ポケットモンスター・パールストーリー   作:ましゅ

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第126話  冷たき山の中腹で

 

 

「まったく、食い下がるじゃないか。

 そろそろ引き上げた方が賢明なんじゃないか?」

「つまり、あんた達はさっさと引き上げて欲しいと思ってるのよね……!

 グレイシア! ぶちかましてやりなさい!」

「やれやれ。

 ミノマダム、わかっているな?」

 

 それは、体勢決したと言える戦況だった。残酷なほどに。

 スズナのグレイシアが発する吹雪は、あられの降りしきる環境下において必中の大技に違いない。

 全方位に向けてそれを放つグレイシアの決死の一撃を、サターンのミノマダムは"まもる"構えで無効化し。

 さらには主人たるアカギから離れて自己判断のみで戦うマニューラも、我が身とグレイシアの間にスズナを挟んで吹雪の放射領域から免れている。

 余波程度には冷気を受けても、元よりマニューラは氷ポケモンだ。

 それではたいしたダメージは受けないし、同時に、直撃を受けては流石に後々響きかねないダメージを、そうして傷を小さくする強かさを持ち併せている。

 

「ユキノオ……」

「――――z!!」

 

 そしてこの場にトレーナーのいないマニューラは、自身の判断で以って為すべき仕事を果たさんとする。

 指示を必要としないから行動も早く、スズナを傷つけまいと彼女のそばに構えるユキノオーへ急速接近し、"シザークロス"の一撃で痛打を与え。

 抜群の一撃を受けてたじろぎかけたユキノオーを前に、深追いせずにすぐさま後退だ。

 

「ッ、ッ――――z!!」

「~~~~♪」

 

 返しの撃退が来ることをわかっているマニューラだ。

 現にスズナのユキノオーは、腕を振り上げて"ゆきなだれ"の反撃を発している。

 それに対し、距離を稼いであったマニューラもまた、余裕の顔で爪先を振り上げて"ゆきなだれ"の反撃だ。

 傷を受けた怒りのエネルギーを込めたユキノオーの雪なだれと比較して、自分の発する同じ技が威力で劣ることも理解している。

 自身の技で半分相殺した、相手の雪なだれが勢いを欠いたところで、高く跳躍して迫る低い雪の波を凌ぐだけだ。

 

「――――♪」

「ッ…………!」

 

 そして、高所から撃つ"きあいだま"で以ってスズナを狙い撃つのだ。

 自身の窮地がポケモン達の足を引っ張るとわかっているスズナとて、不意より撃たれるその技を躱す足は追い付かない。

 逃げようとして凌ぎきれる確率は半々というところ。悪い方に確率が振れれば死ぬ、そんな窮地。

 とあればユキノオーが我が身を呈し、スズナの前に立ちはだかって手を広げ、その技を一身に受けるしかないのだ。

 

「とどめだ、ミノマダム」

 

 そして、ユキノオーの行動とぐらつく背中に已む無く気を取られる瞬間にも、ダブルバトルのもう一角では展開が進んでいる。

 ゴミのミノを纏うミノマダムの放つ"ラスターカノン"がグレイシアに直撃し、その足に踏ん張る力を失わせて吹っ飛ばす。

 ほんの少し前をも含めて、三発目の直撃だ。抜群の相性に加え、一度目と二度目の被弾で失ったものも含め、これはグレイシアへの致命傷となった。

 ラスターカノンには微々ながらもその光撃によって、相手の目を眩ませて耐久性を損なわせる効力があるのだ。

 持久戦に秀でることを誇る、そうと知って育てたサターンのミノマダムをして、じっくりと戦う戦略には非常に噛み合う技である。

 

「さて、いよいよ後が無いな。

 幾度もあったはずの引き際を完全に失った自覚はないか?」

「そんなもの最初っから無いからね……!」

「我々を最大限足止め出来ればそれで良し、か。

 自分がどうなろうとそれで良いと言うのなら見上げたものだ」

 

