「わかっているな、ギャラドス」
「――――――――z!!」
「パッチ……!」
巨躯を宙に浮かせたギャラドスによるファーストアタックは、開いた口から強烈な水の砲撃を放つもの。
見るも凄まじい威力の水砲だが、冷静に跳んだパッチは危なげなく躱している。
威力だけなら水技最大級の"ハイドロポンプ"が、パッチの立っていた硬い地面を抉り掘っていることからも、当たれば只では済まなかったのは間違いない。
ギャラドスは自らが発射した砲撃の反動に身を任せる形で身を引いている。
浮かせている体をこの聖地、槍の柱の高き石柱に近付けて、その身を巻き付けてパッチを見下ろす。
高所を確保した上で据わりのいい首だ。口から発する砲撃を、いかに高威力でもぶれずに撃てる状態をギャラドスが確保する。
「怯まないで! 撃てえっ!」
「――――z!!」
相手が高い位置にいて牙を突き立てられぬ状況になったが、ならば10万ボルトの放射が最大の攻撃手段となろう。
据わり固めたギャラドスを襲うパッチの雷撃が、ギャラドスに痛烈なダメージを与えている。
水に満ちた身体かつ地に足を着けぬ生態であるギャラドスに、電気技は抜群以上の効果をもたらす。
よく育てられて屈強なギャラドスが、目を見開いて全身を強張らせる姿からも、絶大なダメージは明らかだ。
「ギャラドス」
「ッ、ッ……!
――――――――z!!」
大量の水を下方に吐き出したギャラドスは、あっさりと自らの身を石柱からほどき、生み出した水が波となってパッチへと襲いかかるその上へ乗る。
幅と高さのある波で以って敵を呑み込む"なみのり"による反撃は、確実なダメージを相手に与える有力手だ。
逃げ場無き波が前方から迫る中、一瞬パールの方を振り返ったパッチに、握り拳で小さく頷くパールの硬い表情が見える。
口にしづらい過酷な指示、それでもそれが最善手だと訴えてくれるパールの挙動は、同じことを考えていたパッチに自信と喜びをもたらしてくれた。
どうせ躱せないなら。パッチは自らその波に直進し、水の壁を突き破る勢いの突撃だ。
水圧と勢いに満ちた波を真正面から浴びたパッチが、その瞬間に受けたダメージは確かに小さくない。
だが、帯電していたパッチが波の中に突っ込むに際し、いっそうの強い電撃を発したことが、波の上に鎮座するギャラドスにも電撃を届けている。
波を突き抜けたパッチと波の上のギャラドスが背中合わせになる中で、電撃の痛苦に目を白黒させたギャラドスが、波を保つ力を維持できなくなる。
パッチが振り返った瞬間に目に留まるのは、波が霧散し空中に身を巻くギャラドスが、苦しげな表情でこちらを睨みつける表情だ。
「撃てえっ!」
「――――z!」
空中のギャラドス目がけて10万ボルトを放つパッチの追撃が、一気にギャラドスを瀕死状態へ近付けていく。
いや、この一撃で終わってもおかしくない。それだけギャラドスというポケモンに対し、電気技とは抜群すぎるのだ。
現に頭をのけ反らせ、高度を保てず地表へと落ちていくギャラドスは、気を失わぬようにするので精一杯であったと言える姿だった。
「ッ――――!!」
だがそれは厳密には正しくない。
身を浮かせる力を保てず落ちたのではなく、自ら高所よりその巨体を地面に落としたギャラドス。
地面を叩いたその300kg超の肉体は、激しく地面を揺らす"じしん"を生じさせるのだ。
ギャラドスの体が地面を叩いた場所を震源地に、聖地一帯が激しい縦揺れに見舞われる。
「ひぁ……っ、いだっ……!
