ポケットモンスター・パールストーリー   作:ましゅ

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第132話  ギンガ団幹部VSダイヤ&プラチナ

 

 

「ニャムちー! とどめ!」

 

 マーズのブニャットが吐き出す火炎放射、"ねこのて"でヘルガーから借りる形で放つそれは、ダイヤのヘラクロスの全身を呑み込む。

 ヘラクロスも長く善戦した戦いぶりだった。

 スカタンクがピッピを辻斬りの一撃で仕留めて以降、その支援も受けられず。

 代わってプラチナが出したエンペルトの水技で、スカタンクやブニャットの放つ炎への対抗手で以ってダメージを最小限に抑えつつも。

 とうとうエンペルトとスカタンクが真っ向やり合う図式の隙、邪魔立てする者なくブニャットの炎が、弱ったヘラクロスの全身を焼き焦がす展開に至った。

 いかにブニャットが炎技を本職の技とせぬにせよ、ただでさえ踏ん張ってきたヘラクロスにも限界の二文字は免れない。

 

「ありがとな、ヘラクロス……!

 ほんとに、頑張ってくれて……!」

 

 力尽きて胸から倒れる寸前だったヘラクロスを、ダイヤがボールに戻す。

 6匹もいた手持ちが今や、ついに残り一匹だ。

 プラチナも既にそう。そして、マーズもジュピターも既にそう。

 誰一人、後の無い中で最後のボールを手にしたダイヤは、決死の想いでこの聖戦に挑む敵にも味方にも似通って、決意に満ちた眼差しだ。

 

「さあ、来なさい!

 あんたも最後の一匹でしょ!」

「マーズっ……!」

「うるさい! わかってるわよ!

 叩き潰せば文句ないでしょ!!」

「く……!」

 

 ダイヤを見据え、挑発的でありながら敵の本気を待つようなマーズの大声が、ジュピターにとっては最大の不安要素である。

 元々感情的だった同胞だ。それも、常には良い意味ではない方で。ジュピターからすれば、危うい幼ささえ孕んだその若々しさ。

 これは、吉と出るか凶と出るか。結果で以ってしか語れない。

 

「いくぞ! ゴウカザル!

 絶対勝とうな!!」

 

「――――――――z!!」

 

 たとえマーズやジュピターの思惑がどうであれ、ダイヤは只々己の切り札たる最後の仲間に、この戦いの勝利を託してボールから喚び出すのみ。

 負けられない、負けたくない戦い。

 そんなダイヤの切実な想いに応えるべく、ゴウカザルもまたボールから姿を現すや否や、咆哮めいたその声も大きく長い。

 

 自分が負ければダイヤの敗北、それも一生悔やむほどの敗北になってしまうとわかっているのだ。

 "もうか"を司るはずの個体でありながら、その眼光は"いかく"のそれとさえ見紛うほど強く、対するブニャットとスカタンクの身構えようにも表れていよう。

 

「エンペルトのこと任せるわよ!

 スカタンク! ゴウカザルを討つわ!」

「えぇ、結構!

 ニャムちー、一撃で沈めるわよ!」

 

「ゴウカザル、突っ込めえっ! 絶対逃がすな!」

 

 格闘技を得意とするゴウカザルを真っ向受け持つ役目は、ブニャットよりもスカタンクの方が適正だ。

 スカタンクがゴウカザル目がけて吐き出す、深緑酸液の塊のようなものは、シンオウ地方のトレーナーが実戦で見たことの無い技だ。

 "ヘドロばくだん"とも明らかに違うそれへの危機意識はゴウカザルも高く、機敏なステップで躱しながらスカタンクに駆け迫る。

 そしてゴウカザルは既に、身体の内から噴き出す炎を全身に纏い、渦巻く火炎流に包まれたかの如し姿で敵へとぶつかっていくのだ。

 

「"かえんぐるま"だ!!」

「ここしかないわよ! やってみせなさい!」

 

 炎の塊と化したゴウカザルの突進がスカタンクにぶち当たり、燃え移る炎に全身を焼かれながら退くスカタンクの意識も遠のきかける。

 間際に聞こえた相棒の強い声を、そんな遠のく意識の真ん中に引き戻して。

 敵が懐まで飛び込んできたのだ。急所さえ狙える好機はまさに今。

 ぎらりと眼を光らせたスカタンクが、利き足の爪を振りかぶり、獰猛な肉食獣のような勢いでゴウカザルに飛びかかる。

 

「ゴウカザル……!」

「ッ、ッ……!

