「――――――――はれ!?」
夢を見る間も無かった。
槍の柱でアカギが異界へ消えていく光景を最後に、ぷつりと意識を途絶えさせたパールは、その次の瞬間に目覚めたような感覚だった。
精も根も尽き果てた彼女は、心も体も気を失った直後から、本当に夢ひとつ見る余力も無かったのだろう。
さながら意識を失った瞬間から目覚めの瞬間まで、時が飛んだかのような感覚だと言って差し支えあるまい。
「へっ!? へっ!?
ここどこ!? うち!?」
ふっかふかのベッドの上で目を覚ました彼女は、その瞬間にがばりと体を起こして周りを見渡す。
我が家ではありません。真っ白かつ殺風景な個室。
清潔感はあるけれど、自分以外誰もいない静かな密室のようであって、目覚めの直後で状況が把握できない彼女にこの光景は意味不明。
「…………あれ!? みんなは!?
わ、私の鞄……ど、ど、ど、どこどこどこ!?」
元気な子だ。最愛のピョコ達、そのボールが入った鞄がそばにないことに気付くや否や大パニック。
実際のところは、気を失ってからここに運ばれて、長い間目覚めなかった彼女なので、すっかり体力は回復しているようである。
でも、パールの中では死闘を繰り広げた槍の柱から世界観が一新されていないので、そばに誰もいない状態だと途端に不安になるようで。
ベッドから飛び降りるようにして立ち上がると、部屋をぎゅるぎゅる首を回して見渡して、部屋の隅の鞄を見付けたら駆け寄っていく。
そうして、中にみんなが入っていないことを確かめたが最後、さあっと顔色を真っ青にするのである。
本当に、目が覚めて早々に感情の起伏が激しい子だこと。
「――あっ! 目が覚めたのね!」
「ふえっ!? だっ、誰ですかっ!?
ぎ、ギンガ団の刺客ですかっ!?」
「ち、違う違う違う!
落ち着いて、ね? 落ち着いて落ち着いて、どうどうどう……」
お静かな病院にて、目覚めて一人でばたばたしていたパールの音を聞きつけた、看護服を着た女性がその部屋へ駆け付けてきた。
冷静さの欠片も無いパールは気絶前の環境に頭が取り残されているせいもあってか、どう見てもそうじゃない相手を敵認識。
鞄の置いてあった部屋の隅で、その隅に背中を押し付けて小さくなると、縮こまって震えあがる始末である。困ったちゃん。
埒が明かぬと早々に判断した看護服の女性は、素早くパールに駆け寄って抱きしめると、ぐいーと抱き上げてベッドの方に運ぶ。
やめてー、たすけてー、と叫んで足掻くパールの迷惑なこと迷惑なこと。そこまで怖がらなくても。
とりあえずちゃんと説明してあげないと話にならないので、看護服の女性はふんぬとパールをベッドの上に放り投げて寝かせて。
ばふんとその首から下を掛布団で覆うと、目をぱちくりさせるパールのそば、ベッドの横に膝をついて目線を近付ける。
「大丈夫だから。ここは病院よ。
あなたはもう、安全な所にいるの。
だからとりあえず、落ち着いて?」
「びょ、びょーいん……?
びょーいんってなんですか……?」
「まずそこから?
えーとね……ああもう、病院は病院だから……」
かぶせられた布団で自分の身体全部を守るかのように、両手で布団を引き上げたパールが、目だけ出した状態で看護服の女性を恐る恐るの表情。
苦笑する女性も、パールがどれだけ過酷な世界から生還したのかは聞かされているため、その対応も寛容だ。
頭くちゃくちゃでバカになっているパールに呆れもせず、少しずつ、ゆっくりと、今の状況というものを紐解いて話してくれるのであった。
物分かりが悪すぎるパールのせいで、長くゆっくりとした説明に反して伝わったことは少なかったのだが。
ともかくようやく、パールにここが、ハクタイシティの病院であるということは伝わったようだ。
ポケモンリーグのチャンピオン、シロナさんや、あなたの友達だっていう男の子二人がここまであなたを運んでくれたのよ、ということも。
それに至った経緯はパールにも、詳細を自分から語ることを遠慮した女性の説明からは伝わらなかったけれど。
ともかくパールは、危険な所からはもう救われて、安全な場所にいるということを理解できたようである。
そうなればようやく落ち着くというもので、目だけ出していた布団から顔を出し、ぼうっと天井を仰ぐのだった。
何回、死ぬかもって思っただろう。思い返すだけでぞっとする。
幼心にも、今こうして生きていることが奇跡のようなものであることは、感じざるを得ないというところだろう。
子供は奇跡という言葉をけっこう軽く使うものだが、彼女が感じている奇跡感は決して的外れのそれではあるまい。
「あ、あのぅ……私の友達は……?」
「ポケモン達のことね。
ポケモンセンターに預けられて、長い治療を受けて、もう元気になってるわよ。
本当にひどい怪我だらけだったから、後遺症が残ったりしないよう、今でもポケモンセンターで精密検査を受けてるところ。
ポケモンセンターの医療技術は本当に凄いんだから、もう大丈夫だって信頼して大丈夫でしょうね」
「そ、そっかぁ……よかったぁぁぁ……」
あっという間に目に涙を溜めてしまい、それが人前だと恥ずかしいと感じたか、布団を引き上げて顔を隠すパールである。
なるほど、"あの人"が好きそうな純真な子だ。ポケモン達のことが、大好きで大好きで仕方のない子。
まして自分が危機から逃れられた安堵でも浮かべなかった涙を、友達の無事を知って浮かべるのだから余程であろう。
こんなもの、目覚めた彼女と初対面のこの女性でさえ、パールの人格がよくわかるというものである。
「………………っ!?