パッチ、パッチっ、来……!」
「ッ、ッ~~~~……!」
「そうだ、ギャラドス。決めてみせろ」
「――――――――z!!」
さりげなく自らの立ち位置を大石柱のそばへと移していたアカギは、その手を柱に添えてこの揺れの中でも膝を着かず耐えている。
そんな挙動を未然に見切れれば、ギャラドスの地震も読めていたのだろうか。アカギがパールの立場なら、敵のトレーナーの動きから読めていただろう。
読み切れなかったパール達を襲う揺れは、膝を打ち付けて擦りむく少女と、足を取られて動けなくなったパッチの姿を叶えている。
そして動けぬ獲物に突き進むギャラドスは、今この瞬間だけは多大なダメージを背負った肉体の弱みを忘れ、全力全開の特攻を果たす決死行そのものだ。
突き出した額、パッチへの激突、それに際して真っ直ぐに伸ばした体は、体重すべてを衝突対象に乗せるための体の使い方。
300kg超えの巨躯が持つエネルギーすべてを乗せた"ギガインパクト"は、パッチの全身の骨をばきばきに砕いて突き飛ばす。
このたった一撃でげはっと血を吐いたパッチが、叩き飛ばされるまま石柱に背中から叩きつけられ、ずるりと地面に崩れ落ちる姿はあまりにも悲痛である。
「パッチ、っ……!」
全身を滅茶苦茶にされたパッチは、今の自分の体のどこが駄目になったのかも、すぐには把握しきれない。
痛みだけがある。気も遠くなりそうなほどの、目の前の光景が歪むほどの。
それでも辛うじて動く右前足で地面を踏みしめ、胸を地面から離して顔を上げると、ギガインパクトの反動で身体が痺れているギャラドスを睨みつける。
"いかく"の眼差しをぶつけ合う両者は、どちらも本来致命的なほどのダメージを受けながらも、決してその闘志は死んでいない。
「ッ…………、ッ~~~~……!」
パッチの搾り出そうとた咆哮は声にならず、牙のちらつく口を開く表情を形にしただけだったけれど。
発する雷撃が無防備なギャラドスに差し向けられ、地にその長蛇の肉体を着けたギャラドスが、空を見上げて悶絶する。
足掻く余力も無いギャラドスは、レントラー渾身の10万ボルトによる放電が絶えたその時、乾いた息を吐いて目を剥くとその全身で地面に倒れ込んだ。
「よくやった。
いいはたらきだったぞ、ギャラドス」
無表情のアカギだが、手元のボールに収まったギャラドスを一瞥し、発した労いの意は本物だ。
パールの5匹のポケモン達を知っているアカギである。このレントラーをどう捌くかが間違いなく勝負の分かれ目。
ギャラドスを破られたことは決して小さくないが、逆に言えばあのレントラーを相手に、犠牲がギャラドスだけで済んだなら上出来過ぎる。
パールの残り3匹のポケモン、そして自分の残る2匹を考えた時、あのレントラーが今ほぼ瀕死なのは例えようもなく大きい。
「ハァーーー……ハァーーー……!」
「ぱ、パッチ……まだいけるの……!?」
「始末してこい」
3匹目のボールを放ったアカギ、ボールから飛び出してきたマニューラ。
ギガインパクトによるダメージで、今にもバラバラになりそうな身体で踏ん張っているパッチは、もはや意地だけで立っている。
ギャラドスよりも先に倒れてたまるか、ニルルが頑張ってみせたように、相手の次の手の内が明かされるまでは死んでも倒れない。
そして、マニューラという次の敵の姿を目にしたらしたで、私の役目は終わりだなんて思えるか。
一矢でも、ほんの掠り傷一つでも。仲間達の優勢に向けて、血の一滴まで搾り出す。
「ッ、ッ……!
――――――――z!!」
「無駄な足掻きだ」
「~~~~♪」
悪あがきの10万ボルトをマニューラのいる前方広くに放つパッチだが、地を走るまばらな電撃をマニューラは軽快な動きで躱して敵へ迫る。
力尽きる寸前の死に体で放つ電撃、狙いの定まりきっていない、言い換えれば規則性の無い読みづらさはある。
それでも勢いを欠く電撃を差し向けられたとて、その足捌きに絶対の自信を持つマニューラにしてみれば御しやすささえ感じる。
あっという間にパッチに手が届く場所まで迫ると、顎を引いて喉や首を守ったパッチの額を、鋭い爪でずばりと切り裂く。
痛みで気が遠くなった無防備なパッチが、この時点で戦闘不能になったにも関わらず、逆の手の爪の裏でその顎を下から殴り上げる。
型破りだが"かわらわり"にも相当するその一撃を受け、パッチは完全に失神してのけ反ると、そのままひっくり返されるように後頭部から地面に倒れた。
「っ、ううぅ……ごめん、パッチ……!」
もっと早く引っ込めるべきだった後悔がどうしても残る敗北だ。
まだ戦える、そんな主張に甘えてしまって、任せて、縋って、あの強いパッチが気を失うほどのダメージを受ける末路を辿らせて。
わかっていたのに。いよいよとなれば命さえ捨てて戦い抜いてしまうパッチの姿は、あの日ギンガ団アジトで見たはずじゃないか。
パッチの収まったボールを握るパールの手は、勝負での汗ではなく悔恨のそれにより肌寒く滲んでいる。
『いくよ、パール!!
