹を僅かに掠め、ミーナの拳はドクロッグに当たっていない。

 初手を優勢の形に纏め上げたドクロッグは休む暇も与えず振り返り、ミーナに一歩近付いて手刀を振り下ろす。

 "かわらわり"の一撃がこの相手には抜群の威力を為すことを、ドクロッグはサターンに教えられずともわかっている。

 それに対して足を振り上げたミーナの抵抗は、痛烈な瓦割りの一撃を、自慢の俊敏さの根幹を為す足を傷つけてまでの防御という、諸刃の剣と言い得て妙。

 

「ッ、ッ……、――――z!」

「――――!」

 

 ミミロルの脚力は非常に強く、その足に瓦割りの手刀を打ち返されたドクロッグも、その手がじんとするだけの衝撃は得ただろう。想定内だ。

 だが、ミーナはそんなドクロッグが抱いた痛み以上のものをその足に得ながら、果敢に敵へと踏み込んできた。

 かつては脚だけで戦うしかなかった自分が今は得た、その一撃さえクリーンヒットさせられれば戦局をも変え得る"ピヨピヨパンチ"。

 一見がむしゃらに、しかし決しておざなりではなく的確に、ドクロッグにそれをぶち当てるべく拳を何度も突き出してくる。

 思った以上に前のめりで、しかしながら冷静に捌かねば危うささえ感じる気迫に、ドクロッグは後退しながらミーナの拳をガードする。

 

 退がって距離を作ろうとしても、"インファイト"さえ彷彿とさせるほどがんがん踏み込み、"れんぞくパンチ"かと思えるほど拳を繰り出してくるミーナ。

 一撃一撃を構えた拳で防ぐドクロッグも、気持ちの入った一撃ごとの重さには、目にも腕にも力が入る。

 格下だろうと全力で狩ろう、ではない。これは万に一つであれど、金星をも許し得る相手だという認識が、ドクロッグの中ではっきりと確立されていく。

 

「ミーナぁっ……!」

 

「ッ……!!」

 

 上手な勝ち方ではなく、一秒でも早く敵の息を止めるが最善と戦い方を改めたドクロッグにとって、防戦一方の展開など愚の骨頂だ。

 鋭い拳の一撃を、額を掠めるほどぎりぎりまで引き付けた上で頭を下げて躱すと、カウンターの毒突きをミーナの胸元へと繰り出す。

 戦うのをやめて欲しいと訴えるパールの声に、思わず力が入っていたミーナは、カウンターへの反応が遅れてしまう。

 咄嗟に両膝を胸元まで引っ込める、空中で丸くなるような姿勢で受け切って、どうにかボディを毒針に貫通させられる結末だけは免れるのだが。

 ドクロッグの毒針がミーナの脛に突き刺さり、ぶしっと血を噴かせた脚でよろめき退がるミーナの姿は、ただ倒れるよりも痛々しい。

 

「あっ、ああぁぁぁ……!

 お願いミーナ、もう……もう、っ……!」

 

『だまれえええええっ!!

 これ以上、あたしに、自分で自分をキラいにさせるようなことを言うなあああああっ!!』

 

「あぐぅ、っ……!?」

 

 そこにあったのは、血が滴る脚で立ちながらも、天井を見上げて大声を発するミーナの姿。

 サターンもドクロッグもそれを見届けていたとも。敵ながら天晴れと思うほどの気迫だったとも。

 だが、その大声に反応するように、頭痛を覚えたことが明らかな、両手で頭を抱えたパールの挙動がやはり異質なのだ。

 

 いったい、何が起こっている?

 当事者のパール自身にも理解できぬこの事象を、彼女が得た痛覚や聴覚を共有できぬサターンに、その本質を解析するには情報が足りなすぎる。

 だが、サターンはそんな中でさえ、最も見落とすべきでないものをしっかり見据えている。

 

 パールは未だ座り込んだまま、立ち上がる力を取り戻していない。だが、一度は完全に奪い去ってしまったはずの、意志と思考力を取り戻し始めている。

 ミーナに対し、やめて戦わないでと訴える臆病な姿、戦意を失ったと見える脅威に足るものだろうか。

 足りるに余ってならないのだ。目に見えるほど心を粉々にしてやったはずの少女が、少しずつだが、確実に、彼女本来の感情を取り戻しつつある。

 それがミミロルの足を引っ張ってくれるのか? いや、反発してでも戦う、彼女を守るために身を呈すミミロルの枷にはなりようもない。

 そして、どんなに臆病でも感情を取り戻すことさえ能えば、たとえサターンとて彼女を侮ることは絶対に出来なくなる。

 

「み……ミー、ナ……っ……」

「――――――――z!」

 

 絶対に忘れてはならない事実がある。

 あの少女は、チャンピオンに挑むべく、いくつもジムを回り、バッジを集めてきた若き芽であり、獲得すべきものを手にしてきた少女なのだ。

 だからナタネが、スズナが、シロナが――ジムリーダーが、チャンピオンが、彼女と共にギンガ団に挑むことを潔しとするほど一目置いている。

 必勝を期すならばサターンが取るべき最善手とは、彼女の心を戦うことすら果たし切らぬほど、その心を粉砕することに他ならない。

 それが、ポケモン同士の戦いを介さずに出来るサターンの最善手なのだ。

 

 どんなに頼りない少女に見えても。

 どんなに立ち直りきっていないように見えても。

 パールはサターンが目指したかった、心を失い生きた屍も同然の姿に一度陥りながら、掛け替え無い家族を案じてやまぬ彼女本来の心を取り戻している。

 ぼろぼろと再び涙を流し始めたその姿に、それは象徴されているのだ。

 ここからもしも、新たなきっかけを得て、その腰を上げるほどまでに立ち直ってしまったら?

