「ピョコ撃って! 追える!?」
「――――!」
空を舞うクロバットへドダイトスが放てる攻撃手段は限られている。
駆けるピョコは旋回飛行するクロバットを常に視界内に捉え、葉っぱカッターを撃つのみだ。
だが柔軟に滑空軌道を曲げるクロバットに、直線的な弾丸はそう簡単には当たらない。
そして葉っぱカッターを回避したクロバットは上空から、ピョコとその背に跨るパール目がけて空気の刃を撃ち返してくる。
「走って! 大丈夫!
私は平気だよ! それより相手をよく見て!」
大きな体躯だがピョコも走れば速いものだ。こちらの飛び道具と同じく、直線的な軌道の"エアスラッシュ"を凌げるほどには。
後方の硬い地面をがきがきとエアスラッシュが斬りつける、金属が岩を欠かせる激しい音は、パールの恐怖心を煽るけれど。
無傷の自分を強く訴え、ピョコが戦いに集中できるよう声を張る親友には、彼女を守るために馳せ参じた凶獣も奮い立つ。
首を上げ、上空の敵を断じて見逃さず、発射する葉っぱカッターで勝利への活路を手繰り寄せることを諦めない。
ララとクロバットの戦いは見ていたとも。あのクロバット本来の素早さも。
確実に動きが落ちている。それでも速いが、ララが体を張って撃ち込んでくれた凍える風は決して無駄ではなかった。
一度視界外に逃げられれば見失いさえしかねないクロバットの俊敏さが削げ、真後ろだけは目で追えないピョコが、しっかり体を回して目で追えている。
繋がれたこの勝利への道筋を、決して無駄になどしてはならない。
「ぬるいぞ、クロバット。
恐れは要らない」
「――――――――!」
それゆえクロバットもしばし慎重だった。
葉っぱカッターなど本来自分にとって怖い技ではない。だが、羽の根元に突き刺されば一枚を奪い得るだけの切れ味はある。
慎重さにより犠牲になっていたのは攻撃性だ。回避に徹すれば攻めが鈍る。
だがアカギの静かな喝を受け、クロバットが一度高い声で吠えれば、その眼差しは殺意に満ちる。
「来るよ来る来る!
ピョコ右に曲がって! まっすぐ! えぇと、次は左……!」
上空から降り注ぐ真空の刃が一気に数を増し、四枚の刃に次いで再びの四枚、息つく暇も無くさらに四枚。
一撃一撃がピョコにとっては痛打だ。叶うならば一枚も受けたくない猛攻。
クロバットから目を離さないパールは、飛来する風色の刃からピョコを逃れさせるため、必死の声を次々に張る。
視界真っ正面から迫る、自分に当たれば首さえ落とされる恐ろしいものから目を逸らさず発する、勇気を振り絞っての指示。
それでもピョコの大きな体、的は刃の数々を無傷で凌ぐには至れず、甲羅や足を浅くも斬りつけられる結果が次々に続いている。
「そうだ、それでいい。
反撃を恐れるな、お前の勝ちだ」
「ううぅっ……! ピョコ走って! 諦めちゃ駄目!
今もそう、ずっとそう! 撃って! 勝つんだっ!」
「ッ…………!」
駆けてエアスラッシュを最大限凌ぎつつ、クロバットへの葉っぱカッターを放つピョコも、パールの声から伝わるものは感じている。
殆ど自分自身に向けて発する言葉だ。自分の甲羅を握りしめる手の力が強く、震えを押さえようとする心情もすべて伝わっている。
ずっとずっとパールの声を、一番近くで聞いてきたのだ。声そのものだって、強くピョコを支えようとする強い声に、恐怖が隠しきれていないのもわかる。
彼女の心の拠り所はどこか。俺がそうでなくてはならない。
「っ、ピョコ!?」
「む……」
追うように自らへエアスラッシュを放ってくるクロバットの攻撃を振り切りながら、ピョコは槍の柱の石柱へと一直線だ。
パールも思わずピョコの向かう先を目で追ってしまい、ぶつかると思って目をつぶった直後、体が後ろに引っ張られてさらにびっくり。
地面に対して垂直に立つ太い太い石柱に、力強い四本足で駆け上がるピョコが、"ロッククライム"の駆使で以って石柱のてっぺんに向けて駆け上がる。
事態をパールが知るや否や、高所まで上り詰めてクロバット以上の高さに到達したピョコは、指示など待たずして柱を踏み蹴った。
「――――――――z!!」
「クロバット!」
「ッ――――!」
自分よりも高い場所からドダイトスが口を開いて飛びついてきて、"かみくだく"勢いで迫る光景は、少なからずクロバットの度肝を抜いたはず。
アカギも強い声でクロバットの名を呼んだほどだ。呑まれるな、という指摘。
クロバットもまた冷静さを損なわず、空中戦など得意でもないドダイトスの変則的な噛みつき攻撃など、素早く身を躱して凌ぐのみ。
落ちていく中で首を回して振り返り、的に向けて無数の葉っぱカッターを撃ってくるピョコの追撃も、一枚は翼に受けたが殆ど凌いでいる。
「好機だぞ」
「っ、ピョコぉ、っ……!」
「…………!」
着地の間際、上空のクロバットからエアスラッシュの刃が幾枚も放たれていた中。
ピョコの甲羅を握りしめるパールの両手が、ともに握った場所をぐいっと右に引っ張った。
まるでハンドルを切るかのように。そして、ピョコもそれを感覚で得ている。
着地すると同時に両足に力を込め、引っ張られた方向へ右に身を逃がした瞬間、地面を傷つける四枚の真空の刃の音。
パールの導いてくれた無傷の道筋だ。甲羅に感じた直感に従ったことで得られたこの結果、ピョコも内心では驚かされてもいる。
「わかってくれた、っ……!
ピョコ、大丈夫だよ、私がついてるから……!」
「ッ――――!」
守るべきだと思っていた相棒から発せられる、声では間に合わぬ回避指示の精密さ、それを補う手ずからの指示。
自らに跨るという死地にも等しい世界に身を投じた彼女が、それゆえにこそ出来るリードが、先導者たれと自らに戒めかけていたピョコを奮い立たせてくれる。
そうだ、こんな子だったんだ。ずっとそうだったじゃないか。
未熟を尽くし、活路を切望し、行動と声を精一杯であり続けてくれた彼女が今もそうあり続けてくれていることに、独力の概念は吹き飛ばされる。
「動きが変わったか?