勝つしかないんでしょ!!』
「んっ、ぐ……!」
頭に響く強い声、頼れる友達の感情の迸り。
鞄の中、ボールから自ら飛び出してきた小さな体で、みんなの中でも随一の情熱を胸に宿す親友のひとり。
残忍な眼差しのマニューラと対峙し、その"プレッシャー"に一度びくりと体を震わせつつも、ばふんとその両拳を胸の前でぶつける姿は果敢なものだ。
一度パールを振り返り、後悔する暇があったらあたしを勝たせろと眼で訴えるミーナの姿が、パールの惑いを吹き飛ばしてくれる。
『さあ、勝つんだよ!
ニルルも、パッチも、それを望んでる!』
「っ……!
頑張ろうね、ミーナ! 絶対に負けない!」
「仕留めろ、マニューラ。
現実を教えてやるといい」
「~~~~……♪
――――――――z!!」
冷徹な瞳でにやりと笑い、がちん、がちんと爪を鳴らして威嚇するマニューラによる、なぶり殺し狙いを想像させる挙動の緩。
次の瞬間、残忍に目を見開いて発する咆哮で、八つ裂きにさせる姿を獲物に想像させる急。
臆病な相手ならばそれだけで身動き取れなくさせる、本気の狩猟時に見せる威嚇でパールとミーナを竦み上がらせると、マニューラは一気に駆け迫る。
その気迫に呑まれたパールの思考が凍り付き、指示一つ出せぬ中でミーナに迫ったマニューラは、"つじぎり"の爪で以ってミーナを引き裂きにかかった。
こんなにも負けたくない時に縮み上がってなんていられるものか。
"とびはねる"ほどの跳躍を見せたミーナがマニューラの攻撃を躱し、跳んだ先、石柱の上部を蹴ってマニューラに向かう自らの軌道を作る。
振り返ったマニューラも反応も早く、重力を味方に自らを斜方投射したミーナの突き出した蹴りを、最低限のバックステップで回避する。
硬い地面に蹴りを突き刺すような勢いで着地したミーナは足先が痛むが、距離を作らず反撃体勢に移ろうとしたマニューラに隙を与えない。
痛む足を踏ん張って堪え、前に踏み込みその拳を連続で突き出す。
"れんぞくパンチ"のようにも見える、ピヨピヨパンチの連続攻撃だ。
攻め気を急がず冷静に後退するマニューラは、ミーナの拳を爪で防ぎながら、カウンターの隙をうかがう目に変わる。
そして隙を見出すのが早いことこそ、高い自己判断能力を養われてきたアカギのポケモン達の強みの一つ。
人の目では傍目からなど見極められない小さな隙を、敵の動きを間近に見る戦いの中ではっきり見極め、半秒かかる指示すら待たない。
たった三発目の拳を爪で打ち返した瞬間に、なおも前に出ようとするミーナの懐に隙を見出したマニューラの反撃は早い。
「!?
