「君が、パール君かね?」
「あっ、はい……そうです……
は、はじめまし、て……?」
「君は?」
「え、えぇ~~~っと……ダイヤ、です……
パールの友達で、なんとなくついてきて……」
「あ、あのぅ、博士……
勝手に連れてきちゃまずかったでしょうか……?」
「いや、問題ない」
さあ空気が重たい。
さっきまであんなにほのぼのと笑い合っていたパールもダイヤもプラチナも、この研究所に入って間もなくかちんこちん。
この研究所の長である"博士"なる人物とご対面してから、三人とも借りて来た猫みたいにおとなしくなってしまった。
この人、なんだか顔が怖い。
どっしり胸を張って直立する姿からも、なんだかとっても凄い人オーラ出てる。
あのやかましいダイヤですら、この人の前ではびびっちゃっておとなしくなるのだから、なかなかたいした風格だ。
「私は、"ナナカマド"という。
ここで、ポケモンの研究をしている身だ。
よろしく」
「よっ、よろしくお願いします……」
手を差し出されたので、パールはびくびくしながら握手する。
しかし、握手してみるとぬくもりのある優しい力で握ってもらえた。
同様に握手を求められたダイヤも、怖い顔の人だけど優しい握手だったなという印象は抱いただろう。
「この子から、シンジ湖でのことは聞いている。
モンスターボールを拾うため、湖に飛び込む無茶をしたそうだな。
風邪を引いたりはしなかったかね?」
「あ、それは……大丈夫でした」
「うむ、よかった」
強面の表情が変わらず、低い声で淡々と話すナナカマドなので、感情が全く表に現れない人物だ。
しかし、濡れたパールが風邪を引かなかったかをまず案じてくれる辺り、怖そうに見えていい人かも、とパールも少しずつ思い始める。
「一つ、確かめたいことがある。
君が昨日一緒にムックルと戦ったのは、このナエトルだったかね?」
そう言ってナナカマドは、一つのモンスターボールのスイッチを三度押しして、中に入っていたナエトルを出す。
床に降り立ったナエトルは、きょろきょろと周りを見渡して、パールを見つけるや否や表情を輝かせた。
パールを見上げるその顔は、笑顔のそれとはっきりわかる口の開き方だ。
「昨日、ここに帰ってきてこのナエトルを出したところ、何かを探すように落ち着かなかった。
その何かが見つからぬとなれば、落ち込む仕草も見せていた。
やはりこの様子だと、このナエトルは君のことを探していたようだ」
「こ、この子が?」
「頭を撫でてあげてくれないか。
あるいは、抱きしめてあげてもよい」
急なことなのでパールも戸惑うが、自分を見上げて機嫌よさげにするナエトルを見ていると愛らしくなってくる。
しゃがんで、ナエトルの頭を撫でてあげると、きゅうっと目を閉じ嬉しそうに身を震わせてもくれるのだ。
こんなリアクションを見せられたら、パールもなんだか嬉しくなって、思い切ってナエトルの首に腕を回して抱きしめてみる。
「あははは、可愛い~!
あっ、ちょ、すりすりしないで、くすぐったいよぉ」
「ウム。
やはり君は、このナエトルとの相性が非常にいいようだ」
怖い顔のナナカマドを前にして緊張していたのとは一転、幸せなハグですっかりパールは肩の力が抜けている。
優しく、ぎゅっと抱き締める腕の中で、身をくねくねさせるナエトルの可愛いこと可愛いこと。
草ポケモン特有の草の匂いを間近に感じながら、パールもなかなかこの子を抱きしめる腕を解くタイミングが見つけられなくなる。
ずっとこうしていてもいいぐらい。すごく可愛くて愛らしい。
「よろしい。
そのナエトルは、君にプレゼントしよう」
「えっ!?
いいんですか!?」
よほどに望外だったのか、あんなにびくついた声でナナカマドと話していたパールが、思わずの声量でナナカマドを見上げてしまう。
怖い顔のまま変わっていないはずのナナカマドだが、今やパールにとって嬉し過ぎることを言ってくれたこの人のことは、もう怖い人には見えなくなる。
「私が見たところ、君とそのナエトルの間には、僅かながら確かな絆を感じる。
きっかけは少し特殊だったようだが、君にこうしてこれだけ懐けるナエトルと、君が出会えたのも何かの縁だろう。
きっと君のそばにいる方が、そのナエトルにとっては幸せなことになるだろうと私には思える」
「ありがとうございますっ!