パール!? 起きてるの!?」
「はぇ……?」
そんな彼女のもとへ、この折に看護服の女性が思うところの"あの人"が訪れた。
あの日からずっと、朝昼夕にはパールのもとへ訪れていた人である。
布団に顔をうずめていたパールは、こそっと目元の涙を拭ってから顔を出すと、ここへ訪れたその人物の顔を目の当たりにする。
「ぁ……ナタネさ……」
「~~~~~~っ……!
パールぅっ!!」
「はぐうっ!?!?!?」
やっと、ようやく、目を覚ましてくれたパールを目にしたナタネは、ぶわっと涙いっぱいの目になって、あとはもう止まらない。
感極まる想いでベッドに寝そべるパールに飛びつくようにして、か弱い彼女の身体を布団の上からでも抱きしめる。
のしかかっている。スレンダーなナタネだが、パールにとっては重い。
「ぐ、ぐるぢぃ……な、ナタネさ……」
「ああぁぁ~~~……! ばかばかばかあっ!
本当に心配したんだからあっ!
目を覚まさなかったらどうしようって、ずっと、ずっと……」
「た……だずげでぇ……し、しん、じゃうぅ……」
一難去ってまた一難。
大人の体重と腕力を浴びせられ、締め上げられるパールは身動きひとつ取れず、せっかく取り戻した意識がまた遠のいていくかのような心地。
死地を切り抜けてきた末にまた死にかけるとは何事か。安全な病室じゃなかったんですか。
看護服の女性が、どうどうどうとナタネをなだめて引き離してくれてようやく、パールは掠れた息を整えることが出来たようである。
看護服の女性が部屋を去り、パールとナタネの二人きりとなった病室。
ナタネは子供のようにむくれていた。ベッドで体を起こした状態のパールを、ベッドのそばの椅子に座って恨めしい目でじとーっと見つめて。
まだちょっと涙目である。顔真っ赤。
言わんとしていることはわかるので、パールも気まずげ一杯にごめんなさいと頭を下げるのだった。
心配かけてごめんなさい、と。そういうのはまず保護者にやりましょう。
そうして、涙を拭って水に流してくれたナタネの口から、事のあらましを聞けたことで、パールはようやくあれから何があったかを全て理解することが出来た。
槍の柱で気を失ってしまったパールを発見したのは、サターンとともに山頂を目指し続けていたシロナである。
テンガン山での彼女のいきさつは、ナタネもシロナからの伝聞でしか知り得ないので、不確かなことも多いのだが。
倒れたパールのそばには、息も絶え絶えのエムリットが、ユクシーやアグノムとともに囲んでおり、シロナに気付くや否や空の彼方へ消えていったそうだ。
満身創痍の三湖の精は、パールを麓まで運べる誰かが駆けつけてくれるその時まで、彼女のことを守ってくれていたのだろうというのがシロナの見解。
パールの味方であるシロナが現れたことで、ほっとするような表情とともに、恭しく微笑んで去っていったという。
シロナの傍にはエムリット達にとっての怨敵であるサターンもいたはずだが、警戒心無く離れていった姿は、もはや戦意無き彼の本質を見抜いていたのだろう。
ガブリアスにパールを抱えてもらったシロナは、そこでサターンと別れたのち速やかにプラチナやダイヤと合流。
山を降り、近い街へと下り、病院にパールを運び込んだという始末に至る。
カンナギタウンかハクタイシティか、どちらが近くて早く着けるかは議論の余地があったものの、選ばれたのはハクタイシティだったようだ。