 ――――――――z!!」

 

「な……!?」

 

 ゴウカザルは躱さなかった。スカタンクの"つじぎり"で深々と横腹を切り裂かれたダメージは甚大だ。

 それでも、躱そうと退いたゴウカザルにさっきも撃ち込んだ"アシッドボム"を叩き込むジュピター達の思惑を、大きくはずす行動である。

 ゴウカザルは敵の懐から逃げず、逆にスカタンクを自らの懐から逃がさず、攻撃直後のスカタンクを手が届く位置に捉えているのだ。

 

「っ……! いけえええええっ!!」

 

 ゴウカザルの膝がスカタンクの顎を蹴り上げ、ぐぁとのけ反りそうになったスカタンクに、打ち抜く拳を三発連続で顔面に叩き込む。

 守りを捨てた"インファイト"の連続攻撃は、今にもスカタンクが白目を剝きそうなほど打ちのめす。

 よろめくスカタンクの足取りは、ジュピターに決着の一秒前を悟らせるには充分なものだったはず。

 

「スカタンク! ラスト!」

「決めろ! ぶっ飛ばせ!!」

「――――――――z!!」

 

 最後の一撃、ゴウカザルの全力の右ストレートがスカタンクの眉間に激突し、脚に力が入っていないスカタンクを吹っ飛ばした。

 5メートルは離れただろうか。それでも、スカタンクは最後の力を振り絞る。

 腹を下に横たわった状態で、ぶくっと頬を膨らませたかと思えば、腹の中に溜めこんであったガスすべてをゴウカザルへ吐き出すのだ。

 水槽を倒したことで一気に水が外界に溢れ出るかのように、スカタンクの吐き出したガスはあっという間にゴウカザルの全身を包み込む。

 可燃性の強いガスが敵を捕えたことを確かめたスカタンクは、薄れゆく意識の中でがちんと歯を鳴らし、火炎放射の火を喉の奥から僅かかつ勢いよく発する。

 

 多量のガスが一気に引火し、生じる爆発はゴウカザルを中心に凄まじいものを見せた。

 毒にも火気にもなる自身の攻撃手段たるガスを全て吐き出して打つ、スカタンクの最後の一撃"だいばくはつ"だ。

 ラスト、の掛け声にその大爆発が起こることをわかっていたジュピターとマーズは腕で目を覆い。

 そんな技の予兆など知るも遅れたダイヤとプラチナは、その爆風に晒される。

 咄嗟に前かがみになり、重心を前にしたダイヤでさえ尻餅をついて後ろに一回転させられて。

 そして、失血によって気が遠くなりつつあるプラチナに至っては、その爆風に対応することも出来ず身を浮かされ、大きく後ろに吹き飛ばされた。

 

「っ、ぐ……!

 ゴウカザル……プラッチ……!?」

 

「ぅ……ぅぅ……」

 

「マーズ、絶対に勝ちなさいよ!」

「わかってるわよ……!」

 

 爆心地のゴウカザルも、うつ伏せに倒れたプラチナも、心配でたまらない。

 ダイヤの叫びにプラチナは呻くだけだ。ただでさえ気絶寸前のコンディションで、全身を硬い地面に打ちつけている。

 そして、そんなプラチナの姿を見てしまえば、彼の相棒の胸から沸き上がる怒りたるや語るべくもない。

 

「ッ――――!

