ポケットモンスター・パールストーリー   作:ましゅ

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第125話  主役と脇役

 

 

 深い霧と、足を踏み外せば真っ逆さまの山肌という環境の組み合わせは恐ろしい。

 そんな中でも、危険予知能力に秀でるドクロッグの足は、まるで見拓かれた平地を走るかのように迷いが無い。

 3メートル先も見えない濃霧の中、もう半歩踏み込んでしまえば滑落という場所でも、見えていたかのように方向転換する。

 そしてその能力を知り、全幅の信頼を置いているサターンは、ドクロッグの踏みしめた足音の聞こえ所を追って踏めば、必ず地に足を着けて走ることが出来る。

 たとえ目を瞑っていたとしても、ドクロッグを先行させればそれを追うだけで、サターンはどこだって駆けることが出来る。

 

「ふん、所詮は小細工だな。

 甘く見られたものだ」

 

 きっとこの霧を作り上げている奴は、そのからくりにも気が付いたのだろう。

 上空から何らかを振らせ、地面をがすがすと打ち据える弾により、ドクロッグの足音に近いものをこの霧中に鳴り響かせる。

 相棒の足音の出所を頼りに駆けるサターンの、耳を惑わす戦法だ。

 しかし、二十年以上も共に戦ってきたドクロッグの足音を、そんな小細工で聞き違えるわけがあるまいと、ただただサターンは嘲笑するばかりである。 

 

「――――z!」

 

「いいぞ、叩きのめせ」

 

 声使いとその強さ、それだけでドクロッグが"やるぞ"と意気込んでいるのがサターンにはわかるのだ。

 静かな声で、迷わずやれと背中を押したサターンの声により、ドクロッグの踏み込みは勢いよく。

 この深い霧を生み出す一因である存在に向かって、"どくづき"の一撃を矢のような自らの射出速度で放つ攻撃は、視界の悪いこの中で敵に回避を許さない。

 

 濃霧を破って突然目の前に現れたドクロッグを、そのユキカブリは防御すらままならず、その胸元を深々と突き刺される。

 毒に弱く、それもチャンピオンの切り札クラスにハイレベルな個体の一撃を急所に受けたユキカブリは、即座にボールへと戻されていった。

 ユキカブリのトレーナーもまた、致命傷を受けた鋭い呻き声だけで、危険な状態だと悟る程度には勘が良い。

 

「観客席から芥を投げるのは、そろそろやめて貰おうか」

 

 雑魚一匹仕留めたぜと自慢げな表情でバックステップして、相棒のそばへと戻ってきたドクロッグ。

 そんなサターンの背後から吹く追い風は、目の前の霧を一気に吹き飛ばすドンカラスの"きりばらい"の風。

 濃霧を生み出していた一角が欠け、新たな深い霧を生み出すことの難しくなった立役者は、サターン達の前方の山の斜面で彼らを見下ろしていた。

 

「流石は噂に名高い悪党集団の参謀格ね。

 本気を出したマキシさんが敗れたっていう話もうなずけるわ」

「この寒い中で随分と気合の入った格好だな。

 肌を見せれば男が相手なら目を惹けるとでも思ったか?」

「お生憎様。

 あたしはいつでもこれが普段着で勝負服よ」

 

 標高が高く、雪国キッサキシティにも匹敵する寒冷地にありながら、短いスカートで袖も半ばの薄着のスズナは、自らの着こなしを今日も貫いている。

 低所から覗き込むような首の動きで、女性を辱める目線を演じるサターンの声は嘲笑含みで、スズナもスカートを押さえつつ不敵に笑う。

 強しと名高きジムリーダーに対し、激突寸前にして戦いには必要の無い所作。サターンが醸し出すその余裕。

 ジムリーダーとしてのプライドにも触りかねない舐め腐った態度ながら、スズナも敵の強さを認めているから心乱されない。

 僅かでも敵の冷静さを崩せれば儲けもの程度の心理戦では、やはり百戦錬磨のジムリーダーの精神を微動だに揺らすことすら叶わない。

 