たいして差は無い選択肢で、こちらが優先されたのは、パールの親しい間柄の大人がいる街であることが大きかったのではないだろうか。
現にナタネも、パールが病院に運び込まれた旨をシロナから告げられた瞬間、ジムで手が空いていたこともあって病院にすっ飛んできたようで。
死んだように目を覚まさないパールを前にしての、ナタネの取り乱しようといったら、命に別状がないことを知らさているシロナもちょっと胸が痛んだもので。
それからナタネは、パールが目覚めるこの瞬間まで、朝に二度、昼に三度、夕と夜に一度ずつ、昨日も今日も通い詰めていたぐらいである。
まあ、この辺りまではナタネもいちいちパールに話しはしなかったが。
めちゃくちゃ心配したんだからね! と強い声で訴えるに留まった。パールもしょぼくれてごめんなさいと謝るのみである。
話を総合するところ、パールは二日前の朝にここに担ぎ込まれてから、ずっと目を覚まさなかったということだ。
今は、テンガン山の頂でアカギ達との私闘を繰り広げたあの夕前から、二日後の夜ということである。
そんなに長いこと私目を覚まさなかったの!? と信じられなかったパールはポケッチをすぐ見たが、本当に日付がそうなっている。
どれだけ心配したかわかるでしょ、と溜め息をつくナタネに、またもう一回パールはごめんなさい。なんだか話を聞けば聞くほど気が重くなる。
同時に、この話がお母さんの耳に入ってやしないかと思ったらぞっとしたパールだが、都合の悪いことはさっさと頭から締め出した。
無茶しまくってることがあのお母さんに知られたら、きっとめちゃくそにどやされる。耳に入っていないことを祈りましょう。
「あなた、何に挑んできたの?
教えてよ、あなたがそこまで頑張った理由」
さんざん心配かけて、という想いを溜め息で全部吐き尽くしたナタネは、疲れ気味ながら優しい顔でパールに問いかけた。
たいした理由もなく、危険な世界に身を投じ続けることを好む子じゃない、むしろ怖がりな方であることぐらい、ナタネだってわかっている。
おおまかな話はシロナからも聞いているにも関わらず、パールの口から聞こうとするのは、彼女の功績を自慢させる時間を与えているようなものだ。
胸を張って話しなさい、と微笑みかけてくれるナタネに、ばつの悪かったパールも少しずつ救われていく。
パールは話した。すべてのことを。
ギンガ団の首魁たるアカギの望んだこと、誰かが止めねば世界が終わっていたであろうこと。
それが決して過言でないと確信できた、槍の柱で垣間見た神々の力の大きさ。
アカギに勝ったことは、あまり声高に誇ることが出来なかった。その代わり、ピョコ達が凄かったんだよという主張が色濃く出た。
神話と親しいハクタイシティで育ったナタネにとって、パールが神様を目の当たりにしてきたという話そのものが、ナタネにとっては驚きそのものでもあって。
自慢げでもなく、得意気でもなく、不器用に話の順番を組み立てながら、テンガン山の頂で起こったことをナタネに話すパールは、ただそれだけで嬉しそうで。
まさにそれは、こうして再びナタネを含む大好きな人達と、話すことさえ出来なくなることを心底恐れていた裏打ちだとナタネの目には映る。
聞けば聞くほどナタネには、パールが今日という時を勝ち取るために、一心不乱に戦い抜いた一日の情景が目に浮かぶというものだ。
「それで、えぇと、そのまま私は気を失っちゃって――
あとはその、シロナさんに助けて貰ったんですよね?