 キュアアアアアアアァァァッ!!」

 

 おさまらぬ怒りは、既にここまでの戦いで気絶寸前まで追い込まれた肉体の痛みも忘れさせ、ブニャットに放つは"げきりゅう"のハイドロポンプ。

 大爆発の爆風から踏ん張っていた直後のブニャットにそれが直撃し、顔が、あるいは頭蓋がひしゃげそうな水の重みにはブニャットも目が開けられない。

 

「ニャムちー!!」

「ッ――――!」

 

 くたばるか、この程度で。

 地を蹴ったブニャットは跳躍し、ハイドロポンプの砲撃を飛び越えて一気にエンペルトへと迫る。

 血走った眼のエンペルトはその形相も恐ろしい。ブニャットは怯まない。

 主が傷つけられて怒り狂うエンペルトの眼に、僅かな共感さえ覚えつつも撃破を躊躇わない、歴戦の猛者の冷静な思考能力さえ残している。

 

「かみなりのキバ!」

 

 このブニャットの最大の武器は、親しい仲間の技を選んで借りる"ねこのて"だ。

 使える技が多すぎるため、借りる技の名はマーズが指定して導かねばならず、敵の耳にそれが入るデメリットも確かにあろう。

 それを補って余りある、本来ブニャットでは苦戦するはずの鋼タイプのエンペルトに、この上なく刺さる技を選べる強み。

 マーズのヘルガーが覚えているその技を借りたブニャットの牙は、エンペルトの肩口に突き刺さり、その発光で自らも敵も包み込むほどの電撃を流すのだ。

 決して雷の牙をお家芸とするレントラーなどと比較しても、その激しい電撃の威力は見劣りしない。

 

「ぅ……エン、ペルト……」

 

 これ以上は駄目だ。エンペルトは今の一撃で戦える状態じゃなくなっている。

 それでも戦い続ける可能性すらある。それこそ、死ぬまでだ。

 自身の痛みや目の前がぐにゃつく気分の悪さを、そんな悲劇への恐怖が上回ったプラチナは、最後の力を振り絞ってエンペルトのボールのスイッチを押す。

 光と電撃に包まれてなお抗おうとしていたエンペルトが、プラチナの手元に戻っていく。

 

「プラッチ……!」

「あと、頼んだから……」

「――ああ! 見てろっ!」

 

 プラチナに駆け寄っていたダイヤに、身体の内も外も傷だらけの少年は、決して死んでなどいない目で訴えかけてくる。

 勝つしかない戦い、最初からそうわかっていたことであっても。

 今一度、その想いを120%まで高めさせてくれる友達の意志を受け取ったダイヤは、膝をついていた状態から立ち上がったゴウカザルと共に敵を見据える。

 

「ニャムちー、いける?」

「~~~~♪」

「……ふふ、いい子。

 あたしには勿体ないぐらいのパートナーだわ」

 

 ゴウカザルと睨み合いながらも、マーズに心配されていると感じるや否や、振り返ってウインクしてまで猫なで声を放つブニャットだ。

 大丈夫、あたしに任せろ。勝たせてあげるから応援してね。

 ヘラクロスにも、エンペルトにも、強烈な技を幾度も受け、ブニャットだって明らかに限界間近なのだ。

 それでも空元気で微笑みを、本来無いはずの余裕を見せるほどには、このブニャットの精神力は並外れている。

 

 プラチナとジュピターのポケモンが尽き、ダイヤもマーズも最後の一匹。

 この一対一に、勝負の結末は委ねられたのだ。傷付いた身体の痛みなど、拳を握りしめたゴウカザルも、身を震わせるブニャットも今は忘れて。

 

「頑張ってくれよ、ゴウカザル……!

 本当に、今までで、一番強い相手だからな!」

「ニャムちー、やるわよ!