「ご退場頂こうか、脇役二名。

 舞台に上がる資格も得られぬまま、観客席から野次は愚か礫まで投げられては迷惑だ」

「ふふっ、これでもシンオウ十指に入るだけのトレーナーだとは自負してるんだけど。

 そんなあたしでも役者不足?」

「観客はいつだって愚かだ。

 うすら浅い見識で以って、役者を批評し自分の言うとおりにすればもっと良くなると言わんばかりにご高説を垂れる。

 自身が舞台に上がれば恥をかいて泣くだけの木偶に過ぎぬのにな」

 

 スズナの脇にはユキノオーが立っている。

 スズナを毒突きで貫くことも厭わぬドクロッグが、彼女に直接手を出せぬのはそんな護衛がいるためだ。

 そしてアカギのドンカラスもご主人から離れたこの場所で、賢しくサターンの後方離れた位置に、迂闊に敵の攻撃を受けぬ空にて身を浮かせている。

 氷ポケモンの使い手を前にして、無用なリスクを踏まぬ位置取りだ。

 

「貴様らに出来ることは、芯の通った演者に無力な罵声を浴びせかけ、歓声に満ちた終幕の中で肩身狭く惨めに屈するのみだ。

 恥をかきたくなければ大人になることだな」

「あんた達は名優じゃないわ。

 誰も招いていない場所で勝手に場所を占有し、顰蹙を買いながら自己陶酔するだけのならず者よ。

 つまみ出す自治体の手を煩わせる迷惑な自分を誇らしげに思う子供の遊びは、そろそろ卒業して貰えないかしら?」

「まさに暴徒だ。

 チケットも買わずに乗り込んできて、身勝手な言動で舞台をぶち壊しにする。

 秩序の番人に罰せられるべきはどちらかね」

 

 互いに認め合わぬ主張を諧謔めいて語り合う二人の言葉の中でも一際聞き逃し難いのは、合間に挟むサターンの核心的言葉だ。

 脇役二名、貴様"ら"。

 ギンガ団に逆境を強いようとするのが、スズナ一人ではないと既にサターンは看破している。

 霧の晴れた明るい視界内にありながら、サターンは決して潜伏する者達を目で捉えてなどいないはずなのに。

 それこそが、この寒い中でスズナに冷や汗さえつたわせるほど、やはり恐るべき悪の参謀格だと感じる最大の所以である。

 

「まあ、せっかく来てくれたんだ。ギンガ団なりのもてなしをしよう。

 観戦料を徴収する程度のことはさせて貰って構わないはずだ」

「ふふ、思ったよりも良心的。

 気に入らない奴はつまみ出すようなことはしないんだ?」

「勿論だとも。

 命で支払ってくれれば結構だ」

 

 サターンを追い抜いて、一気にスズナの元へと駆け上がっていく一つの影。

 彼女を鋭い爪で貫き、心臓を抉り出すことも厭わない非情の凶刃だ。

 だが、ほんの僅かも怯みさえせず、腰の横でボールのスイッチを押したスズナの喚び出した存在が、その血塗られた刃を交差させた腕で受け止める。

 さらには返す刃で降り抜いた足で、カウンター気味に敵を打ち返さんとする。

 疾風怒濤の勢いの中では正体さえ視認しがたい速度であったそれは、反撃の蹴りを大きなバックステップで回避し、サターンのそばへと着地する。

 

 スズナの周りを固めるのは、ユキノオーとチャーレムだ。

 サターンのそばにはドクロッグとアカギのマニューラ。

 さらにはその後方に、いつでも支援狙撃を打ち込めるドンカラスがいる。

 図式は3対2。さしものスズナとて、三匹目を出してすべての力を引き出すほどの指示を下せるか否か、それは決して良い回答を得られるものではない。

 元よりご主人のそばを離れようとも任務を為せるよう、自己判断能力に特化されたアカギのポケモン達は、指示を必要とせず最善を果たせるのに。

 この状況の危うさを楽観視できるほど、スズナはレベルの低いトレーナーではない。

 

「演者を侮辱したんだ。

 せいぜい我々の目を楽しませてくれ。

 血の海に沈む貴様が泣いて謝る姿でも、下手な演劇よりは見栄えのいい物語になるだろうさ」

「そんな脚本しか書けないからあんた達は三流なのよ……!