こうして、ここにいるというわけなのです。………………あい」
「あい」
「え、はいって言いましたよ」
「言ってない言ってない。
急に話すこと無くなっちゃって困った感ありあり」
締まらない幼さにくすくす笑うナタネの表情は、パールを恥ずかしがらせる一方で、彼女の胸をじんとさせるほど温かくしてくれる。
テンガン山での死闘の時間は、まるで何ヶ月も何年も地獄の中にいたようだった。
こんな他愛も無い日常さえ、遥か非現実的なかけ離れたものに感じるほど、あの日はずっと命の危機と背中合わせだったのだから。
アカギとどんな風に戦ったのか、仲間達にどんな指示を出していたか、ピョコの背中で自分が何をしたか、具体的になんて一つも思い出せない。
思い出そうとしても、怖かったことと必死だったことしか思い出せない、いっぱいいっぱいの時間がずっと続いていたのだから。
回想すればするほどに怖い。今さらになってひしひしと、改めて、いつ死んだっておかしくなかったとパールは感じて身震いする。
それだけに、こうして当たり前の安息ある時間に身を置いている時間の方がまるで夢のようにも感じ、幸せを感じるほどだ。
平凡な安息のありがたみは、手放してみないとわからない。
「パール」
「あっ、はい。
も、もう怒らないで下さいね? 私、結構がんばったんですよ?」
「ふふ」
叱られることにびびり過ぎ。笑えてくる。
もっと怖いものに立ち向かってきたばかりなくせに、大義がなければ本当に弱いんだから。
「お疲れ様。よく頑張ったわね。
……ありがとう、この世界を守るために戦い抜いてくれて」
頭を撫でて、労いと、そして賛辞にも等しい感謝の言葉を貰えれば、パールも胸がいっぱいになるというものだ。
彼女のすべての行動を肯定してあげることは出来ないけれど。たとえ、彼女がいなければ世界が終わっていたかもしれないという事実があったとてだ。
上手くいったからよかったものの、というのもまた事実であり、子供達を導く大人はそれを見過ごしてはいけないのだから。
だけど、一途に愛するもののために戦い抜き、大いなる結実を勝ち取った勇敢な少女には、与えられるべき報いもまた当然ある。
敬う人から褒めて貰える、ただそれだけですごく嬉しい。顔を真っ赤にして、心から幸せそうに顔をふにゃふにゃにするパールは報われている。
世界を救ったという途方もない成果に対する報酬が、ただそれだけで満足する無垢な子供を前にすると、ナタネもなんだか敵わないなと思う。
共にギンガ団と戦った時、自分の後ろで泣いていたあの女の子が、いつの間にか果敢で無欲な、まさしく幼き英雄になっていたのだから。
「さっ、パール。
身体は大丈夫? 歩ける?」
「はい。
いっぱい寝たから元気で……いたたた!?」
「元気ではないでしょ、あなた結構体じゅう傷だらけなのよ?」
元気アピールなのかベッドからひょいっと降りてみせたパールだが、すっかり忘れていた下半身の傷にびりびり。
ピョコの背中に跨っていた時、あれだけエアスラッシュやエアカッターの渦中に晒されて無傷なわけがない。
傷跡が残らないよう高水準の手当を施された上で、包帯ぐるぐる巻きにされた自分のふくらはぎを見て、パールは改めて危険なことしてたなぁと痛感する。
「みんなに会いたいでしょ?
ポケモンセンターに行きましょ」
「はいっ!」
痛くたって関係ない。歩けないほどじゃない。
じゃあ、一秒でも早くピョコに、パッチに、ニルルやミーナやララやフワンテに会いたい。
あんまり退院して欲しくない病院側も、事情はある程度聞き及んでいるだけに、ポケモン達との再会を遅らせるのは少し酷かなと便宜を図ってくれて。
今の怪我した彼女をあまり歩かせるのも良くないという事情との折衷で、車を出してくれるほどである。
この融通の良さは、ハクタイシティの顔であるナタネが同行しているからではない。
神話に親しいこの街の人々だからこそ、パールの成し遂げたことに対する評価と恩恵を、疑うことなくもたらしてくれている。
それだけ、パールが果たしたことは偉大だったということだ。
彼女が彼女自身が思う以上に、これから世間に大きく評価されてしまうのは、まだもう少し先の話である。
「さあ泣くぞ泣くぞ、絶対泣くぞ~。
パールは泣き虫だもんねぇ~」
「ぜ~ったい泣きません。
そういう風に見てくる人がそばにいるんだったら耐えてみせる」
「無理無理、あなたは絶対大泣きする。
付き合いの短い私でもわかる」
「泣きませんってば! 意地でも泣きませんよっ!」
夜のハクタイシティを行く車がポケモンセンター前で止まり、パールとナタネは病院の人にお礼を言って。
車が走り去ってポケモンセンターに向かう中、ナタネがパールをよくいじる。
聞く限りでも相当な死闘であっただけに、パールのポケモン達が命の危機に瀕する局面に何度も直面したことぐらい、ナタネも想像に難くない。
そんな彼ら彼女らの姿をそばで見ていたパールだけに、元気になったみんなの姿を見たら、即感涙なのは読め過ぎてつまらないぐらい。
みんなに抱きついてぎゅーってして、戦い抜いてくれたことに何度も感謝して号泣、ここまで確定、鉄板、不可避、絶対。
泣いたら余計にいじられるとわかっていれば、パールもむくれて絶対我慢してやると意地を張っているが、無駄な努力もいいとこだとしかナタネには思えない。
「ボールからみんなを出した瞬間が勝負よ?
