ミミロルであるミーナの最大の強みはその敏捷性だ。
片脚を傷つけられてももう片方の脚に力を入れ、横っ跳びにドクロッグの毒突きを躱す瞬発力はやはり優秀である。
着地も片足、傷ついた方の足先は床に添える程度、軽い身体の勢いはそれで殺せて止まれる。
蹴り出す片足の力でドクロッグ目がけて矢のように迫り、血の噴き出る脚を突き出して跳び蹴りを撃つ。
交差させた両腕でガードするドクロッグであるが、つまり躱せぬほどクイックショットだったということだ。
激突の衝撃を一歩ぶん退がることで逃がすドクロッグだが、お腹に力を入れたミーナはぐいっと体を曲げ、ドクロッグの両肩を長い耳でぎゅっと掴む。
逃がさず、引き寄せ、あるいは自ら相手の身体に密着しにいって、縮めた両足をドクロッグの腕に押し付けて。
全力で蹴ると同時に耳を離し、自身最高の力で蹴り飛ばす。
たじろぐドクロッグと後方に跳ぶ形で宙返りするミーナ、相手によってはこれでも充分とどめにもなり得る強力な一撃には違いない。
「――――♪」
「ミーナっ、ミーナっ、だめっ、逃げてえっ!」
「…………ッ!」
しかし、相手は格上だ。腕が痺れこそしたものの、すぐさまミーナに差し迫り、着地直後の敵めがけた毒針による一突きを撃つ。
額を貫かんとする一撃をかがんでかわすミーナの動きは、小柄な相手の常套手として、歴戦のドクロッグにも見慣れたもの。
フェイント同然の毒突きに続き、低姿勢となった敵が次の攻撃に移るより早くドクロッグの本命打は、すかさず逆の手を振り下ろす"かわらわり"だ。
これは躱させない。一撃で確実に仕留める狙いですらある。
ミーナは躱さなかった。
しゃがむために縮めた脚を、跳び上がるかのように力強く伸ばし、自身の脳天を叩き割らんとするドクロッグの手刀に自ら向かったのだ。
両手をその手刀に向けてだ。腕の力ではなく、自分の一番の自慢の力が出る脚による、殆ど拳を突き出す体当たりめいたピヨピヨパンチ。
2対1の両者の拳は、骨が軋むような鈍い音を響かせ、苦悶に表情を歪めるミーナと眉をひそめるドクロッグ双方にダメージがある。
だが、涙目片目をぎゅっと閉じて歯を食いしばったミーナと、ちっと多少の手こずりに舌打ちする程度のドクロッグ、ダメージの大小は明白だ。
よろめくミーナを、振り抜くミドルキックでドクロッグが蹴飛ばした。
受ける直前、なんとか"まるくなる"ことで防御態勢を取れたミーナだが、壁面まで蹴り飛ばされて背中から叩きつけられる。
"けたぐり"にも"まわしげり"にも見える一閃の蹴りだが、相手にダメージを受けた怒りを込めた"リベンジ"の一撃というのが本質だ。
蹴られた瞬間と壁に叩きつけられた瞬間、その二度に渡りパールの耳には、ミーナの骨が砕けた音が聞こえたような気がした。
「あっ、あ……っ!」
『だめ……! ぜったい、だめえっ!』
もう無理、これ以上粉々にされていくミーナを見ていられなくなったパールは、彼女を戻すためのボールを手にしていた。
だが、パールの頭の中に響いた声、そしてそれに伴って生じる凄まじい頭痛が、思わず彼女に両手で頭を叶えさせる。
それと同時に落としてしまったミーナのボールは、かつん、かつんと床を転がりパールから離れている。
「何だと……?