 この日スズナは間違いなく、発揮し得る限りの全力で以ってこの場に臨んでいた。

 本気を出したジムリーダーという強い表現が適切なほど、最も強く鍛え上げた手持ちを最大限に携えて。

 それでも、アカギとサターンというトップクラスのトレーナー両名の手駒に、さながら多勢に無勢で攻め立てられては分も悪い。

 今やスズナのそばに立ち、満身創痍の体で彼女を守り抜かんと息を荒げるユキノオーを除き、戦える仲間はもう残っていない状況まで追い詰められていた。

 

 メリッサと協力し、妖しい霧によって視界的にも精神的にもアカギ達を足止めしようとしていたスズナの思惑は、サターンとて既に見切っている。

 ギンガ団の宿願を阻む勢力の中にあって、最強の大駒はシロナに他ならない。

 毒を打ち込んでやった実績も記憶に新しいサターンをして、それでもあいつは必ず自分達を追ってくるだろうという確信がある。

 旧知の親友なのだ。理屈じゃない、あいつは必ず追ってくる。

 スズナ達は、シロナが自分達に追い付くための下ごしらえが出来ればそれで良いのだ。こいつらは、そのために命さえ張れる正義のともがらだ。

 

「だが、粋がった代償というものは支払って貰わねばな。

 他人事ではない現実だぞ?」

「……ええ、本望よ。

 こんな大切な時に、いざ参じればどうなるかが怖くて引きこもってる自分のことなんか、あたしは絶対許すことは出来なかったでしょうから」

 

 真正面からスズナとユキノオーを見上げるミノマダムと、側面位置から同様にスズナらを舌なめずりして狙い定めるマニューラ。

 余裕に溢れた敵を二体も前にし、自身の命を守るのは傷だらけで今にも倒れそうなユキノオーのみ。

 それが撃破されればもう丸裸だ。なすすべもなく引き裂かれるのみ。

 この現実に直面し、いよいよスズナも脚の震えを止めることが難しくなる。

 震えがこの寒さによるものではないことなど、頬をつたう冷や汗からも明白だ。

 

「あんた達の野望は、世界そのものの理をぶち壊しにさえしかねない。

 その果てには、あたし達が今まで過ごしてきた平穏な世界すら失われ、隣人と笑い合える日々さえ過去のものになりかねないものよ。

 あんたがあたしの立場だとして、じっとしてられる?」

「出来ないな」

「でしょ? だったら死ぬまで戦えるの」

「よろしい。

 敬意を払って、その覚悟に報いよう」

 

 いよいよ本当に自らの末路を意識せざるを得なくなって尚、スズナが強情に笑む姿にはサターンも頷けた。

 なるほど、説得力があるな、と。共感すら抱ける。

 発する言葉自体は狂言回しだが、決死の徒を情けにて見過ごす愚は犯さない、そんな表明でもある。

 覆しようもなく追い詰められたスズナとユキノオーへ、ミノマダムのラスターカノンとマニューラが突き進む構図は、決着までのカウントダウンを刻んでいる。

 

「撃てえっ! ユキノオー!!」

「ッ、ッ……!

 ――――――――z!!」

 

 ラスターカノンをその身で受け、スズナを庇うようにしてマニューラのシザークロスをも受け。

 力尽きる寸前に、最後の力を振り絞ってユキノオーが放つのは、受けたダメージの怒りをエネルギーに変えて放つ雪なだれ。

 どうにかスズナをこの死地から守り抜きたい、そんな想いも強く込められたその腕の一振りは、まさしく津波のような勢いで前方をいっぱいにする。

 

 そんな死力を尽くした反撃であっても、高々と跳躍するマニューラは雪崩をあっさりと躱し。

 ミノマダムはここまでの戦いで積もった雪の中に潜り込んで、ダメージを最小限に抑える。元々ゴミのミノ、氷の一撃には強い強度もある。

 決死の一撃を放って力を失いかけ、肩を落とした瞬間のユキノオーに上空から迫るのは、返り血の未来に昂るマニューラの爪先だ。

 

「ありがとう。今まで本当にね」

 