ぜったい、大事にします!」
「ウム」
ナエトルの頭を撫でてから、抱きしめていた手を解いて立ち上がったパールは、ナナカマドの方を向いて深々と頭を下げた。
嬉しさに満ちたその顔は、床を向いている間も、ナナカマドの顔を再び見た時も、晴天の空に輝く太陽のように明るい。
それすら無表情で受け取るナナカマドだが、口ひげに隠れた口元は、ほんの僅か笑顔になったように両端が上がっていた。
「えぇ~……いいなぁ……」
ぽそ、とダイヤが素直な想いを口にしていたのは、ナエトルとナナカマド博士しか見えていないパールが聞き逃すほどの小声だった。
しかし、ナナカマドは聞いている。
羨ましい目でパールを見る彼の姿を、ナナカマドは見過ごさなかった。
「さて……代わりに、とは言ってはなんだが、君に頼みたいことがある。
話を聞いてから、引き受けてくれるかどうかを考えてくれていいから、まずは私の話を聞いて欲しい」
ひとまずダイヤのことは念頭に置きつつも、ナナカマドはパールに語りかける。
ナエトルを預けてくれる博士からのお願いだ。
パールも輝いた瞳のまま、はいと気持ちのいい返事。
「私はこのシンオウ地方にいるポケモンの研究をするために、このマサゴタウンに帰ってきた。
そこで、まずは今このシンオウ地方に、どんなポケモンがいるのかその全てを知っておきたい。
そのためにはこのポケモン図鑑に、このシンオウ図鑑に生息するポケモンを記録していく必要がある」
ナナカマドは懐から、ポケモン図鑑と呼ばれるものを取り出した。
有名なものだから、パールもダイヤもこれがどんなものかは知っている。
所有者が出会ったポケモンを、自動で次々に登録していくハイテクな機械だ。
「私は君にこのポケモン図鑑を託したい。
そして君には、そのナエトルとともに、シンオウ地方にいるすべてのポケモンを見てきて欲しいのだ」
つまり、ナナカマド博士から預けられたポケモン図鑑を手に、シンオウ地方を巡る旅に出て欲しいという申し出。
なかなか壮大な頼み事をされたものだ。
なんだか魅力的な響きではあるけれど、パールもすぐにはいとは言えない申し出である。
「親御さんとも相談して、引き受けて貰えるかを考えてみて欲しい。
もしもその気になれるなら、また私のもとを訪ねて貰いたい」
これが、ナナカマドがパールを呼んだ要件だ。
突然のことに、怖くてではなく頭がついていかない表情で、パールははいと細い返事を返すことしか出来なかった。
「君もだ。
もしもその気があれば、私のもとに来なさい」
そして、ナナカマドはパールに向けた申し出を、ダイヤの方を見ても言う。
これはパール以上に予想外であったダイヤも、あっけに取られた表情でこくこくと頷くばかりだった。
「ねぇ、パールはどうする?」
「どうするも何も……俺はもちろん、行ってみたいけど」
フタバタウンに帰る道、第201番道路を歩く中、パールとダイヤはナナカマドに言われたことで頭がいっぱいだった。
11歳の誕生日を迎えたばかりのパールより、ちょっとだけ誕生日が後のダイヤは、現時点ではまだ10歳。
フタバタウンを出てシンオウ地方を旅するなんていうのは、基本的に11歳になってからというのが通説だ。
しかし、ダイヤの誕生日はたったの3日後なので、それまで待てばダイヤもナナカマドに頼まれたことは出来る。
そしてダイヤは昔から冒険に憧れる子供だったので、これをきっかけにシンオウ地方への旅に出られるというのは願ってもいない話である。
パールはダイヤの性格をよく知っているから、返事は予想できていた。
そして、ダイヤもだ。幼馴染のパールが、ナナカマドの申し出をどう受け止めたかなんて、ダイヤにしてみれば答えは一つしかない。
「パールはもちろん、行くんだろ?