 あんたは負けない、誰にだって! 信じてるわ!」

 

「「――――――――z!!」」

 

 弾丸のような勢いで地を蹴って敵へ迫るゴウカザルの最初の一手は、先手必勝のマッハパンチだ。

 跳んで躱すブニャットは、鈍重そうな体型に似合わぬほど高く跳んでいる。跳ね毬のよう。

 自身の後方に回ったブニャットをすぐさま振り返り、相手の着地点目指して一気に駆けるゴウカザルは、獲物を絶対に逃がさない眼だ。

 

「撃てえっ!!」

 

 技を指定しないマーズ。ここで放つべき技など一つしかないからだ。

 ブニャットもわかっている。猫の手により借りられるものを含め、十をも超える数多の技から、たった一つを選ぶことに迷わない。

 ゴルバットに借りた"エアカッター"数枚を、着地する前から放つブニャットの迎撃が、両腕で顔を守るゴウカザルを傷だらけにする。

 ブニャットの天敵は格闘タイプ。最大の対抗策だ。

 

「マッハパンチだ……!」

「――――z!」

 

 全身から血を噴かせながらも着地する瞬間のブニャットに迫ったゴウカザルは、指示に従い高速接近の勢い任せの拳を打ち込んだ。

 自己判断に任せられるなら"インファイト"で以って勝負を決めようとしていたかもしれない。それでもダイヤの判断を信じて。

 鼻っ柱を打ち抜かれて、鼻血を出しながらも自ら退がって距離を作るブニャットは、睨み返す眼力も弱まっている。意識が遠のきつつさえある。

 

「スモッグ!」

「ッ、ッ――――!」

 

 マーズの声がもはや頼りと言っても過言ではない。だが、聞けば奮い立てる。

 両目と口をがあっと開いたブニャットが、ヘルガーに借りた技でもって多量の黒い煙を吐き出した。

 煙幕と言うには薄く、敵の視界を完全に封じるものではない。吸えば毒、だがゴウカザルも息を止め、毒に身体を侵されることを阻んでいる。

 

「行きなさい! わかるわね!?」

 

「ゴウカザル! 構えろ! 返り討ちだ!」

 

 吠えて突っ込むブニャットを、すぐにファイティングポーズで迎え撃つ姿となったゴウカザルは、迫られた瞬間に返す拳でカウンターを狙う。

 だが、スモッグが目に入るのだ。眉間に皺を寄せ、細い目で視界の悪いスモッグ内で、しかし確かにブニャットの動きを捉え。

 突き返す拳はブニャットの動きが素直であれば、見事な迎撃として決まっていただろう。

 

 だが、減速とともに頭を沈めてゴウカザルの拳を潜り込むようにしたブニャットに、ゴウカザルの拳はたなびいた敵の尾を掠めただけ。

 歴戦の相手とて視界が悪ければ引っかかるフェイントで迎撃を凌げば、その横を駆け抜ける中で振り抜く爪でゴウカザルの腹を裂いていく。

 あくまでも"だましうち"だ。大きなダメージを与える技ではない。

 ブニャットが狙うゴウカザルへの攻撃の本命はこの直後。

 スモッグの中から抜け出て振り返るや否や、無数のエアカッターを飛ばしてゴウカザルの全身をいっそうずたずたにする。

 

「ゴウカザル……!」

 

 生身を武器に戦う格闘タイプにとって、型無く触れ難き刃に切り裂かれることは、当たる限り対処不可能に近くダメージも甚大だ。

 傷が開けばスモッグも沁みる。息を止めても体内に毒が沁み込む。

 もう駄目かとさえ思いかけながら、どうにか勝って欲しい一心のダイヤに呼ばれれば、いや、呼ばれなくたって。

 パールがピョコと親しんできた日々と同じ数だけ、ダイヤに寄り添い共に歩んできたゴウカザルは、言葉さえ要らずダイヤの"意志"を感じ取れる。

 

「!?