 脳天を貫かれるユキノオーの未来を阻んだのは、それをボールに戻したスズナの行動である。

 落下しながら振り下ろしかけた爪は矛先を失い、マニューラは舌打ちしながら着地する。

 だが、そう離れてもいない場所に丸腰の獲物、スズナを目の当たりにすればマニューラもすぐ上機嫌になる。

 その悪辣な笑みと共に、自らの爪を舌で舐めたその仕草は、スズナも一瞬息が詰まるほど恐ろしい。

 半ば本能的に一歩退がってしまった足、それでももう一歩は引き下がらぬよう、震える腰と脚に力を入れて、踏ん張って。

 生来のサディストであることさえ匂わせる悪しき刃を前に、情けなく逃げて喜ばせることだけはするまいという最後の意地。

 

「あたしは、使命を果たしたわ。

 あなた達の夢破れた時、あたしの功績を思い出して悔しがってね?」

「無力な者が言うことはいつもそんなところだ。

 ミノマダ……」

 

「――――――――z!!」

 

 胸を張りつつ、いよいよを覚悟したスズナを襲ったのは、前かがみになり襲い掛かる構えになっていたマニューラでも、ミノマダムのラスターカノンでもない。

 彼方よりの咆哮と同時に起こる、立つことも難しいほどの激しい地の揺れだ。

 短いスカートのスズナが、震えていた脚で踏ん張ることも出来ずはしたなく転び、マニューラも爪を雪に突き立てて杖代わりに踏ん張るほど。

 

「っ……!

 来るぞミノマダム! 凌いでみせろ!」

 

 この場で最も特筆すべきはサターンだ。

 はじめから意識的にそばに置いていた岩に手をかけ、転ばず踏ん張りミノマダムに指示を発する強い声。

 硬いミノの下方先端を雪で覆われた岩盤に突き刺して踏ん張っていたミノマダムは、サターンの指示どおり急接近する敵の猛襲を高く跳ぶことで躱してみせた。

 手足も無い小回りの利かなそうな外見をして、これほどの身軽さと瞬発力を見せるのは、流石トップトレーナーに育てられた優秀な個体というところ。

 

「やはり来たな……

 間に合わせてしまった辺り、ジムリーダーも健闘したと見做すしかあるまい」

 

「コウキ!」

 

「ミノマダム! 雪を撒け!」

 

 ミノマダムを急襲したのは、凄まじい速度で迫ったガブリアスだ。

 親友の代名詞とも言えようその個体の推参に、サターンの取る行動もまた早い。

 "サイコキネシス"で以って、周囲に積もった多量の雪を一気に舞い上げ、ほんの短い間ながら濃霧にも勝る雪のベールを作り上げる。

 吹雪の中では視界が悪くなるのと同様に。そしてその大量の雪は、ガブリアスを襲う雪の壁が倒れ込むような攻撃をも兼ねている。

 氷点下の攻撃には身体の芯まで冷やされてしまい、継戦能力を著しく削ぎ落とされるガブリアスは、舌打ち混じりに大きく退くしかない。

 

「スズナさーーーーーんっ!

 スズナさん大丈夫ですかーっ!?」

 

 ガブリアスをパートナーとするシロナ、そして彼女に並んで駆けるパールの声が、張り詰めていたスズナの全身から一気に力を失わせる。

 ぺたんと座り込んだまま、骨抜きにされたように肩を落とし、うつむきぎゅっと拳を握りしめる彼女に、パールとシロナは駆け寄っていく。

 いくら覚悟していたとは言っても、本当に死ぬと思っていた一幕から免れた緩和は、一人の女の子が足腰立たなくなるには充分だ。

 

「ちょっとスズナ、はしたないわよ……」

「えっ、あっ……あ、あはははは!