クロバット、動じるなよ」
「こっち、っ……!」
声を発するより刹那でも早く伝わる、握りしめた場所を引っ張る行為で、パールがピョコの走るべき道筋を伝えてくれる。
怖がりな己の心に蓋をして、クロバットから目を逸らさず、飛来する刃の数々が迫る光景から目を切らず。
左に引いて、前に押して、後方に引っ張って減速を促し、再び左に引っ張って。
乗り物のように手で動かされるように駆けるピョコにとって、今までで最も心強く、無意識のうちに心昂る走りだ。
傷は浅い。パールのおかげなのだ。
俺の友達はこんなに頼もしくて最高の相棒なんだと、敵のクロバットにさえ唱え訴えたいほど、最高の仲間に導かれるこの瞬間の高揚は只ならない。
「――――――――z!!」
「そうだよピョコ! 撃て撃て撃てえっ!」
足を止めぬ中で葉っぱカッターを返すピョコが、回避を強いさせそのうち二枚がクロバットに小さな傷をつけるに至っている。
舌打ち混じりの表情で身を躱し続けるクロバットは、エアスラッシュを撃ち返す。
攻撃の瞬間に動きが僅かに鈍るその瞬間を狙い撃ち、駆けるピョコの頭頂部と脚に傷をつける反撃だ。
展開の上向きを主張して士気を高めようとしてくれるパールの声とは裏腹、まだまだ戦況は厳しいものに変わりない。
それでもパールとピョコの心は、内心で認めざるを得ない相性差や本来的劣勢を覆さんと、その戦意を高めさせていく一方だ。
「追い詰めろ、クロバット。冷静にだ」
「――――!」
「んっ、うぅ……っ!
ピョコ……!」
クロバットは決して動じていない。冷徹に、客観的に、優勢の現状を疑っていない。
追わされる浅い傷に心乱されることなく、与えるべき深い傷を見失うことなく、飛来する葉っぱカッターを凌ぎながらエアスラッシュを放ち続けるのみ。
普通に戦い続ければ先に崩れるのは敵の方だ。普通の戦い方を見失わない。
即興じみて少しでも戦いやすい立ち回りを導き出すパールに脅威性のみかすか認識しつつ、ぶれない戦い方を貫き通す"せいしんりょく"。
それこそがアカギがこのクロバットを最も信頼し、己が切り札と定義する最大の一因だ。
「ピョコいくよ……! わかってくれるよね!?」
「ッ――――!」
「大好き……!」
飛び交う真空の刃が我が身のそばを掠めていく中で震えつつ、小さな声で衰えぬ勝利への意志を訴えかけるパール。
応えるピョコ。無言で、だけどこの立ち止まれぬ中でなお頭を下げ、頷く仕草を以って示し。
頼もしいの一言よりずっと嬉しい言葉を耳にして、ピョコは上空のクロバットの真下の位置へ向かって、勢いよく駆けていく。
「打てええぇぇぇっ!!」
「――――――――z!!」
「っ、クロバット!」
只ならぬ気配を感じてアカギが発した大きな声は、ピョコがその技を形にするよりも一瞬早かった。
甲羅に根付くドダイトスの樹が、凄まじい成長エネルギーを得たかのように一気に伸び、あっという間に一本の大樹となる光景。
背上の樹の急成長で以って敵を突き上げる"ウッドハンマー"が、上空のクロバット目がけて襲いかかる一幕だ。
葉に埋もれた枝の数々を頭にする大樹の急接近に、クロバットも戦慄を覚えてその身を逃がす。
羽の先端を掠めた、葉々の重みを得た枝の一撃に飛行姿勢を乱されながらも、クロバットは体勢を立て直す。
「っ、大丈夫! 当たれば効くよ、絶対に!
あいつもアカギさんもびびってたもん! 狙っていこう!」
「――――z!」
隠し玉による渾身の反撃を凌がれたことは痛手だ。これで秘めていた手の内が相手に割れ、期待したかった深手も相手に与えられていない。
その現実を振り切るかのように、勇気づけるための言葉を紡ぎ立ててくれるパールの声に応え、ピョコも力強く吠えている。
急成長させた背中の樹の殆どが力を失って崩れ落ち、落石に近い固まりとなって降り注ぐ域から駆け逃れるピョコが、パールを大きな木片から守り通す。
「揺らぐなよ、クロバット。追い詰めるのみだ」
脅威たり得る技一つ見せつけられたところで、それは所詮相手の手の内を一つ確かめられただけだ。
焦るどころか好材料と正しく認識したアカギと、その声からその事実を再確認するクロバットのメンタルは一切揺らがない。
弱者ならば慎重になり過ぎることもあろう突然の隠し玉に、一切動じずエアスラッシュ攻撃の再開へ迷わないクロバットの姿は歴戦のそれだ。
甲羅を引っ張って操縦めいたことをしてくれるパールに応え走るピョコに、つくづく脅威たる真空の刃が再び差し向けられる。
「いいから、撃ってっ……!
攻めなきゃ、勝てないからっ……!」
好転しない戦況に、攻め気を失っちゃ駄目だと訴えかけるパールに応え、ピョコも駆けながら葉っぱカッターを発している。
苦境の打破にはやはり防戦一方では駄目だ。正しい主張である。
だが、葉っぱカッターの数々は上空を舞うクロバットに浅い傷をつけるのみで、返す刃のエアスラッシュがピョコを傷つける数の方が多い。
続けばじり貧、まさにその構図。
脚に傷の増えてきたピョコが最も実感している、このままではまずいという展開の脱却にはまだ手が届かない。
「ぬるいぞ、容赦はするな」
「――――!」
「ぇぁ……!?」
立て続けに真空の刃を放っていたクロバットがそれを一度止め、翼の振るい方を変えたその瞬間。
背筋まで寒くなるような空気の揺らぎを感じたパールが、思わず全力の力でピョコの甲羅を前に押していた。
指示ではない、思わずの行動。
切実に伝わる彼女の必死さに、思わず前へ全力駆けしていたピョコにより、最悪の事態は回避できていた。
「――――!?」
「だ……っ、だい、じょうぶ、っ……!
気にしないでいいから狙って! 勝つんだよ、っ……!」
大丈夫なものか、声だけで伝わる背上の危険な気配。
クロバットが放った"エアカッター"は、ドダイトスの背上のパールを狙って放ったものであり、彼女のすぐそばに真空の渦を生み出して。
ピョコが駆けることでパールの身を逃がしていなければ、真空の刃の渦が彼女の身体をずたずたに引き裂いていたはず。
後方にたなびいた髪の先がざくざく斬られ、それに頭が引っ張られるような感覚を得たパールの抱いた恐怖は、尋常なものではないはずである。
案じる暇も無く上空から降り注ぐエアスラッシュの連射が、駆けるピョコの周囲の地面を幾度となく斬りつける。
金属音にも似た白刃と岩石のぶつかり合う音にパールが身をかがめ、刃の一枚が甲羅を傷つけた実感もピョコは感じている。
ほんの少しそれがパール寄りであったなら、彼女はいったいどうなっていたのか。
撃破すべきドダイトスのみならず、背上の彼女をも同時に狙うクロバットの飛び道具は、ピョコの怒りと焦燥感を同時に掻き立てている。
「落ち付いてえっ……!
あいつが、来る……っ!」
「…………!」
怒りに呑まれてはいけない場面なのだ。冷静さを欠き視野を狭める危険性。
ぐっと甲羅を握る手を左に引っ張ったパールの指示は、そちらに逃げろというものではなかった。
直感的にそう感じたピョコが振り向いたその先から、飛来するクロバットが一気に迫っている。
四枚の翼をピョコとの交錯の瞬間に振るい、反撃せんと口を開いて前に出たピョコを寸前で躱し、敵の骨肉に残していく斬りつけ。
ピョコの血には激烈に効く"クロスポイズン"の一撃は、甲羅側面に深々と傷をつけ、さらにその内側へと強い毒を沁み込ませる。
幾枚ものエアスラッシュを根性で耐えきり、表情一つ歪ませなかったピョコさえ、この一撃には動きが止まりかけるほど歯を食いしばっている。
「走って、走って……!