 ニャムち……」

 

 スモッグの中で僅かに傾いたゴウカザルが、次の瞬間ほぼノーモーションからブニャットへ矢のような速度で迫った姿は、誰の目にも追えぬ虚を突く初動。

 やばい、と思って身を逃がそうとしたブニャットだが、敵へ地面と平行なほどの軌道で跳んだゴウカザルの、痛烈な蹴りがブニャットに突き刺さる。

 身を逃がそうとしたその腹部にだ。げはっと吐瀉物めいたものを吐くブニャット。

 "あついしぼう"を貫通して内臓まで貫く衝撃にブニャットがよろめく中、地に足着けたゴウカザルは既に拳を引き絞っている。

 頭の炎は既に"もうか"で倍のように燃え盛り。それは同時に、彼の限界近さを物語るものであって。

 

「ぶっ飛ばせえっ!!」

 

「――――――――z!!」

 

 待ちわびていたダイヤの指示に、ゴウカザルは全力の拳をブニャットの顔面に打ち込んだ。

 一撃を目元に、二撃目を頬に、そして振り上げた拳の三撃目を顎に。

 一秒の間に三連続、次への動きも意識した"れんぞくパンチ"ではなく、捨て身の自らへの反撃を凌ぐ気も無い猛攻の"インファイト"。

 重心の強いブニャットの身体がぐらぁと傾いた中、最後の一撃をぶち込むべく拳を引くゴウカザルは、気絶寸前の敵へ容赦も加減も無い眼差しだ。

 

「っ、やめ……」

 

 傍目には目も死んだと思えるほどのブニャットへの追撃、思わず顔を青くしたマーズが制止の言葉を投げそうになっていたけれど。

 拳を打ち抜く直前に、ゴウカザルも聞こえはしたけれど。

 必勝を誓いし男が全力で繰り出した喧嘩拳は、ブニャットの眉間に突き刺さり、頭をのけ反らせたブニャットの胸が大きく浮かせている。

 あの丸い身体のブニャットが、一度は後ろ脚で立ち上がるかのほど身を反らせ、あとは力無く胸から地面に崩れ落ちるだけ。そう見えた。

 だが。

 

 ブニャットの両足が地面を踏みしめた音が、ずしっと重いものであったことを聞き取れたのは間近のゴウカザルだけだ。

 そこから、ブニャットがゴウカザルへ襲い掛かるまで一秒もかからない。

 ブニャットが倒れなかった事実にマーズさえもが驚いた瞬間には、ブニャットの大きな身体がゴウカザルを突き飛ばし、さらにはその腹で押し潰している。

 

「ヴッ、ギュ……!

 ヴニャアアアアアッ!!」

「ッ、ッ……!

 ――――――――z……!」

 

 仰向けに倒れたゴウカザル目がけて、ブニャットが幾度も爪を振り下ろしてくる。

 殺意さえ感じるその凶刃の連続攻撃は、倒れたゴウカザルがその姿のまま腕と拳を振るい、爪をはじきながら戦慄するほど。

 目の前のブニャットの眼から感じるものは狂気にさえ近い。

 猫の目でありながらもその度を過ぎた瞳孔の開きぶりは、自らの爪で引き裂いたものの命など微塵も顧みるものではない。

 

「ッ……!」

 

「ニィィ゙、ッ……!」

 

 肩を、腕を、胸を裂かれながらもゴウカザルが決死の想いで振り上げた膝が、ブニャットの顎に突き刺さる。

 舌の先端を噛んだようだ。赤くて小さな何かが宙を舞う。

 それでもゴウカザルの膝をぐいと下に沈めてでも、顎を引いて見下ろすブニャットの形相は得も言われない。

 両足を振り上げて、踏み潰すと同時に爪を突き立てるかのような一撃を、ゴウカザルは力任せにブニャットの顎を膝で押して後方に逃れる。

 

「ゴウカザル……!」

 

「にゃ、ニャムちー……」

「フゥー、フゥー……!

 ヴッ、ニャアアアッ……!」

 

 尋常ではない。言い換えれば、まともな状態ではなかった。

 ひしゃげた顔の形ながら、血走った眼でゴウカザルを睨みつけるブニャットの形相。

 図々しそうな顔立ちながら、それもまた一部の人には可愛らしくて愛くるしいのがブニャットだ。

 手負いの獣にして凶暴さのみをあらわにした、勝利と生存のためならば殺生をも厭わぬその面立ちに、人懐っこい愛嬌ある姿はそんな面影を何一つ残さない。

 マーズにさえも一度も見せたことのない、野生の危険なモンスターさながらの姿を見せるブニャットに、睨まれぬマーズでさえ背筋が凍りそうだ。

 

「マーズ! 何してるの! 指示を!