そこまで言って泣いちゃったらあなた、結構かっこ悪いわよ~?」
「だから我慢してみせますって。
私ナタネさんが思うほど泣き虫じゃ……」
ポケモンセンターのドアが開き、ピョコ達を預かってくれているお姉さんの方へと歩いていくパール。
ナタネの方を向いて歩いていたから、前をあんまり見ていなかったけど。
ポケモンセンターに入ったことで、早くみんなに会いたい想いで浮き足立ちそうな想いを抑え、普通の足取りを保ったまま前に進んでいこうとする。
「…………あ」
「パール……!」
そこに、彼はいた。
パールが病院に担ぎ込まれてから、ずっとこの場所で待っていた友達。
パールが目覚めるまで、朝も、昼も、夜もここで待ち、彼女が目を覚ませば必ず来るであろう、この場所で。
彼女が目覚めるまで病院に居座るわがままをせず、自ずと目覚めた彼女が姿を見せるその瞬間まで、この施設のエントランスで彼は待ち続けていたのだ。
「プラ、ッチ…………」
「よかった……!
目を覚まさなかったらどうしようかって……」
「っ……プラッチ……!」
不意打ちなんて駄目だ。
まして、ギンガ団アジトでの戦いで大怪我を負い、あちらで入院しているはずだと聞いていたあの親友が。
両足で立ち、パールの無事に少し涙ぐみさえして歩み寄ってくる姿に、もうパールは止まれない。
ナタネと話していたことなんて一瞬で吹っ飛んだ。我慢できずに痛む脚で駆け寄って、躓きかけてプラチナに慌てさせながら、飛びつくように彼に抱きついた。
「プラッチ……!
プラッチ、プラッチ、プラッチぃっ……!」
「ちょ、ちょ、ちょ、ぱ、パール……!?
い、いきなりはびっくりす……」
「うぅぅ~~~~~っ……! プラッチぃぃ……!
プラッチ……プラッチ~……っ……」
抱きつかれた瞬間こそ、意中の女の子と身体を密着する不意打ちに、あっという間に顔を真っ赤にさせたプラチナだったけれど。
己の肩に額をうずめて震え、涙声で幾度も名を呼んでくれる親友の姿には、雑念がすべて洗い流されていく。
本来ならば、初々しい少年の慌てふためく顔を見て微笑ましい気分になるはずだったナタネも、見守る中ではそんな想いもすぐに捨て去った。
この再会は茶化せない。たとえ数秒前に、泣いたらあれだぞとパールと談笑していたやり取りがあって、その矢先のことだったとしてもだ。
死の淵を駆け抜けたパールを支えたのは、彼女のポケモン達だけではないのだ。今のパールを見ていれば、本当にそれがよくわかる。
「わたし……わたし、っ……がんばったよぉ、っ……
プラッチ、おこらず褒めてよぅっ……
よく頑張ったねって言ってよぉ……っ……」
大人達に叱られたように、プラチナにまで小言を言われることを恐れての発言ではなかった。
纏まらぬ頭で絞り出した本心は、尊敬する先輩トレーナーの前では礼儀正しく、最後の最後で調子に乗ったことを言わないパールにして。
心の内を隠さず話せる、同い年の親友を前にして、幼い彼女が発する子供らしい言葉だったというのみだ。
褒めてほしい、なんて誰が言えるか、誰に言えるか。言える相手は余程に特別だ。
誰にも真似できないほど、パールは間違いなく全身全霊で戦った。恐怖を乗り越え、血に濡れてなお。
大好きな人に、頑張ったねって褒めて欲しくもなるだろう。嫌なこと一つ言わず、ただただ頭を撫でて、甘やかして欲しい。
パールが最もそれを求める相手がここにいる。ナタネじゃない。
自分の悪いところも全部知っていて、それでも離れずずっとそばにいてくれた、長い旅の中では肉親以上に心委ねられる唯一無二の人だ。
「…………頑張ったね、パール。
本当に……本当に、よく頑張ったよ。
パールのおかげで、世界は壊れずに済んだんだ」
「みんなもっ……みんなも、頑張ったんだよぉ……
死んじゃいそうになっても……傷だらけになっても……
みんなのことも、いっぱい……いっぱい、っ……」
「うん。みんなのことも、いっぱい、いっぱい褒めてあげようね。
大好きだもんね、パール。みんなのこと」
人目もはばからず、照れ一つ無く、プラチナはぎゅっとパールを抱き返し、頭を撫でて彼女の一番欲しい言葉を迷いなく発していた。