退が……」
言い知れぬ危機感にパールがその一言を発しかけようとも、ミーナの耳に届く頃には間に合わないのだ。それが指示を省いた刹那の戦いの重み。
ミーナも危うさを感じて退がりかける素振りを見せたが、彼女の腹をずばりと切り裂くマニューラの爪の方が早い。
ほんの少しだけ身を引いたことで、お腹の中身まで斬られる最悪の結末こそ免れたものの、その辻斬り一閃による深手は尋常ではない。
斬られた瞬間に血が溢れなかったのは、それほど鮮やかに速く斬られたからであって、五秒後にミーナが血みどろになる未来は確定した。
「ッ~~~~、ッ……!」
「――――!」
やばいと思った。死ぬかもしれない傷だとさえ感じたとも。あまりにも嫌な痛さ。
それでもミーナは前に出た。拳を突き出し、マニューラの顔面を打ち抜くための一撃を放って。
さらなる追撃に迫ろうとしていたマニューラも、即時防御に切り替えて爪を引き、致命打にさえなり得る一撃を防いでいる。混乱させられるのはまずい。
ほぼカウンターであったその一撃をマニューラが防ぎきった一幕は、筋力をはじめとした身体能力でも、マニューラがミーナに勝っているという事実を物語る。
押し込めないミーナ。だったら顎を引いてその耳を相手に突き出して。
自身第二の腕とも言える耳でマニューラを捕まえた瞬間に、軽く跳んだ両足を縮めたミーナの仕草は逆転に繋ぐための十八番。
「っ、いけえっ!」
「――――z!!」
メガトンキックという名で通ってきた、耳で捕らえた相手を両足で全力で蹴り抜く必殺技。勝たねばならない、今こそパールに恩を返す時だ。
鼻っ柱に直撃させられては確実にノックアウトだと、歴戦のマニューラがその気迫から確信している。
引き上げて交差させた爪でそれを受け、大きく後退するマニューラは、爪と手首と腕までもが軋む実感を得る。
危なかった手応え、しかし怯まず。盛り返しかけつつあるミミロルを、勢いづかせず叩き潰す次の策は既にある。
「――――!」
「そうだ、それでいい」
痛む腕を振るって"こごえるかぜ"を放つマニューラは、接近戦で勝る基礎能力にのみ頼る慢心をしない。
激しい動きの中でミーナのお腹の傷は、既にばくっと開いておびただしい血を流し始めている。
それだけでも気が遠くなりそうな中で、激しい冷気に晒されるミーナの体温は急激に奪われていき、冷気と霜でいっぱいの眼前はいっそう白むばかり。
この時パールがミーナの名を呼んだ大きな声さえも、あわや聞き逃してしまいそうだったほどだ。
「…………ッ!!」
ぐっと顔を上げたミーナが両手で自らの頬を力強く叩き、吹っ飛びそうだった意識を取り戻した。
情熱を、魂を、勝利を渇望する精神をこの胸に。なるほど今はじめてわかった、これはいい。
負けたくない時にパールがよくやっていた仕草だ。これでもかってぐらいに気合が漲ってくる。
『やらせてね、パール……!
あたし、もうあなたに可愛がられるばっかりの、弱くて駄目な子じゃないよ……!』
「…………ミーナぁっ! がんばれえっ!」
『嬉しい……!!』
血走る眼と甲高い鳴き声、可愛らしいはずの声をがらがらに濁したその声は、まさしく迫力に欠く"なきごえ"そのものですらあったけれど。
その一声とともに地を蹴ったミーナが弾丸のような速度で迫るその気魄は、決してマニューラに敵を子兎だなどと認識させるものではない。
元より獅子搏兎、いや、小動物の皮を被った凶獣だ。
殆どノーモーションから自らを発射してきたミーナの突撃を凌ぎようのなかったマニューラは、爪で防いだ"とびげり"の重みにその確信を禁じ得ない。
ハァッと荒く猛々しい息を吐いたマニューラもまた、瞳孔の開いた目でミーナに襲いかかる。