お願い、走ってえっ!」
ピョコの後方へ飛翔していったクロバットは身を翻しながら再び浮上し、やはり放つはエアスラッシュ。
ぐいぐい何度も前に甲羅を押すパールが、立ち止まっていたら八つ裂きだという焦りを必死に表している。
内から蝕む毒の苦しみを奥歯で噛み砕き、駆けたピョコを後方から真空の刃が斬りつける。
後ろ足を深々と斬られ、刃の一枚はパールを狙っていると想定したピョコが自ら身を傾け、親友の背中を傷つけられる結末こそ阻むものの。
ひ、と短い悲鳴を溢れさせたパールのそばを、迫真の刃が通過していった事実は感じ取れる。
「ピョコっ、お願い頑張っ……ぅあ゙!?」
背中の上で起こっていることはピョコの目では捉えられない。
只ならぬパールの悲鳴を耳にした時、ピョコが抱く戦慄もまた凄まじい。
その身に受ければ人の身体を、筋をも喉をも最悪首をも断つ危険な刃に晒され続けているパールが、どれほど危険な状況にあるか。
悲鳴の直後、すぐに甲羅を掴んでいる手に力を込めるパールが、それを以って死んでいないことを伝えてくれても胸を撫で下ろせはしまい。
「っ、撃ってえっ! 私、勝ちたいよおっ!
大丈夫だから、ピョコはあいつを倒すことに集中してえっ!」
「ッ…………!」
搾り出すような声、何かをその大声で覆いかぶせるような叫び。
わかってしまう。ずっと一緒に戦ってきたパートナーなのだ。
エアスラッシュにより二の腕をずばりと斬りつけられ、すぐに血が溢れ始めたほどの痛みに耐え、それを盟友に悟らせまいとするパールが嫌でもわかる。
ぎらりとクロバットを見据えて葉っぱカッターを乱射するピョコの感情が、色濃いもう一つのものに染まりゆく。
「凌げるな?」
「――――z!」
広く、速く撃たれる葉っぱカッターはクロバットの回避を容易とはさせないが、致命傷を避けられるのがクロバットの判断力の強みだ。
一度凍てつかされた翼は万全ではないが、それでも散弾のように飛来する葉の刃を躱し、凌ぎきれず当てられる場所は翼のみに絞っている。
目や肉体、翼の根元を斬りつけられるよりはずっと良いのだ。強く痛むが継戦能力は削がれない。
体勢を立て直し、振り抜く翼でエアスラッシュを、それが駆けて躱されればエアカッターによる真空の渦でパールを狙い撃つ。
パールだけは、と必死で走り渦から逃れるピョコも、膨らむ刃の渦の余波で尾や後ろ足を傷つけられ、勝負の肝である機動力を削がれつつある。
それでも苦しい表情で、怒りに満ちた眼差しで葉っぱカッターを撃ち返すピョコの気迫は、クロバットとて決して安く見ないものだったはずだ。
乱暴な乱射に見えて、執念とも言える決して敵を逃がさぬ広範囲の連射は、クロバットが完全回避を早々に諦めるほど凄まじい。
だからこそその冷静沈着な、判断力に秀でたクロバットがダメージ最小限の飛翔を選び、傷こそ増えつつ致命傷だけは受けはしない。
痛烈に効く風の刃を幾度も受け、いよいよ甚大なダメージとも呼ぶべきほどダメージの積もりつつあるピョコと比較して、その衰弱は非常に緩やかだ。
「ん゙っ、ぅ……! ピョコ気にしないで! 戦って!」
「――――――――z!」
「あいつをちゃんと見……っ、んぁ゙ぅ、っ……!?」
葉っぱカッターに応戦して放ってくるクロバットのエアスラッシュを、駆けて逃れる中で伝わるパールの声。
どれだけ自分が傷ついても気にするなという無茶な叫びに続き、思わず頭を下げた瞬間に帽子が吹っ飛ばされたことによるくぐもった悲鳴。
エアスラッシュの一枚がパールの帽子を直撃し、それが地面に落ちた瞬間をピョコははっきりと目にした。
姿勢を下げたパールの重心とその重み、彼女が胸を甲羅につけるほど身をかがめたことが感じられる中、彼女がそうしなければどうなっていただろう。
幾度も繰り返されてきたパールの死の危機、今なお。もう限界だ。
いい加減にしろ、この外道どもが。
「む……!?」
駆け足を止めて立ち止まったピョコが、四本の足に力を込めて小さく跳び、その身を浮かす。
着地の瞬間に全身全霊の力を込め、地面を踏みしめたドダイトスが起こすのは、大地を揺らす"じしん"の挙動。
その四本足で地面を叩いたピョコが、地を走る凄まじい波動を発したことは、アカギも少なからず動揺する行為に違いなかった。
地震はクロバットに対し、何の脅威にもならぬはずだから。
「グゥガアアアアアアアアァァァァァッ!!」
「なに、っ……!?」
「ギ……!?」
天を仰いで吠えたドダイトスの咆哮は、鉄面皮のアカギが驚愕し、クロバットもその秀でた聴覚を破壊されるかと感じて動きが止まったほど。
その瞬間に、彼を中心として全方位に発された地を走る波動は、一気に膨れ上がったエネルギーと速度を得て大地を駆け抜ける。
咄嗟に腰を低くして揺れに耐える構えをしていたアカギが思わず両手を地面につけるほど、激しい縦揺れは経験豊富のトレーナーの膝を挫くものであり。
さらに、長く、長く続くピョコの咆哮に応えるように、大地を揺らすその波動はなおも加速し広がり、その揺れはこの槍の柱のみに留まらせない。
「うぁ……!?」
「この、揺れ……!?」
プラチナに肩を貸して山頂を目指していたダイヤの膝が崩れ、前のめりに倒れたダイヤの背中にプラチナは覆いかぶさるように倒れてしまう。
転んだ痛みと友達に乗られた痛み、彼にそうしてしまった申し訳なさ、二人はそうした感情より、この揺れに大いなる何かを感じざるを得ない。
「これっ、て……!?」
「ピョコだ……! パールが頑張ってるんだよ!