意中の女の子と抱き合うことに少年は、胸がときめく想い一つ無い。
愛しさはあろう。きっと、これまでで一番。
それ以上に、ただただ無二の親友が、闇を駆け抜け光に手を伸ばし、未来を勝ち取ったことに対する感慨と賞賛の本心がずっと勝る。
そこに雑念など一つも混ざりようがない。最愛の親友の歓喜を胸を合わせて受け止めて、その感無量に我が胸までいっぱいになるばかりなのだから。
「大丈夫だよ、パール。
僕は知ってるから、パールが守りたかったもののこと。
やり遂げたんだよね。すごく、今までで一番、頑張ったよ」
「ううぅぅ~~~~~っ……
プラッチ、っ……ありがとうぅぅ……」
ピョコ達と再会したって泣かないぞ、なんて出来るはずもないことを息巻いていたパール。
もう既にその前からぶっ壊れてるじゃないか。ナタネも苦笑せざるを得ない。
でも、仕方ないよねって思う。ああいう子なんだから。
からかえないなぁ、と思うほど、衆目に晒されながら二人の世界に入っているパールとプラチナに、ナタネも微笑ましく見守るものである。
まあ、数年後にはいい思い出になっていそうだとも思うけど。
二人がもう少し大きくなってから、今日のことを掘り返してやれば、二人そろって赤面させてあげられそうである。
そんなことを考えるぐらいには、ナタネにもいたずら心は残っているようで。
そして、そうしてずっと先のことを楽しみに思えるのも、明日が約束された平穏の中であってこそ。
守り抜かれたものの大きさは、意識しなければわからないほどに大き過ぎるのだ。
歴史的な出来事というものは、得てして意外とそうしたものである。
さて、そんなやりとりの後、鼻をすすって涙を拭ったパールが、ポケモンセンターのお姉さんから6つのモンスターボールを受け取って。
握り慣れたシールが貼られたボールを受け取ったその瞬間に、パールの横顔が喜びに満ちていたことなど、はなから誰しもの予想どおり。
はやる足でポケモンセンターの外に出て、夜空の下の暗い中でも、パールの心は太陽に照らされているにも等しいほど明るい。
鞄に入れもせず、両手で持ってきたボールを固めて置き、どきどきする胸の鳴りを抑えて数歩退がる。
プラチナとナタネは、パールの後方でちょっと離れて見守っている。今ばかりは水入らずだ。
「ねえプラチナ君。
パールまた泣くかな?」
「いや~、流石にもう枯れてるでしょ……
あれだけ泣いた後にまだ出たらむしろ凄い」
「でもあり得る」
「あり得ますね」
悪い会話してる。陰口でいじられるパール。
みんなと再会したら号泣確定のパールの性格はわかっているけど、あいにくプラチナとの再会時に充分泣いてしまった。
ではこの後、ピョコ達と再会したらどうなるであろうか。あれだけ泣いた後にまた泣くんだろうか。
流石のパールもそこまでじゃないとプラチナもナタネも読んでいるが、あれはちょっとわからない。
「みんなーっ! 出てきて!」
夜の街で近所迷惑になりそうなほど大きな声を発したパールに応じて、6つのボールからみんなが飛び出してくる。
6つ同時にだ。誰もが、待ちわびたとばかりに。
一秒でも早くパールの前に、元気な姿を見せて再会したかったであろうに、呼ばれるまでは誰も抜け駆けしなかったのだから本当にみんなお行儀がいい。
「ピョコっ! パッチ、ニルルっ!
ミーナっ、ララ……えぇと……っ、"プーカ"!」
みんなのことを一人ずつ名を呼び、最後に一人、まっすぐその目を見て、ずっと考えていた名を呼ぶ。
パールの仲間に最後に入ったフワンテも、自分のことをそう呼んでくれたのだとはっきりわかった。
名付けたその名が気に入って貰えるか、内心そわそわ緊張していたパールの前、初めて名前をつけて貰えた経験にフワンテは少し戸惑っていたけれど。
すぐに嬉しい気持ちがこみ上げてきて、その嬉しさを全力でパールに伝えるべくか如く、ぴゅーんとパールの胸元に飛び込んでいく。
ぶつかる寸前にきちんと減速し、相手の胸を痛めさせない配慮もちゃんとして。
両手で抱きしめて受け止めるパールも、気に入って貰えたことが嬉しく、受け入れられるかどうかの不安が消えたぶん喜びも膨らむというものだ。
「みんな……っ、わわわっ!?