 世を乱すことを歓楽だと勘違いした、風刺と悪行を混同した屑がこの世に憚ってはならない!

 ユキノオー! チャーレム! 正すわよ!」

「所詮、凡の正義感だ。

 いくぞ、ドクロッグ。現実を教えてやれ」

 

「「――――――――z!!」」

 

 ユキノオーとチャーレムが。ドクロッグが。

 ご主人の想いに応えて声高にする咆哮めいたものに応じ、マニューラやドンカラスも同様の声を発している。

 それはこの世界を歪んだものへと進めることさえ厭わぬ、ギンガ団の尖兵の狂気に染められた尖兵の声に、それを為させてならぬと吠える声が重なる不協和音。

 正義とは何たるや。勝った者が正義だ。敗者は意志を貫き通す道を断たれ、勝者のみが我が道を歩む権利を得る。

 己の正しさをこの世界に訴んとせん中で、死人に口無しという一つの真理はあまりにも重く、それは誰にも覆せない。

 

 わかっているから負けられない。わかればわかるほどにだ。

 気迫を露わにするスズナに対し、飄々と落ち着き払った素振りのサターンでさえ、その内心は何ら変わらぬはずである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルビー! 捕まえるわよ!」

 

「ゲンガー、凌げますね!?

 フワライド、サポートを!」

 

 サターンとスズナの戦いが始まった場所からそう遠くない。

 浅雪の垣間から岩肌が覗く足場の悪い山肌で、ヘルガーがゲンガーを"かみくだく"べく襲い掛かる。

 かろうじて身を逃したゲンガーのそばで、がちんとヘルガーの牙が噛み鳴らされるが、狙い棲ましたその一撃はゲンガーのすぐそばで空振っているだけ。

 すぐに口を開いて首を回せば、ぎりぎりの回避で体勢が崩れかけているゲンガーに、痛烈な一撃を与えるに至れる局面だ。

 そこに上空から"かぜおこし"で支援攻撃するフワライドが、ヘルガーを僅かに怯ませると共に、ヘルガーから離れようとするゲンガーを押してくれる。

 上空から狭い狭いゲンガーとヘルガーの間に強い風を叩きつけたフワライドは、敵を退け味方を救う風を叶えることに成功しているのだ。

 

「スカタンク、驚かせてやりなさい」

 

 2対1の構図ではない。ヘルガーにも味方はいる。

 上空で支援に徹するフワライドに向けて、スカタンクが放つのは"あくのはどう"。

 ゲンガーを支援するために高度をある程度下げていたフワライドは、身を逃がそうとするも凌ぎきれず、直撃こそ免れたものの身の端を焼かれている。

 急所に当たらずとも痛烈なのだ。悪タイプのスカタンクが放つ自慢の一撃は、それを弱点とするゴーストタイプの相手には実に有効だ。

 

「コソコソ戦う奴に限って、いざ種が割れて直接対決となれば弱いのよね。

 ジムリーダーって言う割には大したことない感じ?」

「ふふ、マーズ、あまり言い過ぎてあげるもんじゃないわ。

 所詮は脇役、チャンピオンの腰巾着を高く見過ぎるものじゃないわよ」

 

「やれやれ、返す言葉もありません。

 実際、アタシはエキストラですからねぇ」

 

 トランシーバーを手にしたまま戦うマーズとジュピターの姿を前にして、メリッサは苦笑いでこの苦境への感情を誤魔化している。

 霧に紛れてアカギやサターンの足止めに手を尽くしていたが、想定よりもずっと看破されて居所を掴まれるのが早い。

 きっと、この二人が自力で気付いたわけではないだろう。メリッサも人を見る目はある方だと自負している。

 状況を冷静に見極めたサターンかアカギ、それがこの二人を自分に差し向けてきたのだと、確かめるまでもなく確信できるほどだ。

 

「脇役のままここで人生を終えたくなければ、さっさと回れ右して帰りなさいな。

 生きて帰ることさえ出来れば、みんながちやほやしてくれるじゃないの」

「フフッ、羨ましいですか?