今もきっと、山のてっぺんで……!」
なおも激しく揺れるテンガン山全域の地震にダイヤも動揺する中、そう確信して口にするのはプラチナが早かった。
わかるのだ。この揺れ、この地震、そこに込められた激情。
何度も何度もパールと一緒に、あの子を勝たせたいがために心血を注いできた彼の姿を見続けてきたプラチナなのだ。
立てないほどのこの揺れから伝わるのは、かつて幾度となく胸を貫いてくれた、パールのポケモン達の情熱の色を感じてやまないのだ。
「ゔぅっ……!?」
「シロナ、っ!」
彼女に肩を貸し、ともに山頂への道を歩んでいたサターンも、その揺れに足を取られて身を崩している。
なんとかその腕を彼女の背中に回し、共に倒れようとも彼女を守り、自分は後頭部を地面に打ちつける倒れ方になったとしても。
思わずそうしてしまう彼の、幼心の蘇りに感慨を抱く暇も無いほど、シロナもまたこの揺れに目を逸らせぬものを感じ取っている。
「あの子が……!」
「っ、ぐうっ……凄まじい、な……!」
共に倒れ、我が身の痛みさえ忘れるほど、地に添えた背中から伝わる大地の揺れに、シロナもサターンも心奪われる。
これほど強い、勝ちたいと思う感情を感じ取れたことは只の一度も無い。
チャンピオンが、悪の覇道を長年突き進んだ大人が、二十年以上の歴戦のトレーナー二人がそう思うほどのものだ。
今日だけは、こいつにだけは負けたくないと、生涯最大の想いで勝ちたいと臨んだ戦いを経た二人でさえ、そう思わざるを得ない強き想いがこの揺れにはある。
「頑張れえっ、パール……!」
苦境の中にいる幼い少女に手を差し伸べることさえ出来ない中、儘ならぬ想いを口にするシロナのそばで、サターンはすぐに声を発することが出来なかった。
首魁を、アカギの勝利を願わねばならないのに。忠臣として、意地を張ってでもアカギの勝利を願う声を、ここで搾り出さねばならないのに。
山頂付近のここにいてもわかる、テンガン山全域を揺らすこの大地震の根源、その感情に呑まれて言葉を失うこの感覚は、悪の敗北として認めざるを得ない。
すべてをかなぐり捨ててここまで来た悪の腹心でさえ呑まれる勝利への執念が、この凄まじき揺れには表れている。
「アカギ様……!」
「っ、っ……!
負けるなあっ! パールうっ!!」
立ち上がることさえ叶わぬ中、山の頂に向けて声を発した二人の想いは、決して戦う者達の耳には届かない。
聖戦の舞台に立つことが出来なかった者達は無力だ。たとえその舞台まで役者を導いた立役者達のそれであってもだ。
それがわかっていても、声を張らずにはいられない。理を理解する大人の行動として、実に理に叶わないものであることもわかっていよう。
その戦いが、世界の行く末を左右するものゆえだからだろうか。そうではない。
一心不乱に未来を勝ち取らんとする者達の真なる想いが揺るがすものは、大人も子供も関係ない。
シロナも、コウキも、プラチナも、ダイヤも。
そしてこのテンガン山に残る、マーズも、ジュピターも、ギンガ団の者達も。
山を揺るがすこの揺れに山頂を見上げ、凄まじい戦いとそこに己らの望む未来が懸けられていることを実感し、ただ一様に信ずる誰かの勝利を祈り願う。
歴史の証人となっている瞬間、決して当事者は今がその時だと気付けない。
まさに歴史を刻まんとする者達がその戦いに懸ける迫真の想いは、目と耳と肌でそれを感じる者達に、そんな雑念さえ抱かせないからである。
「ッ…………!
グゥガアアアアアァァァッ!!」
長い長い咆哮だった。山を駆けた地震波動が、ダイヤとプラチナに、シロナとサターンに一連のやりとりを強いてなお絶えなかった長い咆哮。
それに次いで息を入れたピョコが、クロバットを改めて見上げて今一度の咆哮を発する。
血走った眼は"せいしんりょく"に秀でたクロバットでさえ思わず怯みそうになる、どんな狂暴な野生のけだもののそれさえ超越した闘志。
ただ大きいだけの声に心怯ませられるような精神力ではない。それ以上の凄みがこのドダイトスにはある。
「っ……! ピョコ!」
ぐいと甲羅を押してくれるパールに応え、ピョコはその四本足を駆けさせる。
歴戦の猛者達さえ怯む中、誰よりも先に勝利への行動に踏み切ってくれた親友が、己の背に跨ってくれているのだ。
勝ちたいではない。勝たなくてはならない。守り通さねばならない。
クロバットの下方へと潜り込む中、葉っぱカッターの連射で敵を打ち据えつつ、体勢を整えようとするクロバットに甲羅の樹木を差し向ける。
「打てええっ!!」
「――――――――z!!」
「ぬぅ……」
クロバットの機敏さはまだまだ健在だ。樹木の急成長により突き上げるウッドハンマーを、どうにか無傷で躱してはいる。
だが、打ち据えられ続けたその羽が弱っていることはアカギだからこそわかる。動きは徐々に落ちているのだ。
まともにあのウッドハンマーを受けようものなら、打撃力ではなく太い枝に羽を、貫かれるか裂かれるか、最悪千切られるか。その恐れ。
はずした巨木がすぐに崩壊し、大小木片が降り注ぐ中をピョコが駆け、背上のパールにそれが直撃しないよう努めている。
クロバットを見逃さない。顔を上げて。自らの崩壊した巨木の欠片が目の上に直撃しても、まばたき一つせず敵に狙いを定めている。
「切り替えろ、クロバット。侮るな」
「――――――――!!」
いよいよこれ以上長引かせてはならぬ戦いであると、クロバットの側も腹を括らざるを得ない。
慎重な回避と確かなダメージを与え、それを繰り返す敵を弱らせる時間はもう終わりだ。
これ以上の疲労とダメージで回避一つしくじろうものなら、ついに致命的な何かを得かねない。
飛来する葉っぱカッターによる被弾を最小限に抑えつつ、エアスラッシュを撃ち返しながらクロバットの動きが急変する。
「来るよ! 速い!」
側面から急接近するクロバットが、広げた翼でピョコのすぐそばを滑空していくその瞬間に放つのは、四枚刃によるシザークロス。
パールを傷つけられることを嫌ったピョコが、一瞬のみとて前のめりに加速する中、その後ろ脚を深々と切り裂いていく。
がくんとピョコの巨体の後方が下がり、引き裂かれた脚を曲げた彼の背でお尻を打ち付けたパールは、自らの痛みを顧みる暇も無い。
「ピョ……」
「っ、っ――――!」
「!?」
充分な手応えを得てピョコから離れ、再び敵に向き直った瞬間のクロバットに、真正面から大きなものが飛んできた。
自らの重みやクロバットのエアスラッシュにより砕かれていた地面、そこに転がっていた大きな石を、ピョコは駆ける中で一つくわえていたのだ。
それを振り返りざまのクロバットに勢いよく、吹き出すように投げ付けた礫が、クロバットの右目に直撃だ。
技らしい威力にこそ欠くものの、石弾丸をぶつけられた衝撃と痛みにクロバットが一瞬怯む中、続けざまにピョコが撃つ葉っぱカッターからの回避が遅れる。
ここだと決め打ち、三十にも四十にも勝る数の刃を撃ち込むピョコに対し、クロバットは四枚の羽で身を守るようにして凌ぐしかない。
翼が裂ける。血が流れる。あとどれだけ飛べる?