ちょ、ちょと、ミーナララ……っ、うひゃあああっ!?!?」
そして、プーカと名付けたフワンテを抱きながら、みんなを前にしたパールはもう、伝えるために用意していた言葉が全て飛んでいる。
感謝だったり、再会できた喜びだったり、言いたいことなんて山ほどあるのだ。
だけど、いざみんなを前にした途端にそれら全部で頭がいっぱいになり、最初の言葉が選び抜けなくなってしまう。
はいはいわかってる、どうせそうだろうなって思ってるのはみんなそう。
だから足の速いミーナとララが、しゅっとパールの両横に駆け込むと、彼女の腰とお腹を両手で捕まえて力任せに持ち上げる。
担ぎ上げられたパールは攫われたように運ばれ、ぴょいっと彼女を放り投げたミーナとららによりピョコの背中の上へ。
みんなわかってる。とっても悔しいし嫉妬もするけど。
パールの一番はピョコなのだ。誰のことも等しく愛してくれるパールだし、あの子が序列なんてつけないのはわかっているけど。
それでもピョコ以外の5人は全員、最もパールの心を奪えるのが誰なのか認めている。
そこがあなたの特等席で、あなたが最初にぎゅってしてあげるべきはそいつだって、みんな微笑ましく甲羅の上で目をぱちくりするパールを見上げるのみ。
しれっとララが、ぺちんとピョコの甲羅を横から叩いている。譲ってあげたんだぞ、という恩着せ混じりの笑顔と共に。意外とそういうところもあるらしい。
「……………………ピョコ。
ありがとう、本当に」
「――――♪」
パールはピョコの甲羅の上で座り直すと、お尻をずらして前に進み、ピョコの頭に手が届く場所まで移って。
恭しいほど感謝のみならず、恩義と敬意さえ込めた声を静かに発して、最愛の恩人の頭をそっと撫でた。
上から頭を撫でてあげて、心はずっとずっとピョコの下から見上げるようでいて。
ピョコも奥ゆかしく、今パールがどんな顔をしているのか見たい気持ちを抑えて、振り向きもせず微笑んで喜びの声を出すのみだ。
泣いてるかもしれないから。だとしたら見られたくないだろうな、って思うから。
「――――――!」
「~~~~♪」
「ひゃわわわっ!? 一気に来たぁっ!?」
さて、感謝を告げられる一番手を譲ったらあとはもう遠慮しない。
ミーナが真っ先にパールに前から飛びついて押し倒し、ピョコの甲羅の上で仰向けにさせられたパールの上に乗る。
自分の両脚でパールの太ももを挟んで、彼女のお腹に顔をうずめてすりすり、ぎゅっと抱きしめてもう話さない。
ララも飛んできた。爪を立てないように両腕でパールの頭を抱きしめ、ピョコの甲羅の上でパールをぎゅ~。
ニルルもララの反対側からパールの顔のそばで甲羅に張り付くと、ぬるぬるボディでパールに頬ずり。
身体の大きいパッチは大渋滞の甲羅の上に飛び乗りこそしなかったが、わたわたするパールの手に額を擦り寄せ、静電気でぱちぱちとパールに自分を伝える。
撫でてよ、という訴えだというのはパールにもわかり、三人がかりでもみくちゃにされる中で、パールは抵抗する片手も奪われた。
こんないじらしく甘えられたら、手探りででも頭を撫でてあげずにはいられないじゃないか。
そんなパールを上から笑顔で見下ろしていたプーカも、ふわ~っと降りてきてパールの胸元にぽすりと降りる。
抱き返してくれなくても構わない。大好きなパールの胸元はプーカのように、ベッドのように身を預けるだけで幸せな場所だ。
「っ、っ……みんな、ありが……っ……
あははははもう駄目~! くすぐったい、我慢できない~!
一回はなれて~!」
感謝の意を言葉にする前、パールが言葉を詰まらせていたのは感極まってではない。単に超くすぐったい。
ミーナにお腹すりすりされて、ララのふわふわ体毛に頬をくすぐられ、ニルルにぬるぬる首元を滑らされ、プーカに胸元でもぞもぞされて。
背筋ぞわぞわするほどくすぐったくて流石にパールも抵抗しようとしたのだが、ミーナもララもニルルもそうはさせない。
パッチはパールの手首を牙を立てないよう咥えて、抵抗できないよう押さえつける。もう片方の手はララががっちり押さえている。
身体を逃がそうにもミーナがお腹をがっちり捕まえている。ニルルがくすぐるようににゅるにゅるパールの首元の撫ぜるから、パールの全身に力が入らない。
そして手を伸ばしたプーカは、パールの両肩を押さえつけており、みんなと同じようにパールを逃がさぬよう一役買っている。もうすっかり仲間入り。
「ちょ、ちょ、ちょ、やめてっ、しぬっ、あははははは!!