 あなたの眼差しには皮肉に隠したジェラシーが見え隠れしますよ?」

「まさか。

 ジムリーダー如きの器に収まることを選び、その力を行進のために振るい自らのために用いないなんて、そんなつまらない人生はまっぴらだわ」

「あなたはそれが叶えられなかったから、自らに勝る力を持つ者の下につき、悪行を重ねることを選んだのでしょう?

 それもまた貴女の人生です。ダーティに輝いてますよ」

 

 ゲンガーがメリッサのそばへ、フワライドが高所に構え直す中、ジュピターとメリッサはお互いに強く揺さぶり合う。

 年の功かジュピターの痛いところを突くメリッサだが、ジュピターもまた自らの泣き所を突かれて怯むほどその芯は弱くない。

 腹は既に、遥か昔から据わっている。そうしてここまで来たのだ。

 

「ブルー! 行きなさい!

 どうせこのババアはジュピターに喋る時間与えても揺れないわ!」

「あらあら、ナイス判断かもね!

 スカタンク、あなたも行ってらっしゃい!」

「ゲンガー、フワライド、迎え撃ちますよ!

 アタシのことは気にせずファイトなさい!」

 

 舌戦が効果的でない相手だと感じるや否や、力でねじ伏せることを選んだマーズの判断もまた的確だろう。

 ジュピターもそれに合わせて強襲へと移り、火炎放射でゲンガーとメリッサを纏めて焼かんばかりの攻撃だ。

 トレーナーアタックはポケモン達を変貌させてしまい得る危険な一手でもある。それさえも厭わない。

 この日がギンガ団の悲願叶えられし運命の日と信じているジュピター達にも、明日のことなど考えない覚悟が備わっている。

 

「醜い……!

 これだけの力を身に付けながら、胸を張れることにそれを向けられないとは……!」

 

 短い一つの形容詞で以ってマーズとジュピターの凶行を断じ、火炎放射を右に躱したゲンガーとは逆の左へと身を逃がすメリッサ。

 自分が回避することも計算のうちで、殺意さえある自分達だと脅しをかけてきたのだとはメリッサも感じている。

 渦を巻くように迫った炎の砲撃が身のそばを通過し、肌が焼けるような痛みに表情を歪めながらも、その瞳には次第に激情が浮かび上がってくる。

 

「あんたの身勝手な価値観であたし達の思想を物語って欲しくはないわね!

 あたしは今でこそ満足よ! 果たしたい未来に向けてこの力を活かせる! たまらないわ!」

「同じことを過去の自分に言えますか……!

 失望した幼き自分に白い目で見られることを恐れずに!」

「ガキの安い感情なんぞ知ったこっちゃないわ!」

 

 ヘルガーの牙がゲンガーを捕えかけたところに吹くフワライドの強い風が、ダメージを避けるヘルガーを一度は翻弄する。

 ゲンガーから距離を取られ、その手を向けられたところでヘルガーも、ならばと口を開いて火炎放射だ。

 "ナイトヘッド"を放とうとしていたゲンガーは、迫る炎を目の前に両手から発する力を"サイコキネシス"に代え、炎を操り上方へと曲げる。

 まさに自らを呑み込もうとしていた炎を、すんでのところで両手を振り上げたゲンガーの力により、僅か指先を熱くさせる程度に炎は空の彼方へ消えていく。

 

「勝ち取ることでしか得られないものが欲しい時、あなたはどうするの?

 敵対する者の望みを踏みにじるのか、諦めるのか。

 自らの望みに蓋をして、相手の希望を潰さぬように退くのが優しさだと?

 つまらない人生の始まりよね!」

「ロジックで繕わねば正当化できない信念に正義などありません!

 フワライド!!」

 

「――――z!」

 

 いつの間にか"たくわえて"いたフワライドが、"はきだす"ことでヘルガーとスカタンク双方に、空気の塊のようなものを発射した。

 歪んだ大気の凝縮体は目に見えづらく、しかし危険な一撃だと本能的に察したターゲット両名も、追撃を遮断して退き躱す。

 地面に着弾したそれらは岩盤を破壊するほどの爆発を起こし、爆心地から離れたヘルガー達に岩の礫をぶつけるほどの威力を見せ示した。

 可燃性の強い気体の凝縮体に火をつけたかのような爆裂は、直撃していれば只では済まなかったことなど見るも明らかだ。

 