「ッ――――!」
「行け! クロバット!」
刃の飛来が止まった瞬間、すべての翼を大きく広げ、絶えぬ闘志と継戦能力を示すクロバットは、自らの精神力に対しても活を入れている。
勝負所だ。アカギがそう示してくれることが、いっそうクロバットが自らの判断を信じられる最大の根拠。
エアスラッシュを放ち、歯を食いしばってピョコが回避行動を取る中で、彼の行く先へ凄まじい速度で滑空して迫る。
あのドダイトスの動きも落ちてきているのだ。畳みかけるとしたら今だ。
「んっ、ゔぅっ……! ピョコぉ……!」
「――――、――――――――!」
「頑張って……がんばっ、てえっ……!」
頭を下げた拍子に頭頂部をばっくりと斬られ、離れていくクロバットを追うように葉っぱカッターを放ち、しかしぐらつくピョコの背上。
諦めないその戦いぶりそのものが、命を懸けてのものだというのは嫌でもパールに伝わっている。
それでも戦えと指示するのだ。そんな自分にこそ背筋が寒くなる、血の気が引いていきそう。
彼を勝利へ導くことでしか報えない少女もまた、必死の形相でクロバットを目で追い、掴む甲羅を引いて押す。
再度迫るクロバット、跳ぶように躱したピョコの下をくぐるように飛翔し、その瞬間に下から柔らかい腹を切り裂いていく。
げは、と血を吐いたピョコの姿に、指示とは違う意味でパールの手に力が入るけれど。
それでも葉っぱカッターを撃ち返すピョコの反撃を凌ぎつつ、滑空飛行するクロバットが行く先をパールは見据えている。
また来る、必ず来る、もうわかってる。わかるんだったら私が導け!
「ピョコーっ!!
絶対、負けるなあっ!!」
後方から矢のような速度で迫るクロバットの動きを伝えるべく、パールは腰を上げて全体重で思いっきり首ごと反り、ピョコの甲羅を引っ張った。
ここしかないのだ。動きの読めない相手の動きが読めているこの瞬間。
その切実さを感じ取ったピョコが、霞みかけた目に炎を宿し、接近するクロバットへとぐりんと全身を振り返らせる。
背後から斬りつけんとした相手が次の瞬間には真正面の姿、怯みかけた心を精神力で正し、一瞬で腹を括ったクロバットも翼の刃を振り抜いた。
もう躱す気などない。絶対に仕留める。
「ッ――――!」
「ギィ……ッ!?」
「クロバット!?」
シザークロスは間違いなくピョコに甚大なダメージを与えた。
元より傷であった右目の上をいっそう深く裂き、ぶしゅっと噴いた血がその片目を完全に潰すほど。
だが、交錯の瞬間にピョコの牙が完全に捉え、クロバットから引き千切ったそれの方が致命的なものだ。
飛行体勢をひどく乱してピョコから離れんとするクロバットの、右下の翼が根元から失われているではないか。
「っ、ピョコ! いける!? 頑張れる!?」
「――――――――z!!」
「お願い、きっと、あと少しだから……!」
「クロバット、立て直せ!
お前なら出来るはずだ!」
アカギの指示にも力が入っている。隠す必要も無い窮地だ。
そして彼が言うとおり、クロバットはたとえ翼を一枚失ったとて、それで敗北が確定するような育て方はされていないのだろう。
時間を与えれば三枚の翼でも充分に立ち直ってくる。パールもピョコもそれほどの相手だと直感的にわかっている。
だからこそ、瀕死にも近い今の肉体であろうとも、全身全霊で以って駆けて撃ち、立て直す暇など絶対に与えまいとする。
体勢を整えたいクロバットを襲う何十枚もの葉っぱカッターは、躱せば立て直すのが遅れ、躱し切れなかったものが残った翼を傷つける。
どうにか足を下に出来たかと思えば、自らの下方に潜り込んだピョコが、樹木を急成長させた突き上げを放ってくる。
ウッドハンマーの一撃をかろうじて躱すも、鬱蒼とした樹の頭に翼が掠り、葉の奥に潜む枝が翼を深く傷つける。
一枚の羽を失い、自在の飛翔が難しくなった代償はあまりにも大きく、不完全な回避によるダメージの蓄積は急加速するのみだ。
「ッ、ッ……!」
「んぐうぅぅ……っ……!
ピョコ、大丈夫だからっ……! 気にしないで、戦ってえっ!」
「――――――――z!!」
苦し紛れの反撃でも、相手の嫌なところを突けるクロバットだ。真空の渦を生み出すエアカッターで、狙いはピョコではなくパールに据えて。
駆けて跳ぶことでパールを八つ裂き空間から遠ざけるピョコだが、凌ぎきれなかった刃がパールの太ももをびすびすと斬りつけている。
終わらせるんだ、この戦いを。パールを守り抜くにはそれしかない。
なりふり構わぬクロバットの非道な反撃、少しでもピョコの動きを鈍らせたいという追い詰められた姿を前に、ようやく得られたこの優勢を手放してなるか。
「ッ、ギ……!」
「クロバット……!」
容赦ない葉っぱカッターの乱射がクロバットをざくざくと斬りつけ、滴るその血が宙に飛び散るのをアカギもはっきりと目にしている。
そうした深手の数々の中に、一枚の葉っぱカッターがクロバットの左目に直撃し、その視界片方を剥奪したものも含まれているのだ。
あまりのダメージにいっそう体勢が乱れ、半ば落ちていくクロバットの姿へ、一直線に駆けて跳ぶピョコの行動は、クロバットの終わりを予感させるもの。
それでもどうにか翼に力を込め、我が身を噛み砕かんとしたピョコを回避したクロバットは、苦しい中で力を振り絞っている。
だが、着地の直後に前脚を振り上げ、背中を後方上空のクロバットに向けたピョコが、一瞬の安息も許さぬウッドハンマーを放っている。
クロバットとて迫るそれには気付いていただろう。しかし、飛行姿勢も整わぬ中、逃がさぬの勢いで迫ったそれを回避することは叶わず。
巨木の頂上で撃ち抜かれるかのように、その直撃で以って殴り飛ばされたクロバットは、目を剥いて空中に放り出される形と相成った。
「く……っ……」
空を向いていたクロバットの表情さえ、その挙動からアカギには感じ取れていた。
翼から力を失い、だらりとした姿で宙に突き飛ばされたクロバットは、もう意識を失っている。そう見えた。
絶対に認めべからざる敗北とて、最後の仲間が力尽きれば現実だ。
苦々しいという言葉では足りぬ無念の表情で、アカギがクロバットのボールを掲げ、そのスイッチを押しかけたその時である。
「……………………ッ……!」
感じてはならぬ気配、起こってはならぬ結末。
アカギが自らを引き下がらせようとした気配を、朦朧とする意識の中で感じ取ったクロバットは、ぎりと歯を食いしばって翼に力を込めた。
見上げた先の、小さな小さな、確かなその挙動。
ボールのスイッチを押しかけていたアカギの指が止まったその瞬間、ぎらと目を光らせたクロバットが顎を引き、地上のドダイトスらを睨みつける。
潰れた眼さえもぐわりと開く、覇気に満ちた眼光に貫かれたパールが、その心臓をわしづかみにされたかのように身が震えたほど。
不完全な体勢でありながら、クロバットが三枚の翼を振るってエアスラッシュを放ってくる。
駆けるピョコにそれは当たらなかったが、落下任せに地表へと近付いて行ったクロバットは、一枚失った翼をはためかせてその滑空軌道を曲げた。
真っ直ぐに、迷い無き飛翔でドダイトスへ。討つべき敵へと一直線だ。
あまりの気迫に声が出なかったパール、不全の肉体で歪み一つ無い飛来に身構えたピョコ。
シザークロスでピョコの右足を斬りつけていくクロバットの一撃に耐えたピョコは、そのまま空高くへと急上昇していくクロバットの背を目で追っている。
終わってねえ、まだだ、まだ戦える、絶対に勝ってみせる。
だからアカギ、止めるんじゃねえ。信じてみやがれ、俺の相棒!