まさか……」
「――――z!」
完全に異常な挙動だ。
涙が溢れた目でミミロルのボールを手にしたパールの心情など、サターンの目にも明らかだったはず。
その必死な行動を遮った、頭を抱え込む挙動は頭痛の伴いにしか見えず、それはミミロルを戻すというサターンにとって有利な行動をふいにさえした。
何かがおかしい。それも、サターンにとっての都合の悪さが確実にある。
仮説ひとつ想定し、警戒心を強めたサターンの心情を察したか、弱ったミーナを猛襲するドクロッグの接近は相当に速かった。
「ッ、ッ……!」
「ドクロッグ」
串刺しにする勢いで毒針を差し向けたドクロッグの一撃を、軋む全身で必死で地を蹴ったミーナが跳躍で以って躱す。
ミーナの跳躍力からすれば低くすらある天井、そこに辿り着くまでに身を回し、天井に両足を着ける。
直後にそこを蹴り、重力を味方に付けた弾丸めいた突きの蹴りを繰り出すミーナは、壁面に毒針をがちんと当てて手を引いたドクロッグに迫る。
具体的な指示こそ無かったものの、上から飛来するミーナの攻撃をドクロッグは素早く跳び退がることで躱した。
はずした蹴り、強い勢いでの着地、健康な脚ならともかく片脚の傷ついた今、この着地だけでもミーナにはつらい。
動きの止まったミーナへ即座に距離を詰めたドクロッグによる毒突きを、ミーナは辛うじて身を逃すことで直撃を免れはするけれど。
「ミーナ、っ……!」
『そうじゃない!
そんなの聞きたくない!』
ドクロッグの毒針はミーナの腕を掠め、続けざまに連続で放つ毒突きを、ミーナは躱そうとするもまた耳を掠める。
直撃こそしないだけで、一突きごとに身体のどこかから血が噴き出る光景は、パールにとっては拷問のようだ。
反撃の隙も与えぬ連続攻撃を繰り出すドクロッグの狙いどおり、反撃すら叶わず逃げ惑うミーナ。
失う血だけに留まらず、毒針が皮膚の下に触れるたび、その毒によって体力も消耗するのだ。
肉体が限界を迎えるにつれて、元より傷ついている片脚の痛みも、そこに流れた毒の回り、ミーナの動きも鈍くなりつつある。
喧嘩することもあったけど、大事な時にはよく頑張ってくれた、可愛い、愛着いっぱいポケモンが、なぶり殺されゆく光景のつらさは語るに及ばない。
『あたしを……っ、勝たせてくれるんじゃないの!?
パールって、そういう人だったよ! ずっと!』
「あっ……うっ……」
ドクロッグの毒突きが、ミーナの脇腹に深く突き刺さった。
弱った小さなミミロルに対しては、とどめの一撃と見るには充分でさえある。
それでも、ぎらっと目を光らせたミーナが振り上げた足を、逆の腕で防いで顎を蹴り上げられることを防いだドクロッグだ。
それによって後退したミーナが、自らに刺さっていた毒針を引き抜く姿を前にして、目を光らせるドクロッグに油断など一抹もない。
『あたし、勝ちたいんだよ!
あたしがパールに言って欲しいのって、そんなのじゃない!』
『コウキ!!』
「ぐ……っ!?」
床を蹴って跳躍したミーナは、"とびはねる"行動の末に天井まで飛びついた。
その時、サターンもまた事象の本質に触れていたのだ。
脳裏に響いた誰のものとも知れぬ声、そして伴う強い頭痛。
聡明なサターンであれば、何度も目の当たりにした頭を抱えるパールの姿から、そして我が名を呼ぶその声の主も、これですべて確信できただろう。
「………………が……っ……」
天井を蹴ってドクロッグに差し迫ったミーナ。
決死のその一撃も躱し切ってしまうドクロッグ。
ぼろぼろの身体での着地、その直後ですぐには動けない小さなミミロル。
これで終わりだ、いや、これで終わらせねばならぬ厄介な敵だと、とどめの一撃を振り下ろすドクロッグ。
今のミーナにはもう、"かわらわり"を躱す余力は残されていなかった。
「がんばれぇーーーっ!!
ミーナぁーーーーーっ!!」
そう、それが聞きたかった。
指示なんかじゃなくたっていい、ただそれだけでいいんだ。
あなたを守るために死んだって構わない気持ちで挑んでるあたしを、逃げろと訴えるんじゃなく、勝って欲しいと願ってくれるあなたの声。
「ッ~~~~~~!!」
「…………っ!」
大事な場面では、やっぱりパールにとっては、ピョコやパッチ、ニルルの方が頼もしかったんでしょう?
あなたにとって一番頼りになるどころか、一番頼りないような気がする自分のことが、ずっと、ずっと嫌いだった。
だけど、あたしだって、あなたと一緒に、みんなと一緒に、頑張ってきた家族なんだよ。
これだけ強い相手にだって勝って欲しいって心から願ってくれるんだったら、きっとあたし、今までで一番自分のこと好きになれる自信がある!