切り裂く、辻斬り、シザークロス、どうとでも呼べよう一撃一撃が満身創痍の敵には致命傷になり得る斬撃の連続だ。
踏み込むマニューラと退がるミーナ、離れようものなら一瞬で距離を詰めるマニューラは、今のミーナを逃がさない。
腹の傷の激痛に喘ぐ表情のミーナに、一撃でも急所を捉えられれば確勝であるこの局面、マニューラは反撃の隙さえ与えまいとする。
そして、追い詰められたネズミが最後はどうするかだってマニューラはよくわかっている。これまで何度も追い詰めてきた側だったからだ。
五発目の爪の振り下ろしを、中途半端な回避で肩に傷を負いつつも、マニューラを射程圏内に捉えて目を光らせるミーナ。
追い詰められた奴らが最後に狙うことなんて、いつだって一発逆転の近道だ。
「跳んでえっ!!」
ミーナの回し蹴りめいたハイキックを、マニューラは実に冷静にしゃがんで躱した。歴戦の読みが冴えていたのだろう。
だが、野生の強敵を狩る戦いとは異なる最大の要素が、ミーナの軸足めがけて爪を振り抜いていたマニューラの狙いを叶えさせない。
ミーナが蹴りを放っていた瞬間には既に発していたパールの大声が、決死の一撃を躱されて次が無かったミーナをしっかり導いている。
フットワークを武器とする獲物の脚を奪えば終わりだったはずの局面、"とびはね"たミーナをマニューラは舌打ちして見上げる他無い。
「ガード! でんこうせっか!」
跳躍したミーナはマニューラ目がけて足先を突き出す蹴りを放つのみだ。
躱すマニューラ、着地して腰を沈めざるを得ないミーナ、その背後で爪を振り上げた残忍な狩猟者。
着地の前から発せられていた指示が、ミーナに取るべき行動を信じさせてくれる。
両耳を掴んで"まるくなる"ミーナの背中をマニューラの爪が深く傷つけるが、その痛みさえ今のミーナの意識を奪うには至らない。
次にどうすればいいのかわかっている彼女は、ただただかつては信頼していなかった友達の声に、命さえ預けて殉じるのみ。
地面を蹴ったミーナが背中からぶつかっていく変則的な体当たりは、彼女の脚力により相応の威力でマニューラに激突する。
小柄なマニューラが胸元にそれを受けてしまえば、踏ん張りきれずに一度倒れさせられるほどの一撃だ。
仰向けに倒れたマニューラのお腹の上に、背中を預ける形で乗る形となったミーナ。
次の指示はもう無い。だが充分だ。両耳でマニューラの両腕を地面に押さえつけ、お腹に力を入れて下半身を振り上げる。
力を入れれば入れるだけ、ぶしっと血が噴くお腹の傷の痛みを伴うが、今ならそれさえ気を失わずに済むほどの刺激として助かるほどだ。
がら空きのマニューラの下腹部に両足を振り下ろしたミーナが、その反動でマニューラの体の上から転がるようにその頭上方向へ。
内臓が破壊されるかと思うほどの一撃にげはっと息を吐いたマニューラが横たわっている中で、ミーナは何とか敵よりも早く立ち上がる。
だが、ぎらりとその眼に殺意を取り戻したマニューラは、倒れたままにして顎をぐいと上げ、ミーナへ凍える風を発してくる。
全身の傷口が凍り、止血と同時に体内まで一気に冷やされていく感覚が、前かがみになって耐えるミーナの眼を剥かせかける。
だめ、もう、飛びそう。助けて、パール、お願い、何でもいい。
遠のいていく意識の中、心の底から戦い抜く力を望むミーナが望むものは、決して特別なものでもなんでもない。
「み……っ、ミーナあっ!!」
そう、それだけでいいんだ。
自分の名前を呼ぶ声だけは、どんな雑踏の中でも一際よく聞こえるように。
現世を離れかけていた自分の意識を踏み止まらせてくれるものは、守り抜きたいあなたの声そのものだ。決して大逆転を導く卓抜した指示じゃなくていい。
戦い抜くことが大切なのだ。勝利というものはその先にしか無い。
「ッ、ッ~~~~!