 長らく不敗にも近い戦歴を築き上げたドクロッグというパートナーを持つサターンは、誰が相手でも負けぬという自負こそ当然あるだろう。

 だが、何度も何度もギンガ団に挑み、マーズを、ジュピターを退け果たしてきた現実的実績を持つパールの立ち直りは、サターンと言えど絶対に軽視できない。

 今、どんなに弱き少女に見えたとて、精神を侵されていない彼女が築き上げてきたものを見失うようでは、ギンガ団の最高幹部は務まらない。

 

「ドクロッグ、わかるだろう。

 もう一度言う、無様な戦いぶりは絶対に許さんぞ」

「――――!」

 

 無様な戦いぶりとは何か。単に負けることを指すのではない。

 敵の強さの本質を見失い、勝てるはずの勝負を落とすなということ。

 喝を強調するサターンの言葉に、わかっていながらその言葉を重く受け止めたかのように、ドクロッグは声を返す。

 

 長く、長く、彼が幼い頃からの、グレッグルだった頃からの相棒だからこそ、ドクロッグにもわかるものがある。

 負けるな、とも言ってくれている。勝てるはずの勝負だから落とすなと。

 どんなに厳しい言葉での発破があろうと、自分が誰にも負けない最高のパートナーであるのだと信じてくれていると、ドクロッグもまたサターンを信頼する。

 それは今も具体的な指示が殆ど無く、自身の判断に多くを委ねてくれている、サターンと己の今までどおりの関係が裏付けてくれているのだ。

 彼は勝利のためなら妥協を許さない。か弱き少女を言葉でいじめるほどに。

 そんなサターンが今、自分への具体的な指示が少ないことそのものさえ、ドクロッグにとっては自分の実力を信じられている証左に他ならないのだ。

 

「ミーナ……!」

 

 ミーナは今一度、涙声で自分の名を呼ぶパールの方を振り返った。

 パールの目がそうであるように、今の彼女を再び見たミーナもまた、その目に涙を滲ませて。

 果たしてそれは、傷ついた身体の痛みによる涙目なのだろうか。

 いかに泣き虫なミーナだと知り尽くしているパールとて、今ここで、自分の姿を見た直後、悲しみに目を歪ませるミーナをそうだとは感じられようはずもない。

 そこには、確実に、今までパールには知り得なかったミーナの感情がある。

 

 ふとした時に溢れ出る感情とは何か。

 突発的な、真の感情など存在しない。

 表面化するかしないかに関わらず、それが元よりその者の心に根付いたものでない限り、それは断じて感情とは呼べない。それは単なる"衝動"だ。

 ミーナが見せた潤みし瞳からパールが感じ取ったのは、気まぐれでもない、この時限りでもない、彼女の心に元より深く根差す"感情"に他ならない。

 

『……パール』

「ゔ、っぁ……」

『見ててよ、絶対……!

 あたし、ぜったい、あんな奴らに負けないから……!』

 

 頭を押さえるパール。

 少しずつ、彼女は脳裏に響き渡るその声の正体を、まさかと思い始めている。

 その仮説は、半ば確信めいてすらいて。

 今一度、刮目したミーナの涙目が、胸の内まで傷ついた彼女を心から案じるように、優しく微笑んだことをパールは見逃さなかったからだ。

 

 あなたを追い詰めるあいつらを、あたしは絶対に許さない。

 鳴き声にも、パールの脳裏に響く不思議な声にも表されずして、再びドクロッグを見据えたミーナの背中に、その意志は無言にして雄弁に顕れている。

 

「ッ、ッ……!

 ――――――――z!!」

 

 地下施設の遥か彼方まで届くような、過去最大の大声を発するミーナの咆哮、可愛らしくも決意に満ちたそれが、歴戦のドクロッグさえをも身構えさせる。

 サターンもだ。負けるはずのない相手だと認識しながらだ。

 何よりも、その声に身を震えさせられるパールが、思わずぎゅっと両手を握りしめたことこそ、この苦境の中では例えようもなく大きい。

 その手を握りしめるパールの所作は、かつていくつもの苦境に直面するたび、勝ちたくて拳をぎゅっとしたあの日々に、実に近しいものだったのだから。

 ミーナが呼び覚まさんとしているもの。ミーナ自身はそう意図していなくても。

 勝ちたいという意志、そのために声を紡ぐ知識、そしてそのすべてを為すためのパールにとっての根幹を為す感情。

 消えるどころか絶望の灰に埋もれ、二度と灯されることはなかったかもしれぬパールの精神の灯は、少しずつ、確かに、蘇りつつあるのも確かなのだ。

 

 絶望的な状況は何一つ変わっていない。

 パールを滅さんとする敵は、ほぼ無傷にも等しい身体で慢心すら捨て去り、心身ともに付け入る隙一つ無い。

 それでもこの死線を打破するために、立ち向かわんとする家族がパールのそばにはいる。

 座して戦わぬ者に希望は訪れない。希望というものがあるとすれば、立ち向かうものにしかもたらされない。

 今だ立ち上がれぬ少女を守るため、決死の覚悟で戦わんとする者がいる。それが命運の分水嶺たり得るそのものだ。

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