どっちにしたってポケモンを捕まえたら、旅に出るんだって言ってたもんな」
「うん。
ずっと、そのつもりだったからさ」
「やっぱり、"憧れの人"を探すためか?」
「そうだね。
ちっちゃかった頃、シンジ湖に落ちちゃった私を助けてくれた、あの人に会いたいんだ。
ほんとに見つけられるかどうかなんてわかんないけど……やっぱり、どうしても会いたいんだ」
空を見上げ、希望を追いかける瞳を浮かべるパールの横顔は、彼女の前向きさを最も体現する表情だ。
こんな顔を見せられたら、やっぱりお前はそうだよなって、ダイヤもにひっと笑わずにいられない。
パールは幼い頃、一人でシンジ湖に遊びに行って、湖に落ちてしまったことがある。
泳ぐことが出来なかった彼女は、溺れてしまうんじゃないかと本当に怖かったその日、名も知らぬ誰かに助けて貰い一命を取り留めたのだ。
意識が朦朧としていた当時のパールは、助けてくれたその人の顔はどうしても思い出せないが、記憶の欠片にあの恩人の像は残っている。
大丈夫か、もう大丈夫だ、と案じてくれた男性の声。
逆光でその顔こそ見覚えられなかったものの、確かめられたシルエット。
朧げでありながらも未だ忘れ得ぬその姿こそが、パールにとっての命の恩人であり"憧れの人"なのだ。
名乗りもせずに去ってしまった彼の名は知らなくても、いつかは会ってあの日のお礼を言いたいと、ずっとパールは思ってきた。
パールにとって、初めてポケモンを捕まえて旅に出るその日とは、あの人に出会うための旅の出発点でとして夢見てきたもの。
ナナカマドの申し出がなくたって、パールは故郷フタバタウンと思い出の地であるシンジ湖に手を振って、旅に出発するつもりではあったのだ。
「帰ったら母さんに話して、すぐ出発だな。
俺は10歳になってからって言われてたから、出発するのはパールより少し遅れちゃうけど」
「3日でしょ? 待とうか?」
「え、いいのか?
パール、すぐにでも出発したいだろ」
「ううん、元々そうするつもりだった。
ダイヤだって、10歳になったら旅に出るつもりだったでしょ?
だったら、おんなじ日に出発しようよ。ずっと一緒とは言わないけど、出発する日ぐらいは揃えてみたいじゃん」
「あはは、そっかそっか!
なんかいいな、そういうの!」
「ふふ、いいでしょ。
あんただけ置いて先に行っちゃうようなこと、したくないもん」
すごく嬉しそうな顔で笑うダイヤに、パールもサプライズ気味に明かした成功を実感して嬉しくなる。
せっかく誕生日まで近くて仲良しの幼馴染なんだもの。
手に負えないところもあるけれど、大事な大事な友達なのだ。喜ばせてあげられるなら、そうしたくなる。
「旅かぁ~、わくわくするなぁ。
ナナカマド博士も言ってたもんな。覚えてる?」
「もちろん。
あの人、ちょっと顔は怖いけど、ほんとにポケモンのこと好きなんだね」
「ポケモンのこと大好きな人に悪い人いねえもんな!
ちょっと顔は怖かったけど、あの人絶対にいい人だよな!」
あの申し出をパール達に話した後、ナナカマドが語ってくれたことを、二人はしみじみと思い出す。
未だに怖い顔だと言って憚らないナナカマドを、二人がこれだけ印象を変えているのは、それだけのことをナナカマドが語ってくれたからだ。
決して、ナエトルをくれたからいい人、なんて発想ではない。
"私は生まれて60年、未だにポケモンと一緒にいるだけでドキドキする。
世界にはとてもたくさんのポケモンがいる。
つまりそれだけたくさんのドキドキが待っている"
いかついお顔で子供のようなことを、真顔で話すナナカマドの言葉が、パールとダイヤの胸を打ったのだ。
ポケモン達が溢れるこの世界を歩くこと。
それは数多くのポケモン達との出会いと、その都度わくわくする毎日を顕す旅。
そんな旅路に憧れを抱いた少年にとっても、旅の一番の目的は違えどポケモンが大好きな少女にとっても、胸がときめいてたまらない響きである。
大好きなお母さんのそばを離れてでも、旅に憧れる子供達が絶えないのは、そんな光り輝く未来への希望が脈打っているからなのだ。
ポケットモンスターと呼ばれる星の数々が放つ輝きは、いつの世も子供達の心に夢抱かせてやまぬ、宝石の輝きにも勝る眩しさに溢れている。
「ありがとな、パール!
なんだか最高の気分で旅に出発できそうだ!
パールが今日言ってくれたこと、絶対一生忘れないからな!」
「あはは、ほんとに?
ダイヤ、だいたいのことはすぐ忘れちゃうじゃん!」
「ぜ~ったいこれだけは忘れない!
忘れたりなんかしたら罰金100万円だっ!」
歩きながら小指を差し出してくるダイヤに、パールも小指を差し出して結ぶ。
足を止めず、三度簡易に上下させての指切りげんまんだ。
結んだ誓い、離れた指先、小指に残る温かさ。
顔を見合わせる二人も、無性に嬉しい笑顔に溢れてしょうがない。
いつか住み慣れた故郷を離れて旅に出ることを想い、寂しさを考える夜もあった。
だけど、今のパールとダイヤはその旅立ちに、寂しさをずっと上回るわくわくを抱いている。
それはきっと、一緒に歩み出せる友達がいるという、些細でちょっとした、ともすれば寂しさとは無関係と見られようものも無関係ではない。
共に希望を抱いて笑い合える、心の通じ合った友達は、生涯に渡って掛け替えのない財産だ。間違いないことである。