「ドクロッグ……!」
両手を構えてドクロッグの瓦割りを受け切ったミーナは、全身全霊の底力を振り絞って"こらえて"みせた。
決死の一撃を放っていたドクロッグを逃がす間を許さず、そのままミーナは両脚で足元を蹴り、頭を床に打ち付けることも厭わず体を逆さまにする。
その末に突き出す両足の蹴りは、パールが"メガトンキック"と称してきたミーナの一番の必殺技であり、"かつては"メリッサにやつあたりと呼ばれていた技。
彼女が繰り出せる最高の威力で顎を蹴り上げられたドクロッグは、身体が浮くほどの衝撃を受けながら、辛うじて両足での着地を叶えていた。
すぐにぐいと顎を引き、蹴った反動で後頭部を固い床に打ち付けたミーナが倒れている姿を前にして、その目には痛みに対する怒りより賞賛の色が勝る。
なおも立ち上がろうと、力の入らぬ手で床を引っかこうとするその姿を前に、よくもという想いよりその執念への賛辞が先立つのだ。
「ッ……!」
「だめえええっ!! もうやめてえっ!!」
倒れた相手への死体蹴りの如く地を蹴ったドクロッグだが、飛びつくようにミーナのボールを拾い上げたパールが、そのスイッチを最速で押していた。
動けないミーナの心臓を毒針で貫くことさえ厭わぬ勢いだったドクロッグの前から、ミーナはボールへと戻され消えていく。
仕留め損ねたドクロッグも、当て逃げされたことへの怒りの感情は一切無い。
小さく未熟な身体ながら、類まれなる執念を見せた窮鼠を、戦闘不能にして戦場から排斥できたその一事で、ドクロッグにとっては充分満足なのだ。
ミーナのボールを両手で握りしめ、座り込んで泣きじゃくる少女の横顔に、強さが取り戻されたとは思えない。
だが、サターンは今の現状を、断じて楽観視できたものではない。
それを強調するかのように、彼女がその手で次のボールを手にせずとも、鞄の中のボールから飛び出してきたもう一匹がいるではないか。
これまでに知り得た情報の数々から、あれが恐らくパールの最後の一匹であろうとは推察できたとしても。
それが決して大物とは見えぬルクシオであったとしても、ミミロルを自分のドクロッグに一矢報いさせるほどの、彼女のポケモン達を甘く見られようものか。
『パール』
「ううっ、えぐっ……
パッチぃ、っ……!」
『怖がらなくたっていい。あなたには、私達がいる。
こんな奴らに、大事なあなたを傷つけさせたりなんかしない……!』
『コウキ! 手をこまねいてる場合じゃない!
あたし達の力を最大限発揮しなきゃ、本当に足を掬われるよ!』
「っ、く……!
エムリットの、力か……!」
パールを、サターンを苛む頭痛と同時に、彼女を、彼を勝利へと導かんとする、強い感情が迸る声が脳裏に響き渡る。
囚われの身であるエムリットが、苦しみに耐えて目を閉じず、全身に力を入れている姿をサターンは振り返る。
自分達をここまで助けにきてくれたパールのために、自分達が助かるためではなく、彼女が敗北し血の海に沈むことを阻みたい一心で。
今だ常に与えられる苦痛と、長らくそれが続けられて弱った体では、きっとその力は望むままには扱いきれないのであろうけど。
それでもエムリットの力が、本来決して実現され得ぬはずの、人ならぬ者の感情を言葉に代え、それと心を通じ合わせるに値する者に言葉を伝えさせている。
パールにとってのミーナとパッチがそうであることを信じ。
そして制御の不完全なその力は、サターンとドクロッグがそうであるゆえに彼らにも同じ現象を実現させ。
決してパールだけの利と出来ぬ不完全さが、サターンに今起こっていることを確信させてしまう塩さえ送っている。
これが神話に名を連ねるエムリットの力なのか、と感じる衝撃性さえ、目前の難敵を意識するサターンは心の奥に封じ込む。
人と、ポケモンが、心をこうして完全に通じ合わせたら。
前例の無かった出来事とは、それが起こる前には絶対にあり得ないとさえ断じられたはずの、そんな結末をも招くきっかけにさえなり得るものだ。
ドクロッグというベストパートナーを持つサターンの、絶対的な勝利への自負も、この異常事態の前では絶対的ではなくなってしまう。
『応援してくれるよね、パール。