「ゲンガー!」

「スカタンク、撃て!」

 

 対象に恐ろしい幻覚を与えることで精神を著しく傷つけるゲンガーのナイトヘッド、それを差し向けられながらも悪の波動を放つスカタンク。

 ナイトヘッドを受けた瞬間、思わず振り返りそうになったかすかなスカタンクの首の動き。

 幻覚とは視覚的なことばかりではない。聴覚を揺さぶることもある。

 断末魔めいたジュピターの悲鳴を耳にさせられながらも、それは嘘だと振り切って攻撃を貫いたスカタンクの精神力は強い。

 その一撃がゲンガーを襲い、抜群の威力で以って三歩後ずさらせるほどのダメージを与えている。

 

「それが嫌で、アタシはシンオウ地方に逃げてきたんですよ……!

 心優しいポケモン達を、私欲を満たすだけに使い潰すことしか考えない、そんな世界はもう見たくない!」

「あははは、無力なあんたが去った国はさぞ薄汚れた世界だったんでしょうね!

 そして、今も! あなたにはそれを変える力が無かった!

 あたしだったら、望まぬ世界がそこにあるならそれを覆すために、手段を選ばず戦い抜くわ!」

「なにがそんな世界よ、トップコーディネーターなんでしょ?

 華やかな世界ばかり見てきたんじゃないの?」

 

「フフッ、栄えに栄えたそんな世界こそ、その裏には大きな歪みもあるんですよ……

 富を手にした一握りの者が、数多の涙も顧みず至福を肥やすだけの世界。

 ありふれたそんな国々を放浪した末に、ようやくアタシはこの楽園に辿り着いたのですから……」

 

 地方の中心に王都とでも呼べそうなほど栄えた都、華やかな世界。

 お金持ちが贅を尽くし、満たされた人生を謳歌する中、同じ都の中でさえ日陰を覗けば、貧しき者が明日の食べ物さえ約束されない下町という名のスラム。

 そんな国や地方の方がずっと多いのだ。自分自身の住まう国が、知らないだけで実はそう、なんて実状が大半を占めるほど。

 理想郷を目指して多くの世界を渡り歩いてきたメリッサにとって、格差無く人々が幸せに過ごせるシンオウ地方とは、まさに夢の世界のようだとさえ見えた。

 見たくもないものを嫌というほど見てきた大人達にとって、どれほどこの地が楽園に感じられたかなど、言うに及ばずとさえ断じられようというものだ。

 

「あなた達のように悪を自称する者達でさえ、こんなにもあなた達のポケモンに信じられ、好かれ、それに値するほどの愛情を注ぐことが出来る。

 それがシンオウ地方です! まさにユートピア!

 アタシはこの地に迎え入れられたことこそ、人生最大の幸福であると今でも信じてやみません!」

 

 両手を広げ、空を仰ぎ――いや、神おわすと信じられしテンガン山の頂を見上げ、メリッサは心いっぱいの大きな声を発していた。

 己の命も危うい激戦の中でだ。こんな時でさえ、今一度思い返せば、幸福と感謝の想いが際限なく溢れてくる。

 本当に嬉しかった、幸せだったのだ。片時たりとも忘れたことはない。

 自分のポケモンに盗みを命じ、上手くいっても収穫を横取りし、失敗して捕まった相棒が足蹴にされようとも見捨てて逃げる、そんな外道がここにはいない。

 

 あのスカタンクだって、あのヘルガーだって。

 悪行を命じられてそれに従ってしまうほど歪んだ倫理を持ちながら、常にトレーナーの立ち位置を気にしている。

 この激戦の中で、ご主人が傷つけられることだけは最優先で阻めるよう、ゲンガーやフワライドと睨み合いながら常に構えている。

 あれはビジネスパートナーを失っては困る眼ではない。

 仮にメリッサがジュピターをナイフで刺せば、スカタンクは使命感ではなく憎悪で以って、メリッサのことを死ぬまで引き裂くだろう。

 それだけ愛されるだけの情を、あの二人でさえもが身内には注いできたことが、決してメリッサには疑えない。

 きっと二人はシンオウ地方の生まれ育ちなのだ。優しい人々やポケモン達と共に幼き頃を過ごしてきたからこそ、きっとその性根には美しき魂も眠っている。

 家も無く信頼できる家族もいない、365日の垢と共に路地裏で育った幼き日々の末、大人になってしまった純粋悪とは一線も二線も画すはず。

 だからメリッサは、シンオウ地方が大好きなのだ。

 

「この理想郷をぶち壊しになどさせません……!