 恥ずかしいところ見られちゃったな……」

 

 座り込んで立てないまま、慌ててスカートを押さえるスズナを前に、パールもシロナも笑えない。

 シロナは敢えて呆れ気味の苦笑いを浮かべていたが、それも本心とは異なる、死に瀕した友人に危機は去ったことを実感させるためのものに近い。

 あの強い心根を持つスズナが、ここまで腰砕けになっている姿からは、只ならぬほど恐ろしい局面にあったからだとしか感じられないのだ。笑えない。

 

「あいつ、逃げたわね。

 しっかり追いかけてとっ捕まえてやらなきゃ」

「シロナ……

 やっぱりあいつ、あなたの……」

「ええ、元親友。

 ぶん殴ってでもあいつの凶行は止めてやらなきゃって思ってるわ」

 

 拳を握りしめ、冗談めかして笑うシロナを見上げるスズナは、シロナの胸中を慮ってやまない。

 スズナはサターンの素顔を見てしまっている。それが、トバリのギンガ団オーナーとして名高いコウキであることも。

 シロナと親しいスズナが、コウキとシロナの関係を知らぬはずもないのだ。

 気丈に拳骨を見せつけるシロナの姿が、棘の刺さった内心を隠すためのものに見えてやまぬのも、スズナの立場からすれば已む無きことである。

 

「シロナさんっ! 行きましょう!

 スズナさんをこんなにしたあいつをめっためたにしてやるんです!」

「…………ええ、そうね。

 スズナ、後は自分で山を降りられそう?」

「……あはは、大丈夫。

 こっぴどくやられちゃったけど、帰るだけの余力はあるわ」

 

 複雑な感情を胸に、互いに向け合う言葉が見つけられなかったその間を裂いたのは、思慮ゼロとも捉えられようパールの感情的な声と挙動である。

 ぎゅっと握った拳を二つとも振り下ろして、ふがーっとサターンへの怒りをありありと表明して。

 好きな人が傷つけられたら怒る。普通の感情だ。

 慮りを覚えた大人になればその表し方さえも、時と場合によって考え過ぎることもあろう。

 この率直さが、大人になると羨ましくなる時もある。最悪、羨むか妬む時さえも。

 まして、尊敬するスズナを傷つけられたことに怒りこそすれ、真の復讐や憎しみとは一線も二線も退いた、程度の知れた報復文句が二人を少し笑わせるほど。

 めっためた、って。憎い相手を殴りつけて立てなくする表現ながら、彼女はそこまでしないだろうなという甘さ幼さは、重い現実を意識する大人に無いものだ。

 

「スズナさん!

 ぜえったいカタキは取ってあげますからね!

 私、シロナさんほど強くないけど超がんばって力になりますから!」

「うん、信じてる。

 ナタネに誇って話せるぐらい活躍して、元気に帰って自慢話してね」

「はいっ! 任せて下さいっ!」

 

「ほらほらパール、行くわよ!

 あいつを逃がすわけにはいかないからね!」

 

 慌ただしい運びでスズナを置き去りにしていく二人を、スズナは目を細めて見送るのみだ。

 ジムリーダーとして、シンオウ地方で最も腕の立つトレーナーと目される立場の意地として、もっと爪痕を残したかったけど。

 望ましいほどの結果を残せず、片付けきれなかった苦難へ突き進む彼女らを見送ることしか出来ない、無力な自分が悔しいけれど。

 果たすべきことは果たした。そう割り切って、がくついた足で立ち上がり、下山への道を歩み始める他ない。

 

「もっと……もっと、強くならなきゃ……

 あたし自身が、みんなに誇れるぐらいにまで……」

 

 何十何百の後進を導くジムリーダーという立場を、誇張無く立派に果たせる大人になったとしても。

 あなたが勝てなかったなら仕方ないよ、という慰めの言葉を心から向けられるほど、世間に広く信頼される実力者として名高くあったとしても。

 ありふれた百勝とは比べようもない、ここ一番での一勝を掴み取れる力量が備わっていなかった己に対する悔しさは、童心のあの日と同じく未だ失えない。

 