――――――――z!!」
「マニューラ!」
「…………!」
跳ね起きたマニューラにアカギが大きな声を発するほど、事態は窮に瀕している。
呼吸も難しいほど体の内側を痛めながら、マニューラは身構えた。いや、それだけでなく迫るミーナに自ら突き進む。
死んでも勝つ気で襲いかかってくる獲物ほど恐ろしいものはない。そして、それに怯むマニューラでもない。
死にたいなら殺してやるとばかりに爪を振るうマニューラの眼光は、窮鼠の決死行に物怖じするどころかいっそう燃えるほどの気性の表れだ。
八つ裂きという言葉がぎりぎりの例えとして当て嵌まるほど、マニューラが連続で振るう爪はミーナをずたずたにする。
それと同時に、死なぬ目のミーナが突き出す拳もまた、マニューラの胸や肩や腕を、そして顔面を窪ませる滅多打ちの猛攻だ。
離れてじっくりと凍える風で料理するという選択肢は、もうマニューラには無いのだろうか。そんな機はとうに過ぎ去っている。
逃げ回るにはもたぬダメージと呼吸のマニューラが選んだ殴り合いの勝負は、ミーナの望みでもありマニューラにとっても唯一の正着手。
殺意と刃を共に携えたハンターと、生存ではなく目の前の敵を殴り飛ばすことのみが本懐の凶獣の戦い。
繰り出される拳と爪の応酬は、急所への一撃のみを凌ぐばかりの捨て身の攻々に過ぎず、その凄絶さはまさに命のやり取りだ。
血飛沫が舞う。ミーナの命の源そのもの。
骨が砕ける。マニューラの顔の骨、その破片は内から体を傷つける異物。
明日の健常な肉体など顧みぬ、勝利への渇望に魂を焼かれた者達の戦いは、11歳の少女には見るに耐えぬほど凄惨だ。
それでも目を逸らさないパールがいてくれること。
勝利を望んでくれるアカギがいてくれること。
野良の命には決して得られぬ無限の活力にして、早死にさえ招くその原動力そのものが、吠えて啼いて雄叫び発して戦うマニューラとミーナを突き動かす。
「――――――――z!!」
もう、長く戦える両者ではなかった。当事者でさえそう思っているからこそこの迫撃戦だ。
その戦いの終わりを告げる一撃を繰り出したのはマニューラの方だ。
ミーナの拳に鼻っ柱を叩き込まれながら、既に鼻血まみれの顔をぐいと引き、突き出した爪先がミーナの胸の真ん中に突き刺さる。
それも浅い一突きではなく、あと少し踏み込めていれば背中まで貫通していた、急所直撃相当の"つじぎり"の刺突である。
「ひぅ……っ……」
『あ、と…………少し、ぃ…………っ…………!』
パールがボールのスイッチを押しそうな気配はミーナも感じ取っていた。ずっと、そうではあったけど。
自らの死を深刻に意識するこの一撃は、あのパールが我慢できなくなるには充分だって、ミーナもすぐに確信できた。
まさに今、自分が死ぬかもしれないという時に、最も想うのは自分自身のことでさえ無いなどどれだけの人が出来ることだろう。
ぶつんと自分の何かが切れてしまう直前、燃え尽きる寸前の火のような迸る想いを訴えるミーナは、今まさに一矢報いるためだけに"こらえて"いるのだ。
胸を貫かれてのけ反りかけていた身体さえ奇貨として。
思いっきり前に振るった頭で以って、耳を相手の両肩にかけ、ぐっとその耳に力を込めて。
内も外もずたずたの身体、とうに口の中まで上ってきていた血を、ぶしゃあとマニューラの顔めがけて吐き出して。
あまりにも予想外すぎる目潰しにマニューラが怯み、ミーナの胸を貫いていた手を引いてまで後退しようとして。
敵を耳で捕まえて逃がさないミーナは、既に両足で地面を踏み切っている。
前が見えないマニューラの胸元を、ミーナがパールへの"おんがえし"の想いいっぱいのメガトンキックで貫いた。
殆ど無防備であったマニューラはその一撃で吹っ飛ばされ、ミーナは敵を蹴った勢いで後方に跳ぶ形となり。
転がるように倒れたマニューラが、それでも血を吐きながら立ち上がろうとするところに。
駆けて跳んだミーナが弾丸のように迫り、マニューラの鼻っ柱めがけてその膝を突き刺したのが完全なるとどめの一撃となった。
ミーナの大技の一つであった"とびげり"、それを脚の最も硬い膝をぶつけることでそれ以上の破壊力を為す、無我夢中の中で繰り出した一撃だ。
立ち上がりかけていたマニューラが後頭部から地面に倒れ、問うまでもなく失神した姿を以って、壮絶な一対一に幕切れが訪れたのだった。
「……たいしたものだ」
「…………ミーナ、っ……」
時には自身の切り札格とさえなり得るマニューラが、既に瀕死だったレントラーを別として、一匹も撃破できず倒れたことは少なからずアカギには予想外。
感情とは別に、パールとそのポケモン達に対する賞賛の意を口にするほどには、アカギも驚かされたということだろう。
そして、パールはとうとう耐えきれず、ミーナのボールのスイッチを押す。
声も無く、その感情を訴える余力もなく、小さく微笑むようにして倒れまいとするだけの血まみれのミーナを前にしては、もう我慢できたものではない。
やったよ、と未練一つ無くした彼女の姿が、ギンガ団アジトで命さえ喪う寸前だったパッチの姿さえ思い出させる、それだけのものだったからだ。
『あんたは間違ってない。
ここまでしなきゃ勝てない相手なんだ。
あたしが一番よく知ってる』
「ぅ゙……!?」
『後悔なんてするな! 明日を勝ち取りなさい!