たすけて~! プラッチ~! ナタネさん~! せっかく生き延びたのに~!」
「どうする?」
「ほっときましょう。たいへん幸せそうです」
「同感」
「だれか~! だれか~!
ピョコもなんとかしてよ~! へはっ、えふっ、あはははは……!」
だめだめ、逃がしません。ピョコもすんとした得意顔で微動だにしない。背中の上のみんなを邪魔しない。好きなだけ好きなようにさせる。
みんなどれだけ待ったと思ってるんだ、今ぐらい好きにさせて貰うぞと、大好きなご主人に甘えるみんなの猛攻は止まらない。
膝より下をばたばたさせるのが精一杯で、なんにも出来ないままこちょばされるパールは、有り体に言えばくすぐりの刑に処せられた拷問状態。
悲鳴と笑い声の入り混じる声を、暗くなった町で人目も憚らずあげるパールのせいで、何事かと思って寄ってくる通行人もいるのだけど。
大丈夫大丈夫、事件性とか無いからそっとしておいてあげて、と、プラチナとナタネがそれらの人々を退けて楽しんでいる始末。
誰もパールを助けない。嬉し死ねばよろしい。
「だっ、だれかっ……たひゅけてぇ……
うれしいけど、しんじゃうぅぅ……♪」
何十秒もその猛攻に晒されて、足をばたつかせていたパールも余力を失い、糸が切れたようにその脚をぱたりと甲羅の上に横たわらせてしまっても。
まだまだ続く。特にミーナが悪い顔をしている。
まだまだみんな手を抜くなよ、と顔を上げて仲間達に呼びかけるような声を彼女が発したが最後、ニルルもララもプーカもパッチも猛攻継続。
こちょこちょ、ぬるぬる、むにむに、もふもふ。甘えて甘えて苦しめる。肌を介して、体の芯まで、果ては魂にまで愛を伝えるかの如く。
身動きひとつ取れないまま、やむどころか激しさを増していく総がかりのラブラブアタックに、もはやパールは全身ひくつかせて息も絶え絶えであった。
はひっ、へあっ、たすけてっ、と消え入るような声でのみ解放を請うパールの声は、何ら救いも彼女にもたらさないのである。
結局数十秒どころか、数分間に渡ってパールはいじめられまくって、ようやく気の済んだみんなが離れたことで解放された。
甲羅の上でぐったりとしたパールはもう、腰が抜けて立てやしない。
痙攣したように体を跳ねさせながら、途切れ途切れの息を整えることも儘ならず、見上げた夜空の月に目の焦点も合わせられないくたばりかけ。
彼女自身も言っていたことだが、あの死闘を切り抜けて生還した今、なにゆえまた死にかけねばならぬのやら。それも仲間達の手で。
ああ、でも、たまらない。心の底から。
こんな馬鹿な遊びでみんなと触れ合える今日さえ、あの日槍の柱での戦いで敗れて世界が崩壊していたら、ここには存在していなかったのだ。
何気ない日常。過激なスキンシップで非日常的と言われようが、日常。
大好きなみんなと触れ合える今日は、それを喪いかけていたことを誰よりも痛感している彼女だからこそ、何にも代えがたい幸福であると心から理解できる。
「はっ……は……ひ……
し……っ、しあわ……せぇぇぇ……♪」
呼吸も儘ならない中で、パールは今の気持ちを最も表す言葉を、搾り出してでも口にしていた。明確な、意志を以ってだ。
みんなに伝えたい言葉は沢山ある。"ありがとう"も"大好き"もそう。
ちゃんと一人一人に計5回、しっかり伝えたがるパールだから、そんな余力も無い中では、骨抜きにされた今その選択肢が無いというだけ。
目を拭うための手に力も入らない中で、頬を一筋つたうその雫は、この幸福を心と体でいっぱいに感じる彼女の心境をよく表しているはずだ。
まだ溢れるんだね、と、プラチナもナタネも感心するばかりであった。
"今日"は訪れたのだ。あの日にとっての"明日"。
世界は、シンオウ地方は、仲間達のことが大好きな少女が、ただ大好きな誰かのそばにいられるだけの世界は、終わりを告げずに今ここにある。
それを勝ち取った少女が最も、その幸せの価値を最もよく知っている。