 何歳になっても大人とて挑戦者だ。

 誰の目にも羨むほどの成功を収めた大人を見上げ、僕も私もこんな人のようになりたい、と子供達に敬われる大人でさえ、常に満たされているわけではない。

 人生は長いのだ。いくつになっても挫折はある。

 唇を噛み締めて山を降りていくスズナもまた、己の力が巨悪に及ぶか不安を抱えてサターンを追うパールと、その本質は何ら変わりはない。

 今よりももっと、最高の自分になりたい。高潔な志とわざわざ美化されるべきではない、誰しもが普遍的に望むありふれた渇望がある。

 大人も子供も変わらないのだ。背丈が大きくなったって、完璧な人間になんてなれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くは……っ……!」

 

 そして、もう一人。

 ブニャットの体当たりが人間に向けて差し向けられ、その素早く重い一撃は人の身に到底耐えられるものではない。

 突き飛ばされたメリッサが、山の岩場に倒れて頭を打ち、立ち上がれなくなったところへブニャットが駆け寄っていく。

 ぴょんと跳んで、メリッサの体の横に四本足を着地させ、大きなお腹でのしかかりだ。

 肺を潰さんとする一撃に、下敷きになった彼女は目を見開いて空気を全部吐き出すと、その全身からも力の全てを絞り出されてしまう。

 

「あははは、無様ねぇ。

 意気込んで来たくせに、なんてザマかしら」

 

「――――、――――――?」

「…………」

 

 スズナがサターンと戦っていた場所は、高所を挟んだ向こう側離れた場所。丘一つ隔てた遠くとでも言い換えられる。

 シロナ達がスズナの方へと合流し、彼女を救うことが出来た反面、もうこちらまで助けに来る余裕はないだろう。

 救援の見込めぬ絶体絶命の状況の中、抗いようもない絶対的な力を持つポケモンに組み敷かれるメリッサを、救ってくれる味方もそばにいない。

 

 すべて、マーズとジュピターのポケモンに打ち倒された後だ。

 元より極めて腕の立つ二人を一人で相手取るのも無茶なのに、ましてゴースト使いのメリッサにとってマーズ達のポケモンは相性が悪すぎる。

 ヘルガーとスカタンクは言わずもがな、そして"ねこのて"でヘルガーの技を借るブニャットは、ゴースト技が通用しないため余計に始末が悪い。

 厚い脂肪で押し潰されているメリッサは、コイツどうする? とマーズを見返して指示を仰ぐブニャットの下で身動きもとれない。

 泣いて悔いるか、観念して身を預けるかしかない局面だ。

 呼吸すら難しい中、メリッサはぎゅっと目を閉じて、とどめの一撃による絶大な痛みを覚悟し歯を食いしばっていた。

 

「…………ニャムちー、行くわよ」

「――――♪」

 

 マーズがブニャットをボールに戻す所作を見せ、ブニャットもまた、むしろ上機嫌そうに頷いた。

 ボールに戻っていくブニャット。自分を圧し潰していたものが消え、息をするためのお腹が上下できるようになる。

 恐る恐る目を開けるメリッサが顎を引けば、マーズの行動に意外さを覚えたジュピターの表情と、ブニャットのボールを撫でるマーズの姿が見える。

 

「甘ちゃんねぇ、あなたは。

 あなたがやらないなら、スカタンクに任せましょうか?」

「下らないこと言ってないでさっさと行くわよ!

 とっくにガラクタになった奴に技使ってもしょうがないでしょうが!」

「おおっと、怖い怖い♪」

 

 もの凄い剣幕でジュピターを制したマーズは、ジュピターから見れば悪党になりきれない、最後の一線を越えられない若者と映る。

 自分が手を下すこと自体ではなく、ジュピターが代わりに手を汚すことになろうが、その事象そのものを受け入れ難いのだ。

 やれやれ、と肩をすくめるジュピターを睨みつけて、先に行くことをしないマーズ。

 自分が先に行ってしまったら、ジュピターが一人でメリッサにとどめを刺してしまうことを危惧して見張っている。

 

「命拾いしたわね、弱くて無力なジムリーダー様。

 せいぜい打ちひしがれた身でとぼとぼ歩いて帰るといいわ」

 

 メリッサのプライドを傷つける言葉を吐き捨てて、ジュピターは先行しているサターンやアカギに追い付くべく走りだす。

 マーズもそれを見送ってから、メリッサを一瞥して駆けていく。

 結果的に、メリッサは命拾いすることになったのだ。

 一度は諦めすらした命であったが、どうやらそうでなくなったことを見受け、メリッサはやや茫然とした頭でありながらも体を起こしていた。

 これほどの出来事の直後で行動が早いのは、年の功であるとも言えようか。

 

「ふぐぅ、っ……!