 これは好機……」

「っ、黙れ!! うるさい!!」

 

 ゴウカザルでさえ戦慄を覚えながら、しかしダイヤのために勝つのだと、平時ならば肩が上がらぬほどの腕で身構えている。これが精一杯の全力だ。

 弱った敵、思わぬ形で野性味にさえ届く獰猛さを得たブニャット、まさにトレーナーを傷つけられたポケモンの如く。

 僥倖にして勝利に繋がる天啓、そう訴えんとしたジュピターの声を、マーズは一喝にして封じ込む。

 お前なんかにあたしの子達のことを知った気になられてたまるか。

 

 嫌でも伝わってくるのだ。何があっても勝つというブニャットの意志。

 勝つまで戦う。降参など無い。この身が動く限り。

 きっとニャムちーは自分の意志では絶対に止まらない。動けなくなるまで。あるいは気を失うまで。

 あるいは、死ぬまでだ。

 

「っ、く………………ニャムちー、っ……!」

 

 身内にだけは優しいトレーナーであるならブニャットをボールに戻すべきだ。

 目的達成のためなら身内の命さえ顧みない、悪の志を貫くなら戦えと命じるべきだ。

 同じ葛藤をダイヤも感じていることを、マーズはダイヤと目を合わせて感じ取っている。

 

 猛火を携えたゴウカザルは本当に限界寸前なのだろう。

 勝利のためとてこんなブニャットを前にした今、このままゴウカザルが戦い続させるなら、その命すら危ない結末が真実味を帯びている。

 勝ちたい気持ちはマーズだってダイヤから感じられるのだ。鏡映しのように。

 そんなエゴと相棒の命を天秤にかけざるを得ない中、あんな子供が血で沼が生まれる死戦場にゴウカザルを勢い任せに駆り出せるものか。

 

 退くなら今しかない。マーズにもダイヤにも言えることだ。

 戦い続ければゴウカザルの死さえ予感するダイヤが涙目にさえなる中で、マーズは人に見せたくもない一筋の涙を零してでもダイヤを睨みつけていた。

 あんたが退くのよ、あたしとニャムちーじゃない。お願い、退いて。

 今にして思えば血みどろで痛々しいゴウカザルの姿でさえ、間違った道を突き進んできた愚かしさを、マーズが思い知るには充分な光景だった。

 

「ゴウカザル、っ……!

 頼むよ、頑張ってくれ……!

 俺、どうしても勝ちたいんだ……っ!」

「――――――――z!」

 

「っ、っ……馬鹿な子……!

 ニャムちー!」

「ゼェーっ、ゼェーっ……!」

「勝ちましょう!

 あなたのこと、信じてるから! あなたがあたしの最強なんだからね!」

「ッ……!

 ヴニャアアアアアァァァッ!!」

 

「ゴウカザル!!」

「ニャムちーっ!!」

 

 貫き通さねば得られぬ勝利というものがあるのだ。

 我が身で以ってのみでは勝利を勝ち取れぬ、ポケモントレーナー達の業。

 そして、そんなものが表面化する局面とは、誰かの死さえも礎として叶えたい非道ありし戦争の舞台のみ。

 

 何をしているのだろう、何をさせているのだろう、あたしは。

 ぐしっと目を拭って戦うゴウカザルから目を逸らさぬ覚悟を決めた11歳の少年が、そんな世界に身を置かざるを得ず。

 きっと彼は勝ったって負けたって、泣いて身内に詫びるしかない結末を迎えざるを得ない戦場に、対する位置で身を置く中。

 マーズは初めて、非道も厭わず自らの道を歩んできたことの愚かしさを真に迫られ、ブニャットに戦うことを強いる声で塗り潰すのが精々だった。

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