ミーナもそうだよ、あなたが私達に勝って欲しいと望んでくれるだけで、私達はどこまでだって戦える!』
「パッチ……」
『あなたが私のトレーナーでよかった。
ずっと大事にしてくれて、私をここまで強くしてくれた、世界で、一番、大好きだって思わせてくれる人で……!』
パールを一度振り返り、この苦境の中で、本当に穏やかな表情で微笑み、彼女への親愛"感情"を心いっぱい表した。
そうして再びドクロッグを、そしてパールの命さえ奪わんとするサターンを前にして、ぎりとパッチは歯を食いしばる。
たとえ明日以降、一度も勝利することが出来なくたって。
この日だけは絶対に勝つんだと心から決意したルクシオの全身が、かつてないほどの光を放ち、薄暗いこの一室を光でいっぱいにする。
サターンが腕で目を覆い、ドクロッグが目を細め、その眩しさに敵の姿を見失う、悪の巣窟の中心で太陽のように輝く"意志"がそこに煌めいている。
それは、今この場で自分が最高以上の力を発揮するために、何が必要不可欠か、歴戦のルクシオにもたらされた"知識"がこの世に顕現した象徴だ。
その強い光を前にした中で、パールだけが目を閉じていなかった。
目を刺すほどの眩しい光が、彼女だけを傷つけななかったのは、彼女の勝利を望む三柱の力の余波がもたらした奇跡のようなものだろうか。
その光の中で、ゆっくりと姿を変えていくパッチの一部始終を、パールはその目ではっきりと見届けている。
きっとそれは、絶望の中にあった彼女の心に、救いの手を差し伸べてくれる大切な家族の姿そのものだったとさえ言える。
立ち上がることさえ叶わなかったパールは、その光景を前に、ぎゅっと握りしめた拳を床につけ、ゆっくりと立ち上がることを実現していたのだ。
「ドクロッグ……!」
『シロナとやり合うつもりでいこう……!
たとえ今日限りであったって、こいつらはそれに値する連中だ!』
チャンピオンにも匹敵する相手だとさえ認識した上で戦え、という過剰にも聞こえるドクロッグの主張に、サターンは迷いなく頷いた。
やがて、光が消えていって、敵の姿が目前に晒された時。
そこにあったたのは、小さな体ながらもミミロルの前例を見る限りでは侮れぬとした、ルクシオの姿ではない。
勝ちたいという感情、それを絶対に果たすという意志、そして今までの自分では勝てない相手だと認めてこの姿となった知識を併せ持つ、脅威に値する存在だ。
幼かったコリンクの姿から、長い時と並々ならぬ修練と成長を果たし遂げた最後の姿、レントラーを前にしたサターン達の戦慄は尋常ではない。
その後ろで、あれほど打ちのめされて力を失っていたパールが、ついに立ち上がっていた姿も含めてだ。
「パッチ……っ」
『……あなたには、私達がついてるわ。
忘れないで。今も、これからも』
こんな所であなたを、あんな奴らに奪わせはしない。
そう具体的に言葉にする以上に、ずっと強い感情で訴えるパッチの言葉に、パールはぐしっと涙を拭った。
勝つしかないのだ。そして、それを叶えようとしてくれる仲間がいるのだ。
都合のいい時に現れて救出してくれる名も無きヒーローではなく、ずっと自分のそばにいてくれて、共に勝利を掴み取ってきてくれたひと。
信じられなくてどうするのだ。自分自身以上に信じられる、信じたくてしょうがない誰かがここにいてくれているじゃないか。
今ようやく、パールは、あるべき正しい答えに辿り着けた。希望を繋いでくれたミーナ、そして目の前の彼女によってだ。
「お願い、パッチ、頑張って……!
私……私まだ、みんなと一緒にいたいよ……っ!」
一度は死さえも覚悟した彼女が、心からこの窮地から生き延びることを望んでくれることが、どれほどパッチの力になったことだろう。
百人力という言葉で足りるようなものじゃない。培ってきたこれまでの力を、進化という特別な現象にまで繋げ果たしてくれたほどの力。
人にだって、誰にだって、一生に一度は、ここだけは絶対に落とせない、落としたくないと強く望む局面が必ずある。今が、その時だ。
「――――――――――z!!」
彼女が望んだ、大好きな家族と一緒に過ごせる明日を迎えたいという想い。
それを叶えんとするパッチの決意を象徴する咆哮は、サターンやドクロッグの耳を劈くほどのものとして響いた。