「キイイイィィィィィ――――――――――z!!」
「ゔぁ……!?」
「ッ……!」
「クロバット……!」
空高く舞い上がったクロバットが、天高くに向けて発した金切声は、決して先のドダイトスの大咆哮にも劣らぬほど凄まじいものだった。
空気を震わすその激しい鳴き声は、波動めいたものさえ生み出しパールの全身を痺れさせ、耳の奥に穴が開くかと思ったほどだ。
クロバットに敵対する二人がその声に怯む中、耳が痛くなるほどの声が響く中でアカギはただ見上げるのみ。
お前のためなら今日だけは、何が何でも勝ってみせるというクロバットの感情は、自ら感情を封じた男の胸さえ貫く強いものだ。
「ッ……!」
「ピョコ、っ……! 来るよ!
今までで、一番強い敵が、っ……!」
「――――z!」
翼を一枚食い千切られた相手に向かって、一気に高度を下げたのち滑空軌道を折り、真っ正面から迫るクロバットの形相は決死のものだ。
吞まれそうになり息さえ詰まるパール、動じるどころか気を奮い立たせて立ち向かうピョコ。
もう一枚食い千切ってやる、その勢いで迫るドダイトスを恐れもせず、不全の三枚羽で斬りつけにかかるクロバットの行為は、本来アカギが好まぬ無謀である。
ピョコはクロバットの羽に牙を立てられなかった。がちんと空を噛み砕いたピョコの顔面を、クロバットのシザークロスが×の字に深々と切り裂く。
紙一重で勝負を決めていた交錯はクロバットの勝利だ。
だが強引な回避と攻撃を重ねた身体は体勢を整えられず、クロバットはその速度のまま地面に墜落し、地面に自らを叩きつけて転がってしまう。
羽も身体も、背中も顎も頭も擦り傷だらけになり、全身に刻まれている小さな傷が開く。凄惨な数秒後はもう約束されている。
それでも地面を転がる中、足が下になった瞬間に食いしばった歯と眼に闘志を取り戻し、地を蹴り翼を広げて空へ飛び立つ。
顔面を傷つけられてなお振り返り、葉っぱカッターを放っていたピョコの攻撃から逃れ、空に躱せばすぐさまクロバットもまた振り返る。
体勢は整っていない。それでも撃つのだ、エアスラッシュを。
三枚の真空の刃がピョコを正面から斬りつける中、どうにか体勢を整えんとするクロバットに、傷を負いながらも駆け迫るピョコが葉っぱカッターを撃つ。
翼を立たんで丸くなるようにしてそれを受け切るクロバットが、それに押されて宙で身体を回される中、咆哮とともに口を開いたピョコはもう目の前。
なるかと羽を開いたクロバットは、全力で自らを押し出す翼の力で以って、致命傷となるピョコの牙だけは回避してみせる。
その瞬間こそ、ピョコの側面位置に身を逃したクロバットと、かの背上のパールが今日もっとも、距離を近くした瞬間だった。
クロバットがその羽を振るえばパールの首をかき切れる、それほどまでに間近にあった一瞬の両者。
どちらも予期していなかったその一瞬、気付き合ったように目を合わせた瞬間は、少なくともパールにとっては時間が止まったようにも感じられた。
消耗し、目尻を下げ、大きく開いた口で発する激しい呼吸をあらわにした、今にも朽ち果ててしまいそうな表情のクロバット。
これほどまでに衰弱して尚、勝利のために全身全霊を尽くす者達の姿を、パールは身近に何度も見てきたはずだ。
一刃のもとに自らを殺し得るほどの存在が、こんなに間近にある瞬間にパールが抱いた感情は、戦慄でも恐怖でもない畏れめいたもの。
負けられないのは相手も同じことだと、わかっているはずのことさえもこれほど痛切に感じざるを得なかったのは、きっと初めてで今後もこれ以上はあるまい。
「ッ…………!」
ピョコはそれが如何に危険な瞬間であったかを理解していたのだろう。
地を蹴り我が身をドダイトスに迫らせ、横っ飛びの形で甲羅側面をクロバットにぶつけに行く行為が、標的目前で殺意を取り戻したクロバットを退ける。
殴り飛ばされるように離れたクロバットは、その反動で自らも後退する勢いでエアスラッシュを放ち、身を向けてきたピョコをまた深く傷つける。
上も下もわからぬほど身体を回転させながらも、厳しい痛打を脚に受けて追えないピョコから離れ、どうにか翼を広げて体勢を整える。
ようやく三枚の翼で、足を下にして空中で正しい姿勢を取ることが出来た。もう飛び方はわかった。
一枚欠損した翼でありながら、四枚の翼であった時のように飛ぶ力を取り戻したクロバットが、高度を下げてピョコを真正面から睨みつける。
その後方にはアカギがいる。勝たせたい誰かを己が後方に置き、勝利への執念をその全容で体現するかのようでさえあろう。
「……強いね、ピョコ」
「――――――――z!」
「わかってる、それでもピョコの方が強いよ……!
私の、自慢の、世界一頼もしい友達……!」
あれほど恐怖の対象でしかなかったズバット達の最強種に対し、恐怖ではない感情を抱く日が訪れようとは、かつてパールが想像だにしなかったことだ。
本当に強いクロバットだ。敵ながら、その心身ともに気高き姿に敬服さえしそうなほど。
たとえ己の勝利が、アカギの歪んだ野望を叶えるためだとしても、そこには一途な、大好きな人を負けさせたくないという"感情"が根底にあるとわかる。
悪しきトレーナーは沢山いる。だがポケットモンスター達はイノセントなのだ。
己が勝利の果てに世界と自らの破滅が待っているとしたって、愛し続けてくれた恩に報いるため、粉骨砕身戦い抜く姿に穢れなどあろうものか。
いかにバトルフィールドの周りが間違いに溢れていても、戦う者達の姿と信念に嘘は無い。
「いこう、ピョコ……!
一緒に戦おうね!」
「っ……やるぞ、クロバット!