振り返ってる暇なんて無いわ!』
感情の神の力が渦巻く槍の柱、パールの脳裏に響く一つの声。
八つ裂きにされたミーナの姿はやはり、たとえこの戦いに勝ったとて、明日はミーナのいない世界を歩まねばならない可能性をパールとて想像しよう。
それを強いたのが自分だなんて感じて、心を弱くすることを潔しとしない仲間がいてくれるのだ。
他ならぬミーナが望んだことなのだ。彼女には一つの後悔すら無いはず。
パールの仲間になって日が浅くとも、同胞の想いをパール以上に知る彼女は、冷静の下に秘めた情熱の想いをパールに届けてくれている。
『最後の一匹よ! 勝ちましょう!』
「っ……うん!
絶対勝とうね、ララ!!」
ぐしっと目鼻を拭ってパールが高々と投げ上げたボールから飛び出したララ。
耳の欠けたニューラだ。アカギも、彼女のことはよく知っている。
かつては尖兵として使うためにある程度育て始めていた個体ながら、彼の思想についていけず離反した、感情と道理に満ち賢し過ぎたニューラである。
感情など邪魔なものにしか過ぎぬという持論を持つアカギにとって、彼女はまさしく未練なく手放せた一匹であろう。
「よもや私の切り札の強さを知らぬわけではあるまい。
それでもなお刃向かうというのであれば見上げたものだ。
私達も、相応のもてなしを以って迎えよう」
アカギが4匹のポケモンしか持たぬことは、彼の知己であるシロナからパールも聞いていることだ。
サターンが、コウキがそうであったように、最も信頼できる者達しかそばに置かぬ、アカギがそうした人物であるのは旧知の者が誰しも知る事実。
アカギが一時育てていた今のララも、ある程度まで育てれば部下が操る兵力にでもするつもりでしかなかったのだろう。
そうなる前に逃げてしまい、ましてカンナギタウンでアカギの命さえ狙い、その野望を阻もうとする賢しさを持つ存在だったのは巡りが悪い。
わざわざそれを問題視はしなかったアカギはむしろ、その一件で以って感情というものの煩わしさをいっそう深めたかもしれぬほどだろう。
「いくぞ、クロバット。
すべてを葬り去る」
「っ……!」
繰り出されたのは、正真正銘アカギの最後のポケモンだ。
それは、かつてパールがシンジ湖に落ちたきっかけを作った当時のズバットであり、彼女にコウモリに対するトラウマを植え付けた張本人。
今や最強の姿に進化したそれと対峙するパールは、かつてよりも薄れていた心の傷が蘇り、息が詰まるような感覚さえ覚えている。
ばっちーんと両手で自らの頬を叩く仕草が、パールはいつもよりずっと早かった。
一秒たりとも弱っていられるものか。
ニルルが、パッチが、ミーナが、あれほどまでになってでもここまで繋いでくれたのだ。
それに報いるには、労いでも感謝でもなく、勝利あってこそだとパールははっきりとわかっている。
明日を勝ち取れ。それしかないのだ。
2対1、そして空を舞うクロバットを相手に、氷の技を使えるララを元気な状態で送り出せた流れがここにある。
希望はあるはず。そして同時に、ただその利のみですんなり勝たせてくれるような、一筋縄でいかぬ相手ではないことも自明の理。
未来を託された戦いの大詰めだ。