 折れてるかも、しれませんねぇ……」

 

 最後にブニャットに体当たりされたダメージが、胸の下でびしりと響いている。

 気分と顔色が悪くなるのは骨折の症状だ。体を潰しているものが無くなった今でも息がしづらい。

 倒された時に腰を打ち付けたこともあり、寒い山肌の上で立ち上がれずにいるメリッサは、身体を震わせ耐えるしかない。

 

「……あら?」

 

「――――…………!」

 

 少し休んだら、なんとか耐えて立ち上がって帰ろうと思っていたメリッサだが、彼女のボールから一匹のポケモンが姿を現した。

 先ほどの戦いで、戦闘不能に追い込まれたムウマージだ。メリッサにとっては最も付き合いも長く、一番の相棒と言えるポケモンである。

 致命的な攻撃を受けた後でさえ、最後の一匹としてメリッサを守るため、限界を超えて奮闘せんとしたその身は傷だらけ。

 帽子のような形をした頭部の一部は欠け、下半身は虫食いのように所々が破れたり穴が空いたりしている始末。

 服や飾りではなく自分の体がそうなっているのだから、今でも痛みは甚大なものであるはずだ。絶対に戦えるような体ではない。

 

「――――z!!」

「ちょ……!?

 いたっ、痛い痛い痛いっ、やめ、やめてっ……!」

 

 ムウマージはおもむろに、メリッサの胸元に顔をうずめてきた。

 あばらが折れていそうな気がしていたメリッサ、そんなところにぐいぐい体を押し当てられるとたまらない。

 有り体に言ってやばいぐらい痛い。死んじゃうほど痛い。

 ようやくムウマージが体を離してくれた時、メリッサはブニャットにぶっ飛ばされた直後以上に、目の前が白黒して今にも意識が飛びそうであった。

 

 ムウマージが何をしたかと言えば、メリッサの懐から"ふっかつそう"を力ずくで抜き取ったのである。

 弱った体でそれをむしゃむしゃするムウマージ。恐ろしく苦い。吐きたくなるほど苦い。

 べえっとしそうになるのを耐えて、ごっくん呑み込んでなお顔面真っ青のムウマージの姿は、本来メリッサから見ても痛々しくすらある。

 まあ、折れたところをぐりぐり拷問された直後のメリッサ、ムウマージの顔色を窺う余裕は全くないのだけど。

 

「い……言ってくれれば、出しますのに……」

「――――z!」

 

 うそつきっ! と主張するようなムウマージの声。

 メリッサが旅の中での万一の備えとして、ふっかつそうを常に一つは持ち歩いていることをこのムウマージは知っている。

 荒んだ治安の悪い地方を渡り歩いた時期の長いメリッサ、その頃から一緒だったムウマージだけが知る、彼女のくせか習慣のようなものだ。

 とは言え平穏なこの地方に移り住んで以降、それを使う機会は殆ど無く。

 長い長い時間、使われずに熟成されていくそのカンポー薬たるや、本来以上に苦さを増して余程の味になってしまっている。

 

 そしてメリッサは、このムウマージが元々苦い食べ物が嫌いなのも知っているのだ。

 下山するためのボディガードとして、戦闘不能に陥った誰かにこの薬をついに与えるとしたって、絶対に自分じゃなかったとムウマージは確信している。

 あっても恐らく、苦いものを好む傾向にあったゲンガーだろうなと。

 そんなの嫌だ。私がメリッサを守るんだい。

 メリッサの切り札が、自分とゲンガーのダブルエースなのはわかってる。だけど、親しいあの仲間にも譲りたくないものだってある。

 ムウマージだって、メリッサの一番でい続けたいのだ。

 