 あの日幼く、弱く、無力であったアタシには勝ち取れなかったものを、この楽園でまで失いたくはない!

 培ってきたこの力の使い時は、今を以って他にありません!」

「その結果、あんたが死ぬことになっても?」

「本望ですとも!」

「形無きものに身を預け、ましてその身を亡ぼすなんて愚の骨頂よ。

 年上のそんな姿、見ているだけで哀れになるわ」

「懸けられるものがある人生ほど、満たされたものはありませんね……!」

 

「……あんた、喧嘩なんて好きじゃなさそうね」

「フフッ、そうですね……

 こうせざるを得なくなってしまったこと自体、哀しいですが……」

 

 ジュピターとの言葉のぶつけ合いには熱を以って応じるメリッサも、ふっと口をついたマーズの言葉には、目尻を下げて静かな返答を返すのみ。

 戦いとは何か。己の意に沿わぬものを屈服させ、自らの望みを相手に強要する手段。

 醜いだろうか、野蛮だろうか。だが、戦うことをやめた時、戦うことそのものよりも醜い未来が待っていることもある。

 血を流すことでしか得られない平穏。それは、既に悲劇である。

 これほどまでに恵まれた地であるシンオウでさえ、そんな悲劇からは免れきれなかったこの現実が、メリッサにとっては何よりも悲しい。

 

「それでも今は大人になったのです……!

 戦うことを選ぶ勇気すら持てなかった、幼き頃の自分自身に胸を張り、あなた達に挑める己を恥や悔いなど一抹もありません!」

 

 動き出してしまった歯車はもう止まらないのだろう。

 だが、それを食い止めるためのかすかな欠片になれるのなら。

 たとえその結果、自らが磨り潰されてしまうとしたって。

 培ってきたこの力を振るい、これ以上の取り返しのつかない結末、愛してやまぬこの地が暗黒世界となる末路を阻めるなら。

 親しいシロナや、彼女と同じ志を持つスズナやスモモやナタネといった、年の離れた友人の望むであろうことに応えるためだけではなく。

 此度、たとえ及ばずとも全てを賭すことさえ躊躇わない。

 シロナに協力を求められた時にはっきりと決めた肚だ。メリッサの感情と信念が彼女自身を突き動かして今に至る、紛うことなき私闘である。

 

「さあ! お付き合いして頂きますよ!

 アタシのラストショー、見届けるまではご退場厳禁です!!」

 

 奮う魂、自ずと張らずにいられぬ声。

 敗北が死にも直結する戦いの中で、敗色濃厚の多勢に無勢。

 辿り着いた人生の終着点であると割り切ればもう恐れはない。

 きっと自分はこの日のために、苦いものを吐くほどすすりながら、長い長い旅を続けてきたのだ。

 故郷よりも深く愛せるこの地に今抱かれて。そして今なお脳裏によぎる、この地で巡り会えた眩しいほどの思い出に包まれて。

 冥利に尽きるとはこのことだ。

 

 襲いかかるヘルガーとスカタンクを前に、ゲンガーとフワライドに指示を出すメリッサ。

 じきに、ゲンガーが膝をついても、フワライドが倒れても。

 最後の切り札であるムウマージを出したその時、未だスカタンクとヘルガーには余裕が残る状況で、いよいよ絶望的な局面になっても。

 メリッサの胸の内は、表向きこそ必死の形相でありながら満たされていた。

 

 決して大いなる偉業を成し遂げられなくたっていい。

 己の人生を、いま最も信じられる、胸を張れるものに対して費やせること。

 それが、一握りの主役に選ばれなかった数多の者達が、その手に掴み得る最大級の幸福であり、決して誰にも辱められようもない偉業そのものだ。

 大人になって、メリッサが学んだことの一つである。

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