勝つのはお前だ! 自分の力を信じろ!」
「「――――――――z!!」」
吼える凶獣、哮ける狩猟者。
葉っぱカッターとエアスラッシュを双方が放ち、それと同時に駆け滑空する両者は、力尽きかけた我が身に鞭打って最大限の速度を得る。
持てる技はすべて見せ尽くした。あとに残るのは最後の消耗戦だ。
膝を折り屈するか、翼を砕き墜ちるか、どちらかがそうなるまで戦い抜くのみの勝負。
全身を血塗れにしたドダイトスとクロバットは、いっそうの傷で自らの身体が真っ二つになることさえ恐れず、勝利の為に肉をも斬らせる。
このたった一撃さえもが致命傷になり得る極致において、勝負を賭けて再びドダイトスに急接近するクロバットの姿からもそれは明白なのだ。
牙で捕らえられれば終わりの博打を再び勝ち、敵に深々と傷をつけて空へと逃げるクロバットに対し、とうに限界をはち切っているピョコが振り返るのも早い。
発する葉っぱカッター、傷付けられるクロバット、撃ち返されるエアスラッシュ、駆けるピョコの後方地面を斬りつける真空の刃。
槍の柱の一本をロッククライムの力で駆け上がり、己の高さがクロバットと同じになった瞬間、背中の樹を伸ばすウッドハンマーを放ち。
真正面からのそれを、どうにか潜り込むように回避したクロバットは、次の瞬間に枯れて砕ける木片の数々が降り注ぐ中を掻い潜り。
落盤めいたそれを躱し切って視界が広がったその瞬間、柱を蹴飛ばし着地した勢いのまま駆けてきたピョコの急接近に見舞われる。
血に濡れ真っ赤になった眼を閉じもせず迫るその形相の恐ろしさにも怯まぬ精神力で高度を上げ、どうにかかぶりつかれることから免れて。
そのクロバットが逃げた方向へ甲羅を引っ張るパールの力を頼りに、振り返りもせず最速で放つ葉っぱカッターを何発も浴びせるピョコ。
クロバットはもう羽で身を守ることをしなかった。これ以上、飛ぶ力を失うわけにはいかないのだ。
殆ど無防備の背中に葉っぱカッターを受け、歯を食いしばるクロバットはもはや、気力で意識だけは失わぬ戦い方への覚悟を決めている。
何としても勝利を掴み取りたいクロバットの執念が、背中に葉の刃が突き刺さったまま振り返り、エアスラッシュを放ってくる姿からパールにも伝わる。
痛いほどにだ。そして、同じだけの強い感情を持つパールもまた、決して呑まれず立ち向かう心をもはや揺るがさない。
そんな彼女が導いてくれる、甲羅を握る手から伝わる力を頼りに、大地を踏みしめ駆けるピョコの脚にも力が入る。
意図せず大地が揺れ、アカギが片膝をついて戦況を見守るほどの力。どれほどの感情が込められているか、アカギにだって伝わるはず。
ましてエムリットをはじめとした、三湖の精の力の残滓が残る槍の柱だ。
パールも、ピョコも、クロバットも、アカギでさえ、この場に集った者達の並々ならぬ渦巻く感情を、激戦の中でノイズじみて感じ取らずにいられない。
いや、ノイズでなどあるものか。
揺れる大地とそれを駆ける親友の背中で、勝利のために何度もピョコを囃し立てる声を発するパールと、それに応えて吠えるピョコ。
伝わってくる。ニルルの、パッチの、ミーナの、ララの、フワンテの、力尽きてなお意識だけは失わず、仲間の勝利を祈らずにいられないその切望。
それだけじゃない、ここではないどこからから訴えかけるように願われし、明日を掴み取ってくれることを望む強い強い想い。
両の拳を握りしめて山頂を見上げるダイヤの、跪いて両手を握りしめて親友の勝利を祈るプラチナの、涙目で何度もパールの名を叫ぶシロナの姿が。
テンガン山に集いし、ギンガ団の野望を打ち砕くパールの勝利を切願する者達の想いが、傷ついた身体の痛み以上にひしひしと感じ取れてならない。
負けてはいけない戦いだと、伝わるすべてが信じさせてくれる。幼き少女とずたずたの勇者は、迎えかけた限界を力ずくで押し上げて戦い抜く。
「止まらないでピョコ……! あと少し、あと少しだから……!
っ、撃ってえっ!」
「左の翼の力を抜け! らしくないぞ!
力み過ぎるんじゃない! お前の正しい飛び方を忘れるな!」
感情を捨て去ったはずの男が、ぐっとその拳に力を込め、何度もに勝利へ導くための声を発している。
何が何でもこの勝負を落としてなるかという、長年連れ添った相棒の感情はずっと彼の心に届いているはずなのだ。
それだけではない、ドンカラスも、ギャラドスも、マニューラも。
戦線離脱したサターン、マーズやジュピターをはじめとした、果てしなき彼の大願の成就を見届けたかったギンガ団員達の想いも。
決して己を信じ付き従ってくれた配下の想いに報い、それを糧とし勝利への力とするアカギでなどないはずであろうとも。
負けられぬ戦いであることを改めていっそう強く感じ、らしくないほどの大声で相棒に呼びかける彼の姿が、ここに確かに顕れている。
アカギの声を受け、かすかでも安定に近付いた飛行を取り戻してエアスラッシュを撃つクロバットの反撃は、いよいよ足が上がり始めたピョコに痛烈だ。
怯み葉っぱカッターによる反撃が止まったその瞬間には、もう高度を下げて急接近するクロバットの姿が続いている。
必死の叫びで迫る敵の存在を訴えるパールに朦朧とする意識を正し、引っ張る力に倣いクロバットの方を向いたピョコは葉っぱカッターを撃つけれど。
ここにきて一級品の複雑な滑空軌道を描いてみせるクロバットは、傷も最小限にピョコへ迫り、その鼻っ面を斬り飛ばさんシザークロスを一振りだ。
顔の一部、それも大きな塊を斬り飛ばされたピョコのそれが宙を舞う中で、それを目にしたパールの青ざめた顔色など言うに及ばずであろう。
それでも、それでも、ここだけは。
自分の為すべきことを見失わないパールが全力でピョコの甲羅を後方に引っ張り、全体重で以ってこの好機で為すべきことを訴える。
「打てえええええっ!!」
「ッ、ッ、――――――――z!!」
後ろ足だけで立つように前身を振り上げたピョコが、己が後方に逃げていったクロバットに背中の樹を向け、注ぎ込む力が果たした決定打。
はっとして振り返ったクロバットに迫るウッドハンマーは、逃げる間も与えずクロバットに致命的な一撃を浴びせた。
なんとか上空に逃れようとしたクロバットだが、生い茂る樹木の葉に潜む太いY字の枝が、ついにクロバットの翼の根元を捉えたのだ。
上方へ舞い上がったクロバットの左上の翼が千切れ飛び、片手と片足をもがれたような姿を目にしたアカギも、思わず発したことのない声が出たほどだ。
「ッ~~~~~~……!
――――z!!」
「ピョコ! まだ来る!