「…………無茶しちゃ駄目ですよ」

「~~~~!」

 

 やだやだ、メリッサがいなくなるぐらいだったら、そうならないよういくらでも頑張る。

 傷ついた身体で涙目で首を振るムウマージは、今度はメリッサの傷に響かないよう、ゆっくりひたりとメリッサの後ろからその背中を温める。

 寒い場所で立てないメリッサの身体が冷えないよう、死んじゃったりしないでと懸命に訴える。

 

「あたしは、大丈夫ですよ。

 あなた達を置いて、どこかに行ったりなんかしませんから……」

 

 一度は明日を諦めてしまったことに、少し心がちくりとする。

 どうにもならなかったのは事実だけど。

 それでもここまで自分のことを愛してくれる身内を置いて、遠き世界へ旅立つ覚悟を決めていた自分のことは、少し罪深く感じるというものだ。

 真の意味での決死の覚悟というものは、やはりそれが言葉どおりであればあるだけ、あまり美化されるべきではないのだろう。

 

 効果抜群、ポケモンの回復能力を一時的に飛躍的に高め、どんな傷でも治してくれるふっかつそうの効果が効いてくるまでには時間がかかる。

 今はメリッサと一緒にじっとしているムウマージ。傷が癒えて再び戦えるコンディションになるまでは数分かかるだろう。

 "げんきのかたまり"にさえも言えることだが、それがバトルの真っ只中にはあまり有用ではない所以である。

 それでも今のような、じっと待てる状況であれば帰り道で自分を守ってくれる仲間の傷を癒してくれる、それがこの手の道具の魅力であろう。

 ムウマージの回復と自身の息を整える時間を過ごすメリッサは、曇天の空を見上げて無力の悔しさとは別の想いを馳せている。

 今、自分が生きていること。ゆえにこそだ。

 

「……やはり、シンオウ地方を離れたくはありませんね。

 ここに生まれ育った人々には、"こころ"がある」

 

 あれほど悪事に手を染めているマーズでさえ、最後の最後で自分の命を奪うことは、仲間を制してでも嫌った。

 メリッサは思う。自分が生まれ育ったあの地で、今と同じシチュエーションを迎えていたら、悪人は何のためらいも無く命を奪ってきただろう。

 きっと、マーズはこの地方の生まれ育ちだ。

 どれだけ自らの目的を果たすためにその手を汚しても、非情の一線を越えなかった彼女の良心は、きっとこの温かき大地で育まれたもの。

 シンオウ地方は優しい人々とポケモン達で溢れた地だ。そして、人格を形成するのは環境である。

 人が集まる社会には、悪人と呼ばれる者が生じるのは世の常でも、きっとシンオウ地方に真の極悪人は本当に一握りなのだろう。

 追い詰めたメリッサを、邪魔をしやがっての怒りや憎しみに身を任せず、命だけは奪わなかったマーズの姿がそれを物語っている。

 

 無力は悔しい。敗北は身を焼く。

 それでもメリッサは、この世界に、シンオウ地方という自らの終着地に救いを感じている。

 だからこそメリッサは、ギンガ団がこの世界の理を覆さんとしているこの日、温かみに満ちたこの地の在り方を変えて欲しくないとも切望する。

 思い至れば、やはりいっそうに悔しい。自分の力で、その悪意の根源を断つことが出来なかったことが。

 敗者の苦しみは、負けたことそのもの、力及ばなかったことそのものに限ったことではない。

 

 動けぬメリッサは空を仰ぎつつも目を閉じて、心の底から祈っていた。

 シロナの、そしてパールの勝利を。ギンガ団の悪しき野望が打ち砕かれんことを。

 漠然とした世界の崩壊に対する恐怖というものよりも明確に、この世界を心から愛する者達にとってそれは耐え難い。

 シンオウ地方を世界中のどこよりも愛するメリッサの祈りはきっと、危機的なこの状況を認識する現時点の誰よりも、世界一強いものだった。

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