お願い頑張ってえっ!!」
「…………!」
それほどの致命傷を負いながらも、全身の力を振り絞ったクロバットが身体を回し、二枚だけになった翼で真空の刃を放ってくるのだ。
パールにはわかった。ピョコにもだ。アカギが一番驚いたほど。
駆けて躱したピョコではあったが、それに留まらず矢のような勢いで飛来するクロバットの姿は、いかに相手の執念を理解したパール達でも絶句する。
もはやシザークロスと呼ぶことの出来ぬ不完全な斬りつけであろうとも、逃れきれなかったピョコの前脚の根元を深く持っていくほどの傷を刻み。
速い自らの滑空の中で足りぬ翼で体勢が乱れようとも、食らいつくようにすぐに飛翔軌道を切り返し、再びピョコに急接近し。
パールの手に導かれて振り返ったピョコの眼球を斬りつけんともう一撃だ。
咄嗟に頭を下げたことにより血に沈んでいない片目を守り抜くことの出来たピョコだが、代わって側頭部に刻まれた傷は決して浅くない。
それでも舌を噛んででも意識を失わず、狙うべき先を教えてくれるパールの力を感じ取り、さらなる一撃を加えんとしてくる敵へ葉っぱカッターを撃つ。
真っ向から散弾銃のような刃の乱打を受け、既に肌の色さえわからぬほど血に染まった全身のクロバットが押し返される。
そのまま背中から地面に墜落しそうな中で力を振り絞り、羽を動かし身を浮かせたクロバットが、顎を引いてピョコを見据えればエアスラッシュの砲撃だ。
自らの技の反動で後方にのけ反りながらも、二枚の刃で両脚を傷つけられたピョコが前に出られない中、身を翻したクロバットは再び敵を真正面に見据える。
「キイイイィィィィィ―――――ッ!!」
「グゥガアアアアアァァァッ!!」
懸ける想いを表すように、それ以上に、そのためには力尽きることなど許されない自らに楔を打ち立てるように。
耳を破りそうなほどのクロバットの激しい金切声に、大気のみならず大地さえ揺るがさんドダイトスの咆哮が真正面からぶつかってこの小世界を揺るがす。
神おわす槍の柱にてすべてを懸けて戦う者達の執念は、きっと大衆が想像する抽象的な神の力など容易に凌駕し、心砕くほど迫真だ。
今だけは、まさに目の前で神の力を見た記憶に新しいパールとアカギでさえ、相棒の発する意志の力こそ神にも勝り得るものにさえ感じられていよう。
駆けだすピョコ、空を駆るクロバット。
きっと明日が迎えられたとしたって、パールも、アカギも、ピョコも、クロバットも。
この戦いを、無我夢中で戦い抜いたこの日、どのように戦ったかなど決して思い返せはしまい。
飛び交うエアスラッシュと葉っぱカッターの応酬、凌ぐ駆け足と翼の滑空、傷つけ合う身体の痛みを忘れ更なる攻撃。
当事者達こそが最も我を忘れ、決死の想いで臨む戦いは、それを記す第三者がいない以上、歴史の大海に沈む昏き聖戦だ。
シンオウ地方のみならず、世界の未来さえ委ねられた槍の柱の決戦は、絶えぬ闘志と裏腹に肉体の灯が消えんとした両雄、いよいよ終わりを迎えんとする。
そして、きっと、誰にも振り返られない。
『パール、俺……
お前の、特別なひとにはなれないけど……』
「…………っ!」
真空の刃が迫る中、親友の身体が刻まれる中、パールの脳裏に響く声。
問わずして誰の声なのかわかるその声は、無心で戦っていた彼女が我に返るほど。
この壮絶な戦いの中にあって、穏やかで、切実で、伝えなければ後悔するほどの想いに満ちたそれは、今までで最もパールの胸を撃ち抜いた。
『お前が勝ちたいって思うんなら、全部、全部勝たせてやる……!
お前が助けてって言ってくれるなら、絶対、何があっても守ってやる……!』
「ピョコ……」
『だから……だから、っ……!』
放つ葉っぱカッターを受けて飛行姿勢のぐらついたクロバットへ、駆けたピョコが壮絶な気魄で襲いかかる。
どうにかその牙から逃れたクロバットが空へ舞い上がらんとしたところへ、ピョコが逃がすまいとのウッドハンマーを打つ。
樹木の突き上げがクロバットに掠り、二枚の翼しか残らぬクロバットは大きく体勢を乱し、地上に向かって落ちかけている。
なんとか身を浮かせようと羽をばたつかせる中、踵を返して再び一気に迫るピョコに対し、逃れる動きが叶えられない瞬間が確かにあった。
クロバットの名を強く呼ぶアカギの声が響くも、それがもはやこの窮地からクロバットを逃がすには間に合わぬのが明白だ。
幾度も捕らえられなかったクロバットの身体を、とうとうピョコの"かみくだく"牙が捕えた。
その牙の凄まじい咬合力と肌を貫く牙の威力だけでも、クロバットには致命的ですらあったけれど。
既に幾度も限界たるものを超えているからこそここまで戦い抜いたクロバットに対し、ピョコは決して容赦などしなかった。
噛み砕かれたダメージで意識が飛びかけ、それでも羽に力を入れて抗いかけていた宿敵を、首を振るう動きとともに投げ飛ばす。
『みんなと一緒にいられるだけで、幸せだって言ってくれるお前のまま……!
俺達の大好きな、笑顔のお前のまま、ずっといてくれよ……!!』
放り投げた先は槍の柱に立ちそびえる石柱の一つだ。
投げつけられて叩きつけられたクロバットがげはっと息を吐く中、既にピョコは駆けだしている。
討つべき敵へ、最後の一撃に向けて。
その走りは、迷いが無く、そしていずれも八つ裂きにされた四本の脚でありながら。
きっと今までで一番速く、全身全霊の、目前に確約された勝利へと突き進む、明日を勝ち取る大いなる前進に他ならない。
「っ、いっけえええええぇぇぇっ!!」
「グゥガアアアアアァァァッ!!」
飛びかけた意識を必死に取り戻し、敵を見据えんとしたクロバットが最後に見たものは、全身で以って自らに突撃するドダイトスの姿だった。
次の瞬間、ピョコの頭が石柱を背にしたクロバットの身体を全体重で打ち抜き、100kgを超える重みで以って叩き潰す。
その全力駆けが生み出した凄まじいエネルギーはクロバットの背の石柱さえ粉砕し、それほどの威力で以ってクロバットを圧したのだ。
剥いた目で上天を仰ぎ、口を開いたクロバットが石柱の残骸が降り注ぐ域からさえ追い出されて吹っ飛び、力無く地面に倒れる中。
自らに降り注ぐ石柱の破片が背上のパールに当たらぬよう、ウッドハンマーですべて叩き飛ばすピョコが、ぐいと顎を振り上げて地に足を着けている。
ひくつきもせず、仰向けに倒れたまま微動だにしないクロバットと、空を見上げて掠れた咆哮を発するピョコ。
確定した勝利を訴える親友の姿を前に、勝った実感を得たパールは、手を挙げて喜ぶことなど出来ようはずもない。
憔悴し、精も根も尽き果てた中、ぎゅうっとピョコの甲羅を握りしめて。
うずくまり、潤む瞳で甲羅に額を当てるようにして、戦い抜いてくれた親友への感謝をその身で伝えることしか出来なかった。